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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
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【1章 手紙-1】

UP◆ 2011/1/28

    馬車がジャルジェ家の車寄せに着くとマロンが待っていた。
    だんな様がアンドレを呼んでいるという。
    何か使いを頼みたいということらしかった。
    なぜ、わざわざアンドレなんだろう?
    侍女に着替えの世話をやかれながら、オスカル・フランソワは不思議に思った。
    通常であれば、レニエの用向きは執事、もしくはレニエ付きの使用人がこなすはずであるうえ、アンドレの主人は彼女だからだ。
    そもそも忙しい身の上のレニエが、たまたま早く帰れた彼女よりもさらに早く帰宅しているのも珍しい。
    着替えを終えて侍女を退がらせると、彼女は長椅子にもたれかかった。
    心も身体も、ひどく疲れている。
    「今日、ジェローデルは来ない…」
    そのことにほっとしていた。
    ジェローデルが嫌いだというわけではない。
    部下として見たその男は、華やかな外見に似合わず非常に有能で、意外と努力家でもあり、一緒に働いていた頃の2人の息はぴったりだった。
    彼女の特殊な環境をよく理解していて、それらのことを鑑みれば、むしろ好ましいぐらいの人物ではある。
    そして、ジェローデルが紡ぎだす、女性としての自分に向けられる言葉。そのひとつひとつに、確かに揺さぶられている自分もいる。
    それが彼女自身をもっとも大きくとまどわせ、心身をひどく消耗させていた。
    誰よりも雄々しくあろうと努力を重ねてきた私ではなかったのか。次期当主として武官として、研鑽を重ねた日々は偽りで、本来の自分は、美しい言葉で飾られ褒めそやされたいだけの、ただの女だったということか…
    そして、今夜ジェローデルが来ないことに安堵したところで、レニエからは必ずまた結婚話が出るに決まっている。
    父上との晩餐の気の重さは、今日も変わらないだろうな。
    彼女がそんな思いにため息をついたとき、不意に扉がノックされた。
    「お嬢さま…?」
    マロンである。
    彼女が返事をすると、マロンは遠慮がちに入ってきた。
    その表情を見て、彼女にはマロンの言いたいことが判った。
    「父上がお呼びなのだな?」
    渋い顔をしてマロンは頷く。
    だんな様とお嬢さまの結婚を巡る確執はとっくに屋敷内に知れ渡り、マロンだけでなく、彼女に近い使用人たちは皆、少なからず心を痛めている。
    「晩餐前からのお呼びだしとは… 今日はただでは済まなそうだな。すぐにお呼びなのか?」
    「はい。なるべく早くとのことですよ」
    「そうか。ではさっさと行って、とっとと片づけるとしよう」
    年老いた侍女を安心させたくて、彼女は笑ってそう言うと足早に部屋を出て行った。


    薄暗い廊下。
    レニエの部屋の扉の前で、彼女は自分を落ちつかせるために何度か深呼吸する。楽しい語らいがあるとは思えぬ扉の向こう。ノックの音も、重苦しく響いた。
    「父上、オスカルです」
    入室の許可を待って、彼女は父親の部屋に入る。
    レニエは広い執務用の机の前に座っていたのだが、彼女の姿を見ると立ち上がった。
    机の前に立とうとする彼女を手で制すると、奥の応接用のソファに座るように命じる。
    奥へ通されてしまったら、話が長くなる。
    そう思った彼女は
    「仕事を残しておりますので、このままで」
    と、そこまで言ったが、レニエの強い瞳に促されて、言いたいことを最後まで言えずにソファに座ることになった。
    …何か変だ。
    彼女は漠然とした違和感を覚えた。
    レニエが彼女を部屋に呼びつけることは今までいくらでもあったが、大概が机の前で立ったまま用向きを聞くだけで、執務室でもある父親の部屋のソファに座るなど、子供のころ以来な気がする。
    それだけ長い話になるということか。
    彼女の心の中で、理論武装の準備が始まった。
    そんな険しい表情を浮かべている彼女の横顔を眺めながら、レニエは引き出しから一通の手紙とそれに伴う書類を取り出す。
    「うむ」
    満足そうに、頷くレニエ。
    手にしたそれをバサバサと煽り、わざと存在感のある音を立てながら、テーブルを挟んで彼女の向かい側に座った。
    「オスカル、」
    渋く切り出された、この部屋の主の言葉。しかし、それを彼女が遮った。
    「ジェローデルとのお話であれば、私の気持ちは変わりません。結婚する気も除隊する気もまったくありません」
    全部を一気に言い切った。
    オスカル・フランソワの青い瞳は、まっすぐに父親の目を見ている。彼女の意志と同じように、まっすぐ。
    父親は、末娘の視線をおっとりと受けとめている。
    「それがおまえの決心か?」
    「はい。父上」
    「絶対に変わらないか?」
    「変わりません」
    「……ふ」
    レニエの表情が、笑ったような見くびったような、微妙な変化をした。
    「だがな、オスカル。この手紙を読んだなら、おまえはみずからジェローデルとの結婚を望むようになるだろう」
    「私がみずからジェローデルとの結婚を望む…?」
    父親の言うことが意外すぎて、オウム返しにつぶやく彼女。
    「そうだ。そして、この手紙を読んだなら、おまえには結婚を拒否することはできない」
    「まさか!」
    体中の血が、一瞬で熱を帯びた。
    この騒動では、結婚しろだの強く賢い男子を産めだのと、彼女の神経を逆なでするような暴言がさまざま与えられてきたが、今日ほどふざけた話はなかった。
    「その手紙を読んだら、私がみずから結婚を望むと。そして手紙を読んだならば、それを拒否できないと。そんな馬鹿な話がありますか?父上。だいたいそのようなもの、私が読むわけもないでしょう」
    彼女は勢いよく立ち上がると、父親に背を向けた。
    扉に向かって歩いて行く彼女に、レニエが静かに言う。
    「ならばよい。知らなければよい。知らぬ罪もあることさえ知らなければよい」
    彼女はその声を無視して扉まであと数歩のところまで近づいたが、ふと足を止めた。
    何かが…
    何かがひっかかる。
    この、部屋に入ったときから続く違和感は…?
    彼女は、ハッとしてふり返った。
    そうだ。
    結婚話に気を取られ、目にも入らずにいたけれど、サイドテーブルには略式の食事の支度とワインの用意がしてある。これはレニエが特に重要な案件を、部下や幕僚たちと時間をかけて詰めるときのスタイル。
    そして今、部屋には自分と父親だけ。
    略式とはいえ食事の支度がされているのに、給仕する侍女や従僕の姿がない。
    人払いがされている…?
    ジェローデルが来ないのは偶然か?
    ――アンドレ。
    そうだ。父上が敢えてアンドレを遠ざけて……
    父上は私に、何か仕掛けようとしている?
    彼女はめまぐるしく思考を回転させながら、父親を見返した。
    「父上…。今日、ジェローデルが来ないのは偶然ですか?」
    「偶然、ではないな。今夜はおまえと1対1での大切な話があるからと、私が遠慮させた」
    「では、アンドレもですか?」
    「そうだ。アンドレには今、ラソンヌ 医師 (せんせい)のところへ行かせている。適当な理由をつけて行かせたが、アンドレも馬鹿ではなかろうから、これはこれで意味があるのだがな」
    適当な理由だが、馬鹿でなければ意味がある…?
    彼女は考えを巡らせたが、何のことかは見当もつかない。
    「おっしゃる意味がよく…判りません」
    「ならば座るがよい」
    レニエはソファを指し示した。
    彼女は多少躊躇したが、ゆっくりソファに近づくとレニエの前に座った。
    当主レニエ・ド・ジャルジェは、ようやく話をする気になった後継者に目を向ける。
    この娘が、今、私の手にする手紙と書類を目にしたら、どうなることか。おそらくジェローデルとの結婚を望むようになるだろうが、間違いなく私は恨まれるであろうな。
    それはもちろん、レニエに取って嬉しいことではない。
    しかし。
    まったく以って、かまわぬ。
    レニエはうっすらと嗤った。
    我がジャルジェ家を絶やすことに比べたら、娘に恨まれるなど取るに足らない些末なことだ。
    レニエのあとは、オスカル・フランソワが継ぐ。それはもう、間違いのないこと。その布石はじゅうぶん打ってきた。
    しかし、そのあとは?
    レニエの眉間に深くしわが刻まれる。
    後継ぎたる男子が、王党派の権門であるジャルジェ家にはどうあっても必要だった。脈々と続いた武官の血を、レニエの代で絶やすことは絶対に許されない。
    たとえオスカル自身がどれほど嫌がろうとも、どんな手を使ってでも、この結婚、必ず私が承知させる。
    父親はしばし黙って末娘の瞳を見つめたのち、言った。

    「さて、手紙を読む気にはなったかな。オスカル?」


    「手紙-2」につづく
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