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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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ゲスト作家さまの作品がお楽しみいただけます。

    「ア~ンドレっアンドレ!?ねぇ、アンドレ?」
    チロチロ揺れて、妖しい影を踊らせる暖炉の火。
    彼の名を呼ぶ甘ったれた声と、パチパチはぜる薪の音。
    開いた扉から彼に呼びかけていた女は、コトコトと遠慮がちな靴音で部屋に入ってきた。
    炎に煽られて、壁に映る女の影は、大きくなったり、小さくなったり。
    「アンドレ? アンドレ…いない、のね」
    彼が不在と判り、思案する気配は伝わってくるが、女に部屋から出る気はないらしい。
    靴音は部屋の中を歩きまわっているようで、不意に途切れて立ち止まってみたり、なにかを手に取っているのか、物を動かす音もする。
    やがて足音はオスカル・フランソワの潜む、造り付けのクローゼットへ向かってきた。
    まっすぐ近づいてくる女に、彼女は建具の隙間から目を凝らしている。
    暖炉を背にした逆光で、顔はよく見えないけれど。
    これは…昼間も部屋に入り込んできたナターシャじゃないか!母上付きの侍女が、なぜ今ここに!?
    ジャルジェ家はただいま、夫人主催の舞踏会の真っ最中。宴もたけなわで、もっとも忙しいところ。大サロンでは猫の手も借りたいぐらい、てんやわんやしているはず。
    それなのに。
    なぜこの娘は、こんな日に休みが取れたのだ?
    彼女は疑問に思いながらも息を飲み、気配を殺す。

    使用人用の湯殿へと向かう彼を見送ったオスカル・フランソワ。
    ほんの少し前まで、恐ろしく積極的に彼を誘惑していた自分に呆然とし、そして、続いて湧き上がってきた恥ずかしさに、寝台の上で身悶えしていた。
    『いやだ。今がいい。今すぐ……して』
    なぜあんなことを言ってしまったのだろう。
    自分でも信じられなかった。
    アンドレはどう思っただろうか?もしかしたら、実は遊び慣れた女だと思われた!?
    抱き上げて運ばれ寝台に放たれた瞬間、冷えたシーツの感触に、彼女はいつもの自分を取り戻した。
    男の部屋に入るなり誘いこみ、寝台へと所を移させたのが自分だと。
    どう…しよう。遊び慣れてなんか、いないのに。
    彼がシャツを脱ぐ気配を、身のすくむ思いで聴いていたのだが。

    そのあと、威勢よく扉を叩くマロンに気をそがれ、さらには彼のいない部屋にこうして闖入者が訪れ。
    昼間から私は、隠れてばかりではないか!
    恥ずかしさに身悶えて、シーツの上を転げ回っていた彼女だが、廊下を歩く人の気配には敏感に気がついた。
    これはもう、職業病と言えるもの。
    音もなく扉へ寄り、静かに施錠を解く。
    アンドレか?
    いや。
    もしアンドレでなくとも、彼不在の部屋に内鍵がかかっていると発覚すれば、それはそれでまずいものがある。
    呼吸を抑え、慎重に行動する彼女に、先ほどまでのおかしな欲求は消えていた。
    ごく冷静に頭が働き、音を立てぬように施錠を外すと、そのままそろそろと退がって、天井まである大きなクローゼットの中に身を潜めたのだった。
    しかし。
    選択ミスだな。隠れられるのが、ここしかなかったとはいえ…
    だんだんと近づいてくる足音と、灯りを背負った影。
    握った拳に嫌な汗をかく。
    こんなことなら、椅子にでも座って、堂々と闖入者を迎えれば良かったかもしれない。2人の幼なじみ関係は周知のことだし、クローゼットの中で見つかるよりは、よほどやましさがないだろう。
    すべてはあとの祭り、か。
    目を凝らす彼女の視界から侍女はいったん消え、隣のクローゼットの扉を開いているような振動が響いてきた。
    次は絶対、こちら側の扉だ。
    どうする?どうする!?
    カタッ
    目の前の扉が揺れて……万事休す!
    「―― あっ」
    侍女のあげた声に、彼女はギュッと目を瞑った。
    が。
    「あ…の、ごめんなさい!」
    は?
    「悪気はなかったの」
    へ?
    うろたえ気味の侍女の声に、彼女は目を開けてみる。
    目の前のクローゼットの扉は少しも開けられておらず、隙間から見える侍女の目線はよそを向いていた。
    「どういうつもりだ?」
    怒気を少しも隠さない、男の低い声がする。
    「ごめんなさい。ほんとに悪気はなかったの。ただ、あたし、アンドレのことがもっと知りたくて」
    「だからって家捜し?やっていいことと悪いことがあるだろう!」
    ガツガツと床を打つ荒い足音を立てて、彼が視界に入ってきた。
    出ていくことも出来ずに固唾をのむオスカル・フランソワ。
    「今すぐこの部屋から出て行け」
    めったに聞かない、彼のこんな言い方。
    …アンドレ、本気で怒っている!
    「いやよ。あたしね」
    「出て行けと言っているだろう」
    「きゃっ」
    腕をつかまれた侍女が、小さな悲鳴をあげた。
    「痛い、アンドレ」
    彼はそれが聞こえていないのか、それとも聞きたくもないのか、かまわず侍女の腕をつかんだまま、部屋の扉へと向かおうとする。
    「やだ、アンドレ。おねがい、離して!やぁだっっ」
    侍女はじたばたと暴れて彼の腕を振り払おうとしたが、それが無理だと判ると、メソメソと泣きだした。
    「おねがい、アンドレ…話を…聞いて」
    涙をポロポロとこぼしながらしゃがみこまれては、根の優しい彼には無碍にもできない。
    「…怒らないで。あたしをキライにならないで」
    じっと見上げて大粒の涙を溢れさせる侍女に、彼の怒りもトーンダウンする。
    「もう怒ってないよ。でも、自分が良くないことをしたのは判って欲しい。これは使用人全体の信頼関係にもつながることだよ?」
    侍女はコクコクと頷き、そのたびに涙がきらきらと伝い落ちた。
    揺れてうごめく暖炉の灯りが涙と相俟って、侍女からは、昼間見たときにはなかった魅力が滲み出してくる。
    女の涙の魔力、とでも言おうか、それはのぞき見ている彼女をも惹きつけ、守ってあげたい気持ちにさせられた。責める男の方が、非情なのだと思えるほどに。
    「ずっと好きだったの、アンドレ」
    「ナターシャ。悪いけどそういう話なら俺」
    遮ろうとする彼を、しかし、侍女はさらに遮った。
    「このお屋敷に入って来る侍女のほとんどは、オスカルさまが目当てよね。でもあたしは違った。
    昔、街でお仕事中のオスカルさまを見かけたことがあるの。まだ真紅の軍服をお召しのオスカルさま。傍らにはジェローデルさまがいらした。街を行く女の子たちはみんな、お美しいお2人に見とれていたわ。
    でも、あたしにはそのときから、アンドレしか見えていなかった。黒葡萄色の髪をリボンで束ねて、しっとり濡れた黒曜石のような2つの瞳。
    こうして侍女としてお屋敷に入ってからも、あたしはずっとアンドレだけを見つめ続けたの。
    どうかあたしを見て。あたしに笑いかけて。
    …あなたはちっとも気づいてくれなかったけれど。
    あのデートの日も、あたしはリボンを選ぶふりをしながら、冗談にまぎれて一生懸命想いを伝えたのに、あなたはうっとりと飾られた夜着を眺めてた。
    それで私は気づいたの。
    アンドレには好きな人がいるんだって。
    この部屋にあなたがいないと判った瞬間、あたし、確かめずにはいられなかった。クローゼットの中に、あの美しい夜着があるかもしれない。もし、そうなら。
    それを見たら、諦められる気がしたの。本当にそれだけだったの。
    …だから、おねがい。好きになってくれなくてもいいから、あたしをキライにはならないで」
    侍女はそこまで語ると、本格的に泣き出した。
    それをのぞき見ていた彼女も、昔、諦めるために女装した自分を思い出し、もらい泣きが止まらなくなってしまった。
    こんなに健気な想いに気づかないなどと。アンドレめ、なんと冷たい男だろうか。うぬぅ、けしからん。
    すっかり侍女の気持ちに同調した彼女は、滂沱の涙で濡れ濡れになった頬を、手近に掛かっていた服の袖で拭った。
    が。
    え?
    あ!
    夜着…って、もしかしてコレか!?
    夜目にうすぼんやりと白く映る、裾の長い部屋着。
    まさか彼用のものだとは思えない。
    確かめるように触ってみると、普段彼女がおなじみの滑らかな夜着とはちょっと違う、ごそごそした生地の感触がする。端の処理などにはフリルがあしらわれているようだし、あちこちにたくさんリボンが付いているような?
    狭くて暗いクローゼットの中では、はっきり見ることもできないが、どうやらかなりラブリーなデザインらしい。
    布の質感が薄い部分は、もしかしたらレース仕立てなのかもしれない。
    あいつ、私にこんな乙女なモノを着せようと!?
    アンドレ、おまえ本当はこういう趣味だったのか!
    軽くショックを受ける彼女。
    だって。
    だって私にリボンなんて似合うわけがない。
    リボンが似合うとすれば、それこそ、今そこで泣いている侍女のような娘だろう。
    彼女がクローゼットの隙間に視線を戻すと、いつの間にやらアンドレと侍女は、小競り合いを始めていた。
    「最後のおねがいよ」
    「いやだ」
    「ひどい、アンドレ」
    ちょっと目を離しているあいだに、何があったのだろう?
    「あなたに恋人がいるのは判ったわ。私がどう頑張っても、ムダだってことも」
    「君はとってもイイ子だと思うけど。ただ俺にとって彼女は、誰と比べようもなく特別な存在なんだよ。君がどうこうって問題じゃないんだ」
    「判るわ。あたしにとっては、あなたがそういう人だもの」
    侍女はまた、大きな涙の粒をバラバラと落とした。
    「だから思い出をちょうだい、アンドレ。これであたし、もうきっぱり諦めるから……チュウ、して」
    は、はあぁぁぁ!?
    チュウして、だと!?
    侍女の思わぬ大胆発言。
    アンドレ、おまえ…
    彼の様子が気になるが、隙間から覗いている彼女には、背を向けた侍女が邪魔でいまいち伺いしれない。
    ちっ。あと少…し…で見えそ…なのに… わっ、わわっ!
    彼女はつい前のめりになり過ぎ、バランスを崩して扉にしたたか額をぶつけた。
    がぼぉん。
    クローゼットの内側から響く、マヌケな籠もった音。
    彼が反射的に顔を上げる。
    内側から押されて、ちょびっと開いてしまったクローゼット。それを慌てて閉めようとしている彼女と目が合った。
    ―― ドジ。
    ―― すまん!
    彼はその一連から侍女の気を逸らそうと、咄嗟に侍女の肩を引き寄せた。ナターシャがうっかり彼女を振り返ってしまわぬよう、背中に腕を回してしっかり固定する。
    しかし、その動作は彼にとって墓穴を掘るようなものだった。


    「アンドレ。やっとその気になってくれたのね
    そう言って侍女は、憧れ続けた想い人にくちびるを捧げたのだった。


    最終話につづく
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