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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【6】

UP◆ 2011/8/5

    父・レニエ付きの侍女であるエマと、彼女付きのジュリに恋人がいるとバレてしまったオスカル・フランソワ。
    当初は彼と2人、相当に焦ったのだが、際どいところで恋人の名が露見するという難は逃れた。
    立ち聞きと脚色というろくでもないことをしでかしてくれたエマには腹立たしいが、おかげで2人はたった1日だけれど、恋人気分に浸れる夏のひとときが持てそうである。
    しかも、彼女に秘密の恋人がいて、その恋の相談相手がアンドレということになっているのなら、それはかえって都合が良い。
    彼と多少親密にしていても、2人の関係を勘ぐられる危険性は、これでグッと下がった。
    侍女の目からは、男としての彼はノーマーク。
    こうなってくると、エマのしてくれたことはファインプレイと言ってよい気がしてくる。
    しかし…

    落雷&集中豪雨にみまわれた翌日、出勤直前の彼女は屋敷のメインエントランスで、レニエの見送りに出ていたエマに
    気づいた。
    御者や厩番が車寄せでせわしなく馬車を整えている。
    父とはいえ、当主で上官でもあるレニエのご出勤の邪魔をしては無礼にあたる。
    彼女は混んだエントランスから、自分の見送りに付いていた侍女たちをいったん退さがらせた。
    オスカル・フランソワ付きの侍女たちが皆、屋敷内のホールへ戻っていく。
    彼女はそれを確認してから、車寄せの端っこに並んでレニエのお出ましを待っているエマにそっと声をかけた。
    父親付きのエマと接触する機会は、普通であれば、ない。
    部屋に呼びつけることもできたが、彼女が父親付きの侍女を呼ぶなど、見る者が見れば不自然だ。
    エマにひとこと言っておきたかった彼女には、朝の見送りの
    どさくさにまぎれた今が、たまたま訪れたちょうどいいタイミングだった。
    エマの方はとっくにオスカル・フランソワに気がついていたようで、彼女を見つめて瞳をきらきらさせている。
    その目の悪気のなさが逆に恐ろしい。
    恋人の名という秘密は保持されているが、エマにはやはり不安が残る。
    「おはよう、エマ。ちょっといいか」
    彼女ができるだけ目立たぬように小声で言ったというのに
    エマはぱあぁっと表情を明るくしてすり寄ってきた。
    「おはようございますぅ、オスカルさま!」
    そのでかい声。
    彼女はたまらずエマのひじをつかむと、車寄せを離れ、エントランスの陰へと連れこんだ。
    いちいちバカでかい声で返事をされては、話が筒抜けになるではないか。
    「昨夜、部屋にジュリが来たのだが」
    「まあぁ!ええ、そうでしょうね!!
    あたしがすすめたんです。オスカルさまのために!」
    やっぱりエマは判っていない。
    「あのね、エマ。私のためを思うなら」
    「オスカルさまと1番仲良しの侍女がジュリさんなのは、みんなが知っていることですもの。
    きっとオスカルさまの秘密の恋のお手伝いをしてくれると思って、あたし、教えてあげたんです!」
    エマはさも得意そうに言った。
    おい、そういう問題じゃないだろう?
    彼女は朝から力が抜けそうになった。
    「でも私はこの件を口外しないで欲しいと頼んだはずだ」
    衛兵隊の隊員であれば、慌てて姿勢がピンと伸びるような目で、彼女はエマを見下ろした。
    しかしエマはそれをまったく気にせず、ペロリと舌を出すと
    上目づかいに笑った。
    「もぉ。オスカルさまったら、怒っちゃってます?」
    「お…怒っちゃってって、おまえ」
    エマの無礼講っぷりに、彼女は開いた口がふさがらなかった。
    しつけの行き届いた侍女や、上官の命令は絶対!という環境しか知らない彼女は、エマの態度にドン引きする。
    これが今どきの若い女の子なんだろうか…?
    と、思う私はもう若くないということか?
    つい余計なことまで考える。
    いかん。なにを気を散らしているんだ私は!
    どうも彼女はエマが苦手なようだった。
    本能的に合わないのだろう。
    「女の子同士が恋バナで『秘密』と言ったら、普通拡散OKじゃないですかぁ」
    そ‥うなのか?そういうものなのか?
    普通の女の子をしてこなかった彼女には、そう言われると
    ちょっと困る。
    うーむ…判らん。
    いや、決してそんなことはないはずだ。
    だって秘密は秘密だろう!?
    『内緒ね』と言いながら、秘密が公然のものになっていくさまを、彼女は宮廷でさんざん見てきたはず。
    それなのに『秘密』それが自分の恋となれば、彼女の思考回路はすっかりポンコツだった。
    「普通の婦女子がどうなのか、悪いが私には判らない。
    でも私の場合は本当に口外してもらいたくないんだ。
    もし、父の耳に入れば間違いなくやっかいなことになるし」
    彼女は真剣である。
    けれど、エマにはどこ吹く風だった。
    「大丈夫ですわぁ、オスカルさま。
    私たちだって、本当の秘密と言ってもいい秘密の区別ぐらいつきますって!」
    言ってもいい秘密って、そんなものあるか!
    だいたいおまえ、実際、区別などできていないだろうが!!
    そう言ってやりたいオスカル・フランソワだったが、しかし
    いくらポンコツ化しているとは言え、彼女はエマの台詞に引っかかるものを感じた。
    「おまえ、今、『私たち』と言ったな?」
    「ええ。言いましたけど、なにか?」
    「では、他にも誰かにこの件を漏らしたと?」
    「でも、大丈夫ですわ、オスカルさま。
    私たち、だんなさまには絶対に言ったりしませんもの。
    使用人同士の結束って固いんですわぁ」
    …判っていない。
    エマは彼女の頼みなど、まったく判っていなかった。
    そういうことではないというのに!
    それなのにエマは得も言われぬ嬉しそうな顔をして、さらに言う。
    「オスカルさまだっておっしゃったでしょ。
    好きな男を自分のものだと人に言いたいって。
    だ・か・ら・これからはあたしたちがたっぷり聞いてあげますねっ!もちろん、おのろけも」
    「…のろけ…」
    私がのろけるとでも!?冗談じゃない!
    「エマ。この際はっきり言っておくが、私のためをお」
    「あらぁ!だんなさまのお出ましですわ」
    エマは次期当主の言葉を平気でぶった切った。
    「大変。あたし、行かなくちゃ。また怒られちゃう。
    失礼しますわね、オスカルさま」
    「ちょっ…おまえっ!もう絶対に誰にも口外はするな。
    これは命令だ。絶対だからな!おいっっ!!」
    ちゃんと聞いているのかいないのか、メイド服の裾を軽やかにひるがえし、エマは見送りの列に戻ってしまった。
    「はぁぁぁ」
    まだ出勤前だというのに、彼女はもうすでにドッと疲れていた。
    どうもあの娘とは話が噛み合わぬ。
    本当に、本っ当に彼の名まで知られずに済んで良かった。
    早朝からの祖母の雑用で、先に屋敷を出ているアンドレは
    まだそのことを知らない。
    『恋人がいるとはバレてしまったが、それがおまえだとはバレていないんだ』
    そう教えてやったら、あいつはどんなに安心するだろう。
    アンドレ自身の保身ではなく、彼女の名誉のために。
    そう。
    彼女もややこしい生き方をしているが、それにがっぷり四つで付きあってきた彼もまた、心労と辛労の多い人生なのだ。
    それを思うと、エマがジュリ以外にも口外しているらしいことは言えない気持ちになる。
    これ以上、あいつの気苦労を増やしたくない。
    彼の名がバレていないのであれば、あとは彼女が侍女たちにいじられるのをがまんすればいいだけのこと。
    相手にしなければそのうち飽きるだろうし、人の噂も75日と
    いうではないか。
    2ヵ月少々、私が耐えればよいのだ。
    愛する男のためである。
    耐えてみせるとも。
    朝から精神的にけっこうなダメージを負った彼女だったが
    アンドレの喜ぶ顔見たさに、根性で午前の勤務までを乗り切った。
    ようやく朗報を伝えられたのは、午後になってから。
    しかし、自分が朗報を伝えるつもりだった彼女は、逆に彼からデートのお誘いという素晴らしいお知らせをもらってしまった。
    遠乗りもかねて、小さな湖に誘ってくれた彼。
    …この男、やっぱり私を判ってる。
    胸の奥が甘く痛んだ。
    子供の頃、よく2人は遠乗りに出かけた。
    知っているようでなにも知らなかった、2人にとって1番幸福な時代だ。
    成長して彼女が要職につくようになってからも、彼はときおり連れ出してくれた。
    そんなときは大抵、彼女がなにかを抱え込んでいっぱいいっぱいのときで。
    屋敷にも宮廷にも言える場所がない気持ちを、ちょっとした
    非日常の中でなら話すことができた。
    それが彼女にとって、どれだけ支えになったか。
    アンドレの手の中で守られてきた私。
    ずっと気づかずにきて、他の男に夢中だったときにも変わらずに守り続けてくれたひと。
    小鳥のひなのように、彼の大きな手の中に包まれている自分を想像すると、今まで感じたことのないせつなさでいっぱいになり、本当に最近の自分はどうかしているとつくづく思う。
    そうでなければ、彼に対して特別な感情を持たずにきた今までがどうかしていたのだ。
    手をつないで湖畔を散策する情景が目に浮かび、胸の奥で甘い痛みが強くなる。
    彼女は小さな吐息を漏らした。
    彼とこうなる前は、手をつないで歩くカップルが目に入ろうものなら「いい年してひとりで歩けないのか、たわけがっ!」
    などと思ったものだが。
    …だめだ。
    もし今、彼と手をつないで歩いたりなんかしたら、それだけ
    ではすまない気がする。
    彼の腕に邪魔くさいほどまとわりつくおのれが容易に想像でき、彼女はゾッとした。
    本当にやりかねない今の自分が恐ろしい。
    そんな自分を打ち消すように、彼女はあえてお仕事口調で
    びしっと言った。
    「確実に休暇を取るために、今日は仕事を少し持ち帰る。
    その続きだ。おまえも手伝えよ」

    その夜。
    彼女は晩餐や湯浴みのあと、本当に持ち帰ってきたデスクワークを黙々と片づけていた。
    暴風・落雷と続いた2夜は、まだ始まったばかりの2人には
    長かった。
    ことに、初めての恋人にのぼせ上がっている彼女は、とても長く感じている。
    勤務中もほぼ一緒にいるし、同じ屋敷に住んでいるというのに、就寝前のひとときを共に過ごせなかっただけでなにを
    寂しがることもなかろうに。
    しかもたったの2晩。
    それなのに今夜はよりいっそう彼の訪れが待ち遠しかった。
    仕事をきちんとこなしながらも、意識は扉へと向けられている。
    晩餐のとき給仕にあたっていた彼は、さりげなく今宵の酒はなにがよいかと聞いてきた。
    あえて皆の前で聞くことで、酒を持ってさえいれば彼は今夜も堂々と彼女の部屋を訪ねることができる。
    そして彼女も、用心深い彼の工作にちゃんと乗った。
    「今日は急ぎの仕事を持ち帰っている。
    ずいぶんと量が多いので、手伝ってくれ。
    遅くまでかかると思うけれど」
    なにげなく『遅くまでかかる』と強調した彼女に、彼は微かに笑った。
    彼女にしか判らない程度に。
    それからずっと、彼女はアンドレの訪れを待っていた。
    今夜は遠乗りの話題で盛り上がるに決まってる。
    そうだ!あいつが来たら、久しぶりに一緒に馬具の手入れでもしようかな。
    もちろん彼女の馬具など、専門の職人がきちんとメンテナンスしている。
    そんなこと判っているけれど。
    でもその方が、酒を飲みながら話すよりずっと楽しいはず。
    彼女は手を止めると、ひとり、くすくすと笑った。
    30も過ぎたいい大人が、遠乗りぐらいでこんなにはしゃぐなんて。
    恋とはなんと奇妙なものだろう。
    誰しもがこんなふうになってしまうのか、それとも私だけが
    特別と溺れているのか。
    彼女の笑みが苦笑に変わった瞬間、扉がほとほとと鳴った。
    お待ちかねの、恋人登場の合図。
    苦笑はまた一変して、本物の笑顔になる。
    でも彼女は扉が開く前に、その笑顔をしまいこんだ。
    今夜は彼の思い通りになんかされない。
    彼はするりと部屋に入って来ると、まっすぐにテーブルへ向かう。
    執務用の机で書類を書きかけたまま、彼女は要領よく酒や
    グラスをセットしていく彼を見ていた。
    その顔。
    「待ちきれない目をしてるね」
    作業を終えた彼がついと近寄ってきて、背中からのぞきこんでくる。
    「別に…そんなこと」
    早々と胸の内を言い当てられて、彼女は言葉を濁した。
    彼は片手でオスカル・フランソワを柔らかく抱きしめながら、彼女の手から羽ペンを抜き取る。
    頬と頬が触れるぐらいの距離に、もうお姫さまがどきどきしているのが彼には判った。
    近頃の彼にとって、もっとも征服欲が満たされる瞬間。
    でも、その征服感に彼は満足するどころか、さらになお彼女を追いつめたいサディスティックな気分になった。
    「待ちきれないようなので、さっそく続きを始めましょうか?」
    愉悦がたっぷりと含まれた声で耳元でそう言われ、彼女の頭の中に、昼間司令官室でかわした掠めるようなくちづけがフラッシュバックした。
    あのとき『続きは今夜、部屋で』と言ったのは、私。
    でも。
    「どうする?続き。
    …する?しない?」
    彼は優しく意地の悪い質問を重ねてきた。
    どうしてそんな答えようのないことを聞く?
    困った目で見つめ返しても、彼は許してくれない。
    彼女の困り果てて哀願する顔は、彼をさらにそそるだけ。
    「して欲しいの?欲しくないの?
    ちゃんと言ってくれなきゃ」
    そのまま彼は声を秘ひそめ、彼女の耳にくちびるを微かに触れさせながら言った。
    「判らないだろう?」
    低くてよく響くこの声に、彼女は弱い。
    怒号や罵声、恫喝になら少しも臆することはない彼女なのに、知らなかった…耳もとで囁かれる彼の声に、自分がこんなに無力だなんて。
    今宵こそは彼の思惑に乗るまいと思ったばかりだが、そんな気持ちはすでに遠い。
    答えあぐねて目線をさまよわせ、時間を稼いでみたところで、彼女の反応を楽しむような彼の表情は変わらない。
    彼が望む答えを言うまで、質問はきっと、何度でも繰り返される。
    彼女の苦手なこういった言葉遊びが、彼はことさら好きなようだった。
    こんなに長いつきあいなのに、彼のそんな一面を知ったのも最近で…
    このところ彼女は何度も逆襲をこころみているが、成功した試しがない。
    今宵もやはり、言い抜けることはできぬようだ。
    「アンドレ‥私…」
    その声があまりにも決意に満ち満ちていたので、彼は思わず吹き出した。
    いいかげん慣れればいいのに!
    「あーあ。オスカル、おまえがとろいから、インクが乾いちゃったじゃなかいか」
    彼は羽根ペンの先を見つめながら、彼女の手もとから書きかけの書類を抜き取った。
    「?」
    「続きって、仕事の続きだろ?
    司令官室でおまえが言ったんじゃないか。
    仕事を持ち帰るから、その続きを手伝えって」
    「!」
    「なんの続きだと思ったの?」
    判っているくせに、彼は半笑いで聞いてきた。
    軽くむかつく小バカにしたようなその口調。
    「私だって仕事の続きだと思ったさ」
    いいように遊ばれて、彼女は照れまじりにふてくされた。
    「そうかな」
    彼の口もとがニヤリと笑う。
    「おまえが欲しがっている方の続きをしてあげてもいいんだけど?」
    見事にハメられて、デリケートになっている心を容赦なく突かれ、彼女の頬が一気に赤くなる。
    「なにも欲しがってなどいないっ!」
    ひとり、わたわたするオスカル・フランソワを横目に、彼は彼女の仕事の続きを始めた。
    しかし。
    彼女の方は、悔しさと恥ずかしさがおさまらなかった。
    人の気持ちをこれだけ乱しておいて、きさま、よくも!
    なんとか報復してやりたいが…
    そうだ。いっそのこと私から誘惑して、煽るだけ煽って放り出してやろうかな。
    彼女は酒の並んだテーブルの方でペンを走らせている彼の隣にちょこんと座った。
    でも。
    誘惑…って、どうすればいいんだろう?
    あまりあからさまなことはできないし、する度胸もない。
    おふざけが過ぎて、また押し倒されてもちょっと困るし。
    うーん、どうしよう。
    「なに?」
    隣に移ってきて、なにやらもじもじしはじめた彼女に、彼は聞いた。
    「いや、なにも」
    目をそらしたまま返事をするお姫さま。
    それだけでアンドレには彼女の気持ちが判り、金色の髪を
    くしゃくしゃとかき回した。
    「これを終わらせたらかまってやるから、おとなしく待ってろ」
    掛け値なく普段通りに彼が笑ったので、彼女はつられて素直に頷いた。
    その仕草があんまり可愛らしかったものだから、彼は髪を撫でていた手を彼女の細い首へと滑らた。
    そのまま力強く引き寄せる。
    「…待っ」
    ろくにしゃべらせてもらえずに、彼女はくちびるをふさがれた。
    ずるい。うそつき。
    『これを終わらせたら』って言ったじゃないか!
    そんなことを思っているのに、指先は彼の背中をたどっている。
    …まずい。流される…
    と。
    なんだかんだ言っても、ここまでは非常にイイ感じの恋人の夜だったのに。
    荒々しいノックの音が唐突に響いた。
    彼女の肩がビクンと揺れる。
    前回のことで多少学習しているので、扉には彼が部屋に入るときにしっかり鍵がかけてある。
    が、それでもやはり、ひやりとする。
    彼は素早く立ち上がると扉へ向かい、鍵を開けた。
    「失礼しますわね、オスカルさま!」
    威勢よく入って来たのは、女。
    「エリサ、やめて!もういいから。あたし、気にしてないから!!」
    ジュリが必死で止めている。
    それを振り切るように、ぐいぐいと彼女の前まで押し進んで来たのは、洗濯係をしている端女はしためのエリサ。
    朝、洗い物の回収に来る以外、部屋に来たことのない端女がこんな時間に来るなんて、彼女には理由がひとつしか思いつかない。
    しかもジュリまで伴っているとなれば、なんの用だか聞いたも同然。
    ならば、せめて彼にかかる負担だけは軽くしてやりたい。
    彼女は瞬時にそう判断した。
    「アンドレ、退がってくれ」
    「ええ!?」
    この場面で、急に退場を命じられた彼。
    なぜ?
    「いいから。あとで話すから!」
    話せそうなことだったらな。
    最後のひとことは口には出さずに強くきっぱり言うと、彼は釈然としない顔をしながらも部屋を後にした。
    「さて、こんな時間にどういう用件だ?
    おまえが私のプライベートを口外するとは思わなかったが」
    彼女がジュリにそう問いかけると、エリサがさらにずいっと進み出て来た。
    「違いますわ、オスカルさま。
    ジュリは何も言ってません。
    言わないからあたしが来たんです」
    「ごめんなさい、オスカルさま。
    あたし止めたんです、本当に。でも」
    ジュリとエリサの声が重なる。
    「とりあえず、判りやすくかいつまんで話してくれないか」
    恋人との甘い時間をピンポイントで襲撃された彼女のご機嫌は良いとは言えない。
    長いつきあいのジュリは、それを感じてサクサク話し出した。
    「昨夜、夕食を終えて使用人の居間でお茶を飲んでたら、エマに話しかけられたんです。あることで」
    エリサがいるのではっきり言わないが、彼女の秘密の恋のことだろう。
    「あたし、すごくショックで、すぐに部屋に引き取ろうと思ったんですけど、やっぱりどうしても気になって」
    私の部屋に来たというわけだな?
    彼女が目線だけで聞くと、ジュリは頷いた。
    「そして、そのあと自分の部屋に戻るときにエリサに会って」
    そこから先はエリサが引き継いだ。
    「この子、真っ赤に泣きはらした目で廊下を歩いてたんです。
    すぐになにかあったって判りました。
    こう見えても、ジュリは人前で泣くような子じゃありませんから」
    エリサの方が少々年上だが、同じ頃に屋敷に入ったので2人はとても仲良くしているという。
    「それにあたし、居間でジュリとエマが話しているのを見かけて、珍しいと思ってたんです。
    普段、つきあいないから。
    そのときオスカルさまって聞こえたような気がしましたけど、昨夜は気に止めませんでした」
    廊下を泣きながら歩く親友に、エリサは理由を問いただしたが、ジュリは頑なになにも言わなかったという。
    けれど、今朝、出勤前のオスカル・フランソワがエマを物陰に連れこむのを、エリサは2階の窓から偶然見ていた。
    なにやら親密に話している2人。
    それだけで、エリサにはジュリの号泣の理由が直感的にひらめいた。
    もともとチャラチャラ浮わついたところのあるエマが気に入らなかったエリサは、なにも言わないジュリに業を煮やして、オスカル・フランソワのところに直接押しかけたというわけだった。
    「だから誤解しないでくださいませね、オスカルさま。
    ジュリはなにも申しておりませんわ」
    そうか。そういうことなのか。
    エリサはきっと姉のような気持ちなのだろう。
    かわいい妹が大泣きしていたのを、心から心配しているだけなのだ。
    「話は判った。早とちりして悪かったな、ジュリ」
    彼女が詫びると、ジュリはほっとした様子を見せた。
    と、同時に良くできた侍女らしく、慎ましやかに頭を下げた。
    「お騒がせして申し訳ありませんでした。
    今日は急ぎのお仕事を持ち帰られているのは存じておりましたのに。
    お邪魔をしてはと、できるかぎりエリサを止めたのですけれど」
    本当にすまなそうに言うジュリ。
    仕事と称して自分たちがナニをしていたかと、ジュリの言葉が彼女の胸にチクチク刺さる。
    しかし、そこに憮然としたエリサの声が割って入ってきた。
    「あたしにはなんの解決にもなっていませんわ、オスカルさま。ジュリはなんであんなに泣いてたんです?
    まさかあの調子のいいエマになにか吹き込まれて、ジュリを責めたりなさったんじゃありません?」
    聞けばエマには、勝手な思いこみからレニエに余計な進言をし、それが原因で他の侍女がこっぴどく叱られるという事件を起こした前科があるらしい。
    さもありなん。
    エマの思いこみの強さには、彼女だってすでに手を焼いている。
    「だからエリサ、違うの。もういいんだってば!」
    「じゃあ、あんたがあんなに泣いてたわけを話してよ」
    「それは…言えない」
    「ほらぁ!やっぱりオスカルさまをかばってるんじゃない!!」
    彼女の部屋がまた、あやしい雲行きになってきた。
    ああ、もう勘弁してくれ。
    しかし、そこに本物の悪天候が飛びこんできた。
    いきなり開け放たれた扉。
    いっせいに目を向ける彼女たち。
    「エマ!?」
    「あんた、扉を開けるときにはノックをしなさいって、何度言えば判るの!」
    やっぱりこの娘、あのときノックなどしていなかったな!
    エリサの叱責と共にイラッとした彼女だったが、その気持ちはエマの発言でぶっ飛んだ。
    「オスカルさま!あたし判っちゃったんです!!
    オスカルさまの秘密の恋のお相手。
    ズバリ、妻子ある殿方なんじゃありません?」
    「オスカルさま、どういうことですの?」
    「秘密の…不倫?オスカルさまが!?」
    一気に色めき立つ女たち。
    暴風が発達した、ハリケーン・エマの到来だった。
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