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【ヴァランタンの贈り物 上】(2011 / ヴァランタン)
UP◆ 2011/2/14「休みの日ぐらい仕事を忘れられないもんかなぁ」
アンドレ・グランディエは厨房で、最近恋人になったばかりの幼なじみのために丁寧にショコラを淹れている。
せっかくの休日だというのに、彼女は調べものがあると言って朝から図書室にこもったままだ。
恋人同士になったからって、俺優先のおまえになってくれるとは思ってなかったけどね。
判っていたことだけれど、心持ちもの足りない想いを感じながら、アンドレはショコラをトレイに乗せると図書室へ向かった。
ジャルジェ家の図書室はバカ広い。
図書室というより、もはや図書館の勢いがある。
代々からの蔵書もあるし、つきあいのある貴族やらが書かせる阿呆らしい「自分史」の寄贈だけでも年に数十冊。
軍事関係の資料やら法律やら諸外国との外交に関するもの、王室関係、領地に関わるものまで、書籍は増える一方である。
小説などの娯楽系の読み物はそれぞれ個人の書斎や部屋に置かれているけれど、増えて置ききれなくなれば図書室へ移されるのだから、結局この部屋の蔵書が増えることはあっても減ることはないのだ。
「オスカル、少し休憩しないか?
ショコラを淹れてきたんだけど」
アンドレがそう言いながら図書室に入ると、奥まった書架の方から物音がした。
彼はテーブルにトレイを置くと、たくさんの書架の間を進んでいった。
「気が利くな、アンドレ。
ちょうど一休みしたいと思っていたところだ」
唐突に上から声が降ってくる。
彼が振り仰ぐと、一番奥の書架に脚立を立てて、かなり上の方の本に手を伸ばしている恋人の姿が見え隠れしていた。
「ああ、そんなこと俺がやるから」
心配そうに言いながら、足早に脚立の下まで来たアンドレを振りかえりもせず、オスカルは背伸びをしながら本へと腕を伸ばしている。
「う…ん。大丈…夫。あとちょっ…とで届きそ……」
お目当ての本の背表紙に指がかかると、オスカルはぐいっと引き抜いた。
のだが。
「わっ!」
いかつい革表紙の古書は意外にもたいそう重く、その重さに腕を取られて彼女はバランスを崩した。
やばい!落ちる!!
ステップから足を踏み外しながらも、オスカルは頭の中で素早く高さと落下地点を計算する。
この高さなら捻挫程度で済むだろう。
そう思った次の瞬間、彼女はアンドレに抱きとめられていた。
落下の勢いで、彼はオスカルを抱いたまましりもちをつく。
崩れた姿勢のままで腕の中の恋人をのぞきこんだ。
「大丈夫か?」
オスカルへ超至近距離で彼の眼差しが降りそそぐ。
「あ…ああ。大丈夫。メルシ」
ファインプレイのアンドレに、彼女はなにげなさそうにそう言ったが、内心はめちゃくちゃにどきどきしていた。
遅ればせながらアンドレへの想いを自覚し、彼女がなんとか不器用な告白をして以来、2人の関係は特別なものへと変わった。
恋人同士としての初めてのくちづけを交わしてから、オスカルの中で、彼への気持ちは加速度的に大きくなっている。
今では自分でもどうかしていると思うほど彼を愛していて、むしろブレーキをかけるのに必死なぐらいだ。
それでも彼への傾斜は止められない。
こんな気持ち、アンドレに知られたら恥ずかしくて死ぬかも…
黒い瞳の近さに心を全部見透かされそうで、オスカルはわざとうっとうしそうにアンドレの腕を押しのけた。
それなのに、図らずも今、オスカルは彼の胸に抱かれていて…
ああ。なんだか私、ダメみたい。どうしよう。
アンドレは、ぞんざいに自分の腕を押しのけた彼女が、そのくせ自分から離れようとしないのを不審に思った。
もしかして、どこか傷めた?
とりあえず彼は、オスカルの足首に手をやった。
動きを確認したかったのだ。
それだけなのに。
「や…んっ」
アンドレに過敏になっているオスカルは、足首に触れた彼の手の感覚に過剰に反応した。
「大丈夫か?やっぱりどこか傷めてるのか?」
「だっ…、大丈夫。ほんっとに大丈夫っっ」
オスカルはアンドレからズリズリと後ずさる。
もう、私っ!
彼女は心の中で頭を抱えていた。
こっ… 声っ!
この私があんな破廉恥な声をっっ!
私は次期当主なのに。
栄光あるフランス陸軍の准将なのにっ。
あー、どうかアンドレが気づいていませんように、気づいていませんように、気づいていませんように…
はたから見たら挙動不審気味のオスカルに、彼はますます不安を覚えた。
「おまえ、頭でも打ったのか?」
ごく当たり前に彼女の額に触れようとする。
反射的にオスカルは、座りこんだ姿勢のまま勢いよく後ろへと跳びすさった。
そこが書架と書架の間だということを忘れて。
――ゴツっ
鈍い音を立てて、彼女は後頭部を書棚にぶつけた。
「
思わず頭に手を当てる。
「オスカル。おまえ、本当に大丈夫なのか?少し落ちつけよ」
アンドレの呆れたような顔に、彼女は心の中で悪態をついた。
誰が私を落ちつかせないんだよっ。
オスカルはその場をごまかすように書架に手をかけ、あたふたと立ち上がろうとした。
そのとき。
――ガツっ
今度は高い書棚から本が降ってきて、またしても彼女の後頭部にヒットした。
小ぶりだが、しっかりした装丁の革の本。
先ほど無理に古書を引き抜いたせいで、書列が緩んで崩れてきたのだろう。
「痛っ……たい」
頭に手を当てて膝をつくオスカル。
「おまえ、本当に今日はどうしたんだ?みごとなマヌケっぷりだぞ」
「うるさいっ」
彼女は忌々し気に落下してきた本を手に取った。
なにやらかわいらしい型押し模様の表紙。
「…これ…って」
本を見つめるオスカルの様子に、アンドレもそばに来て目線を向けた。
「うわ。懐かしいなぁ」
それは2人が幼い頃に一緒に読んだ絵本だった。
「出会って初めてのヴァランタンに、おまえが俺に贈ってくれたんだよな。失くしたと思ってずいぶん探したけど、こんなところにあったのか」
9歳の子供には、幼稚過ぎるぐらいの絵本。
でもそれは当然のことだった。当時アンドレは、ろくに字が読めなかったのだから。
もちろんそれは彼の怠慢ではなかった。
『名前の読み書きができれば上等』
地方育ちの、豊かではない平民の子供など皆そんなものだ。
幼い頃から家庭教師に高等な教育を受けていたオスカルはそんな彼に驚き、初めてのヴァランタンに絵本を贈ったのだった。
「よく一緒に読んだよな」
まだ、お互いの運命を何も知らなかった頃。
身分とか、性別とか、恋とか、何も考えずに心をよりそわせていた。大人の知恵がついてしまった今よりずっと、魂は重なりあっていたかもしれない。お互いの想いを告げあった今よりも。
少し淋しそうな目をした恋人に、アンドレはくちづけようとした。
しかし。
頬を寄せた彼の甘いムードにまったく気づかず、オスカルが声をあげる。
「なぁ、アンドレ。これ、なんだろう?」
小さな本の革表紙のすきまに、何か薄いものが挟まっている。しっかりと張り合わされた革に切りこみが入れられ、紙片が差しこんであるようだ。
気になったオスカルは、爪先で引き出そうとしたり本を振ってみたりと、いろいろ試してみた。
けれど紙片は出てこない。
「取れないな…」
「ちょっと貸して、オスカル」
くちづけのムードにも気づかない鈍感な彼女に、少々ふてくされ気味のアンドレだったが、思うところがあって本を取り上げた。
表紙を左右から圧迫して、紙片の挟まっている革と革のすきまを
「やった!すごいな、アンドレ」
「いや、すごくなんかないよ。これ、俺がやったんだもの」
「え?」
「俺も忘れてたんだけど、これを取ろうとしてるおまえを見ていて思い出した。この細工をするときも、おまえ四苦八苦してたから」
オスカルが記憶を探るように目を細める。
「『海賊の財宝』覚えてないか?『秘密の地図』だよ」
「あ…」
そうだ。あの頃。
オスカルは少年向けの読み物にはまっていて、特に海賊の活劇ものがお気に入りだった。
本気で将来海軍に入ろうかと思ったぐらいだ。
煌めく財宝がうず高く積まれた洞窟のまばゆさを想像しては、わくわくしたものである。
「『アンドレ、俺たちも宝の地図を作ろうぜ』」
記憶のかけらを拾い上げ、オスカルがつぶやいた。
「ああ、そうそう!おまえ、一時期『俺』って言ってたよな」
「おまえに感化されてな」
「おかげで俺はおばあちゃんにすっごく怒られたよ。お嬢さまの言葉遣いが下品になるって」
それを聞いた彼女はくすくす笑う。
こんな育ち方をして、下品も上品もあるまいに。
「災難だったな、アンドレ」
そう言いながら、オスカルは四つ折りにされた紙片を手に取った。
それは革と革の間に密封されていたせいか、年月を感じさせることもなく美しいままだった。
「本当に財宝の地図ってことはないだろうけど」
子供の頃の朧な記憶では、何を書いたかまでは思い出せない。
いつの間にやら自分の肩を抱く恋人と、長いくちづけを交わしてから、彼女はそっと紙片を開いた。
下につづく
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