ご案内
【想いのゆくえ 1】
UP◆ 2012/1/20とまどいは初っ端からやってきた。
蒼く澄んだ月明かりの下で、かつて愛した男との本当の友情を手に入れたオスカル・フランソワは、不完全燃焼だった初恋にやっとけりがつき、晴れ晴れとした気持ちでいた。
何かのおりにひょっこりフェルゼンを思い出しても、もうつらくない。
似た髪色に思わず振り返ったり、忙しさの中でよく似た声が耳を掠めたときの胸苦しさ。
決別当初は、極力ニアミスしないように気をつけていた。
王妃の私的な茶話会に呼ばれても、多忙を理由に丁寧に断っていたし、近衛を退がってからは宮廷にはできる限り近寄らないようにしていた。
偶然会ってしまったら、大人の対応ができる自信がなかった。
でも、もう大丈夫。
これからはまた気軽に行き来したり、一緒に飲んだり、そうだ!休みが合えば遠乗りなんかもいいな…
フェルゼンとの友情の復活に、彼女はわくわくしたものを感じていた。
出会ったばかりの10代の頃みたいだ。
あの頃は途中から彼女の片思いが始まってしまったから、会える喜びよりも、だんだんとせつなさの方が上回ってしまったけれど、今ならきっとあの頃より楽しい。
緊張からすっかり解放された彼女は、傷めていない左手をフェルゼンに差し出した。
本当の友情の、始まりの握手。
フェルゼンもその意味を正しく理解して、彼女の手を握った。
「帰るのだろう?送っていこう」
友達に戻ったばかりの男は、さっそくの親切を申し出てくれた。
でも。
「気持ちはありがたいが」
どうやって?
歩いて帰れるほどの距離ではないし、もう足元は凍りつき始めている。
彼女はいったん祝勝会の会場まで戻り、そこで馬車を呼んでもらうつもりでいたのだ。
「もうずいぶん冷えこんできただろう?君との話はそう長くなるまいと思って、実は馬車を待たせたままにしてあるんだ」
「そうなのか?それは助かる!」
フェルゼンは何気ないふうにそう言ったので、彼女はその言葉をそっくり信じた。
もし君が私にOuiと答えてきたら。
男がそんな邪なことを前提に動いているなんて、彼女は少しも思っていない。
実際のところフェルゼンとしては、彼女がもしラビリンスでの誘惑にOuiと答えてきたならば、今夜のうちにさっくりと既成事実を作ってしまおうと思っていた。
真実愛しているのは王妃だけであっても、フェルゼンには情を分ける女が何人もいる。男女のことに手練な彼には、オスカル・フランソワが恋に不慣れなことなど考えるまでもない。
こういった場合、揺れ動く女心なんぞにつきあっているより、少し強引だったとしても、自分が誰のものなのかを行動で教えてやった方が早い。
もしオスカル・フランソワがためらいがちにでも頷いてきたら、フェルゼンは今夜、彼女をさらってしまおうと思って馬車を待たせておいたのだ。
けれど、ズレたタイミングというものはなかなか取り戻すのが難しいようで、もう彼女はフェルゼンの予想通りには動かなかった。
あの舞踏会の頃なら、彼女がフェルゼンの思いのままになっていたのは想像に難くない。逃がした魚の大きさをひしひしと感じるところだが、しかし、フェルゼンもだてに何人も女がいるわけじゃない。彼女に惹かれる気持ちはそれとして、その上で親友としてふるまえるだけの器量はある。
彼女のいない彩りを欠いた毎日に比べたら、これから始まる日々には、清いものだとしてもじゅうぶんに期待が持てるではないか。
「アンドレも一緒に送って行ってやろう。君は先に、車寄せに向かっているといい」
フェルゼンはそう言うと、ギャラリースタンドでたたずむアンドレを呼びに行ってくれた。
相変わらず気取りのない男だ。
彼の身分を考えれば、たかだか一平民などのためにみずから足を運び、迎えに行くなどありえない。
宮廷の中には、にこやかに笑いながらもその裏で、第3身分のアンドレをさげすんでいた輩がいくらでもいたものだ。
彼女は改めてフェルゼンに好感を覚えながら、その背中を見送った。
アンドレ・グランディエがギャラリースタンドまで来たとき、真っ先に目に入ったのは1組の男女だった。
ラビリンスの壁に寄りかかるオスカル・フランソワと、親密そうに話しかけているフェルゼンの姿。
アンドレは試合のあと、チーム・ジャルジェの祝勝会にも、チーム・ジェローデルの打ち上げにも顔を出さなかった。表彰式が済むと、彼は目だたぬように誰よりも早く帰り仕度を終え、ラソンヌ医師のところへ向かっていたのだ。
彼女の肩を診てもらうために、ジャルジェ家への往診を頼むつもりだった。
辻馬車を拾うと、医師のもとへ向かう。
走りだした馬車の中で座席に沈みこみ、目を閉じているとさまざまな場面が浮かんできた。
ラビリンスから飛び出してきたときの、泣き出す寸前のオスカル・フランソワの顔。
ものも言わずに腕をつかんで捻りあげたとき、彼女の漏らした小さな苦痛の声。
アイシングをするために、彼女がアランの前で肩をさらす姿。
慎重なあいつが男に素肌を見せるなんて。
どこで、どんなふうに?
…ああ、ダメだ。
目を閉じていると、ろくなことを考えない。
彼は小さくため息をつくと、漆黒の隻眼を開いた。
窓に映る自分の顔には、人前では見せることのない影がある。
フェルゼン伯は、ラビリンスでオスカルに何を言ったのだろう。
ラビリンスから走り出てきた彼女は、彼にまっすぐ向かってきた。
『助けて、アンドレ』
青い瞳をひとめ見ただけで、口に出さずとも、彼女がそう言っているのが判った。
でもそのとき彼の心を占めたのは、激しい苛立ち。
だから行くなと言ったのに!
普段通りの、優しい気持ちは持てなかった。
彼女とフェルゼンが顔を合わせるのは、相当に久しぶりのはず。それなのに、フェルゼンはなんのブランクも感じさせずに彼女に近づいた。離れていた時間など、フェルゼンには簡単に埋められるのだと思うと、心が卑屈に歪む。
何を安心していたんだろう。
しばらく会わずにいたところで、2人の結びつきは変わらない。
現にオスカルは、止める俺を邪魔だと言い切った。
あの時はまだ、ラビリンスにフェルゼン伯が来ると知らなかったにせよ、俺はあれだけ行くなと頼んだのに。
彼女の腕を取ったのは、無意識だった。
試合が始まったときから、彼女を故意に被弾させてしまいたい気持ちはあったし、フェルゼンの存在を聞かされた段階で、ジェローデルからもフェルゼンからも彼女を遠ざける方法を模索してはいた。
でも。
彼女の腕を捻りあげる手に、思わず余計な力が入った。
計算なんかじゃない!
あれはただの嫉妬。
禍々しい想いに、心を乗っ取られてしまった。
彼女をバックスに下げるために想像していたやり方ではあったけれど、自分に彼女を傷つけることができるとは思わなかった。
あの時、つい力が入り過ぎた手のひらに伝わってきた関節の捻れる嫌な感覚。
きっと痛かっただろう。
「ごめん、オスカル」
届くはずもないのに、彼はそうつぶやく。
それとほぼ同時に、到着を告げる御者の声がした。
慣性の軽い揺らぎを残して馬車が止まる。
ラソンヌ医師と話す頃には、彼の表情から暗さは消え、慎ましやかで賢そうな従僕顔に戻っていた。
「アンドレも一緒に送って行ってやろう」
そう言ったフェルゼンを、彼女は好感を抱きながら見送り…その背中の先にいる人影が目に入ってしまい、固まった。
そうだった。
フェルゼンとの友情回復に浮かれている場合ではない。波乱に満ちた今日の試合より、もっと予想のつかない大勝負が彼女には残っていたのだ。
…アンドレ。
決勝のハーフタイムから、彼とは口もきいていないし、顔を合わせてもいない。
あれから数時間しか経っていないのに、まるですべてが別の空間で起きたことのように感じる。短い試合時間の間にどれほど自分が変わったのか、彼女自身が1番はかりかねていた。
凍るフィールドにさくさくと足音をさせながら、オスカル・フランソワは彼らに背を向け、車寄せへと続く通路に向かう。
心をよぎったのは、昨夜のこと。
昨日も月が明るかった。
「このぶんなら明日は晴れるな」
いつも通り、就寝前のひとときを2人で過ごしていた。
「いい試合日和になりそうだ」
彼女はカップを手に取った。
本当ならワインなりブランデーなり、アルコールの入ったものが飲みたいところなのに、明日は試合だからと彼が飲ませてくれなかった。
代わりにアンドレの用意したものは、甘く作ったホットミルク。
「温めた牛乳には神経を鎮めて寝つきを良くする効果があるそうだから、今夜はこれにしておけよ」
こいつ、私が試合前でテンションが上がって眠れないとでも思っているのだろうか?
子供じゃあるまいし、ばかにしている。
ふくれっつらでカップに口をつけると、それは熱すぎもせず、ぬるすぎもせず、彼女にはちょうど飲みやすい温度だった。
あれ?意外といいかも。
少しばかり甘すぎるのだが、その「少し」が絶妙だったのだ。
ほっとして、疲れが抜ける。
このところ、勤務だけでなく雪ベルの練習にも時間と体力を割いていたから、正直言ってけっこう疲れていた。
もう若くもないのだし。
自分の発想に自虐ウケして、彼女は吐息程度に笑った。
密やかな笑い声だったのに、でも彼はちゃんとそれに気がついた。
「どうしたの?」
「いや、別に」
『もう若くもない』なんて、それほど言いたい台詞でもない。
それより。
「優勝、できると思うか?」
「できるだろ。少なくともチーム・ジャルジェは優勝候補の筆頭なんだから、可能性はどのチームよりも高い」
賞金を獲得してアランに…というよりかわいいディアンヌに贈るのだと、皆、心をひとつにして練習してきたのだ。
「受け取ってくれるだろうか」
ちょっと心配そうに言うと、アンドレは座っていた肘かけ椅子を離れ、彼女の前に立った。
ことさら「何を?」などと言うこともなく、彼は静かな眼差しのまま彼女を見下ろすと、頭の上に手を置く。
そのまま大きな手のひらで金色の髪をくしゃくしゃにするように、彼女の頭を撫でまわした。
「きっと喜んでくれるよ、悪態をつきながら。あいつはまだ、ガキだからね」
そう言って彼女を安心させてくれたアンドレの瞳は、いつも通り控え目で、はじけていなくて暖かく、そして髪を撫でる手のひらが心地よかった。
彼女の頭をすっぽりとおおってしまう彼の手の大きさと力強さに、その時オスカル・フランソワは陶酔しかけた。
体が熱くなってとろけそうな、胸の奥が疼くような秘密めいた感覚に。
でもそれは一瞬のことで、彼女はすぐに気を取り直したのだが…
昨夜のことを思いながら、月あかりの中をゆっくりと歩く彼女の目に、車寄せの灯が見えてきた。
「は‥」
思わずついた息は灯りが見えた安堵なのか、寒さからなのか。…それともため息だったのか。
吐いた息は白く煙るが、すぐに蒼い光に消えていく。
昨夜、アンドレに感じた熱っぽい疼きのように。
あの感覚。
初めてではなかった。
いつから?
彼のちょっとしたひとことや何気ない仕草に、胸の奥が甘やかに波立ったことは1度や2度ではない。気づこうとしなかっただけで、その微かな波は実は何度も訪れていたものだ。
あえて目をそらしてきたその小波は今日、アンドレの寝返りが呼び水となり、一気にあふれてしまった。ぎりぎりまで認めまいとしてみたが、フェルゼンにまでだめを押されて、もう認めるしかないところまで来ている。
アンドレを1番大切に思っているのだと。
誰も見ていない自分の心の中でさえ、『大切』とまでしか言えない己の臆病さを強く感じる。
どうしよう。
こんな調子ではとてもじゃないけれど、あいつにそんなこと言えない。
彼女は無意識に立ち止まった。
…そんなこと?
って、どんなこと!?
胸がきゅっと収縮して、ズキンと鋭い痛みを感じる。
私はアンドレにどんな言葉を告げようと?
きゅうきゅうと収縮を繰り返す胸に手を当てようとして、彼女は思わずテーピングで固定された右肩を動かしてしまった。
「痛っ‥た…」
白い布で首から吊った右腕は、ジャケットの下にしまわれている。
顔色も変えずに、冷たい瞳で彼女の腕を捻り上げたアンドレ。
彼にそんなことができるなんて、信じられなかった。
都合のよいときだけ女を主張する気はないが、でもアンドレが女性相手に暴力を行使できるとは予想もしなかった。
もう、女だと思われていないのかな。
それも当然な気がした。
出会ってこのかた、何百回も何千回も女扱いをするなと言い続けてきた。彼に想いを告げられてもほったらかしにしておいたし、衛兵隊に移動したことも相俟って、それまで以上にあごで使ってきた。
彼はいつだって優しかったし、彼女を大切にしてくれていたけれど。
だからって、それが恋愛感情からくるものとは限らない。
2人は伯爵家の令嬢と従僕という主従の関係でもあるのだ。
従僕が主家の令嬢を大切に扱うのは当然のこと。
それが仕事なのだから。
そうでなくとも、そもそもアンドレは誰にでも分けへだてなく優しい。
まったく、まぎらわしい!
彼がオスカル・フランソワを愛していることは、1班のメンバーなら誰もが気づいているほど判りやすい。
それなのに、当の本人だけがちっとも判っていなかった。
どうしよう。
今さらこんな気持ちになって…どうしたらいい?
彼女の中で、フェルゼンへの想いがいつの間にかきちんと整理され、真実の友情にまで昇華したように、アンドレもまた、先の見えない恋に見切りをつけて、彼女への想いをもう友情に振り替えてしまったかもしれない。
彼女は右肩に手を当てた。
この痛みが、あいつの答えなのか?
もう特別な気持ちはないのだと。
そうだ。
でなきゃこんなこと、あいつにできるわけがない。
『だから行くなと言っただろう』
アンドレのあんなに冷たい声を、今まで聞いたことがなかった。
あいつは止めたのに。
『行くな、オスカル。頼む』
そう言ったのに、私は邪魔だと切り捨てた。
いつだって私が好き勝手やって、おまえはその後始末をやらされて。
いい加減、嫌にもなるだろう。
『邪魔するな』と言い捨てたあの瞬間が、アンドレにとって最後の分岐点になっていたとしたら?
「遅すぎたのかもしれない」
そう口に出してみたら、ひどく寂しい気持ちになった。
いつも背中から見守ってくれていた優しさは、従僕としての義務?ただの責任感?
だったらもう、一緒になんていられない。
今すぐ問いただしてみたくて、彼女は引き返すべく身をひるがえそうとした。
でも。
利き腕を固定されてバランスが悪い上に、フィールドは凍っていて、彼女は自らの性急な動作に足を滑らせる。
とっさにしゃがみこんで転倒は避けられたけれど、立ち上がる気になれなかった。
目元が軽く熱をもって、ほんのちょっと瞳に潤いが増す。
そんな自分にびっくりしてしまう。
泣くことなんてまるでないのに、感情の振り幅がめちゃくちゃだった。
自問自答して、勝手に悲観して、泣いて。
典型的な、恋愛の初期症状。
初心者の彼女に、コントロールなどできるわけがない。なまじ元々が自制心の強いたちだけに、振り切れたときの反動は半端ではなかった。
もの慣れた女だったら、それも恋のスパイスと楽しめるのだろう。
しかし、ろくに恋を知らないオスカル・フランソワにとって、それはスパイスどころかほとんど毒。とてもじゃないが、気持ちのうかがい知れない彼を、どう攻略しようかなんて楽しめるわけもない。
今まで彼の想いを放置して、そのくせ甘えるだけ甘えてきたのに、もし逆の立場に立たされたら…そんなの無理だ。
きっと耐えられない。
アンドレが彼女を深く愛しているのは疑いようのないことなのだから、とっとと彼の腕の中に飛びこめばいいものを、ひとり無駄に揺れ動いて感極まっているオスカル・フランソワは、ほとんど阿呆だった。
しかも、その阿呆さ加減に気がついていないから始末が悪い。彼女としては、大真面目に不安を覚えているのだ。
もし、あいつに拒否されたら…
そう思っただけで、准将まで務める30過ぎのいい大人が、ちょっと泣きそうになってしまうぐらいに。
ちくしょう。
それもこれも、全部寝返ったあいつのせいだ。あの寝返りがなければ、きっと何も気づかずにいられた。
ああもうっ!アンドレのやつ、1発殴ってやりたい。
つい右手に力が入り、またひじと肩がじくりと軋む。
「痛ぃったぁ‥い」
そばに誰もいないと気が弛み、つい素のままの情けない声をあげた。
痛むのは肩なのか、心なのか。
ほんの少し涙ぐむ彼女を、月の光がしんと包んでいる。
アンドレが彼女の肩の状態を簡潔に話すと、ラソンヌ医師は快く往診に応じてくれた。
「ありがとうございます」
「で、アンドレ。私は何時ごろ、お屋敷にうかがえばいいのかね?」
「…!」
そうだ。うっかりしていた。
いつもだったら、彼女がどんなに楽しそうに飲んでいても、彼が程よい頃合いを見計らって屋敷に連れ帰っていたけれど。
でも今日は違う。
祝勝会の場所は聞いていたが、二次会の場所までは知らないし、彼女が何時に帰るかなんて判らない。
どうしたものだろう?
衛生兵の応急処置だけでは心もとない。
自分で負傷させておいて身勝手だとは思うが、無理をしがちな彼女だけに、早く医者に診せてやりたかった。
「オスカルをこちらに連れてきます。遅くなるかもしれませんが、お待ちいただけるでしょうか」
アンドレがそう申し出ると、医師は鷹揚に頷いてくれた。
良かった!
ひとまず安心して、彼は急ぎ、彼女を迎えに戻る。
もちろん自分で彼女を医師のもとへ送り届ける気はなかった。けがをさせておいて、そんな調子の良いことはできない。
祝勝会の会場へ向かい、そっとダグー大佐を呼んで伝言を頼もう。大佐の言うことなら、あいつも無碍には断れないはず。
アンドレは馬車を雪ベルの試合会場になった競技場の正門に向かわせた。
バカみたいに広大な競技場を馬車で迂回して行くより、入場口からフィールドを走って突っ切った方がずっと早い。1次会が終わってしまえば、彼女が次にどこへ行ってしまうかは判らないのだ。
馬車が競技場の前に着くと、彼は閉ざされた入場ゲートを飛び越えた。メインエントランスを抜け、遠くに見えるギャラリースタンドを目指す。朝、ここへ集まったときには、こんなことになるなんて思いもしなかった。
優勝して、賞金を獲得して、みんなでディアンヌの結婚を祝って、この計画を1人知らされていなかったアランだけがふてくされた顔をして、それを肴に楽しい祝勝会の夜を過ごすつもりだったのに。
あいつは酒が強いけど、少しアルコールが入ると目もとが微妙に色っぽくなるから、きっと俺は心配でちっとも酔えずにいただろう。
その方がどれだけ良かったか。
彼は競技場付近まで来ると、ギャラリースタンドの支柱をまわりこもうとして足を止めた。フィールドの中央、ラビリンスの壁によりかかるオスカル・フランソワとフェルゼンの姿が目に入ったのだ。
そして、支柱の影で息をひそめた彼の前で、フェルゼンは彼女の手首を壁に押しつけ…
その様子は、アンドレの位置からは、2人がくちづけをかわしているように見えたのだった。
オスカル。それがおまえの答えなのか。
もしそうなら。
少佐との結婚話が持ち上がったとき、俺は逃げてしまったけれど、今度はもう逃げない。親友として、兄として、おまえの初恋の成就を見届けてやる。
それで、いいんだよな…?
突然自覚させられたアンドレへの気持ちを、まだ素直に恋とは認めきれないオスカル・フランソワ。
彼女への長く続いた片恋に、ようやく終止符を打とうとしているアンドレ。
2人の想いはゆっくりと、それまで以上に距離を広げようとしていた。
2につづく
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