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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【3】

UP◆ 2011/7/19

    「おかわいそうなオスカルさま。
    そんなに苦しい恋をしていらしたなんて」
    突然の闖入者ちんにゅうしゃに、2人は長椅子の上でよりそったまま動くことができなかった。
    慌てて離れる方が、よほど怪しい。
    とりあえずアンドレは2人の距離感は変えないまま、彼女を強く抱いていた左手をゆっくりと緩め、侍女の死角へとずらした。
    半開きの扉にたたずむ侍女は、目にこぼれんばかりの涙をたたえている。
    オスカル・フランソワにとっては見慣れぬ侍女だが、さすがに彼は把握していた。
    「エマ。だんなさま付きの侍女だよ」
    耳元に囁く。
    父上付きの侍女か。
    広い屋敷の中、当主の棟に住む父親に付いている侍女と、次期当主の棟に住む彼女では、普段かかわることがない。
    どうりで知らない顔だ。
    このエマという侍女、一体いつから聞いていたのか…
    「君がこの部屋に来るなんて珍しいことだと思うけど、どうしたの?」
    アンドレは、多少顔見知りの侍女に気さくな調子で話しかけた。
    姿勢を「男女がよりそう」格好から「幼なじみがじゃれる」ものへと微妙に変えていきながら。
    「あたし、だんなさまに言われてオスカルさまをお呼びしに来たんです。
    今、だんなさまのサロンにお客さまがいらしているのですけれど、その方がどうしてもオスカルさまにもお会いになりたいとおっしゃられて」
    「それって、いつ?つい今し方いましがたのこと?」
    彼は注意深く、探りを入れた。
    「少し前よ」
    「どれぐらい前から、君はそこにいたの?」
    「来たのはけっこう前です。
    でもノックをしてもお返事がなくて。
    少し待ったんですけど、だんなさまに急ぐよう言われていたから扉を開けちゃったんです」
    はぁぁぁ。
    彼女は思わずため息をついた。
    話に気を取られてノックに気づかなかったなんて、なんという体たらく。
    仮にも准将の身でありながら、注意力が足りなすぎる。
    それにこの侍女も!
    返事がなかったからといって勝手に扉を開けるとは!!
    まったく教育が行き届いていない。
    うちの隊員だったらびっちり指導し直してやるところだ。
    彼女の不穏な気配を察したのだろう。
    アンドレが目立たぬように、彼女の背中を軽く撫でた。
    「抑えて、オスカル。今、エマをびびらせちゃダメだ。
    どこまで知っているか聞き出して、口止めしないと」
    「判っている」
    彼女もなるべく穏やかな表情かおを作り、侍女エマに向けた。
    「エマ、だったね。わざわざご苦労さま。
    父上はすぐにお呼びなのだろうか?」
    「はい。お支度はそのままでよいので、なるべく早く、と。
    …あの、オスカルさま?」
    エマは後ろ手に扉を閉めると、長椅子に座る彼女に走り寄ってきた。
    足元にひざまずき、涙の溜まった瞳で彼女を見あげる。
    そしてメイド服のポケットからフリルいっぱいの可愛いらしいハンカチを取り出しすと、彼女の頬に残る涙のあとを
    そぉっと拭いた。
    「ごめんなさい、オスカルさま。
    あたし、いけないとは思いながら、お話、聞いてしまいました。
    オスカルさまが人目を忍ぶ恋をしていらしたなんて!」
    「あの、そのことだがね、エマ」
    「判っておりますわっ。だんなさまには絶対に秘密にいたします。
    もしこの恋が露見すれば、お2人は引き裂かれてしまいますもの!
    なんて…なんてお気の毒なオスカルさま」
    さっきから、かわいそうだ気の毒だと言ってはいるが
    なぜかエマの瞳はキラッキラに輝いている。
    溢れんばかりに涙を浮かべているのに、その涙は一向に溢れるようすはなく、妙に嬉しそうな気配すらする。
    それに言葉の調子がどうにも芝居がかっていて…
    なんだかこの状況を楽しまれている気がしてきた。
    「あのさ、エマ」
    彼が口を挟む。
    「恋って言っても、そんな大層なものじゃないんだ。
    長いつきあいだし、友達の延長みたいなもので。
    今日はたまたま、少しオスカルが感情的になってしまっただけなん」
    「アンドレ、ひどい!
    オスカルさまの切ない女心が判らないなんて。
    女なら誰だって、好きな殿方には自分のものだと言って欲しいし、人前でいちゃいちゃしたいものなのに。
    私、いつもオスカルさまを遠くからお見上げして、素敵な方だと憧れていたけれど、先ほどの苦しい胸のうちをお聞きしてグッと親近感が湧いたんです」
    エマは彼女の手を握った。
    「オスカルさまだって、アンドレの言いようを冷たいと思うでしょう?
    オスカルさまのほんのささやかなお望みを、大層なものじゃないなんて!」
    「あ…ああ、まぁ、私も先ほどは多少ショックだったけれど」
    手をつないで街を歩くぐらいのこと、おまえは嫌がらないと思ったのに。
    …というか、実は彼女はアンドレが喜んでつきあってくれるんじゃないかと、内心思っていたのだ。
    理由はどうあれ、即答で断られたことに、やはり少しは傷ついている。
    「ですよね!あたし、オスカルさまのお気持ち、とってもよく判りますわぁ」
    「そ…れは、どうもありがとう」
    「ご身分もお立場も捨てた恋…いやーん、す て き」
    「ちょっと、エマ?」
    「何かの折にはなんでもおっしゃってくださいませね。
    あたし、オスカルさまの味方ですっ」
    「そ…う。それもありがと‥う」
    なにやら1人暴走気味に盛り上がるエマに、彼女はすっかり押されている。
    恋愛こっち方面は、彼女にはどうにも分が悪いのだ。
    ありがとうと頷いたオスカル・フランソワにエマはたいそう満足したようで、今度はアンドレに目を転じた。
    「オスカルさまのお気持ちを判ってあげて、アンドレ。
    恋に落ちた女はささいなことにも不安になるものなの。
    お支えできるのは、長いおつきあいのあなただけだわ」
    妙に熱っぽい目で大仰に言われ、彼も若干たじろいだ。
    「そんなこと、俺にだって判ってるよ」
    「そう?なら、さっそく逢い引きの手配をしないと」
    「逢い引きぃ!?」
    オスカル・フランソワとアンドレは、思わず同じタイミングで同じ声をあげた。
    「逢い引きって、おい」
    「当然ですわ。いくらご身分もお立場も、とおっしゃられたところで、世間にバレない方がいいに決まってるじゃありませんか。
    どこかベルサイユを離れて秘密のデートですわよ、オスカルさまっ!」
    はあぁ!?
    「だんなさまにも少し注意が必要ですわね。
    逢い引きを決行する日は、だんなさまのお忙しい頃がよろしいかと思います。
    え…と。
    近いご予定なら、確か7月は11日から3日間ほど地方へ
    視察に行かれるはずですわ」
    「あのね、エマ。気持ちは嬉しいけれど、私もさっきは感情的になりすぎたと反省しているんだ。
    だから」
    「いいえ!気持ちを抑えるなんていけません。
    反省など、恋する女には必要ありませんのよ。
    オスカルさまがお泣きになるなんて、よほどおつらいのでしょう?
    私も胸が痛みますわぁ。
    禁 断 の 恋 ですもの!!」
    ってだから、なんでそんなに嬉しそうなんだ!
    彼女はだんだんエマの暴走につきあう気力が萎えてきた。
    ダメだ。やっぱり私には女のノリについていけない。
    父上が私をこのように育てたのは、やはり正解だったのかもしれぬ。
    「エマ。私のために心を砕いてくれるのは本当に嬉しいのだが、私も一応責任ある身の上だ。
    いつ緊急の呼集がかかるか判らない。
    そうそう気軽にベルサイユを離れるわけにはいかな」
    「いや、そんなこともないんじゃないか?」
    黙って聞いていたアンドレが、彼女の言葉を遮った。
    「このところ、揉め事らしい揉め事は起きていないし
    今月はもう大きな演習も行事もない。
    1日ぐらいなら遠出もアリかもしれない」
    「アンドレ、おまえまでなにを急に」
    オスカル・フランソワの、恥をしのんだおねがいをさっくり却下した彼だったが、実際のところアンドレには、先ほどの彼女の告白が嬉しかった。
    彼女の立場をおもんぱかって抑えていただけで。
    たまに屋敷の所用で街に出たときなどに、ラブラブなカップルを見かけて気を惹かれたことは、彼にだって何度もあったのだ。
    でも、それは2人には無縁なこととあきらめていた。
    違い過ぎる身分。
    伯爵家の嫡子という彼女の立場。
    職務上の責任の重さ。
    どれ1つ取っても、2人の恋を祝福する要素はない。
    何より、彼女がそんなことを望まないと。
    そのぶんのフラストレーションは、彼女をバックアップすることで晴らしていた。
    彼女が自由に動けるように。
    彼女がやりたいことを全力でやれるように。
    正式に結婚することはできない2人だから、子を儲けることもないだろうし、となれば彼女の成功こそが2人の愛の証だと、そんなふうに自分を納得させていた。
    けれど。
    そんなのはまやかし。
    『おまえは俺のもの』
    そう言いたいのは、むしろ彼の方こそだった。
    だってそうだろ?
    『おまえに私の気持ちなんか判らない』
    おまえはそう言ったけど。
    毎日毎日、男純度100%の環境におまえを置いておく俺の気持ちが、オスカル、おまえに判るか?
    おまえはまったく気づいてないけれど、おまえに気があるやつはいっぱいいる。
    軍服姿のおまえを舐めるように見ているやつだっていくらもいて、アランなんかまだかわいいもんだ。
    そんなとき、おまえは俺のものだとどれだけ言いたいか。
    それこそおまえには判らないだろう。
    彼は改めて隣に座る恋人の横顔に目を向けた。
    宝飾品店から馬車へ戻ったとき、彼女の姿はなく、彼は通りをきょろきょろと見回した。
    大路の反対側の街路樹の下に見つけた金髪の横顔は何かを凝視していて、彼もつられてそちらを見た。
    年若いカップルの幸せいっぱいな待ち合わせ。
    そのとき、ごく単純に彼も思ったのだ。
    彼女とあんなふうに過ごしてみたいと。
    でも、そのあと彼女はとても険しい表情をしていたので
    彼はてっきり不快に感じているのだと思いこんでいた。
    男女のことには潔癖なところのある彼女だから。
    でも、あの気難しそうな表情が、彼女の中のかわいらしい葛藤だったとは。
    そんなことを知ってしまったら、彼だって抑えていたものも抑えてきれなくなる。
    「だいたい女性に甘えられて、それに応えられないような男は男じゃありませんもの。
    ここはamourの国、フランス王国ですのよ。
    オスカルさまが反省することなんて微塵もありませんわ!」
    「…そうだろうか」
    「…そうだよな」
    2人はまた同時に同じようなことを言った。
    「え!?」
    微妙に照れる2人。
    しかし、そこに突然ムードぶち壊しのノックの音が響いた。
    「お嬢さま!」
    おばあちゃんだっっ!!
    彼は今度こそ神業の素速さで彼女から離れ、さもずっと
    そこにいたような顔をして肘掛け椅子に座った。
    「お嬢さま、こちらにエマが来ておりませんか?」
    マロンがそう言いながら入って来ると、エマは身を縮めた。
    怒られる!
    だんなさまに急ぐように言われていたのに。
    しかし、その気配を察した彼女が先に口を開いた。
    「私がエマを引き留めたんだ。
    ごめんね、ばあや。
    父上に、髪をいたらすぐにうかがうとお伝えしてくれ」
    髪を梳くというちょっと女らしい言葉に、マロンは簡単にごまかされた。
    小言は言わず、エマを目線だけで呼ぶ。
    立ち上がりかけたエマの腕を彼女はつかんだ。
    「大丈夫です。だんなさまには絶対秘密にしておきますわ」
    「ありがとう。そうしてくれると助かる。
    でも、エマ。秘密にして欲しいのは父上にだけじゃない。
    …かっ…」
    「か?」
    「か……の」
    彼女はその言葉をすんなりとは言えなかった。
    人前でアンドレを『彼』と呼ぶことがあるなんて。
    恥ずかしい。本っ当に恥ずかしい。
    自分でも赤面しているのが判る。
    「オスカルさま?」
    「あの‥ね、かっ…彼‥のことを考えると、父や世間だけでなく、屋敷内の誰にも知られたくないんだ。
    仕事がやりにくくなるだろうし。
    だから、今夜のことは他言無用に願いたい」
    「やーん、オスカルさまったら、なんていじらしいっ
    「ちょっ、声が大きい!」
    本当に大丈夫だろうか。
    瞳をキラキラさせた侍女の浮かれた調子に不安が増す。
    自分のうっかりが原因だったとはいえ、心配で仕方ない。
    「お嬢さま?」
    不機嫌そうなマロンの声に、エマが慌てて立ち上がった。
    「あたし、オスカルさまの秘めた恋心のためなら、なんでもいたしますわぁ。
    お ま か せ くださいませね」
    彼女の耳元でそう言うと、エマはメイド服のすそを可憐にひるがえして扉へ向かい、うやうやしく一礼すると、マロンと一緒に部屋を出て行った。
    急にシンとした部屋。
    気力が完全に切れて力が抜ける。
    「女って…」
    彼も脱力しながらつぶやいた。
    「ロザリーもおまえのこととなると盲目だけど
    エマにはまた違った勢いがあるな」
    「まったくだ。春風どころかとんだ暴風だった」
    彼女は重い腰を上げる。
    早くサロンに顔を出さなければならない。
    でも。
    「アンドレ。大丈夫だろうか?」
    言わずにおれなかった。
    自分の、らしくない望みがこの事態を引き起こしたのだから。
    しかし、彼の返事は彼女の不安とはまったく違う方向性のものだった。
    「おいで」
    手招きされて、その夜の彼女は素直に彼の膝の上に座った。
    「エマのことは俺がしばらく注意してるから、おまえは気にするな。バレたときはバレたときだ。
    それより、確かだんなさまが視察に行かれるのは
    11日からの3日間だったな?」
    「そう…だが、なにか?」
    「となると、やっぱり12日がベストかな」
    なんの話だろう?
    不安から、彼の胸にどっぷりと埋もれながら、思い当たることは1つしかない。
    「オスカル。おまえ12日、休み取れ。
    俺も誰かに勤務を代わってもらうから」
    「本当に?」
    彼女の胸中から不安が消えることはなかったが、それとは別に嬉しさも広がってきた。
    たった1日だけれど、人目を気にせず、彼と過ごす夏の休日。
    「好きな女に甘えられて、それに応えられないような男は
    男じゃないだろ?」
    彼女は彼を仰ぎ見た。
    「もう1回言ってくれ」
    「エマのことは心配するな…?」
    「それじゃない」
    彼はくすりと笑った。
    判っていてとぼけている。
    でも彼女がもういいかげんサロンに行かなくてはならないので、髪を撫でながら、お姫さまご所望の言葉を言ってあげた。
    「好きな、女」
    結局そのあと、彼女はアンドレにくちづけのご所望までしてしまい、来客を待たせたサロンへ向かったのは、ずいぶん遅くなってからのことだった。


    こうして発端となった夜は、それなりの終息を見せた。
    のだが。
    翌日の夜、彼を待つオスカル・フランソワの部屋をノックしたのは、またしても目に涙をためた侍女。
    それも、エマとは違う、彼女付きの侍女であった。
    そのうるうるした瞳。
    「おかわいそうなオスカルさま!」


    おい、うそだろう…?
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