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【くちなおしのマルリー 6】
UP◆ 2013/9/7「まぁまぁまぁまぁ!なんて素敵なんでしょう!!」
仕立て上がって届けられた、その日のための衣装。
部屋のあちこちで、侍女たちが次々とローブの包みを開いている。
「オスカル、あなたもこちらに来てご覧なさいな」
色彩豊かな何着ものローブは、大輪の花のよう。
下着や靴や小物が収められた幾つもの箱は、テーブルには置ききれなくて、床の方々にまで積み上げられていた。
またとないほど豪華な衣装に、小さな歓声をあげる侍女たち。普段は落ちついたマリー・アンヌの声も、自然華やぐ。
「さすがに御用達の工房のものね」
侍女たちがローブを広げて見せる間を、泳ぐように鑑賞してまわるマリー・アンヌ。
贅沢なローブなど見慣れてはいるが…
此度の件を受けてジャルジェ家に差し向けられたデザイナーと仕立て屋は、こういった依頼に慣れているだけあって、完璧な仕事をしていた。
どれもこれも趣味が高く、一目で彼女に似合うと思えるものばかり。
その衣装の目的を考えれば浮かれた気分にはならないはずのマリー・アンヌも、やはり女性。意匠を凝らした品々を見て、うきうきしないわけはない。
「オスカル?早くこちらにいらっしゃい」
マリー・アンヌは、部屋のすみっこで黙って突っ立っている妹に、再度呼びかけた。
さっそく着せてみなければ。
「まずはどれがいいかしら?あなたはどれから着てみたい?」
自分が着るわけでもないのに、マリー・アンヌの声は弾んでいる。
が。
「姉上」
「なぁに?」
「ここにある、これ。これらを今、すべて着てみるのですか?」
「もちろんよ」
…まさか。
わさわさとかさばる色とりどりのローブの数は、5着や6着ではない。
「これらを全部…?」
どうせ脱ぐことを目的とした服を!?
「さぁ、始めるわよ。ぐずぐずしている時間はありません。自分で決められないのなら黙ってらっしゃい」
マリー・アンヌが目配せすると、侍女たちがわらわらと群がってきた。
彼女は何を言う機会も与えられず素っ裸にされて、まずは下着の試着から。
さらさらと肌に心地よいシュミーズには、繊細なレースが惜しげもなく使われていて、手荒に扱えば簡単に破けてしまいそう。
「ほらほら、おとなしくしていてちょうだい」
足元からはスルスルと長靴下をたくし上げられ、太ももの辺りで、織りの美しいリボンで止められる。
体のあちらこちらでいっせいに行われている、さまざまな作業。それは大変手際がよく、これでは抵抗も無駄と彼女はなされるがまま。
だったが。
「あっ、あーっ」
しばらくはおりこうさんにしていた彼女が、悲鳴をあげた。
「よしてくれ!そんな鎧みたいなコルセット!」
「オスカルさま、じっとしていてくださいまし」
「そ… そんなにきつく締めては苦しいではないか!」
「オスカル!子供じゃないのよ。我慢なさい」
平素着けているものとは違う、本気でボディメイクするためのコルセット。前から肩を押さえられ、後ろからギュウギュウと締め上げられて。
「うぁっ」
口から内臓が出てきそう。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
最初の衣装が着付け終わったときには、すっかり息が切れていた。
拷問具のようなコルセットに呼吸もままならず、着飾った自分を楽しむ余裕などこれっぽっちもない。
「姉…上」
「なぁに?」
「世の貴婦人は皆、ローブの下ではこのように無茶な装備を?」
「それもたしなみのひとつというものよ」
…ああ。
彼女は絶望的な気分になった。
自分でも数奇な運命を生きてきたと思っていたが。
父上… 感謝いたします。このような人生を与えてくださっていたことを。こんなものを毎日着こんで生活するなど、私には到底無理でした!
そのあとも、ぐったりしている妹をよそに、マリー・アンヌは侍女たちと、彼女を着せかえ人形にして遊んだのだった…
晩餐の済んだジャルジェ邸。
当主は執事を伴い、忙しそうに書斎へ。夫人も奥方の棟へと引き取って、1人になった彼女はふらりと庭園に出た。
8月も下旬。
陽が落ちればもう、風は秋めいて冷たい。
かっちりと整ったフランス式庭園の中央を、彼女は休み休みに進む。
よく手入れされた花壇。刈り込まれた芝。近衛連隊長を務めていた頃は、日々の勤務に忙殺されてゆっくり眺める暇もなかった。
屋敷に戻れない日も珍しくなかったし、持ち帰ってきた仕事のために、書斎にこもることもしばしばだった。
なんと目まぐるしく、しかし、なんとやりがいのある日々だったことか。
「ああ、きれいだ」
彼女は窮屈そうに腰をかがめて、花壇の縁に座る。
「くっ… ふ…ぅ」
普段通りのブラウスとキュロットの下、折れた体に圧迫されて、より強く締まってくる鎧と違わぬコルセット。
慣れるためにとマリー・アンヌに厳命され、今夜は湯浴みの時間まで外せない。
それなりに楽な体勢を探して落ちつくと、腕を伸ばして背の低い花の首に指を差し入れた。
花壇を埋めるように、小さく顔を寄せあって咲いているゼラニウム。
貴婦人たちの間では、今、この花の新しい品種をいち早く手に入れるのが、ちょっとしたご自慢らしい。或いはお抱えの庭師に新しい品種を作らせ、披露することが。
彼女の指先にほんの少し力が入っただけで、小さな花はぷつりと茎を離れた。
「あっ」
摘み取るつもりなんて、なかったのに。
とても可哀想なことをしてしまった気がして、彼女は可憐な一輪を手のひらに乗せた。
お召しの一夜のあとも、この花は美しく見えるのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えて…
「なにを、私は」
感傷的になっている自分がおかしかった。
仕方のないことだと割り切っているはずなのに、心のひび割れから、やるせない思いが滲み出てくる。
出勤しなくなり、毎日のように姉の屋敷で磨き上げられて、花を乗せた彼女の手は、自分でもきれいになったと思うほどまろやかに白かった。
「違う」
こんなの
今日試着した数々のローブ。初々しく清らかなものから、年齢相応に妖艶なものまで。
見た目だけなら、どれもよく似合っていた。ことに、青みがかるほど白く透けた彼女の肌に。
マリー・アンヌも侍女たちも褒めてくれたし、いつもは余裕で構えているジェローデルも、別室から招き入れられた瞬間には、見とれてぽうっとしていたけれど。
「はー…っ」
そんな賞賛が欲しいわけじゃない。
自分にとっての平凡な日々はますます遠ざかり、もう取り戻すことの叶わぬところへ失われてしまった。
なんだったのだ、私の人生は…
気を緩めたら、嫌だと泣きわめいてしまいそう。
彼女は目を
しっかりしていなければ、アンドレに見抜かれてしまう。
忘れてはいけない。これは密命だった。
せめて、そう。
「アラスへ行くまでは」
少年の日の思い出がたくさん残るアラス。明後日には出発するつもりで、父親の許可も取った。渋い顔はされたけれど、もしかしたらもう、彼女にアラスを訪ねる機会はないかもしれない。レニエだってそれを判っている。
穢れのない身、少年の心を抱いたまま、愛した日々と幼なじみに別れを告げよう。
そうすればきっと、強くいられる。
それはもう祈りに近く、今夜は彼と2人、旅の計画を詰めるつもりでいた。
「アンドレ…」
彼はまだ、晩餐の後片付けなどを手伝っているのだろうかと屋敷を振り返り…
「オスカル~!」
「アンドレっ!?」
彼が手を振りながら、近づいて来ていた。
「おまえ、なんでここに… 屋敷の手伝いは…?」
今夜もキュンときてしまったことは素知らぬふりで、それでもちょっと、彼女の声はうわずっている。
急に出てくるなんて、本当に心臓に悪い。
「“なんで”って、部屋にいないから探しに来たんじゃないか」
「もうそんな時間か?」
見上げてみれば月はすっかり登っていて、屋敷だって灯りの映る窓は減っている。ほんの少し考えごとをするつもりが、思いのほか時間が経っていた。
最近、こんなことばかりだ。心が体を離れて、ふわふわ漂っている。
「っくしゅ…っ」
気を取り直すと冷えた体にも気がついて、くしゃみが出た。
「夜風は体に障る。部屋に戻るぞ。ほら」
彼は花壇の縁で座りこんでいる彼女に手を差し出す。
いつもなら、力強く握り返してくる彼女だが。
…あ…れ?
差し出した手のひらに、ふんわり乗せられた細い指先。
「どうかしたか?」
「いや、別…に」
こんなふうに柔らかく指先だけを預けられたら、力任せに引っ張るわけにもいかない。
なんだか今夜は勝手が違うな。
彼は少し気恥ずかしい心持ちで片膝をつき、空いた方の手を彼女の腰にまわした。そして、そのままそっと立たせてあげて。
相手はオスカルだぞ?何をやってるんだ、俺は。
醸される空気に押されて彼女をエスコートしながら、彼自身、自分のしていることにおかしなものを感じている。
おまけに彼女ときたら、少し歩いただけで息をついたり、ふらふらしたり。
「悪い。胸がちょっと、苦しくて」
慣れないコルセットの締め上げに、息も絶え絶えになってきた彼女は、声もやっとのかぼそさだった。
…少し緩めないと、まずいかも。
急に立ち上がったせいか、軽く吐き気までしてきている。
何かといってはクラッと倒れる宮廷婦人たちに、“気合いが足りん!”とうんざりしたこともあった彼女だが、なにやら目の前がスーッと暗くなってきた。
恐るべし、コルセット。
まさかこの私までがそのような醜態を!? いや、頑張れ私。屋敷などすぐそこ。このような拷問具に負けてたまるか!!
彼女は1歩ごと、懸命に自分を鼓舞してみたのだが。
「アン…ドレ」
「どした?」
「めまいがする。少し… 座りたい」
「えっ!?」
眉根を寄せて目を閉じて、何かに耐えているような横顔。その向こうに、屋敷のエントランスが見えている。
「あそこまで頑張れない?」
そしたらおばあちゃん、いや、誰だっていい。人を呼んで…
彼はざざっと算段したが、彼女は首を振った。
「も… 無理。苦し…」
「おいっ!」
くたりと寄りかかられて、彼は慌てる。
「いいか、オスカル。ちょっと触るぞ?下ごころはないからな」
彼は腰に添えていた手を離して、彼女の背中側からわきに腕を入れた。手のひらは胸の辺りに触れてしまっているが、そのぐらいしっかり手をまわさないと、ぐったりした成人など持ち上がらない。
彼女は顔色悪く、口もとを押さえていて、つかまる余裕もないよう。
「よっ…と」
かなり雑な扱いだったが、彼は目の先に見えているベンチまで彼女を運びこんだ。
「アンドレ、すまな…」
「いいから!」
彼女はうっすら目を開けたが、後頭部をグイと押されて彼の膝に伏せさせられた。
続いて訪れる開放感。
胸の奥まで新鮮な空気が入ってきて、みるみる気分が良くなってくる。
「ふーっ」
何度か深呼吸すると、頭の霞んだ感じも吐き気もすっきり引いた。
「気分は?」
「ありがとう。驚くほど良くなった」
彼女はムクリと半身を起こしかけたが、また彼に押し戻された。
「まだ顔色が悪い。もう少し横になってろ。それに」
「?」
背中を押しこんでいる手が、ツツッと動く。
「コルセット…の紐、緩めたから」
「え?え!?」
あの開放感。急に呼吸が楽になったのは。
「なんっ… 何でおまえがそんなっっ」
「だって胸が苦しいって言ってたから。着衣を緩めるのは救護の基本だろ?」
「それにしたって」
女性の下着に手をかけるなんて!それも、一瞬の手際でコルセットの紐を解くなんて!!
「スケベ心じゃないぞ?」
「判っている!!」
「じゃ、なんで怒ってるんだよ」
「怒ってないよっ」
子供の頃の口調が出るのは、怒っている証拠。
「アンドレ。おまえ、意外と女慣れしているんだな」
「へ?」
「10年以上私だけとか言っておきながら、その実、女の扱いに慣れていたんだな」
怒ってるのは、そこ!?
「さては貴様、侍女の1人や2人…」
「んなわけあるか!」
「それならどこでっ」
…あ!
微かに流れる、気まずい空気。
―― 言ってしまった。
―― 言われてしまった。
彼の、娼館通い。
「しょうがないだろ、男なんだから。じゃなかったらとっくにおまえを押し倒して本当にヤッてたぞ!」
突然の身の下話に、照れくささと恥ずかしさで彼は乱暴に言い捨てたが、彼女は言い返すことなく黙ってしまった。
…ああ、しくじった。
やっと乗り越えた気まずさが、2人の間にまた漂っている。少なくとも彼は、そう感じた。
つい出てしまった、失言。
誤解とこの雰囲気が深まる前に、何か言わなければ。
あんな不自然な日々はもうたくさんだと、彼は次の言葉を選ぶ。
けれど、言うべきことがまとまったのは、彼女の方が早かった。
「アンドレ?」
彼の膝に伏せたまま、彼女の手がついと動いて、無骨な男の指を探る。
「ぇ」
急な感触に驚いたのか、白くすべらかな手の中で、小さく暴れた彼の指。
彼女はそこにキュッと力を込める。
その仕草は彼の感じる勝手の違いを、さらに強くした。
表情の窺えない彼女が何を言い出すのか、予想もつかなかった。
「アンドレ。おまえ、娼館の女をどう思う?」
「どう、って」
まだ娼館の話を?
彼は内心そう思ったが、彼女からはひどく真剣な気配が感じられる。
「好きでもない男に体を許す女たちだ。おまえは本当のところ、どう思っている?」
「うぅ…む」
下手なことは言えなかった。
男女のことに彼女が潔癖で臆病なのを、彼はよく判っている。でも。
「おまえには、理解しがたいかもしれないけれど」
彼はそう前置きし、率直に話し始めた。
「世間が思う通りの、自堕落で男好きな女も中にはいるな」
彼女は先を促すように頷く。
「でも俺には、不器用で傷つきやすい
上手く生きることが出来なくてそういう人生になってしまっただけの、本当はごく平凡な女たちなのだと。
「いくら娼婦だって、好きでもない男に抱かれて平気な子なんかきっといない。あの女性たちがすり減らしているのは体じゃなくて、心なんだと俺は思っている」
「……」
「それなのに優しいんだ。
きれいごとに聞こえるだろうと付け加え、彼は苦笑した。こんな台詞を吐くことで、自分の娼館通いを正当化しようとしているのだと。
「せこい男だろ?」
「いや。…おまえはやっぱり優しいな。アンドレ、おまえに愛される女は幸せだ」
「だから、俺が愛してるのはおまえなんだって」
「ああ、そうだったな。ならば私は幸せなのだな」
忘れていたと小さく笑い、彼女はうんうんと何度も頷く。
「私は… 幸せだった」
彼には聞こえないほど微かなつぶやき。
それとともに、つながれていた指先はゆるりとほどけた。
そして、また訪れる沈黙。
それは重苦しいものではなかったけれど、彼女の吐く息は震えて、彼のキュロットに熱く沁みる。
「オスカル、おまえ」
泣いてる?
そう思ったけれど、彼にはもう、声をかけるきっかけがつかめなかった。
ジャルジェ邸・勅使の間。
そこは、国王陛下からの直々のお使者をお迎えするためのみに存在する部屋。
月の庭園で幼なじみ の2人が彷徨う想いを交錯させている頃、レニエはその部屋にいた。
夜も更けてきた時分に、駆け込んで来た早馬。
「明日?それはまた… 急なことでございまするな」
「御方は少々退屈していらして、こちらの末姫さまにお話し相手を所望されておいでとのこと」
まったく、どこでどんなお話とやらをするのだか。
雅を装ったお召しに、近衛将軍家当主として、レニエは恭しく申し渡しを賜る。
「御方は大げさなことを好まれません。よろしいかな、ジャルジェ伯爵?」
お使者の、釘を刺すような言いまわし。
供回りはもちろん、侍女の1人も付けるなということか。
急なお召しに、末娘の教育は具体的に肝心なところまでは至っていない。レニエは咄嗟に、長姉を侍女として付けてやろうと思っていたのだが。
「ほっほっほ。そうご心配召されるな。末姫さまはこちらで大切にお預かりいたしましょうぞ。この上なく、大切に」
「勿体ないことでございます」
恐縮し、しかしその心の裏で。
せめてアラスには行かせてやりたかったと、レニエはそんなことを考えていた。
最終話につづく
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