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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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    寝起きは最悪だった。
    泣き疲れて眠りに落ち、しかし、うとうととした浅い眠りの中で、胸苦しさに何度も目が覚めた。
    夢はどれもはっきりとした形を持たず、なにやらもやもやとした闇色のものに取り込まれそうになっては必死に逃げた。
    からだにまとわりつく悪意をはらんだ何かを振り払い、重い足もとをもつれさせながら、ただ1人の人を探す。
    その人に会えれば、この闇から逃れられる…
    けれど。
    長く苦しい夢の中で、彼女はついに、その人を見つけることができなかった。


    「オスカルさま、どうなさいましたの?」
    普段どおり朝を告げにきた侍女が、訝しむ声をあげた。
    目を真っ赤に充血させて、まぶたまで腫れてしまっている彼女。
    「マロンさんを呼んできますわ」
    長く仕えている腹心の侍女は、敏感に異変を感じ、寝室を出て行こうとした。
    けれど彼女は侍女を止める。
    「いや、いい。ばあやは心配性だから」
    年老いたマロンを心配させたくない。
    その気持ちも無くはなかった。
    しかし。
    マロンに会ったらどんなことになるか。
    その方がよほど心配だった。
    今、ばあやの顔を見たら、私はきっと激しく責めたててしまう。どうして言ってくれなかったのかと。
    彼女は自分の理性に自信がない。
    上官として、主人として、そしてなにより一緒に育った兄弟・親友として、誰より早く彼の不調に気づくべき自分の愚鈍さを棚に上げ、理不尽にマロンを叱責してしまうだろうことは容易に想像できた。
    自分の負った傷と同じだけ、誰かを傷つけたい。
    そんな歪んだ想いに飲まれそうになっている。
    心配そうな侍女の眼差しすら煩わしかった。
    私など、心配される資格はないというのに。
    「は…」
    彼女は短く息をついた。
    だめだ。落ちつかなければ。
    与えられた時間は、少ないのだから。
    自分で自分をなだめすかし、彼女は意識的に穏やかな声で言う。
    「冷たい水を用意してくれないか?少し目もとを冷やしたいから」
    侍女がいったん退がると、彼女はあらためて鏡に目を向けた。
    ひどい顔だな。
    腫れて熱っぽい感覚はあったけれど、ここまでとは。
    これではとても隊員たちの前には出られない。
    けれど勤務を休むわけにもいかなかった。
    アンドレの状態を、自分の目で確認しなければ…
    したくてすることではないし、心は今でも信じることを拒否している。
    けれど、もし彼が本当に見えていないのならば、彼女にはもう1つの重要な責務がある。
    視力の落ちた彼が軍務をこなしていくには、絶対に誰かが協力しているはずなのだ。
    まずはそれをつきとめておきたい。
    最初からアンドレを問いつめたところで、おそらくあいつは吐かないだろう。
    生半可な気持ちで嘘をつく男でないことは、彼女がよく知っている。彼が隠そうと決意したのなら、それは彼の中で絶対なのだ。
    ならば、外堀から埋めていくしかない。
    アンドレがラソンヌ先生のもとから屋敷に戻るのは、私が出勤したあと…か。
    そのあと彼は仮眠を取り、夜勤に入る予定になっている。
    あいつが出勤してくるまでの間に、少しでも情報収集しておかなければ。
    ノックの音と共に、再び部屋を訪れた侍女に腫れた目を冷やしてもらいながら、与えられた時間をどう使うか、彼女は考えを巡らせていた。
    アンドレの目が見えていないなど、信じられるものか!
    そう思いながらも、意識の深いところでは、フェルゼンという第3者が加わり、すでにここまで動きだしているこの話が、嘘であるわけないことぐらい、彼女にも最初から判っていた。


    「おはようございます」
    彼女の出勤に気づき、ダグー大佐はさっそく司令官室を訪れた。
    しかし、挨拶はしたものの、そこから言葉に詰まってしまう。
    オスカル・フランソワの、あきらかに寝不足そうな充血した目。くすんだ顔色。
    隊長…。ジェローデル少佐との縁談の件で、また将軍とやりあわれたのだろうか。
    ジャルジェ家とジェローデル家の縁組み騒動。
    それは、それぞれが籍を置く近衛隊と衛兵隊では、もう知れたことになっている。
    そうでなくともジェローデルは、ちょくちょくと彼女のご機嫌をうかがいに司令官室を訪れているし、衛兵隊の兵営の中で、深紅の軍服が目立たぬはずがない。ただでさえ、ジェローデルの浮き世離れした雅さは、人目を惹くのだ。
    結婚騒動が持ち上がってから、その心労ゆえか、彼女が体調を崩しがちなのは、衛兵隊の上層部であればうすうす気づいている者もいる。
    気丈に振る舞ってはいるが、このところは特に痩せたようで、大佐も痛々しく思っていた。
    しかし、なぜ隊長は少佐とのご結婚を拒まれるのだろう。
    ダグー大佐は、顔を隠すように引継ぎの日報などを手にしている、娘ほども年下の上官をそっと見た。
    黙って座っていれば、いかにも温室育ちな令嬢然とした麗しいたたずまい。
    少々気性の荒いところはあるが、それも横暴なのではなく、根底にある優しさからくるものだ。
    もし家庭に入られたら、賢く心暖かな良き夫人とおなりだろうに。
    年頃の姫を持つ貴族たちのあいだでは、未だジェローデルは婿がねにとの呼び声が高い。
    隊長は少佐のどこがお気に召さないのだろう。どなたか心に秘めた殿方がおいでになるのだろうか。
    そう思ったダグー大佐の脳裏に、1人の男がよぎった。
    アンドレ・グランディエ…?
    まさか。
    「どうかしたのか?大佐」
    自分を見つめているようで、その実どこも見ていないような、中途半端な大佐の視線に、彼女は問いかけた。
    「いえ」
    言い澱んだ大佐のようすに、彼女は苦笑する。
    出勤ぎりぎりまで目を冷やしてみたが、それは無駄な努力でしかなかった。
    冷やしたことで熱っぽさが引き、少しは楽になったけれど、見た目にはほとんど変わっていない。ダグー大佐が言葉を選びかね、結局黙ってしまうのも仕方ないと思えた。
    プライベートが勤務に影響するなど、今までの彼女にはなかったこと。
    すっかり心弱りしている自分に、苦々しい笑いを禁じ得なかった。
    それは、およそ彼女らしくない笑い顔。
    これほど美しくお生まれになったというのに、ジャルジェ将軍もなんと無情なことをなさったものか。
    これまでもそう思ってきたダグー大佐だったが、今日の彼女の笑顔はことのほか儚く見える。
    このような生き方を強いられた上、今さら女に立ち返れと言われては、いかに良いお話とは言え、おいそれと結婚を受け入れられないのは致し方ないのかもしれない。
    そんなことを勘ぐっていたダグー大佐は、それをおくびにも出さずに、畏まったふうを装った。
    「本日は内向きのお仕事をこなされた方がよろしいでしょう」
    「そうか… そうだな」
    さりげなく、隊員たちの前に出なくてよいと言ってくれている大佐の申し出を、彼女はありがたく受け入れた。
    こんな顔を皆にさらせば、要らぬ動揺と憶測を呼ぶだけ。
    着任当初とは比べものにならないぐらい、今、彼女と隊員たちとの絆は強くなっている。
    それは喜ばしいことであったが、そのぶん、彼女の一挙手一投足に隊員たちが注目し、過剰な期待や心配をする弊害も出始めている。
    ことに1班にはその傾向が強く、なにかあったときには、ダグー大佐では抑えきれない。
    余計な刺激は与えないに限るのだ。
    さすがに年の功。
    行き届いたダグー大佐の気遣いに彼女が礼を言うと、大佐は父親でもあるかのように慈しむ瞳をし、司令官室を出ていった。
    と思ったら、大量の書類を抱えてすぐに戻ってきた。
    「げっ!」
    これか。
    これをやらせたかったのか、大佐。
    「今日はきっと事務仕事がはかどりますなぁ、ジャルジェ准将。いつもは私がこっそりと、隊長の筆跡をまねて処理しているのですが、今日は久しぶりに残業せずにすみそうです」
    先ほど見せた慈愛に満ちた顔。
    それが見間違いかと思えるような、悪魔的な笑いを浮かべている。
    まいったな。
    きっとこれが大佐流の励ましなのだろう。
    「ありがとう、大佐」
    少しだけ胸の奥が暖かくなった彼女は、苦笑ではない笑顔を浮かべ、羽根ペンに手をのばした。


    もう、大丈夫かな…
    午後の陽射しも傾き始めた頃、彼女は執務机の引き出しから小さな手鏡を取り出すと、注意深く自分の顔をチェックした。
    どことなく冴えない顔色は、今に始まったことではない。体調の悪さは数年前に突然倒れて以来続いている。
    あのときは、アンドレの尽力でなんとか誰にも知られずに済んだが…
    ラソンヌ先生には、長年の激務が祟っているのだと言われた。
    『少し休まれてはいかがですか?』
    医師はやんわりとそう言ったが、彼女は静かに首を振った。医師の言う「少し」が、少しではないことが判っていたから。
    それに。
    一度席を外せば、彼女に戻る椅子があるかどうか判らない。
    女にでかい面をさせておけるか。
    彼女の失脚を狙う輩は、未だ多くいる。
    たかが貧血や過労ごときで、これまで懸命に積み上げたものを手放すなど、到底できることではない。
    あれ以来、多少の体調の悪さは気合いで乗り切ってきた。
    それができたのは、彼がよく支えてくれたからに他ならない。医師以上の口うるささには辟易させられたが、彼がいてくれたから、ここまでやってこれたのだ。
    そしてその余裕の無さが、彼の不調に気づかせなかった…
     ア ン ド レ 
    小さくつぶやいた彼の名前は、微かすぎて言葉にならない。じんわりと涙がにじみそうになって、彼女は目元を押さえた。
    しっかりしろ。司令官室をなんと心得ておるか。
    安定を欠きそうな心をねじふせて、彼女は鏡をしまうと、将校当番兵を呼びつけた。
    「宿舎に行って1班の隊員を誰か1人、呼んできてくれ。1班は夜勤の予定だが、もう起きているだろう」
    本当は、目の赤さと腫れが引いてからにしたかったのだが、もう待っていられない。
    「誰でもよいのでございますか?」
    「ああ、誰でもいい。班長でなければ」
    洞察力の鋭いアラン。
    あの男には、とてもこんな顔、見せられない。
    当番兵が退がると、彼女は部屋をうろうろと歩きまわり、これからのことを頭の中で反芻した。
    隊員を聴取し、アンドレの協力者を探る。
    できれば今日中にあぶり出し、明日までには完落ちさせたい。時間のなさを考えれば、それでも遅いぐらいだ。
    気取られないよう、うまくやらなければ…
    緊張する彼女の耳に、ノックの音が響いた。
    とっさにびくりと振り返る。
    これからのことに過敏になっている彼女の耳には、それはことのほか大きく聞こえたのだった。
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