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こちらはメインコンテンツの【令嬢の回顧録】です。
開設の2010/12より概ね2013/10までにUPしたノベルを置いています。


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ゲスト作家さまの作品がお楽しみいただけます。


    うららかな春の光りが降りそそぐティールーム。
    わたくしは最も古参の侍女・サンドラを部屋に呼び、お茶を飲みながら、末娘のオスカル付き侍女の求人について談笑していた。
    急に3人もの侍女が辞めることになったのだ。
    「殊に、オスカルさま付きの侍女が2人も同時に辞めるとなると」
    侍女の困った顔。
    「そうね。早急に手配しなければならないわね。あの子付きとなるとちょっと難しいところもあるし、いい人は見つかるからしら」
    「身元が良く、見目麗しい娘で機転の利く者…と、なりますと、なかなか難しゅうございますわね」
    わたくしとサンドラは渋い顔を見合わせたけれど、その口元はついニヤニヤとゆるんでいく。
    「まったく殿方というものは、なんて鈍感なのでしょう」
    「だんなさまのこと?」
    わたくしは侍女にそう聞き返すと、やれやれと手にした扇をぱたつかせた。
    「あの方は若い頃からそうなのよ。いくらわたくしたちが生まれながらの許婚同士だったとはいえ、婚約中にわたくしがどんなにおしゃれをしても、てんで気づいてくれなかったのですもの。若い頃はどんなにがっかりしたことか」
    「だとしても、ですわ、奥さま。このところのオスカルさまの艶やかさときたら!年若い侍女たちは噂せずにいられないようですし、従僕たちだって、皆、ソワソワしていますのに」
    このところ、目に見えて美しさを増した末娘。
    いつもどこか思いつめた目をしていて、それを痛々しく思ったこともあったけれど。
    「この頃は、わたくしでさえ見違えるほど、朗らかな笑顔を見せてくれるようになって。
    あんな 表情 (かお)で笑う子だったのねぇ」
    わたくしは瞳に少しばかりの潤みを感じ、声も微妙に揺れてしまった。
    守ってやれなかった娘。
    この世に生まれ落ちた瞬間から、父親によって歪められ、奪われた平凡な人生。
    「あのとき、わたくしが守ってやれていたのなら、あの子はあんな笑顔を当たり前に、幸せな姫として育ったのかしら」
    手の中で大切に慈しみ、優しいものだけを与えて育てた、上の娘たちのように。
    「奥さま」
    ジャルジェ家に嫁ぐ前からわたくしに仕え、姉のように親しんだその侍女は、ついと傍らへ寄ると足元に膝をつき、気を引き立てるようにわたくしの手を取った。
    未だ胸の奥に潜む、末娘への後悔とうしろめたさ。
    夫にも、娘たちにも、そば仕えの使用人たちにも隠してきた母としての苦しみを、この老いた侍女だけは知っている。
    そして、後継者たる男子を産めなかった、名家の妻としての苦しみも。
    「確かに、レニエさまがオスカルさまに与えられた人生は“女性として平凡”とは言い難いものでした。でも、オスカルさまは聡明な方。きっとご理解くださっていることでしょう」
    「理解? …いいえ、諦めよ。あの子は人並みはずれて聡い子だったから、ジャルジェ家とわたくしのために、もの心つく頃には自分の人生を諦めていた」
    小さなときから、自身がそうあることで、すべてが丸くおさまるのだと覚りきっていた娘。誰を責めるわけでもなく、キュロット姿に剣を握って。
    だからわたくしには余計に、あの子が不憫でならなかった。
    「苦難の多いこと。それがそのまま、人生の不幸だということではありませんのよ、奥さま。オスカルさまはお仕事に大変な情熱を注いでいらっしゃいます。好きでなければ、到底できないほどですわ」
    「そう」
    …そうね。だからこそわたくしは、いつかオスカルが本当の恋に落ちるときが来たら、その想いを守ってやろうと思っていた。
    あの子が唯一、平凡な女性でいられる場所。
    もし、オスカルがそれを見つけられたなら、お相手がどなたであっても… 例えどれほどの醜男だろうが妻子持ちであろうが、よしんば異教の徒であったとしても、わたくしは今度こそ絶対に、あの子の側に立ってやろうと決めていた。
    娘が生まれてより、当主である夫に何もできなかったわたくしは、いずれ訪れるそんな日に、母親としての責任と、そして長年抱え続けていた娘への詫びの心を託そうと賭けていたのだ。
    娘が真実愛した男性であれば、どんな者であったとしても受け入れる気概はあるつもりだった。
    しかし。
    娘の心を捕らえたのが、まさかよく見知ったあの者だったとは。
    「愛される悦びを知ってからのあの子は日ごとに美しさを増し、侍女たちはその噂ばなしで持ちきり。従僕たちですら、実はこっそりとあの子の体のラインに視線を這わせているというのに、見事にポーカーフェイスなのはアンドレだけね」
    「本当に。もともとあまり感情をおもてに出す(たち)ではありませんでしたけれど。
    それにしても、奥さまはいつからお気づきでいらしたのです?オスカルさまとアンドレの 関係 (こと)を」
    「そう…ねぇ。わたくしもはじめはまったく気がつかなかったわ。だってあの子たちは男女というにはあまりにも近過ぎて、とてもそんなふうには思えなかったもの。でも」
    侍女に問われて、最初にわたくしの記憶を掠めたのは、初恋に翻弄されていた頃の末娘だった。
    いつも小さく放電するような緊張感をまとっているあの子が、ほんの時おり、ふぅっと虚ろな目をするようになったのだ。
    はじめは、疲れているのかと思った。男性ばかりに囲まれて、足元をすくわれぬよう、気の抜けない毎日。いくら負けん気の強いあの子でも、さすがに疲れが溜まっているのだろうと。
    それに気づいて以来、わたくしはときどき、オスカルをティールームに招くようになった。
    のんびりとした午後のひととき、ばあや特製の焼き菓子などを共にしたり、休みの日には、遅い朝食を一緒に楽しんだり。
    父親の厳しい目からも、あの子を次期当主として見る使用人たちの目からも切り離し、ただの母親と、ただの娘。そんなたわいのない時を持とうと、わたくしは努めた。
    あの子はそれを“母上の お守り (おもり)”などと苦笑していたけれど、わたくしは何気ないふうを装いながら、疲れた娘の心を少しでも解きほぐそうと、そっと注意を配っていた。
    そして、そんなひとときを重ねるうちに、時おり見せる虚ろな瞳が、それだけでないことにも気がつき始めた。
    あの子独特な張りつめた気配はそのままだったけれど、瞳の奥に、ほんのりと夢見るような甘さが漂っているのを見つけたのだ。
    「オスカル…?」
    わたくしは控え目な声をかけたけれど、あの子は珍しく気づかなかった。
    そして、それからというもの、あの子はわたくしと2人きりになると、ぼぅっとした瞳の中に、さまざまな彩を浮かべるようになった。
    それはときに哀しみを帯びていたり、寂しさを滲ませていたり、またときには、年相応の娘らしい瑞々しさを映したりしていた。
    そうした年月を過ごすうち、あの子はだんだんと、わたくしとのお茶の時間を、自分の心と見つめ合うために使うようになっていった。
    ことに深い物思いがあるときには、突然ふらりと姿を見せて膝に伏せてくることもあり、そのような娘の行動に、なにを話すわけではなくても、わたくしはようやく娘の心を支えてやれている実感を得て、母として密かな喜びを感じたものだった。
    けれど、わたくしはまだこのとき、娘の様子は職務上の心労からくるものだと思っていた。
    真相を知ったのは、あの子がなんと、女性の姿で舞踏会へ忍んで行ったと知ってからだ。
    オスカルが、フェルゼン伯に恋をしていたなんて!
    わたくしはなんと迂闊だったのだろう。
    コンティ太公妃の舞踏会の数日前から、あの子はお茶の満ちたカップとわたくしの顔に、何度も目線を行き来させ、なにかを言いかけてはやめるということを繰り返していたのに。
    そしてお忍び決行の日に至っては、心ここに在らずな様子で、ふぅっと頬を赤らめてみたり、かと思えばすっと蒼ざめてみたり、なんとも奇妙な百面相を呈していたのだから。
    そんな娘に、さすがにわたくしもおかしなものを感じ取り、侍女にこっそりと次期当主の棟の様子を探らせたのだが、これが当たりだった。
    虚ろに見える瞳の奥で浮き沈みしていたもの。
    あれは、娘の秘めたる恋心だったのだ。
    わたくしは、本当になんと迂闊だったことか。
    母娘らしい時が過ごせているなどと浮かれていただけで、娘の気持ちなど、少しも見えていなかった。
    『母上のお守り』
    そう。
    あの子はいつだって、物ごとの本質を見抜く。
    わたくしは、わたくし自身の満足のために、娘を付き合わせたに過ぎなかったのだった。
    それでも、わたくしはかねてよりの決意に則り、娘の遅い初恋に手を貸そうと算段したが、それは完全に時宜を逸していた。
    長きに渡る、密やかな恋の終焉。
    あの子はほんの少しの可能性もない恋に1人で耐え、そして、あの舞踏会を以て、1人でそれを終わらせていた。
    わたくしは娘が想い悩むさまを数年間も目にしながら、その真実に気づかず、本当に何ひとつしてやれなかったのだ。
    上の娘たちの婚約が整うたびに、何くれとなく世話を焼き、不安や悩みを訴える彼女らと心を重ね合わせて涙しながら、ひとり、またひとりと嫁がせていったわたくし。
    そのたびに『奥さまは心配性が過ぎる』と侍女たちに笑われ、『でも、これほどまでに愛されて、お嬢さま方はお幸せですこと』と、言わしめたわたくしだったのに。
    寂しく終わった娘の恋。
    そのことは、わたくしに新たな決意をさせた。
    もうあの子に、1人で泣くことはさせまい、と。
    もしオスカルが2度目の恋に落ちることがあれば、何があっても、わたくしこそがその恋を守ってやろう。
    それなり名家と呼ばれる家に生まれて、両親に溺愛され、多くの侍女にかしずかれて育ったわたくしには、屋敷の外のことは判らない。
    女だてらに外へ出て、職業を持つ苦悩も、その重圧も。
    ならばわたくしは、あの子の女性としての幸せだけに心を砕こう。
    軍神マルスの子として、職務に人生を捧げる決意をしたという娘。
    夫は納得したようだったけれど、でも、わたくしにはとても承服できなかった。娘がそんな寂しい人生を送るのを、見過ごせる母がいようものか。
    すでに歪められてしまった軌道は、もはや修正は叶わない。
    わたくしはただ、祈り、待った。
    あの子に、身も心も愛される歓びを教え、生まれてきて良かったと思わせてくれるひと。娘の数奇な運命を受け入れ、ありのままのあの子を愛してくれる王子の登場を。
    以前とは違った心持ちで娘との時間を過ごすようになったわたくしだったが、やがてさらなる時を経て、ようやくあの子の心の中にぼんやりと、1人の男性の存在が見え隠れするようになった。
    本人すら、まだ気づいていない恋。
    そこに、あの子がかつてフェルゼン伯へ傾けた激しいまでの想いは見当たらなかった。けれどそこには、魂が少しずつ融合していくような、確かなつながりが根付いていると、わたくしには感じられたのだった。
    ――アンドレ。
    子供の頃から娘に仕え、常に影のようにあった男。
    娘の心をとらえたのが、あの控え目な黒髪の従僕だったとは。
    あまりにも身近過ぎるその人に、わたくしは驚きを隠せなかった。けれど、最初の驚きを乗り越えてしまうと、娘にとってアンドレほどぴったり合った男性はいないと思えてくるようになった。
    何よりも、あの子はいつだって物ごとの本質を見抜く。
    オスカルにとっての王子さまは、お仕着せに身を包んだ、もの静かな隻眼の青年だったのだ。
    地位にも身分にも縛られず……なんてあの子らしいこと。
    わたくしは、娘の恋を成就させるべく、こっそりと行動を開始した。
    問題は、アンドレ自身の気持ちを確認できていないことだったが、でも、どこの屋敷でも、従僕というものは大概が、主家の令嬢に焦がれるもの。彼だって、密かにあの子を想っていなければ、ほんの少しの惜しげもなく、片目を差し出したりなど出来ないと思うのだけれど。
    あの子と一緒に帰宅したあとも、嫌な顔ひとつせず、屋敷の仕事をこなすアンドレ。
    わたくしは、晩餐を過ぎても忙しい彼をたびたび部屋に呼んでは、娘への使いを頼んだ。
    誰に頼んでも構わない、どうでもいい用事や伝言。
    むしろわたくし付きの侍女に頼むべき用件を言い付けられ、アンドレはいつも不思議そうにしていたけれど、静かに頷き、娘の部屋に向かってくれた。
    わたくしの企みで、その使いは主に夜も更け始めた頃ばかり。ときにはあの子が湯浴みから戻ったところを狙いすまして、アンドレを差し向けたりしたのだけれど、2人の幼なじみ状態に進展はなかった。
    …んもう!
    わたくしはたいそうやきもきして、夜更け、娘の部屋にアンドレを送り込むたびに、はしたなくもあの子の部屋の扉に張り付き、耳をそばだててしまうほどだった。
    わたくしの暗躍で、さり気なく邪魔の入らぬようにお膳立てされた部屋。
    想い合う男女であれば、何があってもおかしくない状況だというのに、一向に手を出そうとしないアンドレ。
    やっぱり身分の違いや、だんなさまのことを気にしているのかしら?それとも彼がオスカルを包む優しさは、本当にあの子を妹のように思っているだけのものなのかしら?
    年より若く見えるけれど、あの子も30過ぎ。
    自分の中に住むアンドレへの想いに未だ気づかぬ娘の鈍感さに、もうわたくしの方こそが待ちきれなくなっていた。
    恋愛ごとに、いかにも疎そうなあの子。
    おいそれと次の恋を見つけられるとは思えない。
    女盛りは短いのよ、オスカル。
    こんなことをしているうちに、あの子だっておばさんになってゆく。下手したら、おじさん化する可能性すらある。
    ここはなんとしてでも、アンドレにあの子を押しつ…もらってもらわなければ!
    わたくしはもう少し様子を見て、どうしても進展がないようならば、いっそのこと彼に命令してしまおうかと考え始めていた。
    なにも怖れずに、あの子を愛してやってちょうだい。
    母として、そう頭を下げるつもりでいたのだ。
    しかし。
    そんな時、思いもよらないニュースが夫からもたらされた。
    「フランス陸軍対抗雪合戦」、いわゆる「雪ベル」のエントリーについてのこと。
    決勝まで残った娘の衛兵隊チーム。
    対戦相手はジェローデル少佐率いる近衛隊チームのはずだったのだけれど、そこに王妃さまの意向で、極秘にフェルゼン伯が参加するというのだ。
    …なんということ!
    この内々の情報に、わたくしはある予感を覚え、期待に震えた。
    恋の終わりと共に決別し、会うことのなかった初恋の相手が、いきなり出現したならば。
    無意識にせよ、アンドレを胸に住まわせるあの子にとって、それはどれほどの刺激になるだろう。アンドレだって、もしあの子に気持ちがあるのなら、平静ではいられないはず。
    …絶対なにか起きる!
    わたくしは胸に湧き上がる予感のままに、調香師を呼び寄せた。2人を優しく、かつ妖しく演出してくれる夜の香りを依頼したのだ。
    わたくしの実家に伝わる特製の香油。
    高位の貴族の娘に生まれれば、その結婚には概ね政略の影がさす。夫を惹きつけ、たくさんの子をなし、血によった外戚関係を固めていくことは、貴族の娘にとって大切なお役目で、どの娘にも、嫁ぐ前にはお付き侍女が寝所でのテク…振る舞いを懇切丁寧に教えたものだった。
    そしてわたくしからの秘伝の香油を持たせ、安心させてやったのだけれど。
    「まったくあの子ときたら」
    わたくしが苦笑を漏らすと、サンドラが興味を惹かれたように身を乗り出した。
    「なんですの?もったいぶらずに教えてくださいませよ」
    いつからあの子たちのことに気づいていたのか。
    そんな問いかけを、わたくしはつい放って物思いに耽り、サンドラはすでに待ちきれないといった目をしていた。
    「ごめんなさいね。あの舞踏会の夜のことを思い出したら、おかしくて」
    「いやですわ、奥さまったら。でもあの夜は、忙しくも楽しゅうございましたわね」

    わたくしたちの話題は、自然とあの夜の追想へと移っていった。


    下につづく
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