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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【4】

UP◆ 2011/7/19

    その日のデスクワークがおおむね片付き、司令官室への人の出入りがやっと途絶えた昼下がり、アンドレ・グランディエは彼女のために、ちょっと早めなお茶の支度を始めた。
    密やかな恋人の時間が思わぬ暴風にさらされたのは
    はや一昨日のこと。
    いくらテンションが上がりきっていたとはいえ、ノックの音にも気づかなかったなんて、あの夜の2人は不注意も度を超えていた。
    立ち聞きをした侍女エマにも腹立たしさは覚えるが、結局は自分たちの迂闊うかつさが招いたこと。
    怒ってみたところで、もうどうしようもない。
    この上は、エマの口から秘密が拡散しないことを祈るのみだったのだが…
    「昨夜はあれからどうだった?」
    お茶の時間といっても、こうも暑いと本当にお茶なんか飲む気にならない。
    冷えたレモネードの入ったゴブレットを置きながら、彼は聞いた。
    「昨夜か。どうもこうも…
    でも朗報と呼べることが1つだけある」
    彼女は柔らかく微笑した。
    今日も朝から忙しく、司令官室への人の出入りがやたらと多かった。
    間の悪いことに2人の出勤時間も微妙にずれており、お互いに話したいことを抱えているのになかなか話せず、やっと私的な会話ができたのは、お昼もすっかり回った先ほどからである。
    まず、用件が簡単に済みそうな彼の方から話し出した。
    「12日のことだけど、おまえ、休みは取れてるよな?」
    「それはもちろん!」
    あの暴風の翌日、彼女は出勤するなり休暇の調整を始めた。
    休もうと思えば、休みたいときにいつでも休めるお立場の彼女だけれど、確実に休みにするためには、やはり片づけておきたい雑務が出てくる。
    今は火急の事柄でなくとも、ゆくゆくそれらが原因で休みが突然お流れになれば、冗談にもならない。
    『ほんの少しでいいから、普通の恋人同士のようにふるまってみたい』
    このささやかな欲望が叶うか否かは、まず休みを確保できるかどうかにかかっている。
    そのせいで昨日・今日の彼女はやたらと忙しい。
    もっともそれぐらいの方が、昨日など、胸の奥の不安が
    まぎれて良いかもしれなかった。
    「で、行き先なんだけど、希望はある?」
    「うーん。行きたいところはたくさんあるけれど、条件に見合うとなるとなかなか…」
    日帰りできる範囲で、ちょっとした観光も楽しめつつ、彼女のメンが割れていないところ。
    でも、緊急な呼集がかかったときにはすぐに連絡が取れるよう、あまり辺鄙へんぴではないところ。
    そんな都合のいい場所なんてあるだろうか。
    「特別ないのなら、俺が決めちゃってもいいかな?」
    そう言いながら、実は彼にはすでに手配を始めている場所がある。
    「かまわないけれど、どこだ?」
    「それはまだちょっと」
    言いよどむ彼に、彼女は笑った。
    「なんだよ、出し惜しみか?」
    「いや。以前人づてに聞いたところだから、俺もよく知らないだけ。
    以前お屋敷に出入りしていた庭師に聞いたんだ。
    小さな村で湖が美しいところがあるって。
    そのあたりの庶民のちょっとしたデートスポットらしい」
    「ほぉ」
    彼女はつい勤務中なのを忘れ、光る湖面を眺めながら彼とお散歩なんぞをしている自分を想像した。
    もちろんお手々はちゃんとつないでいる。
    うん!悪くない。
    オスカル・フランソワがふんわりと遠い目をしはじめたので、アンドレには彼女がこの提案を気に入ったのだと判った。
    ただ、がっかりさせてはいけないので、言っていないことがまだある。
    あまり大きくはないその湖のほとりには、こぢんまりとしたシャトーがあるのだ。
    量産はしていないが、とても良いワインを作っている。
    流通はされておらず、手に入るのは限られた人だけだという。
    しかもその基準がよく判らない。
    金持ちにしか売らないわけでもないし、身分も関係ないようだ。
    めったにお目にかかることのない、知っている人しか知らない逸品である。
    しかし、彼はその入手しにくいワインを飲んだことがあった。
    当時けっこう仲良しだった『以前お屋敷に出入りしていた庭師』が持ち込んだものを、飲ませてもらったのだ。
    ずいぶん前のことなのに、今もその味は忘れがたい。
    オスカルにも飲ませてやりたいなぁ。
    そんなふうに思ってはいた。
    だが、それからいくらもしないうちに庭師はベルサイユを離れ、故郷に帰ってしまった。
    小さな湖の村に。
    …良い返事が来るといいんだけど。
    恋人との初めての夏の休日が決まってから、彼は急ぎ
    その元庭師に手紙を書いた。
    彼女を連れて、そのシャトーを訪ねたいと。
    いきなり行っても、門前払いされる可能性は高い。
    かつてワインを手に入れることができた元庭師なら、うまく話を取りつけてくれるのではないかと期待して、おねがいしてみたのだ。
    酒蔵の見学や、できるなら試飲などもさせてもらい、もし彼女が気に入れば今年収穫されるものを記念に買いつける。
    そして毎年そのワインでささやかなお祝いができたらいい。
    ワインの熟成とともに、時を重ねてゆく2人…
    きっと彼女も喜んでくれるだろう。
    酒好きのオスカル・フランソワと軽くロマンティストな彼。
    もし叶うなら、双方の趣味が反映された夏の1日になりそうである。
    「難点は少しばかり遠いことだけど…
    その方が知り合いに会う可能性も減るだろうし、久しぶりに遠乗りもいいかと思ってね」
    遠乗りか…
    彼女は思いをせるように、さらに遠い目をした。
    休日がますます楽しみになってくる。
    そんな彼女の様子に、彼にも素朴な喜びが広がってきた。
    初めはむちゃなことを言い出すと思ったけど。
    日頃、愁えた表情を見せることの多い彼女に、幼い頃のようにまっすぐの嬉しそうな顔を見せられたら、男としては、多少危険だとしてもお姫さまにお望み通りの1日をプレゼントしてあげたくなる。
    そう、「バレるかも」という危険をおかしても…

    昨夜、彼はいつも通り屋敷での雑務を終えると、彼女の部屋に行く前に、使用人たち用の談話室に顔を出した。
    その日の仕事と遅い夕食がすんだ使用人たちが、それぞれ思い思いにくつろぐ居間のような場所である。
    自室でやすむ前のほんのひととき、ここで雑談に興じたり、軽く飲んだりするのを楽しみにしている者は多い。
    だから、もし屋敷内で何か変わった出来事があれば、談話室で噂話になるのはいつものことだった。
    エマが2人の秘密を口外していれば、今ごろは大盛り上がりに決まっている。
    皆がもし結託して隠そうとしても、長年ジャルジェ家で暮らしてきた彼にはそれを看破する自信があった。
    彼は普段通りの穏やかさを装って、談話室に潜入捜査に入った。
    怪しまれないように、適度にくつろいだふうを演出しながら、何人かずつに別れておしゃべりしている同僚たちの様子をうかがってまわる。
    男連中は安酒を飲みながら仕事のぐちや女の話をしているし、侍女や雑用を預かる端女はしためたちは、いつものごとくダイエットと恋の話に夢中だった。
    珍しくアンドレが談話室でだらだらしているので、若い女の子たちはむしろ嬉しそうである。
    彼に対して何かを隠している様子は…ない。
    念のために、まだ仕事中の厩番うまやばんや門番のところにも簡単な差し入れを持って行ってみたが、別段変わりはない。
    今日のところは大丈夫そうだな。
    そう判断して、彼は捜査を切り上げるとオスカル・フランソワの部屋に向かった。
    飲み物も何も持たず、彼女を訪ねることはあまりない。
    でも、少しでも早く屋敷内の様子を伝えたくて、彼は手ぶらのままで足早に次期当主の棟に向かった。
    長く続く暗い廊下の奥の、ひときわ重厚な扉。
    ノックをして、なにげなく開けてみると…え?
    思いがけず、先客がいた。
    まぁ、正確には客ではなく、彼女付きの侍女である。
    なじみの後ろ姿は、揃いのメイド服を着ていても、誰だか彼にはちゃんと判る。
    もうずいぶんと長いつきあいの…
    「ジュリっ!?」
    なんでここにいるんだろう?
    彼が談話室に顔を出したとき、ジュリはそこを出るところだった。
    もう寝むからと言って。
    しかも彼の声に振り返ったジュリは、真っ赤な目をして大粒の涙をぼたぼたと落としていた。
    泣いている女を見て、平静でいられる男なんてあまりいない。
    オスカル・フランソワの涙になら完璧に近い対応ができる彼も、ほかの女性の涙にはうろたえるだけだった。
    「…オスカル、何があったんだ?」
    まさか彼女が侍女を泣くまでいびるようなことはありえない。
    そうでなくてもジュリは彼女に取って腹心とも言える侍女。
    まだ少女の頃、そこそこ裕福な家の娘が行儀見習いで来たはずなのに、オスカル・フランソワの美少年ぶりに一目惚れして、侍女としてジャルジェ家に居ついてしまったのがジュリなのだ。
    ゆえにロザリーとは、にっこり笑って犬猿の仲である。
    アンドレほどフランクではないけれど、ジュリもかなり彼女と近しく、幼なじみと言ってもいいぐらいの間柄だった。
    そのジュリを泣くまで責めるなんて、彼女がするわけない。
    それに。
    ひとめでジュリに気を取られてしまったので判らなかったけれど、よく見てみれば彼女だって、なんだか切羽詰まった顔をしている。
    あとほんの少し押されたら、泣きだしそうな。
    でもそれは彼だから判る程度の微妙さで、はたから見たら気難しい女主人にいじめられる健気けなげな侍女のようである。
    とりあえず、そんな安い誤解はしていないことを伝えたくて、彼はもう1度彼女に声をかけた。
    「オスカル、俺」
    「アンドレは黙ってて!」
    「へ?」
    しかし、鋭い声で彼を牽制したのは、ジュリの方だった。
    「あたし、今、オスカルさまとすごく大切な話をしてるの!」
    見た目おとなしそうなジュリなのに、けっこうな勢いで言う。
    「それに…
    あたし、今回のことでは正直言ってあなたにいい気持ちは持てないわ」
    「今回のこと…って?」
    自分からぼろを出さないように、彼は言葉少なに聞いた。
    「とぼけないで!エマに聞いたんだから!!」
    「!」
    彼は思わずオスカル・フランソワに目を向けた。
    それはほんの一瞬のことだったが、神経を尖らせているジュリは見逃さなかった。
    「ほら!そうやってオスカルさまと一緒になって、あたしにまで隠していたなんて!」
    さらに涙をこぼしながらのヒステリックな声に、オスカル・フランソワもアンドレも身をすくめる。
    エマが暴風なら、ジュリは落雷といったところか。
    「ごめん、ジュリ。でも」
    「だからアンドレは黙っててってば!
    あたしだってオスカルさまのせつないお気持ちなら判るわ。女同士ですもの。
    でもね。
    あたしが今、1番頭にきてるのはね、むしろあんたよ。アンドレ!友達だと思ってたのに!!」
    ジュリのこの言葉に、彼女のギリギリの表情がまた危うくなった。
    大丈夫だよ、オスカル。
    そんな顔するんじゃない。
    彼はそう言ってやりたかったが、ジュリをこれ以上刺激するのはさけたい。
    どうしたものかと困りきっていると、それまで黙っていた彼女が口を開いた。
    「ジュリは私と話がしたいと言っている。
    私もその気持ちは判る。
    子供の頃からの長いつきあいだもの」
    ジュリが我が意を得たとばかりに、こくこくと首を振った。
    「だからすまないがアンドレ、少し黙っ」
    ていてくれないか?と、彼女は言いたかった。
    しかし、その台詞は途中からジュリにさらわれた。
    「だから悪いけどアンドレ、出てってくれない?」
    「え”!?」
    『え”!?』は彼と彼女が同時に発した声。
    こんな状況でオスカルを1人になんてできない。
    こんな状況でジュリと2人きりになんてなりたくない。
    それぞれの想いがシンクロして出た言葉が『え!?』。
    しかし、彼と彼女のその同調ぶりに、ジュリが大仰なほど悲しそうにハンカチで涙を拭いた。
    だめだこりゃ…
    「アンドレ、退がってくれるか」
    オスカル・フランソワはぐったりとそう言った。
    泣いている女の扱いなんて、男並みに不器用な彼女だが、もう、こうなれば仕方ない。
    こちらは「秘密」という弱みを握られているのだ。
    まずはジュリをなだめるしかない。
    しかし彼には彼女を置いて出るのに、まだかなりの抵抗があった。
    2人の秘密を彼女だけに負わせるなんて、男として情けないではないか。
    しかし。
    「さぁ、出て行ってちょうだい」と言わんばかりのジュリの圧力をひしひしと感じ、結局、彼女の部屋で1度も座ることのないまま、アンドレは退出に追いこまれたのだった…
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