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今でもあの夜を思い出すことがある。
どの夜って、オペラ座の仮面舞踏会の夜だ。
ああ、とはなんだ。ああ、とは。
私達が知り合った記念日じゃないか。
それは…、まぁ…、あの方と出会った夜でもあるが…。だからと言って君との出会いがその付属品だとは思っていないぞ。
君はまだ私があの方の仮面を剥いだことを根に持っているのか?
それまでの4年間、諸国を廻って勉強ばかりしていた。漸く社交界に出るためこの国へ来た。少しぐらい羽目を外しても咎められることもないだろうと思っていた。
そこへ、あの薄紅の薔薇のような方が現れた。ひと目その顔(かんばせ)を見たいと思っても仕方がないだろう?
あのときの君のきらきらした好戦的な瞳は忘れられない。
私は君に言われた通り、翌日、早速謁見を願い出た。
昼の光の中で見るあの方も美しかっだが、私は部屋の隅に控えている君を見ていた。
前夜の態度とは打って変わり、自分の気配を殺し、差し込む陽射しや空気と同化していた。君がいかに優秀な近衛兵なのか判ったよ。
それからは宮殿に日参し、君とも言葉を交わすようになった。
君は博識だし、他の貴族のように表面だけを取り繕うこともないので、心地よかった。私に向ける笑みはシニカルだったけれどもね。
聞けば、12歳で近衛に入隊したそうだな?その年から大人の世界を渡り歩いたらシニカルにもなるか…と思った。
だが、彼と一緒のときは違うんだ。けらけらと年相応に笑っていた。
あの黒髪の青年は誰なのかとマダム達に聞き回ったものさ。
第三身分の出自だが、君とは兄弟同然に育ち、君の従者兼護衛。軍人に護衛?とは思ったが、それよりも彼はマダム達に人気があったぞ。
知っていたか?
私が君と親しいのなら、なんとか彼へ橋渡しをしてもらえないかとよく頼まれた。
次第に彼とも親しくなり、成る程、モテる理由が判ったよ。
気さくで穏やかで、卑屈なところが少しも無い。自分の立場を弁え、所作も完璧だ。
そして君がその冷静沈着な見た目とは反対にかなりの激情家であることも判った。
覚えているか?
初めて三人で飲み明かしたときのことを。
驚いたよ。
君は涼しい顔で強い酒をどんどん空けて行くし、そんな君を見て、彼ははらはらしているし。
君は次の日、何事もなかったかのように出仕したんだって?私は丸一日気分が悪かった。
ああ…、そう言えばそうだったな。
あの落馬事故はあの後すぐのことだった。命を賭して彼を守ろうとする君の姿に打たれた。気付けば、自然に国王陛下の御前に出ていたよ。
彼の祖母君殿はお元気なのか?
そうか。よかった。
彼女の逆鱗に触れるまで君が女性だと気付かなかったんだから、間抜けな話さ。
でも、女性だと判ってみると、それまで私の中にあった違和感が氷解した。例えば、その美貌や銃器を扱うには繊細すぎる指先とかね。
……あれは事故だ。あの方だって君達に咎はないと仰っていたではないか。まして、私に詫びる必要などないよ。
他にも私に助けられた?
あの方の取巻夫人が君を亡き者にしようとしたことか。私がもう少し早く着いていれば、君は刀傷など負わずに済んだのに…。あのときの傷は今も残っているのだろう?
それからパリで暴徒に襲撃されたときだな。あのときほど取り乱した君を見たことはない。
彼が君に惹かれていることは知っていたから、君の、君自身も気付いていない心の声が聞けて嬉しかったよ。
この二人は何としても守らなければと思った。
それに私だって何度も君に救われたのだぞ。
あの方との関係に悩む私に親身になってくれたのは君だけだ。
私がどんなに救われたか分かるか?
だが、その一方で君がどんな想いでいたのかに考えが至ることはなかった……。
そうか…。君にとっては過去の話か…。
しかし、あの外国の伯爵夫人は美しかった。何とかして素性を知りたい、もう一度逢いたいと思っ……って、痛いじゃないか!いきなり殴るなよ。
えっ?…ああ、彼女にその話をしたら駄目なのか。
血の気が多いな。相変わらず。
いや、だが本当に美しかった。
あのオペラ座の夜に君が女性だと見破っていたら私達の関係はどうなっていたのだろう。
今更、埒もないが。
それにしても…、彼はたいしたものだな。
勝手な話だが、彼には同志のような気持ちを抱(いだ)いていた。
お互い、愛してはいけない立場の女性(ひと)を愛してしまったのだと。
それが、どうだ。
とうとう高嶺の花を手に入れた。
まさか、君達が結婚することになるとは…。
よしっ!
では、もう一度乾杯するとしよう。
何にって、愛すべき軍服の令嬢に!

               終
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