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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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貴賓室へ
ゲスト作家さまの作品がお楽しみいただけます。

    2人の間に、なにか起きるかもしれない!
    わたくしのそんな予感が確信に変わったのは、例によって、娘との午後のひとときだった。
    王妃さまからのお達しで、小さな休暇をいただいたオスカル。
    わたくしはそれに伴ってアンドレにも休みを与え、使用人たちにもばあやにも、彼に仕事をさせぬよう言い付けておいた。
    少々短いけれど、この小さな冬休みを2人の蜜月期にしようと目論んだのだ。
    決勝のあった夜の2人は帰りが遅く、わたくしがあの子の顔を見たのは、翌日の午後になってからだった。
    「奥さまが肩のお見舞いも兼ねて、昨日の試合のお話などお聞かせ願いたいと仰せです」
    そんな言伝を、娘はアンドレの部屋で受けた。腰を傷めてしまった彼を見舞っているときだったらしい。
    もっとも、お付き侍女のジュリに聞いたところによると、あの子は目覚めるなり部屋を飛び出して、アンドレの元に向かったのだそうだ。
    そのことだけでも、娘の気持ちに変化があったのは明白で、お茶の時間に顔を出すというあの子の返答に、わたくしはワクワクした気持ちに満ち満ちて、そのときを待っていた。
    あの2人…
    心だけでなく、具体的な進展もあったのかしら?
    やがて、カツカツという軽快な靴音を響かせ、侍女に先導されたあの子がティールームにやってきた。
    わたくしはその姿を見た瞬間“おや?”と目を留めた。
    「クラバットなど、珍しいことね」
    普段なら比較的ラフな、胸のあいたブラウスを着ていることの多い娘が、喉元までをきっちりとしまい、クラバットで覆っていたのだ。
    「明日からお客さまがお見えになるとのことですので、試しにつけてみたのです。久しぶりに着飾ってみるのもよいかと思いまして」
    あの子はもっともらしくそう言って、席に着く。
    確かに上質なクラバットで飾られた顔まわりは華やかで、娘の貴公子ぶりを引き立てていた。それはいかにも宮廷貴族然としており“憧れのオスカルさま”目当てに来る客人方には、期待通りの姿だろう。
    「まぁ、お気遣いありがとう。でも」
    …怪しいわよ、オスカル。
    わたくしは席を立つと、娘のそばへ寄った。
    「あら、クラバット留めが少し…」
    それは少しもおかしなところはなかったが、わたくしはわざと留め直してあげるふりをして、指先を伸ばした。
    「は…ははうえっっ」
    「なぁに?」
    あの子は異常にうろたえて、体を引かせたけれど、わたくしはにっこり笑ってクラバットを解いた。
    「自分で出来ますから」
    そう言う娘の目はすっかり泳いでいて、わたくしは面白くなってしまい、さらにブラウスのボタンに手をかけてみた。
    「なっ…なっ…何を母上」
    「いえ、着こなしをちょっとね。どうかして?オスカル。昔はよくこんなふうに、襟元を整えてあげたものでしょうに」
    適当なことを言いながら、手早く2つ3つボタンを外すと、娘は長身を縮こまらせて、頬や首筋を真っ赤に染めた。
    …まったく30も過ぎてうぶなこと。
    動揺を隠せない娘は、下手に騒ぎ立てる方が得策でないと判断したのだろう。伏し目がちにおとなしく、されるがままになっている。
    けれど、胸元を見られたくないというテンションだけは、ビシビシと伝わってきた。
    ……くちづけの跡でも隠している、といったところかしら。
    いつも冷静なこの娘が、これほど慌てふためくさまは見たことがなく、わたくしは本当に面白くなってしまって、肩の線や後ろ身ごろの中心を合わせるそぶりで、ブラウスをクイクイと引いてやった。そのたびに開かれた胸元の位置が変わり、深さも変わるから。
    「逗留のお客さまが、夕刻過ぎにお着きになるのはご存知ね?」
    「…はい」
    「夜はおもてなしの宴を開き、その後には、おつき合いのある方々もたくさんお呼びして、舞踏会を催そうと思っているの」
    「は…い」
    なんてことない会話を挟んでみるが、胸元の開きが変わるたびにどぎまぎする娘の返事は、うわずったものだった。
    「でも先様には、晩餐の宴も舞踏会も、あなたは欠席すると伝えてあります。仮にも負傷中で、王妃さまから休暇をいただいている身ですからね」
    「ご配慮……ありがと…ございます」
    「そのぶん休暇が明ける頃には、お客さま方にダンスのレッスンをして差し上げてね。お嬢さま方は、それを楽しみにお見えになるのだから」
    「私で、よろしけれ、ば」
    あの子はすっかりぐだぐだで、平素見せている凛々しい姿とはかけ離れており、わたくしは声をあげて笑いそうになるのを、懸命に堪えた。
    …でも、あんまり苛めても可哀想よね。
    わたくしはひとつひとつ丁寧にブラウスのボタンを留め直すと、クラバットをふんわりと整えてやった。
    「先ほどまでよりずっと、華やかできれいよ」
    わたくしが席に戻り、カップを取り上げると、あの子は目に見えてホッとし、しおれた向日葵のようにくったりとなった。
    このぶんでは、進展があったとしても、くちづけぐらいが精一杯だったのではないかしら。
    ああ、もどかしいこと。
    わたくしはあの子を自室へ返すと、次の行動に出た。
    作らせておいた秘伝の香油を、次期当主の棟へと届けさせたのだ。

    「あの香油をお届けにうかがったときには、さすがにとまどいましたわよ」
    あの日を思い出して、サンドラは苦笑する。
    「奥さま秘伝の香油を、怪しまれないようにお届けするなんて。わたし、オスカルさま付きの侍女に、かなり苦しい作り話をしましたのよ」

    ことが動いたのは、やはり舞踏会のある日のお昼前だった。
    娘との、遅めの朝食。
    幼なじみから恋人同士へとステージを移したらしい2人に、わたくしはさらなる企みを仕掛けた。
    その日はもともと、だんなさまが屋敷で会合を開く予定だったのだけれど、わたくしはそれを、今届いたニュースとばかりに、執事に報告させたのだ。
    「んまあぁ!だんなさまが今夜、お屋敷で会合をなさるなんて!!困ったこと。今夜は逗留なさるお客さま方のために、おもてなしの宴と舞踏会を開く予定なのですよ!?」
    大仰に驚くわたくしの様子を、そっとうかがっている娘。
    「でも、決まってしまったものであれば仕方ないわ。今夜は皆、大忙しになるわねぇ。ああ、どうしたものかしら!」
    「今宵は誰もが、目が回るほどに忙しくなりましょう」
    わたくしの口振りに、見事に調子を合わせきった執事が退がると、わたくしは、あの子にも人手を貸して欲しいと依頼した。
    「あなた付きの使用人たちは、ことさら容姿も良く、利発な者ばかり。今夜はこちらに貸してもらえないかしら」
    「え?ええ、それはもちろん」
    あの子は既に考え事に意識を飛ばしていて、返事はしていても、それはかなり適当だった。
    …かかったわね、オスカル。
    事態は今夜動くと確信したわたくしは、そのあとも食事を取りながら、会話の中にさり気なく小さな暗示を織り込んでいった。
    湯浴みが済んだら、侍女たちもすべてサロンで借り受けるから、次期当主の棟はもぬけの殻になってしまうこと。
    どんなに人手が足りなくても、アンドレへの呼び出しはかからないこと。
    娘が上の空なのをいいことに、わたくしは世間話を装って、寝所での女性の身の処し方までもを吹きこんでやった。
    殿方は意外とロマンティストだから、香りで誘ってみるのも効果的だとか、ときには女性から積極的になることが、意外と殿方を歓ばせるものだとか…
    「ちょっと露骨過ぎたかしら」
    食事もろくに取らず、もの思いに心を奪われたままで退席した娘。
    やり過ぎたかと心配になったわたくしがそうつぶやくと、片隅に控えていたサンドラは、ケラケラと笑いだした。
    「奥さまの露骨っぷりもひどうございましたけれど、オスカルさまの呆け具合も、相当ひどうございましたわ。日々、男性の中に身を置いていらっしゃる方とは、とても思えませんでした」
    「あの子の場合、男性ばかりの中に身を置くことで、逆に身も心も純潔に育ってしまったのよ」
    「軍規の厳しさゆえ、男女の戯れ事からは隔離された状態でいらしたのかもしれませんわね」
    「心配だわ。いざその場面になったら、あの子、“怖い”なんて言い出すのではないかしら」
    もしそんなことにでもなれば、あの優し気なアンドレのこと、きっと無理強いはしないだろう。
    「30も過ぎたいい大人の男女が、なんて面倒くさい」
    わたくしが軽くげんなりすると、主家の令嬢の恋愛ごとには百戦錬磨の老練な侍女は、腕の見せどころとばかりに、キラリと目を光らせた。
    「よい方法がございます」
    「よい、方法?」
    「実際のところ、アンドレは思慮深過ぎる傾向にあるようです。オスカルさまもああ見えて、実は傷つきやすい方。まだお若いのだから、2人ともにもう少し弾けたところがあってもよいとは思っておりましたわ」
    サンドラは廊下へ顔を出すと、声を張って侍女を呼んだ。
    「ナターシャ!」
    すぐに飛んで来た年若い侍女は、わたくしの姿を認め、品のよい礼をする。
    ナターシャが(おもて)を上げると、サンドラはさもわたくしの名代のごとく命令をした。
    「料理人に言って、今夜の晩餐会にお出しするワインを1本、貰い受けていらっしゃい。そして、それをアンドレへ届けてちょうだいな」
    「アンドレ、ですか!?」
    心なしか、侍女の声が華やいだ気がする。
    「奥さまからのお見舞いだと伝えてね。良いものだから、特別な日にでも、と。それから…」
    サンドラは侍女の背に手をやり、廊下へと押し出しながら、耳元にゴニョゴニョ囁いているようだった。
    「なんの企てなの?サンドラ」
    わたくしはナターシャの姿が消えるのを待ち、気もそぞろに聞いた。
    「恋の媚薬、ですわよ、奥さま。ナターシャには可哀想ですけれど」
    「恋の…媚薬?」
    「嫉妬、もしくは横恋慕。そういったものは、恋心を熱くさせるものでしょう?特に若い2人には」
    「では、ナターシャはアンドレを?」
    うむうむと頷くサンドラ。
    「ナターシャの気持ちを当て馬にするのはまことに気の毒ではございますが、アンドレのオスカルさまへの想いは、マロンさんをはじめ古参の者なら、皆、気づいていたこと。今さらナターシャなどに、どうできるものでもなかったのですから」
    あの若くて可愛い侍女よりも、あの子の方がいいなんて、アンドレもなんとまぁ…奇特な。
    「では先ほど、なにか耳打ちしていたのは?」
    「たいしたことではありませんわ」
    あのときサンドラは、ナターシャにその日は1日、自由に過ごしてよいと囁いたらしい。
    前日、あの子が足繁くアンドレを見舞っていたのは誰もが知っていたことで、サンドラは、上手くいけばナターシャが彼にアプローチする場面を、娘に見せつけることができるかもしれないと踏んだのだった。
    アンドレの部屋を、熱い眼差しでうろつく、若くて可愛らしい侍女。
    「いくらご自分のお気持ちに鈍感なオスカルさまだって、やきもちのひとつも焼くでしょうし、普段は落ちつき払ったアンドレだって、ハラハラドキドキするのではありません?」
    「そう、ねぇ。ちょっと姑息な気もするけれど」
    「寝所での手練手管など、もともと姑息なものですわ」
    この小さな冬休みが終わってしまえば、あの子がまた寝食を忘れ、職務に没頭するのは間違いない。やはりここはサンドラの勧めにしたがって、風向きのよいうちに2人を囲いこんでしまうのがよいのだろうか。
    ……そ…うよ。
    もしあの子が2度目の恋に落ちたなら、何があってもその時こそは、あの子の想いを叶えてやるのだとわたくしは誓ったのだもの。
    かくてわたくしたちは、ナターシャの想いを当て馬に、その日の夜を見守ることにしたのだが。

    「まさかあの夜、オスカルさまの方からアンドレの部屋に忍んでいらっしゃるとは」
    「それを聞いたときには、わたくしも本当に驚いたわ」
    あの夜、娘とアンドレの成り行きを気にかけながらも、わたくしは宴の主催者として、サロンを離れられずにいた。
    代わりにサンドラが、時折様子を窺っていたのだけれど。
    「せっかく使用人ども借り出して棟を手薄にし、お部屋にも普段より豪華に花を飾り付け、ご寝室のサイドテーブルには、お飲み物と果物のセットなどもご用意しておきましたのに」
    なんたる番狂わせなのか、宴もたけなわな頃合いになると、娘はこっそりアンドレの部屋に向かったというのだ。
    万が一にも2人のことが露呈しないよう、あの子もあの子なりに考えたのだろうけれど。
    「ナターシャをけしかけたのはわたしですし、下手をすれば、お睦み遊ばしている最中にナターシャが乱入するのではと、さすがに血の気が引きましたわよ」
    その夜、いくらナターシャが自由にしてよいと言われていても、わたくし付きの侍女の身では、あの子の部屋に近づくのは気が引けるだろうと、油断していたわたくしたち。
    けれど使用人同士の部屋の行き来となれば話は別で、実際そういったギリギリの事柄も起きたようだけれど、どうやらナターシャは、2人の関係を進める歯車のひとつには、なってくれたらしい。

    舞踏会の翌日。
    ことは成ったのかと、まんじりともせず夜を過ごしたわたくしだったけれど、ブランチに現れた娘を見て、思わずニヤニヤと笑ってしまった。
    今までなら、豪快なほどの大股開きで雄々しく着座していた娘が、その日はちょこんと膝をつけて座っていたのだ。
    うふふ。そういうコトなのね。
    「母上、なにか?」
    「いいえ、なんでも」
    あの子にしては、なかなか上手なポーカーフェイス。
    わたくしはまた意地悪して、寝不足そうな赤い目を追及してやろうかと思ったけれど。
    ――おやめなさいましよ。
    隅に控えたサンドラが、険しい視線を送ってきていた。
    ――自分だって、口元がニヤついているくせに。
    わたくしたちは、お互いだけに判る笑みをそっと胸にしまった。
    昨日までと変わらない、でも、ほんの少しだけ違う遅い朝食。
    今はまだ秘密の2人だけれど、いつかこの朝食の席に、アンドレも並ぶ日がきますように。


    うららかな春の陽射しが降りそそぐティールーム。
    「それにしても、まだ若い侍女が3人も辞めることになるとは」
    ひとしきりの追想のあと、サンドラは本日2度目となるこの台詞をつぶやいた。
    その表情に非難の色はなく、むしろ慈愛を滲ませ、けれどもやはり、困惑の色が濃い。
    「3人が、揃いも揃っておめでたとは」
    「本当に。こんな偶然もあるものなのね」
    「その“偶然”ですが奥さま、実はわたし……おや?」
    サンドラが言葉を止め、扉の方へ注意を向ける。
    するとすぐに、小さなノックの音がした。
    わたくしなどには聞こえない気配が聴こえるというのだから、ベテランの侍女とは本当に行き届いたもの。
    「失礼いたします。お茶を入れかえに参りました」
    そう言って入って来たのは、ナターシャだった。
    「あらあら大丈夫? 身重 (みおも)なのだから、無理はしなくていいのよ」
    「ありがとうございます。でも、こちらのお屋敷にお世話になるのも、あと少しですから」
    ナターシャはニコニコと愛想良く笑って、慣れた手つきでお茶を入れかえ、テーブルを整えた。
    そしてそのまま退がっていこうとしたけれど。
    …?
    サンドラの瞳がキラリと光った気がして、わたくしは見るともなく腹心の侍女を視界に入れた。
    老侍女の、その眼差し。
    わたくしは目だけで頷くと、ナターシャに言った。
    「少し座って、休んでおいきなさいな。サンドラ、ナターシャにお茶を」
    「でも奥さま、わたしまだお仕事が」
    やんわりと遠慮するナターシャに、サンドラが低く声をかける。
    「奥さまが身重のあなたを気遣ってくださっているのですよ?ありがたくちょうだいなさい」
    「は…い」
    ナターシャは少しばかり気まずそうに、浅く椅子に座る。
    「もう、サンドラったら。ナターシャが怖がっているじゃないの」
    「全然っ、全然そんなことないです」
    恐縮する年若い侍女に、わたくしは出来るだけ気さくに話しかけた。
    「ずいぶん急な結婚だったのね。でも、お相手が良い方のようで、わたくしも安心しているのよ」
    ナターシャの夫。お腹の子の父親は、先の冬、当家にしばらく逗留した友人に随伴していた、従僕の1人だった。
    「はい。奥さまにご縁をいただいて、両親も喜んでくれました」
    「それは良かったこと。ではやはり、出会いは先だっての逗留…?」
    「ええ、それまではまったく面識のない方で、それなのにもう結婚だなんて、自分でもびっくりしているのですが」
    ちょっとばつの悪そうなナターシャ。
    わたくしは、その気分を盛り上げるように、あえてはしゃいだ声をあげた。
    「いいえ、きっと運命よ。運命の出会いとは、そういうものだわ!」
    「‥運‥命?」
    ナターシャは目を丸くして、ぱちぱちとまばたきしていたけれど。
    「そう、運命かもしれません。だって夫に出会ったのは、わたしが大失恋してしまった日なんですもの」
    「っ」
    ええ――っっ!?
    サンドラの自制の眼差しがなければ、わたくしは危うく大声をあげてしまうところだった。
    「ま…ぁ、そうなの。大失恋の日に恋に落ちるなんて、まさに運命、だわ、ね」
    「実はわたし、長いことある人に片思いをしてきて、あの舞踏会の夜にやっと、積年の想いを告げることができたのですけれど」
    ポツポツとしゃべり出したナターシャに、わたくしは絶妙な合いの手を入れ、ぐいぐいと話を引き出した。
    それによると、長い間の片思いの相手に、ナターシャはけっこう詰め寄ったらしい。
    くちづけまでせがんだという告白に、トキメキとはとんとご無沙汰なわたくしは、思わずワクワクしてしまった。
    しかし、その勇気も虚しくふられてしまったナターシャは、溢れる涙もそのままに屋敷を飛びだした。庭園を走り抜け、ゼイゼイと息をきらしてめまいを感じ、温室のベンチに崩れこみ。
    そこで夫となった男性と出会ったのだそうだ。
    「彼は泣いているわたしを優しく慰めてくれて、そして」
    なんとそのまま、なるようになってしまったという。
    「わたし、クラクラとめまいがして、気がついたら…」
    まぁ!今どきの若い子ときたら。
    わたくしは呆気に取られて、まだ年若い侍女の顔をまじまじと見つめてしまった。
    「やだ、わたしったら。こんなことまでお話するつもりでは…」
    ナターシャは一気に真っ赤になると、小走りにティールームを出て行った。
    「ちょっと、ナターシャ!走ってはなりませんよ!!」
    サンドラの叱声を聞きながら、わたくしはつい、はしたなくも今しがた聞いた話をリアルに想像してしまっていた。
    あの舞踏会の夜に、そんなことも起きていたなんて!
    「…さま? 奥さまったら!」
    「え?」
    「なにをニヤけていらっしゃるんですか!今のナターシャの話、いかが思われました?」
    「ま、失礼な。わたくし、決してニヤけてなんて!」
    わたくしが口を尖らせると、サンドラはわたくしの頭の中を覗き見たかのように、ギュッと眉根を寄せて厳しい顔をした。
    「い…今のお話は、それは…そう、とても驚いたわ。まさかあんなことが」
    「その通りですわ、奥さま。こちらに勤めている侍女たちは皆、賢く育ちも良く、決して頭や尻の軽い浮かれ(め)はおりません。ナターシャだって今どきの娘ではありますけれど、勢いや遊びで男性に身を許すような子ではありませんの」
    「なにが言いたいの?」
    わたくしは弛んでいた口元を引き締めた。
    「この度、おめでたでお屋敷を辞す他の侍女ですが」
    「オスカル付きの2人ね?」
    「はい。夫となった男性のこと、奥さまもご存知でいらっしゃいましょう?」
    それはもちろん知っている。
    やはり、あの日逗留していた一行の中の者だもの。
    「こんな偶然もあるものなのねぇ」
    「偶然、でしょうか?わたし、実はオスカルさま付きの2人にも、背の君との馴れ初めを聞いたのですが、やはりあの舞踏会の夜がきっかけでしたわ」
    いったいどういうことだろう。
    「2人とも経緯はそれぞれですが、かいつまんで申せば、オスカルさまのお湯浴みのお手伝いをしたあとに妙な動悸とめまいを感じ、そのとき出会った男性と、気がつけばコトに至っていた…と、そういうことらしいんですの」
    『ゼイゼイと息をきらして』
    『クラクラとめまいがして、気がついたら…』
    そう言っていたナターシャ。
    「3人が、3人とも?」
    サンドラは重々しく頷く。
    「まさか、だってそんな。でも」
    この3人に共通するのは…あの舞踏会。そしてオスカル。
    いいえ、違う!
    「香り、だわ」
    「はい。わたしもそのように思います」
    長きに渡り、王侯家の寝室奥深く、美を誇り寵を競ってきた実家に伝わる秘伝の香油。
    確かにあれには、薔薇やジャスミンなどの官能を刺激するエッセンスが入っている。
    それだけではない。
    ドキドキと興奮を誘うヒヨスや、力が抜けて陶酔を呼び覚ますヨヒンベなどの薬草がたっぷり仕込まれていて、あれはひと昔前なら「魔女の秘薬」とも呼ばれたもの。
    でも。
    その魅惑の秘薬には棘もある。
    ヒヨスは心臓に負担をかけるし、ヨヒンベは、過ぎれば立てないほどのめまいを感じたり、まぼろしを見るのだとか。
    「ねぇ、サンドラ。あの香油を預けるとき、あちらの侍女には、ちゃんと使い方を教えたのでしょう?」
    「もちろんですわ。その効果こそ伏せはしましたが、使い方だけはしっかりと!ほんの数滴、浴槽に落とせばよいのだと。人によっては香りにあたることもあるゆえ、決して残り香が薫るほどには、使ってはいけないと!」
    「そ…う」
    それを聞いて、わたくしはホッとしたけれど、でも、ホッとしたところで何がどう解明されたわけでもない。
    あの香油でなにかが起きた?
    ああ、判らないわ。
    今夜、久しぶりにだんなさまにでも試してみようかしら。
    なんとも不可解な気持ちのままお茶をひと口飲むと、再び扉がノックされた。
    「おくつろぎのところ、恐れ入ります」
    入って来たのは、ナターシャとは打って変わって落ちついた、中堅どころの侍女のジュリだった。
    あの子付きの侍女が、なぜ、ここに?
    ある予感に、わたくしとサンドラの視線がクロスする。
    よく出来た口上のあと、ジュリは言葉を選びながら話し出した。

    「このところ、オスカルさまのご体調が優れないのです。
    微熱気味で、吐き気がするとおっしゃって…」


    FIN
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