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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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    暗がりでがちゃがちゃと鍵を開けて戻る1人の部屋。
    「疲れ‥た…」
    上着を脱いで適当に放り投げ、寝台代わりと化した長椅子へと崩れこむ。
    そのまま目を閉じ……
    記憶の中のあの人は、年をとらない。
    あれから何年経っただろう。
    今も変わらず美しいのだろうか。
    闇夜の中、ほのかに白い頬が、最後に見たあの人だ。
    上品ぶったいけ好かない近衛連隊長の腕の中で、固く目を閉じ、抱かれていたあの人。
    最後にもう1度だけ、俺を見て欲しかったけれど。
    左手にざっくりとつかんだあの人の髪。
    その感触を思い出し、忘れないように何度も何度も思い出して。
    でももう、忘れてしまった。
    ほんの数年前なのに、いろんなことがあり過ぎて。
    あのとき俺は、自分の中にある未練を断ち切るように、あの人の髪を一房切り落とした。
    それなのに。
    「…っと…」
    俺は起き上がると、だるい体でキャビネットへ向かった。
    酒びんのあいだにまぎれて並んでいるオルゴール。
    ふたを開けると、ちょっとした小物入れになっている。
    まるで女こどもが持つような可愛らしいその小さな箱には、lisの紋章が刻まれている。
    もちろんそれは本当に王家の流れを汲む品ではなく、俺が極秘に作らせたものだ。
    lisの紋章は、長く王妃に仕えたあの人を思い起こさせるから。
    …ふ。
    今の俺の立場でlisの紋など。
    俺の失脚を狙う奴らには、格好の材料だ。
    もうどんな形で足元をすくわれるか判らない。
    きっと俺はろくな死に方をしないだろう。


    あの7月14日は、すっかり行く先を見失ってしまいましたよ、隊長。


    普通なら、指輪などが似合いの銀細工の小箱。
    そこに俺は、絹のリボンで結った僅かばかりの毛束を隠していた。
    みずから命を絶った妹、ディアンヌが憧れた黄金の髪。
    なんて豪華な。
    俺はいつもこの髪を見ていた。
    あの人の青い瞳。
    想いのままに堂々と見つめることは、ついに1度もできなかった。
    あの人の傍らには、常にヤツがいたから。
    だから俺はその代わりに、いつもこの髪を目で追っていた。
    横顔の、後ろ姿の、階段の踊り場で、兵営の窓から、目を伏せたふりをしてこっそりと、揺れて波打つ金色の髪を。
    あの2人が理屈じゃない何かでつながっていることなんか、最初から判っていた。
    割りこむこともできず、あの人が振り向くわけもなく、最初から最後まで俺は傍観者だった。
    あの頃。俺は本当にガキで、ただ悪態をついて突っかかることしか出来なかった。そして自分の気持ちに気づいたときには、それをやめることが出来なくなっていた。
    手のひらを返したように優しくするなんて、俺はそんなに器用じゃない。
    みんながだんだんと打ち解けていく中で、俺だけが頑なだった。
    でもあの人は、そんな俺を判ってくれていた気がする。
    なんでも出来るくせに、あの人も不器用な人だったから。
    想いを断つために、あの夜、切り落とした髪。
    そのはずなのに、俺はただ見送ることに耐えきれず、僅かばかりの毛束をそっと忍ばせてしまった。
    生きて会うことはないかもしれない。
    そう思ったらもう……そうせずにはいられなかった。
    それをヤツは気づいていて、見ないふりをしてくれていたのだと思う。
    ったくカッコ悪い。
    本当にあの頃の俺はガキだった。
    もし、今の俺であの人と出会えていたならば、俺たちにはもっと、違う展開があったのかもしれない。
    …違…う?
    はっ、ばかばかしい。
    今の俺で出会えていたら、何がどうなる気でいるんだろう。


    西陽に染まる司令官室で、胸元を朱く彩ったあの人を抱きかかえて呆然としているヤツを見たとき、俺は「とうとうバレてしまったのか」という気持ちと、「やっとバレてくれたか」という気持ちで、苦い嗤いを浮かべるしかなかった。
    あの人の病魔に、俺は誰よりも早く気がついていた。
    もしかしたら、あの人自身よりも早く。
    だからって、俺に何ができただろう。
    『あんたの秘密を、俺は知っている。だから』
    だから?
    そのあとに続く自分の言葉が怖かった。
    胸を病んだあの人。
    恐らくは、助からないと思われた。
    それなら。
    それなら俺にだって、思い出のひとつぐらい!
    『あんたの秘密を、俺は知っている。だからアンドレに黙っていて欲しかったら、俺の言いなりになれよ』
    そんな腐った台詞を言いたくなるほど、俺も煮詰まっていた。
    だから、ついにバレたときにはほんの少し、ほっとしたりもしていた。
    本当にあんな台詞、言わなくて良かったと思う。
    でなければ今、俺はこうしてあの人を思い返すことさえ許されなかっただろう。誰よりも、自分自身に。
    「おまえにしか頼めない」
    気を失ったあの人を抱いて、そう言ったヤツ。
    近衛へと赴き、このことを連隊長に伝えてくれと頼まれて、俺は眉をひそめた。
    あの取り澄ましたキザな男。
    今までにも何度か、あの人の使いで顔を合わせたことがある。いかにも貴族然とした、嫌味な野郎だった。
    かつてあの人に求婚したという、そんな男に、なぜ今?
    俺は黙ってヤツの隻眼を見返したが、ヤツの瞳は俺を見ながらも、すでにもっとずっと先の何かを視ているようだった。
    いつだってそうだ。
    俺はあの人を追いかけるのが精一杯だったのに、ヤツはいつだってその先を視ていた。
    それが俺には、あの人のことをなんでも判っているように見えて、苛立ちが抑えきれなかったものだ。
    それでも俺たちの間に友情が成立したのは、一重にヤツが大人だったからだろう。
    気を失っていてすら、苦悶の表情を浮かべていたあの人。
    とても立ち去り難く…
    けれど俺の立場では他にできることもなくて、結局俺は司令官室を出て近衛へと向かった。
    先触れもなくいきなり訪ねていけば、あの気取った男は嬉々として、礼儀知らずだと嫌味を言うことだろう。
    けれど、今はつまらない小競り合いをしている時ではない。
    近衛に着くと、俺はある程度の心の準備をして、連隊長の執務室を目指した。
    幸いだったのは、夕暮れ時という中途半端な時間だったことだ。
    兵営の内部は、明るいというほど明るくもなく、暗いというほど暗くもない。日勤者と夜勤者が居合わせる慌ただしさの中では、青い軍服が紛れこんでいても、さほど気にされなかった。一瞬俺を視界に入れても、近衛独特の特権階級意識たっぷりな一瞥をくれるだけ。
    いつもならイラッとくるところだが、俺はあえて姿勢を正し、デカい顔で廊下を闊歩した。
    目立たないようにコソコソする方が、ここでは目立つ。さも連隊長に呼ばれたような顔をして奥へと進み、執務室の扉をノックした。
    しかし、なんと名乗ったものなのか。
    呼ばれたわけでもなく、突然訪ねることが許されるほどの間がらでもない。
    衛兵隊であれば「アランです」の一言で済むか、時には「俺です」なんて言葉で済ませることもあった。
    『俺です』
    それだけであの人が判ってくれるのが嬉しくて、ほんの時折、そんなふうに言ってみたりしていたのだ。
    それが俺の、ほんのささやかな自己主張だった。
    …隊長…
    俺は少しだけ感傷的になりかけた。
    けれどその気持ちは、扉の向こうから発せられた誰何の声に引き締められた。
    そうだ。今はこんな気持ちに浸っている場合じゃない。
    一呼吸つき、俺はごく一般的に、名前と所属と階級を言えばいいと口を開きかけた。
    が、その瞬間、扉が内側から開けられ、細い隙間からいかにも不愉快そうなあの男が姿を見せた。
    「入りなさい」
    ノックをしたのが俺だと判っていたかのような、その顔。
    俺は扉と連隊長の間をすり抜けるように、素早く執務室の中に入りこんだ。
    連隊長は扉を閉めて、がちゃりと鍵をかける。
    …鍵?
    そしてツカツカと自分の椅子に戻ると、緩くまとわりつく髪を払いながら、俺を見上げた。
    「あの方に何があったのです?」
    「ぁあ?」
    俺は思わず、素で聞き返してしまった。
    何かあったなんて、なんで知っているのだろう。すべてまだ、秘されているはずなのに。
    「わけが判らぬと言った様子だな、衛兵」
    連隊長はうんざりしたような口調で言った。
    「いつも通りにあの方の使いでおまえが来たのなら、先触れがあって然るべきだろう。いきなり執務室に使いを押しかけさせるなど、あの方がなさるわけがない。そして、もしどうしてもそうせざるを得ないほどの火急の用件であれば、むしろご自分でいらっしゃる。あの方はそういうお人だ」
    連隊長は俺を完全に馬鹿にしていて、鼻を鳴らすように笑った。
    「それに、心の乱れが露わになったようなあのノックの音。執務中のこの私の部屋を、あのように荒々しくノックする者はここにはいないのでね。それを推察すれば、嫌でも訪問者が誰かは特定されてくるでしょう。私には、粗野な知り合いなど極めて少ないのだから」
    連隊長はスラスラと澱みなく嫌味を繰り出してきたが、心待ち身を乗り出して、本題に入る姿勢を見せた。
    「あの方自身も来られぬという、緊急な用。ならばグランディエが来るのが順当かと思われる。が、彼も現れない。だとしたら、衛兵。あの方の身に何かがあり、グランディエはそのそばを離れることが出来ない。そう見るのが、最も自然じゃないのかね?ここまで説明されなければ理解できないとは、まったくもってあの方のご苦労が忍ばれる。さあ、衛兵。さっさと用件を話すがいい。あの方に関して、私は気の長い方ではない」
    連隊長はほとんど自分がしゃべっていたというのに、まるで待たされたとでも言いた気に、ようやく俺に言葉を譲った。
    「ジャルジェ准将が、先ほど司令官室で倒れました」
    「今、なんと?」
    連隊長は見上げる目を細めて、聞き直してきた。
    ほんの少し、気配が殺気立つ。
    「意識はありませんが、一応は安定しているようです。グランディエの見たところですが」
    「…ふ‥ん。それでグランディエはなんと言ってよこしたのだね」
    そう言ったときには、連隊長はもう、普段通りのかったるそうな薄笑いで俺を見ていた。
    けれど。
    連隊長のその目は、不思議とヤツを思い起こさせた。
    俺を見ているくせに、どこか、すでにずっと先の何かを視ているような。
    ……気分が悪い。
    なんだか無性に気分が悪かった。ヤツと連隊長の眼差しに、妙な敗北感を覚えて。
    なんなんだ、こいつら。俺と何が違う?
    年齢か?それともあの人と過ごしてきた長さなのか?
    平民とはいえ、ジャルジェ家で育って宮廷を経験しているヤツ。そして、いかにも雅といった風情の連隊長。
    下級貴族でしかない俺には、そんなもの確かに無縁で理解し難い。
    でも、そんなことが関係あるとは思えない。あの人自身が、身分で人を見るようなまねを嫌っているのだから。
    それでも何かが違う。
    ヤツとこの連隊長と。
    出自も、姿かたちも醸し出す雰囲気も、似たところなど少しもない2人なのに、どこか根底の部分に似た気配がする。
    あの人を力強く護りながらも、決して縛りつけることのない度量のようなもの。俺がどれだけ想ったところで、足元にも及ばないと思せるような何かが。
    俺は直視しきれず、連隊長から目をそらした。
    しかし、この気位の高い男には、それが気に障ったらしい。
    「どうした、衛兵。あの方の急を報告に来たのは、おまえの一存ではないのだろう?どうせグランディエに頼まれて、嫌々ながらやってきた。そんなところだろう。ならばさっさと話して欲しいものだが」
    「あんた、まるで見ていたような口ぶりだな。そこまで判っているなら、アンドレの用件も聞かなくたって大方判ってるんじゃないのか?」
    「どうでしょう。グランディエには、私には計り知れないところがありますから。もっとも平民の考えることなど、私には判る必要もありませんが。ただ、狡猾なあの男のこと。慇懃無礼なほど穏やかな従僕づらをして、私がOuiと言うしかないような申し出をしてくる気でしょう」
    連隊長はそれを想像したのか、面白くもなさそうに笑った。
    「おまえには話す気がないようだな。伝令のひとつもきちんとこなせないとは、つくづくとあの方のご苦労が忍ばれることだ。だから衛兵隊などに行かせたくはなかったものを。よろしい。退がりなさい。もうおまえに用はない。鍵をかけるまでもない話だった」
    連隊長は目線で、俺を扉へと促した。
    出て行こうとする俺の背中を、連隊長の声が追ってくる。
    「グランディエには、明日の昼下がりにでもこの部屋に来るよう伝えなさい。そしておまえも来たければ来るがいい。どうやらおまえはあの方に、あさはかな恋慕を抱いているようだから」
    最後の一言は聞こえなかったことにして、あの日俺は近衛をあとにしたのだった。
    このことがあった翌日から、ヤツが出勤してくることはもうなかった。表向きはヤツの高齢の祖母が病気のため、という欠勤理由だったから、1班でも誰も不審には思わなかった。
    けれど、都合上ヤツと連絡を取っていた俺は、当然それをあの人が適当に繕った言い訳だと知っていた。
    もっともヤツと連絡を取っていたと言っても、その内容は、ヤツが勤務中のあの人の様子を一方的に聞いてくるだけのもの。俺がいくら問いかけても、その欠勤のさなかに何をやっているのかを、ヤツは絶対に言おうとしなかった。翌日の連隊長との談合で、ヤツの真意を知っていた俺にさえも。


    再び近衛の執務室を訪れたあの昼下がり。
    「お‥まえ、なに言ってんだよっ」
    声を荒げて立ち上がる俺を無視して、ヤツは連隊長に頭を下げた。
    「少佐なら、だんなさまも祝福してくださる。一刻も早く結婚して、あいつを退役させてください。あなたにならできることです」
    こともあろうか、ヤツは連隊長に、もう一度あの人に求婚するよう頼んだ。
    確かに今あの人が突然職を退けば、たくさんの人々の無責任な憶測を呼ぶ。ただでさえ常から耳目を集めるあの人だから、どこをどう突つかれて、胸を病んでいることがさらされるか判らない。けれど連隊長との結婚となれば、それを理由に怪しまれることなく、いや、むしろ円満な退役ができる。
    それがあの人の意志ではなくても、表面上はジャルジェ将軍と連隊長が、そのようにことを運ぶのだろう。
    そして治療を拒否しているというあの人を、無理矢理にでも療養生活に入れられる。
    それは、うまいと言えばうまいやり方だった。
    けれど。
    「いいのかよ、それで。隊長の気持ちは?おまえの気持ちはどうなるんだよ!」
    「頼むから落ちついてくれ、アラン。あいつの気持ちは俺には判らない。ただ、すごく自棄になっているのは確かだ。このままでは治療も受けずに無理を重ねて、医師に言われた半年すらも危ういだろう。それを黙って見ていることなど、俺にはできない」
    本人の知らぬところで進む、本人の望まぬ結婚。
    そのお膳立てをしているのがヤツなんて。
    好きな女を他の男に嫁がせるなど、俺には気が知れなかった。
    それにもしあの人がこのことを知れば、いったいどう思うだろう。
    …きっと泣く。
    本当は弱りきったその体を、さらに弱らせるほど泣くに決まってる。
    あの人がヤツを愛しているのは、俺の目には判り過ぎるほど判っていた。
    俺のためには、絶対に流すことのない涙。そんなあの人を見たいわけがない。
    俺なら絶対、そんなふうに泣かせたりしない。
    俺なら絶対に、手放したりしない。
    でもあの人は、俺にそんなことを望んでいない。
    望んでくれれば、俺はなんだってしてやるのに。
    「それで結婚か!ばかばかしい。やってられるかよ!!」
    さまざまな感情が入り乱れ、俺はぶちキレて連隊長の部屋を飛び出したのだった。


    下につづく
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