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【おまえを待つ ~Ver,3 SIDE Alain 「うたたね」~ 】
UP◆ 2013/6/15【うたたね】
すたこらさ~っと。
数枚の書類を手に、俺は司令官室に向かっていた。
各班の班長から預かった来月の勤務表。それから休暇を申し出ているヤツの届けやら、補充が必要な備品の一覧やらをガサガサつかみ。
「よっ」
俺はもう片手に持った、隊長の昼食のトレイを支え直した。
まったく変わった女だ。
いいメシが食える身分だというのに、好き好んで俺たちと同じものを運ばせている。
善人ぶりやがって、胸くそ悪いことこの上ない。
こんなことで俺を懐柔できると思っているなら、大間違いってもんだ。
「お!アラン。当番兵か?」
すれ違いかけた顔見知りが、気軽な声をかけてくる。
「まぁな」
「なんかいいことでもあったのか?ウキウキしてるみたいだけど」
「あん?」
いいことだと?
「笑ってるし、足取りも妙に軽いしさ」
「……そんなことねぇ」
「いや、おまえ、あきらかにごきげんそうな」
「んなこたぁねぇ!昼メシどきに小間使いやらされて、ごきげんなわけねーだろ!!」
「そっ、そうだよな」
俺がクワッと噛みつくと、そいつはタジタジとすれ違って行った。
ったく誰がごきげんなもんか。
せっかくの休憩時間に、誰が喜んであんなオトコ女の顔…。
「いや!」
俺は仕事だから 仕 方 な く 司令官室に行ってるだけだ。別にあの女の顔なんか見ちゃいないし気にもしてないし興味もないしいつもいつも昼休みいっぱい時間を取られてホント班長なんて貧乏クジ引いたもんだと思ってるしああホンっトに迷惑で仕方‥‥
「あ」
いけね。
うっかり司令官室を通り越しそうになった俺は、慌てて足を止めた。
今の、誰も見てなかったよな?
ちょっとばかり気恥ずかしくて、俺はつい辺りを見回し、それから扉に向かって姿勢を正した。
書類をつかんだままの左手でノックをする。
「ゴンゴン、ゴン」
ノックというより軽く殴るように拳を突いて、俺は呼吸を整えた。
だが。
「隊長?」
部屋はシンとしたままだった。
なんでだ?
「ゴンゴン!」
俺はもう1度、扉を叩いてみた。そして何度かそれを繰り返す。
「ゴンゴンゴンっ!!」
それでも誰何の声は聞かれなかった。
っかしーな。
いないんだろうか。
トレイを支える手首も少し疲れてきて、俺はコソッと扉を開けてみた。
いないのなら、昼食だけを置いてサッサと戻ろうと思ったのだ。
「入りますよ~ん、ってな」
てっきり留守だと思いこみ、チャラい軽口を叩きながら中へと入りこんだ俺は、扉を閉め切る前にギョッとした。
…いる。
いやがる。
いらっしゃる!
自分に取っては不意打ちだったので、俺は本当に驚き、しばらくマジマジと眺めてしまった。
だって。
いないと思ったあの女が、執務机に髪をうねらせて、そこに埋もれるみたいにうたた寝していたのだ。
「隊…長?」
すっかり重くなったトレイを机の端に置き、小さく声をかけてみる。
「俺、ですけど」
「……」
「昼食と、それから書類にサインを」
「……」
「あの、隊長?」
くっそぉ、やりずれぇ。
金色の髪に埋もれる白い頬。そこに映えるバサバサしたまつげ。
いつもなら気難しく寄せられた眉根が、柔らかくほどけていた。キリリと引き結ばれているはずのくちびるも、ほんの少しだけ開いている。
たったそれだけのことなのに、俺はやけにどぎまぎして、うまく声がかけられなかった。
この女の、こんな顔。
まるでのぞき見でもしているみたいに、うしろめたい。
そりゃ確かに、部屋には勝手に入ったさ。でもだからって、なんでこんな気持ちになる?
うしろめたくて、それでいて胸のざわめく妙な感覚。
…イライラする。
ときどきやってくる、この感情の波。
出会ったばかりの頃のイラ立ちとはあきらかに種類の違うもので、いいかげん俺もその正体に気づいている。
ちっ。
無意識に奪われていた視線を、意識的にはずした。
見なきゃいいんだ、こんなもん。
この女はジャルジェ将軍の末娘で、伯爵家の令嬢。生まれてこのかた金と権力に守られて、おキレイなものだけに囲まれて生きている。
ただそれだけの女だ。
だから俺とは関係ない。
もし関係があるとすれば、ご立派な経歴を持つ准将サマと、出世の見込みのない下級貴族の部下。その程度のもん。
そうだろ?
どうせあんたは俺なんか見ちゃいない。
かつて手を焼かされた1班の班長に、今は多少の信頼を傾けてくれるようになった。
「それだけのことなんだろう?」
それは問いかけというよりは、むしろ自分に問いただすためにボソリと出た言葉だった。
が。
「……ぅ…ん」
バサバサのまつげが、応えるように振れた。
まずっ。起こしたか?
「あの、隊長?」
「…を‥‥に‥‥って…」
「はい?」
隊長はトロい動作でむっくり起き、でも顔をうつむかせたまま、もちゃもちゃと言った。
「わ‥‥をし……に連……行って…」
「は?」
執務机にひじをつき、大儀そうに半身を起こしている隊長。
けれど豪華な黄金の髪が頬にうちかかり、やっぱり俺にはその表情はうかがいしれず、つぶやきのような声も微かすぎて聞きとれない。
「なんです?」
俺は次の言葉を待って、耳を澄ましてみた。
「…… ……… ……」
うーん、やっぱり聞こえねぇ。
それに隊長の様子は妙に気だるげで、いつもの緊張感が欠けている。
うたた寝しているのかと思ったけれど、実は具合でも悪いんだろうか?
‥‥ふ‥ん‥‥
俺はちょっと迷ったが、デカい執務机を回りこみ、隊長の傍らに付いた。
少し身をかがめて、確認するように聞いてみる。
「具合が悪いのなら、アンドレを呼んできましょうか?」
「……アンドレ?」
隊長は、ようやく聞きとれるぐらいの声でそう言うと、うっそりと立ち上がった。
でもなんだかフラフラしていて、その様子はとても普通には思えない。
「あの…」
ほんとにどうにもやりずらくて、会話がないのも間がもたなくて、俺は気まずさを薄めるために口を開く。
「とりあえず、来月の勤務表が上がってきたんで見てください」
「……」
左手につかんだ数枚の紙を差し出しても、隊長には受け取る気配もない。
顔をがっくり伏せたまま、ヌッと突っ立ってるだけ。
なんか変だ。本当に大丈夫なんだろうか。
「アンドレ呼んできましょうか?」
俺はもう1度そう言って、そばを離れようとしたが。
ぐらっ。
「え?」
隊長が不意に、俺に倒れかかってきた。
「ちょっ、隊長っ!?」
「……私を…寝台に連れて行ってくれ」
「はい」
俺は反射的にいつも通りの返事をし、でも。
…寝台?
今、寝台っつったか!?
単純なほど、鼓動が跳ね上がった。
寝台だと!?
そんなに具合が悪いのか?
「隊長。それなら俺、アンドレを呼んできた方がいいと思」
「……早く…寝台へ」
ダメだ。まったく会話がかみ合ってない。
それほど調子が悪いんだろうか?とにかく早く横になりたいぐらいに。
寄りかかってくる隊長の腰に手をまわして支えながら、俺はどうしたらいいのか、めまぐるしく考えを巡らせた。
衛生室か?軍医もいるし。
でもどうやって連れて行く?
支えて歩かせてたら人目につく。
それは本人が望まないだろうし、だいたいこの女はこう見えても伯爵家の令嬢なんだろ?軍医なんかにカラダを見られていいもんなのか?
だとすれば、続き間の仮眠室へ連れて行くか。
いったんそこに寝かせて、アンドレを呼びに行けば…
よし。
俺はその案で行こうと思い、隊長の腰を抱え直すと歩き始めた。
のだが。
ずる。ずるずる。
支えて歩かせるどころか、数歩も行かないうちに、隊長はぐずぐずと崩れていった。
「ちょっとあんた、おいっっ!」
ヤバい。
引っ張られて自分まで姿勢を崩しながら、俺はググッと踏みとどまった。
「‥‥ぃよ‥っと‥」
気合いと根性で隊長を抱えたまま体勢を立て直し、でもそのせいで、すべすべと白い頬が俺の耳もとに埋ずまってくる。
いっ…息が。
首筋に息がかかってる!
それまでとは違う意味で心拍が弾み、血の沸き立つ感じがした。
…マズい。
「隊長、大丈夫ですかー?」
俺は極めて事務的な抑揚で声をかけた。
マズい。このままじゃマズい。
けれど。
隊長は、極至近距離にあるというのに、ゆっくり目を開けると俺を見返してきた。
どこかぼんやりとした、曖昧な瞳。
見ようによっては、熱がこもっているような、ヘンに色っぽいような…
ドクン。
ただでさえ強く拍動していた心臓が、より強く脈打つ。
いや、脈打ってるのは心臓じゃなくて…!
自分の理性に本格的な危うさを覚え、俺はおかしな息苦しさを感じ始めた。
「はぁ~っ」
気を落ちつけようと、肺にこもった息を吐く。
そんな俺に気づいているのか、隊長はまた目を伏せると、さらにクタっともたれかかってきた。
ちくしょう、いい匂いがしやがる。
ふうっと鼻腔に入りこんでくる香りは愛用の香水のものなのだろうが、それより俺には、作られた香りなんかとは違う……“女の匂い”にクラクラしていた。
いかつい金モールの軍服を着こんで剣を帯びていても、やっぱり男とは違う。
見た目に大柄な体躯も、これほど近づいてみればその実、線が細く、そもそものたたずまいが女でしかなかった。
引き寄せて支える手のひらには、うすく浮き出た腰の湾曲するラインがあたっている。
威風堂々とした肩だって、軍服がそう見せているだけで、普段ふざけて小突きあう野郎どもの肩とは厚みが全然違うみたいだ。
こんなのいけねぇ。ほんとにマズい。
隊長を支えてる俺。
それはほとんど抱きあっているみたいな体勢で、カラダの奥からイケナイ熱が湧いてきている。
……最近遊んでないからな。
いやいや
「そういうことじゃねぇだろ」
脳の血液がソッチにもっていかれてんだか、軽くバカになった頭には余計なことがよぎっていく。
「こんなトコで欲情してられっかよ」
声に出すことで、俺は自分を整理しようとした。
「ほら、隊長。ちゃんと歩いてくださいって」
ちょっとばかり乱暴に歩かせ、続き間になっている仮眠室へ向かう。
でも隊長の足取りはどうしようもなくて、なんかまるで入隊したての新兵が、初めての激しいシゴキで翌日フラフラになってるような腰の立たなさだった。
いくら具合が悪いにしたって、どういうことなんだろう?
あれか?アノ日で腹が痛いとか腰が痛いとか、そういうやつなのか?
この女も一応女だから、当然アノ日はある‥よな?
そんな大きなお世話に、一瞬気を取られたときだった。
「おわっ」
隊長が大きく俺を押しのけた。
あとになって思えば隊長は、うつむいた目の端に映った来客用の応接セットへ向かおうとしたのだと思う。ソファに横たわろうと。
でもそのときの俺には、隊長が派手にヨタったように見えて、慌てて抱え直そうとした。
結果。
「ギギッ」
デカい図体の大人2人に、ソファが軋みながら床を擦る。
バランスを崩した隊長と俺は、フカフカしたその場所にもつれこんでいた。
とっさに自分が下に回ったから、仰向けになった俺に隊長が飛びこむみたいに倒れてくる。
「お‥‥ちょっ‥た、たたっっ」
目の下に、つむじ。
ゆるく巻いてハネている髪。
ジワジワと混ざりあっていく体温。
隊長の足が、俺の足と足の間に入ってる!
「たひちょおっ」
口の中の水分が一瞬で蒸発し、その一声を絞り出すために、喉がおかしな調子につっぱった。
どきどきしてきて、いろんな部分がドクンドクンいってて… ああ、この女!!
「どいてくださいよ隊長っ」
すっかり頭に血がのぼり、すでに息があがっている俺は、半ばキレながら声をかけた。
「具合が悪いなら悪いと、ひと言そう言ってください!でなきゃ… でなきゃ俺だって」
誤解するだろう!?
むしろ誤解したがっている自分が情けなく、それを吹っ切りたくて語気が荒くなる。
「離れてくれよ、もおっ!!」
「……や‥だ…」
や、やだってあんた。
隊長のくちぶりはもっちゃりした舌っ足らずで、俺は焦りながらも本格的に心配になってきた。
「隊、長?」
「…いやだ。このままで……もっと……おねが…い…」
はぁああぁぁああ?
聞いたことのない声音と抑揚。
“このままで”ってあんた、もう起きられないぐらいダメなのか!?
俺はさっきまでとは違った意味で、胸が騒ぎ出した。
だいたいこの堅っ苦しいほどクソまじめな女が、勤務中にうたた寝している方がおかしいんだ。
百歩譲ってうたた寝していたとしても、入ってきた部下の前でまでこんな姿をさらすとは、余程の何かがあったとしか思えない。
この人がこんなふうになる何かが。
心配で顔を見たかったけれど、俺の目線からはつむじしか見えず、仕方なく俺は、まだ切れ切れに聞こえてくる声に耳を澄ます。
「…た……いんだ、だから…」
やっぱりアンドレを呼んできた方がいいよな。
「……っと……ないで…」
この、ヤケにトロンとした甘ったるいしゃべり方。
こいつはもしや、脳の病かもしれない。
ハラハラし出した俺にお構いなしで、隊長はうにゃうにゃと
厚くて固い軍服ごしの、その感触。
俺はついそれを追いそうになり、でも、すぐにそれどころじゃなくなった。
「隊っ…隊長、足…がっ」
足と足の間の足が、微妙な位置で真ん中の足を。
くあ~~~っっ!
脳の病かもしれない隊長のことは心配で、それは本当に本当で、けれど胸に伝わってくる頬の感触を無視することも出来ず、そして今、もっとも俺の感覚を惹きつけている足と足の間の感触はもっと無視できず。
「ああっ、ちくしょうっ」
今はそんなコト考えてる場合じゃねぇってのに。
「隊長、俺やっぱりアンドレ呼んできますから!このまま横になっていたいのも判りますが、とりあえず仮眠室の寝台まで… 隊長?」
俺がオトコの事情に気を取られたのは、ほんの数秒。
そのはずなのに隊長は急にグッタリし、気配をパタリと消していた。
意識がない!?
「隊長っ。おい、あんた!」
胸の妖しいざわめきがぶっ飛んで、俺は何度も声をかけた。
「隊長!」
こんなの洒落になんねぇ。
「隊長ってば、おい!」
いくら呼んでも隊長は応えない。
どうしよう。
どうすればいい?
俺は迷いつつ、隊長の肩に手を置いた。
まずは控えめに揺すってみる。
「隊長!?」
…ダメだ。
金色の毛先が、鼻の先で揺れるだけ。
もうちょっと強く揺すってみる。
ソファがまたギシと軋み、隊長にのしかかられたままの俺たちも揺られる。
…ギシ‥ギシギシ‥
ってコレなんかマズくねぇ?
「あー!!」
本当にろくでもねぇ。
隊長の異変にそんなコトを考えている場合じゃないのに、俺のオトコの事情は増していく。
ちっくしょおぉっ。
俺は右手に力をこめて、隊長を押し上げにかかった。
でも片方の肩だけを持ち上げられて、隊長の体勢はさらに不安定になってしまう。
「おおっと!」
ぐにゃんと揺れる首。
脳の病だとしたら、あんまり頭を揺すっちゃダメだ。
俺は隊長の姿勢を安定させようと、下がった肩を左手で支えた。
つもりだった。
けど。
「え”?」
手のひらに、すっぽりおさまる感触。
直線的な軍服に不似合いな緩い起伏。
「え”え”っ!?」
固い生地を通してでも判るふっくらした女の…!
「うっわぁあっ」
自分でもどうやったのか判らないけれど、俺はグッタリした隊長をソファに残し、一瞬でそのカラダの下をかいくぐっていた。
「はぁっはぁっはぁっ」
バカバカしいぐらいに動揺して、完全に息が上がっている。
‥胸‥っ‥
胸が…隊長の胸が‥‥
誓ってたまたまつかんでしまったそこは、想像以上に柔らかかった。
たった今、この手のひらに、隊長の…
にぎにぎ。にぎ。
無意識に、左手を握ったり開いたりしていた。
…ドクン。
ちょうどよくおさまった、あのふくらみ。
手のひらはそれをばっちり覚えていて、あちこちの拍動をさらに活気づかせてくる。
できればそっちに集中したいところだが。
「隊長」
俺は離れたばかりのソファに戻り、うつ伏せた隊長の様子をうかがった。
もう1度ごく軽く肩を揺すって、それから、頬にたっぷりとうちかかっている金色の髪を押しのける。
露わになる耳からおりる首の線。普段は隠れて見えないところ。
透けそうに淡い襟足のうぶげ。
無防備な、くちびる。
…触れたい。
ちょっとだけ、掠るぐらいにでもくちづけられたなら。
片膝をついて腰を落とした俺の、かなり窮屈な部分にドクンとまた、強い脈動を感じた。
脳の病かもしれないのに。
少し赤味のさした、隊長の顔色。
熱があるのか?
さっきまで聞こえていた声だって、やたらとトロくさくて甘ったるかった。
欲情なんて、してる場合じゃねぇ!
幸い隊長は今、ソファに横たわっている。
このままそっと司令官室を出て食堂に戻り、
「…アン…ド…レ」
そう、そのアンドレを呼んで
「って、隊長?」
隊長が、いきなりむくりと起き上がった。
「いい…ぞ、アンドレ」
「は?」
「もう、遠慮はいらない……欲しいだけ……食べて…わ……を…」
そう言うと、にへらっと笑って、またパタンとソファへ倒れこんだ。
「なんだ?なんなんだ!?」
その顔は、ソファに伏せてもまだニヘニヘと笑っていて、マヌケづらもいいところ。
…コレって単に、寝ぼけてるだけ?
具合が悪いわけではなくて、まさかホントに本気で、ただ居眠りしてただけなのか?
あまりにもヨタヨタしていて、ひどく疲れてもいるみたいでグッタリしてて、俺は心の底から心配したのに…
『欲しいだけ食べて』ってなんだよ!
こちとら昼メシ返上の空腹状態でわざわざ昼休みに来てやってんのに、あんたら2人、夢ん中で仲良くお食事かっ!!
「隊長」
俺はムスッと声をかけながら、無遠慮に肩を揺すった。
「隊長、とりあえず書類にサインください」
「…れは……まだ……かし…ろ」
「あぁ?」
「そん……と……きな…」
ダメだ、コレ。
完全に寝ぼけてる。
さっきまではちょっと色っぽく見えていたほんの少し開いたくちびるも、今はただのアホづらにしか見えない。
「いい年して、口あけて寝てんなよ」
俺はソファを離れると、床に散らばってしまっていた書類を広い集める。
あの感触をとっておきたい。
そんなふうに思った左手で、グシャリとワシづかみにした。
あの感触もなにも。
よく考えてみれば、なんのこたぁねぇ、胸のあたりの軍服の生地を触っただけじゃねーか。
「はっ、バカバカしい」
今はぐぅぐぅと寝息をたてている隊長。
何をしても起きなそうだ。
人を振り回しておいて、この女。
いっそのこと襟首から手を突っこんで、なま乳でも揉みしだいてくれようか。
左手にすっぽりとおさまった緩い起伏の柔らかさが、一瞬皮膚に甦る。
思わず隊長のそばに戻りかけ。
…ドクン。
カラダの中から問いかけてくる脈動が、逆に俺を正気にさせた。
午後の陽射しに光りを放つ金色の髪。
埋もれてうたた寝するその顔は、30過ぎのくせにやたらとあどけない。
「……こんなの」
なんもできるわけがねぇ。
俺はなんとも言いようのない心持ちで、司令官室をあとにした。
この、仕方のな~い気分。
あれだけ隊長に惚れぬいてるアンドレが、なにも出来ないのも判る気がする。
まいったな。
こんなめんどくさい気持ちを抱えるのなら、あの着任当初の食堂でヤっちまえばよかった。
そしたらさすがに営倉送りになって相当の懲罰を受け、あの女とこれほど関わることにもならなかった。
違うか?ディアンヌ。
今では胸の中だけに住む妹。
いつでもおっとりと微笑っている。
こんなふうにおまえを思いだせるようになったのも、あの女と出会えたから…か。
書類をつかんだ左手に、ごわつく紙の感触だけじゃないものを意識しながら、俺は食堂に向かう。
あいつらの顔を見る前に、気持ちを入れ換えておかないと。
特に、ヤツの顔を見るまでには。
しっかしなんだって隊長はあんなにグダグダだったんだろう。
およそあの女らしくない様子。
不可解過ぎて探ってみたい気持ちを潜ませながら、俺は食堂の扉を押した。
FIN
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