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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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    すやすやと、ああ、穏やかな眠りだ。
    今日は呼吸が落ちついている。
    肩にかかるおまえの重さ。
    首筋にさわさわとくすぐったい髪。
    『伝染ったらどうする…!』
    おまえはそう言って、一緒に眠ることを嫌がるけれど、俺はおまえを抱きよせる。
    押し返そうとする痩せた腕に、かつての力強さはない。
    しなやかな筋肉や、抑えきれない情熱をたたえた眼差しは失われ、今のおまえはただ透明に清らかだ。
    逃げようとするおまえと、腕に囲い込もうとする俺。
    ほんの少しの小競り合いなのに、おまえはすぐに息を切らしてくったりしてしまう。
    「いいかげんに諦めろ。こうしていないと俺が眠れない」
    半ば強引な腕枕。
    「それに、あんまり暴れるとおなかの子に障る」
    おまえと同じ冬生まれ。
    やはりおまえによく似た、深く青い瞳を持つ子なのだろうか。
    下腹に手を当て、ゆっくり撫でてやれば、おまえからはだんだんと逃げ出そうとする気配が消えていく。
    産み月までもうあと2か月だというのに、撫でさする手には、ともすれば浮き出た腰骨が指先に触れるほど、痩せ衰えたからだ。
    こんな状態のおまえに、子を生ませるなど。
    それは2人の間に子を持つと決めたときから、堂々巡りしている迷いだった。
    そして、その迷いに答えが出ないまま、おまえの懐妊が判ったのが夏至祭のころ。
    いいのか、これで。
    本当によかったのか?
    不安材料は山ほどあった。
    今のおまえが、出産に耐えることができるのか。
    生まれてくる子の安全は?
    『肺を病まれた方の懐妊や出産など、症例も少なく、わたしにはなんとも…』
    少佐の差し向けてくれる医師も、俺を安心させる言葉を言ってはくれなかった。
    祈るしかない、おまえと子の無事。
    そのどちらも望む俺は、欲張りなのか。
    1度でいい。おまえのすべてが欲しい。
    それすら叶わないと思っていた俺には、過ぎるほどの幸せを得たというのに。
    「…アンドレ?」
    眠りに落ちる間際、おまえは寝ぼけた舌足らずで問いかけてくる。
    微睡んでいく意識の境界にしか吐露できないことなのか、それとも世迷い言なのだろうか。
    「おまえ、怖くはないのか?」
    「…なにが?」
    「胸を病んだ女を、そばに置くことを。いつかこの病魔がおまえの身を蝕‥」
    「怖くない。まったく以て、これっぽっちも怖くない」
    まだしゃべっているおまえの台詞をひったくり、俺は言い切る。
    怖い?何を怖いことがあるものか。
    あの夕陽に染まる司令官室で、ひどく咳こみながら朱く彩られていくおまえを初めて見たときの絶望感に比べたら、今の俺に怖いものなど何もない。欲しいというなら、この命だってくれてやろう。
    「おまえは?オスカル。おまえは怖くないのか?」
    「なにがだ?」
    「子を産むことが」
    “こんな健康(からだ)で”とは、とても言えなかった。
    「俺は…怖いよ」
    ただでさえ虚弱になってしまったおまえに、子を生ませるなんて。
    “万が一”、そんな台詞は、もっと言えなかった。
    けれど。
    うとうとしたままのおまえは、ふうわりと微笑う。
    「初めての夜の方が怖かったぞ」
    密やかな笑い声をたて、そしておまえは眠りに落ちる。
    落ちついた息づかい。
    それに誘われるように、俺にも眠りの波が寄せはじめ…
    ああ。
    夢とうつつの間を漂いながら、俺は本当に微かな、けれど(さや)けき気配を感じる。
    俺に託された、ひとの想い。
    それは見えない繭のように、おまえを包んでいる。
    大丈夫だ。
    おまえはこんなにも強く護られている。
    まぶたの裏に朧に映る面影は、どこまでも耽美な物憂い微笑と、いつまでもガキっぽいヒネた(わら)い。
    途切れてきた意識のはざま、俺は小さく感謝の祈りを口にする。それがこの白い館に来てからの、眠る前の儀式だった。
    傍らで眠るおまえ。
    すっかり痩せてしまったけれど、手のひらに感じる下腹には、優しく弧を描いた生命(いのち)のあたたかさがある。

    大丈夫。きっとキミも護られているよ。
    あの皮肉屋な守護神たちに。

    おまえも知らないささやかな儀式を終えると、俺は2人で生きる明日へ向かい、夢の中へと入っていった。


    FIN
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