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【はざまに見る夢】
UP◆ 2013/1/4「はぁ」
吐く息までもが熱くて、熱のこもった体にじっとりと汗をかく。
‥‥母さ‥ん‥
ああ。俺は夢を見ている。
ジャルジェ家に来たばかりの頃、俺はしょっちゅう熱を出していた。
俺の育った南フランスは温暖で、豊かな陽射しの溢れるところ。夏でさえ、陽が落ちれば肌寒さを感じるベルサイユには、なかなか体がなじまなかった。
だんなさまにいただいた個室は、それまで暮らしていた家よりずっと広くて立派で、親を亡くしたなんの後ろ盾も持たない8歳児にはじゅうぶん過ぎるほど。ある程度の調度も整っていて、暮らすには快適だった。
それなのに四六時中熱を出していたのは、やっぱり寂しさからだったのだろう。突然母親に死なれて、住み慣れた町から引き離された、まだ子供だった俺の。
胸から吐き出される息が熱くて、くちびるが乾き、喉も渇く。
‥み‥ず‥
冷たい水が飲みたかった。
けれどひどい倦怠感に、小さな俺は起き上がることもできない。
唯一頼れるはずの祖母は、役立たずな子供を引き取ってもらった負い目に、ほんの少しの甘い顔も見せてはくれなかった。こんな時でもお屋敷で忙しく立ち働き、様子を見に来る気配は露ほどにもない。
…母…さ‥ん…
意識がぐちゃぐちゃに混濁してきて、母親が死んでいるのも判らなくなり、幼い俺は1人きりの寝台でわんわん泣く。
こんなに熱いのに
こんなに苦しいのに
母さん、どこ?
熱にとろけた脳みそには、自分の泣き声さえも遠く聞こえる。
豊かではない暮らし。
そうだ。
今、母さんは仕事に行っている。
『とっても心配なのだけど。ごめんね、アンドレ。働かないと、お医者さまにもかかれないの。判ってね』
母親の冷たい手が、俺の額に触れる。
『すぐに帰ってくるから、おとなしく横になっているのよ。明日には先生に診せてあげられるから』
父親はずっと早くに亡くなって、僅かな記憶すらない。
働きづめの母親。
遠い記憶の中にも、丈夫な人ではなかった。
母さん。今の俺なら、守ってあげられるのに。
『もう行かなくちゃ。アンドレ、いい子にしてるのよ』
カタリと靴音がして、母親は立ち上がる。
喉が痛くて声も出ない俺は、小さく頷き、母親を見送った。
待ってるからね。早く帰ってきてね、母さん。
熱に潤む瞳には、出ていく姿がにじんで見える。
医者になど診てもらえなくてもいいから、そばにいて欲しかった。
母さん、ぼく、大丈夫だよ。苦しくなんかない。だからおねがい、行かないで。
『すぐに帰ってくるから』
そう言った母親だったが、それが嘘なのは判っていた。
診察代と消える日銭を稼ぐために、今夜はきっと遅くなる。
『…っ』
熱でグラグラする頭。
それでも俺は、起きあがろうとシーツをつかんだ。
枕もとに寄せられたテーブル。その上に、母親が用意していった煎じ薬があった。
効くんだか効かないんだか、まじない程度の怪しいものだったけれど、熱が下がる薬草だと言って、疲れた体で母親が摘んできてくれたもの。
にがくてクソ不味いそれに、俺は懸命に手を伸ばす。
全部飲んだら、いい子だよね?そしたら、母さん、すぐに帰ってきてくれる?
寝台の上で這いつくばって、俺は身を乗り出してゴブレットに触れたが。
コト…っ。
よろけた指に押されたそれは、あっけなく倒れた。
渋い色の液体がテーブルの上に広がって、床へと滴り落ちる。
あ…
薬が。せっかく母さんが用意してくれた薬が!
熱でいかれた頭には、それがどうしようもなく絶望的に思え、幼い俺は母親への申し訳なさに声を上げて泣いた。
ごめんなさい。母さん、ごめんなさい…
こんな悪い子じゃ、母さんはもう、帰ってきてくれないかもしれない。
「か‥‥さん‥ごめん‥‥ね‥?」
痛みに掠れた声。
喉の奥で血の味がしたけれど。
次の瞬間、からんではりつく喉によく冷えた水がしみてきた。
「わたしだ、アンドレ。だいじょうぶか?」
俺を抱き起こす、俺よりも小さな肩。
くちびるに冷たいグラスの感触がして、清涼な水が少しずつ傾けられていた。
「ほら、もう少しのんでみろ。きっとすっきりするぞ」
俺はうながされるままコクコクとそれを飲み、そしてようやく寝苦しい夢から解放される。
「アンドレ、わたしがわかるか?」
心配そうに俺をのぞきこんでいる、澄みきった青い瞳。
「ああ… オスカル」
「ひどいねつだな」
おまえは俺に額を寄せた。
「でも、もうだいじょうぶだぞ。今夜はわたしがずぅっとついていてやるからな」
グラスに1杯の水をあっという間に飲み干した俺を、おまえは丁寧に寝台へと押し戻す。
出先から戻ったばかりなのだろう。小さなおまえの手は、ひんやりと冷たかった。
「同じ‥だ」
「ん?」
「おんなじ…なん…だ」
小さくつぶやきながら、俺は
『アンドレ、ごめんね!』
息を切らして帰ってきた母親の、冷えきった指先。
おんなじなんだよ、オスカル……
「オスカルさま?アンドレったらこんなに熱があるのに、笑っていますわよ?」
「ああ。なんだか知らんが、こいつは子供の頃から熱を出すとへらへら笑うんだ。きっと幸せな夢でも見ているのだろう」
このところ、激務が続いた衛兵隊。
珍しく風邪をひき、寝こんでしまったアンドレを見舞ったオスカル・フランソワは、侍女を伴い、そっと彼の部屋を出た。
――こんな夜。
高い熱のはざまに潤んだ瞳で、傍らを見やれば母がおり、その反対側にはもっとも愛する女のいる、そんな夢を彼が見ていることは彼女でも知らない。
FIN
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