フランス旅行回想録 【 Voyage 】

こちらは管理人のフランス旅行記です。
旅行前の準備のこもごもや、旅行中にフランスからUPしていた雑文、帰国してからの回想録などを置いています。

★2013/5 回想録
旅行準備から現地UP版までは、かつて【Hermitage】というおまけノベルを集めたブログにUPしていたものからの転載。
回想録からが、この「Voyage」でUPしはじめたものです。
(今はクレーム等により一部公開していません)

また、この旅行記には、追随するコンテンツとして【Webアルバム】がございます。
アルバムでは、管理人の訪れた各地の画像が2000px以上の大判サイズでご覧いただけます。
ベルサイユ宮殿や大小トリアノン宮などのお部屋が、壁紙の模様や扉のひび割れまで見える詳細さでUPされております。
スライドショーにすることも出来ますので、ご覧になれる方はどうぞ。
全部で1183枚の写真がご覧いただけます。

★2015/4 回想録
2015/6/12よりUPを始めました。
こちらもWebアルバムをUP中で、ただいまは3410枚の画像がご覧いただけます。
最終的には、およそ5500枚程度のアルバムになる予定です。

 

    ハイフロアとは言えないながらも、なんとかガヴ川を眺めることの出来る部屋の窓。
    カーテンを開けると、どよんと曇った空から静かな雨粒が落ちていた。
    山あいの街に似合うジェントルレイン。
    フランス入りしてからずっとバタバタ… というよりガツガツ動いていたので、しとしとと穏やかな雨音にほっとする。
    疲れがたまっていたこともあり、この朝はベッドでダラダラごろごろ。のんびり過ごしてから、10時前に部屋を出た。



    サン=ジョゼフ門から。


    雨のロザリオ広場と聖堂。


    洞窟前の広場へ向かう人々。


    川沿いを進む車椅子の列。


    霧の降りるガヴ川。


    沐浴所。

    この天気ならすいているかも。
    そんな予想と共に向かった沐浴所は、案の定すいていた。


    沐浴所中央部分。

    上の画像中央部、柱の影に他の人たちとは違う向きで座っている人たちが写っている。
    この人たちが前章で少し触れた、お祈りの進行役をしたい人。
    沐浴の順番を待つ人たちは、ここでお祈りをしたり歌ったりして過ごす。
    この日は写真を撮っている人が多かったので、私も撮ってみた。


    この位置で5~6列目ぐらい。


    中央に写っている男性が、並び順を仕切っている男性スタッフ。


    順番が来て、中へと案内される女性。


    進行役を希望した人たち。

    上の画像はもっと遠くから撮った画像の一部を切り取ったもの。普通は撮れない沐浴所の中央部分がチラ写りしていたので、その部分だけを切り出してみた。
    進行役の人は手にしたファイルブックに沿って、お祈りを進めているようだった。

    雨の降るこの日の気温は4℃。
    吐く息は白く、じっと座っていると膝がガタガタ震える寒さ。石造りの床からはじっくりと冷えが這い上がり、川から吹く風は切れていて、歯がカチカチと鳴る。
    スタッフやボランティアの服装は、ロングのウィンドブレーカーやキルトのジャケット、またはベンチコートといった防寒装備。
    こんな日に、数秒とはいえ真水に浸かるなんて。
    まともに考えれば狂気の沙汰。
    きっと皆そう思いながらも、沐浴の順番が来るのを心待ちにしているのだから、信仰が関わったときの人の気持ちには、常とは違うスイッチが入るのだろう。
    この日の待ち時間は約40分。
    ルルドでの初めての沐浴のときには、開始1番目のグループだったし、2回目の沐浴では待ち合いベンチの2列目に着いた。
    そのため、多くの人たちの中に混ざってベンチ後方から並ぶのは、私にとってはこの回が初めて。並び時間のお祈りに自分が混ざるのも、このときが初めてだった。
    進行役がマイクを持ち、お祈りの言葉を読む。そしてその一部を、皆で暗唱する。それから聖母を讃える歌を繰り返し歌う。
    簡易的なミサのような感じだった。
    ベンチでの待ち位置が最前列、もしくは外待ち合いのベンチになると、進行役が突然マイクを向けてきたりする。
    進行役が読むお祈りの言葉は聖書の一節でもあるから、マイクを渡された人は当然のように、何も見なくても諳んじることができる。
    このことには、正直なところちびりそうになるぐらい緊張した。
    いきなりマイクを渡されたらどうしよう。
    聖書の暗唱なんて、フランス語も英語も無理無理無理!
    ただでさえ冷えた体で、本当に肝が冷えた。
    そんなヒヤヒヤした待ち時間を過ごし、私は数人の女性たちと一緒に、外待ち合いの方へ移動するよう指示された。
    当てられる確率の1番高い最前列でマイクの指名に当たらなかったことに安堵しながら、外待ち合いへと場所を移し…
    でも呼ばれた順に外待ち合いのベンチに座っていったら、私の座り位置はちょうど、柱の裏側になってしまった。
    下の画像の、赤いジャケットを着ているらしい人の位置だ。



    ここは柱があるために、他の位置より膝をタイトに曲げて座らなければならない。
    けれど左足に装具を付けている私には、そこまで膝を曲げることが出来ない。
    さて、どうしたもんか。
    隣に立つ女性は、私がなかなか座らないために、自分が座ってもいいものかと怪訝そうな目で私を見ている。
    ベンチには詰め詰めに座らなければいけないので、次に続く人たちも、「あの人、どうしてさっさと座らないのかしら」という感じで、少し伸び上がるようにして私を見ている。
    それは時間にしてみれば数秒間ぐらいのことだったのだけれど、沐浴所には独特の緊張感があるので、私の焦りは一気にMAXまで上がった。
    列から抜けるか。
    そう思って、私がキョロキョロとあたりを見回したとき、鋭い男性の声がした。
    何かで戸惑っているときに大きな声がすると、自分が注意されたと思ってドキッとする人も多いと思うけれど、このときの私もそうだった。
    反射的に“ヤバイ!!”と思い、よりキョロキョロする。
    するとスーツ姿の職員やスタッフが近づいてきて、私に列から抜けるように言った。そして私に、車椅子に座るように勧めてくれた。
    柱の傍らに寄せてある車椅子。
    「あなたはこちらへ」
    「え…、あの、でも大丈夫です」
    強面(こわもて)の職員の表情にどぎまぎする私に、一見マフィアかと思われる人相をお持ちの職員は「いいのですよ」と、私に座るように促した。
    ここで変に固辞すると、余計に流れを乱す。
    私はそう思い、ありがたく座らせていただくことにした。
    私を車椅子に座らせ、スタッフの男性が私の足元に膝をついて屈み、90度までは曲がらない左足の面倒をみてくれた。
    このやり取りは、動画として残っている。
    それに気づいたのは、帰国してからだった。
    ベンチの最前列から外待ち合いに移動するよう言われたとき、デジカメをポーチにしまい、待ち時間にコメントへのお返事を書こうと思って持ってきていたipadを抱えた。そのipadは、なんのはずみか録画モードになっていた。
    見直した録画は、ベンチでの並び順が2列目に移ったあたりから既に始まっていて、車椅子に座らせてもらうまでの一連のやり取りが入っていた。もちろん映っているのはきれいに撮れた動画ではなく、どこを撮っているんだか定まりきらない揺れまくったものだけれど、そのときの様子は伝わると思う。
    沐浴所での順番待ちの様子もよく判るので、短く編集したものをUPしてみる。

    ↓The grottoミニ動画。


    *IE以外で動作確認出来ていません。Flashを使っているため、ipadやiPhoneなどのapple系やスマホではプレイヤーが反映されません。
    その場合はこちら【The grotto】へどうぞ。

    沐浴所からの帰りは、献灯のブースが並ぶ小道を通ってみる。


    雨の中でも、捧げられているろうそく。


    お土産屋さんでこの大きな絵ろうそくを買って… どうやって運んだ!?


    泉の広場、ミサ後の聖体拝領。





    このときは、多くの人が上の画像にあるように手のひらを重ねて、ホスチアをいただいていた。私が出たことのある他のミサでは、直接食べさせてくれることもあったので、そこそれぞれでいろいろなのだと思う。


    団体さまが集合写真を撮るための台を作り始めたロザリオ広場。





    低い気温と、しとしとと降り続ける雨。
    服は湿って、体もすっかり冷えてしまったので、私はいったん部屋に戻ることにした。


    お土産屋さんをあちこち見ながら。













    部屋に戻ると、すぐに浴槽にお湯を張った。


    冷えた体を温めつつ… おやつのアイス(笑)

    熱めのお湯にゆっくり浸かると、熱が沁みるよう。
    帰りがけに買ったカップアイスは非常に雑なお味で、甘党の私でも「甘っっ」と思うほど甘い。
    このアイスは、お土産屋さんの店先で買ったもの。
    部屋へ戻ってお風呂で温まろうと小雨の道を急いでいたら、日本でもよくある感じで、アイスがたくさん入ったショーケースが店の軒先に置かれていた。
    買う気はなかったのだが、習慣で何気なくのぞいて、そのとき「お風呂に入りながら食べよう!」と思いついた。家でもアイスを食べながら長湯することがあるので、リラックス出来そうだと思ったからだ。
    ショーケースにはカップのアイスが2~3種類と、バーのアイスが2種類ほど入っていた。ケース自体は大きいのに、品揃えも少なく、品数も少ない。
    こういうとき、日本のお店は本当にすごいと思う。店舗の大小を問わず、スーパーでもコンビにでも、個人の商店でも、たくさんの種類の商品がいつも在庫たっぷり。彩り豊かで衛生的で。そして。
    「ガチャッ」
    チョコのアイスを買おうと思ってショーケースを開けようとしたら、鎖の鳴る音がした。全然気が付かなかったけれど、ショーケースの鍵の部分には南京錠がかかっていて、鎖までもが巻かれていた。
    日本だったらあり得ない。営業中の店先のショーケースに、南京錠がかかっているなんて!
    ガチャガチャ鳴る鎖の音に、店の奥から女性が出てきて鍵を開ける。それを見ながら、日本で当たり前に成り立っていることが外国では無防備なほどで、日本人が普通にしていることが、外国人の尺度からすると本当にきちんとしているということ、例えば店主が見ていなくても、店先のショーケースからアイスを持ち去ったりせず、至極当然に代金を支払おうとすること、それが日本の治安の良さだったり、日本人のまじめな国民性だったりするのを実感する。
    アメリカ人の友達はよく「日本人は、自分たちが思っている以上にまじめなんやで(注:夫が関西出身)」と言うのだけれど、実際そうなのだろうと思う。

    パリと違ってお湯の出のいい浴室は、バスバブルがよく泡立つ。
    バスタブはとても大きくて、167cmほどある私が足を伸ばしても、なお余裕のある広さだった。
    私はここでしばらくアイスを食べたり、浴室に持ちこんだipadでコメントやメールへのお返事を書いたりと、2時間ほどだらだら過ごした。
    無駄でもったいない時間の使い方だと思うけれど、こうした時間は長丁場の旅行のときには、結構大切な気がする。
    足の浮腫みが減ってくれないかという期待を込めての2時間でもあったが、残念ながらそちらへの効果はあまり出ず、それでも気持ち的にはずいぶんと寛げたので、私はまた街に出てみることにした。



    サン=ジョゼフ門からサンクチュアリに入り、ロザリオ広場の側道を上部聖堂へと向かう。




    無原罪の御宿り大聖堂(Sanctuaires Notre-Dame de Lourdes)入り口。

    ここは通称として“上部聖堂”と呼ばれているけれど、実際のところは入り口が2つあり、いわゆる“上部聖堂”へは上の入り口から、そして下の入り口は“地下聖堂”に続く。
    この“地下聖堂”というネーミングも通称といった感じで、画像で見た通り、この聖堂は地下にあるわけではない。
    現在の地下聖堂は、聖母の望みで建てられた最初の礼拝堂で、1866年に完成した。その年の5月に行われた祝別式にはベルナデットも出席している。
    そして、その1866年に、地下聖堂の上に建てられる形で、上部聖堂の建設が着工された。(1871年完成)
    なので、“上部聖堂” “地下聖堂”という呼び方は、あとの時代になってからの便宜上の言い方で、正確に言うなら“下部聖堂”とか“地上階聖堂”といった方が伝わりやすいように思う。

    “上部聖堂”と“地下聖堂”、それぞれの扉に飾られている肖像画はピオ9世で、1854年に「聖母マリアの無原罪の宿りの教義」を宣言した人物。
    この教義は「聖母マリアがその存在の最初の瞬間からあらゆる罪から守られ、原罪の汚れなく宿られた」ことを宣言したもので、正直なところ、なんのことやら私にはよく判らない。けれどこの教義は、ルルドの奇跡とは深い関わりがあって、そのことがベルナデットを救うことになる。
    (無原罪のお宿りの教義について、くわしくは【こちら】
    ベルナデットが初めて聖母に会ったとき、彼女は目の前に現れたその女性を聖母とは思わず、“アケロ”(あれ)と呼んだ。
    それはベルナデットが薪拾いをしていたときで、友人と妹が近くにいて、その光景を見ていたことは前述した通りだ。友人と妹にはアケロの姿は見えず、けれどこの2人は、ベルナデットの不思議な行動を町の人たちに言いふらしてしまった。
    当のベルナデットは、自分が出会った女性を聖母とは思っていなかったために戸惑うばかりだったようだが、降臨が回を重ねるうちに、彼女は町の人々の批判を受けたり、検事や町長、新聞社などから厳しい詰問を受け、精神科医にまで診せられたという。
    けれど幸いだったのは、聖母が降臨するとき、彼女はいつも1人ではなく、近くに第3者がいたことだった。そのおかげで、ベルナデットの元に不思議な女性が現れるのは、少女の妄想とだけで片付けられることはなく、支持してくれる人もいたらしい。
    人々は彼女に、「今度その女性に会ったら、名前を聞いてきなさい」と再三言い聞かせた。ベルナデットはその通りに女性に名を尋ね、16回目の降臨にして、ようやくそれに成功する。
    女性は彼女の問いかけに、こう答えた。
    「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・クンセプシウ」
    ろくに学校にも行けなかったベルナデットは、当時、標準的なフランス語もまともに話せず、読み書きも出来ないほどの学力。女性から聞き出したこの言葉を、忘れないように何度も繰り返しながら帰ったそうだ。
    一方、彼女からこの言葉を聞いた神父は、驚愕し、聖母降臨を信じた。
    「私は無原罪の宿りです」
    ベルナデットの前に現れる女性は、自らをそう名乗ったのだった。
    無学の彼女に、無原罪の宿りの教義を知る由はない。
    ルルドの方言で、「Que soy era Immaculada Councepciou.」
    標準フランス語で、「Je suis l'Immaculée-Conception.」
    『私は無原罪の宿りです』
    これを以って、ルルド教区の主任司祭・ペラマール神父はアケロを聖母と認め、タルブの裁判所でもそれが認められた。


    洞窟上部に建つ聖母像の足元にも刻まれた、その言葉。

    「無原罪の宿り」がカトリックの教義として公認されたのは、聖母出現の4年前。
    人々の批判や好奇の目にさらされたベルナデットは、このお宿りの教義によって救われたと言える。


    地下聖堂入り口付近。

    この角度からは見づらいけれど、前を歩く人たちの左側には漆黒の坐像があり、通路右側に置かれたベルナデットの画像の辺りには、右へ折れる通路がある。


    その坐像。

    手に鍵を持っているので、この坐像の人物はペテロかと思われる。
    (ペテロは天国の門を守っていて、イエスより、その鍵を授かっているので)
    そしてこの坐像のつま先が妙に光っていることでも、この坐像はペテロと思われるかと。


    画像を加工して、明るくしてみた。

    つま先部分がぴかぴかに光っているのは、ここを通る多くの信徒たちが、この部分に触れていくため。
    泉の洞窟の岩肌が多くの人に撫でさすられて光沢が出ているように、ペテロ像の足は信者が赦しや恩恵を求めて触れるので、(ペテロが足萎えを癒すという逸話からくるものかと思うのだけど、実際のところは判らない) ぴかぴかになっている。


    長く続く廊下。


    入り口方向を振り返る。


    礼拝堂入り口。

    この礼拝堂の入り口には、画像では少々判りにくいけれど、ガラスの扉がある。
    そして、画像には映っていないけれど、扉の前には2人の警備員がついていて、この付近の写真はすごく撮りにくかった。撮影禁止ではないのだが、「静かに!」という表示の多さと警備員の存在で、ちょっと萎縮してしまうというか… 普段通りに写真を撮りまくれる空気ではなかった。







    ひっそりと息を詰めるようにして礼拝堂を見学したあとは、先ほど通り過ぎた通路の方へ。




    引きで見るペテロ像。



    この辺りの内部装飾は見事なので、【Bigsize Photo】がご覧になれる方はぜひどうぞ。礼拝堂内の写真もそこそこあります。






    地下聖堂から上部聖堂へ。


    扉の内側から観たルルドの街。


    700人を収容できる礼拝堂内部。

    この天井高で判る通り、上部聖堂はゴシック建築で、1866年の着工から5年の歳月をかけて完成した。









    礼拝堂内部に飾られたステンドグラスは、礼拝堂の左がベルナデット、右が聖母の物語を描いたもの。




    初めての聖母降臨の場面。


    礼拝堂の規模の割には小さなパイプオルガン。


    と思ったら、振り返った入り口上部に巨大なパイプオルガンが。


    真下から見ると結構な迫力。

    上部聖堂の礼拝堂をゆっくり1周してから外へ出てみると、雨雲の切れ間に青空も見え、天気が少しだけ良くなっていた。
    ので、私はフォレ通り渡って、十字架の道へも行ってみることにした。


    山肌を横切るような十字架の道。


    十字架の道から見る上部聖堂。










    木々のすきまから、ルルドの街が見え隠れする。

    十字架の道は、イエスがローマ総督ピラトから死刑の宣告を受け、自ら十字架を担ってゴルゴタの丘へ向かい、そして刑にかけられ息を引き取るまでの場面をたどるもの。ほぼ等身大のキリストの受難の場面を、ある人は瞑想しながら、またある人は祈りを捧げながら、山道を登っていく。













    等身大で繰り出されていく受難の場面は、顔の表情のしわまで見て取れ、夕暮れや夜にここを訪れたらかなり怖そう。
    …というか… いるの。夜、ここに登って行く人たちが。それもたくさん。
    ろうそく行列が始まると、多くの人はロザリオ広場を囲むように場所取りをするのだけれど、この山道に登って行く人たちもまた、多くいる。祈りの形はさまざまなのだと思う。
    【BigsizePhoto】では、もっとたくさんの場面を、人物の表情まではっきり判る鮮明さでご覧いただけます。



    十字架のお山巡りをしたあと、ちょっとだけ洞窟によってみると、洞窟前の広場にはやっぱり人がたくさんいて、泉を見るために並ぶ人の列は長く続いていた。
    私は洞窟の泉をしばらく眺め、それから聖ピオ10世地下大聖堂へと向かった。



    インフォメーションセンターや書店など、小さめな建物の集まる間で、地下大聖堂の入り口を探す。


    大聖堂の入り口。


    聖堂内の聖ピオ10世像。

    聖ピオ10世は1835年6月7日、北イタリア・リエセの生まれ。1903~14年の11年間、教皇に在位。
    『一切をキリストにおいて回復させる』という教会改革を行い、『燃ゆる火』と称された敬虔な教皇で、1914年没。1954年列聖。





    聖ピオ10世地下大聖堂は、聖母降臨から100年を記念して建設された聖堂で、1958年に献堂式が行われた。
    面積は12000平方m、長さ191m、幅61m。世界で最大規模の建造物の一つであり、2~3万人を収容できる。建物はノアの箱船をイメージしている。



    回廊に沿って小窓が並び、そこには52個ものステンドグラスが飾られ、15留(15場面)の十字架の道、ベルナデットと聖母出現の物語、さらに15のロザリオの奥義が表現されている。









    ↓聖ピオ10世地下大聖堂内部とミサのミニ動画。


    *IE以外で動作確認出来ていません。Flashを使っているため、ipadやiPhoneなどのapple系やスマホではプレイヤーが反映されません。
    その場合はこちら【聖ピオ10世地下大聖堂】へどうぞ。


    サンクチュアリ内の書店。


    本のフロア。


    雑貨とお土産品のフロアも。



    私はここで、ブログの方にいらしてくださっていて、住所の交換などをしている方々にお揃いのお土産を買い、それから絵はがきもたくさん買った。
    それらを持っていったん部屋へと戻り、休憩がてらはがきを書いて、メールと拍手コメントへのお返事も書き…
    こんなにバタバタしていても文章を書くことに気持ちを惹かれ、それをしないでいられない自分がおかしくて、そして、例えばWeb上で不特定多数の人たちに向けてUPするためのものでなく、個人へ向けたほんのささやかな私信であっても、私には文章を書くことが楽しくて、それをとても嬉しく思った。

    私はこの2回目のフランス旅行で、約80通ほどの絵はがきを送った。
    日本へ。そして、いくつかの国々へ。
    全部が無事に届いているといいのだけれど。

    その日に出すはがきを手に、私はまた部屋を出て、今度はグロット通りを街の奥へ、泉とは真逆の方向へと向かった。
    グロット通りはルルドの街を長くうねうねと這うようなメインストリート。私がルルドの到着日に泊まったエリザベスのレジデンスの前にも通っていたし、そこからガヴ・ド・ポー川を渡ってサンクチュアリの横を過ぎ、さらにビュー橋を経て街の奥のルルド城塞方面までも延びている。




    グレヴァン美術館。

    ここでは100体以上の蝋人形で… と私が説明するより、【こちら】を見た方がずっと判りやすい。




    こんなに近く見えるルルド城塞。やっぱり頑張って行けばよかった。


    地元の人に人気のレストラン Grill Alexandra。


    鍋やフライパン、皿などがびっしり貼りこまれた外観が特徴的。


    “のん ふらんせ”の旅行者には恐怖の黒板メニュー(笑)

    パリやベルサイユや… ルルドでもそうだけれど、観光していて現地の人に話しかけると、よく聞かれるのが 「フランセ? ノンフランセ? アングレ?」というワンセットで、「フランス語話せるの? ダメ? 英語の方がいい?」という流れ。
    私はきちんとした食事はあまり取らないので、レストランに入ることはあまりないけれど、この黒板メニューは本当に苦手。料理の名前自体もよく判らないのに、料理や素材のイメージをやたらと装飾する語が付くから意味が判らない。
    それでもせっかくミディ=ピレネーまで行くのだから、“ぜひ郷土料理を食べてみたい”と思っていたので、出発前からこのお店に来るつもりでいた。
    が。
    Grill Alexandraは、残念ながら閉まっていた。
    事前の下調べでは年中無休のはずで、昼の営業時間中でもあるのだが。
    ううむ…
    閉まっているものは仕方ないので、私は次の候補に考えていたお店に行ってみた。



    ここもクチコミサイトで観光客の評判の良かったお店で、年中無休のはずだったのだが… 閉まっていた。
    時間帯的にも営業中のはずなんだけどなぁ。
    なんとも残念な気持ちで、私はしばらくお店の中の様子をのぞいてみたりしていたが、人のいる気配はなかった。
    ちなみにこのLE CABANON、久しぶりに検索してみたら、見つかりませんでした。2015年のトリップアドバイザーでは、上位だったんだけど…




    街を走るプチトレイン。

    この可愛らしいトラムは、街の主要な観光スポットを巡っている。
    私は乗らなかったので、料金などの詳しいことは忘れてしまったけれど、確かこのトラムの乗車券と、主要な観光場所の入場券がセットになった割安のチケットがあった気がする。



    この日は結局、帰る道すがらにあちこち小さなお店に寄り、サラダやエクレアなど、ちょっとした食料を買い、スープだけは自炊の夕食になった。


    夜7時過ぎのロザリオ広場。

    ルルドに着いた夜の泉が1番すいていたので、この日、私は同じような時間に洞窟に行ってみた。出来るだけすいた状態で、もう1度ゆっくりじっくり泉が見たかったのと、洞窟でやってみたいことがあったからだ。


    まだ人の集まる洞窟前の広場。


    岩肌から染み出る清水。

    十字架の道を巡った帰りに少しだけ洞窟に寄ったとき、私はちょっとびっくりする光景を見た。
    ペーパーナプキンを手にした女性が、それを洞窟の壁に押し当て、岩肌から滲み出る水を直接吸わせていた。
    頭いい~!
    ごつごつした岩壁の洞窟には、聖母像が立つ。その足元の壁から滲み、岩肌を濡らしていく雫は紛れもなく奇跡の泉の一滴。
    純度100%の。
    それを見た私は自分も絶対やってみたいと思い、ペーパーナプキンをしっかり持って来ていた。





    このペーパーナプキンは大切に持ち帰り、そして小さく切って、サンチーム硬貨とともにキーホルダーに加工し、この年のオフ会の際にお配りした。


    常に人の絶えない水汲み場。


    水を汲む。

    翌日にはルルドを発つ私は、前日のこの夜、日本から持ってきたペットボトルにせっせと水を詰めた。
    この水汲み場には面白い話があって、右から何番目の蛇口が本物だとか、いや、左から何番目が本物だとか、そんなふうに言う現地の人がいる。
    私はその話を、旅行雑誌のルルドの特集で読んだ。
    小学生じゃあるまいし、んなアホな。
    そうは思ったけれど、でも私は実際水を汲むときに、雑誌で見た「本物」と言われていた蛇口を意識して水を汲み、その蛇口から汲んだボトルには印をつけた。
    それから、いくつも持っていったペットボトルになるべく蛇口を分散させて水を汲み、しっかりふたを閉め、さらにジップロックに入れた。
    “んなアホな”と思いつつ、でも“どれが当たりか判らんし”などと、雑誌の影響をすっかり受けている自分にちょっと笑えた。
    そんなふうに念入りに水を汲み…
    でも結局、私は翌日の早朝、全部のボトルの水を同じような手順で汲み直した。
    ルルドを発つギリギリ、出来るだけ新鮮な泉の水を持ち帰りたかったからだ。
    出発日にバタバタしたくない。
    そんなふうに思って前日にしっかりパッキングしたというのに、それを全部開けて水を汲み直して。
    自分でも“二度手間で馬鹿なことをやっているなぁ”と思ったけれど、私にはこの水を届けたい人たちがおり、そのことを思うと、やっぱり人も少なな早朝から起き出して、水を汲み直すぐらいの労を惜しむ気にはならなかった。


    陽が落ちてきて、人の集まりだすロザリオ広場。


    いくらか明るさの残る西の空。この時点で夜9時半。








    手の中の灯りの波を、静かに進む聖母像。






    皆が手にしているぼんぼりは、無人販売所で買える。







    ロザリオ広場に押し寄せる小さな光。それはサン=ジョゼフ門まで続き、海の中の夜光虫のように揺れている。広場を囲む袖廊の上に、上部聖堂のテラスに、十字架の道の中腹にも揺らめく光の帯が浮かび、美しくまばゆかった。
    祈りと歌声は何層にもなって響き、その中を聖母像と輝く十字架が進む。
    それと歩みを合わせる者。
    広場でその訪れを待つ者。
    忙しく走り回っているボランティアや関係者たちの姿。
    もう来られないかもしれない場所だから、私はあちこちと場所を変え、出来るだけ多くの場面をと、懸命に見ていた。
    急峻な山あいに小さく開けたサンクチュアリには複雑な風が吹き、そこにガヴ川からの川風が混ざり合って、手にした灯りを消してしまう。押し寄せる人波の中で、人々はぼんぼりの中のろうそくを傾けあい、ともる火を分けあいながら、ルルドという類まれな奇跡の地でそれぞれの祈りの中にいた。
    小さな子を背負って広場に跪き、天に手を差しのべて祈る父親や、ストレッチャーに横たわってロザリオを握っているお年寄りや、まだ若く、ギャルギャルしいお嬢さんのケバいアイメイクの奥に映るろうそくの柔らかい光。
    個々の祈りはミサの流れに乗って昂まり、そして。
    ミサが終わった瞬間、人々は大きな歓声を上げる。
    それはピレネーをいただくスペインとの国境近くという土地柄のせいなのか、ひどく陽気な歓声だ。
    私は初めてろうそく行列のミサを観たとき、これに1番驚いた。
    キリスト教最大の巡礼地。
    そのミサの終わりに、人々からの声が沸きあがるのは想像できた。でも私が想像したのは、神への畏敬や祈りへの深い集中からくる重い息遣いのような、重厚な歓声だった。
    でも、ろうそく行列の最後にあがる歓声は、きわめて陽性なもの。まるでロックフェスのフィナーレのように、テンションの高い声がそこここからあがる。
    そして、大音量でかき鳴らされるアコースティックギター。
    激しく情熱的で、少し哀愁を含んだその音色に、人々はノリノリで歓声をあげつつ、近くにいる人と握手をしあい、抱き合い、熱っぽい盛り上がりを見せていく。
    ルルド最終日のろうそく行列、私はロザリオ聖堂の向かって右側の袖廊から、この様子を見下ろしていた。
    すると、背後からフランス語で声をかけられた。
    「あなたは日本人でしょう?」
    渋めの亜麻色ショートヘアの、年配の女性だった。
    「ええ、私は日本人ですけれど」
    私がそう答えると、女性は少し離れたところにいる男性を指し示した。どうやら家族か、一緒の巡礼グループらしい。
    「日本人と話したいという人がいるのだけど、いいかしら」
    女性がそのように説明していると、その男性も会話に入ってきた。
    「お嬢さんは日本人?日本から来たの?」
    「はい。私は日本人です」
    「そう。よく来た。よく来たね」
    おじいさんは私を軽く抱きしめて、ニコニコと笑った。
    それがきっかけで、私の周りにいたたくさんの人も私に握手の手を差し出し、小さな抱擁を交わしてくれた。
    このことは、ろうそく行列で揺れるたくさんの灯りとともに、ルルドの大きな印象の1つになっている。

    ちなみに。
    男性が私に言った「お嬢さん」という言葉。
    みのもんたじゃあるまいし、という感じだが、2013年に初めてフランス1人旅をしたときは、7~8割がた、私は“mademoiselle”と呼ばれた。
    が。
    この2015年の旅行では、9割ぐらいの確率で“madame”と呼びかけられている。
    この歳になると、2年の時の経過は大きいということか(笑)
    (注:フランス政府はmademoiselleという言葉について女性団体から是正を求められ、2012年に公文書での使用を廃止。政府の公文書においては、女性は既婚・未婚を問わずmadameの称号に統一されている)

    また、私は旅の回想録の中でしばしば“おばさん・おばちゃん”とか“おじさん・おっちゃん”という表現を使っているけれど、これは私自身の亡き母の年齢を基準にしている。
    母が生きていれば、という年齢より年上なら“おばさん・おじさん”で、亡き祖母より年上ならば“おばあさん・おじいさん・お年寄り”だ。


    絵はがき。

    この風景は夏のろうそく行列だ。
    夜11時近くまで陽の落ちない夏時間のフランスでは、ろうそく行列は夕焼け混じりのこんな幻想的な風景になる。


    物乞いの犬たち。

    ルルドを旅した旅行者や巡礼者のブログを読むと、「幸せに満ちた素晴らしいところ」とか、「心の洗われるような聖地」といった感想も多く見られる。
    けれど。
    ルルドは、とても物乞いの多い街でもある。
    道のあちこち、特に必ず人が通る橋には、物乞いが何人もいる。
    小さな敷物を敷いて座り込んでいる人や、まだ小学校低学年ぐらいに見える少女の物乞い、動物を連れている人も何人もいた。
    橋を渡る私に、すがりついてくる少女。
    「マダム、サンタマリアのお恵みを」
    「わたし、アイスクリームが食べたいの」
    そう言って、私の手にくちづけ、足並みをそろえてくる。
    この少女にいくらかのお金を渡すのは簡単なこと。しかし、パリでもそうなのだが、こうした子供の物乞いには、たいがい少し離れたところにそれをやらせている大人がいる。
    人の善意につけこむような、職業的物乞いと言えなくもない。もちろん本当に困っている子供の物乞いもいるのだろうけれど。
    また、義足をつけたり、障害を負った物乞いの姿も見られ、私もそういうときは、小額だとしても寄付をしようかと思うのだが… 何が難しいって、それは橋などには3人も4人も物乞いがいて、1人に寄付をしたら次々と恵みを求める人が集まってきて、どうにもならなくなる場合があることだ。求める人すべてに与えられるほど、こちらも裕福な旅をしているわけではなく、また、そこでいったんは施しをしたとしても、それが終わりではない。その人たちはこちらの顔を覚えていて、次に通りかかったときにもまた、恵みを求めてくるのだから。
    無限ループで続く、求め。
    どう応えればいいのか。
    求められるまま、次々と施しをしている人も見かけたし、足早に通り過ぎる人も多かった。
    ルルドを慈愛と幸福に満ちた奇跡の地と感じ、思った通りのところだったと満足して、感動に浸りながら帰国する人々の裏に、街のあちこちでうずくまる多くの物乞い。
    どうすればよかったのか。
    私には未だに判らない。

    写真の2頭の犬は、成人男性の物乞いが連れていた。
    男性は路上に座って、ろうそく行列から戻る人並みに声をかけていたが、何か用があるのか、ふと犬たちを置いていなくなった。
    よくあることなのだろう。犬たちはあとを追う様子も見せず、おとなしくそこにいた。
    私は少し離れたところから、結構長い時間、その様子を見ていたが、私の見ているうちに男性が戻ってくることはなかった。
    2頭は静かに伏せて飼い主を待ち、左側の犬がご主人のリュックをしっかり守っているのが印象的だった。
    薄汚れてぼろぼろの毛並みの犬たちが、ご主人に傾ける忠誠。
    物乞いという生活をしながらも、この犬たちを大切にしているのであろう飼い主の男性を、尊く思った。


    【ベルナデットの奇跡の泉 -ルルド- 5】につづく
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