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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


【貴賓室】へはこちらの階段からお進みください。
貴賓室へ
ゲスト作家さまの作品がお楽しみいただけます。

    闇の中、繰り出されるたびに肉迫してくる刃。
    それをなんとか交わしながら、俺は少しずつ、争いの場を厨房の方へと誘導していた。
    この侵入者は、フランソワの存在に気づいているんだろうか。
    頭の中で描く屋敷の見取り図。出入り口はメインエントランス以外にも、いくつかある。
    かつては絢爛な舞踏会が開かれたであろう大広間からは庭園に出られるし、いくつもあるゲストルームにはテラスがある。その気になれば2階のバルコニーからだって、体の軽い子供なら、根を張ったツタ伝いに降りられるだろう。
    俺がこの侵入者を引きつけているうちに。
    ―― 逃げるんだ、フランソワ。
    あと1時間やそこらもすれば国民衛兵の巡回が来る。それはそれで助けかとも思えるが、俺がこんな時間にベルサイユにいることも、旧ジャルジェ邸の内部に入りこんでいることも説明出来ない。
    ここに子供がいる理由も。
    頬ギリギリを掠める刃。
    散漫になってる場合じゃなかった。俺がここでやられたら、フランソワを余計危険にさらす。
    暗闇に張りつめる、緊迫感と集中力。
    互いに相手の姿はろくに見えていないはずで、ほとんどカンだけの攻防が続く。
    攻防といっても、こっちはただ避けるだけ。そんな中でも俺は、なんとか侵入者の手首を打った。
    硬質な音をたてて取り落とされるダガー。
    すかさずそれを拾って、俺は反撃に出る。
    あの暗殺未遂以来、武器を持つのは久しぶり。刃渡り20センチにも満たないダガーだけれど、背筋に心地良い緊張が走った。(つか)が手のひらに吸いつくようで、思うままに体が動く。
    いける!
    俺は心中ほくそ笑んだのだが。
    「キィーン」
    狙いすました一撃が、鋭い音とともに跳ね返された。
    ちっ、もう1本持ってたのか。
    俺の攻撃を受け止めたのも、たぶん小ぶりなダガー。
    近接武器同士の争いになり、間合いがグッと近づいた。手数が増えて金属音が絶え間なく響く。
    ああ、すごい。
    久々に対峙するやりがいのある相手。
    その手応えにゾクゾクしてくる。
    …まさか。
    無理やりに押し上げられる緊張感で神経が異常に冴えてきて、相手の次の手までが読めるようだ。
    ちょっと怖くて、でもそれ以上に歓びの湧くこの感覚は、きっと軍人にしか判らない。
    バカみたいな高揚感と、たまらない懐かしさ。
    そう。そうだ。
    あの頃、俺はこんなふうだった。考えるより先に体が動いて。
    まさか、この侵入者は。
    俺にはもう、フランソワを気にかける余裕はなかった。
    「ぐっ!」
    不意に下っ腹に蹴りを喰らって、膝をつく。
    まったく加減ってものがない。
    鮮やかなひと蹴りに、思わずニヤリと笑いが漏れた。
    輪郭の濃い薄いでしか姿が見えなくても、相手の体格は判る。蹴りを入れてきた間合いで察するに、恐らく俺より10センチは背が低い。それでも決して小柄ではない。
    それなのにそいつは、ものすごく身が軽かった。俺も動ける方なのに、ぶっこんでいく攻撃は全部軽やかにかわされてしまう。ただ、切り結んだときの感触から、力は俺の方がまさっていた。
    やはりこの侵入者は!
    スピードとパワーと。
    どちらも引くことのない膠着状態が続く。
    このままでは、らちが明かない。
    …もう、じゅうぶんですよね?
    俺はキンキンと刃が交錯する中、構えたダガーをダラリとおろした。
    手から抜けて床に転がる唯一の武器。
    ガラあきになった俺の懐に、侵入者が突っ込んで来る。
    次の瞬間には、喉元で切っ先が寸止めされていた。
    「ふーっ」
    緊張を解いて、熱く吐き出される息。
    濃い闇の中でも、互いに笑みを浮かべているのが判る。
    「…隊長!」
    「やは…り、気づいて…いたの…か」
    「気づかないわけないじゃないですか!」
    体がずるりと崩れていく。
    「はぁっはぁっはぁっ」
    隊長の息づかいは既に促迫していて、胸にはいやな音がしていた。力が抜けてさらに崩れ落ちそうになる体を、俺はしっかり抱き留めた。
    「アラ…ン…?」
    雑音の混ざったひどい呼吸。ぐったりした体を抱き上げる。
    「少し黙っててください」
    俺は隊長を抱いて、談話室に向かった。
    「おまえ… 変わらないな。いや、むしろ……腕を上げた」
    「これでも一時は最前線をさまよってきましたから。それに…」
    涙目に鼻水混じりで揺れてきた声を覚られたくなくて、俺は語尾を濁す。
    「…あなただって、少しも…」
    「私がこんなふうに動けるのは、5分が限界だ」
    苦笑した気配を漂わせ、あなたはふつりと気を失った。
    「隊長っ!?」
    談話室の奥、もっとも大きなソファにあなたを寝かせ、俺は胸に耳を当ててみる。
    濁って重い呼吸音に、早鐘のような鼓動。
    こんな無理をして。
    それでも。
    どんな挨拶を交わすより、こんな形が、この人と俺にはもっともふさわしいと思えた。
    ああ、隊長。
    あれほど力強く俺たちを導いていたこの人が、これほどかぼそく弱々しくなっている。
    でも。
    「…生きて会えた」
    そう、生き…て!?
    圧倒的な高揚感に飲まれて、すっかり忘れていたけれど。
    「フランソワ!」
    ハッとした俺が振りかえると、少し離れたソファでフランソワが手燭を頼りに図嚢を漁っていた。
    「ちょっと待って、アランさん。……っと、あった!」
    灯りと共に近づいてくるフランソワの手には、小さな酒瓶が握られている。
    「これ、飲ませてくれる?気付けになると思うから」
    「お… おう」
    「僕、母さんのダガー拾ってくるね」
    フランソワはあっという間に闇に消えていった。
    押しつけられた手燭と酒瓶。
    どうしよう。
    俺はものすごく迷ったけれど、おずおずと灯りを隊長に近づけてみた。
    「ああ…」
    あなただ!
    変わってない。
    もちろん年相応の変化や、病みやつれた感はある。
    でもそういうことじゃない。
    この人はいつまでもこの人で、どうあっても俺にとっては、あの頃と変わらぬあなただった。
    ソファに横たえられ、豪華な黄金の髪に埋もれた頬。苦しげな表情と乱れた息遣いは、妙に官能的に見えた。
    ぷち…っ。
    頭の片隅で、理性の糸が切れる。
    俺は酒瓶を開けて少量口に含み、まったく無防備なくちびるをふさいで割り開いた。
    慎重に、少しずつ流し込んでいくブランデー。
    こくんと喉が動くのを確認しながら、2度3度と口移しに飲ませた。
    「…ぅ…」
    ほんの微かな声。
    表情が少し和らいだようだ。
    このぶんなら、いくらもしないうちに目を覚ますだろう。顔を見て話したいことが、俺には山ほどある。
    でも。
    超至近距離の隊長のくちびるがまだ濡れていて、俺は自分でも判るぐらいに顔が熱く赤くなってしまい、慌てて廊下へと出た。
    別にやましいことはしていない。だけど。
    「はあぁぁぁ」
    壁に寄りかかったまま、ズルズルとしゃがみ込む。もういい歳だというのに、あの人のこととなると、俺はケツの青いガキのままだった。
    そんな俺を、フランソワが見下ろしている。
    俺が廊下の角に置き去りにした燭台を持って、ニヤニヤ笑っている。
    ホントになんて食えないガキだろう。
    「どういうことだよ」
    「なにが?」
    「故人って言ったろ、おまえ。故人の忘れ物を取りに来たって」
    「え?え!?それ、どういうこと?」
    「“どういう”って、だからそれは俺が聞いてんだよ」
    とぼけているわけではなさそうなフランソワ。
    「あのロザリオ。形見の品だって言ったじゃないか」
    「うん」
    フランソワは俺の横に並んで座り、肩からかけた図嚢を開いた。
    ちゃり…
    取り出され、吊り下げられるロザリオ。
    俺はそれを手のひらに受け、センターメダイを裏返した。
    そこに刻まれた人の名前。

     a r n G a e

      car  anco
    de J rj e

    「これはおばあちゃんのロザリオなんだ」
    「は?」
    「ああ、正確には“ひいおばあちゃん”か。僕はいつもおばあちゃんって呼んでたけど」
    「なん…」
    「ジャルジェ家で、母さんのばあやを務めていた人だ」
    「んなこと判ってる!」
    そうじゃなくて。
    「だってこれ、このメダイ。彫り込まれた名前は」
    「…名前? これは母さんが近衛に入隊して初めてもらった俸禄でおばあちゃんに贈ったものだもの。だから」

    【 a r n G a e

      car  anco
    de J rj e 】

    そう見えたものは、こうだったというのだ。

    【 chère(親愛なる)
    Marrons Glaces

    Oscar Francois
    de Jarjayes 】

    「はあぁぁぁ!?」
    「うーん。確かに古いものだから、かなり彫りが薄くなっているけど…」
    フランソワは寂しげに笑ったけれど、俺はそれどころじゃなかった。
    「だって… だって長患いしてたって言ったじゃないか!」
    「そうだよ。僕がもの心ついた頃にはすっかり病気がちでね。しょっちゅう寝こんでた。でも心臓だけは丈夫だったから、早々に余命宣告したお医者さんも“奇跡だ”っていうぐらい、長生きしてくれた。父さんなんて“バケモノみたい”って笑ってたよ。本当に逝ってしまったときには、“バケモノでもいい”って号泣してたけど」
    「な…んだそりゃ」
    いったいいくつだったんだ、そのバァさん。まさに化け物並みじゃねぇか。
    「昔は父さんもヤキを入れられて、ボコボコにされたらしいよ。そんな場面なんて見たこともなかったけど。それに僕たちにはいつだって、限りない愛情を注いでくれていたからね」
    「なんだよ。最初っからそう言えよ!」
    「アランさん、もしかして怒ってる?」
    「当たり前だろ!おまえの口ぶりじゃ、まるであの人が死んだみたいだったじゃないか!!」
    「やだな~ あの母さんが僕たちを残して死ぬわけないでしょ?」
    フランソワは屈託なく笑った。その上
    「まったくだ。アラン、人を勝手に殺すんじゃない」
    頭上からは苦笑混じりの声が降ってきた。
    「隊長っ!?起きて大丈夫なんですか?」
    「ああ。少し動き過ぎただけだ」
    しっかりした口調に俺は安心し、安心したとたん、自分がどれほど“故人”という言葉にショックを受けていたかが沁みてきた。
    「俺がっ… この年月、俺がどれだけ心配したか。フランソワのボケに死んだと思い込まされて、どっ… どれほど俺がっっ!」
    安堵のあまり隊長に八つ当たりする俺は、どうしようもないほどガキ丸出しだ。
    隊長は“仕方ない奴だ”というように、クックと笑ってるし、フランソワまでがおんなじ表情で笑ってるもんだから、余計に頭にくる。
    「隊長っ!!」
    でも俺の驚きは、ここからが本番だった。
    「私が召されたなどと、早とちりもいいところだぞ。こんな身体の私だが、親となった以上は出来うる限り、子供たちの行く末を見届けてやらねばならん」
    「ええ、それはもちろん親な…ら… ぇっ!?」
    子供…たち? 子供“たち”だと!?
    聞き間違いかとも思い、でも言葉が出せずにパクパクする俺に、フランソワがクイと親指を向けた。
    「あっち」
    俺がフランソワの目線をたどると、そこには厨房の扉から顔をのぞかせる子供の姿が薄暗く沈んで見えた。
    手招きするフランソワに、タタッと走って来る。
    フランソワとは色違いのショールに顔を埋もれさせて、でも半長靴(はんちょうか)など履いておらず、ドレスの裾が足首あたりで躍っている。
    女の子だ!
    その子はフランソワにキュッと抱きつくと、怖かったと訴えた。
    真っ暗な厨房で待つように言われ、人の争う音はするし、本当に怖かったのだと涙声になっている。
    「それなら僕がもっと灯りを増やしてあげるよ」
    フランソワは少女の手を引いて談話室に入っていき、俺と隊長も、なんとなく後に続いた。
    「隊…長、あの子は。あの子供たちは…」
    フランソワが燭台をいくつか出してきて、窓のない壁側で灯を点す。暖色系の光の輪が広がって、よりはっきりと子供たちの姿が浮かび上がった。
    それを隣のソファに座って凝視しする俺は、たぶん度肝を抜かれたマヌケな顔をしてるんだろう。
    「神は私に、子供を作る手間と産む手間を1人ぶん端折らせたらしい」
    双…生児…!?
    あのヴァランタンに生まれたのは、ふたごだったのか!
    「おいで、2人とも」
    「はい。母さま」
    隊長が声をかけると、子供たちは素直に頷いて、ころころと寄ってきた。
    「こちらの方へご挨拶を」
    帽子とマントを取り去って、フランソワが俺の右に、少女は左に座る。
    シンプルな白いブラウスにキュロット姿のフランソワ。アッシュブロンドの髪は、後ろでひとつに束ねられていた。
    灯りの増えた中で改めて見ると、やはりその顔立ち、パーツのひとつひとつはアンドレに似ている。
    「改めまして、アランさん。僕がヴィクトール・フランソワ。“一応”兄です。そしてこっちが妹の」
    「…ディアンヌ・フランソワーズ…です」
    少女はうつむいたまま、消え入りそうな声でそう名乗ったが、髪の隙間から見える頬や耳は、旬のりんごみたいに真っ赤だった。
    「なん…なんだ、これは…」
    「ディアンヌはちょっと人見知りなんだよ、アランさん。気にしないでやって」
    「そういうことじゃない!隊長、“ヴィクトール”って。“ディアンヌ”って、どういうことなんです!?」
    「どうもこうも。子が生まれたら、男児であればヴィクトール、女児であればディアンヌ。最初からそう決めていた。それがたまたま双生児だったものだから、用意していた名前を余さず使いきれたということだ」
    「あま… 余さずって隊長」
    ああ、ダメだ。
    賊が出て子供が出現し、隊長が死んだり生きてたりバァさんが化け物だったり、さらに子供が追加され、俺の頭の中はもうグチャグチャだった。
    「わけ判んねぇぞ!!」
    俺がちょっと大きな声を出すと、少女はキュッと身をすくませた。
    「ちょっと気をつけてよ、アランさん。ディアンヌは父さんが純粋培養で育てた超箱入り娘なんだから」
    ショールに顔を隠して、怯えた様子の少女。
    「あ… ああ。怖がらせたなら悪かった」
    俺が無骨に謝ると、少女はゆっくり顔をあげた。
    「いいえ。わたしこそごめんなさい」
    その瞬間。
    ぐはっ!
    胸を撃ち抜かれた気がした。
    俺を見上げてくる青い瞳。
    キラキラに豪華な金色の髪。
    なめらかに白い頬とくちびるの紅。
    似てる。
    てか、これはもう、そんなレベルじゃない!
    まんまミニチュア。
    そこにいたのは、少女の姿をした隊長だった。
    恐るべし、女系・ジャルジェ家の血筋。
    あまりに似すぎたその子供に、俺は思わず後ずさった。
    けれど少女は意を決したように、せっかくあけた間合いを詰めてくる。
    「わたしの名前はあなたの妹さんからいただいたのだと母に聞いて… ずっとお会いしてみたいと思っていました」
    「そっ、そっか。悪かったな、実物がこんなおっさんで」
    「おかあさまのお話では、もっと怖い人かと思っていたけれど…」
    少女が俺の手を取る。
    「とても素敵な方でした」
    恥ずかしそうにほっぺたを赤くして、青い瞳をうっとり揺らして、隊長の顔をしてにじり寄ってくる少女。
    ひいぃぃぃ。
    「フランソワが待ち合わせに遅れなければ、わたし、ここには来ないはずだったの。おかあさまと一緒に、ベルサイユの郊外でおとうさまとフランソワが戻るのを待っている約束だったから。でも、来てみて良かった!」
    少女は俺の手を握りしめ、うるうるした瞳を向けてくる。
    隊長クリソツな顔に迫られて、俺はますます後ずさった。その背中に、ピタリとフランソワが張りついてくる。
    「ディアンヌには気をつけた方がいいよ、アランさん」
    耳もとでこそばゆく囁く。
    「あいつはすごい人見知りのくせに、黒髪黒眼の男にはめちゃくちゃ弱いんだ。極度のファザコンでね。でもディアンヌにしてみれば憧れだけだから、いつも相手を勘違いさせる。本当にたちが悪いんだよ。自覚のない女って怖いよね」
    やれやれと言った様子のフランソワに、一人前ぶりやがって、とも思ったが、でも、自覚もなく男の気持ちをかき乱す女なら1人心当たりがある俺は、大きく頷いた。
    「父さんは未だに母さんにぞっこんで、だからディアンヌのことも舐めるように可愛がってる。なにしろあの外見でしょ?おかげで父さんには、僕まで心配する余裕がないんだよ。あの2人は、母子揃って人をハラハラさせる名人だからさ」
    そう言って離れたフランソワの笑顔は曇りがなくて、口ぶりとは裏腹な両親への信頼が感じられた。
    そうだよな。あのアンドレが自分の子を…
    隊長が命がけで産んだ子を、可愛がらないわけがない。
    「そういえば隊長、アンドレのヤツはどこに行ってるんです?」
    「さぁな。私も何度か聞いたが、結局言わずじまいだった。どうやら私には、あまり会わせたくないらしい。それが誰かは、おまえにも想像がつくだろう?」
    「…あ」
    ああ!
    その人に会うことが、ベルサイユのはずれまで来るよりずっと危険だからなのか、それともアンドレの心情に因るものなのか、もう長いこと会っていない俺には判らない。
    でも。
    たぶん、後者な気がした。
    あいつもなんだかんだ言って、隊長のこととなるとガキだから。
    「ところでフランソワ」
    それまで比較的くつろいだ雰囲気だった隊長が、ほんの少し、空気を変えた。
    「用件はすべて済んだのか?」
    「はい。ほとんどは」
    フランソワも、それまでのちゃらけた表情を引き締める。
    テーブルに放りっぱなしだった図嚢を手繰り寄せて、中身をチラリと見せた。
    「これが母さまのおっしゃっていらした日記帳。そしてこっちがディアンヌに頼まれていたおばあちゃんの肖像画」
    「わぁっ」
    少女が小さな歓声をあげる。
    「残っていたの?」
    「使用人の個室に。おばあちゃんの友達の部屋だったのかもしれないな。図嚢に収まりきれなかったから、少し切っちゃったけど」
    「それは致し方あるまい。そして?」
    先を促すように隊長が語尾をあげると、フランソワはアンドレの剣をずいと押し出した。
    「やってみたいんだよ、僕。どうしても!母さまだって僕の歳にはもう、ご自分の進む道を見定めていらしたのでしょう?」
    「だが、私の頃とは時代が違う。世情はより厳しく、実情はおまえが憧れるほど美しくも潔くもないだろう」
    「それでも!」
    「ちょっと待ってください」
    まったく見えぬ話の流れに、俺は母子の会話を止めた。
    「突然なんなんです?俺を巻きこむなら、俺に判るように話してくれませんか」
    「ふぅ…む」
    隊長は暫し黙りこんだけれど、それは“言いたくない”というよりは、どう話したものか整理しているようだ。
    「テストだったんだ、これは」
    待ちきれなくて、口を開いたのはフランソワの方が先だった。
    「この屋敷に忍びこみ、母さまの日記帳とおばあちゃんの絵と、父さまの剣を持ち出してくること。そしてアランさんと極秘に面談し、了解を取りつけること」
    「テストだと?」
    「うん。それを滞りなくやり果せれば、父さまのことは母さまが説得してくれるって。でも、国民衛兵の巡回には見つかっちゃうし、学長室には上手く忍びこめなかったし、帰りの待ち合わせ時間には遅れて、母さまとディアンヌをベルサイユ市中まで来させてしまった。顔の知られ過ぎている2人をここまで来させるのがどんなに危険か、父さまにはきつく言われていたのに…」
    言ううちフランソワはうつむいて、ギュッとくちびるを噛んだ。
    「もう既に、自分で答えが出ているというわけだな」
    「はい、母さま。でも僕!」
    「だーかーらっ!俺にも判るように話してくださいって言ってるじゃないですか!!」
    また母子だけに話が持っていかれそうになって、俺は割りこんだ。そろそろ国民衛兵隊の巡回の時間がくる。悠長なことをやってる場合じゃない。
    「ひとことにまとめて話せないもんですかね?ったく、これだから女は…」
    付け加えた方の言葉はブツブツと呟いただけだったのに、ピクッと隊長の眉が動いた。
    「ほう。ならひとことで言ってやろう。当然おまえもひとことで返してこれるのだろうな?」
    挑発してくる隊長が懐かしくて、俺は大げさに頷いてやった。
    「 当 然 で す 」
    「では。…フランソワがおまえの元で、軍人になりたいと言っている」
    「…へ?」
    「お願い、アランさん!僕、母さまを超える軍人になりたい。だから、母さまを知るあなたの元じゃなきゃ意味がないんだよ」
    「……へっ?」
    「もちろんアンドレは反対しているぞ」


    たたみかけてくる母子に、俺がひとことで返事を出来るわけがなかった。


    7につづく
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