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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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    人の住まない家の、澱の溜まった空気。
    「おねがい!アランさん」
    フランソワの瞳はキラキラと藍が深く、若さの逸る生命力を発していた。
    この子供が存在するだけで、死んだはずの屋敷にいぶきが満ちる。
    出会ってからこれまでの人を食った余裕はなりを潜め、子供らしいまっすぐさで俺を見つめた。
    ああ、やっぱり。
    なんて隊長に似ているんだろう。
    初めて顔を見たときには、そっくり写し取ったようだと思った。
    けれど、落ちついて見たならフランソワの顔立ちはむしろアンドレに似ていて、“そっくり”というならば、間違いなくふたごの妹の方だ。
    でも。
    この眼差し。
    胸にたぎるものをギュッと押し込めて、それでも抑えきれない熱を激しく放つこの瞳は、他に2人といない。
    俺と出会う前。
    純白の軍服に身を包んでいた頃の隊長も、きっとこんなふうだったのだろう。
    …この子供を。
    「フランソワを育てる?俺が?」
    「そうだ、アラン」
    この人以上の軍人に、俺が育て上げる?
    2度と交わることはないと思っていた俺と隊長の運命を、もう一度重ね合わせることが出来るのか。フランソワを介して。
    「何をバカなこと言ってんですか。今の俺は」
    「籠の鳥、か?」
    そうだ。
    あの男の手の中で生かされている。その俺の、どこにそんな自由がある?
    あの男の目を掠めてフランソワを士官学校に入学させ、軍人として駆け上がらせるなんて出来るはずが…… いや。
    ユラン伍長に協力してもらえば。
    あの人は、俺があんなことをやらかして士官学校にぶっこまれる前から、あそこで教官をしていた。
    伍長の口利きで入学してくる訓練生は、毎年少なからずいる。あの人の目利きに叶い、奨学金を得て入学した者たちの多くは皆、優秀な人材として卒業していった。それはあの男も評価していることだ。
    ユラン伍長の協力を得られれば、或いは…?
    ああ、でもそれにはあの夏の亡命劇の真相を、洗いざらい話さなければいけなくなる。
    重すぎる秘密。
    それをユラン伍長にまで背負わせるわけにはいかない。
    そして“ジャルジェ准将惨殺事件”。
    あのとき陣頭指揮を取ったのは、ユラン伍長だった。
    俺とアンドレと、あのいけ好かない近衛連隊長とででっち上げた惨殺事件を、ユラン伍長は必死で追っていた。革命の波にもみくちゃにされ、中断を余儀なくされた捜査。伍長は未だ、それを悔いている。
    『せめてご遺骸だけでも見つけて差し上げたかった…!』
    そんな苦渋に満ちたつぶやきを、何度聞いたことか。
    俺とは違った後悔の年月を、ユラン伍長もまた、生きてきたのだ。
    ……言えるわけがねぇ。
    どうする?
    どうすればいいだろう。
    今の俺でも出来ること。
    今の俺に残っているもの。
    きっとあるはずだ。上り調子でちやほやされていた頃の俺じゃ判らなかった、今の俺にだからこそ残された、本物の人とのつながりが。
    あの頃、俺の周りにはいつもたくさんの人がいた。将軍なんて呼ばれてそれなり大きな力を持ち、出来ないことは何もないように思っていた。
    だが。
    暗殺未遂をやらかして、俺がハッキリと失脚したとたん、それまで群がっていた自称・信奉者たちは潮が引くように離れていった。
    そのことが、俺をすっかり厭世的にしていたのだ。人間なんて、所詮そんなものだと。
    でも、本当にそうだったんだろうか。
    監獄から戻ってきた俺を、つかず離れず遠巻きにしていた元・1班の生き残りたち。どうせ、俺と関わってとばっちりを食うのがイヤなんだろうと思っていた。
    でも、本当にそうだったんだろうか?俺の方が凝り固まって、打ち解けようとしなかっただけじゃなかったのか。
    ディアーナとのことだって、面白おかしく揶揄されているのは知っていたけれど、それは本当に悪意だけのものだったろうか。
    衛兵隊の頃だったら、ケッと眉を潜めてヤツらを小突き、苦笑で返せるブラックな冷やかし。そんなものじゃなかったか。
    「本当は…」
    本当は俺自身が、娼婦あがりのディアーナを恥ずかしいと思っていた…?
    「俺ってヤツは」
    あの暗殺未遂はあまりに大きな出来事で、俺を取り巻く人間関係を激変させた。
    だけどそれは、自分が望んでやったこと。失敗したのも自分のせいだ。
    それなのに世を拗ね孤独ぶって、俺が戻ってきたことを真実喜んでくれた人もいたというのに、俺はそれすら冷ややかに眺めていた。唯一、あの独房に面会に来てくれたユラン伍長にしか、心を許さずに。
    ほんとにほんとに… 40もとっくに過ぎたというのに、本当に俺は何をやっていたんだろう。
    皇帝に銃口を向けた謀反人。
    そんなヤツに会いに来るなんて、普通は出来ることじゃない。ヘタをすれば、謀に通じていたとも思われかねない危険な行為。
    そんなの、誰だって怖い。誰だって自分がかわいいに決まっている。
    ユラン伍長は臆せず会いに来てくれたけど、それは誰にでも出来ることじゃない。立場を変われば俺だって、どう出来たものか判らない。
    見捨てられた自分。
    そう心の奥底でわだかまって、誰からも距離を取り、世捨て人を気取っていただけ。
    「隊長、俺は…っ」
    「ほう?先ほどまでよりずっといい顔になったな、アラン」
    隊長は力強く頷き、満足そうな笑顔を見せた。
    「隊…長?」
    「さて、私の用件はこれで済んだ。おまえたち、帰るぞ」
    昔と変わらぬ身のこなしで、隊長は唐突に立ち上がる。
    「「え… えーっ!?」」
    俺とフランソワは、同時に同じような声をあげた。
    このガキと俺の頭の中身が同等みたいでなんとも胸クソ悪いけれど、今はそれをかまっている場合じゃない。
    「だって母さま、僕はまだ!」
    「そうですよ隊長。こんな、ブチ上げるだけブチ上げておいて撤収するなんざ人が悪過ぎる」
    もう1度、この人と同じものを目指せたら。
    胸に小さな火種を突っこまれて、それをなかったことになんて俺に出来るか!こちとらいい年してダテにガキなワケじゃねぇ。
    「少しだけ待っててください。3年。いや、1年でもいい」
    取り戻す。あの頃の俺。
    まだ間にあうかは判らないけど、俺にはまだ、きちんと向き合わなければならない人たちがいた。バカな俺はやっと今、それに気づいたから。
    見下ろす隊長と、立ち上がりかけて中腰の俺。
    しばらくじっと見つめあう。
    あなたに再び会えるとは思っていなかった。
    心の底から望んでいても、それは叶わぬことだと。あなたの幸せを願うなら、あってはならないことだと思っていたのに。
    「隊長」
    変わらない。
    この人は今もこうして突然現れて、俺を導いてくれる。この埋められない距離に、焦り苛立ったこともあったけれど。
    「待っていてください。俺を」
    今は飾り物で、ど底辺の俺。
    ここからまた、上を目指す。いつか、フランソワを連れて。
    「アラン。本当におまえは単純だな」
    俺を見つめていた隊長は、くっくと笑った。
    「失礼な。単純じゃありませんよ。純粋なんです」
    「言うにことかいて、純粋ときたか」
    不満そうな膨れっ面のフランソワをよそに、隊長はさらに肩を揺らした。
    俺もつられて苦笑したけれど。
    「!」
    裏の通用口辺りに遠くザワつく人の気配を感じて、隊長はすうっと表情を引き締めた。
    まずい。国民衛兵の巡回だ。
    「俺が出れば、すぐにも皆、引き上げるでしょう」
    くさっても、士官学校の名誉学長。それぐらいの顔は利く。中まであらためようとはしないだろう。
    こんな時間に俺がベルサイユにいること。しかもジャルジェ邸の中に入りこんでいることは、言い訳に窮する。けれど、ヘタにコソコソ隠れて踏みこまれるよりはマシなはずだ。
    隊長が手近な燭台の灯を消すと、フランソワも自分が点けて置いたいくつかの燭台の灯りを消してまわった。
    ふたごが隊長のそばに駆け寄って、ピタッと1つの影になる。俺はそれを待ってから、使用人用の裏口へ向かった。
    裏木戸の向こう、騒がしい様子が伝わってくる。
    どうしたんだろう。ただの巡回ではなく… 何か起きているようだ。
    扉を開けて確かめたい気持ちを抑え、俺は木戸に張りつき様子をうかがった。
    呂律の怪しい叫び声。
    酔っぱらいか?
    揉み合う人の気配。
    でも本気で争っているわけではないらしい。
    やがて騒がしさは遠ざかり薄れていき…
    「ふーっ」
    俺は息を吐き出し、緊張を解いた。
    よかった。
    ごきげんさんな酔っぱらいが、運悪くジャルジェ邸の裏で国民衛兵の見回りに引っかかった。そんなところか。
    しかしあいつら、賊の認められたばかりのジャルジェ邸を、ろくに調べもしないで通り過ぎるとは。
    まったくなってねぇな。まぁ、そのおかげで、こっちは面倒なことにならずに済んだけど。
    「こんなんじゃ、いつかほんとに賊が入っちまうぞ」
    小さくブツクサ言いながら、俺は談話室へとって返す。
    灯りの消された、真っ暗な空間。
    あのふたごの妹は、今ごろ闇に怯えてフランソワの手を握りしめているだろうか。
    あの人を、そっくりそのまま少女の姿にした娘。俺のたった1人の妹の名を持つ…

    『兄さん!わたしね、オスカル・フランソワさまにお会いしたの。どうして女の方だと教えてくれなかったの?オスカルさまはとても美しい髪をお持ちだったのね。なんて豪華な黄金の!』
    …俺の…ディアンヌ…

    チャッと小さな蝶番の音をさせ、俺は談話室の扉を開ける。
    「隊長」
    ベタ塗りの闇に応えはない。
    「裏門辺りで単純な小競りあいがあっただけのよう…で… 隊長?」
    部屋の様子が、変わっていた。
    「隊長!?フランソワ!」
    取り出されていた燭台はすべて戻され、燃えさしの蝋燭や残りの箱もない。
    人のいた痕跡のまるでない部屋が、薄い月のあかりに重苦しかった。
    ほんのついさっきまで、凛として心地いい緊張と若い生命力が眩しく溢れていたのに、すでにそこはまた、人の住まない死んだ邸に戻っていた。
    「隊長、そんな!」
    別れの挨拶もしてない。
    俺を待っているとも言ってくれてない。
    「あんまりじゃないですか!!」
    俺はとっさに大広間に向かった。
    かつて華やかな舞踏会が開かれたところ。
    そこにはテラスが設えてあり、大きなガラス扉を開け放てば整ったフランス式庭園に直結している。裏の通用口とは真逆の位置にもなり、子供を連れて邸を脱出するには最適かと思われた。
    でも。
    「いない」
    俺は焦りまくって邸じゅうを探しまわった。けれど、どこも内側からしっかり施錠されていて、中から人の出て行った痕跡は見あたらなかった。
    最後の最後、一応俺は使用人用の通用口へと行ってみた。広い邸の中、もしかしたら行き違いになったのかもしれない。
    しかし。
    ―― ゴツッ。
    内側から開けようとした扉は、重い施錠の音がした。
    「なん…っ!?」
    だってここは俺が入ってきた扉。この手で錆びた南京錠の鍵を開けた。
    それなのに、なぜ外から鍵が掛けられている?
    あのとき俺はオリジナルの鍵を使って南京錠を解き、引き抜いたそれを… そうだ、邸に入ってすぐ、扉近くの足元に置いた。
    ここをあとにするとき、施錠を忘れるなど間違ってもないように、わざと邪魔くさい足元に置いた。
    でも、待てよ。
    後頭部にフライパンを喰らってノビてた俺がここに来たときも、南京錠はきちんと掛かっていたじゃないか!
    使用人の居室で眠りこけていたフランソワ。この邸の鍵を持っていたことで、すっかりごまかされていたけれど。
    そもそもあのガキだって、どうやって今夜、中に入ったんだ!?
    俺は大広間のテラスから外に出て、屋敷裏に回りこんだ。
    「ふ…ぅん」
    使用人用の通用口には案の定、錠前が掛け直されていた。
    これをやったのは、多分隊長だ。
    待ち合わせに遅れているフランソワを迎えに来て、俺の存在に気づき、足元に転がしたままの錠前を拾って施錠し直した。巡回の国民衛兵が邸内をあらためようとしなかったのは、この厳めしくデカい南京錠がしっかり掛かっていたからだろう。
    そういうことも考え合わせ、隊長は外から鍵を掛けた。そして、自分自身はおそらく秘密の通路かなんかを使って中に入ったに違いない。これだけの邸を構える武家の権門であれば、当主と家人しか知らない極秘の通路があってもおかしくないだろう。
    実際、この邸が国民衛兵の管理下に入ってから、古い時代の抜け道はいくつか見つかっていた。
    フランソワも今夜は慎重を期して、そのように邸に入ったんだろうか。
    隊長がふたごの妹を厨房で待たせたところを見ると、その通路は邸の中枢部ではなく、生活を支える雑多な場所に隠されているのかもしれない。或いは談話室の片隅などにこっそりと。
    何にしても、この仮説が正しいかどうかを調べるのは、今は無理だ。
    「明るくなってからじゃないと」
    それに、俺にはやらなきゃならないことが出来た。もう学長室でお行儀よく茶なんか飲んでるヒマはない。
    俺を待つとも待たないとも言ってくれないまま、姿を消してしまったあの人。
    でも。
    「生きて会えた」
    そして、俺を気にかけていてくれた。
    隊長。
    いつだって、あなたの指し示す方向に俺の未来がある。
    切れてしまったと諦めていた絆は限りなく細くても、まだしっかりとつながっていた。

    何を悲観することがある?

    もうひと気のなくなった闇の中に、あのガキの小生意気な表情(かお)が浮かぶ。
    あいつはきっと、諦めない。アンドレがいくら反対したって、必ず戻ってくるに決まってる。
    フランソワの眼差しには、間違いなく人並みではない激しさの片鱗が見て取れた。
    あの人と同じ。
    良くも悪くも平凡には生きられない、性分のようなもの。
    アンドレにだって、そんなこと判っているはずだ。望むと望まざると、ヤツもそういう種類の人間だから。

    傾く月の弱々しいあかりに、邸の戸締まりを確認してまわる。
    最後に通用口の南京錠をこの手で掛け直して、ぶっとい鎖を巻いた。
    あの人は今ごろ、無事にアンドレと落ち合えているだろうか。

    ……きっと大丈夫だ。
    だってこの年月を、あの人は生きていてくれたのだから。


    帰りの馬車を拾おうと、俺は通りへ出た。
    けれど、かつて太陽王の治めた華麗な都はすでに枯れて、大路には人っ子ひとりいなかった。
    空に薄い、明け方の星。
    華やかなりし時代であれば、舞踏会から帰る貴族たちの馬車がまだまだ行き交っていたことだろう。
    あてにはならない辻馬車を探しながら、自然と足はパリへと向いている。
    帰ったら、まずディアーナと話さなければ。
    今さらだけど、俺はちっともディアーナと向き合おうとしていなかった。
    独りぼっちで逝かせてしまった妹への悔恨と、2度と会うことはないと思いさだめたあの人への想い。どちらもやり場なく混ざりあって、俺はそれをディアーナに向けた。無理やりにディアーナを愛そうとしていた。
    そんなこと、出来っこないのに。
    俺が女としてのディアーナに触れることは指1本なく、身重だということを差し引いても、俺はやはりディアーナを哀れみの対象としか見ていなかった。
    そしてそれは、本当は自分への哀れみだった。絶対に、絶対に叶わないあの人への、俺の。
    そらぞらしく空回りする俺とディアーナ。
    2人の間には薄い亀裂が生じ、じわじわと深まっていくことに、俺は気づかないふりをしていた。やがてそれも紛れていく。そうごまかしながら。
    そんな中で、ディアーナはよくやっていたと思う。
    でも。
    哀れみなんて、あの娘にとって傷を深めるだけだ。
    傷口の手当てもせずにただ、包帯を巻いてやっただけ。内側で膿んでいく傷は放ったらかしのままだった。
    端には幸運なケースだと映っているのかもしれない。あてのない妊娠をした安い娼婦が運良く拾われて、申し分のない生活を手に入れたと。
    でも、ディアーナが欲しかったものはきっと違ったはずだ。そして俺には、それを与えることが出来ない。
    似て非なるものしか。
    こんなこと、もうやめよう。帰ったらきちんと話し合おう。ディアンヌに似た面差しを持つあの娘に、手を貸してやりたい気持ちは嘘ではないのだから。


    このとき、俺は本気でそう思っていた。
    ディアーナとじゅうぶん話し合ったその後には、元1班のヤツらのところにも顔を出そう。素の俺の情けなさを正直にぶつけて、それからユラン伍長ともちゃんと話して。
    本当に、本気でそう思っていたのに。


    最終話につづく
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