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【今はあなたを見送る 最終話】
UP◆ 2011/2/3「きみは今回のことで、ジャルジェ准将から何か聞いていないか?」
私がそう問うと、アンドレ・グランディエの良くできた従僕顔にわずかな隙間が生じ、ほんの少し人間味が差した。
この男はどんな場面でも控え目で、かと言って無能ではなく、従僕としては申し分ない素材である。
彼にそこそこの身分があり、もし軍籍を置いていたならば、階級は低くとも優秀な副官ぐらいにはなれただろう。
だが私には判る。
この男の見せる穏やかなたたずまいや、優し気なものごしは、まやかしでしかない。
本当のこの男は、怒りや妬み、嫉妬、あなたへの劣情にまみれて混沌としている。
激昂すれば何をするか判らない危うさがこの男にはある。
胸のうちでどろどろと浮き沈みする感情を、当たり障りのない従僕の仮面の下にねじ伏せているだけだ。
鮮やかに人目を惹くあなたのそばにいるので目立ちはしないが、この男だけをよく見ればなかなかに端正な顔立ちをしている。
この、あなたのことならなんでも知っているとでも言うような落ちつきはらった顔を崩し、醜さを引きずり出してやりたい気持ちに私はかられた。
「ジャルジェ准将が近衛からの転属を希望されている。今、王后陛下に謁見なさっておいでだ。
アンドレ・グランディエ。
君はこのことを知っていたのでしょう?」
「恐れ入りますがジェローデル大尉、それは私から申し上げられることではありません」
よくできた従僕は、よくできた答えをする。
「それはジャルジェ准将のご意向で?それとも君自身の判断で?」
「おっしゃる意味がよく判りません。なぜそのようなことをお尋ねになるのです?」
「なに、深い意味はない。ただ君はいつもあの方のおそば近くに仕えて、あの方のご意志をまるで自分の意志のように口にするのでね」
「いえ。そのようなつもりは…」
従僕はいっそうかしこまった顔をした。
「私たちは子供の頃から共にありましたから、自然とそうなってしまうだけで他意はありません」
「『私たちは自然と』…ね」
従僕は表情も変えずに私をいらつかせる。
あの高貴な方を平民ふぜいが「私たち」などと……笑止な。
「ときに、グランディエ。先だっての人事移動での騒動は、君も聞き及んでいるだろう?」
「はい。王后陛下がまたご偏愛で、無理な人事をなさったとか」
「陛下も悪い方ではないのだが……いかんせん無邪気で思いこみが激しくていらっしゃる。感情だけで人事に口を挟まれるのは、いただけないことです」
「それはオスカルも常に危惧しています。このような状態で近衛を離れることは、オスカルも心苦しく思っているはずです」
ああ、ほら、グランディエ。
言っているそばからまた君はそういう言い方をする。
なぜ、一使用人の君があなたの気持ちを当たり前のように決めつけるのだか。
「私はね、グランディエ。もしジャルジェ准将が近衛から移動なさるとしたらどのポストになるか、少々調べてみたのですよ」
その言葉に従僕は、興味を惹かれた気配を見せた。
先だっての人事移動。
あれはかなり強引なものだった。
各部署ともにまだ不満が渦巻いている。
特に保守的な重臣たちの不快感は根深い。
このような状態では、いくら王后陛下が頭が軽……思慮が浅いとは言え、今、あなたを思いどおりの役職につけることはできないだろう。
「今、ジャルジェ准将が移動されるとしたら、予想されるのは衛兵隊しかないのですよ」
「衛兵隊、ですか」
そう。衛兵隊。
あなたが衛兵隊にその身を置くなど。
私は不快感でいっぱいになる。
「ここの管理官職はいつでも空いているようなものだ」
「それは…どういうことでしょうか?」
君には意味が判らないだろうね、グランディエ。
「誰も、続かないのですよ」
「続かない?」
「部下に少々調べさせましたが…
衛兵隊とはまったくもってひどいところだ。あれで誉れあるフランス陸軍とは!ブイエ将軍の管理能力を疑いたくなる」
「大尉がそれほどのおっしゃりようをなさるとは」
ほう。よく気がついたね。
そうだ。
私は通常、決して人を貶めるようなことは言わない。
けれど。
「部下の報告があまりに酷かったのでね。私みずから衛兵隊に出向いてみました」
同じ陸軍とは言っても、近衛隊と衛兵隊は交流がない。
ジャルジェ将軍とブイエ将軍との溝も原因のひとつだが、そもそも近衛はどこの部署からも反感を買っているのだ。
王室近く仕え、華やかで、名誉職のイメージがあるからだろう。
『飾りものの近衛』
とんでもないことだ。
近衛に有事があるということは、王家がまさに危機にさらされるということ。そのために私たちは、常に命を張る覚悟でいる。
あなたはもちろん、私も、他の将校たちも幼い頃からそう叩きこまれて育ってきた。
心身の鍛錬は並みの隊の比ではない。
民間あがりの衛兵隊の隊員など、一ヶ月も保たないだろう。
あのごろつきまがいの兵士たち。
訓練にもろくに出ず、まだ昼だというのに酒を飲み、賭け事に興じている。
なかには昼ひなかから睦みごとに熱心な阿呆どももおり…
まぁ、男だらけの兵舎住まいとなれば男色に走ろうが仕方もないし、私の知ったことではない。
だいたい、そのような趣味思考の者は近衛にもいること。
たいして驚きもしないが、しかし、むさくるしい衛兵のボーイズラブなど鬱陶しいだけだ。
言わせてもらえば、耽美なら近衛にこそふさわしい。
あんな場末の安酒場もどきのところにあなたを放てば、何が起きるか判ったものではない。
「大尉みずから衛兵隊へ?」
従僕の驚いた声が、私を回想から引き戻した。
「大尉はいつから、オスカルの転属の希望をご存知だったのですか?」
その言葉に私は冷笑を浮かべた。
「同じ質問を、私も先ほど君にしましたが、君は答えませんでしたね。君が答えないものになぜ、私が答えなければならないのでしょう」
従僕は微かに眉をひそめる。
ほんの微かではあるが、彼の心が波立ったのが私には判った。
「……私がオスカルにこのことを聞いたのは……最近です」
「最近とは?」
私はわざと彼を煽るような質問を重ねた。
「……一昨日ですが」
私は内心、深い安堵を感じた。
あなたは私に最初に伝えたいとはおっしゃったが、もしかしたらこの従僕だけは特別扱いされているかもしれないと、不愉快な疑念を抱いていたのだ。
「私は半月ほど前からうかがっていましたよ、グランディエ。あの方が、私にこそ1番に告げたいと。
誰よりも… お父上よりも先に、私に告げたいとおっしゃってね」
漆黒の隻眼に、一瞬だがはっきりとした敵意が浮かび、私はそれを見逃さなかった。
まったく君はいい
「あのとき、彼女はひどく動揺していた。なにか精神的におつらいことがおありだったようだ。女性として、とてもつらいことがね。
心当たりがありますか、グランディエ?」
「……さ‥ぁ… 私には…」
彼はまた感情を波立たせたが、それは先ほどまでの敵意とは違うあからさまな動揺だった。
私はその動揺をさらに揺さぶるために、甘ったるい含みをまとわりつかせて言う。
「私は心をこめてお慰めしましたよ。私がどんなふうにあの方をお慰めしたか、聞きたいですか?」
私のその言葉に、従僕は私に向かって踏み出しかけた。
…殴る?
いいだろう、やってみるがいい。
武人である私をなめてもらっては困る。どうせ君には私にかすることさえできやしない。
「……」
しかし彼は苛立ちを隠しきれないまま私から目をそむけると、上げかけた腕を下ろした。
これだけ煽られて…
本当に君はよくできた従僕だ。
でも。
私は彼に歩み寄ると、その肩に腕をかけ、駄目押しに耳もとでささやいた。
「あのひとの涙は熱かったよ、アンドレ・グランディエ。
と て も …ね」
次の瞬間、彼は私の腕を振り払い、そのまま殴りかかってきた。
けれど、その拳を、私はまばたきすることもなく掌で受け止めた。
「もうすぐジャルジェ准将がお戻りになる。席を外してもらおうか、グランディエ。
私はあの方をお引きとめしたいが、しかしあの方のご意志を尊重せねばという気持ちもある。
私自身、決めかねているのです」
至近距離で私を射抜く彼の眼差し。
しかし、それをまったく意に介さず私は言葉を続ける。
「だから……私はちょっとした賭けをしようと思っているのですよ」
「貴様、オスカルに何をする気だ?」
君があなたを「オスカル」と呼ぶたびに、私がどれほど不快に思うか、きっと君には判るまい。
ジャルジェ准将、あの方、彼女、あのひと……
あなたを呼ぶ代名詞ですら、未だ私は戸惑うというのに。
ましてあなたを呼び捨てにするなど。
「君があの方にしたような無粋なまねはしませんよ。駄犬と一緒にされては困ります。
君は第3身分とはいえ国王陛下から宮廷への出入りを認められている。しかし、ここは近衛連隊長の執務室です。
本来ならば兵卒でもない君が、気軽にうろついてよい場所ではないのですよ」
私はたたみかけるように言うと、強引に彼を部屋から押し出した。
それから程なくして、あなたが王后陛下の御前から戻っていらした。
「衛兵隊だそうだ」
私の顔を見るなり、あなたは短くそう言った。
案の定、衛兵隊。
「私は即答でお受けしたのだが、王后陛下が良く考えるようにとおっしゃられて… 辞令は今しばらく、いただけそうにない」
ソファに沈みこむあなたの隣に、私も座る。
そしてあなたに少しの隙も与えず抱きよせた。
「……待っ…」
腕の中からすり抜けようとするあなたに、自由を許さず私は問うた。
「衛兵隊へいらっしゃると?」
「そうだ」
「そこが… どんなところであっても?」
「近衛でなければ、どこであろうがかまわない」
「私を捨てさって?」
あなたは僅かながら躊躇したが、しっかりと頷いた。
「そうだ、ジェローデル」
ああ。やはり。
私とあなたはしばし見つめあっていたが…
私は静かにあなたをソファへと横たえた。
もちろんそこまでの行為に及ぶ気はなく、ただ私の体温をあなたに感じて欲しかった。
私にも感情があるのだと。
拘束する腕を解き、頬へかかる金色の髪を優しくゆっくり梳くと、うつむこうとした顔を指先で上向かせる。
あなたは私のされるがままだった。
反射的に抗いそうになる体を、あなたが懸命に抑えているのが判る。
私はそのままくちづけようとした。
が。
くちびるが触れるか触れないかの刹那、私はあなたの瞳の色に気がついてしまった。
うつろに開かれたままのその眼の先は、宙をさまよっている。
心をどこかに逃がし、ただ黙って身を任せることが、恋の形代としてこの数年を過ごしてきた私への償いとでもいうようだった。
……やりきれない。
私はあなたから離れると、静かに立ち上がる。
「ジェローデル?」
賭けはあなたの勝ちです、オスカル・フランソワ。
私にはあなたを引きとめられない。
「すみません。冗談がすぎました」
もう私を「ヴィクトール」とは呼ばないあなたに背を向け、私は扉へと向かう。
ここはもう、私たちがかりそめの恋によりそいあった秘密の部屋ではないのだから。
あなたはご自分の足で立ちたいのだとおっしゃった。
ならばそれもよいでしょう。
でもこれが私たちの別れではありません。
いつかあなたがその望みを叶えられたとき、私はもう一度、あなたにこの想いを告げる。
そして、そのときには私の腕の中で、あなたにご自分から眼を伏せていただきます。
「ジェローデル、すまない」
あなたの声に私はふり返る。
「そんな顔をしないでください」
「どんな顔をするなと?」
うっすらと涙の浮かぶあなたの青い瞳は美しい。
けれど。
「あなたにはいつでも、笑っていて欲しいのですよ」
私がそう言うと、あなたは笑顔になりきれない不器用な微笑を見せた。
ああ。
私には、今はそれだけでいい。
しばしのお別れです、大切なひと。
それだけで、今はあなたを見送れます。
あなたと私が、もう一度出会うために。
FIN
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