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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【5】

UP◆ 2011/7/23

    「あたしが今、1番頭にきてるのはね、むしろあんたよ。
    アンドレ!友達だと思ってたのに!!」

    そんな昨夜を、彼は心のすみで思い返していたが、それは彼女も同じようだった。
    彼との遠乗りデートにわくわくしつつも、暴風と落雷の猛威は消え失せていない。
    「でも、朗報もひとつあるんだろ?」
    表面が水滴でいっぱいになったゴブレットを拭きながら
    彼は気を引き立たせるように聞いた。
    どうやらそれは本当に朗報であるらしく、彼女はアンドレを見上げてにこりと笑う。
    午後の陽射しに、頬に揺れかかる金色の髪が淡く透けて、ともすれば冷たく見られがちな彼女をおっとりと見せている。
    それが彼にはたまらなく愛らしく、そういえばジュリのおかげで昨日からくちづけをしていないことを思い出した。
    上向いた白い頬に手をかけて、くちびるを寄せる。
    身をかがめて…
    でも、くちびるが触れたか触れないかで、彼女はするりと逃げてしまった。
    「だめ。やっと人の出入りが途切れたのだから、今のうちに話してしまわないと」
    そうだ。
    話そうと思ったときにすぐに話してしまえば、そもそもこの事態は起きなかったのだから。
    彼はオスカル・フランソワの言うことをもっともだと思い
    すいっと身を引くと話を聞く姿勢になった。
    不思議なもので、そんなふうに潔く引かれてしまうと、彼女の方がものたりない気分になってくる。
    「続きは…今夜、部屋で」
    考えるより先に、そう口走ってしまっていた。
    だって、本当にそうしたいと思ったから。
    今までずっと、彼女の人生は自分を抑えるばかりのものだった。
    ものごころついたときには、それはすでに癖になっていて、自分ががまんをしていることにすら気づかなかった。
    そのバランスが崩れたのは、初めて恋を知ってから。
    自分の生き方の不自然さを、いっぺんに突きつけられてしまった。
    心の奥底に無理矢理ねじこんでいた、たくさんの欲望。
    気づきたくなかったのに、その中には…女性として慈しまれたいという平凡な女の幸せもあった。
    それはオスカル・フランソワの片恋をいっそう苦しいものにしたが、彼女は長い年月、ただ耐えた。
    ついに耐えきっただけの初恋。
    でも今、こうして恥ずかしさに悶絶しながらも、アンドレに甘えたおねがいをしている自分を、彼女はけっこうキライじゃない。
    なんと私は変わってしまったことか。
    自分自身、そう思わなくもないけれど。
    でも、彼に変えられてしまうならそれもいい。
    今までに知らなかった甘やかな気持ちを瞳に密ひそませ、彼女は昨夜の出来事を語り始めた。
    前夜に突然訪れた暴風エマのことを考えながら、彼が部屋に来るのを待っていたときのこと。

    屋敷内の…特に侍女たちの動向が気になって、その夜の彼女は落ちつかなかった。
    あいつ、遅いな。
    時計と扉を交互に見てしまう。
    何度も見たからって時間が早く過ぎるわけでもないのに、彼を待ちきれなかった。
    部屋をうろうろしたり、本を読んではやめてみたり。
    やがて、ようやくお待ちかねのノックの音がすると、彼女は扉に駆け寄り、彼を出迎えようとした。
    が、そこに立っていたのは、目をうるうるさせた侍女。
    呼んでもいないのに、こんな時間に?
    いぶかしむ彼女に、侍女は涙をこぼしながら言った。
    「おかわいそうなオスカルさま」
    …げっ!
    どこかで聞いた不吉ふきつなその台詞。
    彼女は慌てて侍女を部屋の中へと引きこんだ。
    「ちょっ…、ジュリ、ここに座って」
    いつも自分が座っている長椅子をすすめる。
    「ありがとうございます、オスカルさま。
    でも、使用人がそんな」
    「いいから座ってくれ!」
    内密な話になりそうなので、なるべく近寄って話したい彼女は強引にジュリを座らせた。
    その横に自らもぴたりと座り…
    でも彼女は、自分からは正面きって話し出せなかった。
    オスカルさまったら、恥じらっていらっしゃるのね。
    彼女の様子をそう察したジュリは、僭越せんえつとは思いながらも女主人の言葉を待たず、自分から先に話し出した。
    「エマから聞きましたわ、オスカルさま。
    ひとめを忍んだ恋をしていらっしゃると」
    ジュリの潤んだ瞳にジッと見つめられ、彼女は気まずく頷いた。
    「まぁ、そう‥かな」
    「おかわいそうなオスカルさま。
    当たり前の女性としてお育ちになっていらしたら、今頃はお子さまもおありになる幸せな暮らしをしていたでしょうに」
    ジュリはハンカチを取り出すと、涙を拭いた。
    「あの、でもジュリ。私もこの生き方がそれほどいやだったわけではないし、性分に合っていたとも思っている。
    どうあれ今は、しっ…幸せだから、かわいそうなどと思わずに私たちのことは黙って放っておいてくれな…」
    「いいえ!とんでもありませんわ、オスカルさま!
    私がなにに1番ショックを受けているのか、オスカルさま、判ります?」
    ジュリは妙な迫力で彼女の目線をからめとり、そらさせてくれなかった。
    「な‥んだろう、な?」
    「オスカルさまがお泣きになるほどせつない恋をしていらっしゃるのを、私より先にエマにお話になったことに決まってますわ!」
    は?
    「少女の頃からずっとオスカルさま一筋に勤めて参りましたのに、だんなさま付きとはいえ、あんな行儀見習いの新参者に、私を差し置いて大切な秘密をお話になるなんて!」
    え?そっち!?
    彼女は思わぬ変化球に対応できなかった。
    ジュリ。おまえのその涙は私の「ひとめを忍んだ恋」のためじゃなくて、そっちなのか?
    だいたいおまえだって最初は行儀見習いでこの屋敷に来たのだろうに。
    「なにかおっしゃいましてっ?」
    「いや。なに、も、言ってませ‥ん」
    普段はおとなしやかで、かわいい妹のようなジュリがすっかり豹変していた。
    これだからオスカル・フランソワにかかわる女は恐ろしい。
    「私がエマから、『オスカルさまに恋のご相談を受けた』と聞いたとき、どれほどショックだったかお判りになります?」
    「え?え!?ちょっと待ってくれ、ジュリ。
    私はエマに相談なんかしてない。
    アンドレと話していたのを聞かれてしまっただけだ」
    「まぁぁぁ!それ、本当ですの?
    ではあの子がオスカルさまのお話を盗み聞きしたと?」
    どうやらジュリはこの一件で、オスカル・フランソワの信頼をかけたライバル意識をエマに感じているらしい。
    言葉がいちいち辛辣になっている。
    「盗み聞きって…
    私たちが話に夢中で、エマのノックに気づかなかっただけだ」
    「それにしたって、黙って聞いていたなんて侍女として失格ですわ。はしたない!
    どうしていさめもせずに、打ち明け話などされたんです?」
    「だから私はなにも打ち明けたりしていないって!」
    一体どういう話になっているんだ?
    彼女にはついていくことができなかった。
    「だってエマが申しましたのよ。
    『オスカルさまが苦しい胸の内を明かされてお泣きになったので、あたしのハンカチで涙を拭いて差し上げたんですわぁ』って」
    ああ、もうっ!!
    苦しい胸の内を吐いたのはアンドレに対してだし、不覚にも泣いてしまったのはつい感極まっただけで、エマにじゃない。
    たまたまそこにエマが湧いて出ただけだ!
    どうしてそういう話になっている!!
    彼女には理解不能だったが、エマにしてみれば嘘はついていない。
    見聞きした事実に、ほんの少しばかりの想像と妄想と願望を加味しただけである。
    そして、このオスカル・フランソワの一大事を、彼女の信頼深い一の侍女であるジュリには知らせておくべきだと気を利かせたまでで、本人としては褒めてほしいぐらいの気持ちでいる。
    「あのね、ジュリ。私はエマに打ち明け話なんてしていない。
    本当に、ただこの…こっ…恋についてアンドレと話していたのを、立ち聞かれただけで」
    「でも、エマに涙を拭いてもらったのは本当なのでしょう?」
    「それは…本当‥だが」
    「ほら!」
    ジュリはまたぼたぼたと涙を落とした。
    「今まで長らくお仕えしてきた年月で、オスカルさまがあたしの前でお泣きになったことなどついぞありませんのよ。
    それなのに!」
    彼女はいいかげんぐったりしてきた。
    オスカルさまが泣くほどつらい恋をしているのがいたわしいとか、そういう話じゃなかったのか?
    涙する私が見たい…って、私はすでにおまえたちのおかげで泣きそうだよ!!
    悔し涙を止められないジュリと、得体の知れない駄々をこねられて泣きたい気分の彼女。
    アンドレが部屋に現れたのは、そんなときだった。
    しかし、ジュリが彼に投げつけたのは「友達だと思ってたのに」という言葉。
    祖母以外に身寄りのない彼にとって、友達がどれほど重いものか彼女には判っている。
    …ああ、まただ。
    私と関わると、おまえは大切なものを失くす。
    左目。
    ごく普通の結婚や子供。
    そして、友達までも?
    ジュリとアンドレのやりとりを聞きながら、彼女は追いつめられた気分になっていった。
    退出へと追いこまれる彼をあえてフォローせず、出て行くに任せる。
    それよりも、ジュリとよく話さなければいけないと思った。
    彼に非はないのだと。
    彼女はジュリと2人きりになると、心を込めて話した。
    「ジュリ、落ちついて聞いてくれ。
    アンドレは私に巻きこまれただけなんだ。
    彼は私の立場と名誉のために、秘密にしていてくれた。
    できることならアンドレだって言いたかったと思う。
    おまえをたばかっていたわけではない」
    「それでもあたしは話して欲しかったですわ、幼なじみですもの!それに…」
    ジュリはさらに盛大に涙を落とすと、わっとハンカチに顔を伏せ、涙で揺れる金切り声をあげた。
    「オスカルさまだって、初めて恋のお相手がおできになったこと、私にぐらいは打ち明けてくださっても良かったんじゃありません!?
    あたしには、それが寂しくて仕方ないんですわっっ!!」
    …落雷&集中豪雨だ。
    「ごめん、ジュリ。本当に悪かった。
    でも私たちの立場を考えると秘密にしておくしか」
    「でもオスカルさまは恋人のためにならお立場を捨ててでも、人前でいちゃいちゃなさりたいのでしょう?
    そのための逢い引きをされるとか!」
    いちゃいちゃなさるって…私はただ、少しばかり恋人らしくふるまってみたいと思っただけで…
    彼女はそう言おうと思ったが、やめた。
    今のジュリにはなにを言っても無駄だろう。
    誇大な情報を流したエマにも、それを真に受けるジュリにも、彼女は腹を立てるより疲弊している。
    どうしてこんなことになってしまったのか…
    きっかけはほんの小さな欲望にしかすぎなかったのに。
    ひとしきり派手に泣いたあと、ジュリは顔を上げると、はたと彼女を見据えた。
    「あたしは秘密にされていたことですねているばかりじゃ
    ありませんのよ、オスカルさま」
    そ…そうなのか?
    「もっとも悲しいのは、オスカルさまが世間にも秘密の恋に甘んじていらっしゃること。
    どこのどなたなんです?
    オスカルさまをひとめを忍んだ日陰の身になどさせておくのは!」
    「へっ!?」
    ジュリ意外な言葉に、彼女はまぬけた声を出した。
    もしかして、バレていない…?
    「エマが言ってましたわ。オスカルさまが『好きな男を私のものと言いたいときもあるし、逆にそう言われたいこともある』と涙まじりにおっしゃられて、それをアンドレも一心に慰めていたと」
    好きな男について涙で語るオスカル・フランソワを慰めるアンドレ。
    …そうか。そういうことに…なっているのか!
    「アンドレにも、オスカルさまの秘密のお相手は打ち明けていませんの?」
    問いかけるジュリに、彼女はスマイリーに頷いた。
    「そうなんだ、ジュリ。私の恋の相手はわけあって誰にも言えない。おまえにも言わない」
    きっぱりそう言うと、案の定、またジュリは涙をこぼした。
    「こんなに長くお仕えして参りましたのに、ご信頼いただけてませんのね」
    しかし彼女にはもう、ジュリの涙など気にならなかった。
    そんなことよりも。
    バレてなかった!
    そのことが心を占めている。
    なんたるラッキー!
    エマに聞かれたのは、2人の会話のごく、ごく一部だったのだ。
    良かった。本っ当に良かった。
    安堵でそれこそ泣きそうになる。
    彼女に恋人がいるのは知られてしまったが、相手がバレていなければそれでいい。
    『おかわいそうなオスカルさま』でじゅうぶんだ。
    もうこれで、暴風も落雷も集中豪雨も怖くない。
    一気に気が楽になった彼女の隣で、ジュリが引き続き恨み言を漏らしては泣いている。
    それをのらりくらりとかわしながら、彼女は早く恋人にこの朗報を伝えたい気持ちでいっぱいになっていた。
    喜べ、アンドレ。私たちはついている!


    「それ、本当なのか?」
    「本当さ」
    「そうか。際どいところだったけど、バレてはいなかったのかぁ!」
    彼女から退出後の部屋での出来事を聞き、彼は心底ほっとした。
    バレたらバレたで何もかもを受けとめるつもりの彼だったが、バレないにこしたことはない。
    「よかったなぁ」
    「ああ。バレていなくて本当によかった。
    でもエマのやつ、よくもここまで驚かせてくれたな」
    安心したとたんにエマに怒りが湧いてきた彼女。
    「まだ若いから、きっと貴族の恋愛に華々しい憧れがあるんだよ。宮廷の恋絵巻とか、悲恋とかさ。
    おまえって、見た目はいかにもそんな感じだしね。
    これを戒めに、俺たちももう少し慎重にならないとな」
    「もしかして『逢い引き』は中止、とか?」
    彼女がすかさず聞くと、彼は笑って否定した。
    「それはないよ。俺、もうすごく楽しみになっているもの」
    それは彼女も同じだった。
    これで晴れやかな気持ちで夏の休日を迎えられる。
    しばらくは『おかわいそうなオスカルさま』と言われるだろうが、そんなこと痛くもかゆくもない。
    そのうちエマもジュリも飽きるだろうし。
    「慎重を期すために、今夜は部屋に行かない方がいいかな?」
    彼は意地悪く言った。
    「それはだめ。…続きが、あるから」
    「なんの続き?」
    判っていて、聞いてみる。
    「確実に休暇を取るために、今日は仕事を少し持ち帰る。
    その続きだ。おまえも手伝えよ」
    彼女のかわいげなくそう言ったが、彼はくすりと笑った。
    本当はくちづけの続きが欲しいことぐらい、彼にはお見通しなのだ。


    久しぶりの遠乗りなどを話題に過ごす恋人の時間。
    午後の司令官室で、オスカル・フランソワとアンドレは今宵の2人をそんなふうに思い浮かべていたが…
    その夜、またしても彼女の部屋に招かれざる客が訪れることを、まだ2人は知らなかった。
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