フランス旅行回想録 【 Voyage 】

こちらは管理人のフランス旅行記です。
旅行前の準備のこもごもや、旅行中にフランスからUPしていた雑文、帰国してからの回想録などを置いています。

★2013/5 回想録
旅行準備から現地UP版までは、かつて【Hermitage】というおまけノベルを集めたブログにUPしていたものからの転載。
回想録からが、この「Voyage」でUPしはじめたものです。
(今はクレーム等により一部公開していません)

また、この旅行記には、追随するコンテンツとして【Webアルバム】がございます。
アルバムでは、管理人の訪れた各地の画像が2000px以上の大判サイズでご覧いただけます。
ベルサイユ宮殿や大小トリアノン宮などのお部屋が、壁紙の模様や扉のひび割れまで見える詳細さでUPされております。
スライドショーにすることも出来ますので、ご覧になれる方はどうぞ。
全部で1183枚の写真がご覧いただけます。

★2015/4 回想録
2015/6/12よりUPを始めました。
こちらもWebアルバムをUP中で、ただいまは3410枚の画像がご覧いただけます。
最終的には、およそ5500枚程度のアルバムになる予定です。

 

    先ほど1階から観た王室礼拝堂。
    まずはそこを2階から観てみよう。


    「使節の階段」

    以前にも訪ねたそこを目指してこの階段をのぼりきると、最初に目に入るのは、公開されている部屋の中でも大きめな広間。


    ヘラクレスの間。

    この部屋の特徴は、壁に飾られた大きな絵と天井画。
    この部屋を見学する人のほとんどが、上を向いて写真を撮っている。


    天井画 「ヘラクレスの神格化」(1736年)


    壁面いっぱいに飾られた絵画 「パリサイ人シモン家の宴」

    ヘラクレスの間は、元は第4礼拝堂だったところ。
    1664年、ヴェネツィア共和国からルイ14世にこの絵が贈られた際に、広間へと改築された。
    この広間を奥へと進むと、現在の王室礼拝堂がある。


    王室礼拝堂の2階の入り口。

    王室礼拝堂(1710年完成)は、2階からの見学はこの扉からのぞくだけ。入り口には低いつい立てが置いてあり、ロープも張ってある。
    すいているからいいものの、前回来たときにはこの狭い間口で人が押し合いへし合いだった。


    ミサのときには、国王たちは2階の特別席から参列したとか。




    いくつかのパートに分かれた天井画。中央のものが 「世界の贖罪の約束をもたらす栄光の中の神」

    宮殿2階部分で公開されている部屋は、この礼拝堂の先にはない。
    ので、いったんヘラクレスの間に引き返し、そこから各部屋へと進む。
    (ここから先は部屋ごとの写真を数枚ずつ貼っていきます。ベル宮にはこの数日後にも来ているので、この記事では1部屋についてそれほど多くの画像をUPしません)


    豊穣の間。

    王族や貴族が軽い飲食を嗜んだ部屋。ルイ14世代には、王が奥の続き間で宝物コレクションを披露して楽しんだそう。
    ルイ16世代では娯楽の間として使用。


    左側の白髪の肖像画は、お年を召してからのルイ14世。


    ヴィーナスの間。
    お部屋の名前は天井画のヴィーナスの神話から。


    天井の凝った装飾。


    ルイ14世の立像。


    宮殿内には太陽王の彫像がやたらとある。


    ディアーヌの間。


    ルイ14世がビリヤードを楽しんだ部屋。
    その腕前が素晴らしく、拍手喝采であったために「拍手の間」とも。


    胸像の土台部分の装飾。
    胸像本体よりも、どうしてもこういった部分に目がいってしまう…


    月と狩りの女神ディアーヌの天井画。
    ルイ14世が狩りの名手だったことにちなむそう。


    マルスの間。


    ルイ15世妃マリー・レクザンスカの肖像画。この反対側の壁面には、ルイ15世の肖像画がかかっている(カルル・ヴァン・ロー作)


    ぎゅうぎゅうに混みあうメルクリウスの間。


    王の儀式用寝室。


    人波が途切れるのを粘って撮った王の寝台。


    1715年に王が亡くなったときには、この部屋に9月2日から10日まで遺体が安置された。
    この寝台自体は当時のものではなく、ルイ・フィリップによって設置された王政復古代のものだそう。


    ベッドボードの装飾。
    できれば間近で見てみたい。


    時計職人のアントワーヌ・モランが1706年にルイ14世に献上した自動振り子時計。1時間ごとにルイ14世像と女神が姿を現すからくり式。
    この女神はファーマで、噂を司るそうなのだけど、またなんで?


    壁の赤に映えるシャンデリア。


    引き続き赤い壁だけれど、こちらはアポロンの間。

    かつてはここに玉座が置かれ、フランス革命が始まるまではルイ14世の肖像画がかけられていた。


    カレー作 「正装のルイ16世の肖像」


    リゴー作 「正装のルイ14世の肖像」
    この2枚の肖像画は、玉座を挟んで対面した壁にかけられている。


    天井画はシャルル・ドゥ・ラ・フォッス作 「四季に取り巻かれ凱旋車に乗るアポロン」


    戦争の間。

    ルイ14世の、オランダ戦争での勝利と終戦(ナイメーヘンの和約)がテーマのこのお部屋は、左側に写っている大きなレリーフが印象的。
    このレリーフは上部に名声の女神が舞い、馬に乗ったルイ14世が鎖につないだ捕虜を踏みつけている図案。
    下にアップの画像を貼るので見てみてください。


    天井画は、軍事勝利をテーマにルブランが描いたもの。部屋に置かれた暖炉もルブランのデザイン。


    天井の装飾のすみっこにまで、太陽王をイメージさせるモチーフが。


    コワズボックス作 レリーフ 「敵を踏みしだく馬上のルイ14世」

    さて。
    このレリーフなのですが。
    どっかで見たことがあるような、ないような…
    私がこのレリーフを観ていたら、日本人の団体客を連れたガイドの説明が耳に入ってきた。
    『皆さん、このレリーフが「ベルサイユのばら」のオスカルのモデルですよ。かつて無名の学生だった池田理代子がこれを観て、ベルサイユのばらのインスピレーションを得て漫画家デビューし、大ヒットとなりました』
    それを聞いていた日本人観光客は口々に「へー、これがオスカル?」「オスカルってルイ14世がモデルだったんだね~」と…
    “無名だった池田理代子が漫画家デビュー”とか、“ルイ14世がオスカルのモデル”とか、突っ込みどころが満載でした。
    もっとも、「ベルサイユのばらの街歩き」(出版:JTB 著:ベルサイユのばらを歩く会 池田理代子プロダクション)にも、このレリーフとオスカルの肖像画の関連について記述はあるけれど。


    続く部屋は、いよいよベル宮でもっとも有名なあの広間。


    鏡の間、全長73mの回廊。


    広間にはこんな丸出しさんも。

    丸出しさんの隣に写った大燭台は、「ルイ・オーギュストの結婚を機に新調された」という大燭台の復刻版。「アポロンの間」にある大燭台を手本に復元された。


    これでもかとさがるシャンデリア。

    この華やかなシャンデリアは、回廊に全部で24個あり、取り外し可能。かつては祝祭時の晩餐等にのみ吊り下げられていた。
    このシャンデリア群にろうそくの灯った晩餐会や舞踏会。さぞや幻想的なことだっただろう…


    当時貴重品だったという鏡は357枚はめ込まれている。



    ここに招かれた人たちはきっと、この豪華さと煌々しさに度肝を抜かれたんだろうな。




    天井画は30枚。ルブラン作で、ルイ14世の偉業と栄光の治世がテーマ。


    立像・胸像・大燭台… この広間にいったい何体いるのやら。


    平和の間。
    鏡の間を挟んで、戦争の間と対になっている。


    平和の間から眺める庭園。


    こちらも混みあう人気のお部屋、王妃の寝室。


    お部屋全体を引きで撮りたくて、人が途切れるのを結構待ってみたのだけれど。
    こちらのグループ、お部屋を観るでもなく、ここで輪になって20分以上雑談をされていましたわ…


    寝台に向かって、お部屋の左側。暖炉の上にはアントワネットの胸像が。
    開いている扉は、かつては隠し扉になっていて、革命の暴動の際に王妃が避難するために使ったのもこの扉。


    お部屋の右側。


    寝台の正面。


    そして寝台の上部。

    3人の王妃がこの部屋の主となり、19人の「フランスの子」がここで産まれた。
    王妃の出産は公開され、その理由は生まれた子の正当性を皆に示すためだったそう。
    (まさに王妃の産んだ子であるか、子のすり替えがされないか、など)
    お産の間、見物の貴族たちは入れ替わり立ち代りだったようで、この風習を気の毒に思ったルイ16世が、王妃の第2子の出産から公開出産を廃止にしたとか。
    実際の出産はこの寝台ではなく、低い寝台を別に置いて行われた。
    部屋の調度は、天井の装飾などはマリー=テレーズ(ルイ14世妃)の趣向が、グリザイユの手法による絵と木工細工はマリー・レクザンスカの希望で作られたものが残されており、アントワネット代にはこれらの装飾には手をつけることはなく、「新たに持ち込まれたのは家具と暖炉だけでした」とのことなのだけれど。
    家具はまだしも、暖炉を持ち込むって!?


    貴人の間。


    マリー・レクザンスカ代には謁見の間として使われていたが、アントワネット代ではこの天井画以外は全改装され、控えの間として使われた。
    マリー・レクザンスカはサークルと呼ぶ集まりを作り、ここで宮廷の女性たちとの会話も楽しんでいたそう。
    現在の壁紙はアントワネットの好みで、「幅広い金色の飾り紐で縁をとった青りんご色のダマスク織り」。家具はお気に入りの家具職人・リーズネルに作らせた流行のイギリス風で、マホガニー材で統一されている。


    大膳の間(グラン・クヴェールの控えの間)
    王と王妃が公式の食事を取った部屋で、貴族の参列も許された。
    …といっても、テーブルに着くことが出来たのは王の家族のみ。公爵夫人や国の要職者などがスツールに座ることを許され、その他の人々は座ることも出来なかった。
    人々にぐるりと見物されながらの食事って、美味しいんだろうか。
    ちなみにこの部屋では、1764年1月にルイ15世とマリー・レクザンスカが、幼少期のモーツァルトと食事を共にしているそう。


    重厚な天井画。


    大膳の間にはとても目を惹くものが2つあるけれど、その1つは壁面いっぱいのゴブラン織りで、これはベルサイユでの独特な食事の儀式を再現するために、モビリエ・ナショナルから貸り受けたもの。


    もう1つの目を惹くものは、この絵画 ルブラン作 「マリー・アントワネットとその子供たち」(1787年)

    母に甘えるようなマリー・テレーズ・シャルロット。膝の上にいるのがルイ・シャルル。右側に立つ皇太子ルイ・ジョゼフ・グザヴィエ。そしてジョゼフが指差すように描かれた揺りかご。
    その中はからっぽで、フードは黒い布に覆われている。
    この揺りかごの持ち主は、夭折した第四子のソフィー・エレーヌ・ベアトリス。絵の完成を待たず、1歳の誕生日にあと20日で亡くなった。
    からの揺りかごは、幼くして亡くなったアントワネットの次女を象徴していると言われている。


    衛兵の間。

    日夜王妃の警護にあたっていた12人の衛兵のための控えの間。
    1789年10月、宮殿に侵入してきた群衆から王妃を逃がすために、多くの衛兵がこの部屋で戦い、命を落とした。


    衛兵の間からの眺め。


    戴冠の間。

    写っている絵画は ダヴィッド作 「鷲の軍旗の授与(シャン・ド・マルスにおける軍旗授与)」で、確かダヴィッドの絵の中では最大級だったはず。


    戴冠の間には壁3面それぞれに大きな絵が飾られているのだけれど、もっとも有名なのは画像左側の ダヴィッド作 「ナポレオン1世の戴冠式」だろう。(右側は グロ作 「アブキールの戦い」)

    この「ナポレオン1世の戴冠式」はダヴィッド自身によるレプリカで、オリジナルはルーブル美術館にある。ほとんど同じ絵なのだが、作者が作為的に変えている箇所があるので、見比べてみるとおもしろいかもしれない。
    (この数日後にルーブルにも行っているので、後ほどレプリカとオリジナルを並べた画像をUPする予定です)


    肖像画がたくさんかかった回廊を抜けていく。


    窓からは修復工事の裏側が見えたりして。


    第一帝政の間。


    戦闘の回廊。

    びっしりと絵画のかかったさまは壮観で、この画像だけを見せられてどこかの美術館だと言われたら、普通に信じてしまいそう。


    彫像の並んだ廊下。
    プレートに刻まれた名前を見ながら歩くのが楽しい。


    「王妃の階段」

    先に出てきた「使節の階段」と対を成している。
    (使節の階段が造られたのは現代で、設計・デザインは当時のものが参考にされた)
    この階段を降りきると、一般見学エリアをおおむね一巡したことになる。
    1階にはギフトショップがあるので、行ってみた。













    どれもこれも素敵だけれど、いいお値段でした。
    この旅行中にベル宮の絵はがきや、ベル宮の果樹園で作られたりんごのキャンディが届いた方もいると思うけれど、それらはこちらのショップで買ったものなんですよ。


    閉館時間も近いベル宮。

    ルイ16世のプライベートルームと宮殿をまわり、時刻はもう夕方。
    このままパリへ戻ってもよかったが、私は駅までの道を少し遠回りした。
    足もずいぶん腫れてきて、歩くのが遅くつらくなってきていたけれど、ベルサイユの街をちょっとだけ歩いてみたかったのだ。


    ルイ14世騎馬像を背に、左手に5分ほど歩くとこんな広場が。


    街並みに同化するようにたたずむ教会。


    屋根付きの常設市場。
    いちごがめちゃめちゃ美味しそうで、しかもでかい。


    こちらは広場で開かれている市場。


    通りのあちこちにカフェがあるのはパリと変わらない。


    お惣菜屋さんもたくさん。









    「これから電車に乗るしなぁ」なんて思って、迷いつつも買わずに帰ったのだけれど。
    今思うと、少しずつ買って帰ればよかった。すごく美味しそうだったのに。

    ベルサイユの市内をゆっくり歩いてまわり、それから来たときと同じようにRERでパリに戻った私。
    アパルトマンに戻って少々休憩しながら、痛い痛いと思っていた足の先を見てみた。
    グロ注意という画像ではないけれど、「他人の足の指なんぞ見たくないわ!」という方は↓の画像は見ないでください。







    血の混ざった水ぶくれ。薄い皮がぷくぷくで、下手な歩き方をしたら破れそう。

    私は左の膝を何度も手術しているので、歩き方に癖がある。
    そのため履きなれた靴を履いていても、1~2時間も歩くとこんなふうに水ぶくれが出来てしまう。
    この日の夜は、到着日からお流れになっていたモンパルナスタワーの夜景の約束がある。
    私はその人に今夜の確認を取ってみたが、案の定と言おうか、返事は「やっぱり疲れちゃってて、夜は出かけたくないな~」というものだった。
    さぁて、どうするかな。
    疲れている・いないで言えば、私も結構疲れてはいる。膝や腰も普通に痛いし、ぷくぷくの水ぶくれだってじっくり痛い。足首も腫れてるし。
    まともに考えたら、出歩かない方がいい。
    甘いココアなどを飲みながら観光ガイドをめくりつつ、私は旅行の日程を頭の中で確認した。


    21:45pm モンパルナス界隈。


    夜のSNCFモンパルナス駅。




    なんだかんだ言って出かけてきてしまった阿呆な私。
    モンパルナスタワーの受け付けでチケットを買ったら、エレベーターで59階へ。


    展望台のチケット 14.50ユーロ。これで展望台(室内)と屋上(室外)まで観られる。

    屋上へ行くにはエレベーターを乗り換える。
    私はそのことを知らずに行ったので、展望台をぐるぐると観てまわり、その眺望だけで満足していた。だってガラス越しでもパリの夜景は美しく、イメージした通りの景観だったから。
    写真も撮って、夜景も堪能して、「よし!ショップでも見るか」と絵はがきを買いに行った売店のおにいさん(後述)に「屋上には行ってみた?」と聞かれて、私は初めて屋上に行けることに気がついた。
    「チケットを見せて、エレベーターを乗り換えるんだよ。もうすぐ閉館時間だから急いで」
    私がいかにもドンくさそうだったのか、おにいさんが気の利く人だったのか…
    いずれにせよ、おにいさんの親切のおかげで私は屋上からの眺望も観られたのだった。


    やっぱり最初に探したのはエッフェル塔。


    眺めているうちに、きらきらと光りだしたエッフェル塔。

    これは日没からの毎正時、5分間だけエッフェル塔が激しく光輝くシャンパンフラッシュというイベント。(観光ガイドなどによってはダイヤモンドフラッシュとも書かれていて、正式な名称が何か私は知らない)
    エッフェル塔はただライトアップされているだけでもじゅうぶんきれいなのだけれど、さすがに光り輝くとなるとその存在感も相俟って、かなり気分が上がる。
    せっかくパリに行くのなら、夜出歩くのが多少億劫だったとしても、観ておくのがおすすめ。

    ↓このときのミニ動画。

    *IE以外で動作確認出来ていません。Flashを使っているため、ipadやiPhoneなどのapple系やスマホでは、プレイヤーが反映されません。
    その場合はこちら【エッフェル塔 ChampagneFlash】へどうぞ。
    ipadで撮ったもので、かなり遠目。
    あまりキラキラ感は伝わらないけれど、時おり強い風の吹くモンパルナスタワーの屋上の雰囲気ぐらいは伝わるかと。


    天気がよかったので、夜景もよく見渡せた。




    おにいさんのいたギフトショップ。

    屋上からの特別な眺めと、吹きっさらしで冷え冷えのビル風を体験した私は、再びこのショップに戻って絵はがきを数枚買った。(届いた方もいらしたでしょう?)
    そのときおにいさんはレジを閉めるために、小銭を数えていた。
    「屋上は観た?」
    「うい、めるし」
    もっと上手にお礼が言いたかったけれど、私にそこまでの英語力や仏語力はない。
    私が言葉を探していると、おにいさんの方が英語で話しかけてきた。
    「あなたは日本人でしょう?」
    「そう…だけど、どうして?」
    そのおにいさんが、日本人であるらしいと私に声をかけたのは、彼が7月に日本を旅行する予定があったからだった。
    「お勧めの観光地を教えてくれないかな?」
    そう言ってメモ帳を差し出したおにいさんに、私は聞いた。
    「どこに行くの?TOKYO? KYOTO?」
    「TOKYOとKYOTO、HIROSHIMA。2週間」
    東京、京都、広島か…
    幸い京都にも広島にも何度も行ったことがあり、観光もがっつりしていた上にどちらの県にも友達がいる。
    お勧めを聞かれて困ることもなく、私は自分のお勧めスポットと観光客に人気のあるところと、外国人ウケしそうな観光名所をだーっと書いた。
    私は若い頃、たくさんの国籍の人と一緒に仕事をしていて、日本の観光でどこが面白かったかなど、そういった話をしたことがよくあったからだ。
    「どうして日本なの?日本の何が好きなの?」
    私がそう聞くと、おにいさんは「夢だ」と言った。
    「日本に行くのが僕の夢だったんだよ。日本の歴史や文化がとても好きだ」
    おにいさんは「僕の夢だ」と、何度も繰り返した。
    …ああ、そうだ。私もそうだった。
    私もフランスに来ることが、5歳のときから夢だった。
    私はなんだかとても胸アツになってしまい、涙目になってしまいそうで照れ笑いをした。
    「KYOTOにもHIROSHIMAにも友達が住んでるの。知りたいことがあったらメールして」
    おにいさんとメールアドレスを交換して、モンパルナスタワーを後にした。

    ちょっと無理して行ったモンパルナスタワー。
    振り返ってみると、この日に行っておいて良かった。
    この数日後から私はパリを離れ、戻ってきてからの天候はあまりすぐれない日も多かったし、後半の予定にここを入れるのは体力的に無理になっていた。
    きれいに見渡せたパリの夜景。
    観られてよかった。


    【ぶらぶらと巡るパリの名所 1】 につづく
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