フランス旅行回想録 【 Voyage 】
こちらは管理人のフランス旅行記です。
旅行前の準備のこもごもや、旅行中にフランスからUPしていた雑文、帰国してからの回想録などを置いています。
★2013/5 回想録
旅行準備から現地UP版までは、かつて【Hermitage】というおまけノベルを集めたブログにUPしていたものからの転載。
回想録からが、この「Voyage」でUPしはじめたものです。
(今はクレーム等により一部公開していません)
また、この旅行記には、追随するコンテンツとして【Webアルバム】がございます。
アルバムでは、管理人の訪れた各地の画像が2000px以上の大判サイズでご覧いただけます。
ベルサイユ宮殿や大小トリアノン宮などのお部屋が、壁紙の模様や扉のひび割れまで見える詳細さでUPされております。
スライドショーにすることも出来ますので、ご覧になれる方はどうぞ。
全部で1183枚の写真がご覧いただけます。
★2015/4 回想録
2015/6/12よりUPを始めました。
こちらもWebアルバムをUP中で、ただいまは3410枚の画像がご覧いただけます。
最終的には、およそ5500枚程度のアルバムになる予定です。
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旅行前の準備のこもごもや、旅行中にフランスからUPしていた雑文、帰国してからの回想録などを置いています。
★2013/5 回想録
旅行準備から現地UP版までは、かつて【Hermitage】というおまけノベルを集めたブログにUPしていたものからの転載。
回想録からが、この「Voyage」でUPしはじめたものです。
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ベルサイユ宮殿や大小トリアノン宮などのお部屋が、壁紙の模様や扉のひび割れまで見える詳細さでUPされております。
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★2015/4 回想録
2015/6/12よりUPを始めました。
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最終的には、およそ5500枚程度のアルバムになる予定です。
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☆ 第11話 王妃さまの終の部屋へ
UP◆ 2014/4/7子供の頃から憧れ続けていたモン・サン・ミッシェル。
思い描いていた通りの大潮を観て。
深夜にパリのホテルに戻ったその翌日は、ぐだぐだに疲れていた。
前日のモン・サンでは、ほぼ夜中じゅう島の中をうろうろしていたからろくに寝ていない。それにモン・サンとパリの距離は300Km。ガイドブックによっては350Kmとも370Kmとも書いてあり、日本で当てはめると、東京⇔仙台とか、東京⇔名古屋とかで、それぐらい離れているところを1泊で行き来してきたのだから、疲れて当然。
それでも、緊張しているんだか気が昂ぶっているんだか、朝早くに目が覚めた。
…というか、寒くて起きたのかもしれない。
5月下旬だというのに、窓には結露で水滴がいっぱいつくほど外気温は低い。
うっかりシャワーから出たままの半裸で寝つぶれた私は、きちんとベッドに入っているわけでもなく、ただバスタオルを巻いたままの行き倒れ。濡れた髪のままベッドスプレッドの上に転がって、冷え冷え状態だった。
起きて、まずはデジカメやwi-fi等の充電状況をチェック。これを努々怠ってはならない。
確認すると、どれもフル充のランプが点灯していたので、私はそれに安心してシャワーを浴び直し、しっかりと温まってから髪を乾かした。
この日は「暗い」と思うほど天候が悪く、結露だけではなくて、窓の外からは雨粒がはり付き流れ落ちている。
まだホテルの朝食のサービスも始まらない早朝だが、私は忙しく仕度を始めた。
この日の予定は少し詰め気味。
1番厄介なのは、ホテルを移動することだった。
これは自分が好きでやったことだから、厄介というのも変だけれど、今振り返ると無駄だったと思う。短い滞在期間中にホテルの移動をはさむと、結構時間を取られてしまうから。
旅行の予定を立て始めた時の私の希望としては、パリ滞在中のホテルはこれから移動する『Hotel des Tuileries』を全日程取りたかった。けれども、旅行期間が全仏オープンテニスと重なったこともあって、この時期のパリ市内のホテルはどこも混雑&高騰気味。
私が“どうしてもここに泊まりたい”とこだわったこのホテルも混んでいて、連続して取ることが出来ない。
旅行の日程を週送りぐらいのスパンでゴソッとずらせば違ったかもしれないけれど、それだとモン・サンの大潮が観られなくなる。
結局この辺りのことは、手塚に丸投げした。
譲れない点として
* モン・サンの宿泊は、大潮の中日。ホテルは島内。
* パリのこだわっているホテルには、どうしても泊まりたい。
この2つだけを伝えて、あとは手塚のいいようにやってもらった。
その結果
パリの前半 ⇒ 『Hotel mattle』
モン・サン・ミッシェル ⇒ 『La mere poulard』
パリの後半 ⇒ 『Hotel mattle』 & 『Hotel des Tuileries』
ということになった。
この代替案についてはなんの不満もない。私の希望がなるべく叶うように手配してくれた手塚に感謝している。そもそも代理店選びの段階で『Hotel des Tuileries』の手配をしてくれる旅行代理店は見つからなかったのだし。
ただ、今振り返ってみると、ホテルはやっぱり変えない方が楽だったな、と思うだけだ。
この日の動きとしては、まずはサント=シャペルとコンシェルジュリに行こうと思っていた。
『Hotel mattle』のチェックアウトが正午なので、それまでシテ島を観る。
それから『Hotel mattle』へ戻り、チェックアウト&タクシーを呼んでもらって『Hotel des Tuileries』へ移動。
そしてテュイルリー庭園やらコンコルド広場やら凱旋門やらのメトロ1号線付近を観てまわり、余力があれば閉館間際のすいたルーブルへ。
そんな予定だった。
2つのホテルとシテ島はそれほど遠くないし、(というか、パリはどこも遠くない) セーヌ川沿いの一直線上を散策する1日。
おそらくルーブルではそれほど時間も取れないだろうけれど、もともとがやたらと混んでいて、バカ広い場所。時間をたくさん取れば1日で全部観られるというところでもないので、それほどの欲はない。どうせ翌日もルーブルには行くのだ。
朝食の席で熱々のクロワッサンを食べながら、私はガイドブックをめくって、そんな予定の復習をしていた。
朝のメトロはちょうど通勤時間。最寄り駅から乗り換えに使った駅までは、なかなか混んでいた。けれどシテ駅で降りたときには、それほどでもなくなっていた。
CITE駅
地上に出て適当に歩くと、すぐに案内の表示板が見つかった。こういった表示は市内あちこちにあるので、動き出しは適当でも、割となんとかなるのがありがたい。
私はサント=シャペルとコンシェルジュリの方向を確認し、そちらへ向かった。
ホテルを出たばかりだというのに、もう既に疲れている私。
地図上では小さなシテ島も、歩けば広い。精神的にも肉体的にも迷子を楽しむ余裕はないので、少し歩いた最初の大きめな交差点で、道を聞いてみた。信号のわきでいちゃいちゃしているカップルに。
邪魔をする気はなかったが、人通りの多い交差点近くでいちゃつくぐらいだから、きっと地元の人だろうと思ったのだ。
この道の先が、T字型の交差点になっている。
けれど。
私がガイドブックのサント=シャペルのページを開いて道を聞くと、そのカップルは知らないと言った。
…んなこたぁねぇだろ。
そう思ったけれど、もしかしたら本当に知らないのかもしれない。地元だと、殊更の興味を持たないこともあるし。
私はそう思うことにして、また少し歩いてみた。
サント=シャペルへの案内は、そこここにある。
でもそれに沿って歩いて行くと、いつの間にか、来た方向を指し示す逆向きの表示が出てきてしまう。
どうもサント=シャペルの入り口を通り過ぎているらしい。
おっかしいなぁ。
戻ってみても、それらしい入り口は見つからない。
うーん…
私はカップルがいた交差点まで戻り、その反対側に建つやたらと大きな建物の門に立つ警備員に声をかけた。すぐ上の写真の中央に写っている門だ。
「えくすきゅぜも?」
勤務中の警備員は険しい顔をしたけれど、私が単純な観光客だと判ると、差し出したガイドブックをのぞきこんだ。
「サント=シャペルに行きたいんです」
「サント=シャペル…」
警備員のお兄さんは、説明に困っているようだった。
「君、英語出来る?」
「あんまり出来ない」
「えーと… あっちに200mぐらい行って」
お兄さんは少しだけ門を離れて通りに出て、私がうろうろしてきた方を指差した。
でも、そこからの説明にやっぱり困っているみたいだった。
「あっち?」
「そう、あっち」
「近い?」
「近い」
なら、いいや。
私はお兄さんにお礼を言って、門を離れた。
とりあえず200mぐらい行ってみて、そこでまた聞いてみよう。
お兄さんの言った方へ100mほど行くと、通り沿いの鉄柵にサント=シャペルの案内が出てくる。それは少し前にも見た。
でも、この案内を通りすぎて次の角まで行ってしまうと、真逆な方向を示す案内が出てきてしまう。
うーん…
私は入り口があるはずの通りを行き来する。
鉄柵の続く通り。
その鉄柵が途切れた出入り口は、あるにはある。
石造りの大きなアーチ状の入り口。
そこをくぐると、さらに奥に何かの建物が続いているらしい。入って行くのはスーツっぽい服装の人ばかりで、どう見ても教会、もしくは観光客が訪れる場所のような気配はなかった。だから、あまりそこは気に止めていなかったのだけれど。
私が何度目かにそこを通ったとき、アーチ状の入り口のわきに、なん人かの人が並んでいた。
見ているうちに、並ぶ人が増えていく。
そのうち奥からスタッフっぽい人も出てきて、アーチの下から通りにかけて低いポールを並べていった。そこにロープのようなものを渡して、行列のための細い通路を作っている。テーマパークの順番待ちの列みたいだ。
サント=シャペルの入り口は、どうやらここでよかったらしい。全然教会っぽくないけど。
私はロープで仕切られた列の最後尾につき、ちょっとだけ落ちついた。時計を見ると、サント=シャペルの開く30分ぐらい前だった。
行列はどんどん長くなっていき、私はノートルダム寺院に並んだときのように、通りを行き過ぎる人を眺めたり、ちょうど雨の晴れ間だったので、ガイドブックをめくったりして時間をつぶしていた。
すると。
「ハイ!マダム」
男の人に声をかけられた。
見た目、スーパーマリオ風のおじさん。
うねうねと折り返した行列の、ロープをはさんだ正面からスーパーマリオが声をかけていた。
「マダム」
「はい?」
「あなたはサント=シャペルに行きたいのかな?」
「はい。サント=シャペルに」
「だったら、向こうだよ」
は?
私はマリオ氏の指す方を見た。
アーチ状の入り口をはさんだ反対側にも同じようにポールが置かれ、通路が作られていた。並んでいるのは3人ほどだけれど。
「サント=シャペルは向こうなの?」
「ウィ、マダム」
「ありがとう!てか、めるし!」
私は行列から抜けて、アーチの真正面に立ってみた。
アーチの下の通路はポールで2つに区切られて、向かって左側が、私がそれまで並んでいた行列の人たちが進むように。そして右側が、まだ3人ほどしか並んでいない人たちが進むように分けられている。
さらに目線を上げて見れば、アーチ状の入り口の上の方には、こんな案内板が。
……あるじゃん。
上過ぎて、全然目に入っていなかった。
私が新たに列に付き直すと、向こう側にマリオ氏が見えた。
少し頭を下げて手を振ると、マリオ氏はニコニコと頷いた。
ああ、親切な人がいてよかった。
私はありがたく思って、そして、それからいくらもしないうちに、私が並び直した列もけっこうな行列になっていった。
オープンの時間も近づいて、並んでいる人たちを整理するスタッフも出始める。このタイミングで来たなら、私もここが入り口だとすぐに気がついただろう。
この日はミュージアムパスを使うつもりだったので、私は並びながら、パスの裏面に名前と日付けを書き入れた。
さて。
私が最初に並んだ行列はなんだったのか。
それは写真をいくつか遡ると判る。
サント=シャペルとコンシェルジュリの方向を確認した案内標識。
その1番上には、「Palais de justice」と書いてある。
【 Palais de justice 】
つまりここは破毀院(最高裁判所)や大審裁判所、検察局・弁護士会などが入るパリの司法の複合施設。巨大な門が立ち、それを守る警備員が険しい顔をしているのも当たり前の場所だったのだ。
そしてサント=シャペルは、その施設の中のひとつ。教会自体の入り口は車通りのある道に面しておらず、この複合施設内の建物の間を入っていく。
ノートルダム寺院やサンロック教会のように、道路沿いに建つわけではなかった。警備員のお兄さんは、このことが説明しにくかったのだろう。
今考えてみると、私が並んだ行列は、裁判所の呼び出しを受けた人たちの受け付けのための列だったと思われる。
知らないって怖いわ。
1248年完成の「ゴシックの宝石」。
ここがサント=シャペル自体の入り口。8ユーロ。
コンシェルジュリとの共通券は11ユーロ。
サント=シャペルは晴れた日がおすすめ。
フランス旅行を本気で思い立ったころ、そんなブログ記事を見かけた。
ステンドグラスに射し込む光がとても美しいから、と。
けれど私が訪れたこの日は、早朝にはけっこうな雨足で、ホテルを出た頃には雨が降ったり止んだり。空は雲が重くおおって、暗かった。
楽しみにしていたステンドグラスも採光が悪く、煌めきがない。
しかも、改修工事中で大きな足場やシートが被せられた部分が張り出していて、写真も撮りにくかった。
改修中なのは知っていたけれど、思った以上の規模。
外から見たらこんな状態。
うーん、残念。
それでも私は写真を撮り始めた。
幸い薄陽が射してきて、徐々にステンドグラスが透明な鮮やかさを放つ。
地上階礼拝堂。
ばら窓。
上階礼拝堂は、かつては王族や貴族だけが礼拝を許されたとか。
晴れていたら、きっともっと煌いたはず。
工事のせいでそれほど広くはない2階をあちこち動きまわりながら、シャッターをきっていた私だったのだが。
ん?
カメラから、聞いたことのない音がした。
なんだろう。
イヤなものを感じながら見たプレビュー画面には、何かメッセージが出ている。
それは“メモリーカードの容量がいっぱいで、これ以上撮影出来ません”というエラーメッセージだった。
嘘でしょ!?
サント=シャペルだってまだ来たばかり。これからコンシェルジュリにも行くのに!
アモーでデジカメのバッテリーがあがったときも内心クラッときたが、このときばかりは本当にグラッときた。
SD。
出発前、どのぐらいの容量を持って行くかサイト主友達と話していて「4GBあれば余裕でしょ」なんて言われ、私はよく考えもせずにその通り4GBを入れてきた。予備も持たずに。
それがまさか、サント=シャペルで容量オーバーになるとは!
どうしよう。どうしようどうしよう。
私は混んできた礼拝堂の壁際に寄り、どうしたものか考えた。
日本の観光地や名所だと、売店に“写ルンです”やSDがあったりするけれど。
私は1階のお土産売り場に降りてみた。でもそこには、書籍とか観光の記念になるグッズばかりで、カメラ関係は何もない。
となると、どこか… モノプリなどのスーパーやコンビニ的なお店で探すか、ああ、そうだ。ギャラリーラファイエットの中にはジャパニーズカスタマーデスクがあるじゃないか。なんならそこで聞いてみてもいい。でも1番近いスーパーってどこだ?シテ島の中にあったっけ?あー、時間の無駄だあぁぁぁ!
なんてことで頭の中がわーっとなりながら、私はまた2階の礼拝堂に戻った。
こんなときは黙っていちゃ駄目だ。困っているなら、口に出さなきゃ。
海外では、黙ってたって察して助けてくれる天使なんて降りてこない。
引き返した礼拝堂には団体客も入っていて、より混んでいた。
私はその中で、聞きやすそうな人を探す。
できればバックパッカー風な男の人がいい。ちょっといいカメラを持っていて、写真を撮りに1人旅をしているような。
でも、そんな人は見あたらなかった。
となれば。
ちょうど礼拝堂にいる団体客は日本人。旅行会社の揃いのバッジをつけている。
どこかでSDを売っているのを見かけている人がいるかもしれない。
私はそう思い、話しやすそうなおばちゃん2人組に声をかけた。
「あの… 日本の方ですよね」
一応、最初にこう言ってみる。迷惑そうなら、他をあたろうと思って。
「そやけど~」
返ってきた答えは、明るく元気。
私はちょっとだけ安心して、カメラに詳しいか聞いてみた。
「カメラ?あんまり判らんなぁ」
「そやな」
おばちゃん2人は頷きあっている。
私もそうだろうなぁと思って、とりあえず、どこかでSDを売っているのを見かけなかったか聞こうとした。
でも。
「どうしたん?」
おばちゃんの1人が先に聞いてきた。
そして私が事情を話すと、「ちょっと見せて」と私からカメラを手に取った。
何やら操作をするおばちゃん。
「中、見てもいい?」
「はい」
おばちゃんは少しカメラをいじって、そして解像度が高いのだと言った。
「は?」
「解像度が無駄に高いんや。下げるよ」
「はぁ。お願いします」
それからおばちゃんは、今まで撮ってある画像のプレビューを見始めた。
そしてピロピロ電子音をさせながら、画像の削除を始めた。
「ちょっとあんた、人の写真勝手に消したらあかんやないの」
「だってこんなんピンぼけや~ ええやんなあ、おねーちゃん」
「ええ、もちろん。どうぞどうぞ」
私は人に丸投げしたときは、どうなってもガタガタ言わない主義なので、おばちゃんの言葉にガクガクと首をふった。
ピンぼけ画像をザクザク削除していくおばちゃん。
私はそのとき、画像の選択削除のやり方を知らなくて、1枚ずつプレビューに出しては、それをチマチマ削除するやり方しか出来なかった。そのため非常に面倒くさく時間もかかるので、ベルサイユ宮殿で流し撮りしたピンぼけ画像も大量に残ったままになっていたのだ。
私がそれを言うと、おばちゃんは呆れながら選択削除のやり方を教えてくれた。
おお、これで作業が楽になる!
それに私は本っっ当にデジタル音痴で、デジカメは誕生日に人から贈られたものだが、解像度なんて気にしたこともなかったし、そんな設定が出来ることも知らなかった。
「これで少し空いたから、今撮るぐらいは出来るはずや」
「ああ、本当にどうもありがとうございます。せっかくのお時間を申し訳ないです」
この出来事は時間にしたら10分にも満たない、あっという間のことだった。けれど、おばちゃんたちには団体旅行で決められた観光時間の中の、貴重な数分だったはず。
パッケージツアーだと、サント=シャペルの見学時間は30分や40分ぐらいのものが多い。そういった時間の中で、見ず知らずのデジタル音痴に手を貸してくれたおばちゃんたち。
慌ただしくて、じゅうぶんなお礼も言えなかったけれど、今も感謝している。
おばちゃんと別れたあと、私は教えてもらった選択削除の続きをし、そのおかげで旅行中のメモリは間に合った。
それがなかったら、SDを買いに店探しをしたり、無駄な時間と労力を費やすはめになったと思う。
おばちゃんたちは本当に、深く感謝しているたのだ。
ちなみにこのおばちゃんたちも関西弁を話していた。
すごいぞ、関西のおばちゃん。
さりげなくデジタル機器を使いこなし、「こんなんピンぼけや~」と言いきった迫力。素晴らしいです!
しかし、このSDの件では私は本当に動揺していたようで、そのあとに撮った写真も手ブレがすごい。
【Bigsize Photo】には、上階礼拝堂が詳細に見られる写真がたくさんあるので、見られる方は手ブレこみでどうぞ(笑)
…といったわけで、私がここまでの旅程で撮った写真は、実はもっとたくさんあった。
ピンぼけで削除したものもあるが、平凡過ぎて削除したものもある。
でも、今思うと、平凡なものほど残しておけばよかった気がする。ある程度整った構図や、万人に印象的な角度。そういった写真なら、すでにたくさんの旅行者がUPしているのだから。
いろんな意味で印象に残ったサント=シャペル。
私はそこからコンシェルジュリに向かった。
この2つは、ごく近い。
同じPalais de justiceのエリアにある。
1350年にコンシェルジュリに増築された時計の塔。フランスで初めて屋外に掛け時計が掛けられたので、こう呼ばれているとか。時計自体は、1585年に取り替えられている。
コンシェルジュリの入り口近くにはポスターが貼ってあって、判りやすかった。入場料は7ユーロ。ミュージアムパスも使えます。
コンシェルジュリも、「はい、ここがアントワネットが処刑までの日々を過ごした場所ですよ~」といった感じではない。
衛兵の間や警備の間などの広間を通り、小部屋などもちょこちょこあり、プチトリアノンを観たときのように、気に止めないと見落とす箇所はけっこうある。
全体的に、しんと息をひそめたくなるところだ。
思ったよりもずっと広いから、私は時おりスタッフに「マリーの部屋はどっちですか?」と聞きながら進んだ。
このことは、結果的に正解だった。
王妃さまが人生の最後を過ごした部屋(を再現した部屋)は、このフロアにはなかったのだ。
チケットを見せて入場する建物。ここを見学し、ショップを抜け、さらに少し見学したところで、このフロアの見どころは終わる。
それから建物をいったん出て、裏の中庭を通って、次の入り口に向かうのだ。
この流れの中に、「アントワネットの部屋はあちら」といった、ご親切な案内表示はない。
(あったかもしれないけれど、私は気づかなかった)
武人の間
さすがに司法関係の施設が集まるところにあるので、ショップの品揃えも堅い。この辺りはかつて、貧しい囚人が収容されていたスペースだったよう。
牢獄は有料。払える金額で部屋の待遇が変わった。
貧しい囚人「バイユー」はワラを敷いた雑居房に入れられ、裕福な人や著名人は家具付きの独房で読書などもできたとか。
バイユーには、不衛生な環境から病気で亡くなる人も多かったそう。
ここを観たときには、「ここが王妃さまの部屋!?」と思ってしまった。
ここはベッドのある2人部屋だから、少しはお金が払える囚人の部屋だったのかも。
MとAを組み合わせたステンドグラス。
「アントワネットの礼拝堂」
この碑は、アップにすると2行目に王妃さまの名前がドイツ語で書いてある。【Bigsize Photo】で見てみてください。
中庭。下の段の真ん中の窓に、ぼうっとMAのステンドグラスが見える。
こんな建物の隙間を通って、次の入り口へ向かう。
間違っても王妃さまの部屋を見落とさないように、私は注意深く観て歩いていた。
そして。
ここだ。
ここが王妃さまが
(を、再現した部屋だけれど)
私は息が止まるような思いがし、でも落ちつかなくちゃ、と思い直し、ここがその部屋で間違いないと確認すべく、近くにいた女性に声をかけた。
3~4歳の金髪の女の子を連れた、若いママだった。
「ここがマリーの部屋ですよね?」
私はこの時もう既に胸がいっぱいで、見た目に少しおかしい人だったと思う。
でもその女性は私の手首をつかんで壁ぎわに寄ると、壁に打ってある案内板を数行読んでくれた。
それはフランス語で、私には理解が出来なかったけれど、それから女性は案内板を指先でたどり、「見て。ここに“マリー・アントワネット”って書いてあるでしょう?」と英語で言った。
「ここがあなたが探している部屋よ」
私はお礼を言いながらも、ここで王妃さまが暮らし、最期の夜を過ごしたのだと思うと、涙目になるのが抑えられなかった。
「判るわ。あなたはここに来たかったのね」
女性はうんうんと頷いて、そして、駆け出して行ってしまった女の子を追いかけて行った。
誰もいなくなった、その場所。
ガラスの板で仕切られた狭い部屋に、黒いベールを被った王妃さまが背を向けている…
親愛なる妹よ。これを最後とあなたに手紙を書きます。
私は恥ずべき死刑の判決を受けたわけではありません。死刑は罪人にとってのみ恥ずべきものです。
私はあなたの兄上のもとに参るだけです。
さようなら。懐かしい妹。
この手紙がどうか届きますように。
この遺書の(かなり省略された)和訳は、私が15歳のときに読んだものだから、今となっては誰の訳か判らない。
そして私の記憶の中のものでもあるから、忠実なものであるかどうかも判らない。
このコンシェルジュリで撮った写真には、全体に暗いものが多い。ガラス張りの見学場所が多いために、フラッシュが使いにくかったからだ。
そのため、【Bigsize Photo】では画像を少し調整している。同じ写真が続くものがあると思うけれど、1枚目が元画像。2枚目が見やすくなるように調整をかけたものだ。
見比べてみてください。
王妃さまのお部屋などは相当なアップで見られる写真をたくさん撮ってきました。すりきれた壁紙の透け具合も見えるぐらいなので、ぜひごらんくださいまし。
こうして午前中の2つの予定を終えた私は、ホテルに戻った。
そして、チェックアウト。
「初めてのパリはどうだったかい?」
「美しくて、思っていた通りだった!」
「そう。まだ観光するなら、出発まで荷物を預かっておくよ?」
フロントデスクのスタッフは、私が今日、帰国すると思っているようだった。
そこをあえてホテルを移動するだけだと言う必要もないので、私はお礼を言って断わって、タクシーを呼んでもらった。
特別なサービスがあるとか、部屋が豪華だとか情緒があるとか、『Hotel mattle』はそういう類のホテルではないし、でも、パリらしく料金はお高めで。
ホテル選びは本当に人によるから、どこがいいかとは一概に勧められない。せっかくのパリだから、おしゃれにリッチに過ごしたい人もいるだろうし、多少高くても便利なオペラ地区がいい人もいるだろう。少し郊外に泊まって宿泊費を抑えて、そのぶん長く滞在したい人もいるだろうし、私のように“ホテルは衛生的で安全に寝られりゃそれでいい”という人もいると思う。
今回泊まったホテルは私の希望に叶っており、立地的にも大変便利。駅近だし、人気のパッサージュや名所も徒歩圏内。ホテルのたたずまいや部屋の調度に、癒しや華やかなパリへの憧れを重ねている人でなければ、『Hotel mattle』は合うかもしれません。
フロントデスクの“気難しい顔のおじさん”によれば、日本人客は「たまに」だそう。外国人観光客ではロシアンが多いとか。
フランス語が出来なくても英語が苦手でも、伝えようという熱意があれば『Hotel mattle』では暖かい対応をしてくれます。
最初はちょっと怖いけど(笑)
さて、ホテルの移動。
私が“どうしても”とこだわったホテルはこちら。
『Hotel des Tuileries』
なぜここに泊まりたかったかと言えば、このこぢんまりした建物は18世紀から建ち、マリー・アントワネットの第1侍女を務めた女性の館だったからだ。
かつてはルイ16世夫妻も、この館に泊まったことがある。
かと言って、特に豪華でもサービスの質が高いでもない、立地がいいだけのコストパフォーマンスの悪いホテルなのだが。
ホテル外観。
レセプション。このお兄さんはなかなかのイケメンなんだけど、申し訳ない。すんごい写真写り悪い。
ロビー。
華やかなりし頃を思わせる階段。
チェックインは午後2時から。
まだ時間があるので、私は荷物を預けてテュイルリー公園を散策しに出た。
このホテルは本当に立地がよく、ホテル前の小道を出るとすぐにサントノレ通りが横切り、目線の少し先にはもうテュイルリー庭園が見えている。ゆえにルーブルにもすぐだし、オペラ座までだって、ぶらぶら歩いてもたいしてかからない。
ホテルから200mぐらいで、この風景。
左手に目を向ければルーブル宮が建つ。
ここにかつて、テュイルリー宮があったんだなぁ。
庭園の先にはコンコルド広場のオベリスクが見える。
オベリスクとエッフェル塔。
庭園に背を向け、オベリスクの向こうを眺める。有名なシャンゼリゼ通りと、遠く凱旋門が望める。
海軍省が近いせいか、軍人さんがあちこちに。
iPadで撮ったコンコルド広場のちょこっと動画。
こちらの動画は無料で見られ、安全なものですが、動画会員でない人は1日の視聴回数に制限があります。それを超えると翌日まで動画は開きません。
また、音声はこちらで削除してあります。
フルスクリーンではかなり画質が荒くなるので、このままのサイズでご覧になるのがおすすめです。
ルーブルを背にテュイルリー公園をゆっくり縦断しながら、時おり雨を避けた花の棚の下で、私は休憩がてらにちびちびとノベルを書いたりしていた。
かつてここに宮殿があり、国王軍と市民が戦ったり国王一家が幽閉されたり…
今、立つこの足の下にはたくさんの血が染みこんでいる。
そんなことを考えながらぶらぶら歩いてテュイルリー庭園の端までくると、そこには大きくて立派な門が立っていた。
そして門の向こうには天へと鋭く建つオベリスクと噴水。その向こうにエッフェル塔。さらに目線を変えた一直線上にはシャンゼリゼ通りと、小さくエトワール凱旋門が見えている。
実際にパリに来るまでに、たくさん読んでいたフランス旅行のブログ。それらには、こんなふうにパリの街を散策するものはたくさんあった。特にこのセーヌ川沿い。メトロ1号線上を観て廻るものは多く、でも私は「そんなに歩けねぇだろ」なんて思っていた。
けれど。
実際に来てみれば、なるほどパリの街はコンパクトで美しく、見所が集中している。シャンゼリゼ通りからリヴォリ通り、ずっと進んでバスティーユ広場まで、誰でもが知っている名所や風景と有名なショップ、華やか・にぎやかなお土産物屋さんと飲食店が次々と繰り出されてくる。
観て、ちょっとお茶を飲んで、かわいい小物を選んで。
友達同士でそんなことをしていたら、結構歩けてしまうだろう。
私は膝や腰がちょっとばかり破損気味だからテュイルリーからコンコルド広場までしか歩かなかったけれど、まぁまぁ健康・まぁまぁ若い人だったら、きっとこのパリらしい景観の中をわくわくしながらバリバリ歩けるに違いない。
テュイルリーからコンコルド広場をぐるっと周り、引き返してきた私は、リヴォリ通りにあるアンジェリーナに寄った。
私は元々は朝・昼食は取らないたち。午後の2時や3時にココアかカフェオレと、そこにフィナンシェやマドレーヌなどの焼き菓子系のものかコンビニスウィーツを食べる。そして好き嫌いの偏った夕食。
もとからそういう食事スタイルなので、この日の夕食はサラダとケーキにしようと思ったからだ。
【 Angelina 】パリ本店。
どれも美味しそう。甘党にはたまらん。
色とりどりに、美しかったりかわいらしかったり。
私は2つばかり買うつもりで店に入ったのに、結局4つ買ってしまった。
それを持ってホテルに戻り、ようやく部屋へ。
階段もクラシカルで素敵なのだけれど、スーツケースとケーキがあるのでエレベーター使用。狭いけれど、一部がガラス張りになっていて、古い時代の壁が見られるようになっている。
お部屋。パリによくあるという激狭ルーム。
でも、バスルームは明るくて広くてバスタブ付き。お湯の出も申し分なく、おふろタイムはくつろげてよかった。
選んだケーキはこちら。1コだけ別に入っているものは、“特に崩れやすいから気をつけて”と言われて渡されたもの。
気をつけて箱を開けて写真を撮って、それから冷蔵庫に入れようと思って…
落としたよね。悲しかったわ。
スーツケースの中身をざざっと出して整理して。
ベッドに座っちゃうと、動きたくなくなってくる。
でも。
滞在期間はもう、残り少ない。
よし、メトロに乗って凱旋門に行くぞ。
メトロを降りると、どーんと建つ凱旋門。大きなラウンドアバウトの中心にあるので、直接は行けない。
地下通路をくぐって。
高さ50m、幅45m、奥行き22m。でかくて全景はおさまりきらない。
彫刻 『1792年 出発(ラ マルセイエーズ)』
無名兵士の墓。第1次世界大戦で戦死した兵士のため、追悼の炎が灯されている。
共和制と帝政時代の将軍558人の名前が刻まれている。
眺望。遠くに小さくサクレ・クール寺院が見える。
にょきっと建つエッフェル塔。
ラ・デファンスの超高層ビル群と新凱旋門。
iPadで撮った凱旋門からのちょこっと動画。
無名兵士の墓などの凱旋門の他の動画は【Blog&Photo】で見られます。が、動画会員でない人は1日の視聴回数に制限があります。それを超えると翌日まで動画は開きません。
また、音声はこちらで削除してあります。
間近に見る凱旋門は、思っていたよりずっと大きかった。
全景をあおりで撮りたくても、全然フレームに収まらない。豪華な彫刻が壁面をかざっているけれど、上の方なんか高すぎて見えないし。
仕方ないので、“こっちの足もと”とか“あっちの足もと”とか、“上の方”とか、場所ごとばらばらにアップで撮った。
(【Bigsize Photo】で見てくだされ。上部の彫刻、すごいです)
入場料は9.50ユーロでミュージアムパスも使えるけれど、展望台まで上がらないのなら無料。
展望台へは272段の螺旋階段であがる。
この階段がまたハード。シメールのギャラリーのときのように下から人が続々と上がってくるものだから、ひぃひぃ言いながらも登るしかない。
私も結構頑張ったんだけど、やがて本当に登るペースについていけなくなって、ときどき階段の途中に出てくるくぼみによけた。
ら。
私の真後ろにいた女の子も一緒に避難してきて、せまっ苦しい退避スペースに2人で入りこんだ。
その子はまだ若そうな白人系で、レモンティみたいな髪の色をしていた。私を3人束ねたぐらいの体格で、ものすごくぜいぜいいっている。でも私も同じぐら息切れしていて、お互い少し笑ってしまった。
「みんなよく平気だねー」
「すごいねー」
そんなことを話しながら、ひと休みして。
それからまた一緒に登り始め、最後の10段ほどはその女の子が手を引いてくれた。
螺旋階段を登りきったところには座れるスペースがあったので、私と女の子は並んで座って、休みがてらに少しだけ雑談をした。その子はロシアからの1人旅。次の冬季オリンピックがロシア / ソチだったこともあり、話題はフィギュアスケートのことだった。
おしゃべりしながらじゅうぶん休憩し、女の子は手を振って展望台へと出ていった。
私もヨボヨボな足取りで、展望台に出るための最後の短い階段を登り。
そこから開けた眺望は、本当に360°ぐるりと見渡せるものだった。
高層ビルの展望室や〇〇タワーといったものは、たいがい室内から遥か下方を見下ろすけれど、凱旋門は屋外で、風に吹かれながら50mの高さから下を見る。タワー系では車も人も小さくてろくに見えないけれど、50mだと、人の動きも車の流れも街並みの様子もある程度見えて、そんな展望がばーんと360°。私にはこういう見え方は初めて。おもしろ。
実は展望台にはそれほどの興味はなかったのだけれど …登ってみてよかった。おすすめです。
帰りがけに、ちょっと買い物。
260年の歴史を持つマスタードの老舗ブランド 『Maille』
道をはさんだ正面にはマドレーヌ寺院。
辛いものが大好きな友達へのお土産選び。これ、ぜーんぶマスタードで、いろんなフレーバーがある。
こちらはビネガー。
贈答用。
陶器の容器を買うと、目の前で生マスタードを搾ってくれます。
私は出発前から『Maille』にこようと思っていた。
人気店だということだけれど、さて…
そう思いながら店内に入ると、小さなお店には結構お客さんがいた。
壁には磨き上げられたマスタードがいっぱいで、小瓶がピカピカ光っている。フルーツフレーバーが多いせいか色彩も豊か。ビネガーの棚はジュースかお酒みたい。
贈答用のセットやグッズもたくさんあって、選ぶのに困ってしまう。
お店のお姉さんがオーダー品のマスタードを搾り始めたので、写真を撮ってもいいか聞いてみた。
お姉さんが「いいわよ」といった感じで頷くと、店内にいたお客さんがいっせいにカメラを出したのには笑ってしまった。
「おお!私、スターみたいだわ!」
おねえさんはそんなことを言いながら、マスタードの注入をしていました。
『Maille』はMadeleine駅の近く。
メトロに乗って、ルーブル近くまで移動する。
コメディフランセーズとかパレ・ロワイヤルとか、妄想で頭がおかしくなりそう。
パレ・ロワイヤル。
こっちの方が有名かも。「名誉の中庭」。
このあたりにはお土産物屋さんが多く、通りの片側はルーブルだし、ふと現れる小さな広場には花が手向けられた黄金の騎馬像があったりと、まったく見飽きない。
本当はもっと見て歩きたいんだけど。
膝やら腰やらがいよいよまずい感じになってきて、私はホテルへ戻ることにした。
雨脚もそこそこ強いし、寒いし。
通りを適当に入ったスーパーに寄ってLay'sのポテトチップスを買う。ど田舎のうちの近所のスーパーにはLay'sは置いていないので、パリ滞在中はよく買っていた。
この日の夕食は崩れたケーキとサラダ。そして、おやつにポテトチップス。
せっかくのパリで、こんなんでいいのかとも思ったが、どうせ私はいつもこんなんだし。
そんなつもりで部屋に戻ったけれど、結局疲れていてケーキもサラダもほぼ食べられずに、また濡れ髪に半裸で寝つぶれたのだった。
☆ 第12話 煌きのオペラ座 / 内部見学 へ続く
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