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【2章 あたえられた時間-5】
UP◆ 2012/4/2隊長はいつ出勤されたのだろう。
いつのまにか司令官室に人の気配がする。
こんな早朝に?
他の人間が彼女の勤務時間外に司令官室に入れるわけもなく、人の気配は部屋の主であるオスカル・フランソワ以外であるはずがないのだが。
ちょっと早めに夜勤を上がったダグー大佐は、いぶかしみながら部屋をノックしてみた。
「恐れ入りますが…」
こんな職業についているとはいえ、相手は女性。
もしかしたら、身支度などを整えておられるかもしれない。
早朝という時間帯に、かける声も遠慮がちになる。
けれども部屋の中からは即座に返答があり、扉を開けてみれば、いつも通りの居住まいで彼女がすでに執務を取っていた。
「いつ、ご出勤に?」
「つい、今しがただ」
ダグー大佐には、それが嘘だとすぐに判った。
部屋に漂う空気は、今、人が来たばかりとは思えない、何か濃密な気配を放っていたからだ。
それに、昨日にも増してひどい彼女の顔色。
昨夜の夜勤の点呼に顔を出すと言った彼女を帰らせたのは、他でもないダグー大佐だったが。
お帰りにはならなかったのか…
「すまない。どうしても片づけておかねばならんことができたものだから」
彼女は嘘を隠すわけでもなく、あっさりと謝った。
「せっかく気を使ってくれたのに」
「いえ。それよりも何か運ばせましょうか、お食事などはまだ?」
司令官室に泊まったとなると、朝食だけでなく、昨日の夕食も取っていないのかもしれない。夜勤に入っていたダグー大佐には、昨夜の食事のオーダーに、司令官室が含まれていなかったことが容易に判る。
「いや、いい」
「しかし」
顔色の悪さだけでなく、やつれた様子も見て取れる彼女。とても黙ってはいられない気分になる。
「お帰りになられては」
大佐は控えめに勧めたが、彼女は聞こえないふりをした。
「退がってくれ」
「はい」
立場上、それ以上言うこともできず、大佐は一礼すると扉へ向かったが。
「ダグー大佐」
彼女が思いついたように、呼び止めた。
「アンドレには、このことは」
「隊長は昨日、勤務時間終了とともに帰宅され、本日も平常通りに出勤された、と?」
「そうだ」
「判りました。では隊長、朝食は早めにお済ませくださいませんと。夜勤明けのアンドレがこちらに参りましたら、バレてしまいますぞ」
彼に黙っていて欲しければ、朝食を取るように。
父親ほども年上の部下にやんわりと脅迫されて、彼女は苦笑した。
「なるべく軽めのものを、少しだけ」
そう彼女が答えると、大佐は慎み深く微笑んで、司令官室を出て行った。
「は──」
突然の大佐の来訪に、彼女は大きく息を吐いた。
思ったより、疲れている。
まずいな。しっかりしないと。
鏡を見て顔色と身支度を再確認しようと、彼女は席を立った。
そのとたんにこみ上げる、若干の吐き気とめまい。
「…ぅ」
とっさにしゃがみこみ…
大丈夫、いつもの立ちくらみだ。
落ちつけ。大丈夫。
目を閉じたらそのまま意識を失くしそうで、彼女は暗く霞む視界の中、床のマーブル模様を凝視する。
冷や汗の伝う感覚にゾクリとしながらしばらく耐えていると、浮遊感は徐々に去っていった。
「ふ…っ」
思わず安堵の息をつき、今度は慎重に立ち上がる。
よかった。誰にも見られずに済んで。
“誰にも”とはもちろんアンドレも含まれていて、彼女はこんな姿を彼に見られるのをとても嫌っていた。
心配しすぎるのだ。
固く口止めしてあるが、こんなことが続けば、いつレニエに伝えられるか判らない。
彼女は司令官室の奥に向かうと、続く仮眠室の扉を開けた。
部屋に置かれた寝台には、使われた形跡はあっても、彼女がそこで眠れたわけではない。
薄闇の中、アランが放った酒瓶。
それを探す彼の手が、虚しく地面を這い回る。
昨夜見た光景が頭を離れず、声が漏れないよう枕に顔を押しつけて、涙の止められぬ夜を過ごしただけだ。
寝台を離れるときに身支度はきっちり整えたはずなのに、鏡に映る自分の顔は我ながらひどいものだった。
彼女は傍らのチェストから口紅を取り出す。
普段の彼女の顔色近く作らせたそれは、このところ使われる頻度が増えている。ごく薄くくちびるに乗せただけでも、彼女をいつも通りに見せてくれるから。
こんなものを常備していることは、彼だって知らない。
彼女は注意深く身なりを整えながら、今日、自分のすべきことを確認する。
もうすぐ1班の夜勤が終わる。
日勤との引き継ぎが終わり、彼女の通常の出勤時間になったら、アンドレがここに顔を出すだろう。
私につきあって、あいつは勤務に残るはず。
シフトがずれたときは、いつもそうだ。
この習慣を乱せば怪しまれる。
彼女としては彼を屋敷に帰し、早急にアランを捕まえたいところなのだが。
…時間が、ない。
アンドレの協力者と思われるアラン。
彼と話し合う前に、アランを落としておきたい。
協力者がいなくなれば、彼の軍務は相当に難しいものになるだろう。
今のままではいくらアンドレを問いつめたところで、彼が本当のことを言わないのは判りきっている。きっとギリギリまでとぼけ続け…
けれど彼女には、そんな悠長な時間は与えられていないのだ。
引き継ぎが済めば、班長であるアランが日報を持ってここへ来る。そのときアランをこちら側へ引き込みたいものだが、さて、司令官室にやってくるのは、アンドレが先か、アランが先か。こればかりは運でしかない。
仮に彼が先に来てしまえば、今日アランと話し合うのは難しくなる。中途半端な理由で彼に席を外させれば、何をどう疑われるか判らない。慎重を期すためだけに、貴重な時間が無駄になってしまう。
身支度を再確認した彼女が厳しい表情で司令官室に戻ると、執務机には簡単な朝食が届いていた。
考えごとに集中しすぎて、ノックの音も耳に入らなかったようだ。
いけない、こんなことでは。
自分で思う以上に、平常心を欠いている。
今さらながらに、自分がどれほどアンドレに依存してきたのかを痛感した。
けれど。
……依存?
それは違う気がする。
彼への気持ちはもっと。
もっと…なんだというのだろう。
この何日かで急に湧きあがってきた、妙な気持ち。
彼について、そんなにくだくだしく考えたことはなかったはず。
「少し疲れているからだ」
きっとそうだ。
席に着くと、気の進まないまま彼女は朝食を口に運んだ。
美味しいとはとても思えず、咀嚼して無理に飲み込むだけの作業を繰り返す。
半分も食べられぬうちに、気持ちが悪くなってくる。
駄目だ。
下げてもらおうと当番兵を呼ぼうと思ったとき、扉がノックされた。
ダグー大佐?
ならばちょうどいい。少々気まずいが、食べる努力はしたのだ。これぐらいで許してもらって、アンドレが来る前に食器を下げてしまわなければ。
しかし、彼女の入室許可の声とともに入って来たのは、日報を手にして不機嫌そうな顔をした、長身の男だった。
「アラン。なぜ、こんな時間に」
まだ1班は勤務時間中のはず。
「隊長がもうご出勤かと思いましてね」
ダグー大佐に聞いたのか?
いや、それはない。大佐はそんなに口の軽い人物ではない。
考えを巡らせる彼女を後目に、アランはまだ開いた扉の隙間から当番兵を呼ぶと、持て余していた朝食を下げさせた。
「俺に用があるんでしょう?」
「なぜそう思う?」
アランは彼女の問いかけを無視して、日報を放ってよこす。
「こんなもん、今書いたってあとで書いたって変わりゃしない。どうせ毎日同じことを書いてんだから」
相変わらずの、皮肉な口調。
そのまま口頭で夜勤の報告を始めた。
よどみなく続く、アランの声。
嫌でも昨日盗み聞いた事柄を思い出す。
『どの程度、見えている?』
『失明は時間の問題だそうだ』
『おまえ既に見えてないだろうが』
「───で、隊長?聞いてます?」
「あ? ああ」
全然聞いていなかった。
「隊長、顔色が。もしかしてあなた、また?」
「…少し寝不足なだけだ」
「部下を斥候なんかするからです」
やはり、か。
彼女は心持ち、身を乗り出した。
どう切り出したものかと思っていたが、向こうから振って来たのなら話は早い。
「いつ、気がついた?」
「さあ。なんとなく。アンドレに“隊長がダグー大佐のすすめで定時で退勤した”と聞いたときから、多少の違和感は覚えていましたが」
もっともらしくそう答えたアランだが、本当はその少し前から予想はしていた。
ダグー大佐の部屋を訪ねたときに、たまたま廊下越しに見かけた彼女。
フランソワから聞いてはいたものの、腫れたまぶたと充血した目は、アランの想像を超えていた。彼女の心を揺さぶる尋常ではない出来事があったのだと、一目で直感させるほどに。
彼女が夜勤の点呼に姿を見せず、大佐の勧めで退勤したと聞いたとき、アランには納得するどころか、むしろ怪しいと感じた。人に言われて素直に帰るぐらいなら、あんな顔をさらして出勤してくるわけがないのだ。
案ずるあまり、アンドレなどは彼女がおとなしく帰宅したことを喜んでいたが、アランには裏があるように思えてならなかった。
確信に近い予感を抱え、アランはアンドレをせき立てて夜警に出て、そして。
「香りがしたんです。あなたのつけている薔薇の香りが」
確かめるなら、あの辺りがいいだろう。
アランには、最初から思い当たる場所があった。
建物と木立の配置で、妙に風が乱れるおかしな場所。
雑談にまぎれて彼と距離を取り、少し先を歩きながら、アランは頼りない月光の下、彼女の気配を探っていた。
いや、昨夜だけじゃない。
彼の芝居につきあうと決めたときから、アランには、いつかこんな日が来ると判っていた。
彼と一緒に夜警のルートを巡りながら、もしかしたら彼女が夜闇にまぎれてそこにいるかもしれない、いや、向こうの繁みかもと、そんなふうに思いながら、日々の勤務を過ごしてきたのだ。
そしてたまたま、昨日がその日だった。
アランにはそれだけのこと。
アランが心の中で吐き出すように言った“それだけ”という想いが、彼女に届くわけもない。
「香り…か」
アランが作ったあと付けのような理由に、彼女は美しい眉を曇らせる。アンドレにも気づかれてしまったのだろうか、と。
アランはそれを見て、小さく嗤う。お互いを思いやりすぎて嘘をつき合う、ばかばかしい2人に。
そして、そこに割り込みたくて、遠巻きに見ているもっとバカな自分を。
「ヤツは気づいてません」
アランは断言した。
「俺はヤツより先行して歩いていたし、香りはほんの一瞬だけのものでした。それに……」
言いにくそうに黙る。
「なんだ?」
「もし隊長が近くにいると判っていたら、ヤツは絶対言いませんよ。……いずれ失明するなんて」
「ああ。そう だ な」
泣く。
不自然に途切れた彼女の声に、アランはそう思った。
が。
「私が潜んでいると知った上で、あえておまえはアンドレの口から、目の話を引き出してくれたのだろう?」
彼女はごく普通の話をするように、そう言った。
「まぁ、そんなところです」
涙を見せるかと身構えた分だけ、アランは拍子抜けする。
しかし。
「すまない。ありがとう」
そう言うと彼女が席を立ち、つかつかと近づいて来て手を取った。
冷たくて細い女の指の感触に、アランは珍しく焦りを露わにする。
「隊…長、離してくださいよ。人が見たら何かと」
けれど彼女は両手でアランの手を包み直すと、さらにぎゅっと力をこめた。
「アンドレを守ってきてくれて、本当に感謝している」
つながれた手に、押し込めてある彼女への想いが湧きあがるアランだったが、それは叶わないものと半ば諦めている。恋心を焦りに紛らせ、気づかれぬように抑えることは簡単だった。
「迷惑ついでに、ひとつ頼まれてくれないか」
彼女はアランの手を握ったまま、少し気弱な口調になった。
「なんです?」
「もうすぐアンドレがここへ顔を出すだろう。あいつのことだから、いつも通り私の勤務にもつき合う気でいると思う」
「そうでしょうね」
「だからアラン、おまえ、そこに」
彼女は部屋の壁際へと、アランの手を引いていった。何があるわけでもない、扉から少し離れた中途半端な場所に。
なんだってこんな?
アランは疑問の目を向けたが、握った手に一瞬力を込められて、黙った。
彼女はアランを壁に押しつけるように立たせると、襟元に手をかけた。
「隊…長?」
とまどった声を無視して、彼女はアランの軍服を開き、脱がせにかかる。
「ちょっと…隊長!何するんですかっっ!!」
「うろたえるな。白い壁に軍服の青が目立つから、上着を脱いでもらいたいだけだ」
なん…だ。
アランはほっとする気持ちと少しばかり落胆する気持ちを混ぜ合いながら、袖を抜く。
「アンドレが来るまで、悪いがそこに立っていてくれないか?夜勤明けで申し訳ないと思うが」
赤く充血した彼女の、潤んだ瞳。
『まだ泣くんじゃねぇ』
あのとき、そう低くつぶやいた自分の声が聞こえていたか、アランは問いたい気持ちになった。
けれど。
今、追いつめてどうする?
恐らくはアンドレのことしか考えられなくなっている彼女に何も言えず、アランは頼まれごとに頷いた。
しかし隊長は何を考えているのだろう。
することのないアランは手持ち無沙汰で、自然と目線は書類の整理などを始めた彼女に向かった。
身長にも恵まれ、凛々しく美しい顔立ち。
女性的な美とは少し違うが、それは見る者によってはかえって色っぽく見える。軍服の下にはきっと、白く滑らかな肌と曲線が隠されているに違いないと。
ご多分に漏れず、アランもそういう男の1人だった。
今日の少しやつれた感じも、いつもとは違う劣情を誘う。
こんな男勝りで生意気な女、嫌いも嫌い、大っ嫌いだったが、追い出してやろうと突っかかり、もめ事を起こしているうちに恋に堕ちていた。
近衛将軍家の令嬢という立場を笠に着て、連隊長まで務めていたという女。王妃の寵愛も深く、はたちになるかならぬかの若さで異例の昇進をしたという。
理不尽に降格され、下級貴族ゆえに冷遇されてきたアランには、彼女のきらびやかな経歴には嫌悪しか感じなかった。
大貴族の象徴のような女。
あのまま憎み続けていられたら、きっともっと楽だっただろう。
なんだって俺がこの女に。
アランが豊かにうねる金色の髪に目を奪われていると、ふいに扉がノックされた。
彼女が鋭い眼差しで書類から顔を上げ、2人は目交ぜする。
くちびるの形だけで出される彼女の指示。
声 を 出 す な
利き手の人差し指を1本立て、くちびるに当てて見せる。
アランの目に了解の意志を確認してから、彼女は極めて自然な声音で入室を許可した。
「おはようございます」
一兵卒然とまじめくさったふりをして入ってきたのは案の定、彼。
けれど、扉を閉めるとともにいつも通りの穏やかな笑顔を浮かべて彼女に近づき。
おや?とまた表情を変えた。
「おまえ、顔色が悪いぞ。目の充血もひどい」
彼は司令官用の大きな執務机の内側に回り込むと、彼女のおとがいに指をかけて上向かせた。
彼女もされるがままに、おっとりと彼を見上げる。
その場面は、まるでくちづけでもするかのようで、壁に同化していたアランは息を飲む。
幼なじみと聞いてはいたが、令嬢と従僕がここまで近い関係だとは。
「おまえ、今日はもう帰った方がいいんじゃないか?」
心配そうに言う彼。
そのごく自然な振る舞いに、彼女は胸の内で毒づいた。
見えていないくせに。
にこにこした顔から一変して心配そうにするあたり、まことに芸が細かかった。顔色だの充血だの、どうせダグー大佐あたりに探りを入れてから来たのだろう。
彼は、書きかけの書類などをぺらぺらとめくり、これまで通りの調子で朗らかに話している。
…この男。
今までこうして私を欺いてきたのか。
すっかりと騙されていた自分のおめでたさに腹が立つ。
気づくなら、自分で気づきたかったのに!
彼女は夜も明けやらぬうちに書きあげておいた小さな手紙を、彼に突き出した。
しっかり密蝋で封をされた薄い手紙。
本当はまだ、使いたくない小道具だったが。
「近衛へ赴き、この手紙をジャルジェ将軍に届けてくれ」
「へ?」
彼の間抜けな返答。
無理もない。
ジャルジェ将軍といえば、彼女の父親。
毎日のように顔を合わせるその人に、手紙とは。
「職務上のことだ」
そう言われてしまえば、彼には反論できない。
今までこんなことはなかったのに?
釈然としない気持ちの彼だったが、急ぎだと言われて手紙を受け取ると、近衛の兵営に向かうべく部屋を出て行った。
パタリと閉じられる扉。
それを確認し。
彼女は右手で目の辺りを覆いながら、机にひじをついた。
「本当に見えていないんだな」
伏しがちの顔に髪がこぼれ落ちてきて、その表情はまったく伺い知れないが、声だけははっきりと震えている。
アンドレは、扉の少し横で腕を組んで壁に寄りかかるアランに、まったく気づかなかったのだ。
昨夜の彼の様子。そして本人の口から聞いてしまった失明という言葉。
判っていたけど。
判っていたけれど、こんなに見えなくなっているなんて。
彼女は執務机の引き出しに隠した軍服を取り出し、ゆらりと立ち上がる。
苦い表情をしたアランの前まで来ると、それを差し出して何か言おうとし…
かなり長い沈黙のあと、手間を取らせた礼だけを言った。
抑揚のない声と、陶器で出来た面のように整った顔。
冷たくも見えるが。
彼女をこっそりと想い続けて来たアランは、その無表情の裏側、本当の顔が見てみたかった。
いけないとは思いつつ、彼女の肩に手をかける。
振り払われるかと思ったが、彼女はじっとしたまま、暴走しそうになる感情を落ちつけているようだった。
ただ、瞳だけが、彼女の気持ちを伝え漏らすように潤んでいくが、それでも白く整った表情は崩れない。
「泣きたいのなら」
「…今は勤務中だ」
「あいにく俺は勤務時間外なんでね。好きにさせてもらいますよ」
アランは彼女の肩を引き寄せると、しっかりと抱きしめた。
胸に顔をつけさせて、言い聞かせるように囁く。
「半泣きでうじうじされてる方が、よっぽど見苦しいんだよ。5分だけこうしててやる。今日1日の勤務、この5分で保たせるんだ。あんたなら出来るだろう?」
彼女は何か言おうとしたが、顔を押しつけられていて声が漏れないことを理解すると、理性が崩壊するように泣き出した。
レニエとの駆け引きの中で、この一件をアンドレにも、フェルゼンやジェローデルにも覚られてはならないと釘を刺された彼女。
それは思った以上に、彼女の心を抑圧していた。
この涙の真相を、すべては知らないアラン。
それでも、彼と秘密を共有し、そして彼女の心情を理解してくれるアランに、壊れる寸前だった心が少しずつ楽になっていく。
こんなこと駄目だ。でも。
強い腕に守られながら泣くことの出来る安堵に、彼女は逆らえなかった。
私が欲しいのは、この腕じゃない。
胸のすみっこでそんな声も聞こえたが、たった今彼女に必要なのは、弱りきった心を支えてくれるアランの腕の力強さだけだった。
【あたえられた時間-6】につづく
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