フランス旅行回想録 【 Voyage 】

こちらは管理人のフランス旅行記です。
旅行前の準備のこもごもや、旅行中にフランスからUPしていた雑文、帰国してからの回想録などを置いています。

★2013/5 回想録
旅行準備から現地UP版までは、かつて【Hermitage】というおまけノベルを集めたブログにUPしていたものからの転載。
回想録からが、この「Voyage」でUPしはじめたものです。
(今はクレーム等により一部公開していません)

また、この旅行記には、追随するコンテンツとして【Webアルバム】がございます。
アルバムでは、管理人の訪れた各地の画像が2000px以上の大判サイズでご覧いただけます。
ベルサイユ宮殿や大小トリアノン宮などのお部屋が、壁紙の模様や扉のひび割れまで見える詳細さでUPされております。
スライドショーにすることも出来ますので、ご覧になれる方はどうぞ。
全部で1183枚の写真がご覧いただけます。

★2015/4 回想録
2015/6/12よりUPを始めました。
こちらもWebアルバムをUP中で、ただいまは3410枚の画像がご覧いただけます。
最終的には、およそ5500枚程度のアルバムになる予定です。

 



    ルルドで迎える最初の朝。
    むくっと起きると、朝6時過ぎだった。
    …やっちまったな…
    起きてすぐ思ったことは、前回のフランス旅行で思ったことと同じだった。
    シャワーから出て、濡れ髪にバスタオルを巻いたまま半裸で寝つぶれるというパターン。デジカメやipad、wifiなどの充電もせず、その日にもらったパンフやリーフレットやチケット類の整理もせず、ベッドに入ることもなく、ベッドスプレッドの上で行き倒れ。
    とりあえず私はケーブル類とプラグを出して、充電を始めた。他の不都合や不具合があったとしても、電気系のものが動いてくれないことにはどうしようもない。
    充電、間に合うんだろうか。
    身支度ができたらすぐに出かけるつもりで、窓から外の様子をうかがうと、まだそれほど明るさは感じられなかった。が、天気が悪いわけではないようだ。
    普段から化粧はしないので、今回の旅行にも化粧道具はおろか、化粧水や乳液すら持って来ていない。そのため、仕度といっても髪をしばるぐらいなのだが、トラベル用の変圧器が内臓されたドライヤーは風力が弱く、なかなかすっきり乾かない。私はドライヤーをかけながら連獅子のように髪を揺らして、わっさわっさと乾かした。
    私はくせのある髪質で、長さは腰近くまであるが、これはどこのオスカル・フランソワ気取りでもなく、この長さがないと髪が下へ向かわないためだ。くせの強い剛毛なので、肩甲骨あたりより短くしてしまうと、パセリやブロッコリーのように髪が広がる。おまけに毛量も多いので、乾かすには時間がかかる。
    出力のいまいち足りないドライヤーにちょっとイライラしながら髪を乾かし、それを高めの位置でシニヨンにする。それから、脱ぎ着のしやすいシンプルな服に着替えて、私は忙しく部屋を出た。


    ひと気のないグロット通り。




    まだ街灯がともるサン=ミッシェル門。




    早朝のミサを終えて戻るらしい韓国人グループ。


    日本人の感覚では珍しく思える黒いラッピングの花束。




    洞窟前での朝のミサ。

    ここでの朝のミサは、比較的短めなもの(み言葉のみ)が繰り返し行われている。
    この洞窟前では、短いものだけでなく、聖体拝領のあるミサも行われているので、ルルドに着いたらタイムテーブルをもらっておくといい。
    (聖体拝領:Wikipediaより カトリック教会は古代から現代に至るまで、ミサを毎日、絶えることなく続けてきた。カトリック教会では聖体の秘跡、すなわちパンとワインがイエスの体と血に変わることと、それを信徒が分け合うこと(聖体拝領)がミサの中心である。ただ、パンといってもイーストを用いた一般的なパンが使われることはあまりなく、ほとんどの場合、ホスチアと呼ばれるうすいウェハースが用いられる)


    タイムテーブル。

    このタイムテーブルには、ルルドの美術館・博物館・公式ショップの営業時間と、さまざまなイベントやアクティビティの開催時期・時間、サンクチュアリ内各場所で行われるミサの曜日やスタート時間などが載っている。じゃばら状の折りたたみになっていて、広げると上の画像よりももっと横長で情報量も多い。
    裏面はサンクチュアリのイラスト地図なので、持っているととても便利。
    街のツーリストオフィスやサンクチュアリ内のインフォメーションでもらえる。ホテルのレセプションにもある。





    インフォメーションにはパンフレットやリーフレットがたくさんあるので、行けなかったところはパンフだけでももらって帰れば、旅の記念になるかも。


    沐浴所。

    私が沐浴所まで来ると、待合所には男性が1人座っているだけだった。
    沐浴所への入り口は、テーマパークでのライドのように、柵でレーンが作られている。私はそこを、折り返しながらうねうねと進んだ。
    女性側では私が1番乗りだったけれど、細いレーンが終わり、待合い用のベンチが並べられた空間に出たところで、真後ろにいた女性が私を追い越していった。


    待合所の中央部分。

    ここが待合所全体での真ん中にあたり、沐浴を待つ間はここでも短いミサのようなものが繰り返される。
    …といっても、ここで行われるものには司祭はいなくて、なんといったらいいのか…、うーん… 司祭のすること(いわばお祈りの進行役)を、希望した信徒がするというか…
    画像の左側に写った小さな台。そこにはノートが置いてあって、この役目を希望する人がそこに名前を書いているようだった。(ここに名前を書いたあとは、沐浴希望の人々とは違うベンチに座って並ぶ)


    入場手前の外待合のようなベンチ。

    沐浴希望の人は、まずたくさん並べられたベンチに詰めて座る。
    私が順番待ちのベンチに座ったのは1列目の2番目だったけれど、この順番は、沐浴が始まってみないと判らない。車椅子に乗った人や介助の必要な人が優先されるからだ。
    時刻を確認すると、7時少し過ぎ。
    『沐浴するなら、必ず7時半には行くのよ』
    閑散とした待合所で、エリザベスの言葉を思い出す。
    約200人もの人が座れる待合所だけれど、観光や巡礼によい気候になると、ここには座りきれないほどの人で溢れかえるという。2~3時間待ちは珍しくなく、繁忙期には4時間待ちにもなるとか。
    前夜にエリザベスと話したとき、彼女は街の薄い観光案内ガイドを開きながら、“午前の沐浴をするなら、7時半ぐらいには沐浴所に着いていた方が良い”とアドバイスしてくれた。
    まだひと気のない沐浴所は静かで、聞こえるのはガヴ・ド・ポー川の流れと、洞窟前で行われているミサの歌声だけ。
    私はそれを聞きながら、沐浴が始まるまでの1時間半を、拍手コメントとメールへのお返事を書いて過ごした。私は文章を書くことが本当に好きで、よほど忙しいときでなければ、拍手コメントへのお返事も長い。返事の長いことで恐縮されたりする場合も多いけれど、それは私が頑張って長文の返事をしているのではなく、短い文章が書けない病気なだけだ。文章を書くことが楽しすぎて、ついそうなってしまう。
    そしてこの時もお返事を書くのに集中していて、ハッと気づいたときには、川沿いの道にはぞろぞろと人が歩き、沐浴所横の柵で仕切られた並び口にも人が続々と詰めかけていた。
    …始まるまで、あと30分。



    時刻が8時半近くになると、沐浴所のあちこちにはサンクチュアリのスタッフやボランティアの姿が見え始め、上の画像の扉が開いた。
    残念ながら、その時のこのあたりの写真は撮っていない。沐浴が始まる前ならいくら写真を撮ってもかまわないけれど、沐浴所が開かれて、スタッフが立ち働き始めると、この中央付近で撮影するのは禁止になるからだ。
    ちなみにこの扉は、ここ1か所だけではない。
    言葉で説明するのが難しいので、図で示すとこんな感じになる。


    沐浴所見取り図。

    これはまったく以っていい加減な見取り図なので、縮尺は間違っているし、部屋の広さや扉の大きさにも整合性がない。イメージだけ伝わればと思って、ざざっと描いた適当なものだ。扉の数も適当で、実際にはSTAFF ONLYの小さな扉もいくつかあり、これは本当にざっくりとしたイメージだけの図になっている。
    沐浴が始まると、流れをしきっている男性が待ち合い用のベンチの1列目に来て「あなたから、あなたまで」といった感じで、数人ずつを各扉横のベンチに移動させる。(見取り図の緑色の部分)
    待合用ベンチ(見取り図のオレンジ色の部分)では、席の空いた部分はどんどん詰めていきながら、司会役の進行で聖書の暗唱をし、賛美歌を歌いながら沐浴の順番を待つ。
    一方、扉横のベンチに移されたグループは、次には中待ち合いのベンチに移される(見取り図で黄色の部分)。それからようやく、沐浴用の小部屋に呼ばれる。それが沐浴の手順だ。

    スタッフが忙しそうに動き、人のざわめきが大きくなる。
    時計を見ると、8時40分。
    私が待合用のベンチに座ってから、早くも1時間半が経っていた。
    この時の気温は10℃。
    沐浴所のスタッフやボランティアには、ジャケットどころかマキシ丈のダウンコートを着ている人もいて、じっと座っていると結構体が冷える。
    4月も末とはいえ、山並みには雪の残るミディ=ピレネー。吹き降ろす風はガヴ・ドポーの川面を走って、よりいっそう冷たさを増している。
    私は脱ぎ着のしやすさを考えて、かなりの軽装で沐浴所に来ていたため、2時間近くにもなった待ち時間は、“長さ”よりも“寒さ”の方が印象に残っている。

    この日のこの時間、女性用の待合所に車椅子で訪れた人はいなく、私は並び順の通り、沐浴の1番目のグループとして、建物の中へ呼ばれた。
    開かれた木製の扉には、中が見えてしまわないように青と白のストライプの布がかかっている。その布を押しのけて中に入ると、たいして幅のない細長い廊下に出た。(見取り図の中待ち合いの部分)
    中待ち合いにもベンチや椅子が並んでいて(見取り図の、黄色の部分)、次のグループの人たちはここに座って、沐浴室が空くのを待つ。
    中待ち合いには1から順に番号が振られた入り口が並んでいて、私は他の人たちと一緒に1番の沐浴室に通された。
    (こうした番号を振られた入り口は、中待ち合いの廊下にずらりと並んでいて、確か11番ぐらいまであった気がする)
    沐浴室のざっとした見取り図は、以下のとおり。



    私は5人ほどのグループの2番目として、1番の部屋に通された。
    出入り口は扉ではなく、床面まである大きな布が掛かっていて、ちょっと重い。それをめくるようにして入っていくと、そこはとても小さな脱衣所だった。むき出しの石造りなので圧迫感があり、中には世話係のマダムが2人いた。(見取り図で、手形で表しているのが世話係。たぶんボランティア)
    私たちグループと世話係のマダムの合計7人で、ほぼいっぱいいっぱいの広さ。
    マダムは私たちに椅子を指示して、仕度をするよう促した。
    私が使うように言われたのは、沐浴室に向かってすぐの左側。
    壁側に並べられた椅子の上あたりには頑丈そうなフックが壁付けされている。(沐浴室見取り図の黄色い丸の部分)
    フックの上にはさらに棚があり、ジャケットやブラウスやスカートなど、引っ掛けられるものはすべてフックにかけて、掛けきれないものやバッグなどは棚に乗せる。椅子の上にたたんで置こうとすると、「全部フックに掛けて。椅子の上に置いてはいけません」と注意されてしまう。
    こういった手順の説明はフランス語だったが、聞き取れなくても雰囲気でだいたいなんとかなった。
    上下ともにある程度服を脱いでしまうと、マダムが背後からマントのようなものを羽織らせてくれる。それは体がすっぽり隠れるほどに大きく、マダムはしばらくマントをちょうどいい高さで持っていてくれるので、下着などはそのマントの中でゴソゴソ脱ぐ。プールで着替えるときの、ラップタオルの大きい版のような感じだ。
    ただ面白いのは、真っ裸まで脱げと言っておいて、でもブラは着けたままでいいというところ。なんでか判らないけれど、とにかく全部脱いで、でもブラだけは、マントの中でも着けたままでいるように言われた。
    そこまで仕度ができると、マントのあわせを左右の手でしっかり持つように言われ、さらにその両手を首元あたりで交差させるように指示される…というか、マダムに手をつかまれて、そのような状態にされる。
    見た目的には、襟元をしっかり掻き抱いたテルテル坊主のような姿になるのだが、マダムたちはテルテル坊主を1つ仕上げると、すぐに次のテルテル坊主製作に取りかかり、狭い脱衣所の中で忙しそうに立ち働いていた。
    私がそんなふうに沐浴の準備をしていると、1番目の女性が沐浴室に呼ばれた。
    沐浴室の入り口にも、扉代わりの大きな布が掛けられている。その女性が布の向こう側へ入っていくと、次には私に声がかけられた。
    「ここで待っていてください」
    そう言いながら、マダムが私の肩を布扉の前まで押していく。
    中から聞こえる水の音。
    その頃には、他にもある沐浴室からも人々のやり取りやざわめきが聞こえていて、ときおり高い声などもあがっていた。
    素っ裸にブラだけ着けて、マントを羽織って。
    ここがもし街中の夜道で、私が男性の前でやおらマントのフロントを開けば、立派な痴女といういでたち。
    ブラマントの絵づらを客観的に思い浮かべると、かなりマヌケな姿だが、脱衣所では皆、笑っている余裕などない。
    それは、泉の奇跡や聖母降臨への厳粛な気持ち…というよりは、沐浴所があまりにも混んでいるので、皆に“なるべく手早く身仕度をしなくちゃ”という意識が行き渡るからかと思われる。
    外で待つたくさんの人々。
    ある程度の時間になれば、沐浴の列も締め切られる。
    “1人でも多くの人に順番を回せるように”
    マダムたちに言われたわけでもなく、でも脱衣所にいる人たちにはなんとなくそういう気持ちが漂っていて、皆、狭い中でもくもくと自分の仕度をしていた。
    そして、布扉の前での短い待ち時間のあと、先に入った女性と入れ替わりで、私はようやく沐浴室の中に招かれた。
    1歩中に入ると、浴槽は自分が立っている床よりも低いところにあった。
    私の背後で布扉が閉められる。
    足元には、浴槽へ下りていく数段の石階段。
    まずは沐浴室での世話係のマダムが私に話しかけてきた。(見取り図で、ピンクの手形で示したあたり)
    「フランス語と英語、どちらがいいですか?」
    「…英語でお願いします」
    「ではまずタオルを巻きます」
    と、そこからマダムは英語で説明してくれて、私がすっぽりと着こんでいたマントを開いた。
    すると、他に2人いたマダムたちがサッと寄ってきて、私に白いバスタオルをきっちり巻きつけた。そして、それをしているあいだに、英語を話すマダムが、私からするりとブラを剥ぎとっていった。
    なんという手際の良さ。
    私は一瞬で胸元から下をバスタオルで包まれた湯上りの女のような格好になり、次いで、ゆっくり階段を降りて、浴槽へ入るように言われた。
    階段は3段ぐらいしかなかった(ような気がする)が、世話係のマダムがそれぞれ右手と左手を引いてくれる。
    「気をつけて、ゆっくり」
    そう言われながら1段、そしてもう1段と降りると、足の先が浴槽に張られた泉の水に触れた。
    ……冷たい。いや、マジで。
    泉の水はなかなかに冷えていて、それは予想はしていたけれど、ごく当たり前に山の湧き水の温度だった。
    一見石の棺桶のようにも見える浴槽。そこに降りると、水位は太ももぐらいだった。
    「聖母へお祈りを。あなたのやり方でいいのですよ」
    そう言われたので、私は普段自分がしているのと同じようにお祈りをした。
    それはカトリックの正しいお祈りとはちょっとずれているのだが、付け焼刃で慣れないことをするよりも、マダムに言われた通り“自分のやり方ですること”に、私にとっての意義があると思い、そのようにした。
    浴槽の奥の壁には小さな聖母像(画像☆の部分)がささやかに置かれ、私に束の間、私だけの時間が与えられる。
    ここで一心に祈ることが出来れば良かったのだが、そこは日本人の悲しい習性。“待たせちゃ申し訳ない”という気持ちが頭の中でチラチラして、結構気が散ってしまった。
    私がお祈りしていた時間は、たぶん1分少々。
    これは本当に、人によってずいぶん違うよう。私はルルドで3回沐浴する機会が持てたのだが、沐浴にかかる時間は人によってずいぶん違った。
    沐浴室の中に入ってから、ずいぶん長く出てこない人もいたし、中からなにやら悲鳴が聞こえることもあった。沐浴室から出てきて脱衣所でマダムの手を握り、延々と何かを語っている人もいた。そういうことは珍しくないようで、1人のマダムが誰かに付きっきりになってしまうと、いつの間にか脱衣所にマダムが増えていたりもした。
    狭い脱衣場の中は、ときに9人にも10人にもなり、濡れた体で服を着ようとする人が手間取っていたり、一人では歩くのが難しい人や着替えの出来ない人もいて、かなりの混み具合になったこともあった。
    私は少々気の散った状態で短いお祈りをし、それから私のブラを手に握ったマダムの勧めで、聖母像に頬をつけた。
    すると沐浴室にいた3人のマダムたちが聖母へのお祈りの暗唱をしてくれたので、そのときには私も改めてまた、心の中で自分なりの祈りの言葉を繰り返した。
    そして。
    左右からマダムたちが私の肩やひじを取り、浴槽の中にしゃがみこむように言う。
    でも私は左の膝を何度も手術しているために、しゃがむという姿勢が出来ない。そのため、膝を伸ばした状態で浴槽の底面に直接座ってしまうことになった。
    「よ…っ」
    両側から抱えられているので、かえってバランスが取りにくく、ふらふらしながら姿勢を低くしていく。
    そして私が座れたか、まだ座れないかの瞬間。
    「ざばあぁっ!」
    耳元で大きな水音がして、私は仰向けに浴槽の中に引き倒されていた。
    …おいっっ!!
    顔面は出ていて、耳が浸かってしまわない程度に浴槽に沈められ、冷ったい泉の水を全身で感じる。
    でもそれは、時間にすれば2秒か3秒のこと。
    すぐに引き起こされて、そのまま立たされ、奇跡の泉の沐浴は暴力的なほどの勢いで終わった。
    複数ある沐浴室のあちこちから、時おり聞こえてきた悲鳴は、この一連のためだったのだと妙に納得した。
    再び階段をのぼると素早くブラを着けられて、バスタオルをはがされると共にマントを巻かれた。
    このマントは、他の旅行者のブログを読むと“バスローブ”と表現されたりしているのだが、厚手でしっかりした生地といい、黒とも濃い紺とも思える色といい、私にとってはマントにしか見えなかった。
    中身の濡れたテルテル坊主になった私が脱衣所に戻ると、世話係のマダムが近づいてきて、私のマントをさっと開いた。
    「私が持っているから、椅子に座って着替えてください」
    フランス語だったので定かではないが、このようなことを言われたらしかった。
    「うい。だこーる(はい、判りました)」
    私がブラいっちょの姿で椅子に座ると、マダムがマントを広げて私を椅子ごと囲いこむ。
    ああ、このために椅子に物を置いてはいけないと言っていたのか!
    そんなことを考えながら、手早く身仕度をする。フックに掛けてある服はマダムが取って次々渡してくれるので、濡れて水滴のついた体のまま、どんどん着ていく。
    ある程度まで仕度が出来ると、マダムはマントをたたんで別の沐浴者の手伝いに行った。
    …ほっ。
    ざわざわと忙しそうな脱衣所のすみ。靴下を履いて、それから左足に装具をつけて。
    そうした日常的なことに手を動かしはじめて、私はようやく、ほっと一息ついた。
    沐浴室にいたのは、恐らくたかだか5~6分。
    そんな短い一連の出来事に、結構落ち着きを失っていたことに後から気づく。
    マダムたちにお礼を言って、すれ違う人たちとも小さく声を掛けあいながら沐浴所を出ると、待ち合い用のベンチは順番待ちの人々でいっぱいだった。

    沐浴所の内部は、当然ながら撮影禁止。…というより、撮影をしようとする人が、そもそもいない。
    なので、ルルドの街の観光ガイドに載っている沐浴の様子の画像を転載してみる。


    沐浴風景。

    この画像はたぶん、ざばぁっとやられる直前かと思われる。
    このように両側から介助されて、泉の水に浸る。そして、いきなり仰向けに倒されるのだ。
    でもこれもいろいろなようで、旅行者のブログや巡礼団体の体験記などを読むと、ただ浸るだけだった人もいるし、倒されるにしても、それほどいきなりではなかった人もいる。
    それは担当するマダムたちのキャラクターによるのかもしれないし、マダムたちが相手によって対応を変えているのかもしれない。

    沐浴所から川沿いの道を通り、洞窟前にさしかかると、サンクチュアリの関係者も居並ぶミサが行われていた。





    背中に文字が書かれたベストを着ているのがサンクチュアリの関係者のようで、ベストには
    ・ちょっと厚手の濃紺色で、HOSPITALTE Notre-Dame de Lourdesの文字が入ったもの
    ・薄手で白地に、HOSPITALTEの文字が入ったもの
    ・青地にiのマークの入ったもの
    などを見かけた。

    この旅行記の中では
    ・HOSPITALTEの文字が入ったベスト着用で、スーツ姿の人を“職員”。
    ・HOSPITALTEの文字が入ったベスト着用で、私服姿の人を“スタッフ”。
    ・iマークのベストや、ベストは着ていない(沐浴所のマダムたちなど)けれど、サンクチュアリを訪れる人たちのお世話をしている人たちを、“たぶんボランティア”と表現している。
    「職員とスタッフって同じじゃないの」と言う人もいるかもしれないけれど、なんというのか… “職員”と表現した人たちは、主に職員同士の数人で話をしていたり、スタッフに指示を出していたり、なにかしらの打ち合わせっぽい雰囲気を醸し出していた。
    一方スタッフとした人たちは、観光客や巡礼者たちに直接関わっているように見受けられたので、このように表記を変えた。




    ろうそくの無人販売所。


    i(information) SANCTUAIREのベストを着た、たぶんボランティア。


    扉の開いているロザリオ聖堂。






    中に入ってみる。




    ネオビザンチンスタイルの聖堂内部。




    印象的な丸天井。


    両手を広げた聖母と、それを囲むたくさんの天使たちのモザイク画。


    祭壇付近を寄りで。


    丸天井を支える太い支柱。

    美しいドーム部分は4本の支柱で支えられている。
    上の画像は、祭壇に向かって前方右側の支柱。細い数本の支柱が寄り合っているように見えるけれど、これ自体が1本の太い支柱。
    聖堂内部の四角いフロアが地上を表し、ドームをいただく丸天井は天国を表しているのだとか。


    こちらは前方左側の支柱。

    聖堂内部は、丸天井の外周に袖廊がある。そこにはたくさんのアーチに囲まれた小さな祭壇が並んでいて、15の「ロザリオの奥義」の場面がモザイク画になっている。
    袖廊左側には「喜びの奥義」が表現され、祭壇後方の5つには「苦しみの奥義」が、袖廊右には「栄えの奥義」が描かれている。
    いくつかの場面を貼ってみる。








    出入り口の上部には、立派なパイプオルガンも。

    …といっても、位置関係がよく判らないと思うので、動画も貼ってみる。

    ↓Basilique Notre-Dame-du-Rosaire de Lourdesミニ動画。


    *IE以外で動作確認出来ていません。Flashを使っているため、ipadやiPhoneなどのapple系やスマホではプレイヤーが反映されません。
    その場合はこちら【ロザリオ聖堂内部】へどうぞ。

    この動画の中で、祭壇の裏側にまわりこむ細い通路を進む場面があるのだが、この部分は、ロープをかけて立ち入り禁止にしていることが多いようだ。私はルルド滞在中に何度かここを訪れたが、この日のこの時間以外は、この通路の入り口にはいつもロープがかけられていた。
    この日も、動画を撮ったあとにも内部の見学を続けていたら、職員の人が来て通路の入り口にロープをかけるのを見た。
    私が動画を撮っていたときに、たまたま規制されていなかったか、もしくは早朝は開放しているのかもしれない。どちらにせよ、幸運だったと言える。


    出た!スーベニアコイン2ユーロの自販機(笑)


    と言いながら、買う。


    前夜のろうそく行列にお出ましになった聖母像。


    ろうそく 2.50ユーロ。


    お出ましの際には、こちらの台車に乗って。



    朝のロザリオ聖堂を見学し、レジデンスへ戻る。
    出かけたときと違って、グロット通りはお土産屋さんが開き始めてにぎやかになっていた。




    レジデンス、朝の礼拝室。






    朝食。

    レジデンスに戻ると、朝食ルームにテーブルのタグの置かれた朝食セットが置かれていた。
    ぼん、と出されたバゲット丸1本がフランスっぽくて、しかもそのバゲットがいかにもフランス人好みで硬い。ちょっとした鈍器として使えそう(笑)
    私がヨーグルトとオレンジジュースで朝食を済ませると、ちょうどエリザベスが友達を連れて入ってきた。
    ここはレジデンスなので、家主の生活が普通にある。
    エリザベスは友達に椅子を勧め、その人は私の隣に座った。
    「こちらは私の友達なの」
    エリザベスは、私には英語でそう紹介し、友だちには「日本からのお客さんよ」とフランス語で説明していた。
    そこからは、私の話す英語をエリザベスがフランス語で通訳する形でのおしゃべりになり、シャンブルドットでの宿泊らしい体験が出来た。
    (シャンブルドット:Chambre d'hôte フランス語。Chambre は寝室、hôteは家主もしくはホストのこと。一般家庭のゲストルームを宿泊に提供し、大抵は朝食が宿泊料に含まれる。イギリスなどではB&B=ベッド&ブレックファストなどと呼ばれる)

    グロット通り沿いと、ルルドの街の上の方をぶらぶらしてみる。


    上へ向かう坂道の途中に、私の泊まったレジデンスがある。




    泉の水を汲むためのポリ容器も売られている。




    絵柄がルルドらしいので、アップで。




    無造作にぶっこまれているろうそく(笑) サンクチュアリ内より安い。


    ペンダントトップやメダイもたくさん売られている。


    趣のある小道が無尽に走る。






    Place Peyramale。


    同広場にあるツーリストオフィス。

    このあたりがルルドの街の中心地で、駅にも近く、総合病院や郵便局、学校などがあるあたり。


    でも1本裏通りに入れば、古くからのアパルトマンが並ぶ。


    ベルナデットの生家。残念ながら休館中で観れず。


    グロット通り沿いの素敵なお店。



    枝から下がっているのは、ハンドメイドのガラス製のペンダント。




    よーく見ると、少しずつデザインが違う。


    制作風景を店頭で見られる。


    私が選んだのはこの2つ。軍服カラーですな。

    私は子供の頃からガラス細工を集めているので、こういったものは大好物。
    赤い方はサイト主友達に贈った。




    聖母のレリーフの付いた小瓶は、ルルドのお土産屋さんの定番。



    こちらのお土産屋さん、すごい品揃えだったので、店内の様子をたくさん貼ってみる。


































    ちょっとした博物館のよう。


    お昼ごはんにアイス♪


    ピスタチオ&バニラ。

    この日は午後過ぎまで街の上の方を巡り、お土産屋さんでお土産や絵はがきを買ったり、広場のベンチではがきを書いたり、郵便局に寄ってそれを出したりして過ごした。
    全体的に坂の街のルルド。道の幅も狭く、車が1台通るのがやっとのところも多い。
    でもそういう小道にあえて入ってみると、窓枠やドアノブが古い時代のままのアパルトマンが並んでいたり、角を曲がると、写真集にでも出てきそうな可愛らしい風景が開けたり。アップダウンの激しい山あいの街は、ただ歩くだけでも楽しく、興味深かった。


    ガヴ川上流のヴュー橋。

    エリザベスのレジデンスをチェックアウトし、まだ軽いソフトキャリーを引いて次のホテルに向かう。
    この夜から連泊するのは、橋を渡った正面に見えている黄色い建物だ。


    Hotel-Residence Saint Jean 正面。

    ここは各部屋にキッチンの付いたアパートメントホテルで、キッチンがあることの他に、立地の良さと料金の手軽さで選んだ。
    ホテルHPはこちら


    レセプション。


    ロビー。

    料金もほどほど安かったし、クチコミサイトに載っていた写真もそれほど見栄えの良い感じはなかったので、「寝られりゃいいし」という程度で取ったホテルだったが、着いてみたら普通にきれいで、きちんとしたホテルだった。




    ミニキッチン。2泊ならこの程度でもじゅうぶん。


    清潔で広いバスルーム。

    このホテルに泊まった人の感想などを読むと、トイレ+シャワーだけのお部屋もあるようだったので、バスタブ付きなのはラッキーだった。


    壁に寄せられたテーブルはバタフライ式で、天板が広くなる。




    バルコニーからの眺め。



    ホテルを予約するにあたり、私がリクエストしたのは「ハイフロア、リバービュー」だったのだが、さて…。


    川を見に。


    川を見に出ただけのつもりが、ついフラフラとお土産屋さんにつられ…







    お土産物を見ながら歩くうち、サン=ジョゼフ門まで来てしまった。
    ので、“もしかしたら、沐浴所がすいてるかも”などという気持ちも湧き、行ってみることにした。


    サン=ジョゼフ門から入ると、また違った感じ。




    途切れることなく人の集まる洞窟前。


    午後の回の沐浴所。

    すいていたら、並んでみようかな。
    そのぐらいの欲で沐浴所まで来てみると、予想以上に人が少ない。
    今にも降りだしそうな曇天のせいだろうか。
    何にせよ、すいていたことは幸運で、私は並ぶことにした。予定としては、明日の午前の沐浴に並ぶつもりでいたけれど、明日は明日で、もしかしたらすごく混んでしまうかもしれない。
    せっかくミディ=ピレネーまで来ているのだ。タイミングは大切だ。


    混雑時にはベンチの端まで詰め詰めに座るので、やはりすいているよう。


    午前の回では、ここは順番待ちの行列でいっぱいだったのだが。

    すいているのが判っていても、気が急いて早足になる。
    うねうねと折り返す並び用の通路を急ぎ、私が順番待ちのベンチまで行くと、最後尾はなんと2列目だった。
    このぶんだと、次の次ぐらいには扉口に呼ばれるかも。
    私は急いでストラップでぶら下げっぱなしにしていたデジカメをしまおうとして


    うっかりシャッターを押してしまった1枚。

    ===沐浴中===


    雨が降りだしてもなお、人波の途切れない洞窟前。





    帰りは泉に寄ろうと思っていたが、とても混みあっているので諦めて、その代わりに献灯することにした。
    ろうそくの代金は、2.50ユーロを中央あたりに開いたホールに落とす。


    雨の中、この日もたくさんのろうそくが灯っていた。


    力の要りそうな献灯台の清掃。

    これだけ大きな献灯台の手入れを見る機会はあまりない。私は珍しく思って、写真を撮らせてもらおうと、このおにいさんにお願いしてみた。
    「えくすきゅぜも?」
    まずはフランス語で呼びかけて、あとは英語でお願いしてみる。
    でもおにいさんは黙々と作業を続けていて、顔も上げなかった。
    「Bonjour? (こんにちは?)」
    私は、普段はあまりしないはっきりした声音で、きちんとした発音で呼びかけてみた。
    「Excusez-moi? (すみませんが)」
    私が返答を待っていると、しばらくしてからおにいさんは顔を上げた。
    「Puis-je prendre des photo ici? (写真取ってもいいですか?) 」
    でも、おにいさんは何も言わなかった。
    「Photo O.K.? Non Photo?」
    するとおにいさんは、手を顔周りで動かす、あるしぐさをした。
    『ぼくは聾唖なんだよ』
    …ああ。
    私は共通手話は出来なくて、出来るのは初級レベルの日本語対応手話 と、五十音の指文字だけ。それも中学生のときの手話クラブで習ったものだから、いいかげん錆びている。
    そのため身振り手振りでお願いし、写真を撮らせてもらった。
    写真を撮ること自体を控えようとも思ったが、おにいさんが『どうぞ』と言ってくれたのと、もしおにいさんが聾唖者じゃなかったらどうしたかを考えて、お礼とともに写真を撮らせていただいた。


    ロザリオ聖堂と広場の彫像たち。










    飛ぶ鳥と、人物の表情がリアルな彫像。

    こちらの角度から見ると、鳥は指先とつながっているように見える。


    別角度から。まさか冠から生えているとは。

    サンクチュアリ内にあるショップは2つ。
    小さな公式ギフトショップと、ギフトも置いている大型の書店で、以下は公式ギフトショップの方。



    本当に小さく、簡素な建物。左端にはスーベニアコインの自販機がある。














    ショップの裏手にはこんな洞穴が。

    サン=ジョゼフ門から道を渡って、たくさん並ぶお土産屋さんにも寄ってみる。








    鮮やかな色使いで、価格も手ごろなロザリオ。




    水汲み用容器。

    こういったポリ容器はやビンは、どこのお土産屋さんにも置いている。買っている人もたくさん見かけた。
    でも私は、日本から500mlのペットボトルを持って行った。ルルドの街で買えることは知っていたが、「それはやめた方がいい」という感想を聞いていたからだ。
    「ペットボトルの品質は、日本製が安心」とのことで、お土産屋さんで売られているものでは漏れてしまったりして、長距離移動での持ち帰りには耐えられないらしい。
    そして、ペットボトルのサイズを500mlにしたのは、量の調整がしやすいからだ。
    もし何かの都合で荷物の重さを減らさなければならなくなったら、1Lを捨てるのは惜しすぎる。また、スーツケースのスペースを有効に使うには、1Lボトルをドーンと入れるよりは500mlで小分けにした方が工夫がしやすく、隙間にうまくはめ込んでしまった方が安定が良いと考えたため。
    私はルルドに、500のペットボトルを10本持っていっていた。



    パリの街で、どこからでもエッフェル塔が見えるように、ルルドでは小道の隙間にルルド城塞が見え隠れする。


    ホテル近くの、お酒と簡単な食材を置いた店。


    果物も。


    束になったソーセージや、かたまりで切り出すチーズも。


    天井からは、足もぶらさがる。

    このお店からホテルまでは、すぐ見えるほどの距離。
    私はドリンクとお菓子などを買って、部屋へ戻った。


    おやつのアイスバーは、とても大雑把なお味(笑)

    かなり歩いたこの日は、それまでの疲れも積もって足がパンパン。
    それまでも結構浮腫んではいたけれど、本当にパンパンに浮腫んでしまって、このありさま。


    浮腫んで変な形になった足。

    全体的に浮腫みでかなり太くなっていて、でも足首だけは、編み上げの靴で締められているせいか、元の太さのまま。
    知らないうちにあちこちにぶつけているので青あざもうっすらだし、肉圧で毛穴も開ききっているうえ、蕁麻疹でブツブツ。
    そして、足裏の水ぶくれは


    こうなりました(笑)

    足の裏全体が血のたまった水ぶくれになってしまい、行き場のなくなった浸出液が足の甲へと登ってきたもよう。
    この水ぶくれが治ったのは、帰国後2か月ぐらい経ってからだった。

    アイスバーを食べながら、私はヘンな形になった足を眺めていたが、良いことを思いついた。
    せっかくバスタブがあるのだ。
    熱めのお湯を張って、半身浴などしてみようではないか。


    バスジェルを入れて、あわ立て中。

    ルルドでは、こんなふうにお風呂に入りながら、メールや拍手コメントへのお返事を書くことが多かった。
    私は旅行中にいただいたメッセージには、旅行先からお返事を書きたくて、そこにかなりこだわっていた。
    エアメールと違って、消印が押されるわけでもないeメールだけれど、“フランスから送信する”という気持ち的なことにこだわりがあったのだ。

    あとから振り返ってみると、この部屋にバスタブがあったのは本当にラッキーだった。
    バスタブは大きく、パリと違って湯量も水勢もじゅうぶん。ゆっくりお湯に浸かれたことで、ハードに動いていた疲れがずいぶん取れた。

    この日は、この後はあまり出歩かず、ろうそく行列を観るだけに留めた。
    2回目のろうそく行列は、デジカメもipadも持たずに行った。
    ミサだけに集中しようと思ったのだ。

    フランス入りして6日目。
    ルルドの2日目は、こんなふうに過ぎていった。


    【ベルナデットの奇跡の泉 -ルルド- 4】につづく
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