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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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貴賓室へ
ゲスト作家さまの作品がお楽しみいただけます。

    柔らかな陽射しに包まれる、昼下がりの小さな館。
    おまえがすっかり眠りこんだので、俺は寝台からそぉっと離れると、居間へ戻った。
    この部屋も白を基調としていて、装飾や調度品はいかにも貴族の荘園屋敷といった趣だ。
    「お嬢さまのご様子はどうだい?」
    おばあちゃんはすっかりこの隠れ住まいの館になじみ、少ない使用人を上手く使っている。
    「ちょっと吐きそうになってたけど、今は眠ってるよ」
    「そうかい。お薬をご用意したんだけどねぇ」
    居間には、煎じ薬の独特なにおいが漂っている。
    「咳がひどく出始めれば眠れなくなるんだから、今は寝かせてやって」
    おばあちゃんは薬用の茶器を引っ込めると、代わりに手紙を差し出してきた。
    数カ月に1度届く手紙。
    おまえが心待ちにしているもの。


    おまえとの関係が修復されても、俺が勤務に戻ることはなかった。俺にはやらなければならないことが、こまごまとあったから。
    おまえが少佐と結婚したら、俺はお屋敷を出るつもりでいた。
    幸い俺には、ジャルジェ家からおまえ付きの従僕としてずっと報酬が与えられていたし、目を負傷したときにはけっこうな額の補償も支払われていた。衛兵隊に特別入隊した後には、そこでの収入も加わった。基本的に衣食住はお屋敷と軍にまかなわれていたから、今それらは、平民の俺なら今後じゅうぶんに暮らしていけるだけの蓄えになっている。
    お屋敷を出たら古びた小さな家でも買い、おばあちゃんを引き取って、おまえを遠くから見守っていこうと決めていた。移り住むところを探したり、そのために買い揃えるものを下見したり、長年暮らして増えてしまった私物をこっそり処分したり、やることはいくらでもあったのだ。
    けれどもっとも骨が折れたのは、おばあちゃんを説得することだった。
    慎重に言葉を選びながら、俺はおばあちゃんに話をした。
    あの日、夕暮れの司令官室で見た光景。
    ラソンヌ先生の診断。
    俺たちが想い合っていること。
    そして、少佐に申し出た頼みごとを。
    でも、おばあちゃんは俺の言うことを信じようとしなかった。生まれたときから大切に成長を見守ってきたお嬢さまの災厄に、信じたくない気持ちの方が強かったのだと思う。
    仕方なく、隠し持っていたどす黒い血の跡が残る軍服を見せると、おばあちゃんはしばらく口も利けないほどショックを受けた。
    そして、「おかわいそうに」と干からびるほど泣いた。
    俺はおばあちゃんを慰めながら、懸命に気持ちを伝えた。
    どんなに小さくても、おまえが助かる可能性があるのなら諦めたくないのだと。
    少佐との再度の縁組みを手引きしたのが俺だと判ったら、おまえはどれほど傷つくだろう。
    それを考えれば、俺は姿を消した方がいい。
    そして俺には、たった1人の肉親を置いていくことなんてできない。
    一緒にお屋敷を出てくれるよう、おばあちゃんをなだめすかし、口止めをしつつ説得して…
    そんな日々を過ごす中、ようやく俺は、少佐からの呼び出しを受けたのだった。


    「どういうことです!?」
    事態は予想以上に大きく動いた。
    「どうもこうも、何か不満がありますか?」
    ひっそりと訪ねたジェローデル邸の少佐の私室。
    切り出された内容に、俺は即座に対応できなかった。
    「あの方を連れてお逃げなさい、グランディエ。国境を越えてしばらくの風光明媚な山あいの街に、私の遠縁にあたる人物の別邸があります。そこを買い取りました。しばらく使われていなかった小さな館ですが、今、少し手直しをさせていますから、そう不便なこともないでしょう」
    「少佐、おっしゃる意味がよく…」
    「これはまだ、上層部だけで話し合われている案件なのですが、どうやら衛兵隊にパリへの出動命令が下るようです」
    出…動?
    「市民へ向けて、ということでしょうか」
    「ええ。場合によっては穏便には済まないでしょうね」
    もし、そうなったら。
    おまえは絶対に、見ているだけなんてできない。みずから指揮を取り、渦中へと飛びこんでいくだろう。
    その、病んだからだで。
    「私はもはや王家の皆さまからも、この国からも離れることはできません。私のそばにあの方を置けば、いやでもその波に巻きこまれていくことになるでしょう」
    ああ、出動。なぜ今!
    「あの方は私の求婚を断る折に、こうおっしゃいました。『私がほかの男性の元へ嫁いだら、生きてはいけないだろうほどに私を愛してくれているひとがいる。彼が不幸せになるならば、私もまた不幸せな人間になってしまう』 と」
    おまえがそんなことを?
    「君を愛しているのかと問うと、あの方は判らないとおっしゃった。けれど」
    少佐は静かな眼差しで俺を見た。
    そこには、今まで俺に向け続けた見くだすような気配はなく、どこかもう、過去の人を見るような目をしていた。
    「けれどグランディエ。今、あの方は」
    少佐と俺は、しばらく無言でお互いの瞳の色を探り合っていた。
    が。
    やがて少佐は目をそらすと、いつも通り、俺を小馬鹿にした薄笑いを浮かべた。
    「あなた方には死んでいただく」
    「俺たちが、死ぬ?」
    「館の支度が整い次第、私があの方を呼び出します。君を伴い待ち合わせ場所に向かうあの方を暴漢が襲い、2人はとても助かるとは思えぬ重傷を負った上に、連れ去られるのですよ。目撃者は私1人。あなた方は、この世にいない人間になるのです」
    衛兵隊に、まさに出動命令が下ろうとしているそのときに、もしおまえが亡命したら。
    ジャルジェ家は、だんなさまはどれだけ糾弾されるだろう。
    きっと少佐はそこまで考えて、計画を立てているのだ。
    「少佐。俺は、」
    感謝の気持ちを伝えようとしたけれど、少佐はそれをピシャリとはねつけた。
    「君のためではありませんよ、グランディエ。勘違いされては迷惑です。それに私は表向き、この件には関わらない。もし露呈すれば、君は伯爵家の令嬢をかどわかそうとした罪に問われるのですよ?」
    「かまいません」
    「君を陥れようと、私がこの件を人に漏らすかもしれなくても?」
    俺はわざと、馬鹿にしたような薄笑いを返した。
    「あなたはもともと、俺など歯牙にもかけていない。俺のためにそんな労力を払うわけがありません」
    「…ふん。つまらぬ男だ」


    少佐との秘密の打ち合わせはその後も入念に行われ、とうとう決行の夜を迎えた。
    1789年7月。
    少佐からジャルジェ家に使いが来る。
    職務上火急の用件があるという伝令に、部屋でお茶を飲んでいたおまえは手早く支度をすると、俺を連れて差し向けられた馬車に乗りこんだ。
    闇夜の中をガラガラと進む馬車は、しばらく郊外をぐるぐると迷走する。
    「なにかおかしくはないか?」
    おまえは御者に声をかけようと腰を上げかけて…
    ぐらりと倒れこんだ。
    お茶に混ぜておいた薬が効いたのだ。
    俺が合図をすると、御者は今度こそ、少佐との待ち合わせ場所へ向かった。
    「あの方は?」
    顔を合わせるなり、少佐が聞く。
    「なかなか眠り薬が効かなくて焦りましたが、今は…」
    「そうですか。では人目につかぬうちに、あちらの馬車へお移しして」
    「あの!それは…少佐が。オスカルはあなたにお任せします。俺はアランと偽装工作をしなければなりません」
    少佐がぐったりと正体のないおまえを抱き上げ、馬車から降ろす。
    俺は物陰にたたずんでいたアランに声をかけ、乗ってきた馬車に工作を始めた。
    さも襲われたかのように、あちこち傷をつける。
    作業の手を動かしながらも、アランがおまえを気にしているのが判った。
    『やってられるか!』
    そう言って出ていったアランだったが、この男がおまえの一大事にじっとしていられるはずがない。
    結局は、この一件に荷担したいと申し出てきたのだ。不承不承、少佐に詫びを入れて。
    「おい、あんた!」
    少佐が移送用の馬車におまえを乗せようと身をかがめた瞬間、アランはおまえに駆け寄ると、金色の髪を一房つかみ、ざっくり切り落とした。
    「なにを!」
    「馬車の客室に落とすんだよ、信憑性出るだろう?」
    アランはほんの一瞥、少佐の腕の中で眠るおまえに目を向けた。とても深い眼差しで。
    けれどすぐに戻ってきて、馬車の工作を再開した。
    馬車の客室内に用意しておいた動物の血をたっぷりとまき、切り落とされた金髪を無造作に散らす。
    それを俺は横目で見ていたけれど、アランがこっそりとハンカチに僅かばかりの毛束を包むのを、気づかないふりをしていた。
    「おい、アンドレ。意識のない隊長と少佐をあっちの馬車で2人きりにしていいのか?気取った顔してるけど、ああいうヤツはけっこうエロいんだよ。しらばっくれて、くちづけぐらいはするかもしれない」
    「そうかもな」
    「そうかもっておまえ、なに呑気なこと言ってんだよ」
    「うーん… だとしても初めてじゃないしさ」
    「なんだそれ」
    「気にするなよ。おまえもやったコトじゃないか。まぁ、一瞬でもあいつをその気にさせただけ、少佐の方がうまかったけど」
    「な‥なんだと!?」
    目を剥くアランを、俺は抱擁した。
    「ありがとう、アラン。いつかまた、会えますように」
    「冗談じゃねぇや。誰が死人に会いたいもんか。死人はあの世で好きなだけイチャイチャしてりゃいいんだよ」
    ぷいと顔をそむけるアラン。
    相変わらず耽美で、ド貴族な少佐。
    本当にもう、このひとたちに会うことはないのだろうか。
    ──この夜。
    俺たちは永遠に、ベルサイユをあとにしたのだった。


    ふた月に1度か、み月に1度届く手紙。
    それはパリ、そしてベルサイユの情勢を伝えるものだ。
    この館に移され、目を覚ましたおまえは、状況を覚ると怒り狂った。今すぐにベルサイユに戻ると暴れ、怒鳴り、体力が尽きると泣いて懇願した。
    少佐が手配しておいてくれた医者も拒否し、隙あらば脱走しようとするので目が離せず、仕方がなくて部屋に錠前をつけて閉じこめたりもした。
    仕事を取り上げられ、この世にいない人間となったおまえは、張りつめていた緊張と気力がぷっつりと切れたようだった。
    転げ落ちるように悪化する病状。
    ひと月もすると起きることもできなくなり、脱走の心配すら要らなくなった。
    そんなになってもおまえはお屋敷に帰りたがり、残してきた隊員たちや祖国、王妃さまに思いを馳せ、胸を傷めていた。
    生きようとする前向きな力が少しも感じられず、俺の心も、もう崩れるギリギリだった。
    そんな日々のさなか。
    待ちかねた救世主が来てくれた。
    おばあちゃんだ。
    おばあちゃんは居間へ入ってくるなり、さっそくペラペラとしゃべり始め、俺たちの失踪事件は少佐の証言をもとに『暴徒と化した市民たちによる貴族狩り』とされていることを教えてくれた。
    大急ぎで犯人たちの似顔絵が作られ、その捜査には衛兵隊の1班があたっているとか。
    だんなさまと奥さまの嘆きは深く、ことに奥さまは悲しみのあまり伏せってしまったそうだ。
    そうした中でおばあちゃんは、俺との打ち合わせ通りに退職を申し出た。おばあちゃんが誠心誠意ジャルジェ家に仕えてきたのは、周知のこと。誰もが疑いもせずに、命よりも大切なお嬢さまを失ったショックからだろうと理解し、気遣ってくれたという。
    「黙っているなんて、だんなさまと奥さまに申し訳ない」
    おばあちゃんはくすんと洟をすすった。
    そして、待ち切れぬと言わんばかりに、病室兼おまえの部屋を訪ね… 凍りついた。
    艶を失った髪。土気色の顔。
    手を借りなければ半身を起こすこともできないおまえを見て、俺はおばあちゃんがショックで倒れるのではないかと身構えた。
    けれど。
    俺はおばあちゃんを甘く見ていた。
    これだけ大きく育った孫に、平気で恐ろしいほどのヤキを入れるババアなのだ。肝の太さは半端ではない。
    なんとおばあちゃんは、本当にフラフラでヨロヨロにやつれたおまえを叱り飛ばした。
    「このばあやの目が届かないのをいいことに、また好き嫌いをしてお食事を残しているのでしょう!」
    そういう問題か!?
    おばあちゃんのこの発言に、おまえは呆気に取られてぽかんとした。
    俺だって度肝を抜かれたけれど、おばあちゃんはのしのしと厨房へ向かい、俺たちが子供の頃によく食べたおやつを作り始めた。
    だんだんと漂ってくる、懐かしく美味しそうな香り。
    オスカル?
    おまえの顔色に、心なしか赤味が射した気がした。
    そして俺の感じた予感は正しく、おまえは出されたおやつをきれいに食べた。
    それは2つや3つの幼児に出されるような量だったけれど、俺がどんなに機嫌を取っても、どれだけ怒っても、自発的には食べようとしなかったおまえの大きな変化だった。
    これは、いいかもしれない。
    おばあちゃんは、おまえをまったく病人扱いしなかった。
    まるで子供の頃のように叱っては尻を叩く。
    俺は毎日ハラハラしながらそれを見ていたけれど、ある日気がついた。
    おまえに明るさが戻ってきていることに。
    病状はさほど好転していなかったが、顔つきがしっかりし、何気ない雑談も口にするようになっていった。
    それまでは『皆のところへ戻り、最善を尽くした末に死にたい』とか『こそこそと隠れ住んで、僅かばかり生き長らえたところで意味がない』とか、そんなことしか言わなかったおまえ。
    それが、花の色や鳥の声、雨や風や…そういったものがだんだんと目に入るようになり、少しだけゆとりができ始めたみたいだった。
    そして俺自身にも、おばあちゃんが来て気づいたことがあった。
    俺もまた、知らず知らずに病んでいたのだ。
    おまえを1人で逝かせる気などなかった俺。
    この小さな館でおまえだけを見ているうち、いつの間にか「死」に酔っていた。おまえと2人、限りない愛の中で共に逝けるのなら、それも本望だと。むしろ幸せなんじゃないかと。
    あの頃を振り返って、おばあちゃんは笑う。
    「2人して、すっかり死神に魅せられた顔をしていたよ」
    ゾッとして、内心は卒倒しそうだったそうだ。
    おまえが気力を取り戻し、ようやく治療を始めてから、俺はやっと別れ話を切り出した。
    おまえのことは、おばあちゃんに任せておけばもう心配はない。あとの気がかりは、肉親の縁に薄いという、俺の持つ宿業だけだった。
    今思えば馬鹿みたいだけれど、縁起の悪いものはすべて遠ざけたくて、俺はその俗信がかった思いに凝り固まっていた。
    俺がそれを静かに告げると、おまえは泣いて嫌だと言った。もう1人では生きられない、と。
    病みやつれて、透けそうなほど儚いおまえ。
    こんなおまえを置いて、やっぱりどこにも行けない。
    「死ぬまでそばにいてやるぞ」
    俺たちはからみつくように抱き合った。
    思わず2人して号泣し、そしてその後、おまえは涙の溜まった目でニヤリと笑った。
    「あれだけたくましいおばば殿がいて、どこが肉親の縁に薄いというのだ。ばあや1人でじゅうぶんお釣りが来るではないか」
    …そりゃそうだ。
    俺たちは久しぶりに爆笑し、そのとき、甘い共死の呪縛が完全に解けたのを感じた。
    「諦めずに治療を受けるから。だからおねがいだ、アンドレ。判る範囲でいい。なにが起きているのか、本当のことを教えて欲しい」
    かつての力強さを取り戻した青い瞳に、俺は頷き、約束した。今パリで起きていることも、おまえの病状も、いいことも悪いことも全部、一緒に受け止めていこうと。
    「2人ならきっと大丈夫だ。子供の頃からそうだったろう?」
    それ以来、ときおり届くのがあの手紙なのだ。
    じゅうぶんな注意を払って届く、オスカル・フランソワ宛てでもアンドレ・グランディエ宛てでもない手紙。
    そこには、国民衛兵の内部の者しか知らないはずの情報が綴られていた。
    お互いの安全のために、無記名で届く手紙。
    おまえはなにも言わないけれど、見慣れたその筆跡から、誰が書いたものなのかをきっと気づいているだろう。
    そして。
    誰よりも聡明に、誰よりも誇り高くオスカルを愛していたあの(ひと)は、その後も何くれとなく行き届いた気遣いをしてくれたけれど、決してその気配をおまえに覚らせることはなかった。
    …少佐。
    見事なひとだ、あなたは。


    テュイルリーでの市民への発砲。
    バスティーユ陥落。
    ヴァレンヌ逃亡。
    タンプル幽閉。
    数ヶ月遅れの手紙が届くたびにおまえは調子を落として、俺とおばあちゃんをヒヤヒヤさせた。
    けれど『あと半年』と言われたおまえは今、ちょっと見、普通の生活ができるぐらいまで回復してくれた。
    これ以上元気になったら、今度こそ脱走して、まだまだ続く動乱の渦に身を投じてしまいそうだ。
    ……でも。
    それはもうない、かな?


    午後の陽射しが西陽に変わる頃、おまえが居間に顔を出した。1人だけいる侍女が、煎じ薬の調合を始める。
    おばあちゃんは、おまえの肩に薄手のストールを着せかけた。
    「手紙!」
    テーブルに置かれた、いつもの封筒。
    「いつ届いたのだ?起こしてくれればよかったのに」
    目ざとく見つけたおまえが手を伸ばすと、それより早く、おばあちゃんが手紙を取り上げた。
    「お食事を全部召し上がったら、見せて差し上げます」
    まったくの子供扱いにおまえはふてくされ、それを見た侍女がクスクスと笑う。
    「でも、ばあやさんがそう言うのも判りますわ。このところ奥さまはまた少し、お痩せになったようですもの」
    おばあちゃんが、食べやすく切り分けた果物をおまえの前に置く。
    「これなら少しはすすむのではありませんか?この時期、食べられなくて一時的に痩せることは珍しくありませんが、お嬢さまは普通の人とは違うのですから。いっそう自覚してくださらないと!」
    「まぁまぁ」
    俺はあいだに割って入った。
    あんまり食べろ食べろと強要すると、またおまえがヒステリーを起こす。
    「しかし意外だったなぁ。おまえがこんなにつわりで苦しむなんて」
    俺が下腹部に手を伸ばすと、おまえは、今度は払いのけずに触らせてくれた。
    まだそれほど目立っていないおなか。
    ここに俺たちの子がいるのだ。
    平民の俺の子を、当たり前のように産むと言ってくれたおまえ。
    「楽しみだな。もし女の子であれば、性格はおまえに似て欲しいものだ。私似の女児など考えたくもない」
    懐妊が判ったとき、喉をならしてクックと笑っていた。
    おまえに似た女の子。
    想像しただけで、すでに嫁にやる気はしない。


    俺がねじ曲げてしまったおまえの人生。
    この館に来て、おまえは幸せか?
    「アンドレ、おまえもこれを飲んでみろ。とても人の飲む代物ではないぞ」
    つわりを抑えるという煎じ薬に、しかめっつらをするおまえ。
    俺の妻と呼ばれて、おまえは今、幸せなのか?
    ずっと聞くことができなかったけれど、今夜、おまえがまどろみ始めたら、そっと聞いてみようか。


    俺は幸せだよ、オスカル。
    この選択が正しかったのかは判らない。
    あのままベルサイユに残り、おまえと共に出動していても、俺はきっと幸せだったと思う。
    それがどんな結末だったとしても。
    でも最近、俺には欲が出てきてしまった。
    おまえと俺に少しずつ似た天使。
    どうか無事に会わせてくれ。

    そうしたら俺は、もっと幸せになれる。


    FIN
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