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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【2】

UP◆ 2011/7/6

    その夜、オスカル・フランソワはいつも以上にそわそわしながら、彼の訪れを待っていた。
    2人が特別な関係になる前から彼はちょくちょく部屋に来ていたのだから、それほど意識する必要はないはず。
    それなのに、どうも彼女はそわそわしてしまう。
    だって…
    彼が部屋に来ても、それまでの2人だったら軽く飲みながらバカ話をしてけらけら笑ったり、ときには彼女が諸々の苦しい胸のうちを吐露してほんの少し涙を見せたり、そんなふうに過ごしていただけだった。
    でも今は違う。
    ひとしきり楽しく語らって、ふと話題が途切れる。
    すると彼は小さく手招きをするのだ。
    「オスカル」
    「…?」
    最初、彼女は何も考えずに素直に長椅子を離れると、彼の座る肘掛け椅子のそばへよった。
    「おいで」
    って、呼ばれたから私は来たんだが。
    アンドレに言われている意味が判らない彼女。
    彼はオスカル・フランソワがこっち方面には少し鈍なことを思い出して苦笑した。
    するりと彼女の手首をつかむ。
    「おいで、オスカル」
    ちょっと強めに引っぱりこんで、彼女を自分の膝の上に座らせた。アンドレにしてみれば、想いあっている男女なら当たり前の距離感なのだが。
    うそ…、ちょっと待って!
    彼女の方はあっという間に焦りでいっぱいになっていた。
    なに?なんで!?「おいで」ってこういうこと?
    っていうかこの体勢じゃなくても話はできるだろ!?
    本当にちょっと待ってくれいっ!
    恋人同士になる前なら、躊躇なく彼をぶっ飛ばしていたと思う。
    でも、そのときの彼女はなんだか体がこわばって、上手く動けなかった。
    思考回路も鈍くなって、自分の心臓の音だけが耳に響く。
    これはもうフェルゼンと踊ったときか、それ以上のどきどきかもしれなかった。
    しかし、それは当然とも言える。
    彼女は今まで男性の腕の中で慈しまれたことなどなかったのだから。
    アンドレの胸に顔を埋めたことは数限りなくある。
    でもそのときの彼女にとって、彼はまだ兄か親友でしかなかった。
    その兄か親友がいきなり『男』になるのだもの、ただでさえ恋に疎い彼女に切り替えなんてできるわけがない。
    2人の関係を、当たり前のように男女のものへとシフトさせていくアンドレに、彼女はちっともついて行けてなかった。
    この流れ、どこかで変えなければ。
    そうは思っても、1度彼に握られた主導権はなかなか取り返せない。
    今は「おいで」と言われたってほいほい誘いには乗らないというのに、いつの間にやら気づくと彼の腕の中にいる。
    悔しいことこの上ない。
    あるいは、今日こそアンドレの思い通りにはなるまいと彼女が意識していると、そんな日に限って、彼は談笑を楽しんだだけであっさりと部屋を引きあげてしまったりする。
    なんだってこの私がアンドレに振りまわされねばならんのだ!
    ここらへんの感覚は幼なじみ時代を強く引きずっていて、彼女はどうにも気に入らない。
    なんだか負けた気がするのだ。
    しかも勝てる気がしない。
    彼とお手々をつないで歩きたいなんて、そんなことを言ったらますます分が悪くなるのではないか?
    それはじゅうぶんありえることだけれど。
    でも。
    仕方ないじゃないか。そう思っちゃったんだもの。たまたま見かけたカップルが、あまりにも自然だったから。
    そう。
    自然、だったのだ。
    それは彼女の人生とは対極にあるもの。
    生まれたときから不自然な生き方を強いられてきた。
    不自然だと気づかずにいられたうちはまだ良かった。
    でも、気づいてしまったら、今度は気づいていないふりをしなければならなくなった。
    そして、その自然さを自分が求めてはいけないことも判っていた。
    それだけに、たまたま目の前にいた平凡なカップルの、ごく自然な仕草にひどく惹かれたのだ。
    しかしどう切り出したものか。
    あいつがシンプルにouiかnonかで答えてくれたら良いのだけれど。
    爆笑されたらどうしよう。
    いや、笑ってくれるならまだいい。
    もし、鬼の首を取ったようにちゃかされて追及されたら…
    それだけは無理。耐えられない。
    ただでさえこのところアンドレのペースでことが運ぶ。
    もともと落ちついたところのあるやつだけれど、それにしたって最近のあいつは妙に余裕だ。
    それなのに私ばかりがどぎまぎして、今日だって司令官室にダグー大佐がいたというのに目線だけで遊ばれて…
    これ以上、彼にネタを提供してはいけないと彼女は思った。
    …やっぱり言わないでおこう。
    方向性が決まれば、それなりに落ちつく。
    彼女が定位置の長椅子に深く座り直したとき、部屋の扉がノックされた。
    きっと彼だ。
    誰にも秘密の恋人の時間。
    無機質なノックの音ですら、その始まりを告げるのだと思うと彼女の胸にはきゅんとくる。
    彼が忍びやかに入ってきた。
    片手で扉を閉めながら、もう片方の手には器用に銀のトレイを持っている。
    ワインのびんとグラスが2つ。
    それから小皿に焼き菓子が数種類。
    「悪い。遅くなった」
    彼は手際よくそれらをテーブルに並べた。
    ワインと焼き菓子なんて、変な取り合わせ。
    ショコラなら判るけれど。
    彼女がなにげなく菓子をひとつつまむと、それはまだ粗熱も取れていなかった。
    「熱っ」
    「ああ、悪い。まだ焼きたてだからかなり熱いよ、それ」
    「そういうことは先に言ってくれ」
    彼女は少しばかり熱かっただけの指先に、ふぅふぅと息を吹きかけた。
    別にやけどをしているわけでもなく、ひどく痛いわけでもない。わざと大げさなリアクションをしただけのこと。
    『大丈夫?』なんて優しく聞かれて、ちょっぴり甘い気持ちになりたかっただけだ。
    そんなの彼にだって判っているはず。
    それなのに、アンドレは厳めしい顔つきになると機敏な動作で彼女の隣に座った。
    「見せて」
    「え?」
    「手、見せて。早く」
    なにもそんなに心配しなくても。
    少し甘えたかっただけの彼女はそう思ったが、彼が真剣に言うので仕方なしに右手を差し出した。
    なんともないのは見れば判る。
    ちょっとふざけただけなのにな。
    気まずい気持ちで、指先を隠すように軽く握ったまま手を預けた。
    けれど、ふざけたふるまいにかけては彼の方が上だった。
    アンドレは彼女の手を開かせると、爪の先でつつっとなぞってみたりしはじめた。
    その、妙にこそばゆい感覚。
    「ちょっ…アンドレ。なんの」
    つもりだ?
    彼女は反射的に手を引こうとしたが、言葉は最後まで言えず、彼は離してくれない。
    彼女の指の1本1本を、微妙な加減で握ってみたり離してみたり、意味ありげにからめたりしている。
    その瞳にはやけに蠱惑的な艶があり、彼女は胸が波立ってくるのを感じた。
    …まずい。
    おふざけを仕掛けるつもりが、また彼にハメられている。
    「‥手、離して」
    「ちゃんと診てるよ。やけどはしてないね」
    「そうじゃなくて」
    彼はオスカル・フランソワの目を、からかうように見つめ返した。
    「でも、痛むんだろ?」
    彼女は予期せぬ熱さに一瞬びっくりしただけ。
    痛みなんかあるわけない。
    判っているくせに。
    「痛む、よな?」
    心の奥までのぞきこむような眼差しと、言い聞かせるような響き。
    「…う‥ん」
    誘いこまれるように頷いていた。
    それを見て、彼は再び彼女の指先や手を診るふりをしてなぶり始める。
    ときおりくちづけたりなんかする。
    だめ!
    これじゃまたアンドレのペースになってしまう。
    そうは思ってみても、1度彼に掌握された部屋の空気は簡単に変わらない。
    それに、預けた右手を弄ばれている感覚が、変に気持ちイイような、でも、そう感じてしまう自分が怖いような…
    そんな胸のざわめきも全部彼にはバレている気がして、もう彼女はアンドレの目を見られない。
    ほら、この悪循環!
    このところいつもこうだ。
    私ばかりがどきどきさせられて、おまえは少しも動じていなくて。こんなのずるい。まともに話もできやしない。
    早く落ちつかないと…
    オスカル・フランソワの手を弄んでいたアンドレは、彼女が落ちつきなく目線をさまよわせ始めたのを見て取った。
    ああ、またそんなに緊張しちゃって。
    今まで平気で人の胸に顔を埋めてきたくせに、恋人同士になったとたんにうろたえ始めたお姫さまが彼には嬉しかった。
    これまで彼女が見せてきた無防備さ。
    それは彼への信頼の証しとも言えた。
    ただし、そこにあったのは友情のみ。
    そのことは、長い年月、彼を苦しめてきた。
    喜びにせよ悲しみにせよ、包み隠さずぶつけてくる彼女。
    腕の中にその体の重さと髪の香りを感じ、何度も勘違いしそうになって、何度も裏切られた思いがした。
    まっすぐ見つめてくる友情しかない瞳に、濃くなりすぎた想いが煮詰まって憎しみに変わりそうになったことだってある。
    でも、今のおまえは。
    人前にあれば見事なほど今まで通りだというのに、2人きりになったとたん、ろくに目も合わせられなくなる。
    白い頬や首筋が僅かに紅潮して、そのくせ、それを一生懸命覚られまいとして。
    あれだけ判らなかったおまえの気持ちが、なぜだか今は手に取るように判る。
    「オスカル」
    彼は恋人の名を呼ぶと、彼女の頬に手をかけ、自分の方を向かせた。
    青い瞳には紛れもなく恋の熱がある。
    こんな眼差しでおまえが俺を見るなんて、少し前までは考えられなかった。
    本当はこのまま彼女をどうにかしてしまいたい彼だったが、でもまだ彼女が男女のことに臆病なのも判っている。
    恋人同士になったとはいえ、結局アンドレには容易に彼女に手出しができず…
    やっぱり今も彼は、彼女に翻弄されているのだ。
    オスカル・フランソワがまったく自覚していないだけで。
    いつもなら、気持ちが昂ぶり過ぎたときには早々に自室に引き取ってしまう彼なのだが、今日は彼女が話があると言っている。
    彼は短く息を吐くと、自分から醸しだした少しオトナ向けの空気を払拭しようと、邪気のない笑顔を浮かべた。
    彼は粗熱の取れた焼き菓子をひとつつまむと、彼女の口に入れてあげる。
    「夕食、あんまり取れていないみたいだったから、おばあちゃんに焼いてもらったんだ」
    確かに彼女はその日の晩餐は上の空で、あまり食べていなかった。
    彼が部屋に来たらどう話を切りだそうか。
    そんなことばかりを考えて、食事がお留守になっていたのだ。
    行き届いた彼の気遣い。
    もちろんそれは嬉しかったけれど。
    彼が一転して昔から親しんだ朗らかな調子に戻ったので、彼女はさらにとまどってしまった。
    私をこんな気持ちにさせておいて、素知らぬ顔で放り出す。本っ当に最近のおまえは判らない。
    彼女の指先には、先ほどまでの妖しげな感覚がまだ残っているというのに。
    だっ…だからといってアレをもっと続けて欲しかったとか、そんなんじゃないけどな!
    彼女はアンドレを、というより自分自身をごまかすように、すすめられるまま菓子をパクついた。
    すっかり挙動不審気味にザクザクと菓子を食す彼女。
    彼にはそれがおかしかった。
    どうやらこいつ、俺に男を感じているらしい。
    そう思うと、未だ続くおあずけ状態も、もう少しがまんしてやろうかという気になる。
    今までの関係を思えば著しい進歩じゃないか。
    手間と時間のかかるお姫さま。
    でも、そのまどろっこしさがまたそそるのだから、彼もそこそこ変態なのだ。
    「で、話って?」
    一緒に菓子をつまみながらとりとめのない話をするうちに、彼女がくつろいだ様子を見せ始めたので、ちょうどよい頃合いかと思いアンドレは聞いた。
    そもそも今夜はそのために部屋を訪れたのだし。
    でも。
    話しにくいことなのかな?
    なんとなく、彼はそう直感した。
    晩餐のときも彼女は考えごとをしているみたいだった。
    留守部隊で心ない中傷でもされたのだろうか。
    それとも実は衛兵隊で何かトラブルが起きているとか?
    まさかアランとなんかあったんじゃないよな。
    彼はグラスにワインを注いで、彼女に持たせる。
    祖母特製の菓子が焼きあがる頃、アンドレはいったんショコラを淹れた。
    しかし、こうも暑いとショコラでは余計に食が落ちそうだし、話があるというのなら少し飲ませてやった方がよいかと思い、ワインに変えたのだった。
    でも。
    「話はいいんだ」
    彼女はさらりと答えた。
    「自己解決したから」
    「自己解決?」
    「そう」
    彼女は渡されたグラスをくちもとに運ぶ。
    普段通りおいしそうに飲んでいるけれど、彼にはちょっと引っかかった。
    本当に話したいことはもうないんだろうか?
    彼女の目は手元のグラスを見つめているが、グラスを見てはいないようだ。
    何かを思い起こしているみたいに。
    「どうかしたのか?」
    そう声をかけると彼女は顔を上げたが、今までに見たことのないような表情をしていた。
    照れたような、困ったような、それでいて自虐的でもあるような。
    「なんでもない。ちょっと私らしくないことを考えてしまって、自分でも嗤えてね。最近、私は少しどうかしている」
    「話ってそれ?」
    アンドレが真摯な眼差しを向けたので、彼女はまるっきり嘘をつくこともできなかった。
    「当たらずとも遠からず、だな」
    「自己解決したなんて言わないで、話してくれればいいのに」
    「…え”」
    アレを話せと?
    彼女はあたふたとテーブルにグラスを戻した。
    自分でもバカバカしいと思うほど、動揺しはじめている。
    アンドレに路チュウして欲しいなんて…
    やっぱり言えない。絶対無理だ。
    「いや、話すほどのことじゃないんだ。本当に。あのときはつい勢いづいて言ってしまっただけで」
    「あのとき?」
    「あ”」
    なんだか墓穴を掘った気がする。
    「アンドレ、頼む。あんまり深く考えるな。自己解決したんだ、本当にっ」
    「あのときって、俺が奥さまのお使いで宝飾品店に行っていて、おまえのそばを離れたとき、だよな?」
    彼はそのときのことを良く思い返そうと、探る表情になった。
    考えなくていいってば!
    そうでなくても、ことオスカル・フランソワに関して彼は異常にカンがいい。
    「俺がいない間に何かあったのか?そういえばおまえ、馬車を降りて川縁にいたな」
    彼の推測が的確に核心に近づいていく。
    思案顔の彼に、彼女は非常にやばいものを感じた。
    ええい、この男!深く考えるなというのに!!
    1度言わないと決めたあとでは、あの若いカップルのしていたことを自分もやってみたいなんて、いい年をして恥ずかしさも限界を越える。
    私にできるわけがない。
    しかも、追及されてちゃかされるという、恐れていた事態にもなりつつある。
    どんな顔をしたらいいのか、耳が熱くなってきた。
    彼女は伏し目がちにうつむくと、両手でぱたぱた顔をあおいだ。
    目線を外したその仕草。
    アンドレにはピンときた。
    彼女は何か甘いおねがいをしたいのだ。
    なるほどね。
    そうきたからには、もちろん追及しないわけにはいかない。彼女の髪に指を差し入れ、強引に目を合わせた。
    「本当に話さなくていいの?」
    彼は若干覆い被さるように、顔を近づける。
    う‥わ。
    その効果はてきめんで、彼女はもう心中穏やかではいられなかった。
    ほら!ほら、やっぱりこの展開だ!!
    これだけは避けたかったのに。
    これじゃ心神耗弱による自白の強要じゃないか。
    ちくしょう。屈するもんか。
    「言いたい気持ちもあるんだろ?」
    それは…あるけれど…
    いや、違う。しっかりしろ、私!
    髪をいじられながらなじんだ声で耳元に言われると、彼女はたぶらかされてしまいそうになる。
    危ない危ない。
    「俺はそんなに頼りない?」
    「そんなことない。でも、自己解決したって言ってるだろ」
    「ふぅ‥ん」
    言わないわけね。
    彼はやり方を変えることにした。
    「あのときはおまえ、すご~く素直に言ってくれたのになぁ。瞳にうっすら涙を浮かべて『アンドレ、あい」
    「わー!!」
    こっ、この男、何を言い出す気だ?
    彼女は瞬時に100%うろたえた。
    「やめろ、アンドレ!」
    耳をふさいで、もうそれ以上聞かないようにする。
    アンドレの言う『あのとき』とは、オスカル・フランソワが彼に告白したときのこと。
    何の因果で自分の告白を再現されねばならぬのか。
    それも、その当人に。
    ああ、ちくしょうっ!
    「あのときのおまえ、すごぉく素直で可愛かったんだけど?
    俺のシャツをつかむ手が少し震え」
    「判った!言う!!言うからっ」
    彼女の顔はまさに羞恥で真っ赤だった。
    ずるい。汚い。ばかやろうっ。
    「絶対…笑うなよ‥?」
    「笑わないよ」
    「ちゃかすんじゃないぞ?」
    「判ってる」
    「…断らない…か?」
    「俺がおまえの頼みを断ったことがあるか?」
    念を押すだけ押すと、彼女はようやく覚悟を決めた。
    よしっ。言う!
    「おまえを待っていたとき、1組のカップルがいたんだ。待ち合わせ中の、ごく普通のカップルだったのだけれど」
    でもどうしよう。なんて言おう。
    彼女は言葉を選び過ぎて、ちょっと詰まる。
    けれど、そこにアンドレが意外なことを言い出した。
    「俺も見たよ、そのカップル。遠目だったからよくは見えなかったけど、すごく素敵だったね。居合わせた人はみんな、そう思ったんじゃないか?」
    「おまえも見ていたのか」
    それなら話は早い。
    「あのカップルだけど、アンドレ」
    「おまえ、あれ見て『なんてふしだらな』とか思ったろ?えらい形相してたもんな」
    彼は思い出したのか、くすくす笑った。
    「…そりゃ、はしたないとは思ったけど、あの‥でも」
    「でも、なに?」
    彼女は恥ずかしくて、どうかなりそうだった。
    こんなこと言ったら、また彼に優位に立たれる。
    それも判っていた。
    でも、ここまできたら言うしかない。
    私もやってみたいな って」
    「オスカル? もうちょっと大きな声で言って。聞こえない」
    ああっ!もうっ!!
    「だから、私もあんなふうにして欲しい…かな、なんて」
    きゃー、言った。言ってしまったっ!
    今すぐ頭から寝台にでも潜りこみたい。
    顔が熱くて、すごくどきどきしていて、この気恥ずかしさは告白したとき以上だ。
    頼む、アンドレ。笑うなよ?ちゃかすなよ?私は真剣なんだか‥ら‥
    って、あれ?
    恥ずかしさでハイになっていた彼女は、彼がまったくのノーリアクションなのに、かなり遅れて気がついた。
    「アンドレ?」
    見ればかなり険しい表情をしている。
    「ごめん、オスカル。それはできない」
    え…?
    「あの。別にさ、アンドレ。私も、人前でくちづけなんてね、そこまで思ってないから!ただちょっと、手なんかつないで街を歩けたならって。私の欲望なんて、そんなささやかなものだから」
    即答で断られるなんて思ってもいなくて、彼女はつい言い訳をしてしまった。
    けれど。
    「オスカルごめん。それもできない」
    「ど…して」
    なんだかすごくショックだった。
    手をつないで歩くのすら、いやなんて。
    「私が、こんなふうだから?」
    彼女と彼。
    よりそって歩いたら、男カップルにしか見えないかもしれない。
    「違うよ、オスカル。勘違いするな。おまえのためなんだ」
    「何が?なんで私のため!?」
    彼女には納得がいかなかった。
    「断らないって言ったじゃないか」
    「それは悪かったと思うよ。でも、落ちついて考えて欲しい。俺たちは身分違いなんだ」
    「そんなこと!私には身分など少しも関係ないのに」
    今さら何が言いたいのか。
    「2人の間ではそれでいいだろう。でも、もし俺たちが人目もはばからず、そんなふうに街を歩いたらどうなると思う?」
    どうって。
    「もし父上の耳に入ったら、やっかいなことを言い出すかもしれないけれど」
    でも彼女だって、もう子供じゃない。
    それに抗う術ぐらい持っている。
    「だんなさまに知られることなんて、俺は少しも怖くないよ。怖いのは、俺のせいでおまえの名誉に傷がつくことだ」
    「私の名誉…?」
    「俺には身分もないし、男だから何を言われたっていいけど。俺たちのことが露呈すれば、おまえ、どんな中傷を受けるか判らないぞ」
    愛人を隊員に引き入れて、公私混同でお楽しみの女隊長。そんなふうに言われかねない。
    「だから俺はこのままでいいし、目立つようなことはしたくない。気持ちさえ通じ合っていればじゅうぶんなんだ」
    彼の言うことは正論だった。
    でも、じゃあ、私の気持ちは?おまえがそんなだから、私はつらいのに。
    「相手が私じゃなければ、こんな後ろ暗い立場にならずにすんだ。この先だって、ずっと人目をさけた秘密の関係でしかいられない。それなのに…」
    おまえは少しも私を責めなくて。
    言ううち彼女は心が乱れ、声が少し湿りがちになっていく。
    「私が普通を求めちゃいけないことぐらい判っている。もし世間にバレたら女伯爵の男遊びだと揶揄されるだろう。父が知れば間違いなく引き裂こうとする。
    でも私にだって、好きな男を人前で『私のもの』だと言いたいときもあるし、逆にそう言われたいときもあるさ」
    言いながらつい涙が滑り落ち、それが彼女を余計感情的にさせた。
    「それが悪いのか!」
    「判った。判ったから落ちつけオスカル」
    アンドレは彼女を抱きよせる。
    「離せ、ばかやろう。おまえに私の気持ちなんか判らない。私だって自分の立場ぐらい自覚してる。
    だから…ほんのちょっとで良かったんだ。
     街中 (まちなか)を、身分も立場も忘れて、誰はばかることもなく恋人同士として歩いてみたいと。
    そうしたら、これからもがんばれるから。
    一生に1度ぐらい、そんなささやかな欲望が叶ったっていいじゃないか!」
    胸のうちを激しく吐き出した彼女に、震える小さな声が応えた。
    「おかわいそうなオスカルさま。そんなに苦しい恋をしていらしたなんて」
    誰っ!?
    反射的に扉に目を向ける2人。
    そこには瞳をうるうるさせた侍女がいた。
    見られた?
    聞かれた?
    どこから、どこまで?


    これがすべての発端になったのだ…
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