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【月あかりのダンス SIDE Alain ~上~】
UP◆ 2011/6/4「やっぱり誘っては悪かったみたいだな、アラン」
カウンターにひじをついて、手にしたゴブレットを揺らしながら、あんたはそう言った。
「いや。あのっ…そんなことないっすよ」
俺は多少慌てながら答える。
「そうか?」
「はい」
俺が頷いてみせると、あんたは安心したように笑った。
いつもならほぼ正面から見ているあんたの顔を、こんなに近い距離で横から見るのは初めてで、俺はなんだか落ちつかない。
だから、今笑ったあんたの顔も、実はちゃんとは見ていない。
笑ったらしい表情を、目の端にとらえただけだ。
俺が不機嫌そうに見えるとしたら、情けないことだが、それは俺があんたを意識しているからだろう。
あんなことをした俺だから、別に良く思われようとまでは思ってないけれど、でもやっぱり悪くは思われたくなくて、結果、俺は無愛想になってしまう。
だいたい今さらどんな顔して、あんたと仲良しごっこをすりゃいいんだよ。
あんたが
他のやつらはすっかりあんたに
人の上に立つことに天性の素質があるんだか、あんたが管理官になってから、隊員それぞれの能力が上がった気がする。
俺だってバカではないつもりだから、あんたがその恵まれた出自に似合わずに、努力をする人間だってことはもう認めている。
でも、やっぱりあれだけあんたを否定しておいて、今さらすり寄っていくなんて俺にはできない。
自分でもつまらない意地を張っていると思うけれど。
「隊長、この店、よく来るんですか?」
俺はあらためて店の中を眺めた。
適度にごちゃごちゃしていて、でも安っぽくはなくて、客も一般市民ばかりなようだけれど、羽目を外し過ぎるような品の悪いヤツはいない。
広い店の隅にはクラブサンが置いてあり、それを奏でる男と、合わせて歌う女がいる。
客のリクエストに応えて演奏していて、その辺りにはテーブルはなく、ちょっとしたダンスフロアになっている。
明るくて堅苦しさのない良い店だと思うが、大貴族の御令嬢が出入りするには格が低いような気がする。
「私はそんなには来ないな。どうにも忙しくて。
でも、たまの息抜きにアンドレが連れてきてくれる」
「アンドレ、ですか」
「ああ。うちの使用人たちがよくここに来ているらしいから」
ふう…ん。ジャルジェ家の使用人お気に入りの店か。
なるほどな。
そう言われればそんな感じのする店だ。
客層は庶民的なのに、どことなくしゃれていて、健全な空気で。
「いい店ですね」
俺がお世辞めいたことを言うと、あんたは意外そうな顔をした。
失礼な。
俺だって社交辞令ぐらい言えるし、実際ほんとにいい店だと思っただけだってのに。
「そのわりには、あまり酒がすすまないようだが。
やはり私とでは楽しめないか?
まぁ、上官が一緒では楽しめという方が無理かもしれないが」
「いえ。俺、プライベートではこんなもんですから」
「それならいいけれど。急に誘ってしまったから、迷惑だったかと思って」
あんたは一見豪快に見えるけれど、意外と神経が細い。
人の心の動きに、過剰なほど敏感なところがある。
それぐらいでないと、王妃の側仕えはできないということか。
それともあんたの性格か。
またはあんたが…女、だからか。
でも俺が今、僅かにトーンを落としたのは、あんたに急に誘われて、それが迷惑だったからじゃない。
さっきあんたが何気なく言った「アンドレが連れてきてくれる」という言葉が、妙に引っかかったからだ。
あんたとアンドレは、言うまでもなく主従の関係だ。
普通に考えれば、主人であるあんたは「連れてきてもらう」立場じゃない。
それに並みの御令嬢と違って、あんたには自分の行きたいところに1人でも行ける行動力がじゅうぶんある。
『アンドレが連れてきてくれる』
そう言った言葉に、アンドレという男に依存している女の気配を、俺はあんたに感じたのだった。
我ながら勘ぐり過ぎだと思う。
そんな自分に嫌悪し、あんたの前で俺は余計に不機嫌な態度をとってしまうし、あんたはそんな俺をまだ反抗分子とみなしているのだろう。
まったく悪循環だ。
俺はそんな自分の煮え切らなさにうんざりし、ぐいっとゴブレットをあけた。
「お!」
一気に酒を飲み干した俺に、あんたが嬉しそうな声をあげる。
少しはしゃいだ感じのその声を勤務中には聞いたことがなく、俺はガラにもなくどきどきしてしまった。
やけにあんたがかわいらしく思えて。
この女がかわいく見えるなんて、やっぱり俺はどこかおかしいのかもしれない。
「次は何にする?今日のことでは本当に感謝している。礼といってはなんだが、なんでも好きなものをオーダーするといい」
あんたはカウンターの奥にいるギャルソンに軽く手をあげた。その仕草は実にさまになっていて、どこから見ても貴公子にしか見えない。
軍服のままでは目立つからと上着は置いてきたので、俺もあんたも白いシャツにキュロットという出で立ちだけれど、それでもあんたには、貴公子然とした華がある。
俺が着ている簡素なシャツと違って、あんたは上質な絹地にレースをあしらった物を着ているけれど、俺がそれを着たところで貴公子っぽくは見えないだろう。
やはり生まれ持った「品」ってやつか。
ギャルソンが新しい酒を用意したので、俺が手を伸ばすと、あんたは俺より先にゴブレットを取り上げて、ひとくち飲んだ。
「えっ?」
「あ。これ、おいしい」
あんたはひどく嬉しそうな顔をした。
よほど酒が好きなようだ。
俺がオーダーした酒は相当強いうえにクセがある。
コレを飲んで美味いと感じるなんて、かなりの酒豪か味覚音痴しかいない。
「隊長、何やってんですか?」
「何って、味見だろう?」
ゴブレットを返してよこしながら、少しすねたふうに言う。
「ひとくちぐらい飲ませてくれたっていいじゃないか」
「え…。そりゃ俺はいいですけど」
でもこれって間接…
俺は思わずガキみたいな発想をしてしまった。
いい年してバカだ。
多分あんたはそんなこと少しも考えてない。
男感覚の強いこの女のことだから、単なる回し飲みなんだろう。
だが普通、大貴族の御令嬢が回し飲みなんてするか?
あんたはまたギャルソンを呼ぶと、俺と同じ酒をオーダーした。
「隊長って、いつもこんなふうなんですか?」
「こんな…とは?」
「だって普通、大貴族の御令嬢はひとの酒を断りなく味見なんてしないでしょう」
「ああ。すまない。気に障ったか。アンドレと一緒だと、いつもこんな調子なものだから」
「いえ。気に障ったりはしてませんけど、なんだか意外で」
勤務中のあんたはクソまじめでバカ正直で、そんなところが、俺にはお嬢さま育ちの甘ちゃんに見えてムカついたもんだけど、そうじゃないってことはだんだん判ってきていた。
でも、プライベートでこんなにくだけた姿を見せるとは思わなかった。
気に障ったかと聞いたくせに、夕食を兼ねて俺がオーダーしたいくつかの料理を、横から勝手にちょいちょいつまんでいる。
かと思えば、自分のオーダーしたものを、俺にも小綺麗に取り分けたりして勧めてくる。
そんなことをされて、俺はさらに落ちつかない気分になってきた。
あんたのそんな女らし…
いや、上官であるあんたにそんなことをされちゃ、一兵卒としては立場がないから。
「いいっすよそんな。俺、自分でできるんで。
准将どのにこんなことしてもらっちゃ」
俺はやんわりとあんたの手を押しとどめようとしたけれど、あんたはやたらと楽しそうに笑った。
「いいんだ。いつもはアンドレがやってしまうし、屋敷では給仕する者がしてくれるから。
どうだ?美しく盛りつけられているだろう?」
こんな普通のことをそんなに楽しめるなんて、あんたはつくづく温室育ちなのだと思う。
「アンドレとは… 休みの日でも、いつも一緒なんですか?
あ、別に深い意味はなくて、でも同じ屋敷に住んでいるし、アンドレは隊長とタメ口だし、呼び捨てにしてるから、その」
質問の意図を勘ぐられたくなくて、俺はついつい言い訳くさい口調になってしまった。
でもあんたはプライベートモードになっているのか、話題がアンドレのことだからか、くつろいだ様子のまま俺の質問にさらりと答えた。
「休日に一緒にいることは少なくなったな。
あいつは屋敷に戻っても仕事があるし。
うちに来たばかりの子供の頃は、四六時中一緒にいたけれど」
「子供の頃に来た?」
「母親を亡くしてしまって引き取られてきた。
私の遊び相手として」
アンドレから、両親も兄弟もいないと聞いたことはあったけれど。
「古くからうちに勤めていて、私の世話をしてくれているひとが唯一の肉親だったからな」
「今日、勤務中に『倒れた』と使いが来たひとですね?」
「そうだ」
それはちょうど休憩時間に入る頃だった。
「ジャルジェ准将!」
血相変えて走りこんできた伝令の将校に、あんたは敏感に反応した。
「なにごとか」
「至急、司令官室にお戻りを。伯爵家から早馬です。
お屋敷でどなたかが倒れられたと」
将校の言葉が言い終わらないうちに、アンドレはあんたの背中についていた。
あんたはいたって冷静で、一緒に訓練の指揮を取っていた他の将校を呼ぶと、何か打ち合わせを始めた。
俺たちには、ジャルジェ家で誰か倒れたという伝令の声高な一報しか聞こえなかったので、それぞれ数人ずつ寄り集まって勝手にしゃべりだしていた。
「誰かって、やっぱりジャルジェ将軍か?」
「いや、将軍だったら近衛の兵営にいるだろ。
伝令は屋敷でって言ったじゃん」
「てことは母親とか?」
俺もなんとなく母親を想像したけれど、そういえばあんたの私的なことを、誰もろくに知らないと気がついた。
あんたがジャルジェ将軍の末娘で、アンドレはもともと軍人ではなく、ジャルジェ家の使用人だったということぐらいしか俺は知らない。
他のみんなもそんなもんだと思うけれど。
新しく来る女隊長が、黒髪で隻眼の男を常にそばに置いているというのは、あんたが衛兵隊に着任する前から噂で聞いていた。
もちろんそれは「身分を超えた友情」だのというお綺麗な話ではなく、軍人気取りの伯爵令嬢が、かわいがっているお気に入りの男、いわば寝台遊戯の相手を常に連れ歩いているというものだった。
それは俺たちの反発心を煽った。
今となれば、あれほど風紀の乱れきった衛兵隊の中で、あんたを1人にできなかったアンドレの気持ちも判る。
でも、大半が生活のために好きでもない軍隊勤めをし、禁欲的な兵舎暮らしをしている俺たちにとって、あんたら2人の親密な様子は神経に障った。
今ではそんなふうに思っている者はいないけれど。
でもやっぱり俺には、あんたとアンドレには特別なつながりがあるように思えて、どんな関係なのか気になってしまう。本当に大きなお世話で、ばかげていると自分でも思っているのだが。
将校たちと打ち合わせを終えたあんたは、アンドレを連れて司令官室へ戻ったようだった。
俺たちはそのままだらだらと、憶測したり心配したりしながら休憩時間を過ごした。
やがて訓練が再開されてからも…
他のヤツはどうだか知らないが、俺はあんたが変に気になってしまい、結局訓練をばっくれた。
「ソワソン、戻れ!」
怒鳴る将校の声など少しも気にせず、練兵場を走り抜ける。
エントランスから廊下、階段を駆け上がり、ノックもしないで司令官室の扉を開けた。
ばんっっ!!
開け放たれた勢いで扉が壁に当たって跳ね返り、思いのほかでかい音がする。
その音に、あんたは椅子が倒れるかと思うほどの勢いで立ち上がった。
「すみません。驚かせて」
俺は取り繕うように丁寧に扉を閉めたが、あんたは蒼白な顔色をして突っ立ったままだ。
「…隊長?」
普段めったに感情を
「あ~、違います、隊長。俺あんたがしんぱ…
俺、ちょっと顔を出しただけです。
ジャルジェ家から訃報が来たとか、そんなんじゃないんで。って訃報?いや、えーっと、悲報?じゃねぇっ」
思わず訃報なんていう言葉を使ってしまって、俺は慌てた。悪気はなかったし、とっさにうまい言い方ができなかっただけだ。
「ああっ、もぉっ」
俺がわちゃわちゃになっていると、あんたは気を取り直し、ゆっくりと椅子に座った。
「いや、気にしなくていい。私が少し取り乱しただけだ。
すまない」
そうは言いながら執務用の大きな机にひじをつき、手を組み合わせている様子は祈ってもいるようで、まだ落ちついているふうには見えなかった。
「倒れたのは御母堂… ジャルジェ伯爵夫人なんですか?」
差し出たことだと怒られるかと思ったが、
でもあんたは咎める気もないらしく、あっさりと答えてくれた。
屋敷に気持ちが
「ばあやだ」
「ばあや?」
「侍女…とは違うな。まぁ、私が赤ん坊の頃から世話をしてくれているひとだ」
ああ。そういう『ばあや』か。
乳母的な存在なのだろうと、俺は理解した。
確かにジャルジェ家ほどの大貴族なら、夫人が手ずから育児をすることなんてないだろう。
ましてや嫡子ともなれば、誕生とともに屋敷内に一棟ぐらい与えられ、侍女や従僕、教育系に囲まれて育つ。
乳母はまさに母代わりだから、どこの貴族も教養が高くて質のいい人材を真剣に探す。
実の両親や兄弟・姉妹より結びつきが強いことも多い。
ばあやと呼ばれるひとがそういう存在なら、あんたに落ちついていられるわけがない。
「帰らなくていいんですか?」
「先ほどアンドレを帰らせた」
「アンドレを?」
そういえばヤツの姿が見えない。
「ばあやはアンドレの祖母に当たる。私などよりよほど心配しているだろう」
ああ。そうか。
あんたとアンドレはそういう関係だったのか。
貴族社会において、令息・令嬢と乳母の子供が乳兄弟として同じ環境に育つことは多い。
乳母といっても、女性で教養があるといえばたいがい貴族だし、その子供は文武を共に一緒に育ち、やがて忠実な従卒として仕えるようになる。
さして珍しい話でもない。
俺にしたって下級とはいえ貴族だし、家がこれだけ没落する前には、多少なりともそれなりの生活をしていたことがある。俺の人生の中でごく短い期間だけれど、その頃には、俺にもそういった人たちがいた。
だから乳兄弟との絆の強さは判るつもりだ。
アンドレは貴族ではないけれど、あんたとときおり見せる異常に通じ合ったさまは、そういうことだったのか。
でも、それならなおのこと。
「隊長もそのひとが心配でしょう。
やっぱり帰った方がいいと思います」
「そうしたいのはやまやまだが、管理官が職務を放り出すわけにもいくまい。おまえたちは私がいなければ何をやりだすか判ったものではない。
現にアラン。
おまえ、隊列行進の訓練中のはずじゃないのか?」
痛いところを突かれ、俺は怯みそうになった。
でも、俺と話しながらも廊下の気配に注意を払っているあんたを見て、やはり屋敷が気がかりなのだと判った。
ジャルジェ家からの続報を待っているのだろう。
「帰りゃいいのに」
まったくクソまじめにもほどがある。
融通の利かない女だ。
かわいげってもんがない。
あんたは机の上に山ほど溜まった書類に目を通し始めた。
「これ、どうしたんです?
なんだってこれほどの書類が溜まってるんですか?」
「私が司令官室に戻るとともに、
まぁ、私への嫌がらせだろうな」
准将のあんたから見て上層部なんて、ブイエ将軍とその取り巻きしかいない。
あのじじぃ、ジャルジェ将軍と折り合いが悪いらしいけど、だからってその娘に嫌がらせしてんのか。
セコいヤツ。
「俺がやっときます」
「は?」
「緊急性のあるもの、そうでないもの、サインが必要なものに分類して、サインの必要がないものはダグー大佐に回しておきます。
そのぐらいの作業なら、誰がやっても同じでしょう。
この量なら3時間ぐらいですかね。
それまでに、ここに戻ってきてくださいよ。
その程度なら職務を放り出すことにはならないだろうし」
「アラン?」
「仕事についてはご心配なく。これでも士官学校卒の元少尉ですから。中退のあなたと同じぐらいのデスクワークはできるんで」
俺が軽い冗談を口にすると、あんたは呆気に取られたようなマヌケづらになった。
ふふん。あんたでもこんな表情するんだ。
俺はあんたの肩口をつかんで立たせると、背中を押して扉まで追い立てた。
「さぁ、とっとと行ってください」
あんたはふり返ると俺の手をがっちり握った。
「メルシ!アラン!!」
けれど、俺がその手を握り返す間もなく、あんたは手をほどくと廊下を走り去ったのだった。
こちらの物語には姉妹作として「月あかりのダンス SIDE Oscar」 がございます。
UPしていただいているベルサイト【光さす時の中から】さまへは、Linkのページからジャンプすることができます。
(2011年7月企画として掲載していただいております)
もしくは【こちら】をクリックでジャンプすることもできます。
よろしければそちらもどうぞ。
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