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「アンドレ、26日は確か休暇のはずだよな」
司令官室で私は一通の書簡に目を通しながら尋ねた。
「26日か? ───ああ、予定では休暇になってるな」
アンドレは勤務表を見ながら答えた。
──うん、それならよい──


私宛に届いた書簡は、半年程前にジャルジュ家の客人
として招いたジャポン出身のマダムからのものだった。
あの時の事が鮮明に思い出される。東洋の客人は
珍しかったせいもあるが、とても不思議な婦人だった。

書簡の内容は、26日の夜、マダム主催でジャポン式
打ち上げ花火の新作を披露するので、是非招待したい、
との申し出であった。

「見に行くのか?」
「ああ、なんでもジャポン式の花火は天下一品らしいぞ」



私たちは馬車に揺られ、ジャルジュ家を出てから
小1時間程で湖畔にあるマダムの屋敷に到着した。
広いエントランスを進むと、マダムと数人の侍女達に
出迎えられた。

「お招き頂きましてありがとうございます」
私は宮廷仕込みのとびきり派手な笑顔で、マダムの
手を取り口付けた。
「よくおいでくださいました。心から歓迎致しますわ、
オスカル様。それから、アンドレも…」
マダムは私の後ろに控えていたアンドレの前に
つと進んで、左手を差し出した。
「お招き頂きまして光栄です」
そう言って、アンドレもマダムの手を取り軽く口付けた。


「それでは、さっそくお着替えの準備を──」
「えっ!?」
私たちは思わず顔を見合わせた。
「ふふ… ジャポンの『YUKATA』という民族衣装を
ご用意してありますのよ。ジャポンでは花火見物
にはYUKATAを着るのが定番ですの。
是非、お二人に着て頂きたいわ。さあさあ、こちらへ
どうぞ──」
私たちは半ば強引に促され、マダムの侍女達に
別々の部屋へ連れて行かれた。



「まあ!本当によくお似合いですわ!!YUKATA
の着心地はいかがです?」
マダムは自分より遥かに背の高い私を見上げ、
その瞳をキラキラさせながら尋ねた。
「あ、ありがとうございます。軽くて涼しくて快適です」
屋敷に着くなり、いきなり着慣れないものを着せられ
実のところ、かなり戸惑っていた。
それでも、我が子に新調したドレスを着飾って無邪気
に喜ぶ母親のようなこのマダムがなぜか憎めなかった。


YUKATAは深い藍の地色に、白とピンクの花模様が
散りばめられていた。その花は花びらのふちが細く裂けた
ように縮れた小さな可憐な花だった。ウエストより少し
高い位置で、サッシュよりも丈は短く張りのはる薄ピンク色
の布が後ろでリボン結びされていた。

「オスカル様には勿論、白薔薇の柄がお似合いだと
思いましたけど、今、ジャポンではこのYUKATAの
花が旬ですのよ。『なでしこ』という名の花ですの」



しばらくすると、侍女に伴われアンドレが部屋に入って
来た。
「まあ!素敵!!やっぱり殿方のYUKATA姿は
よいわ〜」
マダムはアンドレの周りをクルクル回って眺めた。

アンドレのYUKATAは、焦茶の地色に縞の柄だった。
縞と縞の間に格子や連続した草や蔓の細かい模様
が施され、長身のアンドレによく映えた。

マダムは満足気に私たちを見上げると
「麗しいですわ!美男美女のカップルで!!花火は
じきに始まりますわ。この部屋のバルコニーからの
眺めが最高ですのよ。どうぞ、ごゆっくり…」
そう言い残して部屋から出て行った。

広い部屋に二人きり残された。そして、改めてお互い
の姿に見入った。
「綺麗だ。よく似合ってるよ、オスカル」
「おまえもよく似合っている、男っぷりが上がったな」
「しかし、いきなり着替えさせられたのにはまいったな」

「ああ… でもよいではないか。なかなか着心地が
よいぞ。YUKATAはコルセットなしで素肌に着るもの
だそうだ。ローブのように苦しくないぞ」


───え─っ!!素肌に…コルセットなしでって…
そう言われてみればいつもより胸の膨らみが目立つ
ような…… い、いかん、何を想像している、俺……


何やらブツブツと独り言を言っているアンドレを
残して、バルコニーの方へ歩いた。
バルコニーに出てみると、湖面がすぐ眼下にあり、
夜風が水面を渡って揺らめいていた。
爪で掻き描いたような細い月と満天の星屑が瞬く
静夜──


突然、遠方でヒューと一筋の青白い火の光が上空
に向かって行く。フッと消えた瞬間、夜の闇に大輪の
花が咲いた。
と、ほぼ同時にドーンと胸の下から突き上げるような
重低音が響いた。
次々と打ち上げられては、色とりどりに変化しながら
上空で花開く。
湖面に反射し、えも言われぬ美しさだった。
初めて見る艶やかな色の花火に声も出せず、暫く
魅せられた。


花火から出た白煙が強くなってきた夜風にかき消される。
YUKATAの袖下から急に冷気を感じて、くしゃみが出た。

「寒いか?夜風にあたりすぎたかな、部屋に戻った方
がよくないか?」
「いや、このままでいい…おまえが抱きしめてくれたら
暖かくなる…」

両腕で包み込むように抱きしめられる。YUKATAの薄い
生地からアンドレの体の熱が伝わってくる。
暖かいな…
クスクスと小さく笑うおまえの声を胸の中で聞いた。
「これでは花火が見られないから」
そう言って後ろから抱きしめ直された。
フッと、弾力があって熱っぽいものをうなじに感じた。
おまえの唇だ……私だけの……

次第に唇の熱っぽさが増してくる。
うなじから顎下へと、悪戯なおまえの唇が彷徨う。
甘い疼きとくすぐったさに耐え切れなくなって、わざと
聞いてみる。
「花火は見なくていいのか?」
「もちろん見るさ。オスカル、花火を見て」

──えっ?
咄嗟に上空に打ち上げられた花火を見た。
黒曜石の瞳に捉えられたと思った瞬間、
唇を塞がれた。

「Bon  anniversaire… アンドレ…」
息もつげないほど甘く深い口付けからやっと開放され,
吐息交じりに囁いた。


「なんだ、てっきり忘れられていると思っていた」
「私がおまえの誕生日を忘れるはずがないだろう。毎年、
何が欲しいと聞いても特に何もないというばかりで悩んで
いたんだぞ。でも、今年は丁度、花火見物の招待が来た。
お前とゆっくり花火見物もいいな、と…YUKATAは私も
サプライズだったが…」
「そうだったのか、メルシー。……あーでも、今年は
欲しいものあったんだけどな…」
「なんだ、そうだったのか?素直に聞けばよかったのか。
───で、なんだ、お前の欲しいものって?」
「う、うーん…」
「なんだ、言ってみろ」

アンドレは屈んでオスカルの耳元で囁いた。
「なっ!……」
頬がみるみる紅潮するのが自分でも判る。

「……どう…かな…?」


──そ、そうか…いや、そうだよな…恋人同志ならそれは
自然なことだし、アンドレが望むのも当然だ……
ううん、違う、アンドレだけじゃない、私だって…おまえの肌に
……


「…わ、解った…考えておく…」
「うん、メルシー…」



夜の闇が深くなっている。
冷気を含んだ夜風が夏の終わりを告げている。
咲いては散り、また咲いては散る夜天の花も
夏の名残を惜しんでいるようにさえ見える。

再び季節が巡ってゆく。
季節が何度巡っても、おまえの温もりをずっと
感じていたい。

私の……私だけの……愛しいアンドレ…






───数日後、アンドレの欲しかったものが与えられた
ことは、言うまでもない…
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