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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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    「そんなにアンドレが気になる?」
    自分としてはさり気なく様子をうかがっているつもりだったのに、ニヤニヤしたフェルゼンにそう言われて、彼女は顔から火が出そうになった。
    「そんな…気になんてしてないさ」
    彼とのつき合いは長いが、フェルゼンとのつき合いも結構長い。今まで自分がどんな態度でアンドレに接してきたか、フェルゼンには全部知られてしまっている。
    それだけでもばつが悪いのに、フェルゼンは片思いに終わった初恋の相手。
    そんな男が耳もとで彼の名を口にするものだから、男女のことに経験値の低い彼女はもう、どうにかなりそうだった。
    「おまえ、この事態を楽しんでいるだろう?」
    「とんでもない!」
    即座にそう答えたフェルゼンの目は明らかに笑っている。
    「君がアンドレへの想いを私で埋めようというのなら、喜んでその役目を引き受けるけれどね」
    「それは親友として、か?それとも」
    「もちろんそれは、君の思うままに。私としては男として求めて欲しいところだな」
    「おまえ、久しく見ないうちに変わったな。そんなおちゃらけた男だったか?」
    驚きと呆れが混ざった声音の彼女に、フェルゼンは少しだけまじめな顔をした。
    「あの頃は、君が怖いぐらい真剣だったから」
    「あ‥あ」
    そうか。そうだよな。
    彼女は素直に納得してしまった。
    フェルゼンへの想いをひた隠しにしてきて、ついにそれがバレてしまったとき。
    私はきっと「水に流してこれからは真実の友人に」などと言わせないぐらい、切羽詰まった顔をしていたのだろう。男女のことにこなれたフェルゼンだもの、自分に好意を寄せる女とも、上手に友達でいられたはず。
    あのとき彼女にもう少し余裕があれば、フェルゼンも決別までは言い出さなかったに違いない。
    「若気の至り、というやつか」
    彼女は独りごちたが、フェルゼンはクスクスと笑った。
    「何がおかしい?」
    「オスカル。君は今、若気の至りと言ったけれど、私には、今の君も昔の君も同じように見えるよ」
    「?」
    「一生懸命過ぎるということさ。思慮深いのは君のよいところだが、少々理屈っぽいのが難点だ」
    「理屈っぽいっておまえ」
    「恋なんて、考えては駄目なものだ。今だってきっと、アンドレの気持ちを推し量り、先走った自己完結をしているのではないか?」
    「ぐっ…」
    理屈っぽいと言われて反論しかけた彼女だったが、心の中を見事に言い当てられて、何も言えなくなった。
    「ほらね」
    そんな彼女に、フェルゼンは再び飄々とした空気を取り戻す。
    「たまにはなりふり構わず格好悪くなってみるといい。もしアンドレに振られても、君には私という受け皿があるよ」
    「私に愛人になれと?」
    それは試合中、ラビリンスの中で口にした台詞。
    あのときには、追い詰められてやっと言った言葉だったけれど、本日2度目のこの台詞は苦笑混じりだった。
    親友に戻ったこの男が、軽口を叩いて励ましてくれるのが嬉しくて。
    「私で不満なら、見目麗しい近衛連隊長だって君にぞっこんな上、あのソワソンとかいう若者もいるじゃないか。
    30を過ぎても宮廷を彩った美貌は健在だし、モテモテだな、オスカルさま!」
    「判った判った」
    ちゃかすようなフェルゼンに、苦笑が徐々に本物の笑いに変わってゆき、ついに彼女はくっくと笑い声をあげた。
    「おまえ本当に変わったな。いや、元々こういう男だったのか」
    初恋に目がくらんで、私が気づかなかっただけで。
    軽妙な気配をかもし出すフェルゼンは、憧れよりも人間味を増し、やっぱりとても魅力的だった。
    彼への想いを自覚したばかりだというのに、フェルゼンにも魅力を感じるなんて。
    彼女はまたも自己完結へと向かいそうになったが、ちょっと息をつき、小さく笑った。
    これが理屈っぽいということか。
    ならば、そうだ!
    いっそのこと、いざとなったら私にはフェルゼンがいるのだと開き直ってしまえばよい。
    『遅すぎたのかもしれない』
    そんなふうに思いつめていた気持ちが、フェルゼンの軽妙さのおかげで、ずいぶんと楽になっている。
    「なりふり構わず、か」
    うん。ちょっと怖いような気もするけれど、ときにはそれも必要かもしれない。
    おそらくこれは、人生最大の大勝負になるのだから。
    「不安?」
    そう問いかけられて、彼女は気恥ずかしいながらも正直に頷いた。
    気難しそうに眉をひそめているくせに、後方の彼をチラチラと気にするそぶりが愛らしい。
    「でも、君もひとつだけ変わったところがあるね。美しさは相変わらずだが、それ以上にとてもかわいくなっている」
    「もう!じゅうぶん励まされたから、いいかげんにからかうのはやめてくれ」
    この私を、かわいいだなんて。
    照れと困惑が入り交じり、ちょっとふてくされた表情を見せるオスカル・フランソワは本当にかわいらしく、フェルゼンはつくづくと彼女を袖にしてしまった過去の判断を悔いた。
    愛する人は一国の王妃。絶対に手に入れることはできない。
    けれど。
    目の前にいる男装の麗人は、かつて自分1人だけを一途に思ってくれていたのだ。おそらくは純潔で、もしかしたら、くちづけすらまだ知らない身で。
    それは男としては堪えられない話だったのに。
    しかし、女の機微を熟知しているフェルゼンは、そんな気持ちをおくびにも出さなかった。
    少しでも気取られることがあれば、男女のことにちょっぴり潔癖な彼女のこと、あっという間に引いてしまうだろう。今は友情を育てつつ、万一、彼女がアンドレに振られるようなことがあれば、そのときに改めて、男の優しさでもって身も心も慰めてやればよい。
    男ならではの思惑をきれいに隠し、フェルゼンはあくまでも爽やかだった。彼女にはとても見抜けぬほどに。
    「大丈夫だ、オスカル。きっと上手くいく。男はギャップに弱いから、その調子でかわいくせまれば、アンドレなどたやすく陥落できるぞ。勝機は君にある」
    「かわいく!?」
    フェルゼンのアドバイスに、彼女はめまいがしてきた。
    「…無理だ」
    「そうか?そんなことないと思うが。
    そうだ、オスカル!君、女言葉は使えるか?」
    「へ?」
    「~だわ、みたいな露骨なやつじゃなくていい。君の場合は元が元だから、命令的な口調や断定的な言い方をしないだけでも、じゅうぶん女性らしくなるだろう。
    最後に『おねがい』とでも付け加えれば、たいがいのことはなんとかなる」
    「それぐらいなら出来と思うが…そんな簡単なものか?」
    「そんな簡単なものだよ、男なんて。それに先ほど少し話したとき、アンドレは微妙に感情的だった」
    「感情的?あいつが?」
    「寝返ったことを心苦しく思っているようだ。君の負傷についても、かなりの責任を感じているらしい」
    「そう、か」
    『だから行くなと言っただろう?』
    あのときの彼の冷たい声。
    先ほどの無表情にそらされた目線。
    不安な要素はいくらでもあるが。
    「だからこそ、私から飛びこまないといけないのだな」
    「そういうことだ」
    フェルゼンが彼女を気遣ったため、ことさらゆっくりと歩いてきた3人だったが、馬車はもう目の前まで近づいている。
    いよいよ屋敷に帰り、彼と2人きりになるのかと思うと、緊張が高まってくる彼女。
    手のひらにいやな汗をかいている。
    フェルゼンは彼女の横顔をうかがい、エスコートしていた腕を放した。
    「ちょっと待っていてくれるか?」
    そう一声かけて、5~6メートル離れたところで足を止めているアンドレへと引き返す。
    不自然に取られた距離に、フェルゼンにはうすうす感じていた違和感の正体がはっきりしてきた。
    アンドレめ。どうやら私とオスカルになにかあったと勘繰っているようだな。
    お互いを思い過ぎて、やたらと遠回りしている2人。
    やれやれ。まったく世話の焼けることだ。
    フェルゼンは、注意を喚起するように彼の肩をポンと叩いた。
    「アンドレ、話がある」


    少し先を歩く2人は、ますます親しそうに話していた。
    フェルゼンが何か話すたびに、彼女はころころと表情を変えているようだ。
    普段、人前ではクールビューティなオスカル・フランソワ。衛兵隊の隊員の前でなら、少しはくつろいだ様子を見せることもあるが、基本的には端正なたたずまいを崩さない。
    彼女が見せる豊かな表情は、彼だけが知る大切なものだった。しかし「自分だけ」と思っていた様々なことが、これからはフェルゼンに振り替えられていくのだ。
    2人から目を逸らしたい彼だったが、けれどしっかりと顔を上げ、愛する女の挙動をつぶさに観察しはじめた。
    慣れてしまえばいいのだ。
    彼女の隣には、フェルゼンがいるものだと。
    見つめる彼の目の先で、彼女は声をあげて笑っている。
    …オスカル。
    立ち止まる彼。
    黙ってそれを眺め。
    胸には寂しさと痛みがあるのに、気がつけば彼は微笑っていた。どんなときでも彼女の笑顔は、彼をも笑顔にさせる。
    こんな… ときでさえ。
    参ったな。
    自分でも呆れるほどに、彼女を愛している。
    しかし、浮かべた笑顔はすぐに消されていった。
    思いがけずに1人引き返して来たフェルゼンが、彼に告げたひとことのために。
    「アンドレ、話がある。既に察しているだろうが、オスカルのことだ」
    そのシンプルな切り込み方に、彼は背景にベタフラッシュが入るほどドキリとした。
    来たか。ついに来たのか。
    あいつを手放す瞬間が。
    彼は目線をオスカル・フランソワに投げかけ、そして一瞬で気持ちを立て直した。
    ずっと密かに愛してきた彼女の初恋を見届ける。
    そう心に決めたのだから。
    「アンドレ、落ちついて聞いて欲しい。これは本来、私から言うべきことではないのだが」
    「はい」
    そんなこと判ってる!
    そう思いながらも、彼は覚悟を持って、穏やかな返事をした。
    のだが。
    「オスカルは今、片思いをしている」
    「ええ、判っていま…え”?」
    「私が思うに、相手の男も、彼女を憎からず思っているはずだ」
    「だっ… え”ぇぇ!?」
    いつもの落ちつき払った従僕づらを作るのも忘れ、彼は素っ頓狂な声をあげていた。
    いつ?いつの間に?あいつに好きな男!?
    「あの…それはいつから、いや、相手はどん‥な」
    いきなり投下された爆弾発言に、狼狽しきって言葉が上手く出てこない。
    「オスカル自身、自分の想いに気づいたばかりのようだ。ただ相手がね」
    何か問題ありそうなフェルゼンの口調。
    彼の不安はいいように煽られる。
    「オスカルには不釣り合い過ぎるほど、身分の低い男なのだ。彼女はそんなこと、まったく気にしていないが」
    そうだ。愛したなら、身分など気にしない。
    あいつはそういうやつだ。
    「私や近衛連隊長と同じぐらいの体格で、なかなかのイケメンだ。かつては宮廷でも隠れた人気を誇っていた」
    宮廷で人気?近衛の頃の?
    ということは、あいつはそんなに長い間その男を想い、やっとその気持ちを自覚したというのか。
    いや、待てよ。それだとフェルゼン伯と時期が被るじゃないか。あいつは二股が出来るほど器用じゃないはず。どういうことだ?
    湧いて出る色々な疑問に、彼の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
    そこへ、とどめの一撃。
    「しかもその男は、軽く暴力傾向にあるらしい。オスカルの様子が気になって、少し追及してみたら話してくれた」
    「暴‥力!?」
    あのオスカルに暴力?
    フェルゼン伯と同じぐらいの体格と言えば男としても長身だし、まぁ、俺程度のウェイトだとしてもけっこう力はあるはず。武勇伝ばかり先行しているが、剣も持たないあいつは非力な女性でしかないというのに。
    根がロマンティストな彼には、殴られた頬を押さえ、怯えながらも惹かれる心を止められずに男へと取りすがる彼女がリアルに想像できた。
    なんということだ。そんなろくでもない男に片思いしているなんて。
    「愛しているなら暴力など振るえないはずと、ずいぶん沈んだ様子だった。私なりに励ましたけれどね」
    そこまで言うと、フェルゼンは思わせぶりだった声の調子をガラリと変えた。
    「オスカルを馬車に乗せてやってくれ。ステップも凍り始めているし、今の彼女では手助けが必要だ。すっかり冷えきって震えていたから、多少いやがったとしても速やかに乗せてしまうように。
    私は少し、御者と話すことがある」
    彼への親しみを表すようにあたたかだった態度が、グッと威厳のあるものになる。
    ピシリと命令され、彼は無意識に従僕モードになった。
    用意されている馬車はフェルゼン家のもの。
    送っていただく以上、主人である彼女ともども、なるべく煩わせないようにせねばならない。
    たった今聞かされた話に当然心は大揺れだったのに、長年勤めた従僕としての職業意識はたいしたもので、彼はピタッと落ちついた。
    機敏に馬車へと走り寄ると客室の扉を開け、普段通りのさりげなさでオスカル・フランソワの手を取る。
    しかし、彼女の方がその手を引っ込めた。
    振り払われたわけではないが、やんわりといやがっているのは判る。
    寝返った俺に触られるのがいやなのか、好きな男がいるから触られたくないのか。
    「フェルゼン伯が、寒いから先に馬車に乗ってろって。御者と少し話があるそうだ。
    だからおとなしく言うことを聞いてくれ」
    言い聞かせるように顔をのぞきこむと、彼女の頬は赤かった。
    寒さのせい?それとも風邪でもひいたのか。
    「オスカル、大丈夫か?」
    額に手を当ててみると、彼女は見た目に判るほど、みるみると真っ赤になった。
    後ずさって馬車の扉にぶつかり、後ろも見ずにそのままステップに足をかけている。
    「おまえ、危な‥」
    凍った靴底がツルツルと危うく、彼はとっさに支えたが、それがかえって彼女をよろめかせた。
    支えるだけのつもりで伸ばした腕に、彼女の体重がかかる。
    「わわっっ!」
    重さに引きずられそうになりながら、それでも彼は腰を落とし、彼女を受け止めた。
    膝の上に横抱きにされて収まる彼女。
    それは2人にとって、たいして珍しい距離感ではないはずだった。
    それなのに。
    彼と彼女の間には、おかしな緊張が走る。
    いや、緊張感とも違う、高まった想いが溢れる寸前のような、期待と不安が入り混じった甘ったるいテンションが。
    なんなんだ、これ?
    彼女からかもし出されている「おかしな」としか言えない気配に、彼までもが妖しい気分になってくる。
    …2人きりになりたい。
    フェルゼンが戻って来るまでのわずかな時間だけでも2人きりになりたくて、彼は彼女を抱え直すと、馬車へと乗り込んだ。
    一緒に送ってもらうといっても、身分柄、フェルゼンが戻れば、彼は客室を降り御者台の片隅にでも回ることになる。
    いつもとどこか違う様子を見せる彼女に、たった今、2人の時間が欲しかった。
    腕に抱えた愛する女を、彼は丁寧に座席へと座らせる。
    傷めている肩の位置を落ち着かせ、ジャケットの乱れを整えて、待ちきれない思いで真正面から彼女を見つめ。
    その瞬間だった。

    「バンっ!!」
    大きな音を立て、外から扉が閉められる。
    「え!?」
    「は!?」
    2人が似たような声をあげて顔を向けると、そこには、実に愉快そうな笑いをたたえたフェルゼンがいた。
    笑っているばかりではない。
    小バカにしたように、小さく手なんか振っている。
    御者と話しているはずではなかったのか。
    「フェルゼンさま!?」
    「おい、フェルゼン!」
    2人はまたも同時に似たような言葉を発したが、馬車はガラガラと走り出してしまった。
    車窓に消えたフェルゼンの笑顔。
    それは彼女には「頑張れよ」という天使の微笑みに見え、彼には爆弾発言をぶち上げて言い逃げした悪魔的な笑いに見えた。
    もっともフェルゼンは天使でも悪魔でもなく、親切心もあれば下心もあるただの男で、走り去る馬車をひと仕事終えた気分で見送っていた。
    オスカルとアンドレ。
    昔ながらの友情を感じるあの2人が、今宵どうなることか。
    上手くいって欲しい気もする…が、傷ついた彼女を優しく慰める構図も捨てがたい。
    「すべては神のみぞ知る、といったところか」
    手持ち無沙汰になってしまったフェルゼンも、辻馬車を拾うべく競技場をあとにする。


    こうしてやっと、本日熱戦が繰り広げられたフィールドに、本当の静けさが訪れた。
    波乱に揺れた試合はこれで完全にお開きとなったが、彼と彼女にとっての本戦は、ジャルジェ家へと会場を移しただけだった。


    4につづく
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