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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【1章 手紙-2】

UP◆ 2011/6/9

    「さて、手紙を読む気にはなったかな。オスカル?」
    じゅうぶんに考える時間を与えてから、父・レニエは切り出した。
    けれどオスカル・フランソワの返答は、なんとも歯切れの悪いものだった。
    「いいえ。父上のおっしゃることはあまりにも抽象的すぎて…判断のしようがありません」
    「まぁ、そうではあろうな」
    肝心なところをあえてぼかして話しているのだ。
    何も知らない彼女には不快なだけの話であるし、しかも『手紙を読んだなら、みずからジェローデルとの結婚を望むようになる』などと荒唐無稽なことを言われて、そんなもの「はい、そうですか」と読む気になるわけがない。
    今、彼女をレニエの前に座らせているのは、父親が意味ありげにちらつかせているアンドレ不在の理由。
    それが知りたい。
    ただ、それだけだ。
    自分のためにアンドレが利用されているとしたら、彼女にとってそれは耐え難いことだった。
    黒い騎士の事件。
    パリでの馬車襲撃。
    彼女のために彼が犠牲を払い続けるのは、これ以上もうたくさんだった。
    彼女の巻き添えで衛兵隊に特別入隊させられたアンドレ。
    ただでさえ激務な衛兵隊の勤務が、隻眼の彼にどれほどの負担を強いていることか。
    いつだって彼は、彼女のために平気で盾になる。
    そして、いつかは…
    行き過ぎた想像に、オスカルはゾッとした。
    何を考えているんだ、私は!
    いつか、あいつがどうなるというのだ。ばかばかしい。
    そうは思っても、彼女の目の奥には忘れられない光景がいくつも浮かぶ。
    左目を押さえてうずくまるアンドレ。
    痛みの引かぬ中で、誰を責めることもなく「おまえの目でなくて良かった」と言った彼。
    そして暴徒と化した民衆に襲われたときの…
    彼女は膝の上に置いた手を強く握った。
    もし父が何らかの形でアンドレを利用しようとしているなら、止めなければならない。
    深く思い悩む様子を見せる末娘に、父親はワイングラスを持たせた。
    無言の圧力をかけるように、威風堂々とした仕草でワインをついでやる。
    ピジョンブラッドのような美しいその色。
    「これを飲んで少し落ちつけ。時間はたっぷりある。よく考えて欲しい事柄でもあるし、これぐらいのワインで酔うおまえでもなかろう」
    彼女は父親に言われるまま、素直にグラスに口をつけた。
    そうだ。落ちつかなければ。
     対峙 (たいじ)しようとしているのは、父親であるとともにジャルジェ家の現当主で、将軍の要職をつとめる男。
    その男が万全を期して呼び出しをかけてきたのだ。
    一筋縄でいくわけがない。
    彼女は呼吸を整え、ゆっくりと言った。
    「そのお手紙を読んだら、私がジェローデルとの結婚をみずから望むということですが…
    もちろん私にはそのような気などありません。
    でも、手紙を読むか読まないか決めろというなら、内容を少しでも教えていただけませんか?いきなり呼び出して、藪から棒に要求だけを突きつけられても」
    レニエの表情が若干和らいだ。
    「確かに今の状況はおまえにとって一方的に不利だな。
    よろしい。いくつかの質問を許す。
    だが内容の本質に触れる部分には答えられない。また、私も詳しく知らないところもあるので、それについては知らないと言う。軍人としての名誉にかけて、ここでの会話に嘘は言わない。
    そのかわり、おまえもこの部屋でこれから交わされる会話を一切他言してはならない。誰にも。ばあやにも。もちろんアンドレにさえもだ。できるか?」
    そう言われて彼女は逡巡した。
    アンドレに秘密を持つのは難しい。
    他言しない自信はあるが、カンの良いアンドレに、自分が 気取 (けど)られずにいられるかは自信がない。
    でも。
    この結婚騒動の顛末は、多かれ少なかれアンドレの人生にも影響を与えるような気がする。
    それを考えると、この条件は飲むしかない…か。
    「父上は今日、あえてご用を作り、アンドレをラソンヌ先生のもとへ向かわせた」
    「そうだ。だが、それはそれで全く意味がないわけではない」
    レニエはつかみどころのない台詞をまた口にする。
    それが彼女を苛だたせると、判っていてやっているのだ。
    「その手紙とやらを読めば、私がみずから結婚を望むともおっしゃいました」
    「そうだ」
    「そして、その手紙を読んだなら、この結婚は拒否することは許されないと!」
    つい声高になるのを、彼女は止められなかった。
    しかしレニエの方は、落ちついたものだった。
    彼にしてみれば末娘など、准将と言えどもまだまだヒヨっ子なのだ。
    「そうは言ってはいないぞ、オスカル。おまえには拒否することはできない、と言っているだけだ」
    …鬱陶しい。
    彼女は先ほどから続くこの屁理屈のような言葉遊びに、いい加減じれてきた。
    もういい。
    「私も准将の名誉にかけて、他言はしないと誓います。ですから質問をさせてください」
    ようやく僅かに話が進み、レニエは満足そうに頷いた。
    「よかろう。ただし質問は5つまでだ。きりがないのでな」
    質問は5つまで。
    「承知しました」
    まず彼女は、当たり前だがはっきりさせておきたいことから聞いた。
    「この部屋は今、人払いされていますね?なぜでしょう。私の結婚話など、屋敷の者、皆に周知のこと」
    レニエは手紙と書類を彼女の前に押し出してきた。
    「この手紙で事情が変わったのだ。これらの内容は、必要最低限の人間に留めたい」
    書類の1枚目にはフランス語で「報告書」と打ってあるが、手紙の方は差出人のアドレスがアメリカのようだ。
    質問は5つまで。
    有効に使わなければならないのに、彼女は心に浮かんだ疑問をそのままつぶやいてしまった。
    「アメリカからの手紙?」
    もちろんレニエはその小さな声を聞き逃さなかった。
    「それが2つ目の質問でよいな」
    しまった…と彼女は思ったが、言ってしまった以上仕方ない。父親に向かって頷いた。
    「この手紙は、アメリカから今日届いたばかりだ」
    それはけっこう厚く見える。
    父とアメリカの接点?
    考えてみたところで、彼女には思いつかなかった。
    父とアメリカ人の間に、誰かが介在しているのだろうか。
    私の結婚、ジャルジェ家の継承問題に関わる誰かが?
    …だめだ。判らない。
    何もかもがつながらず、彼女は次の質問をした。
    彼女が一番懸念したことだ。
    「この話に、ジェローデルはからんでいるのでしょうか」
    言いながら彼女はひどく喉が乾き、手にしたワインをまたひとくち飲んだ。
    少しでも心を落ちつけようと。
    「この話に、ジェローデルは全くからんでいない。話が漏れていない限り、あやつはこのことについて何も知らないはずだ。そして話は漏れていないだろう。オスカル、おまえの耳に入っていないということが、その証拠だ」
    父親の言ったことを、末娘は頭の中で 反芻 (はんすう)する。
    『おまえの耳に入っていないのが、その証拠』
    ということは…
    「私の身近な人間に、この件にからむ者がいるということですね?父上」
    「そうだ」
    レニエは彼女の回転の良さに薄く笑うと、ご褒美として、その人物が誰であるかを教えてやることにした。
    その名を聞いて、虚を突かれる彼女の顔を想像するのは 容易 (たやす)い。
    レニエは重々しく、その人物の名を告げた。
    オスカル・フランソワにとって、驚きを隠せない人物。
    「この件の協力者は、フェルゼン伯だ」
    ───!!
    フェルゼンが私の結婚話に介入!?
    彼女はすぐにでも席を立って馬を駆り、フェルゼンに問いただしたい気持ちになった。
    しかし。
    「この部屋で話したことは他言しない。そう誓ったのではなかったかな?」
    念を押すような、その声音。
    そうだった。
    父親の厳しい眼差しに、彼女は居住まいを正し、目を閉じて長い溜め息を吐いた。
    なぜ、フェルゼンが…
    その名はオスカルをじゅうぶん動揺させた。
    次の質問などできる心境ではなかったが、彼女はかろうじて、もう1つの気がかりなことを口に出した。
    「この件を話すためにわざと用件を作り、アンドレをラソンヌ先生のところへ行かせたのなら」
    「それもある。しかし、そればかりでもない。馬鹿でなければアンドレにも、この機会は好都合であろう」
    「では、父上…」
    乾いた喉に声が出しにくかった。
    「この件にはアンドレも関わっている、と、そういうことでしょうか」
    グラスの中に残る深紅の液体を凝視して平常心を保とうとしている彼女に、レニエは率直に答えた。
    「関わっているというよりも、この件はアンドレが中心だ」
    「それは…!」
    彼女は反射的に顔を上げた。
    父親の青い瞳と、末娘の青い瞳が真正面からぶつかる。
    どちらも目をそらさなかったが。
    しかし、負けたのは末娘の方だった。
    もし、私の運命にアンドレが利用され、彼の人生をさらに 歪 (ゆが)めることになったら…?
    軍神マルスの子として生きる。
    そう決心し、当たり前の女性としての幸せを捨てたその身に、アンドレの想いを受け入れることはできない。
    これ以上、彼の人生を振り回したくなかった。
    彼女は目を伏せ、一言だけを吐き出した。
    父親の望む言葉。
    言いたくはなかったが。
    「手紙を読みます」
    けれど。
    その内容がどんなものであっても、私は結婚もしないし除隊もしない!
    彼女の胸の奥には、その瞳の色と同じ青い炎が燃えている。
    父上の思い通りになど、決してならない。
    レニエは末娘の胸に逆巻く自分に対する激しい反発に気がついていたが、それでもなお、彼女がこの手紙を読めば、みずからジェローデルとの婚姻を申し出てくる確信があった。
    目の前の手紙。
    届いたばかりで、まだ未開封のそれ。
    小細工などないことを彼女に示すため、あえて開封していない。それはレニエにとっても一種の賭け。
    そこに書かれている文面が、100%自分の望むものではないかもしれない。
    しかし、状況ははるかにレニエに有利だ。
    手紙の内容がすべて思い通りでなくとも、書類に書かれた報告が彼を強力に助けてくれる。
    どう転んだとしても、レニエにはこの結婚をまとめあげる気概があった。
    「オスカル。手紙の前に、まずこの書類が先だ。時間は気にせずしっかり読んで理解しろ。
    アンドレは今夜、帰ってこない。ラソンヌにうまく引き留めるように言ってある」
    父親に促されて彼女は、「報告書」と書かれた書類を受け取った。
    胸騒ぎがして、息苦しい…
    それでも、表紙をめくって書類を読み始めた。
    が。
    文字の羅列をいくらも追わぬうちに、彼女の顔からは、僅かに残っていたゆとりが完全に消えた。


    「嘘だ!!」
    こんなこと私は信じない。
    だってアンドレ、そうだろう…?


    手紙-3へつづく
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