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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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平凡な1日の平凡な暮れ。
いささか平凡とは言えないお育ちの令嬢は、それでも彼女なりの平凡な1日を終え、帰宅の馬車に揺られていた。
正面には、これまた平凡に見慣れた黒髪の男が座っている。
アンドレ・グランディエ。
女だてらに衛兵隊の隊長職を務めるオスカル・フランソワの従僕。あるいは護衛。
少し前―― 彼女の衛兵隊転属が決まるで、彼の立場は非常に不思議なものだった。
くさるほどいる貴族たちの中で、先の陛下からもお言葉をいただき、現国王・ルイ16世陛下とその后からも覚えめでたく、それなり打ち解けた時間を許されている者はそう多くない。
だというのに。
近衛隊に属しているわけでもなく、そもそもベルサイユ宮に出入りを許されるほどの身分でもないはずの彼は、その栄誉をごく自然に手に入れていた。
彼の主人はオスカル・フランソワではあるが、かといって彼女の正式な従卒というわけでもなく、けれどもその存在は皆に認知され、一定の理解も得ており。
なんとも不可思議な彼の立場。
『第3身分の分際で宮廷をうろつくジャルジェ家の(いぬ)
そのように揶揄されることも少なくはなかったが、男装での出仕を認められている彼の主人の方がよほど派手に耳目を集めることもあり、彼は彼なりの平凡な毎日を忙しくこなしていた。
それは近衛隊から衛兵隊にところを移しても変わることはなく、彼も彼女も、この“2人なりの”平凡な毎日が、これからも続くと思っていたのだが。


その日も彼女は、司令官室で静かに執務を取っていた。
この部屋の主になって、日は浅い。
まだ衛兵隊での新隊長着任の式は行われていないが、前段階として、伍長・班長クラスの隊員との顔合わせは済んでいる。
司令官室でダグー大佐から簡単な紹介を受け、そのあとに少しばかり自己紹介をし、訓示をたれた。
たったそれだけの機会しか持っていないが、隊員からはすでに激しい反発が起きている。
これは、荒れるな。
誰もがそんな予感を覚え、上層部には一種独特な空気が生まれていた。
お手並み拝見?
いやいや、そんなお優しいものではない。
好き好んで父将軍の手の中から飛び出した温室育ちのお嬢さまが、自分の身の程を知ってしっぽを巻くのが見たいのだ。
だからこそ。
…失敗するわけにはいかない。
職務が始まる前段階の雑務をこなしながら、彼女は来たるべき正式な着任の日に向けて、気持ちを高めてきた。
この日も朝から司令官室に詰め、昼食をはさんでさらに羽根ペンを走らせ。
「ふぅ」
少しばかり肩や首に疲労を覚えた彼女は、手を止めて顔を上げる。
目が向くのは、このところアンドレが座っている場所。
けれどそこに、彼の姿はない。
屋敷の所用とかでレニエに何やら命じられ、今日は一緒に出勤していなかった。
彼女が近衛隊から衛兵隊へと移動するにあたり、彼はそれまでのあいまいな軍属から、はっきりと兵卒となった。
それは言うまでもなく父・レニエの意向であり、彼が軍服をまとうようになったことで、2人の行動はよりいっそうシンクロしていく。
はず、だった。
のだが。
「ふ――…っ」
1人きりの司令官室に、つい油断した溜め息が出る。
彼がいないことに、ホッとしていた。
隊員たちの前なら、いい。
屋敷での、両親やマロンや、たくさんの使用人たちの前でも大丈夫だった。
けれど。
2人きり。
これはいけない。
意識する気はなくても、お互いが心の裏側に、あの日の出来事を押し込めているのが判ってしまう。

薄暗い部屋で不意にくちびるをふさがれ、激情のままに押し倒されて、ブラウスが引き裂かれたあの…

あれ以来、2人の間にはかなりデリケートな空気が漂っている。
人前でならこれまで通りに振る舞い、誰に気取(けど)られることもなかった。しかし、密室に2人きりとなるとそうはいかない。間が保たず、適切な距離が判らなくなり、互いにぎくしゃくしてしまっている。
近づき過ぎるのはよくないし、遠ざけ過ぎるのもわざとらしい。自然さを装いたくて、余計不自然になっている。
自分たちにとっての平凡な毎日は、徐々に遠のいてゆくようだ。
「怒っているわけではないのだが」
多少は整理がつくかと、彼女は口に出して言ってみる。
そうだ。怒っているわけではない。
ただちょっとばかり… いや違う。心底驚いて。
だってそうだろう?ずっと本当の兄弟のように過ごしてきたのに、“愛している”なんて言われてみろ。今さらどうしたらよいというのだ。
あっ、と思う間もなく抱きしめられて、くちびるをふさがれ。
突然のことに目を見開いたまま、漠然とその行為を受け入れていた。
混乱していたはずなのに、どこか冷静な部分が残っていたのは職業病なのかもしれない。
重なり合ったくちびるの温度。
しっとりと押し包まれて最初に訪れたのは、優しく吸われる感覚。
しかし、それはやがて妖しく誘うように忍びこんできて、呆然としたままの彼女のくちびるを(は)んだ。
本能的に逃れようとはしたけれど、こわばったからだは思うようには動いてくれず、彼の好きなように舌先までもが蹂躙されて。
そのときの感触が生々しく甦って、彼女は頬がかぁっと熱くなるのを感じた。
あいつと私が、あんな…ことを。
「ふ――っ」
彼女はもう1度大きく息をつき、気分を変えようと席を立つ。
誰か手すきの兵士…は、あてにならない、か。
では、ダグー大佐に頼んでお茶でも運んでもらおう。少し頭を冷やさなければ。
彼女は肩のこりをほぐすように首を回しながら、扉に近づいた。
が。
内側から開けた扉の隙間にうっそりと嵌り込んできたのは、当のダグー大佐だった。
ちょうど司令官室に来たところのよう。
「おお、ダグー大佐。よいところへ。悪いが何か飲み物を用‥」
彼女はにこやかに小さな頼みごとをしかけたが、その台詞はいるはずのない人物に遮られた。
「隊長。いえ、ジャルジェ准将。少々よろしいでしょうか」
「ジェローデル?なんでおまえがここに」
長身の元部下は、彼女の問いには答えぬまま、ずいと室内に入りこみ、ダグー大佐に一瞥をくれた。
「ご苦労。退がってよい」
小さく頭を下げて、物腰こそ慇懃ではあるが、高圧的な眼差しと物言い。
階級で言えばダグー大佐の方が上だというのに、にじみ出る近衛の特権意識と上り調子の若手将校の勢いに、老大佐には角を立てる気力はない。真紅の軍服を着た年下の近衛連隊長を立て、大佐は黙礼と共に扉を閉めた。
「まったくおまえと言うやつは」
困ったものだと彼女が笑う。
「あとで私から詫びを入れておかねばならん」
「詫び、ですか?」
悪気というものがまったくないジェローデル。自分という存在にはっきりと重きを置いたその態度は、いっそ清々しいほど。
「用件を聞こう。すまないが手短に頼む。ここでは近衛ほど、緩やかな時間が流れているわけではない」
「心得ておりますよ。こちらには初めて参りましたが…
とてもあなたに相応しい場所とは思えない。私としては、今すぐにでも近衛にお戻りいただきたいぐらいです」
「またその話か」
彼女の転属が決まったとき、嫌になるほど繰り返された会話。
「それならもう退がってくれ。話すことは何もない」
彼女がぴしりとそう言うと、ジェローデルはすぅっと能面のごとき表情を浮かべた。
仕事のスイッチが入ったのだ。
「失礼いたしました、ジャルジェ准将。今日は私個人の用件ではなく、お父上、いいえ、ジャルジェ将軍の御使いで参りました」
「父の?」
「はい。ただいまより私と共に、近衛へところを移していただきます。将軍が執務室でお待ちの由」
「今すぐだと?」
「馬車も待たせてありますゆえ」
いや、移動の足の問題ではなく。
「なんの用だか知らないが、父とならば屋敷でもこと足りるはず。わざわざと足を運んでもらったおまえには悪いが、私には」
彼女は言外に忙しさを匂わせる。
けれどジェローデルは、それを無視して懐から時計を取り出した。
「身支度もおありでしょうから、10分差し上げます。車寄せでお待ちしております」
能面的表情で必要なことだけを言うと、くるりと背を向けた。
「待て、ジェローデル。私は行くとは言っていないぞ。私にはここでやらなければならないことが山積している。それに私はもう、近衛とは」
「いいえ。あなたはいらっしゃらなければならない」
優雅に扉を閉めながら、ジェローデルの瞳には憂いがよぎる。
「此度の件は、国王陛下の御内意でもあらせられますゆえ」
国王陛下の?


ジェローデルが司令官室にいたのは、たかだか2~3分程度。
だがその2~3分で、それなりに平凡かと思われた彼女の日常は、一気に危ういものとなったのだった。


2につづく
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