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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【小さな冬休み】

UP◆ 2012/5/17


    『…だよ。判ったかい?』
    目覚める前の、うつらうつらとした意識の中に浮き沈みする言葉。心のすきまから少しずつしみこんできて、私をうっとりした心地にさせる。
    閉じたまぶたに陽の光を感じ、もう目を覚まさなければと判っていながらも、私は未練たらしく夢のはざまを漂っていた。
    いつもどこかピリピリとした緊張感が抜けない私。
    その私が、こんなに穏やかな朝を迎えることができるなんて。
    それにしても、先ほどから浮かんでは消えていくこの言葉はなんだろう。
    ひどく気にかかる。
    『…だよ。判ったかい?』
    とても大切なことだと判っているのに、なぜだか全部を思い出せない。
    この声は、間違いなく彼のものなのだが。
    「オスカルさま?そろそろお目覚めなさいませ」
    やんわりと私に声をかけているのは、ジュリだ。
    私の腹心とも言える侍女。
    少女の頃からずいぶん長く、仕えてくれている。
    「オスカルさまったら。本当はとうに起きていらっしゃるのでしょう?」
    ちょっと待ってくれ、ジュリ。もう少しで思い出せそうな気がするんだ。
    もやもやとした、夢のしっぽ。
    『この‥‥が消えてしまわぬうちに‥‥‥‥だよ。判ったかい?』
    ほらね、もう少しだ。
    「聞こえていらっしゃるのでしょう?オスカルさま。何時だとお思いですの?もうお昼近いんですのよ?」
    「うそっっ」
    本当に、あと少しで全部思い出せるところだったのに、ジュリにそう言われて私は跳ね起きた。
    昼近いだと!?完全に遅刻じゃないか!!
    「な」
    んで起こしてくれなかったのだと言いそうになって、グッと飲みこむ。子供じゃあるまいし、そんなことで侍女を責めては主人として情けない。
    私は寝台を降りようと慌ただしく手をついたが、その途端、肩に鈍い痛みを感じた。
    「ぅ…」
    たいした痛みではないけれど、それは私に、昨日の出来事を思い出させた。
    冷たく私を突き放して寝返った、ハーフタイムでの彼。
    立ち上がることもできないほどの喪失感。
    切羽詰まった馬車の中。
    そして…
    「アンドレは?」
    目覚めた私がそう聞くのはいつものことなのに、顔がかぁっと熱くなるのが自分でも判った。
    頬が火照って…きっと赤くなっているに違いない。
    私は肩の動きを気にするふりをして、少し顔をうつむかせる。
    「ちっ。あいつまでもが寝坊とは。今からでも急ぎ出勤しなければ」
    ジュリの目から顔色を隠したくて、私はことさら慌てた様子で立ち上がった。もちろんこんな大遅刻は生まれて初めての失態で、焦っているのも嘘ではない。
    「ジュリ、軍服の支度は?」
    普段なら、私の目覚めに合わせて、寝室には朝の身支度がすべて整えられているのに、今日に限ってジュリはニコニコと突っ立っているだけだった。
    「ジュリ?」
    「今日はご出勤なさらなくてもよいのですって」
    どういうことだろう。
    「ゆうべ、お屋敷に王妃さまからのお使者がありましたの」
    「王后陛下からの?」
    「オスカルさまが試合中に肩を痛められたと聞いて、王妃さまはたいそうご心配しておいでだと。2~3日静養するようにとのお達しでしたわ。王妃さま直々のお使者だったので、だんなさまもそれは丁重にお受けになられて」
    「それで誰も私を起こさなかったのか」
    「ええ、それに」
    ジュリは心持ち私の顔をのぞきこむように、くるくるとした瞳を向けた。
    「オスカルさまがお帰りになられたのも夜明け前でしたし、たまにはお寝坊もいいかと思いましたの。でも、いくらなんでも、そろそろ起きられませんとね」
    「…あ‥ああ、そうだな。いくらなんでも、そろそろ起きないとな」
    私はうわの空でオウム返しに言った。
    出勤せずともよいと聞いて、焦っていただけに気が抜けたのだ。
    それに。
    私が夜明け前に帰っただと?
    昨夜、帰宅する馬車の中で激しく感情をぶつけ合った私たち。気持ちはすれ違い、お互い想いあい過ぎて、それが更なる誤解を招き…
    私はあのとき、彼が本当に離れていくのだと感じ、怖ろしいほどの寂しさを覚えた。まるで魂の一部をちぎられるようで、そうなってみて初めて、私は自分の中に潜んでいた彼への強い想いを、はっきりと自覚したのだった。
    腕をつかまれ、連れて行かれた彼の私室。
    私は自分から寝台へと上がりこみ、彼を誘った。
    『私はかまわないぞ。あのときの続きをしても』
    もちろん色仕掛けで誑し込もうなどという気はなく、ただ、なんと言おうか……抱かれたかったのだ。
    わざと気づかないでいただけで、私はたぶん、ずっと前から彼を愛していた。
    もしかしたら、そのことに思い至るのが遅すぎたかもしれない。
    揺れる馬車の中、そんな不安にも苛まれた。
    しかし、彼と激しくせめぎ合ううちに、私にはもう、そんなことはどうでもよくなっていった。
    一夜限りでも、彼と愛しあえたなら。
    凍える冬の夜に、ひっそりと葬られる恋の思い出を体に刻みたい。そう思ったのだ。
    昔、あれほど好きだったフェルゼンにも感じたことのない、生々しさの伴う男への情欲。否定してきた自分の性を、まるごと受け入れられた瞬間だった。
    私は、今までに経験したことがないぐらいの緊張を感じながら、彼に身をもたせかけ、想いを告げ…た…はず。
    なのだが。
    ここからどうも、記憶が曖昧なのだ。
    私たちはこのあと、互いに想いを告げ合った。
    幸福感を共有しながら狭い寝台に横たえられ、冷えた寝具に身震いすると、暖めるように彼が私を抱き寄せて、そして…
    『おねがい』
    フェルゼンが教えてくれた、魔法の言葉。
    私はそれを口にした…と思うのだけれど。
    ああ。どうしてもはっきり思い出せない。
    抱き寄せられて徐々に伝わる彼の体温や、腕の力強さ。
    それは私に、泣きそうになるほどの安心感をくれた。
    彼が試すように、軽く触れるだけのくちづけをしてくる。
    こんなとき、どうしたらいいのか知らないはずなのに、自然とくちびるを開く自分が信じられなかった。
    初めてする、恋人とのくちづけ。
    それはとろけるようで、彼に導かれるままに深まってゆき、私は横たわっているというのにクラクラとめまいを感じた。
    舌先をからめとられて、弄ばれて気が遠のき…
    あれは、すべて夢?
    だとしたら、どこからどこまでが?
    「私は…夜明け前に帰った…?」
    寝台に座り、ぼんやりつぶやくと、いつの間に出て行ったのやら、私の着替えを手に、ジュリが寝室に戻ってきたところだった。
    「ええ。そうですわ。ご連絡もなくオスカルさまのお帰りが遅いなんて、めったにないことでしょう?気になってしまって、あたし、皆が寝んだあとも、ときおりお部屋に様子をうかがいに来てましたの」
    すると、何度目かに足を運んだ明け方、私を抱きかかえた彼と鉢合わせたというのだ。
    『アンドレ!?』
    『ああ、ジュリか。ちょうどよかった。扉を』
    私を抱いて、手のふさがった彼。
    ジュリが素早く扉を開ける。
    『オスカルさま…。眠っていらっしゃるのね』
    『え…。あ‥の、まぁ。祝勝会で飲ませ過ぎた、かな』
    『アンドレがついていて、珍しいことね。それよりオスカルさまの肩はどうなの?』
    『肩って…話が早いな、ジュリ。誰に聞いた?』
    ジュリは手燭の灯りを頼りに部屋の奥へと進み、さらに寝室の扉を開ける。
    彼もそのあとに続いて寝室に入ると、私を寝台へ降ろした。
    『お屋敷に王妃さまからのお使者が来たのよ』
    『お使者が?』
    ジュリは彼に手燭を預けると、ほの暗い闇の中、手早く私を夜着へと着替えさせ始めた。
    手燭をかざしながらも、背を向ける彼。
    『試合結果と一緒に、オスカルさまが試合中に肩を負傷されたと知らせに来たの。そして、王妃さまはそれをとても心配して、2~3日お仕事を休むようにおっしゃったんですって』
    私の寝姿を整えると、ジュリと彼は足音をひそめながら部屋をあとにし…
    「でもオスカルさま、今朝はお酒の匂いがしませんのね」
    部屋に戻ったときの私の様子をひとしきり語ったジュリは、おかしそうに笑う。
    「アンドレに抱きかかえられて帰るほど飲まれた翌朝は、皆の憧れもぶっ飛ぶぐらい、酒くさくてグダグダな寝起きですのに」
    一風変わった育ちのせいか、私を腫れ物に触るような扱いをする者が多い中、ジュリは裏表のない屈託のなさで接してくれる。彼女は私にとって、ばあやと同じぐらい、くつろげる存在だった。
    「祝勝会では、アンドレが言うほど飲んではいなかったんだ。それまでの疲れが出たのかもな」
    そうだ。
    私は祝勝会を途中で抜けて、フェルゼンに会いに行った。
    つぶれるほど飲んでいないのに、なぜ、昨夜のことがこんなに曖昧なのだろう。
    彼と想いを告げあって、あれほどの幸福感に包まれたあのひと時は、そうあって欲しいと思いこんだ私の妄想なのか。
    私は物思いでおぼつかない指先で、夜着のボタンを外していった。
    ゆらりと立ち上がると、よく打たれた絹の夜着は、光沢を放ちながら肩から滑り落ち、足もとに環を描く。
    「あら?」
    着替えを手伝おうと近づいてきたジュリが、小さな声をあげた。
    「どうかしたのか、ジュリ」
    「コルセットの紐が、私の結った結び目とは違うような」
    訝しむジュリの声音が、私の胸の奥に響く。
    宵闇の彼の部屋。
    寝台の中で、不意にするすると紐を解かれて、胸元に訪れた開放感。
    さらに押し広げられるデコルテ。
    『な‥に?‥アンドレ…』
    思い出せずにいた記憶が、つつっと溢れ出す感覚がした。体を包みこむ、せつなくて甘やかな気持ちを伴って。
    「それに、オスカルさま?」
    ジュリは正面にまわりこんで来ると、私の控えめな胸の谷間に指先を当てた。
    「ココに何か。紅い小さなあざのようなものが」
    私はつられて、自分の胸元に目線を降ろした。
    胸の起伏の陰影に、うっすらと紅く浮いた野ばらのような、痕。
    『この印しが消えてしまわぬうちに、俺たちは結ばれるんだよ。判ったかい?』
    昨夜、気力が切れて眠りに落ちていく私の耳もとで、彼が囁いた言葉。
    ……アンドレ!
    昨夜の出来事が一気に押し寄せてきて、恋愛ごとにほとんどキャパのない私の心は、瞬時に彼でいっぱいになってしまった。
    まずい。やばい。
    そう思っているのに、彼の顔を見たくてたまらなくなる。
    「ちょっ、オスカルさま!?ココだけでなく、お顔もデコルテも、いえ、全身が真っ赤ですわ!どうしたのかしら、急に。お風邪?それとも……奇病かもしれませんわ!!」
    ああ、そうだよ、ジュリ。
    これはある意味奇病と言える。
    一生治る気がしない。
    ジュリは私に手早くブラウスを着せかけながら、有能な侍女らしく、盛んに様々な段取りを考え始めたようだった。
    「困ったわ。ラソンヌ先生の往診は頼めないし」
    「?」
    「朝、アンドレのために往診を頼んだんですの。でも、先生はお風邪を召してしまって、ひどい高熱だそうで、とても往診はできないと断られてしまいまして」
    「アンドレのためにだと!?」
    私は顔色が、真っ赤から真っ青に変わるのを感じた。
    彼に何かあったというのだろうか。
    「往診を頼むということは、まさか自分で動くこともできないほどの!?」
    勢い込んで先回りする私に、ジュリは露骨にやれやれといった顔をする。
    「もぉ、オスカルさまったらそんなに心配なさって。いいかげんに兄離れなさいませ。ほんっとにアンドレをお好きなんですのねぇ」
    「すっ…好きだなんてそんなことっっ」
    青くなったはずの顔に、また過剰な血液が流れ込み、頬が熱くなっていく。
    昨夜、恋人同士になったばかりの私たち。
    それは誰にも秘密だけれど、でも、彼を嫌いだなんて、私にはもう言えなかった。
    「いや、私…は。
    私はアンドレが好きだぞ!!」
    下着姿の仁王立ちで、私はきっぱりと断言したが、ジュリの反応はこざっぱりとしたものだった。
    「何、判りきったことを力説してるんですか」
    「え"?」
    「そんなこと、みんな知ってますって」
    私の気持ちは、とっくに皆に漏れていたのだろうか。
    それは…まずいぞ。
    私は喰いつく勢いで聞き返した。
    「そうなのかっ!?」
    「やんちゃな妹が心配で仕方がないシスコンのアンドレと、お兄ちゃんに甘え倒しのブラコンなオスカルさま。
    いくら外では取り澄ましていても、お屋敷内でなら皆が知ってることですわよ」
    ジュリは喉の奥のクツクツとした笑い声を押し隠し、ニヤついている。
    …ちくしょう。
    おまえたちが私をそのように思っていたとは!
    一瞬メラっと心が沸き立ったが、しかし、そんなことより今はもっと重大なことがあった。
    「アンドレに何があったのだ?」
    「あ~、アンドレですね」
    ジュリはいっそうクツクツと笑った。
    「ぎっくり腰」
    「は?」
    「ぎっくり腰ですわ」
    私の寝姿と寝台を整えたあと、ジュリとアンドレは、一緒に部屋をあとにした。
    それぞれの私室へと向かうべく、まだ薄暗い夜明け前の廊下を進む2人。
    しかし、ホールへと続く大階段を下っているとき、急に彼がうずくまったのだそうだ。
    『あ”…っ』
    『やだアンドレ、何!?どうしたの!?』
    『ちょっと、腰…やばい』
    『あんた、まさか腰痛持ちのくせに、試合で無茶したんじゃないでしょうね?』
    『うーん。…まぁ、似たようなもん』
    『何やってんのよ。自重しなきゃダメじゃない』
    『オトコには頑張んないといけないときがあるんだって』
    なにやらよく判らないことを言う彼をジュリが励まし、騙し騙しに階段を降りて、アンドレはなんとかヨタヨタと部屋に戻ったらしい。
    …知らなかった。彼が腰を傷めていたなんて。
    それなのに彼は、眠りこんだ私を起こさないようにそっと抱き上げ、部屋まで運んでくれたのだ。
    正体なく眠りこみ、気づかなかった私も私だけれど、起きなければ2~3発ひっぱたいて起こしてくれればよかったのに。
    また無意識に彼に甘え、無理をさせてしまった…
    「オスカルさま!お顔の色が真っ青ですわよ!!
    さっきから赤くなったり青くなったり、これは本当に奇病に違いありませんわ」
    あたふたと言うジュリを放って、私は手早く身支度を始めた。
    彼に会いに行かなければ。
    ブラウスとキュロットを身につけ、寝乱れた髪を梳こうとして
    (い)っ…た」
    うっかり大きく肩を動かし、私は思わず声をあげた。
    「もう!おとなしくしていてくださいな。髪を梳き終えたら、別のお医者さまを手配いたしますから」
    ジュリは私が落としたブラシを拾い、もつれた金色の毛先を解きほぐしながら、呆れ顔で言葉を続けた。
    「それにしたって、オスカルさまもアンドレも、昨日はどれほど激しいことをなさいましたの?」
    「は…激しいってジュリ、おまえ何を…」
    まともに考えれば、ジュリはきっと前日の試合でのことを尋ねたのだろう。
    しかし、昨夜から今までとは違うおかしなスイッチが入っている私は、彼との寝台でのひと時を思い出し、頬どころか耳から首筋まで真っ赤になってしまった。
    「‥私たちはまだ‥そんな‥何も‥」
    『この印しが消えてしまわぬうちに、俺たちは結ばれるんだよ。判ったかい?』
    鼓膜の奥、彼の声がリアルに甦る。微かな掠れ具合や、耳にかかる息の生暖かさまでも。
    私の指先はそろそろと胸元に当てられ、ブラウスの上から、野ばらのようなくちづけのあとを探っていた。
    これは所有の刻印。
    私はもう、私のものではない。
    そんなふうに思ったら、いきなり胸が鋭く痛んだ。
    「ぁ」
    きゅんきゅんと収縮する心臓に、私は手を当て震えた息を吐く。
    「オスカルさま?お苦しいんですの?」
    ジュリは血相を変えて、私の背中をさすってくれた。
    「今、マロンさんを呼んできますわ。そしてすぐにお医者さまの手配を」
    「いや、いい」
    私はジュリを押しのけ、部屋を飛び出した。
    「オスカルさまっ!?ちょっとオスカルさま!お医者さまはどうなさいますの?」
    「医者は要らない。医者ではこの病気は治せんからな!」
    私は痛む胸を抱えたまま、長い廊下を全力疾走し、ノックもせずに彼の部屋の扉をぶち開けた。
    「アンドレ!」
    寝台で横になっているかと思った彼は、簡素なテーブルのそばで椅子に座り、本を読んでいた。
    「おまえっ」
    起きていいのか?大丈夫なのか!?
    そう問おうとした私を、彼はスルスルと腕の中に取り込んだ。膝の上に座らされ、たいして強く押さえつけられているわけでもないのに、身動きできなくなる。
    「肩は大丈夫か?」
    大丈夫だと?
    それは、私こそが言いたい台詞だぞ。
    先に切り出されてしまい、私がコクリと頷くと、彼はほっとした笑顔を見せた。
    「そうじゃなくてアンドレ私」
    無理させたのを謝ろうと、私は早口で話し始めたが、珍しく彼はそれを無視した。
    「良かった」
    本当に安心したように言って、傷めている方の肩にくちびるを押し当てる。
    ブラウス越しに息の熱さが肌に届き、私は昨夜のとろけるようなくちづけを思い出して、ぐらりと体が傾いた。
    支える彼の腕に力が込められ、互いの体がより密着する。
    「ゃ…っ」
    胸がまた、きゅんっと縮みあがった。
    そうだ。
    この胸の痛みは、医者になんか治せない。
    特効薬は1つだけ。
    それは。
    私はうっすらとくちびるを開き、彼に差し出した。
    ああ。
    私には恋愛の経験などろくにないのに、なぜこのような振る舞いができるのだろう。
    自分に備わっている女の性。
    それを否定したい気持ちと、嬉しく思う気持ちがごちゃ混ぜになり、私は軽く混乱して涙を浮かべた。
    嫌だ嫌だ。これではただのヒステリー女じゃないか。
    私は彼に気づかれぬうちに潤みをごまかしたくて、ぱちぱちと目をしばたたかせた。
    でもそれは、なかなか上手くいかない。
    やばい。…泣きそうだ。
    私は懸命に立て直しを図る。
    こんな私、きっとからかわれると思ったから。
    でも彼は、予想に反してゆったりと私を見ているだけだった。
    どうして彼は、そのように、いつも落ちついていられるのだろう。不思議なぐらいおとなしくて控えめで。
    彼のただ1つの瞳は1000の眼のように、私の何もかもを見てきてくれた。
    ……大丈夫だ。どんな私でも、彼は受けとめてくれる。
    そう思ったとき、心の片隅で参謀官の囁きが聞こえた。
    『格好悪くたっていいじゃないか。開き直ってみるといい』
    そうだった。
    昨夜からの私たち。
    はたから見たら、どれだけ滑稽で格好悪かったことか。
    ……よぉし!
    私は気合いを入れて、彼を見つめ直した。
    女の本能が指し示すままに、彼の首に左腕をまわし、あまり上がらない右手で精悍な頬を包む。
    宮廷男のような煌びやかさはないが、なかなか男前な彼。
    改めて見てみると、私の好みにどストライクだった。
    なんで今まで気づかなかったのだろう。兄か親友にしか思えなかったなんて、本当にどうかしていた。
    「おまえ、腰は?起きていていいのか?大丈夫なのか?」
    私がそう問うと、彼は嫌なことを聞かれたとでもいうようなに、眉をひそめた。
    「ジュリか…。あの子は大げさなんだよ。いい子だけど心配性なんだ。おまえに対してもそうだろう?」
    確かにジュリは心配性だけれど。
    「では、本当に大丈夫なのだな?」
    「ああ。大丈夫だけど‥どうした?」
    やけに念を押す私に、訝しんで聞く彼。
    「本当に大丈夫なら…このまま抱き上げて、寝台へ連れて行ってくれないか」
    言いながら、私は相当に照れていた。
    寝台なんぞ歩いて行けるし、彼を押し倒すのも簡単だが、彼に抱き上げて連れて行って欲しかったのだ。
    「そして」
    あのとろけるようなくちづけが欲しいのだと言ってみた。
    頬は熱いし、こっぱずかしくてどうかなりそうで、格好悪いことこの上ない。
    早く何か言ってくれいっ、アンドレ!
    彼はしばらくポカンとマヌケづらをしていたが。
    「重っっ」
    失礼なことを言いながら、私を抱いて立ち上がった。
    なかなかの根性を見せる腰痛男。
    彼を心配していないわけじゃない。
    でも。
    ちょっとだけ嬉しい。
    女なら、そんなふうに思ってもいいだろう?
    王后陛下のくださった、小さな冬休み。
    少しぐらい、恋人気分に浸ってみたいじゃないか。
    勤務に戻ればまた、皆に怒声を上げながら、彼をあごで使う日々が始まるのだから。

    「この休暇は、ずっと寝台(ここ)で過ごしたいな」
    2人を包む同じ幸福感に、私たちは昨夜のように、どちらともなくクスクスと笑いはじめた。


    FIN
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