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オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ。
目の前にいる人の名前のはず。
目の前にいる人は、男性のはずだ。
そうだ、現に男の格好をしているじゃないか。

俺は混乱していた。
ブロンドの髪と青い瞳、俺を呼ぶ声は、間違いなくフランソワーズ。
なんの前触れもなく目の前に現れたのは恋しい人。会いたかった人。
え?
あれ?
男だったの…?!

「…ぷっ…くくく…あはっあはははは!」
よほど間抜けな顔をしていたに違いない。
俺が呆けている間に、気づけば目の前にいるジャルジェ様、もしくは、あるいは、フランソワーズが爆笑していた。

「あ…失礼。くくっ。はははっ。アンドレ、また会ったね。ふふっ。」
「あ、あの、えーっと…その…あの…ふ、ふら、ふらんそわーずさん?」
「そう。フランソワーズは私。あははっ」
「えっあっそうだ…よね。フランソワーズ。だ、よね。ははは」
楽しそうに笑うフランソワーズ(仮)とは対照的に、俺は乾いた笑いしか出てこなかった。

俺、もしかして、男に興味があったのか?
アランの言うとおり、そうなのか?
だから今まで恋愛がうまくいかなかったのか?
アラン、すまなかった。
お前の言うとおりだ。



い、いやでもっ!!
この間のドレス姿の時、胸あったし!!
写真集の全裸の後ろ姿(照)、どう見ても男には見えなかったし!!
きっとお忍びなのだ。
お忍びだから、男性名で、男装なのだ。
きっと、ジェローデル様と恋仲で、高貴な家柄だから公にはできないんだ。
そうだ、それでだ!

…恋仲なんだろうか。

…でも、部屋別々だし。

…ラブラブいちゃいちゃしてなかったし。

「百面相を見ているみたいだ。ははっ。」

楽しそうにフランソワーズ(仮)は笑う。
一体何なのだ。男なのか女なのか、教えてくれ。

「私はお・ん・な!だ!ご期待に沿えなくてすまないが。」


…女でよかった。
アラン、やっぱり俺は女がいい。

お…っとまずいまずい、どうやら顔に出ていたようだ。このアンドレとしたことが。
コンシェルジュ然としなければ駄目じゃないか。


「あ…フランソワーズ。パリ祭で出会ったときとは雰囲気が全然違っているからわからなかった。ここには仕事で?」
「う…ん、まぁ、そんなところだ。ところでアンドレ、仕事は何時に終わるのだ?」
「え、お二人のディネが終わってからだから22時頃かな?」
「そうか。それなら仕事が終わったら街に飲みに行かないか?」

えーーーーーーーーーーっ?
まじで?
本当に?
いいの?いいの?

「う、うん、大丈夫だ。予定はない。」
「よし、決まりだ。それでは仕事が終わったら電話してくれ。番号はー」
「ち、ちょっとまってくれ。今メモするから。」

慌ててメモをとる。

「じゃあ、また後で。」
「ああ。」

冷静に冷静に…。
冷静に。
れいせいに。
レイセイに。

…いかん。スキップしていた。
誰にも見られていないだろうか。

(o0v0o)v

駄目だ駄目だ。顔がにやけてしまう。
そりゃそうだろう。
あれだけ恋い焦がれたフランソワーズが、再び現れ、しかも!俺を飲みに誘ったのだ。さらに!携帯番号ゲット!


棚からぼた餅とはまさにこのこと。
真面目に働いてきてよかった。
神様は見ていて下さったのだ。
神よ、感謝します。
アーメン。

残りの仕事をさくさくこなし、はやく時間よ過ぎろとばかりに何度も時計を確認する。
ディネの途中、フランソワーズに見とれていたのでジェローデル様が怪訝な目でこちらを見ていたような気がしたが、浮かれた俺には気にならない。


神よ、許したまえ。
今日は仕事が捗りませんでした。
どうか天罰が下りませんように。
フランソワーズに誘われたのが夢ではありませんように。
ジャポンの諺で、勝って兜の緒を締めよというものがあるらしいが、残念ながらゆるみっぱなしだ。
とにかくダッシュダーッシュダッシュ!!

引き継ぎをとっとと済まし、22時5分前!
ロッカールームの鏡の前で、サラサラと髪をとかし、バンっと胸を叩く。(ちなみにななめ45度で)
一張羅…ではないが、今日はお気に入りのジャケットを着て来たんだ。よかった。
下はデニムだが、まぁいいだろう。
フランソワーズも「アンドレが普段行くところで」と言っていたことだし。

アランが後ろを通過しながら「てめぇはナルシスか」と言っていたが、無視無視。

よっしゃ!フランソワーズに電話!

何回か呼び出し音が流れたあと、アルトのいい声が聞こえてきた。
「…アロー。」
ああ、いい声だなあ…
「アロー?アンドレか?」
おっと、いい声過ぎて聞き惚れてしまった。
「アロー、フランソワーズ。アンドレだ。今終わって外に出たところだ。オテルの入り口前で待っている。」
「わかった。すぐに行く。」

あぁ、夢じゃなかった。
しあわせだ。
あー幸せ。



「何をニヤニヤしているんだ?」
「うわっ!!…フランソワーズ、早かったな。」

焦った。

「なんだ?人を化け物みたいに。」
「いや、違うんだ。思ったより早かったから驚いただけだ。」
「ラウンジにいたんだ。さあ、行くぞ。」

フランソワーズはさっさと歩き出してしまった。俺プレゼンツのはずなのに、慌てて後ろを追いかける。

「マレ地区にある、スネーク・ラウンジに行こうと思うんだが。」
「そうか。案内してくれ。」
そう言いながらも、フランソワーズは先々歩き、一人でタクシーを呼び止め、乗り込んでしまった。

マレ地区、リュ・ド・リヴォリの横道に入ってすぐにあるカジュアルなバーラウンジカフェ。自宅からも割と近く、仕事帰りによく寄る店だ。

「ここのチーズバーガーがうまいんだよ。」
そう言いながら、カウンターに席をとる。
「アンドレ、ディネはまだか?」
「ん?かるく食べたけど、まだ食べれるよ。フランソワーズも食べるか?」
「いや。いい。私はスコッチにする。」
「きついの飲むんだな〜。俺は…ビールとチーズバーガー。」

乾杯、少しリラックス。
フランソワーズも椅子に深く腰掛け、くつろいでいるように見える。

「ところで言っておきたいことがあるのだが。」
「なんだ?」
「私のことはオスカルと呼んでくれ。」
「あ、やっぱりお忍びだからか?ばれるとまずいもんな。わかったよ。」
「いや…というより、私の本名はオスカルだからだ。」
「え?オスカルが本名…?男の名前じゃないか?」
「話せば長くなるんだが…私の酔狂な親父が、私を男として育てようとしてこの名前になった。オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェが、私の名だ。」
「え、そうなの?…でも、凄く似合ってる。うん、いい名だ。オスカル。」
「…メルシ。」

なぜかフランソワーズ…改めオスカルはそっぽを向いてしまった。
しばし沈黙。
その間に、俺が頼んでおいたチーズバーガーがきた。チーズバーガーを頬張る。
うまい。

「ふふっ。うまそうに食べるんだな。」
気づくと、オスカルが肘をついてこちらを見ていた。
「本当にうまいんだよ。ここのチーズバーガー。パテが肉厚だし…チーズのバランスが最高なんだよな。付け合わせのポテトも最高。」
と言いながら、フォークにポテトをさし、オスカルの口元まで運んだ。
オスカルは少し驚いたようだったが、そのままポテトを口にした。

「うまい。」
「だろ?いくらでも食べていいよ。仕事帰りにチーズバーガーとビールが俺のご褒美。」
「…あのオテルにはどれくらいいるんだ?」
「10数年いる。あっそうだ、パリ祭で俺と一緒にいた、アランを覚えているか?彼も一緒に働いているんだ。彼はシェフで、俺たちは専門学校の同期だ。」
「ああ、アラン。覚えている。学校まで一緒だったのか。」
「と、言っても彼は7歳も年下だけどね。俺は今のオテルで働きながら学校に通ったから。」
「お前いくつなんだ。」
「35。」
「そうか。ところでオテルはどれぐらいの人数が働いているんだ?こじんまりしたオテルの割にはスタッフが大勢いるように感じたが…」
「ん〜50人くらいかなあ?確かにあの規模のオテルにしては多いかもしれないな。オテルにはめずらしく、スタッフの定着率がいいんだよ。オーナーがいい人だからさ。福利厚生もしっかりしてるし。スタッフ同士も仲いいよ。大家族みたいだ。
ところでオスカルは、今は何か仕事してるのか?」
「ん?う…ん、今はマリーの秘書のようなことをしている。」
「マリーって、デザイナーの?」
「そうだ。モデルのときは…」

それから俺たちは色んな話をした。
オスカルのモデル時代のこと。
俺の仕事のこと。
趣味や好きな食べ物のこと。
パリ祭のとき、俺が記者でないことはすぐに気付いたこと。

「…パリ祭で出会ったときはあまり喋らない印象だったが、案外よく喋るんだな。」
「パリ祭のときは、美人のスーパーモデルがいたからさ。」
「一応、今も側にいるんだが。」

なぜだろう。自分でも不思議だった。
あの時はふわふわして、ドキドキして、何を話したらいいかわからなかった。
でも今、男の名前で、男の格好をして、男のしゃべり方をするオスカルを前にすると、なぜか素の自分が出せる気がした。

「アンドレ、お前とは初めて会った気がしない。どこかで会ったことはないか?」
「ないと思う。でもよく言われる。親戚に似てるとかも言われる言われる。」
「ははっ。それだけ親しみやすいということだろう。」
「そうかな。単によくある顔なだけじゃないだろうか。」
「いや、変な気兼ねをしなくてもいいし…まるで幼なじみみたいだ。」
「(…幼なじみか)そりゃどうも。」


「ムッシュウ、そろそろ閉店の時間ですが…」
バーのギャルソンが声を掛けてくる。
「もうそんな時間か。」
「アンドレはどこに住んでいるのだ?」
「5区。でも、オテルまで送って行くよ。」
「方向が逆だし、一人でタクシーで帰る。」
「レディを一人で帰すわけには行かないよ。」
「レディね。ふふ。ではよろしく頼む。」


店を出て、タクシーに乗り込む。
車に揺られながら、飲んだあとの心地いい余韻を感じていた。
酔ったふりをして一番聞きたいことを聞いてしまおうか。
「ねぇ、オスカル。…あの、ジェローデル様とは…恋人同士なのか?」
「は?ヴィクトール?彼が恋人だってぇ?あっはっは…ないない。彼は仕事の部下だ。」
「そ、そうか。一緒に泊まってるからそうかと…」
「彼が恋人なんて考えたこともない。恋人はいないよ。」
「そうか。(よかったぁぁぁ…)」
「お前は?」
「え?」
「お前は恋人は?」
「俺?俺も恋人なんていないよ。」
「好きな娘は?」
「すっ好きな娘?!いっいや、すっ好きな娘もいない!!」
「動揺しまくっているところが怪しいな。本当はいるんだろう?分りやすいやつだな。」
「…」
「図星だな。ははっ」

好きなのは、あなたです。
一番言いたいことは、今は胸にしまっておこう。

そのあともずっと軽口を叩いていた。そう、まるで本当に幼なじみのように。

そうこうしているうちに、タクシーはオテルに着いた。

「アンドレ、今夜は楽しかった。」
「…俺も楽しかった。」
「また明日。」
「ああ、また明日。」

オスカルがオテルに入るまで見送っていると、彼女が立ち止まり軽く振り向いて、今までの凛々しい顔とは違う、柔らかい笑顔を見せた。

「おやすみ、アンドレ。」



今夜は楽しかった。
本当に楽しかった。


彼女の笑顔があまりにも美しくて、俺はしばらくそこに立ち尽くしていた。
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