フランス旅行回想録 【 Voyage 】

こちらは管理人のフランス旅行記です。
旅行前の準備のこもごもや、旅行中にフランスからUPしていた雑文、帰国してからの回想録などを置いています。

★2013/5 回想録
旅行準備から現地UP版までは、かつて【Hermitage】というおまけノベルを集めたブログにUPしていたものからの転載。
回想録からが、この「Voyage」でUPしはじめたものです。
(今はクレーム等により一部公開していません)

また、この旅行記には、追随するコンテンツとして【Webアルバム】がございます。
アルバムでは、管理人の訪れた各地の画像が2000px以上の大判サイズでご覧いただけます。
ベルサイユ宮殿や大小トリアノン宮などのお部屋が、壁紙の模様や扉のひび割れまで見える詳細さでUPされております。
スライドショーにすることも出来ますので、ご覧になれる方はどうぞ。
全部で1183枚の写真がご覧いただけます。

★2015/4 回想録
2015/6/12よりUPを始めました。
こちらもWebアルバムをUP中で、ただいまは3410枚の画像がご覧いただけます。
最終的には、およそ5500枚程度のアルバムになる予定です。

 

    あんまり時間がない…かもしれない。
    1階へと階段を降りながら、時間の配分を考える。
    こうしたバスツアーで、もっとも困るのはこういうところ。初めて来る場所では、どこにどれぐらいの時間がかかるか判らない。こぢんまりして見えるヴォーだって、歩けば結構な広さがあるのだ。
    庭園までを含めて出来るだけ多く見てまわるには、どの程度のペースで。そしてもし飛ばすのであれば、どこを諦めるのか。
    そんなことをぐちゃぐちゃ考えながら、そう長くはない階段を折れ下ると。


    元レイヤーにはたまらんスペース。


    時間があれば着たかったな、男装の方を。


    正方形の大間。

    暖炉の上に飾られた肖像画は、ルブラン作。フーケの肖像画として紹介されるものの多くが、このルブランのものだろう。
    対で置かれているのが印象的なテーブルはフーケ所有のもので、この部屋から1度も運び出されたことがないという。天板は大理石で出来ていて、脚には獅子の彫刻が施されているのだけれど、画像では暗くてよく判らない。




    ディアナを描いたタペストリー。

    このタペストリーは、フーケが所有していた製作所で織られたもの。
    フーケ失脚後、この製作所の職人はルイ14世に召し上げられ、王室のためのタペストリー制作に従事した。
    ルイ14世は本当にあらゆる分野のものをヴォーからパクっ… インスピレーションを得て、ベルサイユ宮を造ったのだ。


    きゃしゃで可憐なシャンデリア。

    ここは次の間へのつなぎ間のような感じで、明るい色彩の小さな部屋だ。
    特筆するほどの場所ではないのだが、過剰に華美になる前の、適度に華やかさのあるシャンデリアが気に入って、やたらと写真を撮ってしまった。


    壁にかかったヴォーの外観と間取りの見取り図。
    ヴォーが改築されてきたことが判る。


    ミューズの間。


    王室に関わる客人などを集め、ここでモリエールの劇を披露したのだとか。




    ルブラン作の天井画。テーマは「夜」。


    こちらに置かれたキャビネットはシャルル・ブール作。

    アンドレ・シャルル・ブールは、ルイ14世代に活躍した高級家具職人。ルーヴル美術館にもブールの展示室があるほど、人気の職人だったらしい。
    「同業者の中で最も熟練した腕を持つ」
    そう言って王にブールを推薦したのは、あのコルベールだった。


    くどいようだが、ほんとにここがベル宮だと言われたら…


    遊戯の間。

    この部屋は、ミューズの間の少しばかり開かれた間口から覗きこむようにして観る。比較的小さいながらも、贅沢な雰囲気の見ごたえある部屋だ。



    テーブルにいくつか置かれている額には、歴代の領主とその家族などの絵や写真が飾られているそう。






    当時貴重品だった鏡がふんだんに使われている。


    天井画 「眠りの女神」 (ルブラン作)

    格言 「すべての道はローマへ通ず」で有名な詩人のラ・フォンテーヌは、詩集「ヴォーの夢」の中に、この絵からうまれた詩を発表している。
    フーケとラ・フォンテーヌには交友があったそうだ。
    ラ・フォンテーヌは自身の危険もかえりみず、フーケの裁判中にもフーケを擁護する詩 「ムッシュウFに捧げる悲歌。ヴォーのニンフたちに」(1661年)を発表している。
    また、「ヴォーの歌」は詩集として出版(1671年)された。

    ヴォーの歌

    ヴォーの妖精たちよ、深い、こだまするグロットの中で
    嘆きの声で、空気を満たせ
    そして、水を波立たせよ
    …このように美しいすまいを作ってくださった方のために
    また、身にそのような魅力を与えてくださったお方のために
    もし、王がこの流れを訪れるなら
    王の決意を弱め、王の心を和らげるように試みよ



    ヘラクレスの控えの間。

    部屋の名前は、天井画にヘラクレスが描かれていることが由来らしい。


    女神が月桂樹の草冠をかぶせようとしている相手がヘラクレスだそう。




    ホール。

    このホールは、位置的にいうとエントランスを入ってすぐにあり、庭園までまっすぐ抜けることが出来る。
    この時代、エントランスホールには2階へ続く優美な階段が配置されていて、そのぶん若干狭くなることが多かった。けれどヴォーではホールだけを大きく置き、そこから美しい庭園をも見渡せる構造にした。
    加えてこのホールは、当時としては革新的なドーム天井を持つ。
    庭園へと広がる視野と、開放的な高さ。
    城に入り、ホールへ進んだ来客が見せる「おお!」という驚嘆の表情は、フーケをどれほど喜ばせたことだろう。


    天井高 18m。

    この日、ヴォーでは地元の子供たちのための催しがあった。
    引率するガイドらしき女性は中世を思わせるドレス姿で、子供たちもまた、それぞれに姫や騎士、貴族風なライトコスをしていた。
    フランスでは歴史的建造物を見学していると、こうした地域学習のようなことをしている子供たちによく出くわす。
    でも考えてみれば、奈良や京都にはしょっちゅう修学旅行の団体がいるわけで… 「フランスでは」とくくってはいけない気もする。


    シンプルな天井画。

    シンプル過ぎて、かえって印象の強いこの天井画は、当初の予定通りではなかったもの。本来は、ルブラン作で神々てんこ盛りという壮大な天井画が描かれるはずだったそう。


    図書室。

    この部屋は「王の控えの間」だったものを、18世紀に城主となったセガール・ガブリエル・ド・ショワズール=プラズラン公が改築し、図書室としたもの。
    フーケ存命中には、まだ完成しきっていなかった部屋とのこと。
    こちらに置かれた家具も、前出の高級家具職人ブールの作。


    天井画は19世紀に描かれたもの。

    残念ながらと言おうか、奇遇と言おうか…
    ホールから先の見学は、子供たちとペースがドンはまりになり、きれいな写真が撮りにくくなってしまった。
    自然と子供たちが1番いい位置でかたまるので、どう工夫してもアングルに子供たちが入る。もしくは、撮りたいものが子供たちの陰になる。
    そのためここから先は、UPする場所の数がちょっと減ります。


    王の寝室。

    中央にはルイ14世の騎馬像が置かれ、壁にも立派な騎乗姿の肖像画がかかっている。


    寝台の左右に置かれているのは、日本製の箪笥。

    これは漆塗りの品で、ベル宮にあるアントワネットの宝物の中にも、母帝テレジアから贈られた日本の漆製品がある。
    ルイ14世~16世代は、シノワズリ(中国製品)と並んで日本の漆器も珍重されていた。




    こちらの天井画もルブラン作。

    王の寝室を出て、通路がわりのような部屋を抜けていくと、こんな間口が見えてくる。
    アーチ様の出入り口と、どうやら円形らしい部屋の形…?


    天使の画も見え、可愛らしい部屋の気配に期待が高まる。


    トイレだった(笑)

    ここは、「ルイ15世様式の化粧室」で、18世紀のお風呂やトイレが置いてあるところ。
    “18世紀の”。つまりはオスカル・フランソワの時代の。
    ジャルジェ家のお風呂やトイレもこんな感じだったのか、と、ついゲスな想像もする。オスカル・フランソワの入浴に、どきどきしてしまうアンドレの図など。

    ここは元は違った部屋だったようだけれど、18世紀に城主となったヴィラール大元帥が、間取りを変えて化粧室にしたらしい。
    18世紀になると、暖房効率を上げるために部屋を小さくするのが流行した。
    真ん中に置かれた寝台のようなものがお風呂。その左側にある椅子様のものがトイレ。右側にある、一部陶器っぽい椅子様のものはビデだそう。


    左側のトイレ。

    これが『ガイド付き見学 / ルイ16世のプライベートルーム 2』の章で触れた“キャビネ・ドゥ・シェーズ”と同様のものかと思われる。
    同章からの引用になるが
    ルイ13世の小城館時代にはすでに、「キャビネ・ドゥ・シェーズ」と呼ばれる小さな部屋があった。
    シェーズ(Chaise)は椅子。
    でもこの場合のシェーズはシェーズ・ダフェール、もしくはシェーズ・ペルセ=貫かれた椅子のことだそうで、これがルイ14世専用の便座椅子だったのだとか。

    ということで、穴の開いた形状が「貫かれた」と表現されたのだろう。


    お風呂。

    このお風呂はたぶん、寝台の下に熱めのお湯を張るタイプの蒸し風呂だったのではないかと思う。
    (たぶん、です。私の予備知識による憶測なので、正確なことをご存知の方は教えてください)
    銅製なのか、風呂の両側に置かれている金属の水差しは、おそらくお湯の温度を保つための足し湯をするのに使われたものではないかと思う。
    (たぶん、です。私の予備知識による憶測なので… 以下略)


    天井画。かわええ。


    ヴィラール大元帥の寝台。

    ここは「15世紀の寝室」。
    フーケ失脚後、ヴォーはさまざまな人の手に渡り、その中には大変著名な人もいた。ヴィラール大元帥もその1人。
    フランスには、大元帥の地位に就いた人物は6人しかいない。ヴィラールはそのうちの1人で、ブルボン朝の軍人であり政治家だ。
    この部屋も大変大切にされているらしく、灯りをほぼ入れていない。
    画像は見やすくするために、私が明るさを足す編集をしたもの。そのため本来は薄闇に写っている部分が青みがかっている。




    しっかりと閉ざされた窓。


    金属部分の元画サイズ。

    傷んだままの窓板と錆びた取っ手部分は18世紀のまま?もしかしたらフーケの時代のもの、そのままなんだろうか。
    この画像は実寸ではないけれど、結構実寸に近い。
    現地での気分が多少でも伝わるなら。


    食事の間。

    ベル宮でも「大善の間」(大善式の間とも)というお食事をするための部屋があるけれど、食事用の部屋が作られるようになったのは、このヴォーからだ。
    それまでは好きな部屋で取っていたそう。



    ヴォーの城内で1番写真が撮りにくかったのが、この「食事の間」だった。
    それは残念ながら子供たちのせいで、ちょっと写真を撮ろうとすると保護者から「子供たちの写真を撮るのはやめて!」というクレームをつけられた。
    もちろんこちらは子供たちの写真を撮っているわけではなく、部屋の撮りたい方向に子供たちがいるだけだ。私としては、むしろいないで欲しい。
    おかげでいろいろな角度からの写真も撮れず、ルブランの天井画も撮れず。
    「食事の間」は、ヴォーでは特に華やかで人気のお部屋。
    地元の子供を優先すべきなのは判っていても、「邪魔なんだよぉ。どけや、ガキども」と思わずにはいられなかった。
    いや、普段はそこまで思わない。場所がすくまで待つぐらい、苦になる性格じゃないから。
    でもこの日はバスツアーで来ていて時間が自由にならないことと、やっぱり保護者がピリピリと「子供たちの写真を撮らないで!」と言い続けるのが癇に障って…
    フランス語が堪能なら、「いいえ。私はあなた方の子供を撮りたくて、わざわざ日本から来ているわけではないのですよ」と言えたのだけど。
    ううむ、モニョる…


    「食事の間」の奥の間。

    ヴォーでもっとも華やかな部屋を出ると、進む先はまた階段室になる。
    こちらは城の裏側を下りに向かう階段室で、今まで観てきた部分とはぐっと趣が異なった。


    明らかに古く、骨太な造り。


    出口には柵が嵌るようになっている。



    この時代の多くの貴族の居城がそうであるように、華麗なヴォーの地階にも、暗く湿った部分がある。



    4-154

    トイレがわりのバケツに、エサのように与えられた食事用の鍋や金属器。
    これが収監されたフーケの姿とも言われるし、フーケがあの「仮面の男」だとする説もある。それらが混ざって、ここにこのような場面が置かれているのかもしれない。
    もっとも、フーケと仮面の男が同時期別々に存在したことは確認されているので、フーケ=仮面の男という説は単なる歴史ロマンなのだけれど。


    華麗なヴォーの… 地階。

    17世紀のままなんだろうか。
    陰気な地階の廊下を進む。








    ここは牢ではなくて、カーヴ。

    ロワールでカーヴ見学などというと、渓谷沿いの天然の洞窟や岩盤を手彫りした洞窟をワイン貯蔵庫にした場所を観るのだけれど、こうした城の場合は地下に貯蔵室を設えていることが多い。


    内部の様子。



    けれども、この地階も陰気な薄暗いところばかりではない。


    使用人の食堂。

    こんなところを観ると、無条件で嬉しくなってしまう。アンドレも、こんなところで使用人仲間とご飯を食べていたのかなぁ、なんて。


    厨房は広く明るく、整っている。



    料理人が忙しく腕を振るったであろう厨房。ヴォーでは料理人もまた、フーケの御めがねに適った素晴らしい人材を置いていた。
    給仕長はフランソワ・ヴァテール。デザートではおなじみのクレーム・シャンティイを創作した人物だ。
    のちにフランスの祝宴史上1、2を争うと言われた1661年のあの宴では、ヴァテールが責任者となって祝宴を成功に導いた。
    フーケのもとでは、才能ある者は誰でもが、ヴァテールの食卓につくことが出来た。不正によって私財を肥やしたと言われるフーケだが、芸術を愛し、多くの若い才能たちの良きパトロンでもあったようだ。
    ルイ14世はフーケを失脚させたあと、ヴォーからさまざまな方面の一流と言われる人々を召し上げていったが、もちろんヴァテールにも声がかかった。けれどヴァテールはこれを蹴って、一時はイギリスへ渡り、身を潜めていた。
    多くの人がフーケから王へと流れを変えていく中で、ヴァテールにはフーケへの忠誠心があったのかもしれない。


    大きなグリルとキジ。


    料理好きな奥さま憧れのアイランドキッチンは、いのししも置けちゃうサイズです。


    カモやウサギもご賞味いただけまーす♪


    あなた好みのサイズが見つかるお鍋コレクション。



    高低差のある土地に建つヴォー。
    前庭・正面からの1階は、庭園からのアクセスだと1つ上のフロアになる。
    ゆえに厨房から外へは、こんなふうに1階からとも地下からともつかない微妙な段差を以って出て行くことになる。
    このフロアを1階とも地下1階とも呼ばず、“地階”と表したのはそのせいだ。
    さて、時間もないことだし、そろそろ庭園に出てみるか。

    庭園は言葉で説明すると煩雑なので、空撮と平面図に番号をふってみた。


    これがヴォーの領地で、およそ500ha。

    縮尺が細かすぎてわけが判らないと思うので、塗り分けてみた。
    赤が城に来るときに通ってきた並木道があったりする、街に含まれる部分。
    白がいわゆる「ヴォー」で、今までご紹介してきた城のエリアとこれからご紹介する庭園部分。
    青が庭園の森林部分で、私はここまで行っていない。
    こぢんまりとした個人の城というイメージがあるかもしれないけれど、ヴォーもかなりの規模を持っている。
    また、この領地には爵位がついていたことから、フーケはヴォーの城主になると共に伯爵位を得た。


    白の部分のアップ。


    白の部分の判りやすい平面図。

    UP出来る画像の幅の都合上で、画像の向きを縦に変えた。
    ので、塗り分けた画像と照らし合わせるなら、この画像の下方向が赤い部分で、上方向が青い部分になる。


    空撮のヴォーに、平面図と同じ位置関係の番号をふったもの。

    観光客は星マークの1あたりから入場している。
    星の2が、前章でUPしている前庭の空の噴水の写真を撮った場所。
    前庭は120m四方の広さを持つ。
    また、城自体は横幅125m、奥行き75m、城の経つテラス部分(堀に囲まれた内側)の横幅は160m、奥行き110m。
    テラス部分を囲む堀は、幅15m~20mでぐるりと1周している。


    この堀の幅が、最低でも15mあるということか…

    ちなみに厨房から外に出ると、星3あたりになる。
    空撮画像から見ると狭そうな星3あたりでも、車の行き来が出来そうなぐらいの幅はあった。






    高低差のあるヴォーの敷地。

    この高低差は偶然の立地ではなく、造成されたもの。
    ベル宮にも立地に高低差があることはご紹介したけれど、それも労力と時間をかけて造成したものだ。
    それはル・ノートルが庭園に仕掛ける視覚のマジックのため。
    「空間の魔術師」と呼ばれたル・ノートルの庭園は、歩いてこその仕掛けが散りばめられている。
    ベル宮に行ったことのある人なら判ると思うけれど、アポロンに泉まで近そうに見えるのに、実際に歩いてみると結構遠い。ヴォーもそう。
    こぢんまり見える庭園で、割と簡単に1周出来そうに思える。
    でも、その庭園に下りてみれば、1つのセクションが意外と長く、歩くうちに「あれ?こんなものあったっけ?」というものが出てきたりする。それは庭園に仕掛けられた高低差のマジックで、あるはずのものを隠したり、遠近感を狂わせたりしているからだ。
    普通、遠くに見えるものは小さい。遠くに見えるものは少し形が歪んで見える。
    ル・ノートルは、ヴォーの庭園に視覚のマジックを作った。遠くにあるものを大きく作り、奥にある泉をあえて楕円形に作り。
    それにより、城から眺める庭園は距離感を近く錯覚させられ、高低差と遠近感の狂った泉は楕円なはずなのに正円に見える。正円に見えることで、たいした距離ではないと思わせられてしまう。
    シンメトリーに作られているように見えても、少しその法則を崩したところがあり、じんわりと感覚が狂わされる。
    それがル・ノートルの庭。フランス式庭園の面白さで、歩いてこその魅力だ。
    ルイ14世がヴォーに嫉妬したのは、実は城ではなく、この庭園だったのではないかと言われている。


    André Le Nôtre 1755 と刻まれた石版。

    1755年といえば、オスカル・フランソワの生まれた年。
    といっても、ル・ノートルは1700年で没している。そのためこの石版はル・ノートルが残したものではないのだけれど。
    この石版になんと刻まれているかは、【Bigsize Photo】ではっきりご覧になれますよ~


    8から見たヴォー。この距離500m。


    8から見た21。

    はるか遠くに、1本の木のように小さく写っているのが21のヘラクレス像で、3(城)から21までの距離は1000m。
    庭の幅は200m~250mで、森も含めれば450m~600m。
    ヴォーの庭園を数字で表すと、こんな感じだ。


    14の鏡池。

    14は正方形の泉とも呼ばれていて、その形は62m×62mの正方形。
    この泉が鏡池と名づけられているのは、その名の通り、この泉が鏡だからだ。
    ヴォーのドームから14を見ると、この水面にヴォーの姿が映る。この池はそのように設計されている。


    16

    この風景。
    この景観こそが、ヴォーを訪れた貴人たちをもっとも驚かせた。
    城を散策する人たちはここまで来て、そしてこの泉の向こうへ渡り… 


    向こう側を歩く人(画像左上)の小ささを見ると、この泉がどれほど広いかがよく判る。


    向こう側のベンチに座ったカップルと、奥に見えるヘラクレス像。

    ヴォーを訪れた貴人たちは向こう側へ渡り、次いで階段をのぼってヘラクレス像の方へと行こうとし、そこで初めて、この庭園にカナルがあることを知る。
    視界から完全に隠されたカナルが人々の眼下に広がる。
    その長さ870m、幅35m。
    そこで貴人たちは舟遊びなどを楽しんだ。


    14から15を眺める。


    15。

    人がいると、やはりその広さ・大きさがよく伝わる。


    13、対になったトリトンの泉。

    この楕円に作られた2つの泉が、城から眺めると正円のように見える。


    6、王冠の泉。

    レオナルド・ディカプリオ主演の映画「仮面の男」は、全編がヴォーで撮られている。
    この王冠の泉の場面は大変華やかで美しいので、もしヴォーに興味を持たれた方は観てみてください。面白い隠し扉の様子も見られますので。
    ヒラリー・スワンクがジャンヌ・バロアを演じた「マリー・アントワネットの首飾り」も、ヴォーがロケ地になっているので、よろしければこちらも。

    人々を驚かせ、喜ばせたカナル。
    残念ながら私はそれを観ることが出来なかった。もうとてもそこまでは歩けず、バスまでの戻りの時間を考えたら、どうしても引き返えさざるを得なかった。
    このことには大変後悔していて、頑張ればなんとかなったんじゃないかとか、本当に後悔しかない。
    …ヴォーにはもう1度、行かなければ。


    平面図でいうなら2にあたる中庭のある建物。

    ずりずりと足を引きずるようにして、ここまで戻って来た私。
    バスへの順路としては、白い道を通ってアーチを抜けて、受け付けやギフトショップのある棟に向かえばよいのは判っていたが。


    どうも気になるこの扉。

    集合時間が近いので、私を追い抜いてアーチを抜けていくグループもいる。
    時計を見ると、余裕はまだ少しだけあった。
    この建物はなんなんだろうか。開けてあるということは、入ってもいい…んだよね?
    そんなことを考えながら、ちょっとだけのぞいてみた。中に城の関係者でもいないかと思って。


    古くボロボロの窓。

    入ったところは非常に狭いスペースで、ガラス部分にはなぜか遮光が施してあった。
    直射日光を入れたくない、大切な何かが置かれているということか。
    廊下ともいえないぐらい狭い通路が続いているが、すぐに直角に折れていて、先は見えない。人に聞こうにも職員もいない。
    入ってよいものか若干の不安を抱えつつ、とりあえず進んでみた。


    次に現れたのはこんな看板。

    そして。


    白馬ー!


    横白馬ー!!


    尻白馬ー!!!

    いきなり視界が開けた広間には、たくさんの馬車が並んでいた。
    馬車博物館!
    きれいさっぱり忘れていたけれど、そういえば馬車のコレクションが観られるとかなんとか…ってここか!!
    あとはバスに戻るだけの気持ちでいた私は、この馬車馬車した光景に一気にテンションが上がってしまって、無駄に写真を撮りまくった。
    このベンハーを思わせる4頭立ての馬車だけでも10枚撮った。正面から、横から、煽りで、後ろから、AVアイドルの激写会に参加したおっさん並みの勢いで、はぁはぁ言いながらシャッターを切り、そして奥へ進んでいった。







    無防備過ぎるほど職員のいない館内。
    そして観光客もいない。




    テンションだだ上がりになった姫様の乗りそうな馬車。






    いろいろ並ぶ中には、こんなのも。

    この建物は中庭を囲むように口の字の形になっているから、内部は角を曲がるごとに展示物や壁、天井の様子などが変わった。
    次に開けたのはこんな光景だった。


    これはちょっと反則もの。

    りんごとかかじりながら、馬の蹄鉄を見てやんなきゃならない気持ちになるじゃないの(笑)



    そしてさらに館内の様子は変わり


    ぐっと近代的になってきた馬車。



    終わりの区画は馬具の展示になっていた。






    出口には馬車博物館らしく馬の像が。

    馬車や馬具はここにUPした以上にたくさんあり、本気で観たら、この馬車博物館だけでもなかなか時間がかかりそう。
    駆け足気味にしかまわれなかったのが残念で仕方ない。でも、うっかりすれば見落とすところだったので、一応観られたことだけでも良しと思うしかなかった。
    ヴォーへ行くことがあれば、馬車博物館もお勧めです。なかなか観る機会のない、さまざまな年代の馬車が間近で観られます。


    退館のために通り抜けただけのショップ。

    観光客用の出口はギフトショップを通り抜けた先にあるので、もう本当に時間がなくなってきていた私には、売られている品々などろくに目に入らなかった。
    無理してでも何か。適当に選んででも何か、記念に買ってくればよかった…


    この姿が見納めのヴォー。

    4-208
    遠く望むドーム。

    あそこにのぼったんだよなぁ。

    子供の頃から来てみたかったヴォー・ル・ヴィコント。
    栄華から一転終身刑を言い渡されて、17年もの歳月の末に獄死した初代城主。
    そしてその城主のもと、ヴォーの祝宴を任された給仕長フランソワ・ヴァテールもまた、料理人としては奇妙な運命をたどり、剣で自らを3度突くという特異な最期を遂げている。
    ヴォーを引き継いだ第5代プラズラン公爵は、妻を殺して自害した。
    本当に数奇で… 華麗なヴォー。
    離れていく車窓にそんなことを思いながら、今は額縁の中に住むフーケに手を振った。


    【歴史を動かした2つの城 / フォンテーヌブロー】につづく
    *ヴォー・ル・ヴィコント城とフーケの歴史については、かなりざっくりとまとめてあり、管理人の偏向した解釈も混ざっています。知識が足りずに間違っているところもあるかもしれません。興味を持たれた方はぜひご自身で調べてみてくださいね。
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