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先月は俺の誕生日だった。

花火見物に招待され、オスカルと二人きりで生まれて初め
て見る鮮やかな打ち上げ花火を堪能した。マダムの屋敷
に着くなり、YUKATAに着替えさせられたのにはまいったが、
それでも、オスカルのYUKATA姿はローヴ姿の時にも劣ら
ず、素晴らしく綺麗だった。ジャポン流に言えば、まさに
『やまとなでしこ』そのものだった。


YUKATAの薄い生地から伝わってくるオスカルの体の熱。
花火の光に映し出された白いうなじ。
艶やかな花火を映し出す、サファイアブルーの瞳。
後ろから抱きしめた時の胸の柔らかさ。

今こうして思い出しても体の奥から熱いものが込み上げて
来る。
あれからいったい何日経ったんだ?

夜勤だった日もある。
激務続きで屋敷に戻ってのが深夜に及んだ日もあった。
オスカルは帰りの馬車の中で、それは疲れきった様子で
俺の肩に寄りかかり寝ていたこともあった。……可哀想
に……女の身で何故こうまで……

しかたがない、しかたがないと思うが、あの日のオスカル
の言葉がずっと耳に残っていて離れない。

──わ、解った。考えておく──

『解った』ってことは、了解したってことだよな。
じゃあ、『考えておく』は?ちゃんと考えていてくれてるの
だろうか…?

──考えておく──

うーん、俺は思わずGoogleで検索をしてみた。
『考えておく』…っと。


………ゲっ!!
『考えておく』とは、『決断を後回しにする、やんわりと
断る、など微妙な言い回しで…』

はぁー 俺ってまるでお預け状態の犬みたいだ…




美味しそうなドックフードを前にして、お預け状態のアンドレ犬。
「アンドレ、Wait!」女主人オスカルが叱咤する。

クゥーン…クゥーン…


ジリジリと時間が過ぎてゆく。


ハァ、ハァ、ハァ、ハァ…




い、いかん、よだれが…
俺は慌てて向かい側の机で仕事中のオスカルに視線を
向けた。よかったー見られてない。はぁー助かった…
とにかく今は余計なこと考えず、仕事に集中しないと…




アンドレの誕生日から何日たったのだろう…
花火見物の時、あいつに約束したことをまだ果たせないで
いる。夜勤だった日もある。激務で屋敷に戻ったのが深夜
に及んだ日もあった。私が月のものの日もあったし…

こころなしか『遅すぎ!』とか『待たせすぎ!』という場外から
の声が聞こえたような気がする。
確かにそうだよな…

最近のあいつの私を見る瞳が、いつにも増して熱っぽく潤ん
で、子犬が縋るような瞳さえする時がある。
待っているんだろうな…

司令官室の執務机に向かっていた私は、ふと手を止めて
ぼんやり考えていた。向かい側の机で事務処理の補佐を
務める私の愛しい…恋人…
おまえがいてくれるから、いつもスムーズに仕事が捗る。



ん? あいつ今日はやけにサクサク仕事こなしてないか?
この分なら予定通りに終わりそうだな。屋敷に戻ったら、
久しぶりにワインでも酌み交わしてゆっくりできるな…

…って、それだけではいくまい。
私には重要な課題が残っているからな。

─── おまえのすべてが欲しい ───

耳元で囁かれた声が頭の中で反芻する。
近頃のおまえの口づけが甘さと激しさを増し、その先に
何を求めているのかを思い知らされる。

アンドレの気持ちに応えなければ…
ううん…違う…私だって、おまえと結ばれたい…
…おまえのものに…




「──長 …隊長?…」

─── ハッ!…えっ? あ、ダグー大佐か!

「お疲れのご様子です。今日は早めにお屋敷にお戻りに
なられた方がよろしいのでは?」
「い、いや…大丈夫だ」
不覚にも妄想中から現実に引き戻されて、かなりうろたえた。

「しかし、熱があるのではないですか?お顔の色が…」
そう指摘されて、思わず両手で頬を触ると、確かに紅く
染まっているだろうほどに熱を帯びていた。心配そうな顔
をしたアンドレが目の端に映る。

─── ち、違うんだ!顔が赤いのは具合が悪いわけじゃ
ない。…頼む!スルーしてくれ!誤魔化されてくれ!

「い、いや、熱はない…と思うが…そうだな…切りの良い所
で終わらせるから、心配しないでくれ」
努めて明るく微笑むと、大佐もアンドレも安心したように
お互いの顔を見合わせた。




兵舎の廊下を、こっちに歩いてくる隻眼の男。
「よう! アンド…」
「アラン! 俺にかまうな、絡まるな!」
はぁ?俺、片手上げて挨拶しようとしただけだぜ?
「いいか、よく聞け!今日一日絶対揉め事起こすなよ!」
な、なんなんだ、アンドレは?胸倉まで掴んできて、おまえ
の方こそ絡んでないか?
「も、もし、揉め事起こしたらどうなるんだよ?」
「マジで殺す!!」

 ヒッ! おまえのその目、前にも見たことがあったぞ。
ああ、そうだ!隊長との身分違いの恋をからかって、あいつ
が発砲した時だ。

「アンドレって、休暇明けの時はむしろ機嫌良かったよね。
なんだか日に日に機嫌悪くなってる気がするけど…」
俺たちのやりとりを後ろで見ていたフランソワが言った。

ああ、確かにな…いったい何があったんだ?また隊長の
ことで何かあったのか?普段は何事にも落ち着き払っている
あいつが、隊長のこととなると冷静さを欠く。

あーあ、これだから職場恋愛はイヤなんだよ、まったく…



勤務は滞りなく終了し、屋敷に戻った。
晩餐も湯浴みも済み、部屋の長椅子に深く体を沈めていた。
読みかけの本に目を通すが、内容が少しも頭に入らない。

もうすぐアンドレがやってくる。
就寝前の飲み物を運んでくるのは、いつものことだ。
なのに、どうしてこんなにも心が騒ぐのだろう…
早く会いたいのに、躊躇う気持ちが相反する。
何を躊躇しているのだ…?
怖気づいたのか…?
この私が…?

愛し合っている者同士なら、結ばれたいと望むのは自然
なことだ。自分の気持ちに素直に向きあえばいい…
それなのに…
乗り越えたい、この逡巡を…



扉をノックされ、心臓がピクッと跳ね上った。
「オスカル、入るぞ」

トレイに小ぶりのキャラフとグラスを載せて運んできた。
いつもならキャラフにはワインが入れられているが、今日は
見慣れない薄い琥珀色の液体が入れられていた。キャラフ
の底には細い茶葉のようなものと白い花が沈んでいた。

「なんだ、それは?」
「これか?ジャスミン酒だ」
「ジャスミン?」

まるで水中花のように、白い花が揺らめいている。
私の隣に座り、キャラフからグラスにジャスミン酒を注ぐと
それを手渡された。ためらいがちに口にすると、花の芳香
が広がった。しかし、花の甘い香りに反して、喉の奥に
グッとくる強い酒だった。
落ち着かない気持ちを振り払うように、一口、二口続けて
飲んだ。

「俺にも飲ませてくれ」

─── ん?いつもは勝手に酌んで飲むくせに、今日は
変なことを言うものだとテーブルの上に置かれたトレイに目
をやると

─── グラスが一つしかない…

私が自分のグラスを手渡そうとした刹那、
「違う、おまえので飲ませてくれ」
そう言って、唇にアンドレの長くしなやかな指を押し当てられた。

「なっ、何を言って…」
「…いや…か…?」

─── あっ、まただ、またそんな縋るような瞳をする。その
瞳に私が勝てるわけないじゃないか。

グラスから一口、口に含んだものの躊躇して伏し目がちに
していると
「ほら、こっち向いて」
両手で頬を挟まれ、上を向かされ口を塞がれた。ジャスミン酒
が緩やかに吸われて、アンドレの口中に流れていく。


唇を離されてもジャスミンの残り香がして、一瞬、眩暈がした。
どうしたのだろう?私がこの位の酒で酔うはずがないのに…
花の香りのせいなのか?体の力が抜けて、甘い疼きが胸を
締め付ける。


── だめだ、倒れそう…
体を支えきれなくて、アンドレの胸に顔を埋めた。アンドレの
暖かい掌がしっかりと私を支え、肩を優しく撫でてくれる。

ブラウスの合わせ目から覗く逞しい胸がすぐ目の前にあって、
益々クラクラしてきた。心臓が早鐘のように打っている。


─── 言わなくては…怖じけるな、私!もう、待たせない!


「…アンドレ、待っていてくれたのだろう…?おまえの望んだ…
 すまなかった、ずいぶん待たせてしまって…でも、
今宵一夜……朝まで一緒に…アンドレ・グランディエの
妻に……」

アンドレの体がピクッと反応した。
肩を優しく撫でていた掌がふと止まった。

「…オスカル…俺はおまえが欲しい…だが、おまえを幸せに
できる地位も身分も財産もない。本当に何もない。……俺に
あるのは、おまえへの永遠の愛とこの身一つだけだ…」
切なく語るアンドレが愛しくて堪らず、甘えるように両腕を首に
絡ませて抱きしめた。

「おまえさえ傍にいてくれれば、他に何もいらない…私は
おまえがいなくては生きていけない…」


─── 愛しい…込み上げる程に、こんなにも…

私の…私だけのアンドレ…



ふいに体が軽くなる。
寝室まで抱きかかえられ、寝台の上に静かに下ろされた。

背後で聞こえる衣擦れの音。
愛しい人の気配を、体の熱を背中に感じる。
肩に暖かな掌をかけられ、静かに仰向けにされた。

解き放たれた夜着。
冷気を含む夜風が無防備な肌を掠めていく。

子供の時から変わらないまなざしが私を優しく包む。
「愛しているよ」
胸のなかに暖かいものが広がっていく。

「私も…愛している」

お互いを慈しむ優しい口づけは、やがて熱を持った甘美
な口づけに変わっていった。
深く…角度を変え…何度も…


重なる鼓動… 

絡めあう指先…

黄金の絹糸から匂い立つ白薔薇の馨香…

貪りあう互いの肌の熱…

白磁の肌に落とされる愛の刻印…



甘い渦に溺れていくような感覚とおぼろげな意識の間で、
私は真実を見出していた。

女に生まれながらも軍人として生きなければならなかった
私の運命とおまえの母上が亡くなって屋敷に引き取られた
アンドレの運命…

共に笑い、泣き、傷つき、片時も離れず、離さず、魂さえも
寄せ合い生きてきた。

アンドレ…

私たちは睦み合い、契りを結ぶ為にこの世に生を受けた…
これはまさに私たちの宿命…
そして、これからも永遠に共にある。


切ない吐息の間に互いを呼び合う
誓いの言葉の如く…


ma cherie オスカル…

mon cheri アンドレ…

愛している…永遠に…





─── ん、…う…ん…
いつの間にか眠ってしまったのだろうか…
蝋燭が燃え尽きた部屋へ、蒼い月明かりが射し込んでいた。
傍らで、私のブロンドを優しく撫で、黒曜石の瞳が私を優しく
見下ろしていた。
目覚めても一人じゃない。
おまえの暖かいまなざしに包まれて、なんて幸せなんだろう…

「かわいい…」
「えっ?」
「かわいい…」
「誰が?」
「今ここにいるのは俺とおまえだけだろう」
「…私が…か…?」
「他に誰がいる」
「言われたことがないから…」
「ふふ……おまえがあんなにかわいい声を出すなんて
知らなかったよ」

──── !!

「ばっ、馬鹿!おまえのせいだろう!」
顔から火が吹き出そうなほど恥ずかしくて、咄嗟に背を
向けた。背後でクスクス笑う声がする。
私のブロンドを弄ぶように、指先にクルクル絡めて耳元で
聞いてくる。
「俺を───── だろう? おまえも── 」

「もう、それ以上言うな!」

慌てて振り向き、片手で口を塞いでやった。
一瞬、大きく瞳を見張って驚いた様子だったのに、すぐに
手首を捕まれ、外されてしまった。
額を突き合され、悪戯っぽい瞳が覗き込んでくる。そして、
とびきり甘い声で囁いた。

「そうじゃないだろう?俺の口を塞ぐ手段は、…ん?」
「他にどんな手段があるんだ…?」
「解ってるくせに… わざと聞くんだな」

腰をおもいきり引き付けられ、組み敷かれてしまった。
「ほら、オスカル…」
その手段を促すように、顎を突きつけてくる。


─── おまえってズルイ!

……でも、たまにはこんな風におまえに翻弄されるのも
悪くないか…

私はクスッと小さく笑って、そっと唇を重ねた。





翌日、兵舎の階段を鼻歌交じりにこちらへ降りてくる隻眼
の男。
「よう! アラン!フランソワ!」
俺たちの横をサッサと通り過ぎて行った。
「アンドレ、機嫌が直ったみたいだね」
「ああ、そうみたいだな」

俺は、とばっちりを受けずにすんでホッとしたと同時に、なんだか
無性におもしろくない気分に襲われた。

fin
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