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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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    「隊長がいたからベンチじゃ聞けなかったけど、アンドレはなんで寝返ったんだと思う?」
    この際、球切れなんか気にしていられず、ルイがガンガン雪球を放り込みながら言った。
    「知るかよっ」
    アランも球切れなんかまったく気にしていない。
    障壁B~C間の攻防はチーム・ジャルジェにとっては不利だけれど、バックスからの補球を受けやすい利点がある。
    アランもルイも、体力に任せて撃ちまくっていた。
    それでも、基本的な能力が高いチーム・ジェローデルを押さえきれない。
    ちっくしょう、気分悪りぃ。
    隊長の元求婚者だとかいう近衛連隊長も、あの夜の陸軍連隊長も、寝返ったアンドレも!
    アランはもはや、雪球に八つ当たりする勢いで投げ倒している。胸のもやもやが収まらなかった。
    彼女とアンドレの違和感には、試合開始直前から気づいていた。
    ラビリンスから戻ったアンドレの様子がおかしいのも感じていたし、ボーナスフラッグを奪取してフィールドに帰ってきた彼女が、ひどく不安定だったのも一目で判った。
    そしてその直後、アンドレは突然寝返って。
    「あー、むかつく!」
    アランは障壁Cから身を乗り出すと、1番最初に目に入ったジェローデルに渾身の力をこめて雪球を(はな)った。
    余所を見ていたジェローデル。
    コースは悪くなく、“これはやったか!?”と思ったが、ジェローデルが被弾する直前で、アンドレがラビリンスの壁に押しつけるようにしてかばった。
    「アンドレ、てめぇ邪魔すんな!」
    おまえのせいで隊長はなぁっ!!
    ハーフタイム中、彼女の手当てをしていたアラン。
    襟元から無理に出した肩が思ったより華奢で、腕も細くて、でも触れたらしっとりした肌が柔らかくて、とても直視できなかった。憎まれ口を叩きながらアイシングするあいだ、ずっと目をそらしていたけれど、彼女がときおりさりげなく目元を押さえていたのをアランは気づいていた。
    それなのにてめぇっ!!
    「落ちつけよ、アラン」
    ルイが背後で囁く。
    「アンドレがなんの考えもなく寝返るわけないだろ」
    「るせぇ」
    そんなこと、ルイに言われるまでもなく判っている。
    だから頭にきてんだよ。
    なんかあるなら言ってくれりゃ良かったんだ。
    結局おまえら秘密主義か。
    気に入らねぇけど、俺はおっさんを仲間だと思ってたのによ!
    「アラン、下がるぞ。フランソワもだ。障壁Cは捨てるしかない」
    惜しげもなく雪球を撃ちこみながら下がるルイとフランソワ。
    しかし、アランは気持ちがおさまらない。
    ルイに腕をつかまれて、障壁Bへと引きずられながら叫んだ。
    「出てこいアンドレ!勝負しろ!!」


    障壁Cを陥落させたチーム・ジェローデルは勢いづいていた。チーム・ジャルジェ・フラッグを狙うのは駿足自慢のブルデュが受け持ち、フェルゼンがそれを援護する。
    オスカル・フランソワはまだかろうじて的確な牽制を撃てていたけれど、彼女の集中が乱れているのがフェルゼンには見てとれた。
    傍目には気づかれていないが、青い瞳には甘さと怯え、とまどいが揺れ動いている。
    仄かに見え隠れする、傷つきやすい女の顔。
    かつて舞踏会で踊ったときの彼女がはっきりと思い出された。
    あのとき君を受け入れていたら。
    フェルゼンにとって愛するひとは王妃ただ1人。
    それは揺るぎない事実なのに、なぜこれほど彼女に惹かれるのか。フェルゼン自身にもよく判らなかった。
    若き日の思い出ゆえにより美しく想えるのか、失くしたものが今さら惜しいのか、それとも…王后陛下(あのかた)との救いのない関係に疲れ、それを君で癒やそうとしているのか。
    自分の汚さに失笑が浮かんだ。
    彼はブルデュの援護を装いながら、彼女を掠めるように雪球を撃ちこむ。
    注意を喚起され、顔を向けたオスカル・フランソワの視線を強引にからめていくと、彼女がより混乱していくのが判る。
    オスカル。君をもう1度…


    流れ球がバックスにまで届くほど、チーム・ジャルジェは劣勢だった。
    フォワードに送球しながらフラッグを守るオスカル・フランソワは、暇ではなかった。余計なことを考えている場合ではないのに、余計なことしか考えられない。
    無視しようと思えば無視できるのに、無視したくないような、胸の奥の奇妙な気持ち。
    攻防の舞台はチーム・ジャルジェ・フラッグに近づきつつあり、バックスからでもじゅうぶん攻撃に参加できる距離になっていた。それはつまり、プレイ中のアンドレがより近くなったということ。
    彼はチーム・ジェローデルのバックスから届く雪球を、メンバーに中継していた。
    その絶妙なタイミング、絶妙な位置。
    激しく雪球が飛びかう中を泳ぐように、彼はパスを回していく。
    ちょっとそれた送球も器用に拾う手元。
    無理なパスも通す強い肩。
    流れるようなフォームがきれいだった。
    なんで今まで気がつかなかったんだろう。
    見慣れたはずの彼なのに、目を惹かれてどうしようもない。
    けっこう厚い胸とか、首から背中への骨太なラインとか。
    まるで初めて見る男のよう。
    うっすらと滲む汗に湿り気を帯びた黒髪がひとすじ頬に張りついていて、それが妙になまめかしかった。
    男だと意識したこともなかったのに、おまえがこんなに男だったなんて。
    …だめだ。こんなときに何を考えている!
    集中。試合に集中しないと。
    彼女は意識して彼から視線を外すと、アランたちの持ち球を確認した。
    よし。今はまだじゅうぶんだな。なぜかアラン用ばかりだけれど、作り置いた雪球もかなりあるし。
    ちょろちょろとフラッグを狙ってくるチーム・ジェローデルの鬱陶しいフォワードを牽制する。
    執拗にフラッグ付近をうろつくブルデュ。
    こいつをなんとか片付けたいが…
    残り少ない試合時間。
    ここまで攻め上がられている以上、チーム・ジェローデルのフラッグを抜くのはもう無理だった。1アウトを先取しているチーム・ジャルジェには、ゲームセットまで逃げ切るしか勝機はない。
    あと数分、誰も被弾せず、チーム・フラッグを抜かれなければよいのだ。
    バックスからチーム・フラッグを守っている彼女の責任は重かった。
    それが判っているのに。
    ああ、だめだ。こんな気持ちのままでは。
    オスカル・フランソワは胸に手を当てると、雑念を払うように深く息を吐く。
    しかし、落ちつこうと自分を律する彼女の邪魔をするように、足元で雪球が跳ねた。
    反射的に顔を向ける。
    撃ちこんできたのはフェルゼンだった。
    18で出会って初めての恋に落ちて、でもずっと見つめるだけしかできなかった男。
    足元で跳ねた雪球が流れ球ではないことは、フェルゼンの目を見れば判ることだった。それはさながら、寝台で女の反応を見る男の目。
    その目に彼女は、ラビリンスで自分が漏らした言葉を思いだした。
    『定点カメラに‥映…る』
    壁に囲いこまれて、至近距離で顔をのぞきこまれ、何をされようとしているのか判っていて、途切れ途切れにつぶやいた女でしかない台詞。
    追いつめられて、何も考えられなくて。
    カメラに映らなければ…
    人に知られなければ、フェルゼンにくちづけられたいと私は思ったのだろうか、心の奥底で。
    …いけない。あと数分、しっかりしなければ。
    集中だ、集中!
    彼女はフェルゼンにとらわれそうになった心を立て直すと、左手で握っていた雪球を右手に持ち替えた。
    力を入れると、肩に鈍い痛みが走る。
    それは。
    『行くな。頼む』
    あのとき強く抱きしめられた、彼の手の力強さに似ていた。
    アンドレ。
    おまえはもう私を見てくれていないかもしれないけれど、どうかあと少しだけ。
    アンドレに与えられた肩の痛みが彼の存在に感じられ、彼女の中で、苦痛がおかしな気持ちよさになる。
    走りこんでくる駿足のフォワードに、彼女は手加減のない一球を放った。
    牽制などではない、仕留めるための一球。
    後半戦が始まってから、ずっと左で投げていた彼女。そのスピードに慣らされていたブルデュは、本気で投げこんできた彼女の右に反応しきれなかった。
    よける動作すらとれず、彼は肩先を弾かれる。
    「たたた隊長っ、やたっっ!」
    普段以上に噛みながら、ジャンが歓声があげた。
    これで2アウト。
    「っしゃ!」
    ルイもフランソワも、フィールド上で思わず声をあげた。
    テンションが上がりきって感覚が研ぎ澄まされ、チーム全員、同じことを考えているのが互いに判る。
    『ゲームセットまで、絶対に逃げ切る』
    湧き上がる高揚感。
    でもその感覚は、彼女にとって足りないものを際立たせた。
    こんなとき1番近くにいてくれるひと。
    振り仰ぐといつも微笑ってくれたひとは今、彼女を一瞥することもなく自分の仕事に徹していた。
    息を切らして激しい攻防を展開している相手は、アラン。
    彼女がブルデュを刺している間に、アンドレとアランの一騎打ちが始まっていたのだった。
    もともと身体能力の高い2人の真剣勝負。
    危なくて、フィールドにいる両チームのフォワード全員が障壁の陰で固まった。めまぐるしく位置を変える激しい争いに、下手な援護も撃てやしない。
    「やっと出てきたな、アンドレ」
    アランは溜まりに溜まった苛立ちをこめて、容赦ない勢いで雪球を投げつけている。
    ハーフタイムのベンチ奥で、手当てを終えた彼女がアランを見上げて笑いかけたとき、その瞳に涙のあとはなかった。
    でも、光の加減で微かに判った。
    濡れたまつげ。
    隊長とあの陸軍連隊長とはたぶん、過去になんかあったんだろう。そしてラビリンスでも… なんかあったんだろう。あれだけ不安定になるほどに。
    でもあの女は、俺の前でなんか泣かない。
    もし泣いてくれたら、俺にだって優しい言葉ぐらい言えたのに。
    あのベンチ奥の薄暗く囲われたスペースで、髪を撫でてやるとか肩を抱いてやるとか、したくなかったわけじゃない。だけど、絶対に俺の前で泣いたりしないのは、判かりきっていたから。
    俺にできることはせいぜい足でも引っかけて、周りのヤツらから精神的な動揺をごまかしてやるぐらいのことしかねぇじゃねーか。
    アランは一気に間合いを詰めて、ドスの効いた小声で言った。
    「隊長はな、おまえの前でしか泣けないんだよ。それを、おまえが泣かせてどうする!」
    「あいつ、泣いてたか?」
    彼女の腕を捻り上げたときから、まったく表情を変えなかったアンドレが、わずかに感情を現した。
    「あの女が俺のま… 人前で泣いたりするかよ。肩をアイシングしたとき、ちょっとばかり濡れたまつげが見えただけだ」
    鋭く雪球を投げながら、再びアランは間合いを開く。
    しかし今度はアンドレの方がアランを追った。
    アランが下がろうとする足元に、雪球を撃っていく。
    アランのひとことがひっかかり、ただでさえ不快な気分がさらに荒れだすのを抑えきれない。
    肩をアイシングした?
    彼女が隊員たちの前で、肌を見せるなんてあり得ない。
    なら、アランにだけ、2人きりで?
    まつげが濡れているのが判るほどの距離で!?
    彼の頭の中に、少々過剰気味なイメージが浮かんだ。
    手の中の雪球を、本気でぶつけてやりたくなってくる。
    「アラン。おまえ、あいつに何をした?」
    「別になんもしてねぇよ。弱ってる女になんかするほどバカじゃねぇ」
    そう言いながら、けれどアランは、彼を挑発するようにへらへらと笑って見せた。
    「でもやっぱ、金のかかってる女はいい体してんな」
    「貴様!」
    「冗談だバーカ。そんなに心配だったらなぁ、どんな理由があったって離れんなよ!」
    いつラフファイトになってもおかしくない様相の2人。何を言い争っているのか判らないけれど、伝わってくる緊迫感にルイもフランソワもハラハラしている。もしアランがもめごとをおこせば、ルール違反で負けるかもしれない。
    詰めては開く2人の間合い。
    アンドレは正確な球筋でアランを追いつめる。
    もうチーム・フラッグを背にするぐらい、アランにはあとがなくなっていく。
    「やばいわ、アラン」
    ルイとフランソワは、アランをフォローすべくアンドレに雪球を投げかけた。
    しかし、ジェローデルとフェルゼンがそんなことを許すはずもなく、そこから一気に障壁B~C間は、激しい交戦に転がっていった。チーム・ジャルジェサイド2カ所で繰り広げられる終盤の総力戦。
    その中で彼女が、彼だけを見ていた。
    アンドレとアランの争いが、フラッグに近づき始めた頃から気がついたのだ。
    彼が本当は、アランに当てていく気がないと。
    寝返った立場上、アランを激しく攻めているし、2人は何やら厳しい表情で言い争ってはいるが、それでも幼い頃から長い時を彼と共有してきた彼女はそう感じた。
    落ちついて。気持ちをクリアにして。
    フェルゼンのことも、アンドレの寝返りも頭の中から追い出して、感覚を澄ましてみる。
    まっさらになった心にしみてくるのは、チームを包む彼の気配。
    ああ、私はばかだ。
    おまえは優しい。いつだって優しい。
    優しさを感じさせないほどに優しくいてくれるから、私はいつでも甘えすぎて。おまえが離れていくまで、甘えていたことにも気づかなかった。
    アンドレはアランに当たるギリギリのラインで雪球を撃っている。
    身をかわしながら、アランはアンドレと距離を保とうと、じりじりと後ずさる。
    バックラインの内側からチーム・フラッグを守る彼女の近くまで、アランは下がっていた。
    そして、そのアランから数メートル向こうに彼がいる。
    アンドレ、私…!
    駆けよりたいのに、彼女の前にはバックラインが引かれている。バックスのオスカル・フランソワは、このラインから出られない。
    私たちはもう隔てられてしまったんだろうか。おまえはもう、ラインの向こう側を選んでしまったんだろうか。
    彼がチームを思ってくれていることは判っても、その優しさがまだ彼女にも残されているのか、喪失感の癒えないオスカル・フランソワには、もう判らない。
    前半戦が終わったとき、立てずにいた彼女は、彼がチーム・ジェローデルのベンチへ向かうのを止めることができなかった。彼が寝返ったことが信じられなくて、顔色も変えずに捻られた肩が痛くて、何か言いたかったけれど言葉も見つからなくて。
    今だって、彼に感じ始めた新しい気持ちをなんと呼べばいいのか判らない。
    でも伝えなきゃいけない気がする。
    おまえは聞いてくれるだろうか。
    きっとうまく言えない。
    でも聞いて欲しい。
    聞いてくれるだけでいいから。
    アンドレとの間合いを計りながら少しずつ移動していたアランが、チーム・フラッグをはさんで彼女の対角線上にくる。
    その線の先にアンドレ、そして障壁Cの攻防が見える。
    考えるより先に、雪球を握る右手が動いた。
    肩が痛むのもかまわずに、彼女はアランの肩ごしすれすれで、アンドレに向かって力いっぱい雪球を投げこんでいた。
    背後から首筋を掠めた雪球に振りかえるアラン。
    その隙をフェルゼンが見逃さなかった。
    「フェルゼン伯、投げてはいけない!」
    フィールドに、ジェローデルの声が響く。
    彼女の(はな)った雪球を、アンドレは小さく笑うと最小限の動作でよけた。
    そしてその雪球はまっすぐ対角線をたどり、フェルゼンへと向かう。アンドレとアランの陰になり、オスカル・フランソワが見えていなかったフェルゼンには、この急襲がよけきれなかった。
    雪球から身を守ろうと反射的に手を上げたフェルゼンだったが、その行為は裏目に出る。
    手に当たった雪球はそのまま弾かれ、少し離れたところにいたジェローデルの頬に傷をつけた。
    キャプテンの被弾!
    美しい顔に赤い雫を引きながら、ジェローデルはもう、フェルゼンに対する不愉快な表情を隠さなかった。
    フェルゼン伯。
    あなたは本当に余計なことをしてくださる。
    まったくもってフェルゼンの行動は、ジェローデルにとって二重に余計なこととなった。
    フェルゼンがアランに向けて投げた雪球。
    もちろんアランは、それを難なくよける。
    けれど突き抜けた雪球は、そのうしろにいた彼女の、傷めた右肩を直撃した。
    舌打ちするジェローデル。
    だから投げてはいけないと言ったのに、この男!
    右肩を押さえ、うずくまるオスカル・フランソワ。
    そしてフィールドに響きわたる試合終了のラッパ。


    判ってた。
    なぜだかあのとき、私にはおまえがよけてくれるのが判ってた。だから力いっぱい投げられたんだ。
    アンドレ。
    私たちの絆はまだ、つながっていると思っていいか…


    8につづく
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