フランス旅行回想録 【 Voyage 】

こちらは管理人のフランス旅行記です。
旅行前の準備のこもごもや、旅行中にフランスからUPしていた雑文、帰国してからの回想録などを置いています。

★2013/5 回想録
旅行準備から現地UP版までは、かつて【Hermitage】というおまけノベルを集めたブログにUPしていたものからの転載。
回想録からが、この「Voyage」でUPしはじめたものです。
(今はクレーム等により一部公開していません)

また、この旅行記には、追随するコンテンツとして【Webアルバム】がございます。
アルバムでは、管理人の訪れた各地の画像が2000px以上の大判サイズでご覧いただけます。
ベルサイユ宮殿や大小トリアノン宮などのお部屋が、壁紙の模様や扉のひび割れまで見える詳細さでUPされております。
スライドショーにすることも出来ますので、ご覧になれる方はどうぞ。
全部で1183枚の写真がご覧いただけます。

★2015/4 回想録
2015/6/12よりUPを始めました。
こちらもWebアルバムをUP中で、ただいまは3410枚の画像がご覧いただけます。
最終的には、およそ5500枚程度のアルバムになる予定です。

 

    せっかくの晴れ間も、予報によると午前11頃まで。
    ノートルダム寺院前に着いた私は、塔に登るための入り口を探した。寺院に向かって左へ回りこんだところに入り口はあるはずだった。
    けど。
    わっかんないなー。
    寺院の左、お土産屋さんやカフェが並ぶ通り側をチラリとのぞいてみたけれど、受け付けっぽい窓口はない。
    路肩では旅行会社のバスや、デイツアーを請け負う会社のワゴンなどが次々とお客さんを降ろしている。
    「塔の入り口は北塔。寺院に向かって左側」
    何かでそう読んだんだけどなぁ。勘違いだったのかなぁ。
    しばらく寺院周辺をうろついてから、私は正面に戻り、内部見学用の入り口へ向かった。
    広場に人は多かったけれど、外観の写真を撮る人ばかりで、寺院内への入場口に並ぶ人はまだ少ない。
    私はスルスルと中へ進むと、1番最初に会ったスタッフのお兄さんにフランス語で呼びかけてから、英語で「塔に上がりたいんだけど」と聞いてみた。
    すると、そのお兄さんは
    「あうっさいたーのぶらっ」
    「は?」
    「あうっさいたーのぶらっっ」
    「ああ」
    外へ出て、右に曲がれってか。
    てことは、やっぱり寺院の左側のどこかにシメールのギャラリーの受け付けがあるっつーことか… よし。
    私はせっかくスタッフに話しかけたこともあり、続けてもう1つ、質問をしようとした。
    これはまったくの未確認情報なのだが、ノートルダム寺院にはエレベーターがあり、足の不自由な人などは使わせてもらえるという。
    このことは個人のブログで読んだだけで、自分なりに調べてはみたが、結局確認の取れないことだった。また、そのブログを書いた人も「自分で確認したわけではない」と書いていて、情報としては不確か極まりない。
    私はゆっくり歩くぶんには問題ないけれど、階段を上がるには時間がかかり、手すりが絶対に必要だ。しかもシメールのギャラリー+塔のてっぺんへ行くためには、422段も登らなければならない。
    私の左膝は4本あるべき靱帯が2本しかなく、脛骨の移植なんかもやっているから、それだけの階段を上るのはリスキーだった。本当にエレベーターがあるのなら、使わせてもらえればありがたい。
    私は無表情を崩さないお兄さんに、それを聞こうと話し出した。
    が。
    「あうっさいたーのぶらっ」
    「え”?」
    「あうっさいたーのぶらっっ」
    outside,turn of right
    どうやらこのお兄さんは、日々の観光客からの質問に辟易していて、これ以外、言いたくないみたいだった。

    ダメじゃ。

    だんだんと人のざわめきも大きくなってきて、私は並ぶ人が増え始めた寺院の入り口から離れた。
    そのまま建物を右に出て、もう1度、少し前に確認した土産物屋の通りへ行ってみる。
    すると、寺院沿いの道には人がダーッと並んでいた。




    え?…だっ…て… ここ、受け付けとかないじゃん。
    私はてっきり建物に小窓みたいな受け付けでもあって、そこで塔の入場券を買うのかと思っていた。
    でもそんなものは全然なくて、ただ寺院を囲む柵に途切れ目があり、側面から入れる細い通路が見えているのみだった。
    そして細い通路の入り口には、スタッフがいるだけ。
    そのスタッフもごく普通の服装をしていて、入り口付近をちょろちょろ歩いたり、たまに場所を離れて立ち話なんかしてるから、スタッフなんだが観光客なんだか判らない。良く見りゃ手にトランシーバを持っているのだが、それだって後から気づいたこと。
    想像していたものとは全然違う塔の入り口に、私はそこを目にしていながら、まるで気づいていなかったのだ。
    その間に、もうこんなに人が並んでしまっている。
    せっかく早く出てきたのに!
    このことに私は、エレベーターなどすっかりどうでもよくなって、焦り、行列の最後尾についた。
    ざっと見たところ、アジア系は私しかいない。1人なのも、どうやら私だけのよう。
    それぞれグループやカップルで談笑しながら、進まない列に並んでいる。
    そう。進まないのだ。
    日本人は、比較的並ぶことに慣れているように思う。ある程度の行列でもマナーよく列を作り、キレたりわめいたりする人なんて滅多に見ない。
    私も標準的な日本人だから、内心毒づいたりしても、それを露わにすることはなかったのだが。

    それにしたって進まねーな。

    突っ立ったまま30分ほどの時間が経ったが、列はさほど動いていない。
    膝や足首に多少の痛みと、腰には違和感が増し、私はそこをほぐすように回したり捻ったりしながら、列の先と空模様を気にしていた。
    晴れていた空には少しずつ、暗い雲がかかり始めている。
    私の前後に並んでいる欧米系と思われるグループは、交代で列を離れながら土産屋を見てまわったり、寺院の内部見学に行ったりしている。
    道をはさんだ寺院の向かい側には、オープンテラスのカフェや、彩りも新鮮そうなサンドウィッチを並べたショーケース、小物を飾った店が軒を連ねていて、見て歩いたら絶対楽しそう。この辺りのお店を丁寧にまわったブログも読んでいたので、私も見に行きたくて仕方なかった。


    ↑寺院近くのお店には、キーホルダーや絵葉書、Tシャツなどのグッズの他にも、メダイやチャームがいろいろ。

    1人で突っ立っているだけの私には、することがあまりない。
    ノベルの下書きでもしようかな。
    あまりに退屈なので、バッグからiPadを取り出そうとした時だった。

    パタ。

    雨粒がぽつりと落ちてきた。
    皆、ざわざわと空を見上げる。私も塔を振り仰ぐように空に目を向けた。


    ↑並んでいた寺院の側面から、空を見上げる。

    すっかり雨雲が立ちこめた、重い空。
    最初の一粒に気づいたと思ったら、雨はパタパタと落ち始め、いくらもしないうちに小雨になった。
    あっという間の降りだしに、皆、わーわー言いながら折りたたみ傘を開く。
    傘の幅に場所を取られ、圧迫感の出る行列。
    そして、雨と共に気温がどんどん下がり始めた。
    欧米系の人たちはバッグからニット帽を取り出していたし、地元っぽい通行人は厚手のトレンチコートをきっちり着こんでいる。マキシ丈のダウンコートや、キルティングのジャケットを着た人もいた。
    雨よりも寒さが厳しくて、傘を持つ手が真っ白になっていく。
    とても5月とは思えない冷え込みで、冷たくなった手に息など吹きかけてみるけれど、吐く息がふわふわと煙るのがまた寒さをそそった。

    マジで寒い。

    ヨーロッパ在住の方から「寒いよ」と言われていたのに、私はそこまでの防寒対策をしてきてなかったので、着ているのは春物の薄手のジャケットだけ。


    ↑これもaxes femme。結構安かったんだよな。

    体がカタカタ震えるぐらい寒くて、前に並んでいるグループは、カフェに行って温かいドリンクをテイクアウトしてきた。
    いや、前のグループだけじゃなく、2人以上で並んでいる人たちはみんな、温かい飲み物や食べ物で暖を取っている。
    しかも何がすごいって、寺院のあい向かいのお土産屋さんではレインコートや傘も売り始めていて、いき届いているというか商魂たくましいというか…
    とにかくグループで並んでいる人たちはみんな、何かしらを買いに走っていた。
    私も何かあったかくて甘いものが飲みたかったけれど、1人で並んでいる身では列から離れるわけにはいかない。
    ここは耐えるしかないと、私は少し進んだ列の先へ目を向けた。
    すると。
    目の前に金髪のおねーちゃんが歩いてきた。
    背が高くてまだ若そう。
    でも何が驚いたって、そのおねーちゃん、みんな寒がってガタガタいってるっていうのに、肩の部分が紐になってる超露出のヘソ出しタンクトップ&ミニスカでパイオツぶるんぶるんさせながら歩いてきたもんだから、皆ドン引き。
    違う意味でそこら辺一帯の温度が下がった。
    私も呆気に取られたが、しかし、そうこうしているうちにまた少し、列が動いた。そしてその時の移動でようやく、入り口が見えるところまで来た。
    そこまで来て、私はやっと、なかなか列が進まない理由が判った。
    入場規制をしているのだ。
    1度に一定の人数しか、中に入れていない。
    1コの固まりを入場させ、ギャラリーがあいたら、次の見学者たちを入れてるみたい。
    並んでいたときから、変だとは思っていた。
    列の進みがあまりに遅く、でも流れたときにはグッと短くなる。やけにむらがあるとは思っていたけれど、列では常に人が離れたり戻ったりしていたから、そんなものなのかとも思っていた。行列なんて、深く考えるとイライラするだけだから。

    さて。
    ようやく入り口前まで列が進み、“恐らく次回で入場”というところまで来た私。
    この“直前”という場所で待たされたのは20分ぐらい。
    あとになって知ったことだけれど、塔への入場は10分間隔で20人ずつなんだそう。
    でも私が行ったときは雨で塔の階段が滑りやすかったせいか、間隔はもっと長く、1度に入れる人数も20人もいなかったと思う。
    私が列の最後尾に付いてから、入り口の階段をのぼり始めるまでの待ち時間は、結局約1時間20分ほどだった。
    それが相場として、長いのか短いのか。
    ともかくこれだけ待ったのだから、がっつり観るべく、私はかなり意気込んでいた。
    なんといっても、フランスに来て最初に訪れる場所。
    しかも、私が読んだどのブログにも「素晴らしかった」との感想が並んでおり、「ちょっと大変だけど、おすすめ」という意見が多数だった。
    それに、パッケージツアーではノートルダム寺院の内部見学はあっても、塔までのぼるものは見当たらなかったから、個人で来ると決めたときから、私にとってここは山場ポイントのひとつだったのだ。そこに持ってきて1時間半近く並んだとなれば、期待は嫌でも昂まろうもの。
    他の観光客とひとまとめのグループに区切られ、寺院横から塔への階段に入る瞬間には、ワクワクで壇密並みにはぁはぁしていた。
    しかし。
    この“はぁはぁ”も、いくらもしないうちに本物の「はぁはぁ」になる。
    はじめは「入場料、どこで払うんだろう」なんて、少額用の財布を握っていた私だったが、そんな場所は全然なく、狭く暗い螺旋階段が続いていくだけ。
    段差は急な上、螺旋階段特有の扇形の踏み面のため、きちんと足を置ける有効な面積が少ない。


    ↑自分では撮る余裕がなかったので、いただきものの写真ですが…
    階段の幅は、大人2人が立てるぐらい。
    でも、内径側の踏み面がほぼないから、実際人が並んで立つのは無理。
    しかも濡れた階段はすんごい滑る。

    みんな壁際に沿うように、黙々とのぼっていく。
    時おり誰かが、日本語で言うなら「きっついなぁ」とか「はぁ~、これは(汗)」といったニュアンスの声をあげ、そのたびに全体から同意したようなクスクス笑いが湧いた。
    私も気分的には前向きに、楽しみな気持ちでのぼっていたんだけど。
    最初にキタのは、膝ではなくて、呼吸器の方。
    4年近く前から肺を病んでいるので、ちょっと激しく動くとてきめんに「はぁはぁ」してしまう。
    私は膝ばかり気にして、肺のことなんかすっかり忘れていたので、息苦しくなってからやっと自分が肺病みなことを思い出した。
    息づかいはだんだんと「はぁはぁ」から「ひぃひぃ」もしくは「ひゅうひゅう」に変わっていき、指先などが痺れてくる。
    こんなときにいつも思うのは、オスカル・フランソワもこんなふうに息苦しかったのかということだ。
    私にとって彼女は生きた人間で、泣きも笑いもするし、食事の好みもあれば、風呂にも入る。ヤキモチもやくし、彼とイロイロしてみたいというエロい気持ちもちょっとは持っている。
    だから当然、肺病みの息苦しさも感じていたはずで、私は自分の肺の調子が落ちているときはいつも、ニヤニヤとした笑いがこみ上げるのを抑えられない。彼女と同じ息苦しさを共有しているのかと。
    世の中には、ベルのファンや二次を書いている人はたくさんいると思うけど、肺病みのサイト主は、そうはいないと思う。
    彼女が生きた18世紀には既にシテ島に存在したノートルダム寺院の中で、この息苦しさを感じていること。
    私には、それがどうにも嬉しくてならなかった。
    この変態じみた悦びは、きっと判る人にしか判らない。
    私はヘラヘラした笑いを浮かべながら、懸命に階段をのぼった。
    このままではマズいなー、とは思うのだけど、狭い階段をみんながひとかたまりに同じペースでのぼっているので、立ち止まりづらい。
    どうしたものか。
    息を切らしながらぐちゃぐちゃ考えていたけれど、私は貧血もあるので、ある程度のぼったところで本当に息がきれた。
    軽く頭痛がして、視界がちらつく。

    酸素足りてねー…

    もう仕方ないと思った私は、壁に張りつくように道をあけた。
    こういうときはいつも、道の端に寄ったりして人波が過ぎるのを待つ。無理して人に合わせて転んだりした方が結果的に余計な迷惑をかけることになるし、邪魔だとかウザいとか、そういうことを言われることもあるから。
    私はうしろから続く人たちに追い越してもらおうと、螺旋階段の内径側の壁によけた。
    見た目だけじゃ国籍は判んないから、とりあえず英語で先に行ってくれるよう頼む。
    すると私の真後ろにいた“イタリアの陽気なおとうさん”みたいな風貌の男性は、にこにこと笑った。
    「大丈夫だ、急がなくていいよ」
    その後ろに続いた人たちも、みんな明るい声で「問題ないよ~」とか「ゆっくり、ゆっくりね」とか口々に言って、狭い階段の中で首を伸ばし、穏やかな顔を見せてくれた。
    私はとても嬉しくなって、日本人丸出しでペコペコと頭を下げた。
    外国人ならこんなとき、おしゃれで気の利いたひとことが言えるのだろうけど、残念ながら私にはそこまでの語彙はない。感謝を示すにはのぼるしかないと、ヘロヘロになりながら螺旋階段を進んだ。
    そして。

    着いた…わけじゃないよね?

    階段のわきの間口に誘導されて、私たちグループは小さめなホールに通された。
    広さはコンビニぐらいで、パンフレットやお土産ものなどがラックやショーケースに並んでいる。奥の方にはモニターが設置されていて、数列のベンチも並べてある。
    私が行ったときには、そこには小学生ぐらいの子供がたくさん座っていて、引率者らしき大人もいたので、学校の社会科見学みたいなものだったのかもしれない。
    モニターの横には男性がいて、画面が変わるたびに子供たちに説明していたから、学芸員か寺院のスタッフなのだと思う。
    私もそこで少しモニターを眺めてみたが、説明がフランス語なのでさっぱり判らなかった。画面から察するに「ノートルダム寺院の歴史」みたいなものだと思うけど。
    ホールに通された私たちは、しばらくウロウロと広くもないお土産売り場を見て回った。
    でも、誰もが落ちつかない様子で「こんなものを見たいんじゃないんだけどなぁ」という空気が漂っていた。
    私もここから先をどうしていいか判らず、周りの人の様子をうかがっていた。
    とりあえず、お土産売り場のレジでシメールのギャラリーへのチケットを買うことになっているらしく、皆、流れがよく判らないままチケット(8ユーロ)だけは買う。
    私は、学芸員のレクチャーが終わったら「さぁ、皆さんこちらへ」みたいな感じで、ギャラリーへの扉が開くのかと思っていた。USJやワーナーのMovie Worldのアトラクションみたいに。
    でも、全然違った。
    ここではそんな説明はこれっぽっちもなくて、数人いるスタッフも何も教えてくれなくて、なんのことはない、誘導された間口を勝手に逆行して再び螺旋階段に戻り、引き続き屋上を目指してのぼればいいだけだった。
    誘導していた部分には、ホールに導くためにロープが張られていたため、私はてっきり、もう螺旋階段には戻らないのかと思っていた。でもロープは人の流れを作る為に張られているだけで、モニター側から見れば、階段を封鎖しているわけではない。
    それにようやく気づいた私たちは、こぞって階段へ戻り、上を目指した。
    そしてようやく。



    初めて見た瞬間には、「うわぁ~」という声しか出なかった。
    眼下に広がるのは、物語みたいな風景だ。
    私が文章にしたって追いつかないから、とりあえず画像を並べてみる。








    これらより大きくて美しい画像は、後ほどアルバムにてUPします。シメールのギャラリーからの画像はもっとたくさんありますよ~

    私たちは雨も気にせず景観に見とれ、写真を撮った。
    そして狭い回廊を少しずつ移動し、次には、さらに塔の上へと案内された。
    先ほどと同じように階段をのぼり…
    次に開けたのはこんな風景だった。



    小さなパリの街が一望出来る。
    市内は景観の条例で高層階の建物が作れないから、ここまでの高さから見ると、街並みがすべて古い時代そのままに見えてくる。
    ただでさえ少し狂ったところのある私の目には、そこが18世紀、子供の頃からずっと胸に抱えてきた人たちの息づく、まさに今、その人たちがそこで生きているように思えて、目に涙がたまってくるのがどうしようもなかった。

    湾曲するセーヌの流れ、架かる橋、尖ったシテ島の先端。
    14のとき、私がノートに書き写したアポリネール。

    夜よこい 鐘よ鳴れ
    日々は去り行き ぼくはとどまる

    私を魅了したあの詩。
    ミラボー橋はどれだろう。
    私という人間が形作られるその中に、この街のかけらが少しでも含まれてくれていたなら嬉しいと、狭い塔の回廊、金網をつかんで見おろすパリの街は、いくら見続けても満足することはなかった。









    ↑降りてきて、寺院・ファサード「最後の審判の門」。


    ↑こっちは「聖母マリアの門」。
    自分の首を抱えているパリの守護聖人・サン=ドニがいる。


    ↑サン=ドニは3世紀ごろに布教活動のためにパリに来る。当時キリスト教が弾圧されていたためサン=ドニも捕らえられ、モンマルトルの丘で斬首された。ところがサン=ドニは切り落とされた自分の首を持ってパリ郊外まで歩いて行った…とかなんとかいう、ゆずのうろ覚え。その街が、今のサン・ドニ市なんだとか。

    今ひとつ天候に恵まれず、残念と言えば残念だったが、内部見学のためにここにはまたあとで来るのだし…
    お目当ての1つだったサン=ドニの彫刻も間近に見れて、その頃にはもう、ノートルダム寺院は広場もギャラリーに並ぶ列も、すごい人になっていた。
    1時間半並んだ私も、早く動いた方だったのだ。

    さて、時刻は早くもお昼をとうに回っている。
    私はいよいよベルサイユへ向かうべく、寺院の広場から道へと出ようとした。
    そのとき。
    手元から抜けた紙片が足元に落ちた。
    私はそれを拾おうと、手を伸ばしながらかがみ込み…

    はうあっっ!

    腰にけっこうな衝撃を感じた。
    経験で判る、神経にぐちゅりと差しこんでくるような痛み。
    ぎっくり腰だ。
    私は咄嗟に、そのまましゃがみこんだ。
    こんなとき、無理に耐えようとすると、かえって腰に負荷がかかる。みっともなくても座りこんでしまう方が、私の場合はあとが楽だった。
    とはいえ、腰に感じている痛みはなかなかのもので、ちょっと歩き回れる感じじゃない。とりあえず靴ひもを直すそぶりなどしながら、様子をみてみた。
    でも、そんな短時間で痛みが引くわけもなく、だからと言って人に助けを求めるほどではなく、しかし、人の多い観光スポットでいつまでも座りこんでいるわけにもいかず、私は石畳に手をついて、そろそろと立ち上がってみる。

    おおうっ!

    痛みの他に、腰にかかるズドンとした重さ。
    とても1Gとは思えない。
    きっと私の腰付近だけ、重力が増したのだ。
    もしくは神がその御手を彼女の額にではなく、私の腰に置かれたか…
    私は童話に出てくる老婆のような姿勢で、予定していたベルサイユ行きのRERの駅ではなく、メトロの駅へ向かった。

    ダメだ。ホテルに戻んないと。

    でも、ただホテルへ戻るのではあまりに悔しくて、少し遠回りしてバスティーユに寄った。
    あまり大きくはないバスティーユ駅。幸い階段もそれほど長くはなく、すぐに広場に出られた。



    かつてバスティーユの監獄があった場所。
    シテ島、ルーブル宮からだってこんなに近い。
    この距離で、砲台が市内へと向けられた1789年7月14日。
    広場の真ん中に立つのは、7月革命記念柱だ。
    そばに寄って見たかったけれど、バスティーユ広場のラウンドアバウトは車通りが激しく、腰痛女には渡れない。
    記念柱のてっぺんにおわす天使さまのお顔だけは正面から拝見したいと、いくつか信号を渡って回りこんでもみたけれど、腰がどうにもダメダメで、真正面までは歩けそうにない。雨足もより強くなってきていて、半端な位置から数枚の写真を撮るのがやっとだった。

    よ…よし。

    何が“よし”なんだがよく判んないけれど、一応はバスティーユ広場まで来たのだと自分を納得させ、私はホテルに戻ることにした。
    ホテルの最寄駅には8番線と9番線が乗り入れているが、路線がクロスしているわけではないので、駅自体は小さい。ホームからの連絡通路も短いうえ、階段も短い。
    私はヨタヨタと階段を上がっていった。
    腰もヤバいし、普段外を歩くことがあまりないので、早くも靴擦れが出来ているよう。
    雨と寒さで体も冷え冷えになっているので、早いところ部屋に戻って、まずはシャワーで暖まろう。それから腰に湿布を貼って、うーん、靴擦れはけっこう大きそうだなぁ…
    そんなことを考えながら、地上に顔を出し。

    え?

    朝乗ったときと、街並みが違う。ランドマークとして確認しておいた標識や、カフェが見当たらない。

    なんで!?

    駅の近くを少し歩いてみたけれど、記憶にある店並みは見つからない。
    駅とホテルは歩いて2分程度で、それほど難しい道順でもなかった。

    なんで?なんで!?

    地下鉄の出口は、複数箇所ある。
    それは当然判っていた。
    超田舎者の私だけれど、観劇や観戦で都内や大きな都市に行くこともあるし、地下鉄を使ったこともないわけではない。
    フランスやパリのガイドブックにも、『Chatelet Les Hallesなどの大きな駅は、複雑で迷いやすい』と書いてあったりしたので、メトロへの出入り口や乗り入れている路線数には気をつけていたつもりだった。
    でも。
    私にとっての最寄り駅はとても小さくて、乗り入れているのも2路線だけ。
    しかもこの2路線はクロスしているわけではないので、駅の規模も小さい。ホームも1箇所しかなかった。
    だから… 安心してしまっていた。
    早朝、メトロに乗る前に、出入り口を2箇所確認して、それで大丈夫だと思いこんでいた。
    (だって私が住んでる町の駅も、ホームが1つしかなくて、南口と北口しかないのよ。だから出入り口を2箇所確認して、それでじゅうぶんだと思っちゃったんだよねぇ)

    雨足の強くなる、パリの街。
    メトロの出口には覚えのない風景。
    うそ…
    降りる駅は間違えておらず、とりあえず私は少し歩いてみた。
    もしかしたら、ちょっと角を曲がってみれば「ああ!」という街並みにぶつかるかもしれない。
    私は駅から離れ過ぎない程度に、見覚えのある道を探した。
    そのときは、“駅まで見失ってしまったら本物の迷子になってしまう”なんて焦っていたけれど、今、振り返って言うなら、適当にぷらぷら歩きゃメトロの駅なんてそこらじゅうにあるんだから、それほどびびることじゃない。
    でも、あのときは1人旅観光1日目で、バカバカしいぐらいびびっていて、過剰なほど緊張していた。
    iPadとWi-Fiを持ち歩いていたのだから、「mapを見ればいいじゃない」と思う方もおいでだろう。私も「道に迷ったら、iPadで調べればいいしね」なんて思っていた。
    けれど、やっと歩く程度のぎっくり腰の女が、カメラやら旅行ガイドやらの入ったちょっと重めのバッグを持ち、傘をさしながら、なかなか強い雨足の中で濡らさないようにiPadを開くなんて、実際は無理なことだった。
    それでも私は駅の構内に戻って雨をよけながらmapを開き、道順を検索したりしてみた。
    小さい駅だけれどinformationもあったので、窓口のマダムにも聞いてみた。
    「えくすきゅぜも?」
    その段階で使えるフランス語はこれだけ。
    道を尋ねるフランス語は言えるが、フランス語で返答されたら絶対に聞き取れない。
    あとはもう英語で、マダムに現在迷子中なのだと相談してみた。
    「ホテルまでの道が判らないの。歩いて2~3分なんだけど。昨日パリに着いたばかりで、あまりよく覚えてなくて」
    私はマダムに、ホテルの住所を書いたメモ用紙を切り取って渡した。
    このメモ帳は、バッグの取り出しやすいところに入れてあり、今回の旅行で泊まる予定の3つのホテルや、行きたいと思っている主だった場所の住所が書いてある。人に道を聞くという行為は何度もするだろうと思っていたので、あらかじめ、1か所につき何枚も書いておいたものだ。
    マダムはメモを受け取り、「それは大変ね」と言って、傍らに置かれたPCで検索を始めた。
    私の泊まっていたホテルは30室程度の3つ星で、その程度のホテルは山ほどあるから、マダムの記憶にもないのだと思う。
    マダムはしばらくPCの画面を見てから、サラサラと地図を描いてくれた。
    私はそれを受け取って、また地上へと出たのだけれど。

    …判っかんねぇ。

    描いてもらった地図はものすごくザックリしたもので、しかも文字が読みづらい。
    この“文字の読みづらさ”は、外国人の書く母語を読んだことのある方なら、想像がつくと思う。
    私も昔の職場が国際色豊かだったので、いろんな国籍の人の書き文字を見たけれど、サインですら何を書いているのか判らない友達もいた。
    書き慣れているから癖もあるし、崩したり、ブロック体と筆記体が混ざっていたり、若い子だと流行りもあったり…
    日本人同士でも“達筆過ぎて読めない”なんてことはままあるし。
    痛恨の凡ミス。
    ブロック体で書いて欲しいとお願いすれば良かった。
    今さら「字が読めません」とは言えない。
    また駅へ戻るのもためらわれ、私はあちらこちらをふらふらしながら、すれ違う人にその手描き地図を見せて道を聞いた。
    でも。
    「ごめんね、この地図はちょっと判らないな」
    聞く人聞く人に困惑されてしまう。

    なんでじゃーい!

    この時点で、迷子1時間以上。
    腰がもう… 無理だ。
    私は自分で道を探すことを諦めた。
    こうなると、ホテルに戻るもっとも簡単な方法はタクシー。
    でも、徒歩2~3分の距離では乗車拒否の可能性が高い。
    と、すると。
    ホテルからはほどほどに離れていて、かつタクシースタンドが確実にあるところ。パリ市内は慢性的なタクシー不足だというから、それでもタクシーが集まりやすい場所に行けばいい。
    よーし。
    私はメトロに戻り、ルーブルに向かった。
    ルーブル美術館付近なら、タクシーは集まっているはず。
    それに美術館だったら雨も気にならず、腰を痛めていても、ゆっくりゆっくりなら観てまわれるかもしれない。
    ベルサイユに行くつもりだったその日を、ぎっくり腰&迷子だけで終わらせることに、もったいなさと欲が出てしまっていた。
    もしかしたら、もう来る機会のないかもしれないフランス。
    5歳から、夢見ていたところ。
    焦りとか、自分なりの予定とか、“お金もかかってるし”みたいな俗っぽい気持ちとか、そういうものが入り混じって、腰の調子を考えたらホテルでおとなしくしているのが1番いいと判っていたけれど、私はルーブルへ向かった。
    幸いだったのは、貴重品などを入れたチケットホルダーに、その日使う予定のなかったルーブルのチケットも入っていたことだった。




    上のものがルーブルのチケット。(日本手配で2100円)
    でも、チケットはいろいろ種類があるみたい。
    下の赤いものは「パリ ミュージアムパス」で、これは2日券(私はその日のユーロのレートで買ったけど、日本手配で5000円ちょっとだったような…)
    パリとその近郊の主だった美術館や城、約60箇所に入場できるパス。
    詳しくはこちらへ。
    下の右側がカルネ。
    メトロのチケットが10枚パックになったもの。(日本手配で2100円)
    3話で1度UPした画像だけど、PW制限で3話が開けない方もおいでなので、ここにもUPしておきます。


    すいたメトロを乗り換えて、美術館に近いMusee du Louvre駅で降りる。
    道路沿い、ルーブル宮の回廊で雨をよけている人に混ざって、旅行代理店からもらっていたリーフレットを確認した。




    はじめはリヴォリ通り沿いの“99番入り口”にいたんだけど、混んでいるのと物売りの人が多くて↑の“ポルト・デ・リオンの入り口”の回廊に移動した。
    ちなみに物売りはお土産や小物じゃなくて、なんと雨傘を売る物売りさんたちだった。


    私の持っていたチケットは、優先入場の出来るもの。“こちらの入り口から入場できます”の位置を確認し、まっすぐそちらへ向かうつもりだったのだけど。
    やっぱり写真ぐらいは撮りたい。
    私は絵に描いた老婆さながらにヨタりながら、ルーブルの正面にまわり、写真を撮った。




    雨足が少し弱まり、人の途切れ目を待って撮ったもの。








    ちょっと離れて、テュイルリー庭園側から眺めてみる。


    ガラスのピラミッドの中から。





    それから入場口に向かい、警備のお兄さんにチケットを見せて確認してみた。
    「このチケットは、ここの入り口で大丈夫?」
    「大丈夫だよ。このまま並んでセキュリティチェックを受けてね」
    ちょうど小学生の団体が入場するところだったので手間取ってしまったけれど、でも15分ぐらいで手荷物検査のゲートまで行けた。
    そこでバッグをスタッフに預け、X線なのかな? 空港にあるもののようなコンベアに乗せてチェックを受ける。
    私が持って行ったバッグは、肩からもかけられるし、リュックにも出来るものだったけれど、そのときはあえて、肩かけバッグとして持っていた。
    予習として読んでいたたくさんの個人ブログの中に、「リュックは入場の際にロッカーに預けるよう指示される」と書いてあるのを読んでいたから。
    (あと、一定以上の大きさのバッグも預けなければいけないみたい)
    私が入場するときも、リュックを背負ったお兄さんが、預けるように言われているのを見たから、多分本当なのだと思う。


    さて、入場のゲートを入った私。
    最初にしたのは…
    とにかく座ること。
    といってもアホほど混んだルーブル美術館、座るところはたくさんあっても、そうそう空いてはいなかった。
    でも(笑)
    みんなホールの端にベタベタと座っていて、中には寝転がっている人もいた。
    いい大人が(笑)(笑)
    いつもそうなのか、この日が雨で疲れている人が多いのか、通路などにも壁際で座りこんでいる人がたくさんいた。
    日本の美術館じゃ、あんまり見ない光景。
    私がいたのは、逆ピラミッドのホールが見下ろせる、2階の軽食売り場の辺り。
    そこでドリンクを買ってから、他のお疲れさまたちと一緒になって、壁に寄りかかって床にベタ座りしていた。
    私は今回の旅行で3度ルーブルに行ったけれど、この初回に行ったときが1番混んでいたと思う。
    逆ピラミッドのホールなんて人でぎゅうぎゅうだったし、飲食店はどこも満席になっていたみたい。
    やっぱり、誰もが雨=屋内観光っていう図式だったのかもしれない。
    私は日常、家から出ることも少ないし、ど田舎住まいのために車移動が多いから(昼間はバスが1時間に1本とか、2時間に1本とかしかないのよ)普段歩くことが少ない。
    だから、このときにはすでに足の裏には水ぶくれが数カ所出来ていたし、手術を繰り返している方の足の爪は1枚剥げていた。
    歩かない生活と、膝・腰からくる変な歩き方のせいだろう。
    あ~、靴の中、大変。
    そんなことを思いながら、靴下を脱いで意味もなく爪をパクパクさせたり、水ぶくれをぷよぷよ突っつきまわしたりしながら、休憩していた。
    (痛いところをわざといじりまわすと、なんか落ちつくときもあるじゃない・笑)
    そんなことをしていたらベンチが空いたので、私はそちらへ移ると、iPadとWi-Fiをとり出した。
    メールBOXをチェックして、それからWeb拍手コメントの新着を見て。
    そこには、顔も知らない私のことを案じるメッセージや、暗に何かをやらかすことを期待したおちょくりのメッセージや、“今どこー?”みたいな一言や、そういったものがたくさん届いていた。
    それは、ぎっくり腰と迷子で凹んでいた私には、ものすごく心強く思えた。
    旅慣れた人なら、“このバカ、何を大げさなこと言ってんのかね?”と思うかもしれないけれど、英語もフランス語も出来ないくせに、憧れと勢いだけでフランスまで来てしまった腰痛女には、日本で私のことを考えてくれている人がいることが、単純に嬉しかったのだ。


    さあて。
    ようやく動き出すことにした私は、まずは郵便局に向かうことにした。前日に書いておいたはがきを出そうと、バッグに入れてあったのだ。
    あちこちにたくさんいるスタッフに、郵便局はどっち方向か聞いてみる。
    「向こうだよ。今、人がたくさん並んでいる向こう側。もし判らなかったら、誰かに“ポスタル”って言えば教えてくれるよ」
    私は指し示された方へ行ってみた。
    両脇に、ミュージアムショップなどの並ぶ通路。
    その、少し奥まったところに郵便局があった。
    カウンターに、おじさま的年齢のスタッフが2人。
    1人は応対中だったので、私は空いている左側へ行き、ごそごそとはがきを出した。
    「これを全部、日本へ送りたいんですが」
    「全部?」
    私が出したはがきは15枚ほどで、驚くほどの多さではない。
    でも、そのおじさまは少し考えているようだった。
    そして私には、その理由がそのときには判らなかった。
    とりあえず、言われただけの料金を支払い、切手を受け取る。
    それが。
    多っっ。
    切手が3種類×はがき15枚ぶん。
    …45枚もの切手。
    品のよさそうなおじさまスタッフは、私の脳内の“初老のフランス男性”のイメージに極近だった。
    ゆっくりな英語で、
    「これを1枚ずつ貼るんだよ」
    と、切手の束を渡してくれた。
    私は切手とはがきを持って、局内の端っこに移動する。
    絵はがきのセットや、エアメールのセットなどが並んでいる棚の隅を借り、さぁ、切手を貼るぞ!…と…その前に。
    私は何枚か写真を撮った。旅行記にUPしようと思って。
    でも、そんなことをしていたら、おじさまもカウンターの中から出てきて、私の横に立った。
    水に浸したスポンジが入った容器を置き、はがきを1枚手に取ると、ぴっぴっぴっと切手を切り離して、ぴたぴたとはがきに貼る。
    そこにバンっとスタンプを押して。
    「見てごらん。ルーブルの消印だよ」
    そう言って、見せてくれた。
    ピラミッドと宮殿の姿が、ぺたりと押されている。
    「さあ、君が切手を貼って~」
    促された私は、慌てて切手を貼り
    「わたしが消印を押すよ~」
    おじさまがスタンプを押す。
    おじさまが歌うように繰り返すので、私たちは流れ作業のようにはがきを仕上げていった。
    そんなふうに進めれば、15枚程度のはがきなんて、あっという間。
    おじさまは出来上がったはがきをトントンと揃えて、カウンターの中へ戻っていく。そして、奥のかごの中にぱさっと入れて、ニコニコと笑った。
    「これで、おしまい。全部日本に届くよ」
    私はおじさまに何度もお礼を言って、郵便局を出た。
    そのときは、それでいいと思っていた。
    深くは考えなかった。
    でも。
    このことは、帰国してからの後悔の1つになった。
    あとになって判ったこと。
    私はこの旅で、ルーブル美術館の郵便局からは2回、はがきを出した。
    1回目に出したときの消印は、おじさまと仕上げた3種類の切手にガラスのピラミッドのもの。
    だけど、2回目に出しに行ったときの係りの人は、日本までの切手を1種類で出してくれた。
    最初に郵便局を訪ねたときには、観光初日だった私は知らなくて、日本までは切手3枚ぶんが必要なんだと思っていた。
    だけど、違った。
    普通に1枚の切手で出すことも出来たんだ。
    でもたぶん、あのおじさまはいろんな切手で、はがきを飾ってくれようとしたのだと思う。
    外国からの手紙やはがき。切手を見るのも、楽しみの1つだから。
    そして、2回目に出したときの消印は、ピラミッドの絵柄じゃなくて、ごく普通の文字のスタンプだった。
    あの、おじさまスタッフ。
    一緒に作業をしてくれて、親切な人だと思っていた。
    お礼もじゅうぶん言ったつもりだった。
    でも、全然足りてなかった。
    帰ってきて、フランスから出したはがきも遅れて着いて、全部が揃ってから気がついた。
    「あれ~?なんでピラミッドの消印のが1枚しかないんだろう」って。
    普通に受け止めてしまった、人の気遣い。
    どうしてそのとき、その場面で気づかなかったのか。
    気づけていたら、もっと違うお礼が言えたのに。




    ルーブル美術館内の郵便局にて。
    サイトのゲストさまで、このはがきが届いた方もいらしたでしょう?
    これは、あんなふうにしてお手元に届いたものなんですよ~
    凱旋門の丸い絵はがきもルーブルから出したものでしたが、そちらには多分、ピラミッドのスタンプは押されていなかったんじゃないかな?
    (うちに届いたものは、ごく普通のスタンプだった…)

    ゲストさまへのおはがきの本文には、あえて多くは書きませんでした。
    ご家族の方の目に触れることも考え、フランス語を一言とか、ベルの台詞をフランス語にしたものなどをつらっと書いて、お送りしていました。
    そのためメッセージを書き込むスペースがスカスカで…
    だから局員のおじさまは、たくさんの切手で飾ってくれようと思ったんじゃないかなぁ。


    郵便局を出た私は、そのあと、比較的すいたエリアを休み休み観てまわった。
    といっても、腰や膝がアレだし、爪はパクパクしているしで、それほど動き回れたわけではなかった。
    でも私には、“今、ルーブル宮にいる”そのことだけで胸が熱くて、やたらと壁などを撫で回していた。




    館内。


    私が行ったときは、エジプトの特設展をやっていたみたい。


    ↑これはいつもいるみたいだけど(笑)


    ルーブルには、出来れば閉館時間ギリギリまでいたい気持ちはあった。
    でも結局、腰がどうにもダメで、私は今度こそ本気でホテルへ戻る気になり、美術館を出た。
    相変わらず、降り続く雨。
    気温もますます下がっているよう。
    街歩き系のガイドブックに載っている最寄りのタクシースタンドに着いたときには、既に長い列が出来ていた。
    傘をさして、うっそりと集まっている人たち。
    列といっても蛇行していて、家族連れの人たちは適当に広がったり散らばったりしているし、どこが最後尾なのか明確には判らない。
    並び順ぐらいで、つまらないもめ事になってもいやなので、近くにいた恰幅のよい男性に、最後尾はどこか聞いてみた。
    「タクシーをお待ちなんですよね?」
    「そうだね。もう結構並んでいる」
    「最後尾はどこなんでしょう?」
    「それなら、あのピンクの傘の人だよ」
    男性がそう言うと、周りにいた人たちも、「ピンクの傘の人よ」「あなたはこの方の後ろに並べばいいわ」と手招きしてくれて、どの人も本当に丁寧で親切だった。
    雨の中、長時間並んでいたら、殺伐とした空気になりそうなものなのに…
    (このことはとても印象深くて、私は帰ってきてから、さっそくサイト持ちの友達に話したけれど、そしたらそやつは「きっとゆずさんがよほどバカっぽく見えたんだよ」とバッサリ斬り捨ててくれた)
    なかなか進まないタクシー待ちの列。
    それでも、次の順番があの恰幅のよい男性とその家族になったときだった。
    車椅子に乗った老婦人と、その娘さんとも思える年齢の女性が、タクシースタンドにやってきた。
    老婦人は傘をさし、車椅子を押す女性は濡れている。
    そこに、しばし途絶えていた空車のタクシーが来た。
    「…」
    何かを話し出そうとする濡れた女性と、恰幅のよい男性が話し出したのは、ほぼ同時だった。
    「あなた方が先に行くべきです」
    そして、男性が言い終わるか終わらないかのうちに、乗降場所付近に溜まっていた人たちは、車椅子が通るためにザザッと道をあけた。
    女性がお礼を言いながら、車椅子を押してタクシーに近づくと、そばにいた人がサッとドアを開けた。
    そこからは、流れるように鮮やかだった。
    女性が老婦人の介助をしている間に、傘を受け取って手早くたたむ人、降りた車椅子をタクシーのトランクへと押して行く人、ドライバーがトランクを開けている間に車椅子はキュッと折りたたまれていて、すぐに中へとしまわれた。
    あっという間だった。
    そして、あっという間の時間のあとは、誰もが普通で、何があったふうでもなかった。
    今回の旅行では、こういった風景を何度も見た。
    段差にさしかかる車椅子を見かけると、ユーザーが声をかける前に、近くにいる人がササッと手伝い、何をした顔をするわけでもなく去っていく。
    ごく当たり前に。
    そして、石畳が多く、車椅子には不向きなはずのパリの街には、車椅子に乗った観光客がたくさんいた。
    ……助けてくれる人も、たくさんいるから。


    そのしばらくのち。
    ようやく私の番がきたタクシー乗り場。
    ドライバーさんは、黒人系の肌の色に、チリチリした髪のレゲエっぽいお兄さんだった。
    私は乗車拒否が心配だったので、まず、行き先が近いことを聞いてみた。
    「ホテルに戻りたいんだけど、近いの。大丈夫?」
    「もちろんO.K.だよ~」
    タクシーの車内には、ラジオから陽気な音楽が流れている。お兄さんはその音楽と同じノリで、ファンキーに答えてくれたので、私は安堵でだだ崩れになりそうだった。
    これで部屋に戻れる…
    ほっとしながらタクシーに乗りこみ、私はまた、バッグのポケットからホテルの住所の書いてあるメモを切り取った。
    「ここなんだけど」
    「ん~… 判った」
    雨の中、走り出すタクシー。
    私は本当に安心して、しばらくは腰の楽なポジションを探して、何度も座り直していた。
    落ちついてからは、お財布の中に、少額紙幣があることを確認したりしていた。タクシーなどに、おつりの用意があまりないと個人のブログで読んでいたので、少額支払い用のお財布は別に用意していたから。
    …うん、大丈夫だ。
    私が本当に落ちついたと思ったのか、お兄さんが話しかけてくる。
    「パリは初めて?」
    「そう。昨日着いたの」
    「あなた、日本人でしょう?ぼく、北海道に行ったことがあるよ」
    お兄さんは、いくつかの日本語を口にした。
    「北海道は、私の父が産まれたところよ」
    これは本当で、早くに死んだ私の父は北海道の出身だった。
    そこから結構話がはずんで、私はお兄さんといろいろおしゃべりした。
    ちなみに、ここらへんの一連は全部英語で、フランス語はまったく使っていない。
    ガイドブックなどには、英語を話すドライバーは少ないと書いてあったけれど、私が滞在中に出会ったドライバーはみんな、英語O.K.な人だった。
    「ノートルダムのタワーでぎっくり腰をやっちゃってね。それで帰りはタクシーにしたの」
    「ええ!?それは大変。大丈夫?」
    (迷子とはとても言えず、もちろん“ぎっくり腰”はiPadの翻訳で調べた・笑)
    「今日はお仕事忙しい?」
    「雨だから忙しいね~」
    「そう。ごめんなさいね、忙しいときに近いところで」
    「問題ないよ~」
    そんなやり取りをすること30分弱。
    雨のせいか、渋滞でなかなか進まないタクシーも、ようやく覚えのある道に入った。
    よかった。着いたー!
    私はメーターを見ながら、紙幣とお菓子を取り出した。
    なんでお菓子?と思う方もいるかもしれない。
    でもこれは私の習慣で、海外に行くときはいつも、日本らしいお菓子と絵はがきをたくさん持って行くのだ。
    そして、ルームメイクをしてくれるスタッフに、チップと一緒に添えて置いたり、観光地でちょっとしたお世話になった人などに、小さなお礼として渡している。
    これは、学生時代のリゾートバイトの経験から始めたことだ。
    (リゾートバイトが判らない~っていう人は、検索してくだされ。文字数足りなくて説明する余裕がないっす)
    私は当時、ホテルのルームメイドのバイトをしていたけれど、ときどきお客さんから“地元の銘菓”なんていうプチ土産をもらうことがあり、ちっちゃなお菓子1個でも、その気遣いが嬉しかったりした。
    だから自分が旅行に行くときも、そういうものを持って行くようになった。
    特に海外に行くときは、トラディショナルなものと、今の日本っぽいものを織り交ぜて持って行くようにしていた。
    日本という、独特な文化を持ちながらも、新しいものを柔軟に取り入れていく国に、興味を持って欲しいから。
    ホテルの向かいの道で、ピタリと止まったタクシー。
    私は紙幣で支払った。
    「おつりはとっておいて」
    タクシードライバーへのチップは、料金の10%が目安。でもその時は、相場などは全然考えずにそう言っていた。
    けれど、お兄さんは「ダメだよ」と言って、おつりを用意しはじめた。
    「おつりはあるよ~」
    「いいの。雨が降っていてぎっくり腰で、本当に困っていたから。とても助かったのよ」
    そして私は、振り返っているお兄さんの前に、ヌッとお菓子の小袋を差し出した。
    今回は紀州南高梅味の柿ピーだ。
    「古くからある日本のお菓子。よかったらどうぞ」
    私がそう言うと、お兄さんは「ぼくに?」と、驚いた様子だった。
    それから、片手を胸に当てておじぎをし、丁寧に受け取ってくれた。
    そうした仕草はなんだかとても紳士っぽくて、いかにも西洋~って感じで、私は内心、テンションうなぎ登りだった。
    そしてお兄さんは「じゃあ、ぼくはコレをあげるよ」と、粒ガムの入ったボトルをニュッと突き出してきた。
    「めるしぃ」
    私はそこからガムを2粒もらい、タクシーを降りた。
    お兄さんは雨の中、車を降りて、道を渡る私を見送ってくれた。


    まったく予定通りにはいかなかった観光1日目は、こんなふうに終わった。
    でも、いい1日だった。


    今回、思ったより写真が少ない&微妙と思った方もおいででしょう。
    その理由… とある凡ミスはのちの更新で出て参ります。


    第6話 「ようやくのベルサイユ:宮殿」へ続く
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