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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【1】

UP◆ 2012/8/20

    「どうしたものだろう」
    宮殿内に与えられた私室で、深紅の軍服を脱ぎながら、オスカル・フランソワは忠実な従僕に問いかけた。
    「王妃さまからのお招きかぁ。おまえ、行きたくないんだろ?」
    行きたく、ない?
    いや、そんなことはない。
    いくらポリニャック婦人への傾倒が激しくなったとはいえ、王妃のオスカル・フランソワへの信頼は今も厚い。
    彼女の方だって「いずれオーストリア皇女が嫁がれたら命を賭してもお守りし、お仕えするように」と父親に厳しく叩き込まれて育ってきた。
    14の頃からお側近く仕え、立場を超えた友情を育んできた王妃。
    今は少し距離を置いているけれど、それは王妃を思えばこそで、慕わしく敬愛する気持ちに変わりはない。
    オスカル・フランソワまでもがプティ・トリアノンに出入りするようになったと宮廷雀たちに噂されれば、その偏愛ぶりに、王妃の評判はますます悪くなるだろう。
    自分が存在を控えることで、少しでも王妃にとっての風当たりが和らげばよいと彼女は考えていた。
    しかし。
    「辞退しようにも」
    「正式の招待じゃなぁ」
    今日の午後、勤務中の彼女に突然密やかに届けられた招待状。
    Lisの紋章に王妃直筆のサイン。
    臣下の身には、気軽に断れる種類の招待状ではなかった。
    彼はテーブルに置かれたそれを手に取ると、もう1度内容を見直してみる。
    王妃主催の夜会で、開催日時は今夜。
    なんて急なお召しだろう。
    しかも場所はアモー。
    プティ・トリアノンの庭園奥、王妃がお気に入りとだけで過ごす、農村を模した田舎造りの一角。
    わがまま王妃の孤立の象徴。
    オスカル・フランソワが難色を示すのも無理はないと彼は理解したが、彼女の妙に歯切れ悪くグズついたそぶりは、それだけじゃないような気もしていた。
    ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン。
    その人もまた、この夜会に招かれているのかもしれない。
    王妃とフォン・フェルゼンの恋。
    影ながら支えてきたオスカル・フランソワであったけれど、彼女もまた、フェルゼンを心密かに愛していた。
    その想いは、ジャルジェ家の嫡子として、先の陛下に男装での参内を許されている彼女にとって、絶対に人に知られてはならぬもの。
    実際彼女は、自分の気持ちを実にうまく軍服の中に包み込んでいた。
    近衛連隊長と陸軍連隊長の篤い友情。
    誰もがそう思って疑わない。
    特に、フォン・フェルゼン。その人こそが。
    けれど。
    唯一アンドレだけが、彼女の片恋に気づいていた。
    おまえが今夜の招待に気が進まないのは、お2人の姿を目の当たりにしたくないから、じゃないのか?
    そう聞きたかったけれど、彼にはどうしても聞くことができなかった。
    そして、小さく気にかかっている子供じみたひと言もまた、口に出すことができなかった。


    「よく来てくれたわね!」
    臣下の礼を取るべく膝をつこうとした彼女に、王妃は飛びついてきた。
    嫁いだ頃と変わらぬ無邪気なふるまい。
    母となっても、なんとかわいらしいお方なのだろう。
    女の身の彼女ですら、愛らしく守ってやりたい気持ちをかきたてられる王妃。
    男の目には、いかばかり可憐に映ることか。
    ことに、あの男には。
    「来てくれて本当に嬉しいわ、オスカル。
    招待状の意味に気づいてくれたのね」
    彼女はただ静かに頷いた。
    突然のお召し。
    もし本当に正式な招待であるのなら、その招待状はもっと早くに届いて然るべきなのだ。
    王妃とあらば、庶民が思いつきで飲み会を開くようなわけにはいかない。
    もてなしに万全を期すため、準備に時間もかかろうし、招待を受けた客の方も、ローブなどを新調し、髪型や小道具に趣向を凝らす。
    おそらく正式な招待客には、もっと早い時期に招待状が届いているに違いないのだ。
    ではなぜ、王妃が正式な招待を装ってまで、彼女を呼びだしたのか。
    少し考えれば簡単なことだった。
    この夜会に、どうしてもオスカル・フランソワを出席させたい、緊急な何かが起きたから。
    茶話会やカードの会、私的な夜の宴。
    王妃はさまざまなお遊びのたびに、彼女に声をかけてきた。
    でも彼女は、決してプティ・トリアノンに近づこうとはしなかった。
    オスカルを夜会に来させるには、どうしたらいいだろう。
    王妃の考えた苦肉の策が、Lisの紋章と直筆のサインの入った招待状だったのだ。
    聡明な彼女であれば、きっとこの意味合いを見抜いて、どうしても会いに来て欲しいという気持ちを察してくれるはず。
    そして彼女は、王妃のその期待に応えたのだった。
    「何があったのです?」
    ブルーの部屋に通された彼女は、さっそく切り出した。
    こんなかたちで呼び出すなど、言付けることも、手紙に書くこともできぬ用件に違いない。
    「フェルゼンのこと、ですね?」
    彼女にまっすぐそう言われて王妃はホッと表情を崩し、薄く涙がちになった瞳で頷いた。
    「今夜の夜会自体が全部ウソなのよ、オスカル」
    「嘘!?」
    「夜会を開くと触れまわれば、招待した者しか今夜はここを訪れないでしょう?」
    「では、王后陛下はフェルゼンと2人きりの時間を持つために、平素お側に(はべ)っている者たちにまで夜会があると告げ、ていのいいお人払いをなさったと?」
    夜会の当日、招待されなかった者たちは当然ここを訪れない。
    その日に催しがあるらしいことを匂わせれば、プライドが高く体面を保ちたい彼らは、自分のところには招待状が来なかったことなど、絶対他言しないだろう。
    取り巻き連中に怪し気な口止めをして、フェルゼンを夜のアモーに引き入れるより、よほど自然で賢いやり方だった。
    「お気持ちは判りますが、なぜそんな危険なことを」
    王妃はつと立ち上がると、ブルーの部屋からつながる中階段へ彼女を促した。
    そこを降りてゆくと、表を回りこまずにアモーへと続く庭園に抜けられる。
    のんびりと点在する田舎家。
    そこを過ぎて、繁みと木立の間を分け入ると、繁る木々をついたてがわりに開けたスペースが現れた。
    「王后陛下、これは…!」
    練兵場の4分の1にも満たないそこには、ごく小さな小屋のようなものがいくつか散らばっていた。
    露店のような…?
    1つ1つの小屋に、異国の人と思われる艶やかな黒髪の男や女が1人、2人ずつ作業をしている。
    「陛下、これはいったい」
    「去年あたりからどこの国でもシノワズリが流行っているのは、あなたも知っているでしょう?」
    滑らかで鮮やかな陶磁器。
    質のよい絹糸と織物。
    東洋独特な珍しいデザインの意匠の数々。
    フランスだけでなく、ヨーロッパ中の王室や貴族の間で、ここしばらく大流行中のシノワズリ。
    王妃もいたくお気に入りで、本国から職人などを招き寄せていたらしいことは、彼女も知っている。
    「わたくしも一時期夢中になっていたのだけれど…
    招いた職人の中に、極東の小さな島国から来ている者が数人、混ざっていたの。初めて挨拶に顔を見せたとき、その者たちの着ていた美しい民族衣装を見て、わたくしは一目で気に入ってしまった。
    それからは毎日のように、代わる代わるその者たちを呼びつけては、小さな国の話をねだったわ。とても楽しかった。
    だって異国の者たちだから、影でこっそり、わたくしの悪口を言ったりしないでしょう?」
    「陛下…」
    「けれど、もう職人たちも帰るのですって。本当はね、もっと早く帰すはずだったの。でも、わたくしが今日まで引き留めてしまった」
    14で嫁いで来られた、同盟成立のための人質のような皇女。
    いかに長くこの地で暮らしたとしても、異国の人である王妃には、やはり異国の身の上の者にしか心を許せないのだろうか。
    彼女のほんの少し曇った瞳の奥に、湖の国の貴公子の姿が視えた。
    そうだ、あの男も異国の者。
    それゆえに2人は深く惹かれあうのだろう。この私など、割りこめぬほどに。
    「だからお別れの記念に、その小さな国の夏祭りを開こうと思ったの。話に聞いて、とても楽しそうだったから。
    そしてフェルゼンと一緒に、(つい)の夏を見送ろうと思った」
    「終の、夏?」
    「わたくし、フェルゼンの勧めに従って…宮殿に戻ります」
    王后陛下がプティ・トリアノンから宮殿に戻られる!
    このビッグニュースに、彼女は驚くと共に深く安堵した。
    これで王妃に対する風向きも変わり、ポリニャック夫人が歪んだ権勢を振るうこともなくなるかもしれない。
    愛する男と異国情緒を楽しみたいという、お目出たいお遊びかと呆れかけたが、この小さな夏祭りは、プティ・トリアノンでやっと手に入れた自分らしい毎日を捨てて、人質生活に戻るための、王妃には必要な儀式なのだと彼女は覚った。
    ことの是非はともかくとして、王妃がここで思うがままの自由な夏を過ごすことは、もうないのだ。
    「では陛下。これからここへフェルゼンが来ると?ならば、私を呼ばれたわけは?」
    「彼は来ないわ」
    「来ない?」
    「午後の謁見に紛れて、来てはいけないと、なんとか伝えた」
    王妃の声はいっそう切なさを帯びた。
    「本当に信頼できる人だけで、この計画を進めてきたのに …誰かが陛下に密告したらしいの。今夜、わたくしとフェルゼンがアモーの奥で密会するはずだと。
    陛下に追及され、わたくしは懸命にそれを否定して、とっさに言ってしまった。『今宵はオスカル・フランソワと一緒に、もうすぐ帰国する職人たちに作らせた、異国式の夏祭りを楽しむのです』と。
    陛下もあなたを信頼しているから、どうにかその場を取り繕うことはできたの。だからどうしてもあなたには今夜、ここに来てもらわなければならなかった。それで急遽」
    「紋章入りの招待状を、こっそり私に送られた」
    「ええ。そう」
    王妃はしばらく黙って、支度の進む小さな祭りの会場を眺めていた。
    彼女も一緒に、初めて来たアモーののどかな様子を興味深く眺める。
    きらびやかだが、どこか禍々しいベルサイユ宮と違って、ここはなんと優しいのだろう。
    王妃がこの仮りそめの農村を愛し、宮殿に戻りたがらないのも判る気がした。
    「ごめんなさいね」
    黙り込んだ長い時間が経ってから、王妃は小さく 微笑 (わら)った。
    「そうだわ!ねぇ、オスカル。アンドレは今どこにいて?」
    「私が宮殿にいただいている私室に控えているかと思いますが」
    王妃は先ほどまでの自分を打ち消すように、はしゃいだ声をあげた。
    「そう!ではアンドレも呼んであげましょう」
    アモーの中の“王妃の家”に向かいながら、王妃は彼女に命じる。
    「あと3時間もすれば、すっかり陽も落ちることでしょう。
    アンドレにはわたくしから使いをやるから、あなたはプティ・トリアノンに戻っていらっしゃいね。侍女たちに、あなたのお支度を申しつけてあるから」
    「私の支度、でございますか?それに陽が落ちてしまっては、あの木立の中は暗闇になってしまうのでは?」
    王妃は秘密を隠す子供のような目をして、抑えきれない笑みを漏らした。
    「いいから!黙って言うことを聞いて、ね?
    きっとあなたも気に入るわ」
    「…はい」
    王妃の命令に不可解なものを感じながら、彼女は王妃を“王妃の家”に送り届け、そして首を傾げながらプティ・トリアノンへ向かった。
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