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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【11】

UP◆ 2011/8/27

    ジャルジェ家の車寄せに馬車が滑りこんでくる。
    次期当主の帰宅に、侍女たちがメインエントランスに並んだ。
    いつも通りのお出迎えの儀式。
    「おかえりなさいませ」
    お嬢さまが今日もご無事でお戻りだったので、マロンはにこにこと出迎えたのだが。
    「なんなんだい、アンドレ!?」
    孫が両手いっぱいに荷物を抱えているのを見て驚いた。
    「仕事を持ち帰ってきたのだ」
    マロンの質問に答えたのは、オスカル・フランソワの方だった。
    「今日も、でございますか?」
    今までこんなことはなかったのに。
    そんな顔で問いかけてくるマロンに足を止めることもせず、彼女はザクザクと自室に向かう。
    「来週ちょっと遠出する都合ができたので休みを取った。
    そのために仕事が立てこんでいるのだよ、ばあや」
    決して嘘ではない言い訳をしながら、彼女は気配だけでマロンの様子を探った。
    疑われてない、よな?
    大丈夫そうなのを確認して、彼女はさりげなくつけ加える。
    「今日はこのまま仕事に集中したいから、食事は簡単なものを部屋に運ばせてくれ。…ア…ンドレのぶんも」
    まずい。声が多少うわずったか?
    ばあやに嘘をつくのはどうも苦手だ。
    「アンドレのぶんも!?」
    マロンが声を高くしたので、彼女は内心かなりびびる。
    怪しまれた?
    マロンのうしろに控えてついてきたジュリが、扉を開ける。
    彼女は部屋に入ると襟元を緩めながら、何気なそうに言った。
    「アンドレにはにこれからすぐに仕事を手伝ってもらう。
    悪いがばあや、一段落つくまでアンドレを貸りるぞ。
    すっ…進み具合によっては…何日か…かかるかもしれないのだが」
    「そりゃアンドレでよければ何人でもお貸ししますけれど、でもお嬢さまと使用人が一緒にお食事をされるなんて!」
    ああ、そこか。
    マロンの注意がそれていると判り、2人は一瞬だけ目線を交わした。
    2人の時間を作る苦肉の策。
    もうこうするしかないと、彼が言い出した。
    12日の細かい予定や、聞かれたくないラブラブな会話は、今や司令官室でした方が安全だ。
    さすがにいちゃつくことまでは彼女の職業意識が許さないが、訓練などはしっかりやっているのだし、そんな会話ぐらいは許されよう。
    そしてそのぶんのデスクワークは屋敷でこなす。
    いわば自室と司令官室の置き換え。
    こうすれば、彼女が晩餐で言葉責めに疲弊することもないし、彼も早い時間から部屋に出入り自由になる。
    実際仕事もするのだから、まるっきり嘘というわけでもない。
    「使用人とお嬢さまが一緒に食事をするなんて…
    アンドレ、調子に乗るんじゃないよ」
    しかめっつらでマロンが退出すると、彼もまた、着替えのためにいったん自室へと退がっていった。
    部屋には彼女とジュリだけ。
    「想う殿方と1日過ごすためだけに、これほどのお仕事をせねばなりませんの?
    あたしなどが思うより、オスカルさまはずっとご多忙なのですわね」
    彼女の着替えを手伝いながら、ジュリが気の毒そうな声音で言った。
    しかし。
    おまえたちだろうが!
    彼女はそう言いたくなる気持ちをぐっと抑えた。
    おまえたちさえ騒ぎ出さなければ、このような苦労はせずに済んだというのに!
    でも、そんなことは何も知らないジュリは、昨夜から気がかりになっていたことを口にした。
    「あの…、オスカルさま?
    昨日のお湯浴みでお話したこと、お考えいただけました?」


    昨夜の湯浴み中、アンドレのもとへ飛び出して行ったエマ。
    彼女の部屋を追い出されて、その日はもうなんの予定もなくなってしまった彼は、夏らしい薄手の夜着に着替えるところだった。
    「アンドレっ!」
    いきなり勢いよく開けられた扉。部屋の真ん中にはシークレットゾーンが隠れただけのアンドレ。
    「きゃーっ」
    悲鳴をあげたのは、しかし彼の方だった。
    臆することなく堂々と部屋に入ってくるエマに、彼は軽く恐怖する。エマが悪気のない瞳をきらきらさせていたのだ。
    オスカル・フランソワさえ恐れるその瞳。
    初めてロックオンされた彼は、着ようとしていた夜着を抱え、後ずさった。
    「なに?エマ。悪いけど、俺、今着替えてるんだけど」
    「見れば判るわ」
    「じゃあ外してくれないか?」
    「あたしは大丈夫よ」
    エマはにこやかに笑った。
    おまえが良くても俺が良くないんだよ!
    焦りながら夜着に袖を通す彼に、エマがすっと近づいた。
    え?
    「アンドレって細マッチョなのねぇ」
    小柄な腕を伸ばすと、いきなり彼の胸をなでまわした。
    「ちょっとエマ、なにを…あ…っ」
    「うふ、意外といい大胸筋してる♥ 腹筋はどぉかなぁ~?」
    「エマ、おまえ…本当いい加減に…そこ…は」
    小さな手が腹筋のあたりを這い回る。たまにちょっとズレたりもする。
    やめてよ、アタシはオスカルのものよッ!
    慌てたあまり頭のチャンネルを少ぉしおかしくしながら、彼はエマの手を払いのけた。
    夜着をきっちり併せて、脱いだばかりのキュロットを急いで履く。
    「おとなをからかうな。嫁入り前の女の子がこんなことしちゃダメだろ!」
    「大丈夫。あたし医者の娘だから」
    答えになってねー。
    本っ当に最近の若い娘は!
    と、思う俺はもう若くないということか。
    自分の発想に自分でダメージを受けながら、彼はエマを部屋から出そうとした。
    しかし。
    「ちょっと待ってアンドレ。
    あたし、オスカルさまのお気持ちを伝えに来たんだから」
    彼の手がピタリと止まる。
    オスカルの気持ち…?
    「今度の逢い引き、あなたが手配を頼まれてるんでしょう?
    オスカルさま、ホントはお泊まりデートがしたいみたいよ」
    「な…、あ…の、それはオスカルがそう言ったのか?」
    「女のカンよ、薬湯にうっとりしてたもの」
    湯に浸ればリラックスしてあたり前。
    エマの言い分に、多少期待しかけた彼は脱力した。
    おまえ、そんなことばっか言ってると、マジであいつに世にも恐ろしい報復をされるぞ。
    俺もかばってやらないぞ!
    エマと彼がそんなことをしているとも知らず、その頃オスカル・フランソワはジュリに説得されていた。
    「愛した殿方に奥方さまがいらっしゃるという、お苦しいお気持ちは判ります。
    使用人たちは皆、オスカルさまの忍ぶ恋をお守りする気持ちでおりますの」
    ジュリは彼女の体を丁寧に洗ってくれている。
    「でも、オスカルさま。やはり不倫はいけませんわ。
    絶対にオスカルさまが傷つくことになるのですもの。
    オスカルさまが今度の逢い引きでもし……その殿方と結ばれたいとお思いなら、止めはしません。
    止めて聞くようなオスカルさまじゃありませんものね」
    「む…結ばれたいなんてそんな」
    ジュリが突然言い出したことに、どんな顔をすればいいか判らなくて、彼女は顔を伏せた。
    背中を流していたジュリはそんな彼女を見て、心から気の毒に思った。
    泣き顔を見られたくないのね。
    意地っ張りなオスカルさま。
    いきなり女性らしい彼女を見せつけられて、はじめはショックが大きかったジュリ。
    けれど、特異な育ち方をした上に、人に言えない恋を懸命に耐えている彼女がだんだんいじらしく思えてきた。
    このまま放っておけば、絶対にもっと傷つくことになる。
    「ですからオスカルさま。
    どうかそれを恋の思い出にお別れなさいませ。
    お屋敷をあけられることを心配されているのなら、1泊ぐらい、あたしがなんとでもごまかします。
    だんなさまや奥さまのことも、使用人たちのことも」
    顔を伏せていた彼女は、ジュリが最後に言った言葉にピクンと反応した。
    『少し遠いんだ。でもきれいなところらしいし、慌しいのもなんだし、おまえがよければ…1泊ぐらいして』
    アンドレもそう言っていた。
    あいつが泊まりがけを進めるなら、私は別にかまわない。
    っていや、ソレを期待してるわけじゃなくて、私をいつも心配してくれているあいつの言うことを素直に聞くのも大切かと思っただけだ。
    屋敷がこんな状態の今、誰にも邪魔されずに彼とゆっくりしたい気持ちにもなってきてもいた。
    自分の言葉に反応し、なにかを思う様子を見せる彼女に、ジュリはその日はもう何も言わなかったのだが。


    「昨夜のこと、お考えくださいました?」
    彼女の身なりを整えると、ジュリは改めて聞いた。
    手を引いて、定位置の長椅子へオスカル・フランソワを座らせて答えを待ったが、彼女は答えようとしない。
    それはそうだろう。
    一夜の逢い引きに想いをこめて、それを恋の思い出として別れろと言われたって。
    私にはアンドレと別れる気なんかこれっぽっちもないんだからな。
    しかし、彼女がストレートに『男とは別れる気はない』と言えば、ジュリはまたさめざめと泣くことだろう。
    もう少しすれば着替えを終えたアンドレが戻って来るはず。そうすれば、答えずとも仕事を理由に退がらせることができる。
    彼が来るまで、彼女はだんまりを決めこむ気でいたのだ。
    2人して押し黙ったまま、3分…5分…7分…
    基本的にうじうじしたのがだめな彼女は、少しずつ不機嫌になっていく。
    話してくれようとしないオスカル・フランソワにジュリは悲しい気持ちになったが、それでも彼女の気持ちを少しでも知っておきたくて違う質問をしてみた。
    「オスカルさまは今日もお部屋でお食事を取られるのでしょう?」
    「そうだが」
    「あれは、どうなさいます?」
    「あれ…?」
    「エマのご用意した妙薬ですわ。それに薬湯も」
    「ああ…あれか」
    思い出しただけで、彼女の口の中に奇妙な味とぬるりとした食感が甦ってくる。
    「あの子は今夜もお召し上がりいただくと申して、昼間からなにやら煎じてみたり、自分の仕事を放り出して夢中になっておりましたわ。
    オスカルさまの恋の事情を心得ているだんなさま付きの侍女がフォローしておりましたけれど」
    あの娘、今日も用意しているのか。
    口に広がる不気味な味。
    あれはなぁ…
    「薬湯はすごく気に入ったのだが」
    「ええ、そうでしょうね。
    私も昨夜、オスカルさまのお湯浴みのお手伝いであの薬湯にずいぶん触れましたけれど、手首やひじがとてもしっとりして。
    残り湯と浴槽の後片付けをした下男どもも同じようなことを言っていて、あたし、笑ってしまいましたわ」
    普段、薪割りなどの力仕事を任されているいかつい下男たちが『今日はお肌がしっとりだぜ』なんて言いあっているさまを想像し、彼女もやっぱり笑ってしまった。
    「でもオスカルさまだって、今日はお肌の調子がよろしいのではありません?」
    「判るのか?」
    彼女は素直に驚いた。
    実は今朝、目覚めたとき、肌に触れる夜着や寝具がやけに滑らかに感じて不思議に思ったのだ。
    気のせい?
    侍女たちが来ての慌ただしい朝のお召し替えが始まり、その小さな疑問はすぐに埋もれてしまったのだが、ジュリと話していて合点がいった。
    「薬湯は今夜もおねがいしたいな。
    あの香りも気に入ったし」
    「判りましたわ。エマに伝えておきましょう」
    そう言うと、ジュリは退がろうとした。
    でも。
    「ジュリ?」
    彼女が引き止めた。
    さっきまでは早く出て行ってくれないかと思っていたのだが、胸の奥のすみっこで、微かにちりちりと気にかかっていたことを、口に出してみたくなったのだ。
    「…男が女を泊まりがけで誘うとしたら……そういう・・・・気持ちも…少なからずあるのだろうか」
    彼女が真剣な面もちでそんなことを聞くので、ジュリはぽかんとしてしまった。
    そんなこと、当たり前じゃないの!
    「殿方が女性を旅行に誘って、色よい返事がもらえたなら、殿方は普通それも合わせてのよいお返事だと受け取ると思いますわ」
    「旅行…?」
    ジュリにそう言われて、彼女はその言葉にどぎまぎする。
    彼とは今までにも2人きりで遠出をしたことがある。
    アラスなど、泊まりがけで出かけたことだって、何度もある。
    だから今回のことも『2人で遠乗り』と単純に思っていたし、彼が1泊を提案してきても、それは体調を気遣ってくれてのことと、たいして深くは考えなかった。
    「…りょ…こうというか…ちょっとベルサイユを離れて恋人同士らしく過ごしてみたいと思っただけで…
    かっ…彼の方だって、ちょっと遠いから1泊しては?と提案してみただけだと思うし……別に旅行とかいうわけでは」
    「オスカルさま?」
    ジュリは普段賢い彼女のぼんくらぶりに呆れた。
    「住む土地を離れて遊びに行くことを普通『旅行』と言いますのよ?お泊まりになろうというのなら、なおさらですわ。
    ありていに言ってしまえば、オスカルさまのなさろうとしていることは『お忍び旅行』ですもの」
    …お忍び旅行っ!?
    「殿方がそういうお気持ちを抱かれても、当然だと思いますけれど。
    まさかオスカルさまだって子供じゃあるまいし、『久しぶりのお出かけだ、わーい』とはしゃいでいただけではないでしょうに」
    「も…もちろんだ。私だってコドモじゃあるまいしっ!」
    やばい。はしゃいでいただけだった。
    いいじゃないか、それだけだって!
    なんとか言い繕ったオスカル・フランソワだったが、でもいくら鈍な彼女でも、さすがにお忍び旅行という言葉には独特な色気を感じていた。
    『殿方なら普通』って、アンドレおまえ、普通の殿方なのか?ううむ。
    再び黙りこんでしまったオスカル・フランソワ。
    大人の女として、なにかしっくりしない態度の彼女に、ジュリは少しばかり心配になってきた。
    どうやらオスカルさまは殿方と共寝ともねされるのは初めてのような。気丈な方だけれど、やっぱり不安なのかしら。
    「おいやですの?そのお方とおしとねを共にされるのは」
    ジュリにそう聞かれ、彼女は間髪入れずに答えた。
    「そんなことない」
    って私?
    なにを言ってる私!
    即答した自分に驚き、頬が熱くなっていくのを感じる。
    それと同時に、昨夜彼がかいま見せた一瞬の表情を思い出した。
    『気合い入れたデートで、もし恋人がいつもよりもツヤツヤでぷるぷるだったら嬉しくない?』
    あのとき彼が見せた、照れたような嬉しそうな、それでいてちょっと困った顔。
    彼女の視線に気づくと、すぐにその表情は隠されてしまったけれど。
    彼のそんな顔は、長いつきあいの中でも見たことがなかった。
    なんだかかわいく思えて…え…?
    かわ‥いい?アンドレが!?
    まさか。今日の私は本当にどうかしてる。
    彼の、人を責めたり言い訳したりしない男らしさや、誰にでも分け隔てなく親切なところなどを、感心し、尊敬したことはたくさんある。
    恵まれた体躯に、高い身体能力。
    訓練中にチラ見して、やっぱり彼が1番かっこいいと密かにニヤけることだってあったけれど。
    かわいいなんて思ったことは1度もなかった。
    だいたい『かわいい』なんて、男性に対して使う言葉じゃない。私はどこかおかしいのだろうか。
    「あの…ジュリは、さ」
    「はい?」
    「男を‥かわいいと思ったことって…あるか?」
    らしくもなく、おずおずと聞いてくる彼女に、ジュリは優しく笑った。
    「もう。困った方ですわねぇ、オスカルさまは」
    え!?やっぱり私はどこかおかしいのか?
    おたおたする彼女に、ジュリの声音はより柔らかくなる。
    「あたしが心よりご心配申して、その殿方とはお別れなさいませとおねがいしておりますのに……
    オスカルさまはそのお方を本当に愛していらっしゃいますのね」
    「な‥にを急に!なんでそんな!」
    今度は照れからおたおたする彼女。
    「オスカルさまのお相手がどれだけ年上でも…
    どれほどハゲあがったブサイクでも…
    女は男をかわいいと思うものですわ」
    「皆、そういうものか?」
    「ええ。みんなそう、愛していれば」
    「愛していれば?」
    「だって考えてもみてくださいな。
    『かわいい男』なんて、通常のオスカルさまなら『軟弱者がっ!』なんて思うのではありません?」
    そう言われてみればそうだ。
    かわいい男なんて好みじゃないのに、あのとき彼が一瞬見せた表情はもっと見たい気がする。
    アンドレはブサイクじゃないから、なおのことだ。
    「今日もおねがいしようかな…あの妙薬」
    私がツヤツヤでぷるぷるなら、おまえはあんな顔で私を見つめてくれるのか?
    そしてそのあとは…?
    自分の発想に、くらっときた。
    寝室にあるキャビネット。
    奥に隠し扉がある。
    しまってあるのは発禁書のコレクション。
    アレを役立てるときがついにきたのか?
    でも。
    ここしばらく開いていなくて、半ば内容を忘れている。
    今日から少しずつ復習しておいた方がよいのだろうか。
    ああ、でもやっぱりアンドレは私の体調を気遣って泊まりがけで行くことをすすめただけかもしれないし…
    私の単なる思いこみだったら恥ずかしすぎる。
    どうしよう。
    どうしたものだろう。
    「ねぇ、ジュリ。笑わないで聞いてくれるか。
    わた‥し わあぁぁぁ!」
    目の前に、アンドレがいた。
    「なんっ!いつからおまえっ!!」
    「なんでって仕事のためで、いつからってさっきからだよ。
    おまえ大丈夫か?いくら呼んでもぼーっとしてて」
    彼女はきょろきょろと部屋を見回す。
    「ジュリならとっくに行っちゃったぞ」
    「あ、ああ‥そう」
    彼はそう言うと、彼女の隣に座り、さくさくと仕事を始めた。
    いつもはワインなどが置かれるテーブルにも、彼女の執務用の机にも、書類がたっぷり積まれている。
    もっとも3分の2はダミーだ。
    仕事量の多さを強調するために、それっぽく見える資料などを仕込んであるだけ。
    教養高く、しつけの行き届いたオスカル・フランソワ付きの侍女たちは、注意をしなくても彼女の職務上のものには絶対に触らない。
    アンドレもなかなかうまいやり方を思いつくものだ。
    今日の勤務では、本来デスクワークに割くはずの時間を、2人はお茶を飲みながら語らうことで過ごした。
    司令官室は人の出入りも多いが、訪れる人は入室の許可をきっちり取ってくる。
    用件が済めばさっさと出て行ってくれるのだから、いつ、どんなかたちで侍女たちに攻めこまれるか判らない彼女の部屋よりは、よほど安全だった。
    アンドレの思いつきに乗ってみて良かった。
    彼女は隣で羽根ペンを走らせている恋人を盗み見た。
    夏の陽射しに焼けた肌は健康的に褐色で、彼の男っぽさを引き立てている。
    近衛で粒ぞろいな色男は見慣れているけれど、彼らはどうも優美さがまさってしまい、ときには女性的ですらある。
    その点、衛兵隊などは風紀が荒いぶん、隊員たちもいかにも『男』という感じだ。
    その中でも彼はひときわ男らしい。
    と、いっても確かに彼は長身で引き締まったいい体をしているが、実際のところ、体格だけならそこまで言うほどピカイチな存在ではない。けれど恋のフィルターがかかった彼女の目には、もうぶっちぎりに光って見えるのだった。
    仕事…しなきゃ。
    そうは思うのだが、先ほどまでジュリと話していたことが胸のうちにゆらゆらと漂っていて落ちつかない。
    妙に甘い緊張を感じ、彼女は長椅子の上で膝を抱えた。
    彼に背を向け、ちょっと丸くなる姿勢で考えてみる。
    愛しあっているなら当然の行為。
    かつては泣いて嫌がったけれど、今なら?
    でもあのとき彼は『もうこんなことはしない』と誓っている。
    と、いうことは、私から誘わなければ事態は動かないと!?
    「そ…んなの」
    無理だ。だって。
    2人きりの寝室。
    意を決して言ってみる。
    「おねがいアンドレ。抱いて…」
    そのひとことであいつがさりげなくリードしてくれれば、私もがんばれる気がする。
    でも。
    「どうした?なんかヘンなもんでも食ったか?熱でもあるのか?」
    そんなふうに軽くスルーされたら、恥ずかしくてもう2度と彼の顔なんか見られない。
    それどころか。
    「ごめん、オスカル。俺、いい年してマグロな女はだめなんだ」
    そんなことを言われた日には、その舌を引き抜くぐらいのことはするかもしれない。
    ならばいっそのこと。
    「私を抱け」
    ってなぁ。そんな場面で命令するのは、女としてどんなものだろう。
    最初に命令なんかしちゃったら、そのあとも「次はこうしろ」「ソコをああしろ」だのと命令しつづけなければならないような…
    無理無理無理!それは本っ当に無理!!
    ならば、もうこの際、ウケ狙いで
    「さぁ、アンドレ。いい仕事してもらおうか。期待してるぞ」
    とでも言ってみようか。
    だけどいくらアンドレが頑張ってくれても、それがいい仕事かなんてきっと私には判らない。
    …初めてだもの。
    彼女はけっこう長いこと丸くなったまま考えていたが、心を決めると彼に話し出した。
    2人のことは2人で話し合った方がいいと気づいたのだ。
    とてもじゃないが顔は見られないから、向けた背中を彼の肩に寄りかからせて、切り出してみる。
    どきどきしてきて、それが彼にバレていないか気にかかるが…よし、言うぞ。
    「今度の遠乗りのことだけれど…
    おまえの言う通り、泊まりがけで行かないか?
    ジュリが協力すると言ってくれて。
    ……一夜を…おまえと一緒に…過ごしたい…んだ。
    私などでよかったら」
    「う‥ん」
    彼女はがんばって振り向いた。
    この言葉はちゃんと顔を見て言わないと!
    「私を……アンドレ・グランディエのつ‥ま…
    ってきさま!!」
    振り向いた彼女の青い瞳に映ったのは、ここ数日の騒動にいいかげん疲れきって、羽根ペンを握ったまま寝落ちしている恋人の姿だった…
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