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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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【最終話】

UP◆ 2011/11/28

    「かわいかったなぁ」
    ベルサイユへ帰る馬車を繰りながら、その日何度目になるか判らない言葉を、彼はつぶやいた。
    「本っ当にかわいかった」
    朝陽に透ける細い髪。
    柔らかくてすべすべな肌も、シーツをキュッとつかんだ華奢な指も…ぷりぷりのおしりも。
    彼の人生の中で、あんなに優しい気持ちで大切に女の子を抱いたことはなかった。
    「天使みたいだったよ、オスカル」
    そのときの感触をリアルに思い出して、ほうっとため息をつく。
    興奮と感動が覚めやらぬ彼は、湖の館を出てからずっとしゃべりっ放しだった。
    誰もが肝を冷やした難しいお産の末、朝陽に祝福されるように生まれてきた女の子。
    娘の容体に忙しく動きまわる産婆と、それを手伝う彼女も忙しく、主はうろたえて使えない。
    生まれたばかりの小さな赤ちゃんを優しく受け取り、この上なく大切に産湯を使わせたのはアンドレだった。
    彼の手の中でパタパタと動く柔らかい小さな手足。
    本当に、なんてかわいらしかったことだろう。
    どんなに愛し合っていたとしても、それをおおやけにはできない2人。
    結婚などありえるわけもなく、子供が持てるはずもない。
    そんなこと、最初から判っていた。
    でも。
    ほんのときどき頭の片隅に、彼女に似た、そして自分にも似た小さな笑顔がよぎることはあったのだ。口に出さないだけで。
    かくなる上は、仕事に打ちこむ彼女を支え、その成功を2人の喜びに共に歩もうと、そんなふうに思っていたけれど。
    突然訪れたアクシデントは、図らずも2人を生命の誕生に立ち会わせた。
    産婆と彼女が忙しく立ち働く気配を、隣室で湯などを用意しながら聴いていた彼。
    母子の無事を願ううち、彼の心境はすっかり父親のものになっていた。
    赤ん坊の誕生に、2人が力を合わせること。
    子を持つことの許されない自分たちのために、神さまがこの機会を与えてくれたように思え、産声が聞こえたときには涙が止まらなかった。まるで自分たちの子が生まれたような気がして。
    根がロマンティストな彼は、その感動にどっぷりと浸かっていた。
    血の気の引く緊急事態だったが、赤ちゃんも無事、娘も無事という大団円に終わり、疲労困憊の彼女が余ったお湯で手や顔を洗う。
    その横でも、彼はずっとしゃべっていた。
    主は2人に簡単な朝食を出しながら、仮眠を取るように勧めてくれた。彼もそうした方が良いと思ったけれど、彼女がそれを固辞した。
    出発前から寝不足だったオスカル・フランソワ。
    顔色がいいとはいえない。
    とても疲れていて…
    彼にぽそりとつぶやいた。
    「屋敷に帰りたい」
    それを聞いた彼は、すぐに理解した。
    きっと彼女はすごく疲れていて、自分の部屋に戻りたいのだろうと。
    いろいろと事情のあるオスカル・フランソワにとって、本当に安心できるのは、ジャルジェ家の彼女の部屋だけだから。
    主に見送られ、湖の館を出てからもずっと饒舌だった彼。
    御者台で横に座る彼女が返事をしなくても、かまわずしゃべっていた。
    彼女は馬車が走り始めていくらもしないうちから、顔を伏せるような姿勢で、彼に寄りかかってしまっている。
    オスカル、寝ちゃったのか…
    それが判っていても、彼はしゃべり続けていた。
    異様な緊張感から一気に解放されての祝福ムードで、胸に高まった感動や興奮を溜めこんでおくことができなかったのだ。
    2人きりの夜が中断されてしまったのは残念だったけれど、
    『期待してよいのだろう?』
    そう言った彼女の声は耳に残っている。
    期待なんて…していいに決まってるじゃないか。
    これだけいいオトナになってまで、まさか彼女を押し倒す暴挙をしでかすとは、彼だって自分でも思わなかった。
    恋の主導権。
    彼が握っているように見えていても、心の奥底では、彼女に引きずられてしまうアンドレがいる。
    これじゃ片思い時代と変わらない。
    やはり鍵は幼なじみの壁を越えることにある。
    次は絶対に、絶っっ対に優しくリードしてあげよう。
    同じ過ちはもう繰り返さない。
    今度こそ強く誓う。
    基本的には学習するタイプの男なのだ。
    彼は寄りかかる恋人に目を向けた。
    普段通りのブラウスとキュロット姿。
    ドレスはよく似合っていたし、すごく嬉しかったけれど…
    王子が村娘を着飾らせるほどに、自分の愛した娘から遠ざかっていくと感じたように、やっぱり彼の愛する彼女はこのシンプルな姿なのだ。
    「オスカル?」
    もうベルサイユも近い。
    そろそろ彼女には、客室に移ってもらわないと。
    彼は路肩に馬車を寄せた。
    眠りこむ彼女を起こそうと思い……あれ?
    「おまえ、起きてたのか」
    寄りかかっている彼女の肩を起こし、髪に隠れた顔を上げさせる。
    「!」
    彼女はドン引きするほど真っ青だった。
    「ちょっ‥オスカル、どうしたの?酔ったのか?」
    軽く肩を揺すられて、彼女はやっと緊張が抜ける。
    彼女は眠っていたのではない。
    あの緊迫したお産の場面から、神経が張りつめたまま動けずにいたのだ。
    「………った」
    「なに?よく聞こえ‥えぇっ!?」
    彼女はうっすらと涙ぐんでいた。
    なんで!?
    「どこか具合でも悪いのか?」
    いきなりの涙で焦る彼に、彼女はぷるぷると首を振り、乾いた声で言った。
    「こわかった」
    口に出したら、もう抑えきれなかった。
    からだがカタカタ震えてくる。
    あの緊急事態のさなか、馬上で怯えてギャーギャー騒ぐ産婆を抱え、無事に館まで戻ってきた彼女。
    そのまま出産の手伝いを務めることとなった。
    館に女性はオスカル・フランソワしかいないのだし、彼女ももちろんそのつもりだったのだが。
    考えが甘かった。
    あんなに小柄な娘のあんなところから、あんなに大きなものが…!
    まざまざと思い出し、よりいっそう震えが強まってくる。
    自分の痛みには強いくせに、ひとが苦しむさまには、彼女はてんで弱かった。
    燭台の、揺れて見え隠れするその部分が、赤黒い液体でぬめぬめと光る。
    本能的な恐怖を感じて目をそらしかけ…
    しかし、ひと2人分の命がかかっている責任を思うと、それはできなかった。
    ときに娘の手を握り、懸命に励ましたが、その励ましはむしろ、自分に送るものだったかもしれない。
    小さな赤ん坊とはいえ、それなりの大きさがあるはずで、それがその狭い場所から生まれ出てくることなど信じられなかった。
    無理だ。絶対に無理だ。
    知識では可能と判っている。でも!
    やがて夜が明け始める頃、産みの苦しみは見ていられないほどになった。
    陽が射し始め、いろいろはっきり見えてしまいだしたのもまずかった。
    自分が痛いのは我慢できる。
    血が出たところでうろたえたりしない。
    これが衛兵隊の隊員だったら、逆に檄を飛ばしてやるところだ。
    でも、女性がそんなふうに流す血は恐ろし過ぎた。
    そして、ついにそのすきまがばっくりと開かれ、赤ん坊の頭が見えてきて。
    うそ…うそだ、こんな。
    どう考えたって無理じゃないか!
    このままでは裂‥け……ぎゃあ~~~!!
    もちろん最後の叫びは心の中に留めたが、彼女は腰が抜けそうだった。
    赤ん坊の無事な誕生を喜ぶ余裕もない。
    末娘の彼女には、生まれたての赤ん坊を見た経験もなく、まさに生まれ出でた直後の生々しい赤ん坊の様子に、ただ怯えることしかできなかった。
    そのあとのことは定かではない。
    皆が安堵の息をつき、喜びあう中で、彼女だけが固まり、動けずにいた。
    なにか祝福の言葉を。
    そう思っても、変に息苦しくて、結局言えたのは『屋敷に帰りたい』と、それだけ。
    あの出産でなにを見て、どんなに恐ろしかったかを、青ざめて涙を浮かべ、つかえつかえ訴える彼女に、アンドレは頭を抱えた。
    特異な育ち方ゆえに、オスカル・フランソワの精神には男性に近い面もある。
    今回の出来事は、まさにその男の面をついたようだ。
    夢見がちに出産に立ち会い、思いがけないリアルさにショックを受ける夫さながらに。
    「あんなの…無理過ぎる…血…血が…そして…」
    憑かれたようにつぶやくオスカル・フランソワ。
    こんな状態の彼女を、客室に1人にはできない。
    「オスカル、お屋敷までなるべく急ぐから、もう少し頑張れるか?そろそろ人目につくんだ。
    背筋を伸ばしてきちんと座っていられる?」
    すっかり青ざめながらもコクコク頷いた彼女のために、彼はできる限り急いで屋敷を目指した。
    裏道を選び、人目を避けながら屋敷に着くと、裏門から直接厩舎へと乗りつける。
    厩番がわらわらと寄ってくる前にオスカル・フランソワを御者台から降ろすと、彼女の手首をつかんで部屋まで走った。
    「あら、オスカルさま!」
    次期当主の重々しい扉を開けると、部屋の奥には、彼女のために花をいけているジュリがいた。
    「お帰りなさいませ。いかがでした?お忍び旅行は。
    うふふ。やっぱりお泊まりでしたのね。
    皆はうまくごまかしておきましたわよ」
    にこやかにそばに寄ってきたジュリだったが、真っ青な彼女を見て、自分までもが顔色を変えた。
    「オスカルさま!どうなさいましたの?」
    彼女の手を引き、長椅子に座らせる。
    「ジュリ……こわかった…!」
    「ええ、そうでしょうとも。初めて殿方と契りを交わされた女性は、皆、そうですわ」
    「…血…血が…あんなに大きなものが…」
    「ええ、ええ、お気持ち、判りますわ。でも大丈夫ですのよ。純潔の身であれば、初めての機会での出血は皆ありますの。びっくりされたかもしれませんけれど、それが普通なのですわ」
    またしてもズレていく侍女と彼女の会話。
    ああ…
    正す気にもなれず、一気に疲れが出るのを感じながら、アンドレは飲み物を用意するために、彼女の部屋をあとにした。


    そして数日後。
    軍服姿に戻った2人は、普段通りに日々の勤務をこなし、明日は休みという夜を迎えていた。
    当然お互いに、あの夜の続きを意識している。
    ことに彼はギンっギンに意識しており、晩餐のあとに湯浴みに向かう彼女とすれ違っただけで、相当にやばい感じになっていた。
    でも、大丈夫。
    今度こそは本当に、優しくしてあげられる自信がある。
    そのためにあれから毎晩、彼女の勝負下着姿を思い出しては、自己調整を重ねてきたのだ。
    もうどんなに色っぽい彼女を見ても、暴走なんてしない。
    館でもらった薔薇色のワインを手に、夜更け、彼女の部屋を訪ねた。
    ノックの返事にするりと部屋に入りこみ、きっちり鍵をかける。
    恋人は夜着をまとって、彼を迎えてくれた。
    湖の館で見て以来の、夜仕様のオスカル・フランソワ。
    彼女の隣にすとんと腰を降ろすと、彼はいつも通りにくちづけようとした。
    軽く肩を抱き、髪を撫でて…
    でも、くちびるが触れた瞬間、彼女はびくびくと身をすくませた。
    「…オスカル?」
    「…悪い」
    お互い少し気まずいものを感じながら、でも気を取り直して、もう1度くちづけを交わしたのだが。
    不自然に固まっていく彼女。
    指先が少し震えているような。
    彼は不審に思い、そっと触れるだけのくちづけに切りかえた。彼女をリラックスさせようと思ったのだ。
    でも。
    彼女はガタガタと震えながら、彼を押しのけた。
    「いやだ、アンドレ。こわい」
    あの出産騒動。
    それが彼女の男性的な面に衝撃を与えた。
    そう推測した彼の読みは、正しくもある。
    けれど、彼女が激しくダメージを受けたのは、実はそこではなかった。
    目の前で展開された、いささかショッキングな場面。
    それが、自分とまったく同じ構造を持つからだに起きていることが、恐ろしかったのだ。
    自分のあの部分があんなふうに…
    そしてそこを裂くように、中からあれほど大きな赤ん坊が…
    ありえない!無理無理無理!!
    想像するだけで、足元から震えが上がってくる。
    娘のあの苦しみようを、自分のからだと生々しく置きかえてしまい、恐怖が増すのだ。
    自分の性をかたくなに否定してきた彼女。
    男だの女だの睦みあうことだの、そういったことを意識的に避けてきて…
    それだけに、いきなり突きつけられた女性にしか起きないハードな状況は、彼女の心の準備を超えていた。
    命の誕生を尊く神聖なものだと思っていても、それが怖いものだと、あの日、感覚に刻み込まれてしまったのだ。
    「こわいって、オスカル…」
    彼と距離をとり、長椅子の端っこにぴったり張りついている彼女。恋人同士になりたての、男の手に不慣れだった頃よりまだ悪い。
    最近はそれなりに慣れてきて、ちょっとした男女の戯れも楽しめるようになっていたというのに!
    湖の村に向かう渋滞の道。
    あのとき、長柄の折れた荷馬車を助けなければ、今ごろ2人、どうしていただろう。
    そんなことをチラリと考えながら、彼は精一杯優しくオスカル・フランソワの肩を抱き寄せる。
    けれども彼女はびくりとからだを震わせて、表情を強ばらせた。
    なにも今すぐ妊娠させようってわけじゃない!!


    誰はばかることなく手をつないで歩き、何度となくくちづけをかわした夏の休日。
    ほんのささやかな彼女の欲望を叶えたあとに、まさかこんなおまけがついてくるとは…
    すっかり退行してしまった彼女が、彼の欲望を叶えてくれる日はいつだろう。
    頑張れ、俺。負けるな、俺。
    誰よりも大切な恋人のために、彼は、からだを突き上げる熱いものを、今まで以上に押し殺したのだった。


    FIN
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