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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【想いのゆくえ 4】

UP◆ 2012/3/10

    「フェルゼンさま!?」
    「おい、フェルゼン!」
    いきなり走り始めてしまった馬車。
    まだ中腰だったアンドレは、つんのめって彼女の膝に倒れこんだ。
    「ごめん」
    ふとももに顔をうずめることになってしまった彼は慌てて身を起こし、でも、彼女が小刻みに震えているのに気がついた。
    日中はよく晴れた試合日和だったけれど、陽が落ちてしまえば冷えこみは厳しい。
    彼は客室の床に膝をついたまま、素早く上着からそでを抜くと、彼女にふわりと被せる。
    「着てろ」
    「でも、それではおまえが」
    「俺は大丈夫だから」
    馬車の揺れに負けぬよう座席に手をついて、彼は慎重に立ち上がりかけた。
    「では、アンドレ。・・・の・・・に」
    車輪が凍みた路を行く音は意外と大きい。
    それとも彼女の声が、よほど小さかったのか。
    「何?」
    彼は心持ち、口もとに耳を寄せる。
    「わたしの‥となり‥に」
    彼女は掛けてもらった上着の端を、少しだけ持ち上げた。
    さっき目をそらされたみたいに、冷たく無視されたらどうしよう。
    そんな不安もなくはなかった。
    でも。
    彼女はどきどきしながら、さらにもうひとこと、付け加えた。
    「寒いから、一緒に」
    なんてことない言葉。
    それなのに、自意識が過剰なほど張りつめている彼女は、すごいことを言ってしまったような気がしてまた1人、頬を熱くした。馬車の中が薄暗くて、その赤面具合がさだかには見えないことが救いだった。
    頬の熱をジンジンと感じながら、少し浮かせた彼の上着の端へ視線を落とす。
    どうしよう。間がもたない。早く何か言ってくれ、アンドレ。
    しかし、彼の返答はない。
    やっぱり怒っているのだろうか。あんなに引き留めたおまえを、邪魔だと言いきったこと。
    ほんの少し、耳を傾ければ良かったのだ。彼が彼女の邪魔をしたことなど、今までに1度もないのだから。
    あのとき、なぜそう思えなかったのか。
    …謝らなければ。
    まずは、そこからだった。
    言い過ぎて悪かった、と。
    普段なら自分の非をきちんと認めることのできる彼女だが、相手がアンドレとなると難しい。幼なじみの悪しき慣例で、謝るのは彼の担当のようになっている。
    でも。
    今日は私から謝らなければならない。
    …できれば、可愛く。
    そしてなるべく女性らしい言葉遣いをし、困ったときには『おねがい』とつけ加えればよいのだ。
    できるだろうか。
    『男なんてそんなもの。勝機は君にある』
    そう言ったフェルゼン。
    本当にそうなのだろうか。
    不安がじわじわと湧き上がってくる。
    そぉっと上目遣いにアンドレを見上げてみるが、彼はどこか気難しい表情をしていて、彼女はまた、伏し目がちに視線を戻した。
    なんにも答えてくれないアンドレ。
    なぜ?
    これでは話を切り出すこともできない。
    慣れぬことに、どうにも弱気になってくる。
    ちくしょう、フェルゼンめ。中途半端にアドバイスだけして消えるなんて。いっそのこと私が想いを告げるまで、背後にいて小声で励まし続けてくれればよいものを。
    馬鹿げたことを思いながら、彼女はそれでも今のところ唯一、この想いを応援してくれているフェルゼンの言葉をもうひとつ、胸の奥で復唱した。
    『恋なんて、考えては駄目なもの』
    ……そうだ。
    ともかくも、アンドレを隣に座らせてなくては。
    正面から向き合うのは、まだ気まず過ぎた。
    並んで座り、そしてさり気なく言い過ぎたことを謝って、それから。
    それからは。ああ、どうしよ…いや、考えてはいけないのだ。
    利発さが勝り、ついつい理詰めで考えがちになるのをさらに理性で抑えて、彼女は今度こそ本気で彼を振り仰いだ。
    「アンドレ…!」
    呼ばれた当の本人は、馬車の座席に手をついて、中腰のまま動けずにいた。寒いから隣に座ってくれと言われた気がしたが、寒さのせいなのか、少し不安定なアルトの声は、さだかには聞き取れなかった。
    聞き返すのもためらわれ、でも、気にならないわけがなく。
    結果、中途半端な姿勢のまま、次の言葉を待っていたアンドレ。
    そろそろ少し、腰が痛い。
    実はよろけた彼女を受け止めた瞬間、腰に違和感を覚えていたのだ。
    「う…っ」
    鈍い痛みに低く声が漏れたが、女性を、それも愛する女を抱きとめて、重いの痛いのとゴネたのでは男がすたる。
    しかも腕の中のオスカル・フランソワからは、奇妙に甘くせつないテンションが漂っていて。
    ……やばい。すごくかわいいじゃないか!
    『オスカルがやけにかわいらしく見えたものだから』
    そう言ったフェルゼンについキレた彼だったが、腕の中で収まっている彼女は、確かにやけにかわいらしかった。
    いや、オスカルはいつもかわいい。かわいいが、しかし。
    それは、いつもとはなにやら種類の違うかわいらしさだった。
    未だかつて、彼には向けられたことのないような。
    …オスカル?
    小柄とは言いがたい彼女を無理な姿勢から抱き上げて、彼は鈍い痛みもなんのその、馬車へと乗り込んだ。
    腰にはさらに違和感が増したが、なんともいえない甘さを伴った緊張感にあてられて、痛みなどちっとも気にならない。そのときばかりは初恋の君・フェルゼンへのトラウマも、彼女が暴力男に片思いしているらしいことも消し飛んだ。
    彼女をそっと座席に座らせるなり、待ちきれない思いで白く映える頬をのぞき込んだとたん。
    「バンっ!」
    大きな音を立てて、いきなり閉められた扉。
    2人きりになりたいとは望んでいたが、心積もりよりはよほど早く、フェルゼンによって強制的に2人きりにされてしまい。
    それは、彼には心の準備が足りな過ぎた。
    車窓に消えたフェルゼンの、悪魔的微笑。
    フェルゼン伯。あなた、いったい何を考えている!?
    フェルゼンの思いがけない行動に困惑しつつ、彼女のまるで誘うような雰囲気に揺さぶられ、それでも彼は勘違いしてしまいそうな自分を懸命に抑えた。
    隣に座れと言われたような気がしても、走る馬車の中といえ、つまりは密室。もちろんたいして広くない。
    そんなところで、こんな様子の彼女と密着して座ったら。
    手を差しのべて、きっとまた抱きしめてしまう。誓いを破って、そのくちびるを奪ってしまう。
    彼の気持ちは、ギリギリもいいところだった。
    もうこれ以上、俺を刺激しないでくれ、オスカル。
    好きな男がいるという彼女に、不埒な振る舞いはしたくない。昔より大人になったつもりなのだ。
    そして、じりじりするような沈黙のあと。
    「アンドレ…!」
    彼女がようやく次の言葉を発してくれて、やっと呪縛が解けた。動けずにいた体がピクリと反応し、彼は座席へと座りこむ。
    彼女の向かい側に。
    「ふ―…」
    危なかった。
    もう少しで、また彼女につのる想いを押しつけてしまうところだった。
    『殴るような男はやめておけ。おまえには俺がいる』なんて。
    ああ、ダメだダメだ。
    どこまでおまえにとらわれるのか。もう終わりにしようと決めたのに。
    諦めると意識したからか、彼女に好きな男がいると知ったせいなのか、彼の中には久しぶりにオスカル・フランソワへの想いが熱く湧き上がっていた。
    もちろん彼女への気持ちは、若い頃から変わらない。
    けれど、ジェローデルの求婚騒動をやり過ごしたあとの2人の関係は、妙に安定していたのだ。
    『もう、どこへも嫁がないぞ…一生』
    彼女がどんなつもりでそんな台詞を言ったのかは判らない。でも、その言葉は彼にまぎれもない安堵を与えた。
    想いが叶うわけではなくても、2人の絆は強くなったように思っていたのに。
    そんな安心した今になって、こんなことになるとは。
    彼女がかもしだすこの甘ったるい気配も、好きな男ができた影響なのかもしれない。
    彼の中で、青く苦い日々が思い出された。
    オスカル・フランソワがフェルゼンに片思いしはじめた頃のことだ。
    あの頃の彼女もやはり、こんなふうだった。
    どこか張りつめて、でも甘く愁えた顔をしていた。
    しかし。
    今、目の前にいる彼女は、古い記憶よりずっと艶っぽい。
    不用意に揺らしたら、昂まった甘さがとろりと溢れだしそうな風情で、時おりちらちらと目線を送ってくる。
    好きな男とやらのことを考えているのだろうか。
    ああ、きっとそうだ。フェルゼン伯も言っていたじゃないか。『彼女も話したがっている』と。
    このアンドレの読みは、ある程度正しかった。
    彼女は今まさに、好きな男のことで頭がいっぱいで、その想いを彼に話したがっている。どう切り出そうか、不器用にタイミングをはかっており、期待や不安や自覚してしまったアンドレへの想いが入り混じって、零れ落ちそうだった。
    少し熱っぽい目もとや、困ったようにさまよわせる視線はときどき彼の瞳とからみ合い、そのたび彼女は胸がきゅうきゅうと収縮するのを抑えている。
    その感覚はフェルゼンのときの比ではなく、もはやときめきを通りこして、痛いぐらい。
    「は―…」
    胸に手を当てて緊張を逃がそうとしても、上手くいかない。
    彼女は改めて「幼なじみ」のやりにくさを痛感していた。
    極端な話、フェルゼンの場合、失敗しても距離を置くという逃げ道があった。
    しかし、アンドレとなるとそうはいかない。
    『ごめん、オスカル。気持ちは嬉しいけど、今はもう、おまえに特別な感情はないんだ』
    そんなふうに拒否されたとしても、今まで通り、毎日ほぼ一緒という生活を送らなければならないのだ。
    彼女の立場からすれば、アンドレを自分付きの従僕から外すのは簡単にできる。しかし、そんなことをすれば屋敷中がどんな騒ぎになるか。
    父上やばあやに、どれほど追及されるだろう。いや、それ以上に恐ろしいのは、侍女たちのうわさ話かもしれん。
    そうでなくてもバカまじめな彼女のこと。そのように姑息な手段が取れるわけもなかった。
    それに。
    彼は昔、1度だけ、告白してくれたことがある。
    そのときはアンドレの告白そのものよりも、それに伴う行動に驚かされ、彼女はその出来事をまるごとなかったことにした。それがお互いのためだと思ったのだ。
    でも、こうして彼を想う身になってみると、それはとても残酷なことに思えてきた。
    やり方はどうあれ、やっとの思いで告白してみれば、相手はOuiでもなければNonでもない。拒絶することもない代わりに、受け入れてくれる様子もなく、幼なじみ・兄弟のいいところだけを求めてくる。
    告白した方にすれば、まさに生殺しの状態。
    彼は長いことそれを強いられてきて、それでも優しく応え続けてくれたのだ。自分がその立場に立たされたなら、たまったものではない。
    今だって意を決して呼びかけたのに、彼にあっさりと向かい側に座られてしまい、けっこうショックを受けている。
    真っ赤になりながら、隣に座って欲しいと頼んだのに、何ごともなく無視した彼。
    やっぱりさけられている?
    そう思うと、踏み出そうとしていたあと一歩の勇気も怯んでしまう。
    ……情けないな。
    たくさんの部下を前に、偉そうに訓示をたれている毎日。それなのに自分自身には甘えを許し、どっぷりとアンドレに支えられてきた。感謝もせずに、当たり前のように。
    そのくせちょっと無視されたぐらいで、うろたえているのだ。
    先ほどから彼が、なにげなく彼女をスルーする様子。
    それはそっくり、自分が彼にしてきたことではないのか。
    「……ル?」
    ならばもう、逃げたくはない。このままではただの卑怯者だ。今まで彼にしてきた冷たい仕打ちのぶん、私だって。
    「…カルって」
    無視されても、格好悪くても、私だって!
    「おい、オスカルってば」
    「!」
    彼に左肩を揺すられて、我に返った。
    想いが昂まり過ぎて、瞬きもしない勢いで彼を凝視していたのだ。
    「どうかしたのか?」
    「あ‥の」
    気を取り直し、彼女は呼びかけた言葉の続きを言おうとした。
    「アンドレ、話が」
    しかし、彼がそれを遮るようにしゃべり出してしまった。乗り出すように、身をかがめながら。
    「要らないなら、そう言えばいい」
    身をかがめた彼は、腕を伸ばし、彼女の足元に落ちてしまっている自分の上着を拾った。
    寒そうに震える彼女に、着せかけてやったもの。
    いつもなら、こんなふうに上着を貸してやれば、メルシと笑うオスカル・フランソワ。
    しかし、今夜の彼女はそれを着ようとも、くるまろうともしてくれなかった。
    無視された上着は、馬車の揺れに合わせて少しずつずり落ちて、彼女が話し出すと同時にパサリと床に落ちたのだ。
    「寝返った男のジャケットなんて、借りたくもないか」
    それとも好きな男がいるから、もう俺のものなど身につけたくないのか。
    落ちた上着が、彼には最後通牒のように思えた。
    「ちっ…違っ」
    思いもよらないことを言われ、彼女は焦った。
    告白という慣れぬ大イベントに、気を取られていただけなのだ。
    とっさに手をのばし、上着の袖をつかんで引き戻す。
    「違うんだ、アンドレ」
    「いいよ」
    「よくない」
    「今さら気を使うな」
    「気など使っていない」
    2人の間で、ぎゅうぎゅうと引っぱりっこされる上着。
    もしフェルゼンが見ていたら、きっと脱力したことだろう。
    せっかくお膳立てしてやったというのに、好きあっている大人の男と女が何をしている…
    「本当にいいって」
    「おまえはよくても、私がよくない!」
    「もう判ったから!!」
    「何が!?」
    何が判ったというのだ。
    おまえにあっさり向かい側に座られて、私がどんなにショックを受けたか。
    私が今、おまえに何を伝えたいのか。
    「なんにも知らないくせに!!」
    彼女は座席から腰を上げた。
    そして、彼に引っ張られたふりをして、その隣になだれ込んだ。
    おまえが来てくれないのなら、私から行ってやる!
    「うわっ!オスカルっ!」
    それは勢いがつき過ぎて、ほとんどタックルに近かったけれど、彼はちゃんと受け止めてくれた。
    そのどさくさに紛れて、彼女はアンドレの耳もとに顔を埋める。
    告白に失敗したら、こんなことはできなくなる。
    もしこれが最後になるのなら、思う存分、甘えてやろうじゃないか。
    額をすりつけるように納まると、今まで気にしたこともなかったけれど、彼の匂いがした。
    懐かしくて安心できて、ちょっと泣きそうになる。
    ここまでくればもうヤケクソで、さらに彼女はアンドレの首に左手を回し、ぎゅっと力をこめて体を密着させた。長い幼なじみ期間の中で、彼が柔らかく抱いてくれたことは何度もあったが、自分から抱きついたのは初めてだった。こんなに密着したことも。
    それは思いのほか、落ちついた。
    まるで自分のためにある場所のようだった。
    「…アンドレ…」
    けれどそんなオスカル・フランソワの行動に、彼の方は落ちつけない。
    『アンドレ…!』
    そう呼んでおいて、何も言わずにじっと見つめてきた愛する女。それだけでも妖しい気持ちが昂まっているのに、いきなり抱きつかれ。
    これは…どうしたらいい?
    耳もとに、彼女のくちびるが触れている気がする。
    このまま抱擁に応えたい。
    強く抱き返して。
    でも。
    それをしたら、そこで止められる自信がない。
    自分の気持ちを知っているはずなのに、こんなことをしてくる女。
    オスカル。おまえ、どこまで俺を苦しめる?
    好きな男がいるんだろう!?
    苛立ちと愛情と、彼女の心をさらった男への嫉妬。
    全部が入り乱れて、彼女へぶつけてしまいたくなる。嫌がっても泣いても、無理矢理にでもくちづけたい気持ちに。
    彼はぴったりと張りついている彼女の、左の肩に手をかけた。
    けれど。
    「ごめん、オスカル。俺もう、こういうのはちょっと」
    引きはがすように、彼女を押し戻した。
    「やだ!」
    「やだ…っておまえ子供じゃあるまいし」
    引き気味の彼に、しかし彼女は、余計に体を密着させてきた。
    自分のせいで肩を傷めているオスカル・フランソワ。
    もう手荒なことはできなかった。やんわりと押し戻しはしても、本気の力を出すことはためらわれる。
    じわじわと攻めこまれるアンドレ。
    彼女に迫られたら、彼に拒否できるはずもない。
    その手応えは、恋にうとい彼女にも伝わっていた。
    意外といけるかもしれない。
    彼女は心の中で、恋の参謀官の言葉を確認する。
    できるだけ可愛く、女性らしい言葉遣いで、困ったときには“おねがい”と付け加えればよいのだ。
    よしっ。
    「アンドレ、話がある」
    来た!
    彼は内心そう思ったが、予想はしていたので、比較的穏やかに頷くことができた。
    「でも、話ならもう少し離れていてもできるだろう?」
    「い や だ」
    「オスカル!少しは俺の気持ちも考えてくれ」
    「だって」
    彼女はほんのちょっとだけ離れると、彼を見上げた。
    「顔を見てなんて、とても言えない。このまま聞いてく」
    れ。
    そう言おうとしたのだが。
    聞いてくれ。聞いてくれ?
    これは女性らしい言葉遣いなのだろうか?
    …違うよな。
    命令形はだめ。断定的なのもだめ。え‥っと。
    「このまま聞いて…く…く…ください」
    「ください!?」
    あああっ!まずった!!
    頼む、アンドレ。気にするな。
    まだ何も言っていないのに、早くもかなり恥ずかしい。
    「いいから!とにかく言わせ‥て」
    と、そうだ、ここで止めればいいのだ。語尾まできちんと話そうとするから、やっかいなことになる。
    切羽詰まった彼女のテンションはますます上がり、おたおたした様子がより甘やかな気配を濃厚にしていた。
    そんな状態で、アンドレには到底Nonなどと言えない。
    顔を隠すように、また耳もとへと埋まってしまった彼女に、じっとしているしかなかった。
    決して聞きたい話ではない。
    フェルゼンの言ったように、どうせ好きな男ができたという報告なのだ。
    そしてそれに続くのは。
    『だからもう、供はしなくてよい』とか『私付きから外れてくれ』とか、そんなところだろう。片思いなど知らせる必要もないのに、わざわざと話すぐらいなのだから。
    けれど、予想に反して彼女が話し始めたのは、詫び言だった。
    「表彰式のあと、ジェローデルから大方のことは聞いた。あいつがおまえを寝返らせたのだと」
    「だからって、言い訳にはならない。俺は自分の意思で寝返ったんだから」
    「そんなことない!おまえは止めたのに。あんなに行くなと言ったのに、私は邪魔だと切り捨てて。だからおまえは寝返るしかなかった。私を護るために。そうだろう?」
    「買いかぶり過ぎだよ、オスカル。俺はそんな高尚な人間じゃない」
    あのとき彼の心を占めていたのは、自分を邪魔だと言い切った彼女への苛立ちや、今さら現れたフェルゼンへの嫉妬、挑発してくるジェローデルに対する憤り。
    ただそれだけ。
    彼女が思うような、おきれいなものでは決してなかった。
    「だとしても、アンドレ。今日は……す‥まなかった。
    いくらゲームに集中していたとはいえ、言い過ぎた。
    本当に悪かったと思っている。許してくれ……
    ると嬉しい」
    ちっ。許し“て”で止めれば良かったのに!
    だめだ、フェルゼン。
    可愛く女性らしくなんて、私には無理だ!
    彼女が助けを求めると、参謀官は胸の奥でくつくつと笑っていた。
    『格好悪くてもいいじゃないか』
    …そ‥か、そうだな。
    もうすでに、かなり格好悪いのだもの。
    『気持ちは嬉しいけど、ごめん』
    そう言われたっていい。
    今まで自分が彼の想いにどれだけ冷たかったか。
    この告白が遅すぎたとしても、言うだけは言わなければ。卑怯者のままでは、親友でもいられない。
    彼女はこれから言おうとする台詞に、大きく息を吸った。
    「あの寝返りで、私には判ったことがある」
    彼の耳もとへと埋まっているせいか、自分の心臓の音がはっきりと聞こえる。
    かなり早くて…
    それは彼にもそっくりと響いていた。
    先ほどからの彼女のおかしな言葉遣いも、らしくもなくオロオロした様子も、彼にはすべてが愛らしい。
    こんなにうろたえているところをみると、片思いの相手は自分の知っている男なのかもしれない。
    まさか少佐?
    それでもいい気がした。
    今日の試合。
    ジェローデルがどれほど彼女を想っているか、彼にも伝わってきたから。
    最後に彼女が放った雪球。
    フェルゼンの手に当たって跳ね返ったそれは、ジェローデルを掠めたが。
    彼の位置からは見えていた。
    ジェローデルは被弾なんかしていない。
    頬を傷つけ紅の筋を引いたのは、雪球ではなく、砕け散った氷の破片なのだと。
    『宮廷では人気を誇り、長いつき合いの中、オスカル自身、その男への想いを自覚したばかり』
    あの男なら、フェルゼンからのヒントにも合致している。
    それでも、本当にもう、どうでもよかった。
    彼女がこんなにドキドキして、女の子らしい顔をして、好きな男のことを話そうとしている。
    片思いとはいえ、きっと幸せなのだろう。
    それは彼にも判る。
    オスカル・フランソワに恋をしはじめたとき、彼女を想うだけで幸せだった頃が、彼にもあった。
    ならもう、それでいいじゃないか。
    あとは今まで通り、見守ってやるだけ。それしかできないのだから。
    彼はようやく優しい気持ちを取り戻し、彼女を助けてやるべく口を開いた。
    「大丈夫だよ、オスカル。落ちついて。
    おまえの気持ちは、フェルゼン伯から聞いてるから」
    「…え"!? え"ぇぇぇ!!」
    派手に驚きながら、彼女は彼を見上げて、恐る恐る聞いた。


    「それでおまえは…どう思ったのだ?」


    5につづく
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