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【待ち人薫る 序章 SIDE Oscar】 (2012/ 夏企画)
UP◆ 2012/7/12「オスカルさま!?どうなさいましたの?」
湯浴みも終盤にさしかかった頃、私はヘナヘナとへたり込んだ。世話に付いていた2人の侍女が、取り乱した声をかけてくる。
「しっかりなさってくださいませ、オスカルさまっっ!!」
「お水でも飲まれます?」
私は目を閉じたまま、小さく首を振る。
「大‥丈夫。ただの湯あたりだ」
そう言いながらも姿勢はずるずる崩れ、やがて私はぐったりと横たわった。
「オスカルさまぁっ」
「あたし、ジュリさん呼んできます!」
泡を食った侍女が、湯殿を飛び出していく。
「…オスカルさま…オスカルさま…」
残った侍女は不安そうに私の名をつぶやきながら、濡れた髪をタオルで包み、優しく体を拭いてくれている。
「…ぅ…」
私はさも具合が悪そうに、顔をしかめて軽くうめき声などを上げてみた。
といっても、それはあながち嘘ばかりではない。
普段よりも時間をかけた湯浴みに、本当に軽い湯あたりを起こしていた。
今日の世話係の侍女を伴い、私が湯殿に入ったのは、かれこれ軽く1時間以上も前。
彼女らに服を脱がされ、普段通り、気楽に湯を使い始めたのだったが。
「待て」
浴槽に香油を落とそうとした侍女の手を、私は止めた。
「香りを…変えたいな」
「まぁ、お珍しいこと。いつもはわたしどもに任せきりですのに」
香油の並んだトレイを差し出して、侍女は不思議そうな顔をする。私はその中から1つ1つを取り出して、香りを確認しながら、さり気なく言った。
「明後日にはまた、通常の勤務に戻るだろう?だから今夜の湯浴みは、久しぶりにゆっくり香りでも楽しもうかと思ってね。勤務に戻れば、また慌ただしくなるのは目に見えているからな」
まさか“これから過ごす一夜のために、ふさわしい香りを選びたい”とは、言えない。
もっともらしい言い分に、侍女は疑うことなく、にこにこと頷いた。
「それもそうですわね。では、今日のお湯はどのような香りになさいます?」
「うーん… 華やかではあるけれど、押しつけがましくないものがいいな。ふわりと柔らかく薫るような」
「あら、本当にお珍しいこと。今夜は女性的な香りをご所望ですのね」
ドキン。
「そ…っ、そう、かな」
侍女の言った『今夜は』のひと言が、胸に響いた。
今夜。
そう、今夜。
長年の幼なじみだった恋人と、私はついに結ばれる。
生まれてこのかたの純潔の身とも、今日でおさらばなのだ。
さして気にしているつもりはなかったが、やはり30も過ぎて純潔というのは、なんとも言えないものがある。
王后陛下は14で嫁いで来られたし、我が姉たちも14や15で嫁にゆき、さくさくと子をなした。
このままでは、いくらもしないうちにル・ルーまでもが人妻となり、一族の中で清い身なのは私だけという、いいんだか良くないんだか、ある意味、今以上に皆が気を使う存在になるのは目に見えていた。
しかし、だ。
さまざまな紆余曲折を経て、ようやく私にも恋人ができた。
ずっと長い間、私だけを見、私だけを愛してくれていた恋人が。
ああ、アンドレ。
まさかおまえと恋仲になるなんて思いもしなかったけれど、今となってみれば、私は心の奥底でずっとおまえを愛していたような気がする。
いや、愛していた。
きっと生まれる前から。
互いの想いが通じ合ったのはほんの一昨日。それで、もう……というのは早いと思わなくもないが、2人のこの盛り上がりを外す手はあるまい。
ここだけの話だが、恋人同士になってから知った彼のくちづけはとろけるようで、ほんの少し体に触れてくる手のひらも心地よくて、正直なところ私はもう、その先が気になって仕方ないのだ。
ふっ。待ってろよ、アンドレ。ふっふ。
「ふっふっふっふ」
「…さま?あの、オスカルさま?」
はっ!
私は気を取り直し、侍女に注意を戻した。
若干、気味悪そうに私を見ている侍女に。
「え…っと」
「ご所望の香油ですが」
「あ、ああ。そうだったな。すまない、なんだか少し…めまいがして」
ごまかすにしてもお粗末な台詞だったが、今後の展開を念頭に置いて、私は額に手を当てながら、伏し目がちな表情を作って見せた。
我ながら芸が細かいではないか。ふふん。
「まぁ、めまいなんて。大丈夫ですの?」
「それより、香油を。なにかお勧めのものはあるの?」
つっこまれるのを避けたい私は、話を先に進めるべく侍女を急かす。
すると、侍女の1人がいったん湯殿を出て行き、でも、すぐに戻ってきた。可愛らしい香油瓶を手にして。
脱衣用の前室のキャビネットから取り出してきたのだろうか。
「こちらはお屋敷お抱えの調香師が、試作品として奥さまへ献上したものだそうですの」
「それがなぜここに?」
母付きの侍女から伝え聞いたところによると、母はその試作品を受け取らなかったのだという。
母の住まう“奥方の棟”を訪ねた調香師が、恭しく差し出した薔薇色の小瓶。
それを手に取った母は、普段通りに丁寧に香りを聞いた。
『とてもよい香りですこと』
『ありがとうございます』
気に入っていただけたと感じた調香師は、いっそう恭しく膝をついたが、しかし母はそれを収めようとはしなかった。
『奥さま?』
『でもこれは、私には少し若いのではないかしら』
そう言うと侍女を呼び、香油を預けた。
『ついでのときでいいわ。この香油を“次期当主の棟”へ届けておいてちょうだい』
『オスカルさまへお譲りになるのですか?』
『これがだんなさまにお似合いになるとでも?』
ついでのときでよい。
その言葉通り、香油はすぐに届けられることはなく、つい昨日、私付きの侍女たちの手に渡ったとのことだった。
「それでまだ、キャビネットにしまわれていたのだな」
「ええ、それに」
侍女がほんの少し栓を緩めて、香油を私に差し出す。
手の中から、湯殿の湿った空気に、だんだんと混ざってゆく香り。
「…これは」
私ともう1人の侍女は、思わずクスクスと笑ってしまった。
「確かにこの香りは、奥さまには少々お若いかもしれませんわねぇ」
「うーむ、ちょっとな」
流れ出てきた香りは、ほんのり甘く可憐で、大きな娘が6人と、孫までいる夫人の使うものとは思えない。まして、我が父上には。
まぁ、入浴用の香油など、他人さまにアピールするためのものでなし、良いと言えば良いのだろうが…
「調香師も何を思って、このような香りを奥さまに献上したのでしょう」
「奥さまはいつも、お立場に相応しく、気品のあるゆかしい香りをお好みですのに」
しっとりと広がった香油は、今や湯殿に満ち、私は手にしていた小瓶を浴槽に傾けた。
「オスカルさま?これでよろしいんですの?」
普段の私ではまず好しとはしない女性的過ぎる香りに、侍女が意外そうな声をあげる。
「もうこれだけ湯殿に香りが満ちているのだし」
それに。
包みこんでくる芳香の中に、なにか私の根幹を揺らすほのかなものが潜むのが感じられたのだ。
私を誘い、惑わすような。
「今宵はこれにする」
浴槽にとろりとろりと落とされて、湯に流れこんでゆく香油。
そこに侍女たちが、普段使いの肌によいエッセンスだのなんだのを加えてゆく。
私は湯が整うと、湯浴み着をするりと脱ぎ、浴槽へと浸りこんだ。
身分の高い姫などは、湯浴みのときにも素肌を見せぬというけれど、私は関係なくいつも素っ裸になってしまう。
濡れてまとわりつく薄布が気持ち悪いし、所詮、私も侍女たちも胸には乳首がついており、肝心な部分には毛が生えていて、隠したところで、どうせ似たようなものなのだもの。
…さて。
私が半ば寝そべるぐらいに浴槽に浸かってしまうと、侍女たちはいつものように、前後左右から私を磨き始めた。
私はそれに任せながら、今宵のことを考え始める。
まずは、人払いだ。
部屋に戻ったら、今日はこのまま
2人きりの甘い夜を過ごすには、ゆめゆめこれを怠ってはならない。
幸い今日は母の客人が来ており、屋敷では今、歓待の晩餐会が開かれている。
客人の中には、うら若きお嬢さま方もおいでなので、母は付き合いのある貴族たちに声をかけたようだ。見合う年頃の貴公子や姫君たちを招待したらしい。
晩餐が終わる頃には招待客たちが続々と屋敷に着き、小規模ながらも華やかな舞踏会が始まるだろう。
今宵はジャルジェ家の権勢を示すために、使用人はいくらいても足りないはず。
となれば、特に質の良い者で固められている私付きの者たちが駆り出されることは必至だった。
1番動向が危険なばあやはご老体ゆえ、ある程度の時間になれば、おねむになってしまうことだし。
ふっふ。初めて恋人と一夜を過ごすには、完璧な状況ではないか。
あとは私が誰にも見咎められずに、あいつの部屋に忍びこめばよいだけだ。
それについては、昼間のうちに7回ほども演習しており、最適と思われるルートは頭の中に入っている。
そう。
今夜は私が、彼の部屋へ赴く。
長い幼なじみ期間の中、彼の部屋を訪ねたことは何度だってあるけれど、ここしばらくはめっきり減っていた。
それは世にいう《ブラビリ事件》または《青いレモン事件》のせいなのだが、でもよくよく考えてみると、私が彼の部屋に長時間いたことは、意外にもない。
しかも、夜。
よ る
ああ、“夜”という単語になぜここまで過剰に反応してしまうのだろう。
いかんいかん。
これではがっついているようではないか。
「お疲れさまでしたわ、オスカルさま」
「ん?…ああ」
今宵へのこもごもに想いを馳せる私に、一通りの世話を終えた侍女が声をかけてきた。
「ありがと」
頭の中の半分は今宵のことを考えたまま、私は残った半分の意識で、侍女にさらに指示を出した。
「肌の手入れを、もう少し」
「はい?」
普段は言わないこの台詞に、侍女は今度こそ懐疑的な目を向けた。
「え、いや、あの、試合で1日中、陽射しと雪の照り返しにさらされていたものだから」
「ああ!」
なんとか苦しい言い訳をひねり出すと、侍女たちはしたり顔で頷いた。
「そうですわねぇ」
「オスカルさまも、もうとっくにお肌の曲がり角を過ぎてますものねぇ」
おいっ!
私の言い訳をすんなり受け入れて、侍女たちはなにやら新しく、薬草やエッセンスの小瓶などを並べ始めた。
いつもなら侍女たちの言いように一言発するところだが、半分だった私の思考はいっぺんに、100%彼女らの言葉に引きつけられた。
お肌の曲がり角…だと?
確かに私も30過ぎ。
それほど衰えているとは思わないが、今まで同年代の女性の肌などろくに気にしたことがない私には、基準が判らない。
私の肌って、どうなんだろう?
…いや、それより。
あいつ、娼館通いしてるんだよな。
今までたいして気にも止めていなかったことが、ムクムクと湧いてくる。
娼館。娼婦の館。
言わずと知れた、男が欲望を発散させるために行くところだ。男同士の飲み会などでは、皆で気軽に利用することもあるらしい。
あいつもたまに、ふらっと1人で飲みに出ることがあるし、衛兵隊の隊員と、何やらヒソヒソやりとりしながら出かけて行くこともある。そんなときは、おそらくそういう店へも行くのだろうと、あえて行き先は聞かずにきた。別段私が咎め立てることでもないし、まぁ、健康な男であれば、そういうものかと漠然と思っていたのだ。
だいたい、宮廷に出入りしている高位の貴族たちの方が、性に関してはよっぽど乱れているのだし。
だが。
ここにきて、私はにわかにそのことが気になり始めてしまった。
無論、今さら恋人づらして咎める気もなく、不潔だとか言う気もない。
――そんなことではなくて。
有り体に言ってしまえば、興味と不安だった。
例えば、そう、肌。
娼館勤めをするぐらいだから、きっとそこにいる女たちは美女ばかりで、当然ナイスバディなのだろう。
肌だって、きっと美しいに違いない。
私なんて四六時中陽射しや風雨にさらされ、忙しさにかまけて、ろくな手入れもしていない。
商品として価値のある体と比べられたら、きっと見劣りするに決まっている。
…大丈夫なのだろうか。
『じゅう何年間も、おまえだけを見、おまえだけを思ってきた』
かつての彼の告白。
じゅう何年間分の期待を、間違いない、今宵あいつはしているはず。
…うう。
プレッシャーで胃が痛くなってきた。
私はストレスが胃にくるタイプなのだ。
ああ、血でも吐きそう。
私は顔を上げると、キリキリした痛みを抑えながら、乏しい美容に関する知識を総動員させ、侍女たちに指示を追加した。
素肌の私を見て、がっかりする彼など見たくない。
付け焼き刃かもしれないが、できる準備はすべてやっておきたかった。
娼館の女ほどではなくても、現状最高のコンディションを以て挑まなければ。
それがあいつの“じゅう何年間の想い”に対する誠意というものではないか。
私は自らを奮い立たせ、今宵への意欲を新たにした。
自分なりのベストを尽くすことが大切なのだ。
下着の類も、できれば凝りたかったが仕方ない。あまりに急なことだったし、少し前に作らせたまま、まだ身につけたことのない品があったのを幸いだと思おう。
って……下着?
そういえば、下着。
ただでさえとっ散らかっている頭の中に、さらなる疑問が湧いてきた。
これは、どこまで着こんで行けばよいのだろう。
もちろん素肌に1番近いものは身につけるとしても、コルセットは?
どうせ脱ぐのが判っていて、つけて行く意味があるのだろうか。いい年をして、わざとらしく思われないだろうか。
だからといって、やたらな軽装で行けば、やる気まんまんに思われそうだし。
いや、やる気はある。
あるのは事実だが、それをあからさまにするのは、女としていかがなものだろう。いくら男らしく育った私だとしても。
ああ。もういっそのこと、生まれたままの身ひとつに、夜着だけ羽織って行こうかな。
そうしたら、あいつはどれだけ驚くだろう。
恋人同士になってから、どうも物ごとがあいつのペースで進んでしまう。
ここらで1発、びびらせておいた方がよいのではないか?
ふぅむ。
この発想は、なかなかの妙案に思えた。
扉を開けたあいつの前に立つ、夜着姿の私。
ちょっと驚くあいつ。
ふっふ、なかなかいいぞ。
そして私は、驚くあいつにいきなり夜着の合わせを開き!
…ってコレ、ただの痴女だ…
いかん。どうもいかん。
ううむ。
つくづく私は、こういうことを考えるのに向いていない。
どうにも経験が足りなさすぎるのだ。
かと言って、今、相談できる相手もいないし、時間もない。
うううむ。
これは早急に部屋へと戻り、書棚の隠し扉に収めてある秘蔵の官能小説集をおさらいした方がよいかもしれぬ。
どうやら肌の手入れも、終盤にさしかかったようだしな。
私は侍女たちに声をかけ、浴槽から立ち上がった。
手桶に用意された新湯がしずしずと掛けられ、首筋から肩、胸元へと流れ落ちる。
その感覚は、すでに今宵のことでおかしなスイッチの入っている私には、妙にこそばゆく、何やら妖しい気持ちにさせられた。
…なんてはしたない。
これでは本当に、やる気まんまんみたいではないか。
私はだな、もちろん彼と結ばれたいとは思っているが、それ以上に精神的な繋がりを深めたいと願っており…
浴槽から出て、水滴を拭き取ってもらいながら、誰とはなしに心の中で言い訳を始めた私だったが
え?
体がグラリと傾いた。
もともと湯浴みの最後には、ちょっとした湯あたりを演出する予定ではいたのだが
おぉっと!
本当に足元がフワフワグラグラしてきて、私はしゃがみこんだ。
まずい。長湯し過ぎたか?
なんだか熱っぽくて、ぼぉっとしてくる。
姿勢がずるずる崩れるが、それを演出でやっているのか、本当にそうなのか、もう自分でもよく判らなくなっている。
侍女たちはかなりびっくりしたようで、慌ててジュリを呼んできた。
私にとって、もっとも親しい侍女。
「まあぁぁ、オスカルさま!どうなさいまして!?」
「ああ、ジュリ。わざわざ悪いな。軽い湯あたりのようでね」
ジュリが駆けつける間に浮遊感に慣れた私は、ゆっくりと身を起こした。
「大丈夫ですの?」
「ほどほど落ちついたみたいだ」
手を借りながら立ち上がり、しかし私はこの機を逃さず、ジュリにつぶやく。
「でも、明日の予定が不安だな。逗留中のお嬢さま方に、宮廷仕込みのダンスのレッスンをして欲しいと頼まれているのだよ」
「奥さまを通してのご用命でしたわね。…断りにくいこと。
では、今日はもう、このままお寝みなさいませ。誰もお部屋を訪ねないよう、言っておきますから」
よし、よし、よーし!よく言ったジュリ!
さすが私の腹心の侍女だ。
「そうか。そうしてくれると助かる」
「お任せくださいな。そうでなくても、皆、舞踏会のお手伝いで大わらわしておりますの。オスカルさまに手がかからないぶん、あたしたちも助かりますわ」
ジュリらしいウィットの利いた返答に、私は心中ニヤリと笑った。
2人きりの甘い夜。
舞台は整った。
待っているがいい、アンドレよ。
予習を終えたら、忍んで行くからな。ふっふっふ…
【待ち人薫る 1】につづく
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