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【月あかりのダンス SIDE Alain ~中~】
UP◆ 2011/6/15ギャルソンが新しいゴブレットを2つ置いた。
今度の酒はあんたが気に入っているもので、俺にも飲んでみろと言う。
「アンドレはこれが苦手でね。悪酔いするとか言って、絶対つきあわない」
へぇ…
俺はひとくち飲んでみた。
無色透明なその液体。
どれほどクセがあるかと思ったが、ごく普通にうまい。
まぁ確かにちょっと強いし、辛口で、そのくせ甘い香りが独特だけど。
「どうだ、アラン」
「うまいですね。ただ」
「なんだ?」
「なんというか…ゴブレットで飲むのは合わないかと。
香りが独特だからですかね」
俺がそう言うと、あんたは異様に喜んだ。
「おまえ、酒が判ってるっ」
俺の背中をばんばん叩く。
「この酒はな、本当はひとくちかふたくちぐらいの小さな器で飲むんだ。
冷えていてもいいし、常温でもいい。冬は温めてもうまい」
あんたはさくさくと1杯あけてしまうとギャルソンを呼び、同じ酒を俺のぶんまでオーダーした。
あんたどんだけこの酒が好きなんだ。
アンドレが悪酔いするのは酒のせいじゃなくて、あんたのせいじゃないのか?
「でも『ばあや』さん、
新しい酒が来ると、俺とあんたは話の続きを始めた。
「まったく人騒がせな」
「でも意識を失ったんでしょう?」
「ただの脳しんとうだ」
「一歩間違えば危険なことになったかと思いますけど」
「だいたい倒れたのはばあやではなく、私の絵だというのに」
なんでも、この『ばあや』というひとは絵の下敷きになったらしい。
何人かの使用人と、廊下にかかる歴代当主の肖像画の
脚立を立てさせて、少し離れたところから右だの左だのと指示を出していたら、絵が壁から外れてしまったという。
けっこうな大きさの額入りの絵が、ある程度の高さから倒れてくれば意外と危ない。
「私の絵など放っておけばよいのに、ばあやは絵に向かってヘッドスライディングしたそうだ」
「へ…ヘッドスライディングですか?アンドレのおばあさんなんでしょう、そのひと。いったい何歳なんですか?」
「さぁな。なにしろ私の父のばあやだったひとだから。
もしかしたら私の祖父のばあやもやっていたかもしれん」
それじゃ妖怪じゃねぇか。
「しかし、絵を守るためにそこまでするなんてすごい執念ですね」
「私はモデルになるのが好きではないので、屋敷にある肖像画はそれだけだからな。もう描かせる気はない上に、あと1枚あったものは、妹の結婚祝いに
あんたはふうっと懐かしむような目をした。
「え?隊長、妹さんがいるんですか?」
「いや」
なんだ?意味が判らねぇ。
あんたは1人で納得して、クスクス笑っている。
もう酔ったんだろうか?
「でもまぁ、倒れて意識がないと聞いたときには私も血の気が引いた。なにしろご老体なのでな」
「ヘッドスライディングするご老体ですか」
想像するとおかしくて、不謹慎ながら、俺もつい笑ってしまった。
「しかもそのご老体は、なかなかしたたかでね。駆けつけた私の手を握り、危険な軍隊勤めはもう辞めてくれと訴えてきた。状況を逆手に取り、揺さぶりをかけてくるあたり、なかなか
「ばあやさんは隊長の勤めを快く思っていないんですか?」
「ああ。もともと頑なに私をお嬢さまと呼び続けてきたが、私が衛兵隊に移ったのと、最近世情が不安定なことが合わさって心配が増しているらしい」
「隊長をお嬢さまと呼ぶなんて、そりゃ
俺たちの誰かが同じことを言ったら、間違いなくぶっ飛ばされるだろう。
「たいした強者だぞ。その上がんこだ。なにしろ子供の頃から未だに、私のためにローブを作らせているぐらいだからな」
「隊長にローブを?」
あんたのローブ姿。
ちょっとイメージが湧かないけれど、あんたに化粧をさせて髪を結い上げたら、さぞ美しいことだろう。
砂ぼこりの中で軍服をまとっていてすら、あんたはきれいなんだから。
「…ローブ…か」
それまでの朗らかなトーンとは違う、小さなつぶやきが微かに聞こえた。
あんたは何か、笑うでもない哀しむでもない微妙な目をしている。
「隊長?どうかしました?」
「え!? ああ、すまない。ちょっとぼんやりした」
「隊長、あなたもう帰った方がいい。
本当はばあやさんが心配なんでしょう?ばあやさんだって隊長にいて欲しいだろうし、それに隊長も」
「アラン。おまえ、それやめろ」
「はい?」
「でかい声でそう隊長、隊長と連呼するな。こんなところで無粋なやつだな。まわりは一般市民ばかりなのだぞ」
あ、そうか。
俺は声を潜めた。
「だって隊長」
「だからそれやめろって。少し前から、おまえが隊長と言うたびに、チラチラ見てくる客がいるんだ」
マジかよ!?どいつだ?
「キョロキョロしない!
おまえ、士官学校で斥候の訓練受けてないのか?
ここは私の数少ないくつろぎの場だ。
身分や立場は隠しておきたい。協力してくれ」
協力ったって。
「だって隊、…っと、他になんて呼べばいいか判らないじゃないですか」
「好きに呼べばいい」
好きにって、あんた。
「名前でもなんでも適当に」
そんなこと言われたって!
俺は頭の中でいろいろ考えてみた。
ジャルジェさん?ジャルジェくん?
なんだそりゃ。
いっそ名字呼び捨てとか?
でも俺たちは普段仲間内でも名字の呼び捨てはしない。
ジャンにしてもラサールにしても。フランソワだって。
俺も年上・年下関係なく名前の呼び捨てで呼ばれてるし。
ユラン伍長は名字で呼ぶけど、「伍長」まで入れてニックネーム感覚で呼んでるもんな。
隊長になっても将軍になっても、みんな「ユラン伍長」と呼ぶに違いない。
だからって。
『オスカル』
これは無理だ。絶対呼べねぇ。
命令だとしても呼べねぇ。
ちくしょう、アンドレめ。
よく平気で呼び捨てにできんな。
もういっそのこと『オスカルたん』とでも呼んでやろうか。
人をこんなに困惑させておいて、あんたはすました顔して酒を飲んでいる。
ダメだこりゃ。
俺は話題を変えることにした。
「さっきのローブの話ですけど…。子供の頃から作らせているなら、かなりの数になるでしょうね」
「どうした、急に」
どうって、だから。
そうだ。
「もうすぐディアンヌが結婚するでしょう?
そろそろ支度を考えなければと思って」
「ああ。もうそんな時期か。早いものだな。
きっと清楚でかわいらしい花嫁になるだろう。
楽しみだな、アラン」
「楽しみ?楽しみ…うーん、どうですかねぇ。今までろくにおしゃれもさせてやれなかったから、ローブ姿できれいに飾ったディアンヌを見るのは、確かに楽しみだけど」
「他の男のものになるのは…か?」
あんたはからかうように言って笑う。
「仕方ないじゃないですか!たった1人の大事な妹なんですから」
「悪い悪い、そう怒るなよ。でも班長さんも妹にはやはり弱いのだな」
「唯一の泣きどころですよ。披露宴でのダンスを見たら、間違いなく相手の男を殴りたくなるしょうね」
想像するだけで、いらっとするぐらいだから。
「おまえも招待客の中から好みの娘を見つけて踊ればいいじゃないか」
「ダンスなんか!俺のがらじゃないっすよ」
まだうちが貴族の体面を保てていた頃には、俺もやらされたもんだけど、結局舞踏会なんて行ったことねぇし。
「いやいや、披露宴でどんな出会いがあるか判らないじゃないか。試しにおまえ、ちょっと私をダンスに誘ってみろ」
「はい!?どうしてそういう話になるんですか!」
突然そんなことを言われて、俺は面食らった。
いきなり話が飛ぶ。
これだから女はいやなんだ。
面倒くさいことこの上ない。
「兵舎暮らしじゃろくに出会いもないだろう?
披露宴なんていい機会じゃないか。アンドレも心配していたぞ。おまえにも、恋人の1人ぐらいいていいはずだと」
アンドレの野郎。
俺が邪魔だからって、そんなこと吹いてやがるのか。
「私としても、かわいい部下には早く幸せになってもらいたいからな。さぁ、どこからでもいいぞ。誘ってみろ」
どこからでもってあんた。
軽く酔ってきたのか、あんたの物言いにはかなり強引な響きがあって、俺は仕方なしに口を開いた。
「隊長、俺と踊ってください」
赤面スレスレ、バカらしさの極みでやっとそう言ったのに、あんたは即座にダメ出ししてきやがった。
「アラン。なんだその棒読みは?ちっとも心がこもってないぞ。だいたい『隊長』っておまえ。今は一応、気に入った娘を誘う設定だというのに、その呼び方はないだろう。私が『娘』では不満か?」
あんたに不満なんてあるわけねぇだろ。
「違いますよっ!」
あんたが本当に俺と踊ってくれるなら、俺だってもっと真剣に口説くさ。
でも、あんたが俺なんかまるで意識してないのが判っていてこんなの…やってられるかよ。
「そう言う隊… あなたこそダンスはしないんですか?
舞踏会とか、ジャルジェ家なら多いでしょうに」
「舞踏会か… 懐かしいな。昔、皇太子妃殿下のお供で、毎夜のように行っていた」
あんたはその頃を思い出したのか、華やかな笑顔を見せた。
「もっとも私は護衛として随行していたので踊ったりはしなかったが。妃殿下はすすめてくださったけれどね」
「ダンス、苦手なんですか?」
「苦手…と言おうか…」
あんたは僅かばかり言い澱んだ。
「私には5人、姉がいるのだが」
また急に話が変わって俺はとまどったけど、あんたが珍しく自分のことを話し始めたので、黙って聞くことにした。
「貴族のたしなみとして、父は姉たちにダンスのレッスンを受けさせていた。屋敷のダンスホールでね。
私はいつも壁のすみに控えてそれを見ていた。
近衛の仕事は、実際がほとんど待機だろう?王族の皆さまの公務やプライベートを、目立たぬように、集中を切らさずお見守りする。退屈といえば退屈で、そんな中で集中を保つのは、根気と忍耐力がいる。
姉たちがレッスンを受けているあいだ、父は私にそれを命じていた。私が5歳の頃だったか」
そんなに幼い頃から。
「あるときダンスのトレーナーがそばに来て、私にもやらないかと声をかけてきた。
私はいつも見ていて…本当は…やってみたかった。
トレーナーに手を引かれてホールの中央に連れ出されると、1番上の姉がクラブサンを弾いてくれたのだけど」
「だけど?」
「曲が流れるとともに、そのトレーナーがハッとしたような顔をしたんだ。私はその理由にすぐ気がついた。
私に男性側を踊らせたらいいのか、女性側を踊らせたものなのか、困惑したその表情に」
あ…あ。そういうこと…か。
「私はその顔に少なからずショックを受けたけれど、でも
もっと衝撃だったのは、自分でも同じことを思ったからだった。
ホールの中央でポジションを取ろうとした瞬間、男性側と女性側、どちらを選べばいいのか判らなかった。
どちらのステップも完璧に覚えていたけれど」
俺はその問わず語りになんて言ったらいいか、言葉が見つけられなかった。
「周囲の大人たちの様子から、自分が特異な育ち方をしているとうすうす感じ始めた頃だったから…
トラウマというと大げさだけれど、それ以来ダンスはあまり好まない。舞踏会で踊ったこともあるが、どうしても踊らなければならなかったときだけだ」
「アンドレとも、ですか?」
俺はなんか言わなきゃ間が持たなくて、とっさにそんなことを言ってしまった。
「アンドレ?いや、あいつとは数え切れないほど踊ってる」
なんだ。やっぱりかよ。
予想はしていたけれど、俺はほんの少しがっかりした。
「近衛に入隊する直前、父の命令でダンスはがっつり練習させられたからな。
皇太子妃殿下をエスコートする可能性もあるからと」
「それじゃ」
「ああ。アンドレには気の毒だったが、あいつには女装させて、女性のステップばかりを踊らせた」
あんたの声は笑いで揺れている。
「女装させて?」
「そう。あの頃はあいつも髪が長かったし、なかなか似合っていて傑作だったぞ。
まぁ、女装させたのは悪ふざけではなく、豪華なローブ姿の女性をきれいに踊らせるための練習だったのだがな」
パニエをつけてローブを着込み、ふわふわと女性のステップを踏むアンドレ。
確かに笑えるな。
あんたと俺がクスクス笑いあっていると、俺たちのうしろに2人連れの女が立った。
この2人組。
今思えば、放っておけば良かったんだ。
こいつらのおかげで、俺とあんたの小さな飲み会は
ろくでもない方向へと流れを変えてしまったんだから。
こちらの物語には姉妹作として「月あかりのダンス SIDE Oscar」 がございます。
UPしていただいているベルサイト【光さす時の中から】さまへは、Linkのページからジャンプすることができます。
(2011年7月企画として掲載していただいております)
もしくは【こちら】をクリックでジャンプすることもできます。
よろしければそちらもどうぞ。
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