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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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ゲスト作家さまの作品がお楽しみいただけます。

    私室の長椅子の上。
    オスカル・フランソワは膝を抱えこんで座っていた。
    羊水に浮かぶ胎児のようなその姿勢は、どうしようもないほどに思い悩んでいるときの彼女のくせ。
    普段であれば、まるくなったその背中には彼の存在を感じているのだが…
    彼女はさらにまるくなり、からだが記憶している彼の感覚を探した。
    彼女の背に大きな手をあてて、黙って寄り添っていてくれる彼。ぽつぽつと胸の内を語る彼女に頷きながら、気持ちが落ちつくまで優しく撫でていてくれる彼の手のひらを。
    数奇な運命ゆえに、人並みはずれた苦悩に苛まれる彼女だったが、思えば独りで耐えたことはなかった。
    いつだって、彼がそばにいてくれたのだ。
    静かな部屋で背中に薄ら寒さを感じていると、先ほど父と対峙していたときの方が、まだましに思えてくる。
    なんだかやたらと寂しくて、1人でいられなかった。
    孤独を愛するというわけではないが、本を読んだり楽器を弾いたり、1人の時間も充分に楽しめるはずの彼女なのに、部屋に1人でいるのが怖くて仕方ない。
    彼女は気づいていなかった。
    自身の怯えている理由が『1人でいる』からではないことに。
    彼女が本当に恐れているのは、考えてしまうこと。
    このまま1人でいたら、無意識に隠してきた心の根底にあるものまでを掘り起こしてしまうのが、本能的に判っている。
    もうこれ以上、考えてはいけない。
    きっと…壊れる。
    恐怖は自分自身からの警告。
    今までだって、彼女はぎりぎりだった。
    不自然な生き方を強いられ、彼女はいつだってぎりぎりのところで必死に自分を保っていた。
    それができたのは、まるで魂の片割れのように心を共有し、支えてくれたひとがいたから。
    『真実』は、彼女にとって毒も同じだった。
    少しずつなら大切で、薬にもなろうものだが、一気にあおれば彼女の脆い精神などたやすく崩壊する。
    卓越した精神力を賞賛されることも多い彼女。
    そう。
    確かに彼女には人並み外れた精神力を持っていた。
    でなければ、こんな変わった生き方をしてこれたわけがない。
    けれど、彼女のその気丈さは、己の弱さを知る者ゆえの自己防衛にしかすぎなかった。
    強く見せる術に長けているだけ。
    所詮まやかしの強さでしかない。
    そして、その不安定きわまりない彼女の心を安定させてきたのが彼だったのだ。
    共生ともいえる2人の関係をジェローデルに指摘されたことはあったが、自覚したことはない。
    する必要もなかった。
    2人はずっと変わらずに、未来永劫そのようにあると思っていたのだから。
    すべては私の一人りよがりだったのか?
    理由はどうあれ、彼が秘密を持っていたことは痛すぎた。
    なぜ言ってくれなかった?
    私が……言わせなかったのだろうか?
    だとしたら、なんと思いやりのないことだろう。
    彼女の中にまた1つ、後悔が積もった。
    アンドレの目がほとんど見えていないなど、今でもまだ信じていない。
    そのはずなのに。
    涙は勝手に伝い落ちている。
    自分でも不思議なぐらい、途切れることなく溢れてくる。
    泣く気なんてこれっぽちもなく、むしろだんだん空虚になりつつあるというのに、涙は止まらない。
    人間って、こんなに泣けるんだな。
    自分の心を俯瞰から見るように、どこか遠く感じていた。
    流れ続ける涙さえ、どこか他人のもののように思える。
    『彼を愛しているのですか?』
    徐々に虚ろになっていく彼女の中に、ジェローデルの言葉が思い浮かんだ。
    アンドレを、愛している…?
    あのとき彼女は判らないと答えた。
    それは本心だった。
    そしてジェローデルの求婚に、ひどく心が揺らされたのも本当だった。
    アンドレもジェローデルも、自分を愛していると言う。
    けれど、向けられる言葉に彼女はとまどうばかりだった。
    ジェローデルには深い信頼を寄せている。
    女が連隊長を勤めるなど、今よりはるかに偏見の強かった頃から副官として常に彼女を支えてくれた男。
    王党派の大貴族出身で、自らが連隊長を勤めてもおかしくないだけの才覚があるジェローデル。
    この男が彼女を尊重してくれたからこそ、近衛での彼女への風当たりは最小限で済んだ。
    ジェローデルが彼女に真摯に仕える姿が、やいやいと不満をたれる輩どもを黙らせたのだ。
    いわば公の面での彼女を、守ってくれたひと。
    そしてアンドレは、親友として兄代わりとして、どんなときにでも彼女の側に立ち、身を呈して盾となって今も守り続けてくれるひと。
    2人には友人以上の強い気持ちがあるが、それが愛かと聞かれれば、やはり彼女には判らない。
    愛と言えば愛であるような気もするが、でも、フェルゼンを愛していたときの、抑えがたく引きずられていくような想いは、どちらにも感じない。
    彼女はその日何度目かのため息と共に立ち上がると、バルコニーに出た。
    横顔のような月がくっきりと浮かぶ、澄み切った夜空。
    『星がきれいだ… このまま朝までおまえを抱いて歩くぞ』
    よくない酔い方をして、彼に抱かれて帰る夜の中で、そんな言葉を聞いた気がする。
    あのときは見えていた星空が、今のアンドレには見えないということか。
    「おまえ、どんな気持ちで…」
    燭台の灯りがやっと見える程度の彼の視力。
    もしかしたら、もっと悪くなっているかもしれないという。
    彼女は思いついて目を閉じてみた。
    まぶたの裏の暗闇に、風が木の葉を揺らす音やふくろうの鳴く声がする。
    そのままカンだけを頼りに部屋へと戻ってみた。
    開かれたままの窓枠に触れ、慎重に室内に入る。
    執務用の机を避けて、テーブルや長椅子を触りながら寝室の扉まで。
    さらに扉を開けて進むと、寝台が思ったよりも近くて、崩れるように倒れ込んでしまった。
    こんな世界におまえはいたというのか。
    そのことを、私に少しも気づかせずに。
    これから先、2人が同じ時間を過ごしたとしても、同じ思い出は作れない。
    真っ青な空に立ち上る入道雲の白。
    木枯らしに舞う枯れ葉の深緋。
    茜さす夕暮れ。
    雪化粧のベルサイユ。
    彼にはもう見えないのだから。
    …だめだ…
    彼女は耐えきれなくなり、部屋を出ると敷地のはずれにある古い厩舎に向かった。
    ところどころ崩れかけたその厩舎は、彼女の祖父の代のもの。とっくに使われなくなっているそこには、今では誰も訪れない。
    彼女の秘密の場所だった。
    つらいことがあると、幼き日の彼女はよくここで1人泣いたものだ。ジャルジェ家の嫡男として扱われる彼女には、屋敷の中に泣ける場所すらなかったから。
    皆の前で笑うために、ほんの5分か10分、人目を忍んで号泣していた小さな次期当主を誰も知らない。
    彼女にとってここは、強くなるための場所。
    そして、彼女の人生において、今ほど強さを要求されたことはなかった。
    古びた厩舎の奥で、やっと感情を解放しはじめた彼女。
    ようやく遠く浮遊していた心が戻ってくる。
    今…。今すぐ会いたいんだ、アンドレ。
    いつだって彼は彼女を助けてくれる。
    きっと今夜だって。
    『見えないわけないじゃないか』
    そう言って笑ってくれたら、まるごと信じる。父が何を言っても、どんな証拠をつきつけられても、おまえの言葉だけを全部信じるから…!

    父の手で、毒の杯を一息に飲まされた彼女。
    慟哭の中で、不思議な気持ちも感じていた。
    彼に強く抱きしめられたいと。
    今までアンドレに対して抱いたことのない想い。
    けれど、泣くだけ泣いて屋敷に戻る頃、彼女の思考はすでに、与えられた時間をどう使うか、そのことに集中されていた。
    この夜生まれた初めての気持ちは、正体の判らぬままひっそりとオスカル・フランソワの胸に住みついたが、今の彼女には、それに気がつく余裕はなかった…
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