フリーエリア2


── ったく、世話のやける野郎だぜ

昼食の食堂での出来事を思い返して、再び毒吐いた。
それでも、仲間達から頼られれば放っておく訳にもいかない。
半ば、俺の性分を解っていてのことだろうが。

夜勤のメンバーと交代を済ますと、俺は巡回報告書を手に司令官室を訪れた。
扉をノックしたが、部屋の主の返事はない。
留守なのか?

「アラン・ド・ソワソン、入りま…」
扉を開けて目に入ってきたのは、執務机に突っ伏して寝ている隊長の姿だった。

─── なんだ、珍しいな。隊長が居眠りとは…

部屋の中まで進むと、報告書を執務机の隅に置いた。

── アンドレはどこへ行ったんだ?
こんな所でうたた寝させないで、仮眠室へ連れて行ってやれよ。

机の上に広がる豪華なブロンド。
そこから覗く白磁のような横顔。
いつもは鋭い眼光を放っているブルーサファイアの瞳。
今は白い瞼に閉じられて、長い睫に縁どられている。
その為か、いつも兵士達に向ける凛々しい面影はなく、あどけなく儚げなげで…

── ちょっと役得かもな。
こんな寝顔は滅多に見られるもんじゃないし…

あどけない寝顔をしばし見入っていた。
隊内では、隊長のことを女神アテナと称し、崇拝している者も少なくない。
軍を統率する武官としての力量と、慈母にも似た情愛を持ち合わせた衛兵隊の女神。
兵士達が心酔するのは、ごく自然の成り行きだ。


── 寒いんじゃないか?…何か掛けるものを…

辺りを見回すと長椅子にブランケットがあった。
それを手に取ると、肩にそっと掛けてやった。
同時に立ち上る、微かな甘い香り。
白いハンカチと同じ、隊長の…


肩が微かに身じろいだ。

──  起きたのか…?

僅かに眉を顰め、唇が微かに動いた。
だが、再びスースーと静かに寝息を立て始めた。

── よっぽど疲れているんだな…

王宮警護の任務に加え、パリで暴動が起これば、鎮圧の為に出動することもしばしばだった。
部隊長という立場であるにも関わらず、時として兵士達を先導し行動を共にした。
俺はある時、こう言い放った。
『あんたみたいな立場の人間なら、わざわざ俺達と出動することもなかろうに』
『じっとしていられない性分でな』
ふっと微笑んで、そう言うと、軽やかに走って俺達の先頭に着いた。

男でも根を上げそうな激務が続く日もある。
いくら武官でも、女なんだぞ。
どうしてそこまでするんだ?
俺達に向き合おうとする?
愚直なまでに生真面目で、何事に対しても真摯であろうとする。
あんたみたいな女、初めてだ。
俺が出会った初めての…



再び、肩が身じろいで、唇が僅かに開いた。




「 あ…い…して…る…」


── !!!

いっ、今、『… あ…い…して…る…』って言ったよな~!?
愛してるって!!
ああ、確かに聞こえたぞ。
隊長が誰かを愛してる!?
相手は誰なんだ?
なっ、なんで俺がドキドキしてるんだ?
落ち着けよ、俺!

そういえば、近頃の隊長は纏う雰囲気が穏やかになった。
勿論、訓練中や巡回中などの険しい表情は相変わらずだが、時折、ふとした瞬間にゾクッとするほど艶やかな顔を覗かせる。
愛し、愛されることを知った女の顔なのか?

それとも片恋の相手がいるとか?
秘めたる想いを夢の中で伝えているのか?
いや、片恋なんて卑屈のアンドレには似合うが、隊長には似合わねぇ。
『好きだ。お前を愛してる』って正面切ってコクるほうが似つかわしいぞ。

俺は、もう一度寝顔を凝視した。
その薔薇色の唇から、隊長の想い人の名が出るかもしれないと興味深々だった。
聞きたいような…聞きたくないような…

肩が大きく身じろいで、長い睫が揺れるとうっすらと瞳が開いた。
慌てて傍から飛び退いた。
だっ、断じて疾しいことはしていないぞ、俺は!

隊長は身を起こすと、俺の存在と肩からずれたブランケットに気付いた。
「…これは、おまえが?」
眠りから覚めた潤んだ瞳で見つめられ、心臓がとくんと跳ねた。

「優しいのだな、班長殿」
ふふっと微笑んで、目を伏せた。
白い瞼に長い睫のフォルムが、なんて美しい…


何か用だったかと訊ねられ、机の隅に置いた報告書に視線を移すと、気付いて手に取った。
書類に目を通す隊長の手元を見ながら、俺は班員達の想いを簡潔に伝えた。

「…そうか…私も随分、慕われるようにようになったものだな…」
ぽつりと呟くように言う隊長が、急に小さく見えた。
胸の奥がチクリと痛んだ。
隊長のこれまでの苦労を想い返して。
事の大半は俺が首謀者だったのだから。

「ここに着任したことを、強ち悪くなかったと今は思える。当初はかなり梃摺って悩んだこともあったがな」
隊長は、くすっと小さく微笑んで、悪戯っぽい瞳を揺らした。

── てっ、 梃摺ったって…当然俺のことだよな~


一番イタイところを追及され、カァっと顔が熱くなる。
今更、あの当時のことを蒸し返さないで欲しい。
隊長の人となりを知らずに、子供染みた反抗をしていたことを。

今は、あからさまに反抗的な態度はとらなくなったものの、他の兵士達のように従順にもなれない。
未だどっちつかずの態度になるのは、俺は隊長のことを…


「確かに、私の思い上がりでなければ、皆に慕われるようになったと思う。そうだな…一人を除いては…」
隊長は椅子から立ち上がり、つかつかと近づいてきた。
それも、かなりの至近距離まで。
胸を突き合わせるくらいまで近づいて、小首を傾げ見上げるように見つめてくる。
その仕草は反則だ。
この人は他意なくやってるのか?
まいりました、と白旗を上げそうになる。

「あからさまに反抗的な態度はとらなくなった。かと言って、慕ってくることもない。私としては、軍人としての素質も能力の高さも認めているし、信頼のおける部下だと思っているのだが… ああ、そうだ。結構面倒見も良く、班員達の良き兄のような存在でもあるようだ。まぁ、実際、愛らしい妹の良き兄で…」
「たっ、隊長~!!!」

── あ~~ もうっ! それって俺のことだよなっ?! 絶対に!!

肩でゼイゼイ息をしている俺を見て、隊長はさも愉快そうにクスクス笑っている。

── くっそう~人のことからかいやがって~

全身から汗がジワジワ滲み出る。
こめかみから汗が流れそうだ。こんな寒い時期なのによぉ。
慌ててハンカチを取り出し、汗を拭った。

「アラン…おまえ見掛けによらず少女趣味なんだな」
ぽかんと呆れた隊長の視線の先を辿ると…
それは…
武骨な手に繊細なレースが施された白いハンカチ。

「あ~~!! なっ、なんで! ちっ、違う! これっ、あんたに返そうと思って持ってたんだよっ!」

アタフタと広げて、ハンカチを見せた。
あっ、と微かに声をあげた隊長の顔が綻んだ。
ハンカチを手に取ると、慈しむように刺繍の部分をそっと撫でた。
まるで懐かしい旧友にでも会えたように。

「そうか…もう、捨てられたと思っていたが…」

穏やかに微笑む隊長を目にして、不覚に俺も微笑んだ。
刹那、視線が合い、バツが悪くて慌てて目を逸らす。

「大切に持っていてくれたのだな…ありがとう、アラン…」
花が綻んだような笑顔を俺に向ける。
その眼差しが眩しくて、凄く切なくて…
耐えきれず、視線を逸らす。

隊長がハンカチを仕舞いかけるのを目の端に捉えたが、汗を拭ったことを不意に思い出し、
「ああっ~ ちゃんと洗って返すからよぉ!」
隊長の手元から、ひったくるように奪った。


一瞬、隊長の瞳が何かを思いついたのか、きらりと光った気がした。
「そうだな…私がここに居るまでに返しくれればいい」

── !!
ここに居るまでにって、どういうことなんだ?
まさか、何処かに異動するのかよぉ。
既に届を出したとか?

「えっ? たっ、隊長っ! まっ、まさか、どっ、何処かに行くのかよ?」
ジャンみたくどもって、アタフタと焦りまくった。
これじゃあ、『何処にも行かないでくれ』と言ってるのも同様だ。

隊長は不敵な笑みで一瞥すると
「異動するとは一言も言ってないぞ?『ここに居るまでに』と言ったんだ。今のところ異動の予定はない。それに、ここは案外居心地がいいからな」
そう言うと、耐えかねたようにクスクス笑いだした。


── なっ、なんだよっ! くっそう~ やられっぱなしで堪るかよう!!

「人のことをからかってないで、早く帰ったらどうなんだ? 顔色も悪いし、疲れてるんだろ? あんたの想い人が心配するんじゃないのか?」
言われた当の本人はきょとんとしていた。

── 何を言っているんだアランは?…私の想い人って…何を知っている、この男…?

うろたえて、隊長の瞳が泳いでいる。
うふぉ、初めて見るな、この人の素の顔。
ムクムクと悪戯心がもたげてきたぜ。

「夢の中で会ってたんだろ?あんたの想い人と。こんな殺風景な部屋で、愛の囁きは似合わねぇけどよ」
隊長の顔がみるみる赤くなった。

── 畜生、可愛いとこあるじゃないか

「今なら顔色もいいけどよ。もう、今日は早く帰った方がいい」
意外なことを言うものだと、隊長は一瞬目を見張って驚いた様子だった。
が、すぐに柔らかく微笑み、こくんと頷いた。



司令官室を退出して、薄暗い廊下を一人歩いた。
軍靴の底からも、凍てつく冷気が伝わってくる。
また、雪がちらつくかもしれないな。


── これは、暫く預からせてもらうぜ

それくらいはいいよな?
あなたの想い人が誰なのか…
俺じゃないってことは、悔しいけど解ってる。
でも、気づいてしまったこの切ない想いは、いつまでも大切に仕舞っておく。
このハンカチと共に…

俺はハンカチに口づけを落とすと、軍服の胸ポケットにそっと忍ばせた。

 

Fin
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