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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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貴賓室へ
ゲスト作家さまの作品がお楽しみいただけます。

    カツカツと響く軍靴の音。
    ジェローデルをわきに付け、彼女はかつて毎日通った廊下を進む。
    「隊長!?」
    「ジャルジェ准将!」
    すれ違う白い軍服たちは皆、最初は驚き、けれどすぐに抑え目な笑みのもと、隙なく整った美しい敬礼を見せた。
    それは長い廊下の奥まで波のように伝播していき、なかなかに壮観な光景だった。
    「うむ」
    ついこの間まで部下だった隊員たちの歓待に、彼女もまた、満足そうな笑顔を返す。
    子供の頃から、ここへ来るのだと言い聞かされて育ってきた。
    いずれ輿入れされるというオーストリア皇女。その方を命に代えてもお守りし、お仕えせよと厳命され、そして士官学校も終えぬうちからアントワネット付きの近衛士官として入隊を許された懐かしい日。
    やがてはたちになるやならずやのうちに連隊長を拝命し……
    数々の思い出や誇らしさ、そしてそれ以上に、ひっそりと積もり抱え続けた苦悩がワッと甦ってくる。
    ああ、それでも私はなんと近衛(ここ)を愛していたことか。
    彼女は少なからずの感傷を、胸の内でグッとこらえた。
    ここを去ったのは、他の誰でもない自らの意志。
    今さら里心に揺らいでどうする!
    彼女は身にまとう軍服の青に気丈さを取り戻し、父将軍の執務室の扉をノックした。
    集中、しなければ。
    国王陛下の御内意という、予想のつかない呼び出し。
    いったい何があったというのだろう。
    「ジャルジェ准将。これより先は人払いがされており、私はご一緒することができません」
    「そう、か。ジェローデル …おまえは此度の件」
    「ええ。正式にはうかがっておりませんが、漏れ聞こえたところから朧気には」
    そう答えるジェローデルの表情も口調も、晴れやかなものではない。
    楽しい話でないのは、間違いないようだ。
    「私は廊下(こちら)で控えております。必要であれば、いつでもお呼びください」
    「呼んだところで。この扉の向こうは、人払いされているのだろう?」
    「……私にとって従うべき人は、いつまでも貴女(あなた)だけなのですよ」
    妙な流し目を送ってくるジェローデル。
    「ふふん。相変わらずキザだな」
    彼女の気分を和らげようとする、この男流の気遣い。
    小さく肩をすくめると、彼女は入室を許す声に従い、父将軍の待つ執務室の扉を開けた。


    「お待たせ致しました」
    今までに何度も訪れたことのある、近衛将軍の執務室。
    父・レニエだけかと思いきや、そこで待っていたのは厳めしい面構えの男たちだった。
    准将である彼女でも、なかなかお目にかかることのない歴々が、奥の応接セットで喧々囂々と額を寄せ合っている。
    陸軍最上層部の人間たち。
    いや、それだけではない。
    さらに奥にいるのは、普段なら宮殿奥にしかつめらしい顔で鎮座しているはずの、一家言持つ元老たちではなかろうか。
    まったくつながらない、この顔ぶれ。
    どういうことだろう。
    「何をしておる?」
    中途半端に開いたままの扉。
    …いけない。
    一時停止のように固まっていた彼女は、父親の声で再び動き出す。
    だだっ広い部屋の中央に進み出て、将軍と、そして密議を凝らしていると覚しき顔ぶれへ向けて、様式美にかなった口上を述べ始めた。
    けれど。
    ぞわりと、人が動く。
    恰幅のよい、十数名の好好爺たち。
    にこにこと穏やかな表情が、彼女をぐるりと取り囲み。
    クイっ。
    横から伸びてきた指が、彼女のおとがいを上向かせた。
    「ほほう。これはこれは」
    「噂に聞いてはいたが」
    表情にはそぐわぬ、ひと癖もふた癖もあろう眼差しが彼女を眺めまわす。
    老獪な視線が、軍服の中にまで入りこむよう。
    生理的な不快感に、彼女は直立不動のまま、指先だけを握りこんだ。
    なんだ?この値踏みするような眼差しは。
    顔色は変えず、しかし、囲まれた人の隙間から、彼女は父親の気配を探す。
    これはどういうことなのです?父上。
    けれど彼女にかろうじて拾えるのは、押し黙るだけの将軍の醸す、重苦しいたたずまい。
    父としても上官としても、レニエは助けにならないようだ。
    ならばいっそ、この爺たちにこちらから切りこんでみるか。
    無遠慮に向けられる視線と、彼らが交わす下卑た目配せ。
    たまらなく神経に障る。
    「まぁまぁ、准将。そう苛立たずとも」
    顔に出してはいないはずなのに、妙に納得顔をした爺の1人が彼女をいなした。
    「せっかくの美貌が台無しではないかね?そうだろう、ジャルジェ将軍。まったく美しい娘御だ!こんな服装(なり)をさせておくのは、やはりもったいない」
    思いもよらないその言いよう。
    それはある意味、褒め言葉だったのかもしれないが、当然彼女にはそう聞こえなかった。
    海千山千なタヌキ爺たち。
    こんな言われ方をすれば、彼女が気分を害するのを判っている。
    判っていて…
    彼女の度量を量っているのだ。
    もちろん彼女も、それに気づかぬほど愚鈍ではない。
    「物珍しく扱われることには慣れておりますが、多忙極まりない御身の皆さま方が、私ごときを眺めまわすためにお集まりになったのであれば、あまりに酔狂。趣意を明かしていただきたい」
    階級もキャリアも無視した言いぐさ。
    業界の大物たちに対する彼女のまっすぐな口火に、レニエの方がギョッとした。
    「ほほーぅ」
    「これはまた、噂に違わずなんと…生意気な」
    立場を省みない彼女の発言で執務室に滲む不穏な空気と、それに混ざり低くうねる忍び笑い。
    「こういう女を屈服させ、かわいらしく鳴かせるのもまた一興、と言ったところですかな?」
    「然もありなん。娘御をこのようにお育てになったのには、我々などに及ぶべくもない先見の明があったということでしょうなぁ、ジャルジェ将軍。あなたも上手いことをなさったものだ」
    彼女をとり囲む爺たちの、温和な表情だけは変わらない。
    しかし、その人の輪からは、第一印象にはなかったレニエに対する敵愾心が見え隠れし始めている。
    どういうことだ?
    「まぁまぁ、皆さん。此度のことは、ジャルジェ将軍の謀と言うわけでもないのですし」
    居並ぶ人の中でも、ひときわ年老いた爺がずいと進み出た。
    しわしわと衰えた手を彼女の頬に伸ばし、その指先は耳もとから髪に差し入れられ、金糸をかきあげる。
    …ゾッ。
    背筋に走る悪寒。
    爺は指を解くと、そのまま彼女の背後に回りこんだ。
    値踏みする眼差しはさらに深くなり、キュッと上がった女性らしいヒップラインに手が触れる。
    いやらしく撫で回す手はやがて内ももへと降りていき…
    ゾゾッ。
    彼女の腕にも、首筋にも白い頬にも、産毛がぞわぞわと逆立った。
    抑えようもない不快感。
    そして別の爺の腕が伸びてきて彼女の手を取り、その手のひらや指の1本1本を開かせた。
    さすり上げるその動きは、さながら愛撫のよう。
    さらに別の腕が現れて、引き締まったウェストに触れると、じわりじわりアンダーバストまで這い上がってくる。
    見ているだけでは飽き足りなくなった違う腕までが追加され、湿った手のひらが、じっとりと彼女のキュロットに密着した。
    …ゃ…っ…
    体を這い回る何本もの腕に思わず漏れそうになった声を、それでも彼女は押し留め、眉間に僅かなしわが寄る。
    「ほっほっほ。さすがに娘御は、この若さで近衛連隊長を務めるだけのことはありますなぁ。気の強さも見事なものだ。が、」
    彼女の首筋に、生暖かい息がかかる。
    しみと脂の浮かぶ男の顔が寄せられていた。
    「……女の匂いがする」
    耳を舐めるようなそのひと言は、嗤い混じり。
    「い…いかげんに」
    していただきたい!
    そう叫びかけた台詞は、しかし、彼女より先にレニエが発していた。
    「そのようなことのために、准将を呼んだわけではないでしょう」
    「然も、ありなん」
    小ばかにしたようなつぶやきが、人の輪に連鎖する。
    …さもありなん…さもありなん……さも…あ…り……
    くつくつと笑う声を織り交ぜながら、爺たちはぞろりと彼女から離れる。
    ぞろりぞろりと虫の這うように。
    そして不快な嗤いの余韻だけを残して、執務室から出ていった。

    ……ぱたり。

    扉が閉まった瞬間、彼女は床にへたりこんだ。
    情けないと思いながらも、生理的な気持ち悪さに膝が震える。
    性的な嫌がらせを身に受けたのは、初めてだった。
    男に触られるのも。
    「オスカル」
    男親としての戸惑いを隠せないレニエの声。なんと言ったらよいのか言葉に困っているようだ。
    例え理不尽な命令とはいえ、それなりにきちんと説明をしようと思っていた矢先に、この仕打ち。
    忌々しいじじいどもめが。
    年の頃なら己とさして変わらぬ者どもの娘への振る舞いに、レニエとて平静でいられたわけではない。
    「すまない、オスカル。驚いたことだろう」
    「いえ、将軍」
    彼女は意外にも、しっかりとした声で応えた。
    あえて“将軍”と応えてよこしたところに、レニエは娘の心情を推し量る。
    つかつかと歩み寄り、手を差し出したが、その手は無視され、彼女は1人で立ち上がった。
    どこまでも気丈な娘。
    「ご説明、いただけるのでしょう?」
    「うむ」
    しかし、どこから話したものだろう。
    まずは此度のことがらの背景から、か。
    しかしそれが妥当かどうか。
    レニエにはもう、どうでもいい気がしていた。
    恐らくいかに説明されたところで、娘が快諾するとは思えない。
    であれば。
    職務として厳しく言い渡すのが、もっとも受け入れやすいのではないか。
    所詮彼女に拒否する自由はない。
    レニエは意図的に、将軍としての顔を全面に押し出した。
    「准将。これから話すことは高度に政治的な問題で、極めて機密性が高い。よいか」
    つまりこれは、いっさいの他言は無用ということ。それが、どれほど信頼のおける相手であっても。
    彼女が近衛連隊長の要職についてから、ここでのこんなやりとりは何度となくあった。今さらとも思える前置きに、彼女は当然のごとく頷く。
    「心得ております」
    「では、准将。1つ聞いておかねばならぬことがある。これは本来であれば、先ほど皆の前で確認すべきことがらだったのだが」
    レニエはそこで、珍しく口ごもった。
    よほど言いにくいことなのだろうか。
    「よいか、准将。この一件は極めて外交的な要素を含む。ゆえに心を落ち着けて、真実のみを答えて欲しい。今後に関わる重要な件でもあるのだ」
    「…将軍?」
    レニエらしくない、回りくどい言い方。
    いかにも気まずそうで、目線も外しがちだった。
    “准将”という言葉を重ねることで、自分自身に職務だと確認させているような。
    「重ねて言うが、これは秘密りに重ねられた閣議にて既に決まった案件であり、准将へと下された命令なのだ。よいな?」
    「恐れいりますが将軍。私も若輩ながら、そう短くはない月日をここで過ごして参り、軍人としての気概は多少身に付けたつもりでおります」
    少しじれた彼女が苛々と言うと、レニエもようやく本気になったのか、目に力が入った。
    「うむ」
    「私も、将軍家の嫡子にございますから」
    「相判った。ではジャルジェ准将。そなた、その身は純潔か?」
    「はい?」
    「だから!その身は純潔なのかと聞いておる」
    「なんっ…… いったい何…を」
    将軍と准将の、いや、父と娘の間に流れる微妙な空気。
    純…潔って。
    私が処女(じゅんけつ)か、だと?
    「そのようなことを、私は皆の前で答えねばならなかったというのですか!?」
    一瞬でブチ切れた。
    「あのスケベたらしいオヤジどもの前で!」
    「口が過ぎるぞ。あの方々は、おまえなどが逆立ちしたってかなわないだけの地位と権力を持っ」
    「だとしても!!わっ…私がじゅっっ…純潔かなどと!」
    「だからそれは、私が父の立場をもって回避させたではないか。あまりに准将のプライバシーに寄り過ぎるからと。私とて、何が悲しくておまえの身の下話を聞きたいものか」
    「身っ、身の下!」
    「もうよい」
    今の娘の様子。
    そして、先ほどセクハラまがいに体に触れられたときの様子で、レニエには娘が純潔だと予想がついていた。
    おそらく元老どももそれが知りたくて、あのような振る舞いを仕掛けたのだろう。
    父として許し難い行為ではあったが、それも此度の執務室の中でなら、仕方のないことだった。
    「理由を!理由をお聞かせください!!」
    気色ばむ娘に父親は、それも然りとことの本題に入る。
    「ときに准将。そなたは当然、マルリー宮を知っておろうな?」
    ベルサイユ宮の北西8キロに在る、王家の離宮。
    あの太陽王の愛した水の小宮である。
    「在りし日のルイ14世陛下は、トリアノン宮でのマントノン夫人との時間を大変大切にしていらしたが、それとは別に、マルリー宮には格別な位置づけをされていらした」
    「はい。メインの小宮を太陽になぞらえ王の座所とし、水庭園をはさんだ左右に6つづつ、合計12の東屋を配置されたとか。それは太陽をめぐる横道12宮を表しているのだと」
    「そうだ。この離宮には、選ばれた者のみが滞在を許される。ここに招かれることこそ、貴族にとって最高の栄誉。ベルサイユ宮に小さな居室をいただくことより、どれほど名誉なことか」
    ポンパドール夫人やデュ・バリー夫人を引き合いに出すまでもなく、手管さえあれば、平民からの成り上がりまでが雑多にまぎれこめるベルサイユ宮と違って、マルリー宮には誰もが納得する選りすぐりの者しか滞在を許されない。
    それが証拠に太陽王の御代から数えても、他の離宮に比べてマルリー宮は格段に稼働率が低かった。
    王妃の側近く仕えたオスカル・フランソワにしても、たかだか伯爵令嬢ごときでは招かれるはずもなく、職務としてでも留まったことはない。
    彼女とマルリー宮との関わりといえば、せいぜい国王や王妃、賓客を警護しつつ送り届けた程度。
    そこから先の警備や、貴人(あてびと)たちの話し相手は、レニエをはじめ、極めて選りすぐりの者たちが引き継ぎ、尊き方々が水の小宮でどのようなときを楽しまれているのかは、露ほどにも漏れることはなかった。
    「そのマルリー宮、私にどのような関係が?」
    まったく縁のない小宮と、もう既に近衛を離れた立場。
    聡明な彼女にも、今回は本当に話が見えないでいる。
    しかも。
    「確か今、マルリー宮では改修がなされているはずではありませんか?ここしばらく、立ち入りが制限されていたかと思いますが」
    「うむ。表向きはな」
    「表向き?」
    と、いうことは。
    私にこれからくだされるという命令は、職務上の機密もさることながら、本当になにか人に言えない…裏側のこと?
    先ほどまでの、いやに持って回ったレニエの物言いも相俟って、彼女はいよいよ話される本題に、ほんの少し不安を覚えた。
    「しっかり聞いて欲しい、准将。実は今、マルリー宮には、さるご身分の方が逗留されている。その御方がおまえを」
    「父上!」
    これ以上、聞いてはいけない気がした。
    「准将?」
    「あ…、いえ」
    脳裏にふぅっと言葉が湧いた。
    …然も、ありなん…
    ぴくりと眉が動き、彼女の目が細められる。
    “…こういう女を屈服させ、かわいらしく鳴かせるのも…”
    つかみどころなく、嘲笑まじりに投げつけられた言葉。
    そして。
    …先見の明が……ジャルジェ将軍も上手いことを…然も……謀で……然もありなん……まったく美しい………然も…ありな…ん……娘御を……然も………女の匂いが……あり…な……ん…
    無意識のうちに低く低く、耳の奥、鼓膜にからみついて繰り返される言葉。
    正体の判らなかった靄が取り払われて、ことの次第が露わになる。
    「父…上?」
    「そうだ」
    事態を察せずにいた娘に、ようやく達するものがあったのだとレニエは安堵する。安堵したところで、愉快な話でないのは変わらぬところだが。
    「今、マルリー宮におわす御方が、おまえをお望みでいらっしゃる」
    「そ‥んな」
    言い渡される間際に、予想はついていた。
    でもそれは心の準備ができるほどの時ではなく、彼女にはとっさに返す言葉も見つけられない。
    口は開いたものの、まるで息まで止まってしまったような娘に、レニエは此度の件を話し出した。この娘の精神力なら、聞くうち落ちつきを取り戻すあろう、と。
    「ただ今、マルリー宮にご滞在の御方だが」
    その名を明かすわけにはいかない、とレニエは言った。
    妄りに口に出すことは、はばかられる方。
    不用意に御名が漏れることがあれば、国王陛下の椅子が揺らぐこともある。それだけの人物なのだと。
    マルリー宮には時おりお忍びで羽を伸ばしに、そして、陛下との親睦を深めるためにおいでだという、その貴人。
    「国王陛下の御代の安寧をはかるためにも、これは極めて政治的な事柄なのだ」
    自分に求められていることを知り、はじめは呆然としていたオスカル・フランソワ。
    けれど事の次第が明かされるうち、そのくちびるは怒りでワナワナと震え始めた。
    「それで、将軍?」
    ドスの効いた低い声。
    「その“名を明かすこともできぬ御方”の申し出をあなたは」
    「無論、謹んでお受けした」
    レニエの答えに、白い頬がツッと引きつる。
    「引き受けた、と?」
    「先日マルリー宮へ呼ばれ、国王陛下の御前において御方直々にお言葉を賜った」
    「ほう、直々に!」
    恭しげなレニエの口ぶりがピリリと神経に障る。
    「つまりあなたは、私に男の慰み物になれとおっしゃるのですか」
    「オスカル、口が過ぎると先ほどから」
    「では言葉を変えましょう。ほんのときおり気まぐれに訪れる男の、その時ばかりの玩具になれと」
    「余計に悪い!」
    「私は生き人形というわけですか、ただ男の欲望を注ぎこまれるだけの」
    「オスカル!!」
    自分でも信じられないほど下品な表現が次々と口をついて出るが、止めようとも思わなかった。
    「程よい頃合いで嬌声をあげ、あとはぼんやり股を開いていればよいのでしょう?」
    彼女の挑戦的な眼差し。
    「なるほど、それなら私にも出来そうだ。このようななりをした私にも」
    「落ちつけ、オスカル」
    「“落ちつけ”ですと?」
    彼女は目の表情は変えないまま、くちびるだけを笑わせる。
    「落ちついておりますとも、 この上なく。でなければとっくにここから走り去っているでしょう。この馬鹿げた筋書きの半分も聞かぬうちに」
    口ぶりとは裏腹に、まったく落ちつけていない娘。
    無理もない、か。
    職務としてはもう少し話すべきこともあるレニエだったが、父としての感情がまさり彼女の背に腕を回した。
    少々強引に扉へと押しやり。
    「今夜は晩餐のあと、私の部屋へ来るように。話さねばならぬことはまだまだある」
    「ならば、今おっしゃればいいでしょう!もうここまで話したのだから!!」
    噛みつきながら身悶えする娘を、レニエは無理矢理に扉の前まで押し出していく。
    すると扉は心得切ったタイミングで廊下側から開き、ジェローデルが彼女を引き取った。
    「大尉、」
    指示を出そうするレニエ。
    けれど、腹の中では婿がねの1人にとも目論んでいた腹心の部下の賢しい眼差しに小さく頷き、自ら扉を閉める。
    「父上、お待ちを!」
    言いたりなくて、此度のことがまるでレニエの差しがねであるかのように、まだ聞こえてくる娘の声。
    「はーっ」
    自然と指先がこめかみを押さえた。
    娘がこれほどショックを受けるとは、レニエにはいささか予想外だった。
    「もう少し冷静な判断が出来るかと思ったのだが」
    老いてなお権力を手放さぬ狸爺どもの仕掛けた悪戯が、今さらながらに忌々しい。あのような振る舞いがなければ、この呼び出しも予定の段階までは終えられようものを。
    「とはいえ」
    あれしきのことで動揺されては困るのだ。
    これから彼女には、もっと生々しい役目を担ってもらわなければならない。
    限りなく生々しい、女という身にかなったお役目を。
    執務室をぐるぐると歩きまわりながら、レニエは忙しくなるであろう今夜からの段取りに思いを巡らせる。
    ムッシュウ・ル・コント。
    そう育てた末の子を、この短期間で今一度、姫として育て直さなければならない。それも高貴な方の夜伽(よとぎ)の相手として、ご満足いただき、末長く可愛がっていただけるだけのたしなみを備えた姫に。
    よしんば彼女が、それだけの寝所のたしなみを身に付けられなかったとしても。
    「初ものを好まぬ男はいまいて」
    そうつぶやいて、自らの懸念を振り払うレニエだったが。
    …おや?
    レニエはふと、扉に注意を向ける。
    廊下から娘とジェローデルの気配は消えており、代わりに耳慣れた従卒の声が入室を問いかけていた。
    レニエは素早く将軍の顔に戻り、その男を部屋へと入れる。
    澱みのない従卒の所作を眺めながら、わざとらしいほど威厳たっぷりに、執務用の椅子へと腰を下ろしてみせた。
    ジェローデルから預かったという伝言を聞きながら、鷹揚に頷くレニエ。
    「ふ…む。いいだろう。よく出来ている」
    一礼し、執務室から退がろうとする従卒に、将軍は厳しい声音で命じた。
    「よいか。今、伝え聞いたことは」
    「他言無用にございますれば」
    「結構!」


    ようやくシン…と1人きりになった部屋。
    レニエはなんとも中途半端な表情(かお)をしていた。将軍とも父とも寄れぬ、しまりのない一個人としての。
    オスカル(あれ)を、差し上げものとする?
    伯爵家としての権勢をおもんぱかれば、栄誉とも思える話。拒否する理由も、また拒否できる立場にもない。

    だが、しかし。

    此度の件について、レニエもそれ程、整理がついているわけではなかった。


    3につづく
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