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【待ち人薫る 3】 (2012/ 夏企画)
UP◆ 2012/7/20「ア~ンドレっ♪アンドレ!?ねぇ、アンドレ?」
チロチロ揺れて、妖しい影を踊らせる暖炉の火。
彼の名を呼ぶ甘ったれた声と、パチパチはぜる薪の音。
開いた扉から彼に呼びかけていた女は、コトコトと遠慮がちな靴音で部屋に入ってきた。
炎に煽られて、壁に映る女の影は、大きくなったり、小さくなったり。
「アンドレ? アンドレ…いない、のね」
彼が不在と判り、思案する気配は伝わってくるが、女に部屋から出る気はないらしい。
靴音は部屋の中を歩きまわっているようで、不意に途切れて立ち止まってみたり、なにかを手に取っているのか、物を動かす音もする。
やがて足音はオスカル・フランソワの潜む、造り付けのクローゼットへ向かってきた。
まっすぐ近づいてくる女に、彼女は建具の隙間から目を凝らしている。
暖炉を背にした逆光で、顔はよく見えないけれど。
これは…昼間も部屋に入り込んできたナターシャじゃないか!母上付きの侍女が、なぜ今ここに!?
ジャルジェ家はただいま、夫人主催の舞踏会の真っ最中。宴もたけなわで、もっとも忙しいところ。大サロンでは猫の手も借りたいぐらい、てんやわんやしているはず。
それなのに。
なぜこの娘は、こんな日に休みが取れたのだ?
彼女は疑問に思いながらも息を飲み、気配を殺す。
使用人用の湯殿へと向かう彼を見送ったオスカル・フランソワ。
ほんの少し前まで、恐ろしく積極的に彼を誘惑していた自分に呆然とし、そして、続いて湧き上がってきた恥ずかしさに、寝台の上で身悶えしていた。
『いやだ。今がいい。今すぐ……して』
なぜあんなことを言ってしまったのだろう。
自分でも信じられなかった。
アンドレはどう思っただろうか?もしかしたら、実は遊び慣れた女だと思われた!?
抱き上げて運ばれ寝台に放たれた瞬間、冷えたシーツの感触に、彼女はいつもの自分を取り戻した。
男の部屋に入るなり誘いこみ、寝台へと所を移させたのが自分だと。
どう…しよう。遊び慣れてなんか、いないのに。
彼がシャツを脱ぐ気配を、身のすくむ思いで聴いていたのだが。
そのあと、威勢よく扉を叩くマロンに気をそがれ、さらには彼のいない部屋にこうして闖入者が訪れ。
昼間から私は、隠れてばかりではないか!
恥ずかしさに身悶えて、シーツの上を転げ回っていた彼女だが、廊下を歩く人の気配には敏感に気がついた。
これはもう、職業病と言えるもの。
音もなく扉へ寄り、静かに施錠を解く。
アンドレか?
いや。
もしアンドレでなくとも、彼不在の部屋に内鍵がかかっていると発覚すれば、それはそれでまずいものがある。
呼吸を抑え、慎重に行動する彼女に、先ほどまでのおかしな欲求は消えていた。
ごく冷静に頭が働き、音を立てぬように施錠を外すと、そのままそろそろと退がって、天井まである大きなクローゼットの中に身を潜めたのだった。
しかし。
選択ミスだな。隠れられるのが、ここしかなかったとはいえ…
だんだんと近づいてくる足音と、灯りを背負った影。
握った拳に嫌な汗をかく。
こんなことなら、椅子にでも座って、堂々と闖入者を迎えれば良かったかもしれない。2人の幼なじみ関係は周知のことだし、クローゼットの中で見つかるよりは、よほどやましさがないだろう。
すべてはあとの祭り、か。
目を凝らす彼女の視界から侍女はいったん消え、隣のクローゼットの扉を開いているような振動が響いてきた。
次は絶対、こちら側の扉だ。
どうする?どうする!?
カタッ
目の前の扉が揺れて……万事休す!
「―― あっ」
侍女のあげた声に、彼女はギュッと目を瞑った。
が。
「あ…の、ごめんなさい!」
は?
「悪気はなかったの」
へ?
うろたえ気味の侍女の声に、彼女は目を開けてみる。
目の前のクローゼットの扉は少しも開けられておらず、隙間から見える侍女の目線はよそを向いていた。
「どういうつもりだ?」
怒気を少しも隠さない、男の低い声がする。
「ごめんなさい。ほんとに悪気はなかったの。ただ、あたし、アンドレのことがもっと知りたくて」
「だからって家捜し?やっていいことと悪いことがあるだろう!」
ガツガツと床を打つ荒い足音を立てて、彼が視界に入ってきた。
出ていくことも出来ずに固唾をのむオスカル・フランソワ。
「今すぐこの部屋から出て行け」
めったに聞かない、彼のこんな言い方。
…アンドレ、本気で怒っている!
「いやよ。あたしね」
「出て行けと言っているだろう」
「きゃっ」
腕をつかまれた侍女が、小さな悲鳴をあげた。
「痛い、アンドレ」
彼はそれが聞こえていないのか、それとも聞きたくもないのか、かまわず侍女の腕をつかんだまま、部屋の扉へと向かおうとする。
「やだ、アンドレ。おねがい、離して!やぁだっっ」
侍女はじたばたと暴れて彼の腕を振り払おうとしたが、それが無理だと判ると、メソメソと泣きだした。
「おねがい、アンドレ…話を…聞いて」
涙をポロポロとこぼしながらしゃがみこまれては、根の優しい彼には無碍にもできない。
「…怒らないで。あたしをキライにならないで」
じっと見上げて大粒の涙を溢れさせる侍女に、彼の怒りもトーンダウンする。
「もう怒ってないよ。でも、自分が良くないことをしたのは判って欲しい。これは使用人全体の信頼関係にもつながることだよ?」
侍女はコクコクと頷き、そのたびに涙がきらきらと伝い落ちた。
揺れてうごめく暖炉の灯りが涙と相俟って、侍女からは、昼間見たときにはなかった魅力が滲み出してくる。
女の涙の魔力、とでも言おうか、それはのぞき見ている彼女をも惹きつけ、守ってあげたい気持ちにさせられた。責める男の方が、非情なのだと思えるほどに。
「ずっと好きだったの、アンドレ」
「ナターシャ。悪いけどそういう話なら俺」
遮ろうとする彼を、しかし、侍女はさらに遮った。
「このお屋敷に入って来る侍女のほとんどは、オスカルさまが目当てよね。でもあたしは違った。
昔、街でお仕事中のオスカルさまを見かけたことがあるの。まだ真紅の軍服をお召しのオスカルさま。傍らにはジェローデルさまがいらした。街を行く女の子たちはみんな、お美しいお2人に見とれていたわ。
でも、あたしにはそのときから、アンドレしか見えていなかった。黒葡萄色の髪をリボンで束ねて、しっとり濡れた黒曜石のような2つの瞳。
こうして侍女としてお屋敷に入ってからも、あたしはずっとアンドレだけを見つめ続けたの。
どうかあたしを見て。あたしに笑いかけて。
…あなたはちっとも気づいてくれなかったけれど。
あのデートの日も、あたしはリボンを選ぶふりをしながら、冗談にまぎれて一生懸命想いを伝えたのに、あなたはうっとりと飾られた夜着を眺めてた。
それで私は気づいたの。
アンドレには好きな人がいるんだって。
この部屋にあなたがいないと判った瞬間、あたし、確かめずにはいられなかった。クローゼットの中に、あの美しい夜着があるかもしれない。もし、そうなら。
それを見たら、諦められる気がしたの。本当にそれだけだったの。
…だから、おねがい。好きになってくれなくてもいいから、あたしをキライにはならないで」
侍女はそこまで語ると、本格的に泣き出した。
それをのぞき見ていた彼女も、昔、諦めるために女装した自分を思い出し、もらい泣きが止まらなくなってしまった。
こんなに健気な想いに気づかないなどと。アンドレめ、なんと冷たい男だろうか。うぬぅ、けしからん。
すっかり侍女の気持ちに同調した彼女は、滂沱の涙で濡れ濡れになった頬を、手近に掛かっていた服の袖で拭った。
が。
え?
あ!
夜着…って、もしかしてコレか!?
夜目にうすぼんやりと白く映る、裾の長い部屋着。
まさか彼用のものだとは思えない。
確かめるように触ってみると、普段彼女がおなじみの滑らかな夜着とはちょっと違う、ごそごそした生地の感触がする。端の処理などにはフリルがあしらわれているようだし、あちこちにたくさんリボンが付いているような?
狭くて暗いクローゼットの中では、はっきり見ることもできないが、どうやらかなりラブリーなデザインらしい。
布の質感が薄い部分は、もしかしたらレース仕立てなのかもしれない。
あいつ、私にこんな乙女なモノを着せようと!?
アンドレ、おまえ本当はこういう趣味だったのか!
軽くショックを受ける彼女。
だって。
だって私にリボンなんて似合うわけがない。
リボンが似合うとすれば、それこそ、今そこで泣いている侍女のような娘だろう。
彼女がクローゼットの隙間に視線を戻すと、いつの間にやらアンドレと侍女は、小競り合いを始めていた。
「最後のおねがいよ」
「いやだ」
「ひどい、アンドレ」
ちょっと目を離しているあいだに、何があったのだろう?
「あなたに恋人がいるのは判ったわ。私がどう頑張っても、ムダだってことも」
「君はとってもイイ子だと思うけど。ただ俺にとって彼女は、誰と比べようもなく特別な存在なんだよ。君がどうこうって問題じゃないんだ」
「判るわ。あたしにとっては、あなたがそういう人だもの」
侍女はまた、大きな涙の粒をバラバラと落とした。
「だから思い出をちょうだい、アンドレ。これであたし、もうきっぱり諦めるから……チュウ、して」
は、はあぁぁぁ!?
チュウして、だと!?
侍女の思わぬ大胆発言。
アンドレ、おまえ…
彼の様子が気になるが、隙間から覗いている彼女には、背を向けた侍女が邪魔でいまいち伺いしれない。
ちっ。あと少…し…で見えそ…なのに… わっ、わわっ!
彼女はつい前のめりになり過ぎ、バランスを崩して扉にしたたか額をぶつけた。
がぼぉん。
クローゼットの内側から響く、マヌケな籠もった音。
彼が反射的に顔を上げる。
内側から押されて、ちょびっと開いてしまったクローゼット。それを慌てて閉めようとしている彼女と目が合った。
―― ドジ。
―― すまん!
彼はその一連から侍女の気を逸らそうと、咄嗟に侍女の肩を引き寄せた。ナターシャがうっかり彼女を振り返ってしまわぬよう、背中に腕を回してしっかり固定する。
しかし、その動作は彼にとって墓穴を掘るようなものだった。
「アンドレ。やっとその気になってくれたのね♥」
そう言って侍女は、憧れ続けた想い人にくちびるを捧げたのだった。
最終話につづく
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