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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【12】

UP◆ 2011/9/6

    彼女の部屋と司令官室を置き換える。
    アンドレの考えたこの作戦は、なかなか効果的だった。
    司令官室では秘めやかに恋人の会話を楽しみ、屋敷に帰ってからはしかめつらしい顔をして、仕事をする。
    「お嬢さまのお邪魔をしないように」
    マロンが侍女たちに厳しく言い渡しているので、エマなどはここ3日、部屋には姿を見せていない。
    食事は部屋に運ばれるから、彼女が使用人たちに弄ばれる心配もしなくてよい。
    しかもこの作戦には、予定外の効果もあった。
    通常の食事であれば、給仕する者とされる側。
    長らくひとつ屋根の下に住んでいながら、2人は屋敷では一緒に食事をすることがなかった。
    それがこの作戦を始めてからは、仲良く共に夕食を取っている。
    最初の日、運ばれてきた夕食を見て彼女は爆笑してしまった。
    「簡単なものでよい」
    そうはいっても時期当主。
    数名の侍女が押してきたワゴンには簡単に・・・つまめる凝った料理がたっぷり乗せられていた。
    次々並べられる色とりどりの美しい皿。
    それらが執務用の机に並べられるのを、マロンが満足そうに眺めている。
    簡単なものでよいと言ったのに。
    窓際で壁に寄りかかって見ていた彼女はそう独りごちたが、ふとあることに気がついた。
    「ばあや、アンドレのぶんは?」
    美しくセッティングされたテーブルには、料理はたくさん並んでいるが、カトラリーが1人分しかない。
    「ああ、そういえばそんなものもいましたね」
    侍女たちを従えて部屋を後にしようとしたマロンは、本当に今気づいたとでもいうように、ワゴンの奥から蓋付きの小さな皿を取り出すと、彼が作業をしているテーブルに置いた。
    皿が置かれるコトリという音がして、それを合図に侍女たちはさわさわと退がって行く。
    最後にマロンが一礼して扉を閉めた。
    彼女のために並べられたさまざまな料理。それはちょっと食べきれないほど。
    にも関わらず、彼のために用されたものは、本当に小さな皿がたった1枚。
    女は興味を惹かれ、その皿の蓋を取ってみた。
    出てきたものは、手のひらサイズのクロワッサンに野菜が適当にはさまっただけの、本当にどーでもいいようなものがたった1個だった。
    マロンの中でのお嬢さまとアンドレの格差があからさまで、憮然とする彼の顔を見ながら、彼女はしばしケタケタとウケていた。
    「アンドレなんて、これで充分でございますよ」
    したり顔でそういうマロンが目に浮かぶようだ。
    「しかしまぁ、これだけの量を私1人で食べるのは無理があるのだから」
    シェアして食べようという彼女の提案に、彼は料理をすべて執務机からテーブルの方へ移した。
    並んで長椅子に座り、2人きりの楽しい晩餐のはじまりはじまり。
    しかし。
    そういえばカトラリーは1人分しかないんだよな。
    彼女はそう思ったけれど、なんとなく今までの習慣から、彼が遠慮して先に食べるよう勧めてくるような気がした。
    「俺はいいからおまえはきちんと食べないと」
    なんて、いかにも彼の言いそうなこと。
    もしそう言われたら…
    彼女はやんわり遠慮するつもりでいた。
    公には主従の関係にある彼女と彼。
    2人の間に身分の壁がないことは、みんなが知っている。
    でも、やはり公式な場面になればアンドレは彼女を「オスカルさま」と呼ぶし、常に控え目に主人を立てている。
    それは本当に仕方のないことで、またそうでなければいけないことだけれど。
    2人が特別な関係になってから、それが彼女には心苦しかった。
    彼にしてみれば、ごく自然にしていることで、負担に思ってなどいないのかもしれない。
    でも。
    2人きりでいるときぐらいは、そんな気遣いはしないでくれないか。
    近頃抱え始めたそういう気持ちを伝えるよい機会だと思ったのだが…
    彼女の予想に反して、彼は率先してフォークを取ると、ぱくぱくと食べ始めた。
    あれ?
    ちょっと意外な彼の行動。
    彼はなにやら渋い顔つきでひとつの料理を半分ほど食べ―――ごくんと飲みこむと、唐突に彼女を引き寄せた。
    「え!?どうしたア」
    言いかけたくちびるも塞がれてしまい…ちょっとアンドレ、
    そんな…急‥に…
    「ってからっっ」
    彼女は舌先にぴりぴりと鋭い刺激を感じた。
    っらい」
    「だろ?おまえには辛すぎてダメだと思ったんだ」
    料理人の試作品を試食したときからそう思っていたと彼は笑い、男らしい豪快さで、残りを3口ほどで食べてしまった。
    「もう!そんなこと言葉で言ってくれればいいのに」
    少し怒ったふうを装って、いきなりのくちづけにぐらついた気持ちをごまかしながら、彼女は恋人を軽くにらんだのだが。
    「辛~」
    そんなことを言いながらちょっと顔を赤くして、うっすら汗をかいている彼を見たら、なんだか妙にときめいてしまった。
    屋敷では・・・・一緒に食事することがないというだけで、2人で飲みに行くことなら珍しくない。
    そんなときはたいがいテーブルを差し挟み、適当な料理をオーダーして同じ皿をシェアしあっている。
    だから何もそれほど意識することはないはずなのに。
    なぜだろう。
    隣に座っている密着感のせい?
    カトラリーを扱う彼の指先や、喉元から続くしっかりした鎖骨、ちらちらと見え隠れしている胸と、なぜだかやけに気にかかる。
    スパイシーな料理の刺激で赤味が増した彼のくちびるが、なまめかしくて。
    食事中になにを考えているのだ、私は…
    今まで彼に抱いたことのない、どこかいかがわしいような、うしろめたい感情。
    なぜ?
    自分に問いかけながら、でもそのくせ彼女はその感情がどこから来るものなのか、本当はちゃんと判っていた。
    前日のジュリとの会話。
    そしてそのときの会話に推されるまま、自分が彼に言ったこと。
    『一夜をおまえと…』
    それが心にまとわりついている。
    変に勢いづいて言ってしまった台詞だったが、今思えば彼が聞いていなくて良かったような気もする。
    『おいやですの?お褥を共にされるのは』
    そんなことは…ない。
    両手もろてをあげて「さぁアンドレ、励もうではないか!」と言うほどウェルカムではないが、彼が求めるならそれでもいい気もする。
    彼の想いを知りながら、長らく放ったらかしにしてきたのだから、今回こそ自分から誘ったっていい気もする。
    この「気もする」という曖昧な感情がやっかいだった。
    普段なら決断の早い彼女。
    こんなにうじうじと心を決めかねることなど有り得ない。
    とすれば考えられる理由はひとつぐらいしかなく…
    臆したか、オスカル・フランソワ。
    自ら心の中で問うてみる。
    びびってる?私が?
    愛しあう男女であれば、誰もが営んでいるごく自然な行為だというのに、この私が臆病風に吹かれていると!?
    ふ…まさか。
    臆していようがびびっていようが、女性として恥ずべきことではないというのに、生来の気の強さが邪魔して、どうにも彼女にはその感覚が受け入れ難かった。
    このオスカル・フランソワがびびるわけないだろう。
    此度こたびの遠乗り、いや、お忍び旅行。
    そうなったらそうなったで、がっぷりつ、受けて立とうではないか!
    特異な育ち方のせいか、彼女の頭に浮かんでいるのは子供の頃の取っ組み合いだった。
    いったいどれほど激しいコトをするつもりなのか。
    アンドレが知ればそれこそ「そこまではがんばれない」と、彼の方がびびりそうな勢いである。
    それでも、そっち方面に栄養の行っていない彼女が、そちらへと方向を定めたのは、彼にとっては朗報かもしれなかった。
    あとは彼女がこの気持ちをどう伝えるかなのだが…
    「オスカル?」
    ようすを窺うような声音で呼ばれ、彼女は目線を上げた。
    「ごめん、そんなに辛かった?」
    しばし黙りこんだ彼女をからかうような声音で、でも少し心配した顔の彼が見ている。
    あんな味見ほどにもならない量で心配することなんかこれっぽっちもないのに、額が触れるぐらいの近さでじっと見つめてくる。
    漆黒の瞳には底の知れない揺らぎがあり、心の奥までのぞきこまれているようで、彼女には直視できなかった。
    今考えていたことを彼に知られたら…
    おまえはどう思うのだろう?
    彼女がそんなことを考えてどぎまぎしているのに、彼は別の料理をフォークに取り分けると、彼女のくちもとに運んだ。
    「はい、オスカル?」
    それはまるで母親が小さな子供に「あーん」と食べさせてあげるよう。
    「はい、っておまえ」
    飲みに行けば、彼が魚介類などの殻を剥いて口に放りこんでくれることは普通にある。
    マロンの作る軽食や焼き菓子を、ちょっとつまんで食べさせてくれることだって珍しくない。
    だけど。
    ぴったり横に座られて顔をのぞきこまれ「さぁ食べさせてあげますよ~」的なのは初めてで…
    こんなのダメ。めちゃめちゃ照れる。
    ただでさえ先ほどから心の中に妙な気持ちが行きつ戻りつしているのだ。
    こんなふうにされたら顔に出てしまうじゃないか。
    今までの彼女だったら、なんとか涼しい顔で乗り切ろうとしたかもしれない。
    でも。
    ひと前でくちづけてみたいだの、おててつないで歩きたいだのと気恥ずかしいおねだりをした上に、彼がかわいく見えてしまったり、今だってヘンにうしろ暗くときめいて……
    ああ。もうだめだ、私。
    昨夜のジュリとの会話にも引きずられ、彼女は真っ赤になりながらくちびるを開いた。
    ひとくち食べさせてもらうだけなのに、やたらと時間が長く感じる。
    予想以上に恥ずかしくて目線をどこに置いたら良いのか判らず、頬の熱さが増してゆく。
    端から見たら、今、自分はマヌケづらをしてるんじゃないかとか、余計なことばかり考えてしまう。
    幼少の頃から厳格に育てられてきた彼女。
    屋敷に一棟を与えられ、姉たちよりもたくさんの侍女にぬかずかれてきた。
    大貴族の後継者として不足のない扱い。
    でもこんなふうに彼女を甘やかしてくれた人はいなかった。
    実の母親でさえも。
    照れくささと恥ずかしさの中に、なんだか胸の奥が暖まるような想い。
    おまえはいつだって私の欲しいものをくれる。
    そう思ったら、彼女はすとんと気持ちが楽になった。
    大丈夫。
    おまえはどんな私でも受けとめてくれる。
    彼女は照れくさい気持ちはそのままに、アンドレの手からフォークを抜き取ると、料理をひとくちすくい、彼のまねをしてみた。
    「はい、アンドレ?」
    彼はほんのちょっとだけ驚いた顔をしたけれど、彼女のすすめるままパクリと食べた。
    そのごく自然なようす。
    憎らしい。
    私はあんなにどきどきしてとまどったのに!
    ちょっと拗ねた顔をした彼女を見て、彼は小さく笑った。
    彼女の考えていることなどお見通しなのだ。
    いじっぱりで不器用な、彼のお姫さま。
    そのあと2人はひとつのカトラリーで仲良く夕食を済ませた。
    美味しいものを一緒に食べるとより仲良くなれるようで、この夕食のスタイルは2人に取って大変楽しみなものになった。
    彼女の少し甘えたようすが彼にも嬉しく、間近になったお出かけがいっそう楽しみになってくる。
    2人きりの晩餐が終わると、下膳に来るジュリが例の妙薬を運んで来る。
    マロンの厳しいお達しで、お嬢さまのお部屋にはエマなど近寄れないためだ。
    妙薬の効能をジュリに聞いて、彼女は素直に頷き、かなりのヘン顔になりながら、見た目だけは美しい品々をちびちび食す。
    彼はそれを優しい瞳で見ている。
    今まで自分の見た目など、ひとつも関心がなかったおまえなのに。
    ちょっと意外に思える彼女のようす。
    オスカル。どういう風の吹き回しだろう…?
    彼女がようやく妙薬を片付け、2人がまた少し仕事をしていると、やがて侍女が湯浴みの支度が整ったと迎えにくる。
    この時点でアンドレのお役目はここまで。
    明日の司令官室を楽しみに、彼は自室へと退がっていく。
    彼女の方は湯殿へと向かい、待ちかまえていたエマに薬湯を調合してもらう。
    よい香りが立ちのぼり、疲れにしみてくるような乳白色の湯。
    少しとろりとした感触に浸っていれば、エマと侍女が彼女を丁寧に磨き上げてくれる。
    「薬湯を気に入っていただけて嬉しいですわぁ」
    エマは相変わらず無邪気なハイテンションだ。
    「妙薬とこの薬湯で、逢い引きの頃には輝くようなお肌におなりですわよ。この数日だけで、かなり透明感が出ていらっしゃいましたもの」
    「そうか?」
    「きっとお相手の殿方も褒めてくださるでしょうね」
    そう…かな?
    あいつが私の見た目を褒めたことなど、ローブを着たときの1回きり。
    サン=ジュストと比べて、私の方が美人だと言ってくれたことはあったけれど。
    でも、しょせん相手は男。
    私の方が美人だと言われてもな。
    「あいつはたぶん、私の外見などに興味はないだろう」
    彼女がそう言うと、エマはニヤニヤと笑った。
    「見た目ではなく内面を愛してくれている、と?
    うふふ。オスカルさま、さっそくおのろけですのね」
    「のろけなんて!そ…んなつもりじゃ。
    ただあいつが私の見た目を褒めたことなど、ほとんどないから」
    「まあぁ!女を褒めないフランス男なんて!
    ちょっと冷たいんじゃありません?
    優しさが足りませんわね」
    優しくない?アンドレが?
    「そんなことはない。あいつはチャラチャラした言葉を撒き散らかさないだけだ。
    控え目ではじけていなくて、いつも静かに私を見守ってくれている」
    「オスカルさまのおっしゃることも想像できますけど。
    ハゲあがったブサイクなおっさんがチャラチャラとハジケていたら、イタいことこの上ないですもの」
    「だ か ら ! あいつはブサイクじゃないと何度言えば!!
    言うならば、脇役として登場したくせに、徐々に人気が上がってメインキャラ級の扱いになる役者みたいなものだ。
    派手さはないが、彼の良さは全国の元乙女みんなが知ることだ」
    「もぉ、オスカルさまったらそんなにアツくなっちゃって。
    結局おのろけじゃありませんの」
    「のろけてなどいないっ。
    ただ、おまえが彼を優しくないなどと言うから。
    あいつはだな、優しくないのではなくて…」
    彼女は誤解を解こうと、アンドレの良いところを滔々とうとうと語り始めた。
    あの…オスカルさま?
    ご自覚がないようですけれど、ソレを世の中ではのろけと言うのですわ…
    さすがのエマさえげんなりするほど、湯浴みのあいだ中、彼女は熱弁をふるったのだった。
    こんなゴキゲンな日が3日ほど続き、2人はその夜も同じように平和に過ごすつもりでいたのだが。
    4度目の晩餐。
    人が見たらバカまるだしな嬉し恥ずかしなお食事の真っ最中に、扉がノックされた。
    誰?
    なんだか荒々しくてせわしないノックの音。
    こんな粗暴な者は、この屋敷にはひとりしかいない。
    彼が鍵を開けると、部屋に入りこんで来たのはやはりエマだった。
    「エマ、どうしたの!?おばあちゃんに見つかったら怒られるんじゃないか?
    それにその荷物は!?」
    エマはなにやら大きな革のトランクを持参している。
    「時間がないんだから、アンドレは黙ってて」
    エマはメイド服のポケットからナプキンを取りだすと、彼のぶんのどーでもいいような軽食を手早く包んだ。
    「もうすぐジュリさんが妙薬を持ってくるわ。
    そしたらあたしたち、大事な話があるの。
    だからアンドレはこれ持って、今夜はもう引き上げてちょうだい」
    「はぁ?」
    次期当主を無視した話の運びに、彼も彼女も『はぁ?』としか言えなかった。
    「悪いがエマ、私たちはまだ仕事が」
    「お仕事なんかより、ずぅ~っと大切なこともありますわぁ」
    エマは弾むような足どりで彼女のそばによると、耳もとで小さく言った。
    「女同士の大切で楽しいお話ですの。
    聞きたくありませんこと?」
    エマの妙に含みのある言い方と声音。
    そんなふうに言われたら、気にならないわけがない。
    彼女がエマの囁きに気を惹かれたのを見て、彼は少々おもしろくない気分になった。
    せっかくのラブラブな晩餐の時間。
    この先、屋敷で暮らす中で、2人がこんな時間を過ごせることはないかもしれないのに。
    しかしそうは思っても、決定権は彼女にある。
    彼はオスカル・フランソワから追い出しの言葉を聞く前に、自ら彼女の部屋をあとにした。
    「おやすみ、オスカル」
    自分の気持ちをいつも的確に察してくれる物わかりのよい恋人。
    彼の背中を見送りながら、彼女はすまなく思った。
    そして。
    貴重な2人きりの晩餐を中断したのだから、その『大切で楽しいお話』とやらはいかなる内容なのか。
    いやでも期待が高まる。
    もしつまらない話だったら、それは血も凍るような恐ろしい報復へスイッチになるだろう。
    「お食事はどうなさいます?」
    どうって。
    エマの顔を見ながら食べても、彼と2人で食べるより美味しいわけもない。
    「下げてくれ」
    彼女はエマが傍らのワゴンに食器を片付けるのを眺めていたが、無造作に置いてある大きなトランクが気にかかった。
    なんだろう?『大切な話』に関係あるのだろうか。
    「ねぇ、エマ。この大きなトランクはいったい」
    質問する彼女の言葉を遮るように、ノックの音がした。
    「きっとジュリさんですわ」
    エマが扉を開けると、顔を見せたのは案の定、ジュリ。
    妙薬の載ったトレイを持っている。
    いそいそと入って来ると、食器の片付いたテーブルにトレイを置こうとした。
    「あ、ジュリさん、ダメ。
    テーブルはあけておいてくれないと」
    「いけない。そうだったわね」
    ジュリはトレイを彼女の執務用の机に置くと、妙薬をひとつ手に取り、オスカル・フランソワに手渡した。
    今夜の妙薬は、見た目だけなら美味しそうなスミレ色のムース。
    しかしそれがナニからできているかは、聞かぬが花。
    彼女は黙って食べ始めた。
    う…。今日もマズい。
    「ああ、よかった。まだオスカルさまにコレをお見せしてないのね」
    「もちろんですぅ。オスカルさまの喜ぶお顔を、ジュリさんと一緒に見ようと思ってましたから」
    エマとジュリはトランクを挟んでやけに嬉しそうだった。
    彼女そっちのけできゃいきゃいとはしゃいでいる。
    この2人、そんなに仲が良かったとは思えないのだが。
    「よ…いしょ」
    エマがトランクを持ち上げ、テーブルに載せる。
    「さぁ、オスカルさまもご一緒にご覧くださいませよ」
    ジュリに促され、彼女も妙薬を口にしながら身を乗りだした。
    トランクのベルトが緩められ、蓋が大きく開かれる。
    現れたのは色とりどりの……なんだコレ。
    白。黒。赤。緑やピンク。ストライプや花柄、水玉。ぴらぴらとフリンジのついたものや、豪華にレースをあしらったもの。艶やかな光沢が美しいものや、その真逆に、布地があるかなきかほどに透けたもの。
    「おい…2人とも、これって」
    「もちろん勝負下着ですわぁ、オスカルさま♥」
    勝‥負‥下着…だと?
    「ね、オスカルさま!これなんか超かわいくありません?」
    ジュリはベビーピンクにちょっと濃いピンクのドット模様のものを手に取った。
    コルセットの胸のラインには、同色のレースとリボンがフリフリにあしらわれていて、対になったガーターにもリボンがたくさん飾られている。
    確かにものすごく可愛いけれど。
    これを、私が!?
    「ジュリさん、それじゃダメですよぉ」
    エマはニヤリと笑いながら、別のものを彼女に勧めた。
    「オスカルさまのお相手はずぅっと年上で、奥さまもお子さまもおいでですのよ?
    これぐらい妖艶でなければ、負けてしまいますわ」
    エマが体に軽くあてて見せたのは、総レース仕上げのスケスケ紫。
    ほのかにラメまで光っている。
    …コレはもう、着ている意味があるのかないのか…
    「なら、オスカルさま。こちらはいかがです?」
    ジュリが次に手に取ったのは、気品漂う濃紺に、渋めの金糸で豪奢な刺繍が施してある、いかにもラグジュアリーな品。
    そこらの小娘には着こなせない迫力があるが、彼女の身長と髪の豪華さなら、このランジェリーの押し出しにも劣ることはない。
    「悪くはないと思いますけど、でもやっぱりジュリさんは判ってないわ。オスカルさまのお相手は、ハゲあがったデブでブサイクなんですのよ?
    マニアックに決まってるじゃありませんか。
    他のタイプを選ぶとしたら、こちらですわぁ」
    ハゲあがった上にブサイクで、しかもデブまで項目に加えられ、彼女の中で報復へのカウントダウンが始まりかけた。
    しかし。
    エマがトランクの底から引っぱりだしたものを見て、彼女もジュリもドン引いた。
    カウントダウンさえ一気に凍結する。
    それは。
    カチューシャに黒いネコ耳。
    ゆらゆらと長いしっぽまでついた、ふわふわの黒ネコさんランジェリーだった。
    「ぶはっ!」
    彼女は思わずムースを吹き出した。
    「ちょっ…オスカルさま!?大丈夫ですの?」
    ジュリが慌てて彼女のそばへ寄る。
    激しく咳こむ彼女から妙薬の器を受け取ると、背中をさすった。
    「おっかしいなぁ。今夜の妙薬、そんなにマズいですかぁ」
    「ち‥違…そっちじゃな…」
    涙目で咳こむ彼女に、エマは瞳をきらきらさせてニッコリと笑った。
    「金髪にネコ耳。最強ですわよ、オスカルさま!
    マニアックな殿方なら萌え死ぬこと間違いありませんわぁ」
    「エマ!あいつ‥は…ハゲで」
    もデブでもブサイクでも、マニアックでもない!!
    そう言いたいのに、咳が止まらない。
    「あ‥いつは…ハゲ‥げほげほっ…‥ハゲ…ごほっ」
    「ああもうハゲなのはよく判りましたわ。そこはのろけるポイントとは違いますのよ、オスカルさま」
    「だか…ら、違…げほげほ」
    ただでさえクセの強い妙薬が気管に入ってしまったらしく、彼女は真っ赤になりながら咳こんでいる。
    苦しくて水も飲めない。
    けれど、そんな彼女におかまいなしで、エマはいっそう瞳を煌めかせて言い放った。
    「さぁて、オスカルさま。のろけている場合ではありませんわ。 ご 試 着 ですわよ」
    し…試着…?
    「試着だと!?」

    お出かけまでは平和に過ごせると安心していた2人。
    しかし、現実はそう甘くなかった。
    こうしてプロデューサー・エマによる、悪夢のファッションショーの1日目が始まったのだった…
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