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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【4】

UP◆ 2012/9/25

    手の中に包んだ彼女の手。
    単純に、久しぶりだと彼は思った。
    手をつないで歩くなんて、本当に久しぶりだ。昔はよく、こうして一緒に走り回ったものだけど。
    差し出した手を彼女が取ったのは、彼にも予想外だった。
    『子供じゃあるまいし』
    ひと言でざっくり片づけられる。そんなところかと思っていた。
    彼女はなぜだかぷんぷんと怒っていたし、王妃からの妙な命令に、軽く安定を欠いているようにも見えた。
    いや。
    命令のせいじゃない。
    彼には容易に想像がつく。
    フェルゼンの身代わりとして呼び出され、図らずも女性の姿に仕立てられたオスカル・フランソワの気持ち。
    何が悲しくて、好きな男と他の女の恋愛ごとに手を貸さねばならない?懸命に胸に秘める女性としての想いを、野ざらしにするかのごとく着飾らされて。
    それでも王妃の役に立たなければと、自分を鼓舞している。
    そんな心の揺らぎにつけ込んで、手を差し出した彼。
    汚いよな。
    でも、本当は。
    抱き寄せてしまいたいと思っている。
    女官からの急な呼び出しに慌てまくりながら駆けつけて、ようやく会えたオスカル・フランソワを見た瞬間、彼はすぐに気がついた。
    いっぱいいっぱいになっている彼女。
    きっと俺にしか判らない。
    こんなとき、普通の女の子だったら、ギュッと抱きしめてあげれば甘えてくるのだろうけど。
    例え望む男でなかったとしても、しっかり抱きしめられて、優しい言葉で慰められて、ちょっとばかり泣いて。
    まやかしでしかないけれど、それでも少しは楽になれるはず。
    でも“普通の女の子”じゃない彼女には、男の寂しさを男で埋めるなんて、きっとそんなこと、思いつきもしないのだ。
    田舎風景の小道を外れ、祭りの広場へと分け入る夏木立の(みち)
    見事なぐらいに誰もいない。
    何者かの密告がなければ、なるほど王妃とフェルゼンは、2人きりの夏の宵を楽しめただろう。
    それを、なんの巡り合わせで俺たちが。
    彼がそう思ったとき、握っていた彼女の手がぴくんと動き、すり抜けようとした。
    オスカル?
    彼はとっさにそれをつかんでしまう。
    他意はなかった。
    投げられた棒きれを、わけもなく犬が追うのと同じ。
    逃げていきそうだったから、つい力が入った。
    それだけなのに。
    どうした?
    彼女の様子は、どうにも変だった。
    本当に手を解きたければ、振り払うぐらいのことはする彼女。だからといって、平然と手のひらを預けているふうでもなく。
    動揺や照れを押し隠し、けれどもそれが上手にできなくて、弱りきっているのがまる判りだった。
    照れてる?オスカルが…俺に?
    その発想は、ちょっとだけ彼を喜ばせた。
    でも、ぬか喜びに慣れている彼は、すぐに冷静な判断をする。
    きっとおまえは、俺とフェルゼン伯を重ねているんだろう。たぶんフェルゼン伯が着るはずだったこのゆかた。俺の向こうにその人を見て、手をつないで歩く自分を描いている。
    彼女の妙に恥ずかしそうな様子や、少し浮ついた感じ。そのくせ、どこか憂いを含んだ瞳。
    そう考えれば、すべて合点が行った。
    “何が悲しくて”
    つい先ほど思った台詞は、すっぽり自分にも当てはまる。
    まったく、惚れた弱みってヤツは。
    彼は心のすみっこで小さく苦笑した。
    今夜のおまえ。
    そんなにきれいにしてるのに。
    いつもよりずっと、女の子らしいのに。
    グッ…
    彼はもう1度、握った手に力を込める。
    寂しい顔なんかさせておけるか。
    「行くよ、オスカル!もう灯りが見えている」
    木々の隙間に、柔らかく点在する灯り。細く高く流れ始めた笛の音。
    「ほらほら急いで!!」
    「ちょっと待てアンドレ、どうした急に!」
    手を握るだけでなく、もう片側の肩にも手を回して、むちゃと判っていながら、彼は彼女を走らせた。
    「足元が危ないから、気をつけろって言ったのはおまえだろう?」
    突然肩を抱えられ、押されるような小走りに、彼女は意味が判らない。
    「おい、アンドレ。これじゃかえって危な」
    「おまえの華麗なフットワークなら大丈夫だろ?慣れない装束で動きにくいかもしれないけど、ゆかたが初めてなのは俺も同じだよ。ついてこれないとしたら、おまえ、実はもう老‥」
    「ふざけろ!笛を吹いている奴がゴールだ。手を抜くなよ、アンドレ。勝負っ!」
    彼女は思いきりよく彼の手を振りきると、本気のダッシュで走り始めた。
    転がる小石。折れた木っ端。
    ゆかたの裾が歩幅を許さず、下駄は思った以上に機能性が悪かった。
    集中しないと、ほんとに危ない!
    横にぴったりとついて走るアンドレには、けっこう余裕がありそうだ。
    負けるものか。
    そんな目をした彼女を、彼は目の端でとらえていた。
    本気で集中している彼女は、不利な状況にも関わらず、無駄のないライン取りで障害物をよけていく。
    この装束で、その動きか。昔から身が軽くて、子ザルみたいなヤツだったけど。
    彼はそんな彼女の半歩先に、注意深く目を走らせていた。
    けしかけたのは俺だけど。
    大切な彼女に、けがをさせるわけにはいかない。
    でも。
    俺も負ける気なんかないけどな!
    田舎造りの小道をそれた木立の経は、隠された祭りの広場までそう遠いわけじゃない。
    揺れる灯りは木々の隙間に見えているし、祭りらしい気配も漏れてきた。
    それだけに、遠慮なく全力のダッシュをかける。
    ざっ。
    踏みしめる草の音が、砂をかむ乾いた音に変わり、目の前がいきなり開けた。
    …ああ。きれいだ。
    雲を抜け、降りそそぐ月光。
    ゆかた姿の男女が小さな輪を作って踊っている。
    ひるがえる袖。
    不思議な足取り。
    小さな露店の先に吊された淡い光は柔らかくて、大きなほたるのよう。
    かん高く流れる笛の音はときに掠れ。
    そう、笛。
    ゴールは笛吹きの……男か。あそこだ!
    草の経の出口、彼は右から、彼女は左から回りこむ。
    笛の奏者は踊りの輪の奥。
    この勝負、もらった!!
    勝ちを確信したと思った彼女が、これでけりが付くとばかりに、勢いよくゴール代わりにされた笛吹きへと飛びかかった半拍あと。
    …え?
    彼女はすっぽりと、彼の腕の中にいた。
    「バ…カ やりすぎだぞ おまえがタックルしたら この 笛吹きのおにーさん どうなると 思って るんだ」
    「加減 したさ 私が本気で 民間人にタックル なんて するか」
    「いやいや けっこう やばい 目 してた」
    たいした距離でもなかったのに、お互い息を切らしている。
    ぜいぜいと、せわしない呼吸。
    いきなり飛び出してきた男女にびっくりしたおにーさんは、笛を吹く手を止めていた。
    「まずい」
    踊りの輪まで、止まってしまっている。
    「す… す み ま せ ん」
    ぽかんとしたゆかた姿の異国の男女らに、アンドレは大げさな身ぶり手ぶりで謝ってみせた。
    伝わるかな?
    「あなたの、安全のため、だったんです。驚かせて、申し訳、ありません」
    「あ~、だいじょぶだいじょぶ。ありがとね」
    「へっ?」
    あっさり言い返された彼。
    見ていた彼女が横で爆笑した。
    「この者たちは商いで諸国を巡っているから、語学が堪能なんだ、アンドレ。王后陛下がそう言っていた」
    「なんだよ。先に言ってくれよ~」
    こっぱずかしいと、彼は顔を赤くした。
    「ぁ」
    「なに?」
    「いや」
    彼のこんな顔。久しぶりに見る。
    子供の頃はいろんな 表情 (かお)を見せてくれたのに、最近はすっかり落ちつき払っているアンドレ。
    ふぅ…ん。まだおまえ、こんな表情するんだ。
    そう思ったら、なんだか嬉しくなってしまって、自然と笑みが浮かんでくる。
    久しぶりに会えた。私だけが知っている、おまえの顔。
    「もう!いつまでも笑ってるなよ。本当に恥ずかしくなってくるじゃないか」
    「悪い悪い」
    彼女はこほんと息をついて、口もとを引き締める。
    と思ったら、わざとらしいほど、まじめくさった顔を向けてきた。
    「これでいいか?」
    「よろしい。ところでオスカル。今の勝負だけど、勝ったのは俺だよな?」
    「? それが?」
    ゴールにされた笛吹きに、猛然と突っ込んだ彼女。
    すんでのところで抱き止めた彼。
    悔しいけれど、先に着いていたのはアンドレの方。
    「僅差だろうが秒差だろうが、勝ちは勝ちだな……おまえの」
    彼女が不承不承言うと、彼はにこりと笑った。
    「じゃ、ご褒美は何がいいかな~」
    「褒美?聞いてないぞ、そんなこと」
    「俺だって“笛吹きのおにーさん争奪戦”なんて、聞いてなかったよ。言うなりダッシュをかけた卑怯者は誰だろうなぁ?そのくせ、負けちゃったのは」
    「ううっ」
    おまえだって、じゅうぶん卑怯な物言いをしている!
    彼女はそう思ったが、この手の屁理屈の応酬で、彼に勝てないのは経験で判っている。
    「なにが望みだ。言ってみろ」
    「……手を、つなぐこと」
    「は?」
    「おまえは直情型のバカだから、祭りは危ない。夢中になって、他の人の身が危険だ。だから」
    「手をつないでいろってか!?きさま、なにを戯けたことを」
    「そうだなぁ。王妃さまの目もあるから、月がかげったときだけな。それで許してやる」
    「ゆ‥るしてやるって、アンドレ」
    理不尽な上から目線。
    でも。
    少し身をかがめた夜の色の瞳にじぃっとのぞきこまれると、彼女は言い返せなくなった。
    「いいだろ?俺が勝ったんだから。これが今夜の決まりごとだ」
    「‥う‥ん」
    ずるずると、頷いていた。
    「月のかげったときだけならば」
    なにを言っちゃってるんだ、私は!
    そう思いながらも、彼の瞳には抗いがたい宵闇の艶がある。
    こんなのおかしい。
    感じ続けている違和感が、もやもやと行ったり来たりしているが、再び流れ始めた笛の音と、小さな広場にたまっていく人の熱気に押しのけられて、言葉にはならない。
    息はもう整っているはずなのに、胸が苦しいのは、きっとそうだ。帯のせい。頬が熱いのも、年甲斐なく馬鹿な駆けっこをしたせいで。
    何もかもを見透かしたように薄く笑う、この黒い瞳のせいじゃない。
    早く熱っぽさを冷ましたくて、彼女は手をパタパタさせて顔を扇ぐ。
    と。
    「もう!なにをやってるの?オスカルったら!!」
    背後から、甘ったるく叱る声がした。
    「王后陛下!」
    「見てたわよ?あぁん、ゆかたが乱れてしまっているわ。お化粧も!こちらへいらっしゃい」
    王妃は傍らにいた国王に小さく会釈をしてから、彼女を手近な木々の陰へ引きこんだ。
    「目を閉じて。じっとしてて」
    「でも、陛下」
    「いいから動かないのっ」
    王妃はプラプラと手に下げていた共布の小袋から、おしろいと紅を取り出した。
    持ち手の紐を絞ると、口のキュッと締まる風変わりな形の小袋。そこにはコスメグッズがギチギチに詰め込まれている。
    「女官が施すほどには、上手にできないけれど。でも、もうこの場所には誰も入らないよう言いつけてあるのよ。だからわたくしでがまんしてね」
    王妃はそんなことを言いながら、手早く彼女の化粧崩れを直していく。
    ぱふぱふと叩かれる粉。新たに引かれる紅。
    そして。
    「ちょっといい?オスカル」
    メイク直しの終わった彼女をまっすぐに立たせると、王妃は藍色の袖に手を入れた。
    「王后陛下?なにをなさいます!」
    「んもう、動かないでって言ってるでしょう?少し腕を上げてちょうだい」
    「ですが」
    「言うことを聞いて!」
    彼女が胸の高さほどに腕を上げると、王妃は袖を捲りあげるように、さらに袖の中に手を入れてきた。
    その手は胸元まで入ってきて、ゆかたの内側から、緩んでしまった襟元の合わせを引く。襟の抜き具合に気をつけながら、隠れた重なりをクイクイと。
    その眼差しには豊かな慈愛が浮かんでおり、彼女はそんな王妃の顔を見るのは初めてだった。
    やはり母でいらっしゃるのだ。
    「王后‥陛下‥」
    フェルゼンとの密会をごまかすために、呼びつけられた彼女。つい王妃の女の顔と、自分の胸の内にばかり気を取られていた。
    愛する男がいながら、違う男の子供を産まねばならなかった王妃の気持ち。
    ああ。私は。
    彼女は申し訳なく思い、ちょっとしんみりしかけたのだが。
    ――むにゅっ。
    「‥っ?」
    「あら、思ったよりふくよかなのね」
    ある感触と共に、きらきらと好奇心に満ちた目をした王妃が、彼女を見上げていた。
    襟元を整えていた王妃の手のひらが、どさくさにまぎれて片乳を包んでいる。いや、包むだけでなく、むにゅむにゅと揉みしだいており。
    「な…っ、ちょ、おまちください。おうこうへいかっっ」
    「ん~、やっぱりまだ子を産んでいないからだは、ハリが違うわね。うふふ。ぷりんぷりんしてる
    「おたわむれがすぎます。おやめくだ…ひゃっ!」
    しなやかな指が微妙なところに触れ、彼女はマヌケな声をあげた。
    その指使いに思い出されたのは、話題になった王妃とポリニャック夫人のレズビアン疑惑。
    ああ、恐れ多いぞ!なにを考えているのだ、私は。
    でも、でもっ!
    「お許しください、陛下」
    彼女は胸を押さえてしゃがみこんだ。
    「やぁだ、オスカルったら大仰な。こんなの、女の子同士のよくあるお遊びじゃないの。わたくしだって 故国 (さと)では、姉たちとこんなふうにふざけたものだわ。あなたにも、お姉さま方がいるでしょうに」
    「確かに姉はおりますがっっ」
    こんなふうにじゃれたことなどないんだ、私は!
    ハプスブルク家は、女帝 マリア・テレジアの方針から、大変家庭的な環境で皇女たちを育てたらしいけれど。
    王妃はやれやれといった様子で、彼女のゆかたの裾に手を当てた。
    勢いよく豪快にしゃがみこんだせいで、ぱっかり割れた裾から、きれいに筋肉のついた足がにょっきりと露わになってしまっている。
    「あ"」
    まったく、恥じらいがあるんだか無いんだかさっぱり判らない彼女。
    当の本人といえば「猥褻物が!」とばかりに慌てて立ち上がり、裾の重なりを1度開いてから、きっちり合わせ直している。
    …まいったな。
    小さくひとり言ちる彼女。
    王后陛下の私的な遊びごとに関わると、いつもけっこうろくでもない目に遭っている気がする。
    古くは“皇太子妃さま落馬事件”に始まり、ひどいところでは、そう!私だって万人の前で、レズビアンの愛人などと言い放たれたこともあるのだもの。
    もっとも、やんちゃな王妃にハラハラさせられ、また、そんなところが天真爛漫にも思えて、ついつい彼女も職務をこえて心を砕き、今まで真摯に仕えてきたオスカル・フランソワなのだけれど。
    「ふ―…」
    彼女はゆかたの裾についた草を払い、ため息と共に顔を上げた。
    ら。
    ちょっと離れた木の陰に、彼がいた。
    「アンドレ?いつからそこに!?」
    「今。たった今だ」
    即答の彼に、ほっとする彼女。
    でも一応、聞いてみる。
    「ちょっと装束の乱れを直していたのだが、おまえひょっとして?」
    「見てない見てない、なんにも見てない」
    ぷるぷると首を振り、過剰なほどの身ぶりで、彼は全力否定した。
    見てたなんて言ったら、 殺害 (コロ)される!
    そう、彼は木陰での顛末のだいたいを見ていた。
    王妃の悪戯にしかめられた表情が、情事のときの女の顔を連想させて色っぽく、のぞきなんていけないと思いつつ、結局最後まで見てしまった。
    『お許しください、陛下』
    そんな声だって、彼の脳内では
    『もう許して、アンドレ』
    に変換されている。
    おまけに彼女は、しずしずとゆかたの裾を開くと、その脚線美まで披露してくれた。
    彼女にもっとも近い彼ですら、見たことのない生足。
    それが内もも辺りまで露わになって。
    月の光に青白く、なまめかしくて。
    まだ血気盛んな彼には、鼻血の出そうな光景だった。
    仕方のないことだけれど、もっともっとと目を凝らし。そしてハッと気がついた。
    躓いた彼女を、支えたときのこと。
    平気な顔をしていたけれど、本当はちょっぴり、気持ちが萌えたっていた。けれど、そういった気持ちを少しでもにじませたら、2人の関係は壊れてしまう。
    こんなふうに不可抗力な接触が何度あっても、彼は全部、意思の力で整理してきた。それはもう、アンドレ本人ですら“気にならない”と思いこんでいるぐらいに。
    だけど。
    あの草の経では、違った。
    そうだ。あのときは。
    いつもならコルセットでギッチリと押さえつけ、厚い軍服で冷たく固められた彼女の胸が、じんわりと温かかった。
    当たった手のひらにふっくらと柔らかく、そして…そして指先が吸いつくように…
    あ~、しくじった!あの感触、あのときにもっとよく確認しておけば!!
    「アンドレ?どうかしたのか?」
    「いや!ほんとにどうもしない。見てもいないぞ!!」
    こんなことがバレたら、まじで殺られる!
    彼はビシッと言い切った。
    力強く手を握りしめて
    ――クシャ
    って、クシャ?
    「ね、アンドレ?何を持っているの?」
    王妃がころころと彼のそばに寄り、彼が握りつぶしている包みをヒョイと取り上げる。
    「もらったんです、あの笛吹きの人に」
    彼女が王妃に木陰に引っ張りこまれたとき、彼は彼で、あの笛吹きに呼び止められていた。
    たもとをさぐり、何かを探す仕草の笛吹きについ足を止め、彼女を見やる。
    王妃さまとご一緒なら、遠くへは行かないだろう。
    それでもチラチラと彼女の消えた方を気にする彼に、笛吹きは紙包みを押し付けてきた。
    「さっきはありがとう。あの人は君の恋人?急に飛びこんできたから驚いた」
    「恋人、じゃないよ」
    「そう?でも仲良しでしょう?」
    「まあね」
    「だから、2人でどうぞ。あとでね。祭りのあとで」
    たどだどしい言葉と一緒に、渡されたもの。
    中はまだ見ていない。
    それを、王妃が無邪気に開いた。
    「なぁんだ、コレなの」
    出てきたのは、なんだか用途の判らない、10数本の細い紐の束。
    ん?
    紐でもない、か。なんだろう、ごく薄い紙をよりあわせたようなもの?
    彼女も王妃のそばにより、まじまじとそれを観察する。
    「これはなんなのですか?王后陛下」
    「わたくしもあの者たちに勧められたけれど、たいしたものじゃなかったわ。退屈でつまらなかった。こんなもの、捨て置きなさいな」
    王妃は小さな包みをポイッと放り、そして広場の露店を指差した。
    「ほら、始まるわよ」
    踊りの輪が崩れ、3分の1ほどの者たちが露店につく。
    笛吹き男だけは、相変わらず笛を吹き続け、ひょうきんな足取りで舞ったまま。横を過ぎようとした4人に、おどけたちょっかいを出してくる。
    王妃はそれに手を叩いて笑い、国王は変わらずだんまり状態。彼は国王を気遣ってクスクスと笑いを抑え、彼女は興味深そうに見入っていた。
    ことに彼女は子供の頃からあまり遊んだことがなく、すべてが珍しいらしい。
    うわ‥ぁ。
    露店の先に吊された灯りがふうわりと揺れて、彼女の頬を遠く近く照らしだす。
    小さく開かれたままのくちびる。普段なら緊張を保っている瞳が、あどけなくクルクルと動いている。
    王妃が手直ししたせいか、ほのかだった彼女の化粧はほんの少し濃くなっていて、彼の胸は落ちつかない。
    宵闇に紅が映える女の顔に。
    王妃の提案で、一行はいくつかある露店をひと回りしてみることにした。
    国王夫妻が並んで歩くそのうしろ。
    2人も並んでつき従いながら、ごちゃごちゃする人の中、アンドレはするりと彼女の手をつかまえた。
    …え?
    反射的に彼を振り仰ぐ青い瞳。
    まだ月は明るいのに。
    彼女の視線。
    気づいているのに、無視している彼。
    にぎやかになってきた露店にさざめく異国の言葉と人いきれ。小さな広場に散らばって遊び始めた人々が、この虚構の祭りのために用意された演者だと判っていても、その空気はうねりを帯びる。
    ‥こんなの‥おかし‥
    そう思いながらも、彼女は露店へと視線を戻し。
    その目が実は揺らいでいるのは、彼にしか判らない。

    仕立て上げられた偽りの夜。
    迷った細い指先が、逃げていくことはなかった。
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