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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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    【大切な約束】

    コト…
    廊下から、小さな物音が聞こえた気がした。
    こんな時間に?
    俺は顔を向け、そちらへ耳を澄ましてみる。
    こざっぱりした使用人用の部屋。
    戻ってきたのは、小一時間ほど前だった。


    『おやすみ』
    そう言って、俺は夜着姿のオスカルをぎゅっと抱きしめた。
    それから大切にくちびるを重ねて。
    『…ア…ン…ドレ…』
    小さく漏れる声に、ずるずると深まるくちづけ。
    積極的に応えてきたオスカル。
    俺だって、本当はもっといきたいところだった。
    でも。

    ―― 仕方ねぇだろ。あの女の方から寝台に連れて行けって言い出したんだから ――

    『今日はダメだよ、オスカル。明日も早いだろ』
    『判っている』
    そう言いながらもあいつは離れたがらず、結局俺が寝室まで付き添って、押しこむように寝台に横たわらせた。
    『言ってはくれないのか?』
    『何を?』
    俺がとぼけてみせると、あいつは拗ねた目をして俺を見上げた。
    上目づかいはどんな女でもそれなりにかわいく見えるけれど、あいつは普段が普段だけに、異常にかわいく見える。
    そして、まったくそれを自覚していない。

    ―― おまえ、勘ぐりすぎだ。あんな顔されてみろ ――

    『愛しているよ』
    額にくちびるを触れさせながら言ってやると、眠るのをゴネていたあいつは素直に目を閉じた。
    2人きりの寝室では、従順なほどのオスカル。
    きっと誰も想像つかない。
    あのジャルジェ准将が、こんなにも愛らしいなんて。
    俺は手燭を持つと寝室を出て、寝静まったお屋敷を部屋へと向かった。
    足音に気を使いながら長い廊下を進んでいると、頭に浮かんでくるのは、上目づかいに見つめてきたあいつと、ケツの青いガキのことだ。


    それは先週。
    アランが当番兵だった日の出来事だった。
    あの日アランは、午後の勤務に入ってからも、なんだか様子がヘンだった。
    何がという程ではないが、どうにも一拍ズレていて、ミスまでいかない些細なヘマを連発していた。
    やっぱり何かあったんだろうか。
    小さな疑問の芽。
    それはアランが妙なそぶりを見せるたびに、スルスルと育ってツルを伸ばし、俺の心にからみついてくる。
    だって。
    あの日の昼休み、あいつの昼食を届けに行ったアランは、珍しく早く戻ってきた。
    『今日の当番は、やけにお戻りが早いじゃないか』
    訝る俺に、あいつが司令官室で眠りこけていたと、クシャクシャになった書類を放ってよこした。
    それにはアランのサインは入っていても、肝心な隊長のサインが入っていない。
    握られてシワのよった書類には、乾ききってないアランの名前がかすれていた。
    …オスカル…?
    俺がすぐに司令官室に駆けつけると、あいつは応接用のソファに横になり、まったくすきだらけな姿で眠っていた。
    そして。

    ―― 少しは自覚させろよ、あの女に惚れてるんなら ――

    寝静まったお屋敷。しんとした俺の部屋。
    しばらく廊下の気配を聴いていた俺だったが、静かに立ち上がると扉に近づいた。
    物音は途絶えて無かったけれど、俺は苦笑混じりに扉を開ける。
    「何をしてるんだ、おまえは」
    「え”っ」
    音もなく開いた扉に、おまえはちょっとばつの悪そうな顔をした。
    「入れば?」
    「…いいのか?」
    「こんな時間にここまで来ておいて、何を言っているんだか」
    俺が身を引かせると、おまえはスルリと入ってきた。
    そして扉が閉まるのも待ちきれないように、俺を見上げて訴えた。
    ほら、この熱のこもった上目づかい。
    「やっぱり眠れないんだ、アンドレ」
    「うん?」
    「眠れない」
    そう言いながら、おまえは上目づかいだった目線からうつむいて、額を俺の胸に押しつけてきた。
    グッと近づく、微熱気味の体。
    「欲しいの?」
    「…だって」
    指先が俺のシャツをつかんだ。
    「おまえが悪い。おまえが私にあんなことを教えるから」


    少し前まで、すれ違い気味だった俺たち。妙な気遣いをしあって素直になれず、体は交わっているのに、心だけがみるみる離れていくようだった。
    “もしかしたら、これで終わるのかもしれない”
    お互いに、そんな予感を潜ませていた。
    短い恋人同士としての時間は本当に幸せで、片思いが長く苦しかったぶん、生まれてきてよかったと心から思えた俺。
    それが終わる。終わってしまう。こんなに呆気なく。
    絶対に手に入らないと思っていただけに、手放すときは余計につらい。
    それでも俺は、あいつのためには別れてやらなきゃと背を向けた。
    今となっては笑い話だけれど、あのときの俺たちは真剣だった。
    だからそれが本当にバカバカしい気の回し過ぎだと判ったとき、2人を締めつけていたタガは一気に外れてしまった。
    “気遣い”という言葉でごまかしていたカッコつけたい自分を捨てて、本当の俺とおまえ。生々しいぐらいに欲望まみれに愛しあって。
    この夜こそが俺たちの本当の始まりだと、どろどろに疲れちゃってるおまえが愛おしくて仕方なかった…んだけど。


    「翌日に勤務のある日は?」
    「…しない」
    「そうだよ、オスカル。この間、約束したばかりだろ?」


    『勤務のある日は控えめに』
    あの日、司令官室でうたた寝していたおまえと、俺はそんな約束をした。
    そして食堂に戻り、午後の勤務でポカをやらかすアランを見るうち気がついた。
    『ちっとも片付きゃしねーよ』
    そう言って、無造作に渡された書類。
    それにはどれも、あちこちにインクのスレが散っていた。司令官室に行く直前に、アランがサラサラと書いていったサインの。
    重ねられた書類がこすれたなら、かすれは1番上のものだけなはず。
    でも、どの書類にも裏と言わず表と言わず、不規則にかすれたあとがついていた。
    そしてアランの手にも。
    何かのはずみで、書類がバラまかれたんだろうか。ただ落としたのではなく、手にインクが押しつけられてしまうような何か…で?
    そこまで考えたとき、俺は心のすみでツルを伸ばす疑問の芽の、その“種”に気がついた。
    インク。
    そうだインクだ、あれは!
    アランから“隊長が眠りこけていた”と聞いて、司令官室にすっ飛んで行った俺。
    てっきり執務机でウトウトしているのかと思ったら、当のオスカルはちゃんと応接用のソファに横たわっていた。
    アランがここに移したのだと、簡単に想像がついた。

    『隊長が寝てただけだ。触っても起きないし』
    『触った!?』

    俺はつい、ガキっぽい独占欲と嫉妬から、眠るオスカルの襟元を開いた。そのとき。
    軍服の胸に、微かな汚れ。
    そのときは気にもしなかったけれど、でも、どこかで予感のようにひっかかっていた。
    あれは、かすれたインクだったんだ!
    そしてソレを思い出してしまうと、見過ごしていたはずのビジョンも甦ってきた。
    右肩あたりにも、こすったような跡が残っていたことが。そして、どんなふうにしたら、そんなことになるか。その……イメージも。
    俺は矢も盾もたまらず、勤務が終わった直後、アランのひじをつかむと物陰へと引っぱりこんだ。
    『おまえ、昼休み』
    そこまで言っただけで、アランはなんの話かピンときたようだった。
    『だからなんもしてねーって。俺からしたのは、肩を揺すったぐらいだ』
    『おまえから?』
    言葉の意味を計りかね、力が弛むと、アランは俺の腕を振り払った。
    そして、出会ったばかりの頃みたいに軽薄な笑いを浮かべて言ってきた。
    『仕方ねぇだろ。あの女の方から寝台に連れて行けって言い出したんだから 』挑発されてる。
    それは判っていた。
    でも。
    『寝台だと?』
    『だから仮眠室へ連れこもうと思ったんだけどさぁ。めんどくさいから、手っ取り早くソファでいいや、ってな』
    自分でも、顔色が変わるのを感じた。
    どういうことだ?司令官室で会ったとき、オスカルはいつも通りだった。
    あいつはそういう種類のウソがつける女じゃないのに。
    アランはしばらく黙って俺を見ていたけれど、次に口を開いたときには、一変、イラつきのまざったまじめな口調だった。
    『おまえ、勘ぐりすぎだ』
    『?』
    『寝ぼけてただけだ。あの女、寝ぼけて俺に』
    『おまえに?』
    『‥‥なんつーか、抱きついてきたっつーか』
    『抱きついた!?』
    『いや、厳密に言うと違うけど… あ~、もういいじゃねぇか!』
    『いや、よくな…』
    『っせーよ。とにかくあの女はひどく寝ぼけてて、俺がものすごく迷惑したってコトだ。あんな顔されてみろ、なんも出来るわけがねぇ!』
    『あんな顔って』
    『あんな、マヌケづらだよ!』
    アランの言うことはブツ切りで、全然ストーリーにはなっていなかったけど、つまり、寝ぼけたオスカルがアランに抱きついて、それで2人はソファに…ってことなのか。
    肩や胸についていたインクの汚れは、そのときについたもの?手のひらについた生乾きのインクが、オスカルの胸に?
    ……アランの手が、あいつの……!!
    『そんなに大事だったら自分でちゃんと見張っとけ。そして、少しは自覚させろよ、あの女に惚れてるんなら』
    捨て台詞みたいに吐き出して、アランはさっさと立ち去ったのだった。


    あの日の夜、俺は司令官室での約束を『翌日に勤務のある日は控えめに』から『翌日に勤務のある日はしない』に変更した。
    というのに。
    「はぁ~」
    深夜の男の部屋を、夜着姿で訪ねてくるおまえ。俺のせいで眠れないと。
    「困ったお嬢さまだな」
    「だって」
    「俺がイロイロと教えたから?」
    「そうだ。だから責任を取れ」
    おまえはさらに体を寄せながら、もう1度見上げてきた。まったく自覚なしの、誘う女の顔で。
    ああ!
    こんな顔をあっちこっちで振りまかれたんじゃ、俺はたまらんぞ、オスカル!!
    「来な」
    俺はオスカルを寝台へ連れ、でもそれは押し倒すためではなく、膝の上に抱きとった。
    壁に寄せた寝台の上、寄りかかった俺は膝と膝の間をあけて、おまえを座らせる。
    うしろから抱くような姿勢に、おまえは少し嫌がった。
    「違う、アンドレ。私は」
    振りむこうとするおまえを押さえながら、夜着のあわせ目に手を入れる。
    左手は胸元に。
    右手は太ももの最も肉感的なはざまの……奥に。
    だって利き手の方が器用だから。
    それだけでおまえは、ピクンと震えたきり動けなくなった。
    もう息遣いが変わってる。
    「…いや…だ。私が欲し…の…は」
    愛しあいたいのだと主張するおまえ。
    いつの間に、こんなことが言える女になったのだろう。
    まったくアランの言う通りだ。目を離してはおけない。
    「貪欲だな」
    「だ…れのせい…だ?」
    「俺」
    右手の動きに、思うつぼなほど反応しているオスカル。
    「もうこんなトロトロ。おまえ、早すぎ」
    「…ぁ……っんっ……ゃ‥」
    すぐにあんまり意味のあることも言えなくなっていく。
    俺はしばらくの間、なかなか器用にいじりまわし、それから耳を噛むように言った。
    「でも、今夜はあげない」
    「こ…の、サド野郎!」
    「いや、どっちかっていうとマゾ野郎だと思うよ」
    今すぐ突っこみたいモノを、こんなに我慢してるんだから。


    いやだいやだと言いながら、指先だけで強制的にイかされたおまえ。
    こんなのは違うと涙目になってたくせに、満足したとたん呆気なく眠りに落ちた。
    「まいったなぁ」
    焦がれ続けた幼なじみの恋人は、ちょっとえっちな片鱗も見せ始め、かつて強姦未遂までやらかした俺には喜ばしい限りなのだが。
    オスカルが無意識に放つ女の眼差し。
    それはまだ、判るヤツにしか判らないけれど。
    「ほんとに危ない」
    恋人同士になれて、これで安心できると思った俺はやっぱり甘ちゃんだったのだ。
    そして、新たに加わった妄想外の不安。

    俺、オスカルを満足させ続けられるんだろうか…?
    今はいい。
    が、しかし、この調子でいくと……
    うう。想像するだに恐ろしい。
    「とっ… とにかく勤務中にうたた寝するようなことだけは、させないようにしないとな」


    小さくくちびるを開き、すぅすぅと寝息を立てている恋人。
    …やっぱりかわいい。
    なんだかんだ言っても幸せな気持ちで、俺はおまえを寝室へ送り届けるために抱きあげた。


    FIN
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